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身代わり花嫁の離縁大作戦 クールな辺境伯の溺愛からは逃げられない!? 2

第二話

 

 ルシアーナはそのまま神父の部屋から、ルーズワルド侯爵邸に連れて行かれた。
 私物などなかったので旅支度もさせてもらえなかったのはかまわないが、お世話になったシスター・マリーにはお別れを言いたかった。
 だが、顔を見てしまえば決心が鈍るだろうとも思った。
(私はお世話になった人に、きちんとお礼を言えない星の生まれなんだわ)
 シスター・マリーには、刺繍入りのハンカチをプレゼントしたかったと、寂しく思った。
 ──その後、モンドベルト辺境伯の所へ行くのは一ヶ月後と決められた。
 一ヶ月間、ルーズワルド侯爵邸で淑女としての教育を受け、それからモンドベルト辺境伯の城に行くことになる。
(王族に縁がある貴族のご令嬢と結婚される予定だったのに、騙されて平民と結婚させられるモンドベルト辺境伯がお気の毒だわ……)
 修道服とウインプル(ベール)を脱いで、ドレスに着替えさせられたルシアーナはその美貌も手伝ってか、どこからどう見ても本物の令嬢のようで、ルーズワルド侯爵家の侍女たちを驚かせた。
 ただルシアーナが困ったことに、修道服であれば隠せた指輪のネックレスは、胸元があいたドレスを着るときにはつけられない。
(ほとんどが、胸元のあいたドレスなのね……)
 駆け落ちの際に、アニエスが自分のドレスや宝石をほとんど持っていってしまったため、ルーズワルド侯爵はルシアーナの為に、惜しみなく新しいドレスを仕立ててくれたのだが、今まで首まで隠すような修道服を着ていたので、これらのドレスを着るのはどうにも恥ずかしい。
(どのドレスにもポケットがついているから、私のネックレスは布製のジュエリーケースに入れておくようにすればいいかしら)
 淑女としてのレッスンと勉強の合間に、ネックレスを収納しておけるジュエリーケースをいくつか縫った。
 ついでにジュエリーケースに美しい薔薇の刺繍をしたら、侍女たちに驚かれた。アニエスは刺繍が苦手だったそうだ。
「じゃあ、モンドベルト辺境伯のところに行ったら、刺繍をしてはいけないのかしら?」
 侍女に聞くと、モンドベルト辺境伯とアニエスは、まったく会ったこともなければ手紙のやりとりもしていなかったそうなので、自由にしていてもいいのではないかと言う。
 ちなみにルシアーナは教会でピアノを弾いていて、演奏は得意だった。アニエスは楽譜が読めなかったので、淑女の嗜みであるピアノはそもそも練習する必要がなかった。
 字の読み書きもできたため、勉強もすんなりとすすめて家庭教師を唸らせ、ダンスの練習も類まれな運動神経で乗り切った。
 記憶喪失ではあるが、物覚えは良いほうだったので、ルーズワルド侯爵家の系譜もすんなり覚えた。
(驚いたわ、かなり遠縁とはいえ、ルーズワルド侯爵家は本当に王族の血筋なのね)
 不安に思ったが、それももう今更だと開き直ることにした。
 淑女教育の期間として一ヶ月とってもらったが早々に全てをクリアしてしまい、暇な時間ができてしまう。
 仕方がないので、絹のハンカチに刺繍をして時間を潰した。

 


 モンドベルト辺境伯領へ出発する前日、ルシアーナはルーズワルド侯爵に執務室へ呼ばれた。
 入室すると、ルーズワルド侯爵とその夫人がいた。
「いよいよ明日出発だ。君には荷が重いことであろうが、許して欲しい」
 ルーズワルド侯爵が、初めて謝罪の言葉を述べたので驚いた。
 教会のシスターだった頃に見てきた貴族は、どの人物も横柄さがあったからだ。
 ──ルーズワルド侯爵が当初そうであったように。
 そんな人物が、自分に頭を下げてきていた。
「教会の子どもたちのためですので」
 ルシアーナが優雅に微笑むと、ルーズワルド侯爵も微笑んだ。
「いいか、万が一にもアニエスの顔を知っている貴族に会うことがないように、王都でのパーティにはなるべく参加しないようにして欲しい……娘は、その……パーティ好きだったからな……顔を知るものも多いだろう」
 ルーズワルド侯爵が言う。
「ですが参加するよう言われたら、従うしかないですよね?」
「……よほどのことがない限り、モンドベルト辺境伯はパーティに参加するような人物ではない。私もそういった場では数回しかお会いしていない」
「嫁いだ後は、どのように過ごせばよろしいでしょうか?」
「モンドベルト辺境伯領は王都から遠い。アニエスを知る貴族が来訪することはないだろうから、私から過ごし方についてのアドバイスはなにもない。モンドベルト辺境伯家の女主人として、きりもりしていかねばならないだろうが、君なら大丈夫だろう」
「勿体ないお言葉です」
 姿勢正しく、気品あふれる姿で答える。淑女のレッスンが板についていた。
「……沢山のドレスや宝石を準備くださり、ありがとうございました」
 ルシアーナが頭を下げる。
「いや、あの程度どうということはない。それに君は侯爵家の娘として嫁ぐのだから、恥ずかしい思いをさせるわけにもいかぬ」
 ルシアーナはドレスのポケットから、ルーズワルド侯爵家の紋章が縫われたハンカチを二枚取り出し、差し出した。
「ドレスや宝石のお礼と言うにはお恥ずかしいものではありますが、どうかお納めくださいませ」
「ほぅ、これは君が刺繍したのか」
「はい、ルーズワルド侯爵」
「素晴らしい刺繍だ、ありがたくいただく。礼を言わねばならないのは、こちらのほうだというのに……こんなことまでしてもらえるとは」
「……ありがとう、ルシアーナ。私たちが言うのもなんだけれど、娘は我儘で高慢に育ってしまったわ。あなたもそのように振る舞って、早めに離縁されてもよいでしょう。そうしたらまた元の修道院に戻してあげるわ……そうなっても教会への寄付は勿論、続けさせていただくし……」
 涙ぐんだ夫人の言葉を聞いて、ルシアーナは微笑んだ。
「ありがとうございます。離縁の道も残して頂けるなら、少し心が楽になります。子どもたちへの支援、何卒よろしくお願いいたします」
「あぁ、わかった」
 


 ──そして翌朝。ルシアーナはモンドベルト辺境伯領に向かうため、ルーズワルド侯爵邸を出発した。
 国境近くの地ということで、王都にあるルーズワルド侯爵邸からは、途中宿で休みながら馬車で七日かかった。
 ルシアーナはひどく疲労していた。馬車を降りて宿で休んでいるときでも、ゆっくりできず、睡眠もあまり取れていなかったからだった。
 何故か悪夢を見てしまう。馬車が落石事故に巻き込まれて崖下に転落する夢。それが妙に現実的で目が覚める。恐ろしくて寝付けない。身体は疲れているのに眠れない。
(……こんな夢、今まで見たことなかったのに……神様がお怒りなのかしら)
 ルシアーナはロザリオを握りしめて、祈った。
(……どうかお許しを)
 そしてとうとう、モンドベルト辺境伯領まであと少しというところで、ルシアーナは高熱を出し、宿から動けなくなった。

 

 ◇◇ ◇◇◇ ◇◇

 

 扉が三回ノックされる。
「旦那様、アニエス・ルーズワルド侯爵令嬢のことでお知らせがございます」
「入れ」
 執務室に執事が入室してくると、羽根ペンを置き、モンドベルト辺境伯領の領主であるレナルドが顔を上げた。
「何事か?」
「ご一行は、隣町のハイゼに到着されているそうなのですが、ルーズワルド侯爵令嬢が体調を崩されて、こちらに到着するのが遅れるとのことです」
「長旅でお疲れになったのだろう、体調はどのような状態なんだ?」
「原因不明の高熱をだされているとかで」
「高熱? そうか……」
 レナルドは長めの黒い前髪をかきあげ、考える。
「解熱剤を調合してくれ、アニエス嬢を迎えに行く。ハイゼには町の医者しかいないだろう。モンドベルト辺境伯家の医者も連れて行く、呼んでこい」
「かしこまりました、至急準備いたします」
 執事が下がっていくのを見てから、執務室内にいたレナルドの従者ウォルフが言う。
「レナルド様が自ら行かれるのですか? 何か悪い病だったらどうするんです? 私が行きますよ」
 レナルドが黄金に輝く瞳を、ウォルフに向けた。
「この近辺にも王都にも疫病の情報はない。だからそういった心配はいらないだろう。王都から離れて心細い思いをされているだろうから、私が行った方がいい」
「……レナルド様は人が良すぎやしませんかね? 追い返すならともかく“偽者”を迎えに行くだなんて」
 ウォルフの言葉を聞いて、レナルドはククッと喉を鳴らした。
「偽者だから迎えに行くんだよ。逃げ出した花嫁の代わりに寄越した女性が、どんな人物なのか気になるじゃないか」
 本物のアニエスがルーズワルド侯爵の屋敷からいなくなった件は、自身の情報網を使って、レナルドはとうに知っていた。
 ルーズワルド侯爵家はこの事態をいったいどうするつもりだろうかと静観していたら、アニエスの出発を一ヶ月延ばしただけで、遂に本当のことは言わなかった。
 そしてアニエスが戻ってきたという話は聞かないまま“アニエス”がルーズワルド侯爵邸を出発したという情報が入った。
 ルーズワルド侯爵が偽の花嫁を送り出したのは、火を見るより明らかであった。
(私を誤魔化せると思われているのは癪だが、今更他の令嬢との婚約は煩わしいし、こちらは騙された状況を継続しておけば、いざというときに責任を問われるのはルーズワルド侯爵家だけだ)
 アニエスが偽者であるということを知っているのは、レナルドの従者であるウォルフだけだ。偽者には形だけのモンドベルト辺境伯夫人を演じてもらえばいい。
 アニエスが本物でも偽者でも、はなから期待などしていない。十歳も年下の娘に求めるものなど何もない。
(おとなしい娘なら、扱いも楽なんだがな……)
 薄っすらと笑みを浮かべながら、レナルドは上着を羽織ると、執務室を出た。

 


「た、大変です! モンドベルト辺境伯がこちらに向かっているとのことです」
 先触れを受けて、従者が青い顔をして宿屋の簡素なベッドで寝ているルシアーナのところにやってきた。
 こちらに来て何をしようというのだろうかと、従者たちの間に不安が広がった。
 ルシアーナはぼんやりとした頭で考える。
(恋しい相手だから一秒でも早く会いたい……という線はないわね。今回が初顔合わせなのだから……)
 では、何故わざわざやってくるのだろうか。
(……仮病を疑われているか……または病気を理由に、アニエスはモンドベルト辺境伯領には来ないと思われているとか……)
 アニエスはパーティ好きだったと、ルーズワルド侯爵が言っていた。
 そうであれば噂話でもその人となりは、辺境の地まで伝わりそうなものだ。
(そもそもアニエスが逃げた事実を、モンドベルト辺境伯がご存知ないなんてあり得るのかしら?)
 ルーズワルド侯爵家にあった歴史の本を読んだところ、モンドベルト辺境伯は四家ある辺境伯の中でも特に戦争に強く、戦果を上げていると書いてあった。そんな家がアニエスの逃亡を知らずにいるなんて、考えられるだろうか?
 ルシアーナから見ても、今回の花嫁入れ替え作戦は、ずさんだと思えるのに。
(……遅かれ早かれ破綻するってわけね)
 身体を起こして、集まってきている従者たちに言う。
「……もしも、モンドベルト辺境伯が私を害するつもりなら、貴方たちは全力で逃げて。偽者だとバレているなら、ルーズワルド侯爵の屋敷に戻ったところで同じだから、屋敷には戻らず、どこか安全な場所に逃げるように。ドレスや宝石はあげるわ。持参金も」
 従者たちの不安を煽るようだったが、レナルドの行動の真意がわからなかったから、そう言うしかなかった。
 ──そうして、二時間後にモンドベルト辺境伯一行が、ルシアーナが泊まる宿にやってきた。
 背がやたらと高く、黒髪で黄金の瞳をもつ青年が、ルシアーナが寝ている部屋に入ってくる。
 黒い軍服に左肩からマントを半分掛けて、その真紅のマントは金色の糸で編まれたストラップで胸元に留められている。
 目を見張るような美貌の持ち主ではあったが、その美貌が冷酷そうな表情を際立たせる。
 黄金の瞳で見つめられると、震え上がる思いがした。
 それに、ただ迎えに来るのにわざわざ軍服を着てやってきたのには意味があるのだろうか。威嚇されているようで緊張がはしる。
「私はモンドベルト辺境伯領主のレナルドだ。体調が優れないと聞いたので、辺境伯家の医者を連れてきた」
 レナルドと名乗った青年の隣には、白衣を着た老人が立っていた。
「……こ、こちらまでご足労いただき、恐れ入ります。私はルーズワルド侯爵家の三女、アニエスと申します」
 ふらふらとベッドから立ち上がり、ルシアーナはネグリジェの裾を摘みカーテシーをした。
「病人なのだから起き上がらなくてもいい、無理をするな……失礼する」
「きゃっ」
 レナルドは彼女を軽々と抱き上げ、ベッドに戻した。
「……だいぶ身体が熱い。解熱剤も調合して持ってきているから安心しなさい、すぐに楽になるだろう」
「あ、ありがとうございます」
「診てやってくれ」
 レナルドは連れてきた医者に命じると、部屋から出ていった。
 どうなることかと思っていたが、単に婚約者が心配なだけだったのかと、少しだけ安心した。
 レナルドが連れてきた医者の見立てでは、不眠からくる疲労蓄積による熱ということだった。
 医者から解熱剤をもらい、飲んで暫くすると熱が下がってきたようで、身体が楽になった。
 落ちついた頃合いに、再びレナルドが部屋にやってくる。
 この宿の天井が低いのだろうか。頭が天井についてしまいそうなほどの背の高さだ、などとルシアーナは回らない頭でぼんやり考えていた。
「ここから私の城まで馬車では二時間ほどかかるが、アニエス嬢の熱が下がっているうちに向かおうと思う。いかがかな? この宿では心許ない」
 静かな声で、レナルドが話しかけてくる。
「……わかりました。身体は大丈夫です、今はだいぶ楽になりましたので……モンドベルト辺境伯、貴重なお薬をありがとうございました」
「礼には及ばん。それから、夫婦になるのだから呼び方はレナルドでいい」
「……はい、レ、レナルド様」
「それでは準備が整い次第、出発する」
 彼の黄金の瞳で見つめられると心が揺さぶられる。何もかもを見透かされているように思えるからだろうか? それともこちらに疚しさがあるから、そう考えてしまうだけなのだろうか? どうにも落ち着かない。
「長旅は身体に堪えただろう。あともう少し耐えてくれ。城についたら、暫くはゆっくり出来るようにする」
「……お気遣いありがとうございます、レナルド様」
 出発の支度が整ったと連絡が来ると、レナルドは再びルシアーナを抱き上げた。
「じ、自分で歩けます」
「無理をするな」
 大きめの馬車の扉が開けられる。中も広々していて腰掛け部分がベッドとして使えるようになっていた。
「私は馬で並走するが、具合が悪くなればいつでも馬車を止めるように。薬を用意させる」
「はい、レナルド様」
 看護用の侍女が一人同乗し、ルシアーナが乗った馬車はモンドベルト辺境伯の城へと出発した。
 ──薬が効いてとても眠くなり、気絶するように眠りに落ちた。