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賢王陛下と伯爵令嬢

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書籍紹介

苦悩の先に、ふたりで掴む最高の幸せがある――

国王ルークの王妃となった伯爵令嬢フィリス。幸せな新婚生活のはずが、偶然先王夫妻の凄惨な死の真相を知ってしまう。彼には言えない――思い悩んでいると抱きしめられて!? 「何があっても離すつもりはない」淫らなキスと愛撫で身体の隅々まで快楽を刻まれる。甘い絶頂の中深い想いを受け止め、二人なら乗り越えられると感じたフィリス。改めて彼とともに生きると決意して……!

ジャンル:
西洋 | ファンタジー
キャラ属性:
王子・王族・貴族
シチュエーション:
新婚 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

ルーク

ローレンス王国国王。精悍な美貌と聡明さで人望も篤い。新たに王妃を迎えることになり、候補の中からフィリスに目を留めるが……。

フィリス

ハルフォード伯爵家令嬢。落ち着いた物腰の前向きな性格。療養していた父に寄り添い婚期を逃していたが、王妃の候補になり……。

立ち読み

「──私が、次の王妃候補に?」
 フィリスは信じられない気持ちで問い返した。
 目前に座ったラドクリフ侯爵は、にこりともせず「ええ」と肯定する。彼にそのつもりはないだろうが、冴え冴えとした美貌のせいで威圧されている気分になった。
 侯爵の隣に座ったトレヴァスは何とも言えない顔で、瞬きを繰り返している。彼の手に負えない事態が起こった時に見せる表情だ。
 フィリスの兄であり現ハルフォード伯爵であるトレヴァスが、宰相を務めるラドクリフ侯爵を伴って領主館に戻ったと知らされた時は、『王都で何をやらかしたの!?』と内心悲鳴を上げたフィリスだが、侯爵の用は自分にあったらしい。
 国王夫妻が離婚したことはもちろん知っている。次の王妃探しが始まっていることも。
 だが、それらは全て自分とは関係ない世界の話だと思い込んでいた。
 父が存命だった頃ならまだしも、今のハルフォード家に王家に益をもたらすだけの力はないからだ。そしてそれは、宰相もよく分かっているはず。
 フィリスの容姿に惹かれた国王が指名して……という線もないだろう。
 栗色の髪に、青磁色の瞳。大人びた顔立ちだとよく言われるが、それは誉め言葉ではないし、角度によっては美人に見えなくもない程度の見た目だと自覚している。
 そもそも、国王が自分を認識しているとは思えない。
 ──これは何かの罠ではないか。
「失礼ですが、どうして私が選ばれたのでしょう?」
 フィリスは恐る恐る尋ねてみた。
 ラドクリフは表情を変えず、淡々と答える。
「疑問に思われるのはもっともです。ですが、こちらに他意はありません。王妃候補は陛下のご意向に沿って選ばれました。次期王妃を選定する際の陛下の要望は、『若過ぎないこと』と『他に求婚者がいないこと』でした。二つの条件と家柄を加味した結果、五名の候補が挙がった。フィリス嬢はそのうちのお一人というわけです」
(なるほど……。陛下が売れ残りの貴族令嬢を希望しているのなら、確かに私はぴったりよね)
 フィリスは宰相の言葉を辛辣に解釈した。『他に求婚者のいない』『若過ぎない女』というのは、つまりはそういうことではないだろうか。
 とりあえず、罠でも嘘でもなさそうだ。国王が何故そんな要望を出したのかは謎だが、宰相の話には一応の筋が通っている。
 ようやく警戒を緩めたフィリスを見て、ラドクリフは「ただし」と続ける。
「現段階では、あくまで『候補』です。選考の結果、選ばれない場合もあるとご了承下さい。また、フィリス嬢にも選ぶ権利はあります。この話を辞退することは可能だという意味です。了承して頂けるのなら、来月行われる選考の間は王都に滞在して下さい。陛下との面談の場が設けられる予定ですので、そのおつもりで。候補になるかどうかの返答は、今月末までに頂ければ幸いです。……ここまでで質問は?」
 あくまで事務的に話を進める宰相に、フィリスは「ありません」と首を振った。
 即答したのは、何を質問すればいいかさえ分からなかったからだ。
 他にも王妃候補がいるのなら、ラドクリフはこれと同じ話をもう何度もしているに違いない。多忙な宰相にやらせる仕事ではない気もするが、未来の王妃を選ぶのだから使いの者を送って済ませるわけにもいかないのだろう。
 もしかしたらこの説明は、国王に会わせる前の面接を兼ねているのかもしれない。
 とにかく今は、ゆっくり落ち着いて考えたい。
 青天の霹靂過ぎて、正直全く現実味がないのだ。
「ご足労ありがとうございました。兄と相談してお返事させて頂きます」
「こちらこそ突然の訪問、失礼しました。よい返事をお待ちしております」
 優雅な所作で一礼した後、ラドクリフは応接間を出ていった。

   ◇◇◇

 この十一年というもの、フィリスは、特別楽しいこともなければ特別辛いこともない平和な日々を送っていた。
 由緒ある伯爵家の一人娘としては、珍しい部類に入るだろう。
 フィリスのように一年の殆どを領地で過ごす令嬢は、滅多にいない。ローレンス王国の名のある貴族の娘は、いつでも王宮に上がれるよう社交シーズン以外も王都にあるタウンハウスで暮らすのが一般的だからだ。
 だが、田舎暮らしもそう悪いものではない。
 朝は太陽の光で目覚め、侍女の手を借りて動きやすいドレスに着替える。髪はシンプルに結い上げ、化粧はごく控えめに。
 朝食をとった後のスケジュールは、兄が領地にいる時といない時とで異なった。兄がいる時は、自室でのんびり刺繍をしたり、図書室で読書に耽ったりする。
 いない時は、兄の代わりに家令の報告を受けたり、広いだけがとりえの屋敷の設備を点検したり、時には実際に領地を見回って何か困ったことが起きていないか視察したりした。
 決まったことを決まった時間に繰り返す代わり映えしない毎日だが、フィリスはそれなりに満足していた。
 フィリスが着飾って公式な催しに出席するのは、王都で行われる国王の在位記念祝賀会くらいのものだ。
 その時ばかりは兄と共に王宮へと赴き、国王に寿ぎを述べる貴族の列にくわわる。
 眩いシャンデリアに照らされた大広間にひしめく洗練された装いの招待客。楽しそうに談笑する彼らの輪の中に、入ったことは一度もない。
 フィリスの父が貴族院のメンバーだった頃なら、兄妹の周囲にはもっと多くの人がいたことだろう。だが、今は違う。王宮での発言力を失った貴族は、まるでその場にいないかのように扱われる。
 フィリスは王都へ行く度、自分と兄は忘れ去られた家の人間なのだと痛感した。大勢の人がひしめくホールにいる時の方が、部屋に一人でいる時よりずっと孤独を感じる。
 フィリスと同年代の令嬢達は、皆すでに良家の奥方になっていた。
 フィリスも本当なら、夫の肩書を名乗って様々なパーティに出席し、既婚婦人達と笑いさざめいていただろう。
 だが、そうはならなかった。
 社交界で人脈を広げる前に、フィリスは王都を離れなければならなかったのだ。
 二十四歳にもなって結婚どころか初恋すらまだなのは、そのせいだと思いたい。そもそも異性と出会う機会自体がないのに、相手が見つかるはずもなかった。
 ハルフォード家は由緒ある家柄には違いないが、現在は政治の中枢から離れてしまっている。他家から見た場合、ハルフォード家と姻戚になる利点は無に等しい。とびきり裕福なわけでもない家の、とびきり美人でもない娘を積極的に欲しがる者がいたら、それはそれで裏がありそうで怖い。
 フィリスが王都を離れたのは、父の療養に付き添う為だ。
 フィリスの父モーガン・ハルフォードは、前王弟レイモンドの相談役を務めていた。
 王家の忠実な盾といえば、マレット公爵家とラドクリフ侯爵家の名が上がるが、かつてはハルフォード伯爵家もそこに加わっていたそうだ。
 モーガンは十六で王宮に出仕するが早いか、国王の命を受け、第二王子の側近に据えられた。モーガンとレイモンドは同い年という気安さもあって、出会ってすぐに互いを気に入ったという。
 それから二十年。フィリスの父は陰となり日向となってレイモンドを支えた。
 レイモンドもまた、父の忠誠に報いようと努めていたらしい。
 ハルフォード伯爵夫人が持病で亡くなった時、レイモンドは悲しみに暮れる父に厚い気遣いを示したそうだ。そのエピソードは父のお気に入りで、彼は酒に酔う度、子ども達に自慢気に語って聞かせた。
 妻を亡くした悲しみを乗り越えた父は、残されたトレヴァスとフィリスに惜しみない愛情を注いでくれた。
『お前たちは、私の宝物だ。どうか健やかに育っておくれ』
 優しい声で紡がれた父の言葉を、フィリスは今でも覚えている。
 これからも昨日と変わらぬ日々が続くだろうと誰もが思っていたある日、事は起こった。
 レイモンドが、馬車の滑落事故で死亡したのだ。
 モーガンはタイミング悪く領地に戻っていたところで、レイモンドの傍にはいなかった。そのことで父を責める者はいなかったと、フィリスは記憶している。実際どうだったかは分からない。フィリスの知らないところで、父は責を問われていたのかもしれない。
 不運なことに、その馬車には国王夫妻も同乗していたそうだ。
 国王夫妻と王弟が同時に死亡した事件は、国全体に大きな衝撃を与えた。三人の死を知らせる号外新聞が撒かれ、訃報はあっという間に全土に広がる。
 当時十三歳だったフィリスは、ある日突然屋敷の空気が変わったことに気づき、戸惑った。使用人達はあちこちで固まり、小声で囁き合っている。
 トレヴァスは事情を知っているようだが、フィリスと話すつもりはなさそうだ。
『君が心配するようなことじゃない。大丈夫だよ』
 一体何があったのか、と問うフィリスの頭を、彼はそう言って優しく撫でた。
 兄とは二つしか変わらないというのに、完全に子ども扱いだ。
 業を煮やしたフィリスはメイド達の休憩所へと乗り込み、部屋にあった号外新聞を見せて貰うことにした。
『旦那様がお話しになるのをお待ちになった方が……』
 メイド達は渋ったが、父は事件以来屋敷に戻っていない。
『お父様のお帰りがいつになるか分からないのでしょう? 皆知ってるのに私だけ知らないのは不公平だわ。ざわついている屋敷の中で、一人事情を知らずぼんやりしているのは辛いものなのよ』
 きびきびと言うフィリスに、皆『それもそうだ』という顔で黙り込む。
 フィリスは手に入れた号外を持って自室に引き上げ、一つ大きく深呼吸してから記事に目を走らせた。
 フィリスの丸い頬がみるみるうちに青褪める。
 良くないことが起こったらしいと予想していたが、まさかこれほど大きな事件だとは思ってもみなかった。
(なんてこと……。御三方とも亡くなってしまっただなんて、信じられない)
 号外を読み終わった後、フィリスはよろめくように寝台に腰を下ろした。
 新聞を片手に握りしめたまま、額に手を当てる。
 これからどうなるのか、不安でならない。
 当事者ではないフィリスですら、立っていられない程の衝撃を受けたのだ。父はもっと驚き、悲しんだに違いない。
 後から家令に聞いた話によると、父は城からの知らせを受け取るやいなや、厩舎に駆け込んで一番足の速い馬に飛び乗り、供もつけず王都に向かったらしい。
 モーガンにとってレイモンドは、忠誠を誓った主であると同時に、かけがえのない親友だった。二十年という長い月日を共に過ごした相手の突然の訃報だ。いてもたってもいられなかったのだろう。
 大切な主の死に目に立ち会えなかったことを、父は心底悔いているように見えた。
 役目を失ったモーガンが次に望んだ肩書は、王都の治安を守る守護団の総長職だった。
 王宮に出仕する男子の嗜みとして剣の稽古を欠かしたことはなかったようだが、父は生粋の軍人ではないし、長年文官の仕事しかしていない。
(それなのに、急に守護団の総長を? 大丈夫なのかしら……)
 案じるフィリスに兄は、父が実戦に出る機会は滅多にないこと。各隊の配置や指揮が主な仕事であることを説明した。
 王都守護団を率いることになった父は、以前にも増して職務に打ち込むようになり、王都のタウンハウスに帰って来る回数はめっきり減った。
 屋敷の使用人達は、『早く慣れようと無理していらっしゃるのではないか』『悲しみを紛らわせたいのだろう』などと同情混じりに囁き合った。
 フィリスはといえば、『時が経てば、父は元の父に戻る』と信じていた。
 母を亡くした時、フィリスは世界が終わったかのように感じたものだ。生来の明るさは消え、毎日塞ぎ込んだ。
 だが、ひと月、ふた月と月日が重なるうちに、喪失による鋭い痛みは薄れていき、代わりに切なさ混じりの懐かしさが胸を占めていった。母にもう一度会いたいと願う気持ちが消えたことはない。だがそれは、強い焦燥を伴うものではなくなった。
 父もいつかは立ち直ってくれる。母を亡くした時のように。
 トレヴァスもフィリスもそう信じていたのだが──。
 不幸な事故から二年経ったある日、モーガンは突然、王都守護団総長の職を辞した。
 一体何があったのか、と気を揉むトレヴァスとフィリスをよそに、父は一人で何もかも決めてしまった。
 爵位をトレヴァスに譲って領地で療養することもその一つだ。
 モーガンのその様子は、まるで張り詰めていた糸が切れたようだった。
 淡々と身辺整理を進める父を心配したフィリスは、兄のいる王都には残らず父と共に領地で暮らすことを選んだ。
 田舎でのんびり過ごせば、父の気分も明るくなるかもしれない。
(お父様の支えになれるよう、頑張ろう)
 固く決意したフィリスだが、他でもない父によってその思いは挫かれた。
 モーガンはフィリスのいる領主館ではなく、少し離れた場所にひっそりと佇む別邸で一人、余生を過ごすと決めたのだ。
 フィリスが父に会えるのは、月に一度だけ。彼はその日以外は頑なに一人で過ごし、我が子以外の来客は全て面会を拒絶した。
『何か困ったことはないか? 足りないものは?』
 面会日が来る度、モーガンはこけた頬に無理やり浮かべたと一目で分かる笑みを張り付け、決まってそう尋ねた。生き生きと輝く瞳でフィリスを見つめ、快活に笑い、愛情の籠った大きな手で頭を撫でてくれた父はどこへ消えてしまったのだろう。
 本当は叫びたかった。足りないのは、父だと。だが、実際は曖昧に微笑んで首を振ることしか出来ない。
 当時十五歳だったフィリスは、一体何をどうすれば父を元に戻せるのか分からず、途方に暮れた。
 父との面会を重ねるうちに分かったことは一つだけ。
 フィリスが楽しい話をして笑うと、父も嬉しそうに微笑んでくれる。
 それに気づいたフィリスは、不安や悲しみを心の底に封じ込める術を覚えた。どんな時も明るく前向きに振る舞えば、現実もそうなっていくような気がした。
 元々が楽天的な性格だったせいか、フィリスにとってそれはさほど難しいことでもなかったのだ。
『お嬢様は、大変気丈な方ですね』
『お心が強くいらっしゃるから、旦那様も安心して療養できます』
 使用人達の賛美の声はプレッシャーではなく、フィリスの誇りになった。
 一方トレヴァスは、年々弱っていく父を直視することが出来なかったようだ。
『残念だけど、父上の為に僕が出来ることは、当主としての責務を果たすことだけみたいだ』
 父との数度目の面会を終えた兄は、ぽつりとそう零し、それからは用がある時しか領地に戻って来なくなった。
 十七歳の若さで由緒ある伯爵家の当主という重責を担うことになったトレヴァスの仕事は多く、隠居した父にばかり構っていられないことはフィリスにも分かっていた。フィリスの知らないところで多くの苦労もしただろう。
 モーガンとは一定の距離を置いたトレヴァスだが、離れて暮らすフィリスのことは細やかに気遣った。
 フィリスの社交界デビューの準備を整えたのは兄だし、十六になったフィリスを王宮へ連れていったのも彼だ。
 フィリスが初めて国王ルークを見たのは、その時だ。
 その年十六歳になる国内の貴族令嬢が正装し、謁見の間に一堂に会した様は圧巻だった。
 フィリスもお決まりの白いドレスを纏い、兄の腕に手をかけて、国王が広間に入ってくるのを待つ。
 やがて両開きの扉が恭しく開かれた。
 姿を見せた十九歳の若き王が、颯爽とマントを翻し、中央に敷かれた赤い絨毯の上を足早に進んでいく。
 だが国王の後ろに続くはずの王妃は、いつまで経っても現れない。
『……王妃様は?』
『陛下おひとりだけ?』
 王妃の不在を訝しむ声が、さざ波のように広間に広がる。
 だが、皆がざわついたのは国王の側近であるジョシュア・マクファーレンが前に立つまでのことだった。
 彼が進行役を務めるらしいと分かった途端、令嬢達は王妃の不在などどうでもよくなったらしい。一斉に口を噤んで頬を染め、俯いたり、そわそわと髪を触ったりし始める。
(マクファーレン子爵、ってことは……)
 フィリスは、デビュー前に兄から『暗記しておくように』と渡された貴族年鑑を思い浮かべ、素早くページをめくった。
(確か、ラドクリフ侯爵家のご子息よね。現宰相の一人息子で国王の懐刀と言われている方だわ)
 ジョシュア・マクファーレンが何者なのか理解したフィリスは、周囲の令嬢達の反応に納得した。
 マクファーレンの完璧に整った容貌と洗練された振る舞いは、周囲を圧倒している。
 フィリスも年頃の娘だ。子爵の見た目には素直な感嘆を覚えたが、美しいものを愛でる以上の感情は湧いてこない。
 フィリスが興味を抱いたのは、マクファーレンではなく国王その人だった。
 自分よりたった三つ年上なだけなのに、彼はもう国王という重責を担っている。
 尊敬と感嘆が入り混じった気持ちで、ルークを見つめる。
 背は高いのに痩せ過ぎているせいで、全体的にひょろりとして見えるが、難があるのは身体の細さだけで、顔立ちは非常に凜々しく魅力的だ。
 艶のあるサラリとした黒髪が、精悍な顔立ちをより引き立てている。
 意思の強そうな眉はわずかに顰められ、アイスブルー色の切れ長の目は深い憂いを湛えていた。
 豊かな国力を有するローレンス王国を統べる、この国で最も高貴な人。
 誰もが憧れる立場にいるというのに、ルークは少しも幸せそうに見えない。
(ご両親と叔父様を一度に亡くしてしまわれたのですものね。あれからまだ三年……そう簡単に割り切れるものではないわ)
 思わず己の境遇と重ね、同情してしまう。
 結局フィリスは最後まで、憂鬱そうな若き王から目を離すことが出来なかった。
 謁見自体は、実にあっけなく終わった。
 国王と個別に挨拶するのではなく、ジョシュア・マクファーレンがデビュタント一人一人の名前と家名を読み上げ、国王がそれに頷くだけのものだったのだ。
 国王が退出した後、デビュタント達は謁見の間を出てダンスホールへと移動する。そこでエスコート役の男性とワルツを踊れば、正式に社交界の一員として認められる。
 フィリスも他の令嬢達と共に一連の行事をこなし、無事社交界にデビューした。

 王都のタウンハウスに引き上げた後、兄はフィリスを歓談室に誘った。
 今夜の話をしたいという彼に、フィリスも同意する。
 トレヴァスは歓談室のソファーに座り、執事が運んできたワインをグラスに注いだ。
 兄ももう子どもではないのだと、しみじみ思うのはこんな時だ。
 トレヴァスと向かい合わせに座ったフィリスは、瀟洒な編み上げ靴を脱ぎ、ふくらはぎを揉んだ。立ちっぱなしだったせいで、足全体が痺れたように重い。
『──それで、どうだった? 楽しめたかな?』
 兄の問いにフィリスはこくりと頷いた。
『楽しかったわ。皆にレディとして扱われて、すっかり大人になった気分よ』
『実際そうだからね。友人になれそうなご令嬢はいた?』
『どうかしら。まだちょっとしか話していないし、分からないわ』
『そうか……。社交界が楽しくなるような友人が出来るといいんだけど』
 トレヴァスは以前から、フィリスを王都に呼び戻したがっている。
 一人、田舎で寂しい思いをさせているのではないかと不安なのだろう。デビューを機にこちらへ戻ってくれたら。そんな期待が垣間見られる言葉だった。
(寂しくないと言えば嘘だけど、お父様を一人には出来ないわ。でも正直に伝えたら、お兄様は罪悪感を持ってしまいそうよね)
 フィリスは思案した結果、それとなく話題を変えることにした。
『みんなマクファーレン様のことばかり話していたわ。ここ数年、女性陣の人気を一身に集めていらっしゃるんですって。初めてお見かけしたけれど、美術館の彫像みたいな方よね。私もすごく驚いたわ』
『ふーん。彫像はあんなにしたたかじゃないと思うけど』
 トレヴァスの口ぶりには羨望と嫉妬が混じっている。
『社交界ですごい人気だからって、妬まないでよ、お兄様』
『妬んでない』
『陛下の懐刀なんですってね。将来は父君と同じく宰相になるだろうって皆言ってたわ』
『多分そうなるだろうね。はい、すごいすごい』
『妬んでるじゃない!』
 堪えきれず笑い出せば、トレヴァスも相好を崩し、笑い声を立てる。
 気の置けない会話をひとしきり楽しんだ後、フィリスは就寝の準備をしようと立ち上がった。
『お兄様、私そろそろ──』
 トレヴァスはソファーに座ったまま、フィリスを見上げる。
『本当に、王都に戻る気はない? このまま領地にずっといたら、君の世界は閉じたままになる』
 話が元に戻ってしまった。
 フィリスは諦め、トレヴァスの真剣な眼差しを正面から受け止めた。
『お兄様の心配は嬉しいわ。でも私は、今のままがいいの。もちろんずっとって意味じゃない。いつかお父様が元気になったら、そうしたら王都へ戻るわ』
『……元気にならなかったら?』
 兄の表情が暗く沈む。
 フィリスも口で言うほど楽観的に考えているわけではない。それでも、自分だけは父の回復を心から信じていたかった。
『その時はその時よ。なるようになるわ』
『またそれか』
 フィリスの口癖にトレヴァスはほろ苦く微笑んだが、それ以上無理を言うことはなかった。
 だが、そんなフィリスの願いとは裏腹に、モーガンはますます弱っていった。
 人目を避けるようにひっそり生きていた彼が息を引き取ったのは、フィリスが二十を迎えた年の冬のことだ。火の消えた暖炉の前で冷たくなっているモーガンを発見したのは、通いの使用人だった。
 家令から報告を受けたフィリスは、その場に呆然と立ち尽くした。
『──今日は少し具合が悪いそうで……。情けない姿をフィリス様には見せたくないと仰っておいでです』
 前日、使用人から受け取った伝言が何度も耳奥に蘇る。
 月に一度の面会日に会えないのは初めてのことだった。
 フィリスは医師から処方された薬を忘れず飲ませるよう頼み、後ろ髪を引かれる思いで別邸を後にしたのだ。
(……結局、何も出来なかった。一人ぼっちで逝かせてしまった)
 フィリスの唇から嗚咽が漏れる。嗚咽はすすり泣きに変わり、やがて慟哭になった。
 フィリスはその場に崩れ落ち、絨毯を両手で掴んで泣いた。
 父が変わってしまったことも、もう二度と会えないことも、どうしようもなく悲しかった。そこには悔しさも確かに混じっていた。自分は父にとって不要な存在だったのではないかという疑惑を消し去れない為だ。過去の温かな思い出が、みるみるうちに色を失くしていく。
 フィリスは生来の楽天家で、辛いことがあっても長く落ち込むことが出来ない。
 母を亡くした時もそうだ。
 病床についた母の為に出来るだけのことはしたのだから、と懸命に己を鼓舞し、悲しみに囚われまいと努めた。
 くよくよあれこれ悩むより、打開策を見つけて対処した方が何倍も生産的だというのが、フィリスの信念だ。『なるようになるわ』──ことある毎にフィリスは言い、人生を前向きに生きてきた。どんな理不尽なことも、いつか笑って思い出せるはずだと信じてきた。
 その信念が、初めて揺らぐ。
 もっと父の気持ちに寄り添うことが出来たなら、誰もいない寒い部屋で一人、旅立たせることはなかったかもしれないのに……。
 父が亡くなって四年が経った今でも、フィリスは時折叫びだしたくなる。

 ──今年、国王は在位十一年目を迎える。
 十一年という歳月は、憂鬱そうな顔をした薄幸の少年王を、見違えるほど立派な青年王へと変えた。
 薄い身体が少しずつしっかりしていくのを、フィリスはその目で見てきた。
 年に一度しか会わないせいか、フィリスには年ごとの違いがはっきりと分かったのだ。
 無表情だった国王が明るい笑みを覗かせるようになったのは、在位五年を過ぎた辺りから。彼の笑みは常に、隣に座する王妃に向けられていた。
 現在のルークは、引き締まった体躯に凜々しい美貌を併せもった立派な国王だ。自信と覇気に満ち、頼もしさに溢れている。
 王位継承と同時に娶った王妃とは子を成すことが出来ず、王妃プリシラはその座を退いたそうだが、彼らの離婚の知らせを聞いたフィリスが真っ先に思ったことは、『あれからもうそんなに経つのか』という驚きだった。
 それから少し遅れて、焦りが湧いてくる。
 皆、前に進んでいるのに、自分だけが十一年前に取り残され、一人足踏みしているような気分になった。
(そろそろ私も、将来のことを考えないといけないわよね)
 トレヴァスは、なかなか貰い手の見つからないフィリスを気にしてか、未だに結婚していない。未婚の妹がこのまま実家に居座り続けていては、兄まで婚期を逃してしまいそうだ。フィリス自身のことは「なるようになる」で済むが、たった一人の家族のことはやはり気になってしまう。
(修道院に入る道は選べない。お兄様が反対するに決まっているもの。王宮に出仕するのはどうかしら。それとも、家を出て家庭教師になる? 家格がうちより上なら、雇って貰えないこともないわよね)
 これからの身の振り方について真剣に考え始めた頃、フィリスが王妃候補に選ばれたという驚くべき知らせが舞い込んできたのだった。

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