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難攻不落の有能令嬢、最高の恋をはじめました

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書籍紹介

極上の悦楽を味わわせたくて、君を抱くんだ

銀行業を営む男爵家の令嬢ヴァレンチーナは超有能な仕事人。
夜会で出会った次期国王候補のセルジオに
国家会計の調査をさせてほしいと頼み込む。
一緒に過ごす中で彼の思慮深さや包容力に惹かれ、
男性は苦手なはずが気付けば恋に落ちていて――。
「君を俺のものにしてもいい?」
気遣いながらも甘く蕩ける愛撫で何度も絶頂に導かれる。
身分差をものともしない彼から真摯に求婚され!?

ジャンル:
西洋 | ファンタジー
キャラ属性:
王子・王族・貴族
シチュエーション:
玉の輿・身分差 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

セルジオ

レプープリカ王国の次期国王候補。前国王の庶子で、元船乗り。逞しく、気さくな青年。ヴァレンチーナに帳簿の読み方を教えて欲しいと言う。

ヴァレンチーナ

ホープ銀行を営む男爵家令嬢。会計官としての能力がずば抜けている。妖艶な見た目のせいで嫌な目にも遭いやすく、男性は苦手だが……。

立ち読み

 港に面した王都、レスボンの高台に、レプープリカ王国の王城はあった。
 レプープリカ王国はその長い歴史の中で現在、全盛期と言われる豊かさを享受している。その富の象徴が、先代が築いたこの王城だ。
 過剰装飾だと言われるほどのゴテゴテとした浮き彫りが、幾重にも柱や壁や天井を覆っている。そのモチーフとなっているのは、海の生き物や航海の道具だ。
 このレプープリカ王国が半世紀の間に蓄えた膨大な富の源泉は、海からもたらされたものだった。海に感謝し、より繁栄を極めたいという願いがこめられた装飾だ。
 その王城のいくつもの広間では、今日も同時に宴が開催されていた。


 夕刻。きらびやかな灯りが灯った王城の大広間で、ヴァレンチーナ・ホープは一人、窓辺にたたずみ、外を眺めていた。
 宴に集まっているのは、大勢のレプープリカの貴族たちだ。彼らは、かつてないほどの贅を尽くした衣装を身につけ、社交にいそしんでいる。
 その中でも男性たちがチラリ、チラリと視線を注がずにいられないのは、人々から少し離れたところにいるヴァレンチーナだ。
 彼女が特に男性の視線を惹きつけるのには、訳がある。
 美しく透き通るような白い肌に、妖艶といっていいほどの肉感的な身体つき。
 全体的にはほっそりとしているのに、つくべきところに肉がついている。そのドレスを押し上げる胸の豊かさには、生唾を呑まずにはいられない。
 それに加えて、長いまつげに縁取られた濡れたブルーの眼差しは、強烈に男の劣情をあおり立てた。
 その目で誘うように見つめられたら、ほとんどの男が魂を抜かれる、と密かに噂されているほどだ。肉感的な赤い唇と、口元のほくろが、その色っぽさを倍増させる。
 だが、その妖艶さとは裏腹に、ヴァレンチーナには浮いた噂の一つもなかった。
 決して堕とされない男爵令嬢、ヴァレンチーナ・ホープ。
 貴族としての地位は高くないものの、彼女が後ろ盾としているホープ銀行は、このレプープリカでは一、二を争う資産を有している。貿易を中心とした富を最大限に享受している貴族たちからしたら、決して無視できる存在ではない。
 誰か勇気を出して彼女に話しかけに行けと、貴族たちが肘でつつきあってはいたが、ヴァレンチーナが一人でいられるのにはそこに理由があった。
 けだるげにため息をつき、長いまつげを押し上げて、ヴァレンチーナはレスボンの港の様子を眺めている。
 そこには、数多くの商船が行き交っていた。
 退屈な宴よりも、ヴァレンチーナが興味があるのは、それらの商船だ。
 社交界でのやりとりではなく、港のほうに惹きつけられる。ヴァレンチーナは大資産家であり、大商人でもあるホープ銀行の娘だからだ。


 ──今、戻ってきたあの大船団は、……我がホープ銀行のものじゃなくて?
 ヴァレンチーナはすうっと目を細めて、船を見定めようとした。
 ここからではかなりの距離があるから、旗印まで見分けることは困難だ。
 それでも、頑丈なキャラック船やキャラベル船は遠洋航海のものだとすぐにわかるし、その陣容からも、おそらく身内のものだと区別がつく。
 この王都でレプープリカ船籍の荷物は一旦下ろされ、香辛料は特別高い関税をかけられて、市場で売却される。関税がひどく高額なのは、航路の安全をレプープリカの武装艦隊に守られているからだ。
 ──すぐにでも、荷揚げ場に行きたいけれど。
 陸揚げしたばかりの商品を見定めたい。
『ホープ銀行』が扱う香辛料は、とりわけ質が良いことで有名だった。荷揚げした品を開けた瞬間に漂う芳香が好きだ。それを思いっきり吸いこみたくてうずうずする。
 ホープ家は銀行業をメインに、海運業、倉庫業、保険業などを幅広く手がける老舗の商社だ。このレスボンには二つの巨大な商社があって、ライバルである『アベイロ商会』としのぎを削っている。
 もともとは単なる商人にすぎないホープ家の者がこの王城に出入りできるようになったのは、レプープリカ王家が財政危機に陥ったとき、ヴァレンチーナの祖父にあたる当主が多額の援助をして危機を救ったからだ。その功績を認められ、ホープ家は男爵位を与えられた。
 ヴァレンチーナはそれゆえに、男爵令嬢ということになる。
 年ごろの二十四歳でもあるので、レプープリカの王城で、日夜催される舞踏会や宴に足繁く通っている。だが、そこで行っているのは、結婚相手を探すことではなく、王族や貴族の動向を探り、噂話などから市場や世界の動きを探ることだった。
 そもそも、どうにもこのきらびやかな場には馴染まない。
 上っ面の会話よりも、もっと実のある情報交換がしたい。
 ──それに、貴族たちはみんな、「この平民風情が」っていう目で私を見るのだもの。
 ヴァレンチーナも高慢ちきな貴族は好きではない。かなうことならば彼らとはすっぱり縁を切り、商取引の現場に身を置いていたい。
 だが、王権や貴族がどれだけ商売の助けになるのかも、よく知っていた。
 特に航路の保全と、植民地経営に関してはそうだ。
 強大な王権があれば、国内の市場の統一ができる。外国の商人との競争に打ち勝つためにも、ときには強権が必要だった。そのために、ホープ銀行は国家に多額の寄付をしており、身内を官僚として仕えに出している。それに加えて、ヴァレンチーナを通じての情報収集も怠らない。
 このところ、ヴァレンチーナが特に情報を集めているのは、宿敵であるアベイロ商会についてだった。
 アベイロ商会では、ここ半年ばかり海難事故が相次いでいる。いくら航海が危険だとしても、そこまで事故が相次ぐのは不自然だった。
 海難事故の場合、被害は保険金でまかなわれる。いくら事故が続いたとしても、アベイロ商会自体が損をすることはない。むしろアベイロ商会は保険金で潤っているほどだ。なのに、さらに広く追加融資を募っているのが、ヴァレンチーナには引っかかっていた。
 ──何かあるんじゃないかしら。
 自前の資金で運営している老舗のホープ銀行とは違い、新興のアベイロ商会は、新しい融資システムである『株式会社』という形式を取っていた。金を持っているものなら誰でも──国や貴族、僧職、裕福な商人などから出資金を募って、それを運用する形だ。
 さらにアベイロ商会はごく最近、今までよりも一株の単位を細かくして、まとまった資金がない庶民でさえも株を手に入れられるように制度を変えた。それもあって、アベイロ商会の株は飛ぶように売れている。
 ──かなりの額が集まったはずよ!
 そこまでしてアベイロ商会が金をかき集めている理由が、どうにもしっくりこない。老獪な商人である父にもわからないのだから、これには裏があるに違いない。
 新しい船や設備を作っている気配はない。多額の融資をする対象が、まるで見当たらないのだ。
 海難事故というのも、保険金を得るための嘘ではないのかと疑うほどだ。
 遠い海域で、海難事故に遭ったはずのアベイロ商会の船を見たという証言もあった。父はとりわけ疑いを濃くしており、アベイロ商会についての噂を探るようヴァレンチーナに命じている。
 社交界には、アベイロ商会に出資している貴族が大勢いる。その彼らが何か情報をつかんでいるはずだから、それを聞きこんでこい、と。
 情報収集のためならば、ヴァレンチーナは苦手なドレスにも身を包む。最近の流行は大きく胸元を開いて、身体のラインを露わにした色っぽいものだ。それをまとってしまうとやたらと男性の注目を集めるから得意ではないのだが、ドレス姿になった自分に対して、どれだけ男性の口が軽くなるのかも知っていた。
 普段のヴァレンチーナは襟元までしっかり詰まった衣服を身にまとい、微塵も隙を見せない。だから、このようなドレスを身につけたからには、その分だけ情報を手に入れようと気合いが入った。
 ──これは、戦闘服よ。
 今日は次々とパーティを渡り歩いて情報収集をしてきたのだが、はかばかしい成果はない。
 基本的に、貴族たちは金は好きでも商売そのものには興味がないのだ。
 金は商人に預けておきさえすれば、自然と増えると思っている。航海の危険や、西域や東域の国々での危険など、考えたこともないだろう。だから、アベイロ商会の経営についても無頓着だ。
 それでも、アベイロ商会の内部事情について詳しい貴族がいるはずだ。
 そう思ってツテをたどり、アベイロ商会の大口の出資者を次々と紹介してもらった。
 だが、彼らが興味を示したのは、はち切れそうな豊かな胸をきわどいラインのドレスで強調しているヴァレンチーナの肉体ばかりだ。無遠慮な視線を顔よりも胸に浴びせかけ、ろくでもないことをささやいてきた。
『もう二十四? 結婚はしないのかい? だったら、ここにとてもいい話がある。僕の愛人になるのはどうかな?』
 歴史もない成り上がりの男爵家など、彼らは平民と同じとしか考えていない。だからこそ、貴族の令嬢にはまずしない愛人の提案も平気で持ちかけてくる。
 愛人など冗談ではなかった。男と性的な関係を持つよりも、ヴァレンチーナは商取引のほうに興味がある。
 そんな提案を艶然とした笑みを浮かべて聞き流し、彼らから話を聞き出し続けたのは、この身体は自分にとっての武器だと知っていたからだ。
 ヴァレンチーナに全くその気がなく、どれだけ軽蔑の目を向けていたとしても、うぬぼれやの貴族たちはそれを全く読み取らない。むしろ冷ややかに接すれば接するほど、男たちはヴァレンチーナに執着し、性的な関係を結びたがる。
 だから、いつでも警戒していた。
 何かあったときには自分の身を守れるように、護身術も身につけた。とある出来事があってからは、いざというときには相手を殺してでも、身を守る覚悟でいる。
 そこまでするぐらいなら、いっそ男には一切関わらなければいい。そんなふうに思うこともあるのだが、屋敷に引きこもっていた時期ですら、勝手に恋心を抱いた男による被害が相次いだ。だから、いっそ開き直ることにした。
 ──これは、私の特殊な才能。身についた武器。だから、利用すべきものは、利用してやるわ。
 もっとも、ヴァレンチーナには、もっと人々に認めてもらいたい、もう一つの特殊な才能があった。
 帳簿を読む力だ。
 幼いころから、父に会計についてみっちり教えこまれた。計算は速くて正確だし、不正があるところを不思議とあぶり出せる能力がある。
 だが、そんな能力を持っていたところで、事業を継ぐのは兄だ。ヴァレンチーナに期待されるのは、兄を補佐する役割だけだった。
 天才的な帳簿読みの能力は、年に数回のホープ銀行の監査に生かされるだけで、今は王城での情報収集を担当している。その役目を果たすべく、ひたすら愛想笑いを浮かべ続けて、頬が引きつってきた。
 他に誰か、話が聞き出せそうな出資者がいないか考えながら、ヴァレンチーナは華やかな宴が行われている大広間を後にした。扉から出て、廊下を歩く。人がいないところまで来ると、自然と大きなため息が漏れる。
 華やかなところは苦手だ。
 青年貴族たちがつけている香水や、髪粉の匂いを嗅ぎ続けていると、気分が悪くなる。彼らはことさらヴァレンチーナに身体を近づけて話をするから、それらをまともに吸いこむことになった。
 ──男なんて、嫌いよ。本当は大っ嫌い。
 自分の身体を餌にして話を聞き出すのは、男たち全般に復讐しているような気分になる。だが、それ以上に疲弊する。
 ──今日は、収穫なしね。……すごく、疲れたわ。
 ヴァレンチーナには、明確に復讐したいと願う敵が一人いる。ホープ銀行のライバルであるアベイロ商会のボスだ。憎きアベイロ商会を倒し、そのトップを路頭に迷わせてやるのが、ヴァレンチーナのたっての願いだ。そのためなら、何でもする。
 復讐心に駆られて、自分が意固地になっている自覚はあった。うまく話を聞き出せないでいるのも、ヴァレンチーナのそんな気持ちが出過ぎて、相手に警戒されてしまうからなのかもしれない。
 まだまだ気分の悪さは消えなかったから、王城の柱にもたれて、しばし休憩しようとした。
 そのとき、声が響いた。
「ヴァレンチーナ。……ヴァレンチーナ・ホープ」
 周囲を見回す。少し離れた柱の陰から近づいてきたのは、さきほど大広間にいた青年貴族だった。
 反射的に笑みを浮かべたものの、人の少ない廊下だということもあって、警戒心が先に立った。
 異性と一対一で話すときには、できるだけ人がいるところを選んでいる。やたらと性的被害に遭い続けてきたからだ。
 このような廊下で、立ち話をするのは好きではない。
「何か?」
 すうっと、ヴァレンチーナの顔から表情が消えた。
 他に誰か人はいないか、どこか今からでも入れるパーティはないか、周囲をうかがってみる。だが、彼はなれなれしく距離を詰めてくる。
 それどころか、ヴァレンチーナが警戒した顔をすると、それを面白がって、からかうように身体を近づけ、腕を壁につくのだ。
「アベイロ商会のことで、君、知りたいことがあるんだって?」
「何か、ご存じでいらっしゃるの?」
 知りたい情報ではあるのだが、ここまで近づかれると落ち着かない。髪粉の匂いを避けつつ、壁と彼の身体の間から抜けだそうとしたのだが、途端に二の腕をつかまれた。
「……っ!」
 ぞくっと、震えが全身に広がる。
 まだ男性が怖い。恐怖が拭えずに、顔から血の気が引いていくのがわかった。
「やめてくださる?」
 無礼だと知りつつ、大きく腕を引いたが、力が強くて振り払えない。そのまま、彼は歩きだしたので、ヴァレンチーナは引きずられる形になった。
 誰か助けを呼ぼうと、ヴァレンチーナの目が泳いだ。廊下にいた従僕らしき男と一瞬、目が合ったが、助けてと言えなかったのは、腕をつかんでいる男の言葉に惹きつけられたせいだ。
「追加融資が欲しいとやらで、先日、アベイロ商会の重役が、うちの屋敷を訪ねてきたが」
「え?」
 まさにそれこそが、ヴァレンチーナがずっと探していた情報だった。
 アベイロ商会は、何故だか今、やたらと金を集めている。この貴族にその理由を説明しただろうか。
 ようやく、その手がかりがつかめると思うと、一瞬、危険を忘れた。
「追加融資の目的について、その重役はあなたに説明されまして?」
 彼のほうに向き直り、歩調を合わせながら尋ねてみる。
 だが、青年貴族はその質問に答えようとはせず、ヴァレンチーナの手も離さない。それどころか、すぐそばにあった小部屋の中に、ヴァレンチーナを力ずくで連れこんだ。
 パーティが行われている広間なら明るくて華やかだが、この小部屋は無人で真っ暗だ。
 ドアが閉まると、大きく取られた窓からの月明かりしか残らない。
 どくんと、不安に鼓動が高まった。
 ヴァレンチーナは王城に出入りしているものの、頻繁にではないため、さしてその構造には詳しくない。だから、連れこまれた小部屋が何のためのものなのか、勝手に入りこんでいいところなのかすら、わからない。
 そんなことより、こんな暗闇で男と二人きりになったことのほうが問題だった。
 男がヴァレンチーナを壁に押しつけ、強く肩をつかんだからだ。
「やめ……て」
「俺の気持ちはわかってんだろ」
 顔を寄せてささやかれる。生臭い息から、ヴァレンチーナは顔を背けた。
「……どんな気持ちですか」
 声が上擦って震える。普段は気丈に振る舞っているものの、こんな状況になると、心よりも先に身体が負ける。過去の出来事がよみがえって、過剰なほどに全身が震えた。抵抗する力が失われていく。
 ──だけど、負けたくない……!
 青年貴族はうぬぼれやが多く、女は皆、自分の思うがままになると思っている。
 事実、貴族の邸宅内では、女の使用人はいくらでも主人やその家族の言いなりになった。彼らが敬意を払うのは、自分よりも身分が高い女性だけだ。平民出身の男爵令嬢など、その対象ではないのは明らかだ。
「つれないことを言うなよ。ずっと、俺にいやらしい目を向けていたじゃないか。誘ってんだろ」
 彼と何度か目は合ったはずだが、情報が得たいだけであって、誘ったつもりはない。
 ヴァレンチーナは彼をにらみつけ、できるだけ冷ややかで事務的な声を出した。
「アベイロ商会の追加融資の件について、重役がどう説明されたのか、お話ししてくださいますか?」
 その間にも彼の手は、ヴァレンチーナの剥き出しの肩を両方ともつかんだ。引き剥がそうにも、それはかなわない。震えを抑えるだけで精一杯だ。
「ええと、……そうだな」
「家に来たのは、アベイロ商会のどなた?」
「ん? 重役だ。なんとかって言っていたが」
「どんな風貌ですの?」
「そんなの、いちいち覚えちゃいないよ」
 彼が質問に答えられないことで、まともに情報を持っていないことがわかった。何か知っているふりをしたのは、この部屋に連れこむための口実だ。
「ああ、そうだな。重役が何やら言ってた。それよりヴァレンチーナ。すごい乳だ」
 そんな言葉と同時に、顔を胸に埋められそうになった。その気配を察して、ヴァレンチーナはキレた。これはゴミだ。排除し、捨てていい対象だ。
 そう思った瞬間、爆発したように力が出た。ヴァレンチーナはその頭をつかんで、膝にたたきつけようとした。
 ここまではよかった。頑張って、護身術を身につけただけの意味はある。
 だが、顔面が膝にあたる寸前に、一瞬だけためらった。このままでは、男に大けがをさせる。そうなったら、後々支障が出る。そんなふうに思ったことで力が緩み、男が少しだけ身体をひねる余地が生まれた。膝蹴りは入ったものの、一発で床に沈めることはかなわない。
「貴様……っ」
 ボタボタと鼻血を垂らしながら、床に倒れた男がうめいた。
 どうしようかと考えたとき、激昂した男が立ち上がり、つかみかかってきた。
 その手をかわして、この薄暗い小部屋から廊下に逃げ出そうとした。だが途中で、長いドレスの裾を踏まれた。
「……っ!」
 勢い余って、床に倒れこむ。
 荒々しい息とともに、男が背後からのしかかった。その重みを感じた瞬間、鉛の塊を呑みこんだみたいに息が吸えなくなった。
 ──あ……!
 苦しかった。早くこの喉の詰まりを吐き出して、助けを呼びたい。だけど、それすらかなわない。
 そんなヴァレンチーナの異変を感じ取ったのか、その身体を強引に反転させて、男が腰に馬乗りになった。顔をのぞきこまれ、勝ち誇ったように言われる。
「どうした? 強気なのは、最初だけだな」
 男の顔は鼻血でまだらになっている、窓からの月明かりに照らされた顔が、どれだけ恐ろしいことになっているのか、興奮しきった男は意識することはないだろう。ヴァレンチーナは顔を背けた。
 ──嫌よ、嫌よ、いや……!
 男に暴力をふるわれるほど、ヴァレンチーナの恐怖を煽ることはない。
 この状況は、かつての不幸な出来事を強烈に思い起こさせる。あのとき、どんなに抵抗してもかなわず、殴られる痛みとともに服を剥ぎ取られていった。無力だった記憶が、ますますヴァレンチーナを恐怖に陥れ、身体から抵抗する力を奪う。
 ──嫌よ、誰か……!
 必死になって、心の中で助けを求めたときだった。
 部屋のドアが、大きく開け放たれた。廊下から光が入ってくる。その光の帯の中に、男に組み敷かれたヴァレンチーナの姿が浮かびあがった。
 助けを呼ぶのなら、今だ。
 そう思って、必死になって声を絞り出そうとする。こんなにも声を出すのに、苦労したことはなかった。
「たす、……け、……て……」
 絞り出した声は弱々しく、かすれきっていた。
 絞め殺されようとするアヒルのような声しか出せない自分の無様さに、涙があふれる。息が詰まって、呼吸すらままならない。
 それでも、合意したと思われたくなかった。
 それが聞こえたのだろう。
「嫌がっておられます」
 ドアのところに立つ男の声が、耳に届いた。丁寧なのに、強い意志を感じさせる威圧感のある声だ。
 誰かがこの状況を止めようとしてくれていることが、泣きだしたいほどありがたい。だがその直後に、男が身体が震えるほどの大声で恫喝した。
「何だおまえは! 邪魔だ、すっこんでろ……!」
 普段は宮廷作法にやたらとうるさいくせに、こんなときだけ男は獣に戻る。
 彼がこんな態度では、入ってきた男は追い払われてしまうかもしれない。その恐怖があった。だが、もう一人の男は去ることなく、むしろ近づいてきた。
「でしたら、説得は無駄ってことですね」
 その言葉と同時に、ヴァレンチーナの身体の上で鈍い音が響いた。肉を叩いたような、大きな音だ。
 ──え?
「あ、ぐぅ!」
 うめきとともに、ヴァレンチーナの上にいた男が傾いだ。だが、その身体の重みがヴァレンチーナにかかる前に、入ってきた男がその貴族の身体を抱えこみ、乱暴に床に転がす。
 のしかかってくる男の圧迫感が消えた。その途端、急に楽になって、ヴァレンチーナは大きく息を吸いこんだ。呼吸を整えながら、ヴァレンチーナは頭を巡らす。ようやく、助けてくれた人の姿が見えた。
 彼はヴァレンチーナの前で屈みこみ、礼儀正しく手を差し伸べてくれた。
「大丈夫ですか? ケガは」
 廊下からの光に、彼の姿が浮かびあがる。
 声と同じように、強い意志を感じさせる青いきつめの瞳が、ヴァレンチーナを見ていた。彫りの深い顔立ちはとても整っていたが、目が合った瞬間に彼が浮かべた人懐っこい笑みが、ヴァレンチーナの緊張を和らげてくれる。
 従僕の衣装を身につけてはいたが、彼はおそらくもっと上の身分なのではないかと思った。その身体から漂うほのかな麝香の匂いが、そう思わせるのだ。
 高価な香木から作られた香りを、従僕がまとえるはずがない。
 ──この人、……何者?

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