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ずっと、君だけを 寡黙な黒騎士は生まれ変わりの元王女を今度こそ手放さない 3

第三話

 

 その出来事からまもなく、パトリシアに婚約話が持ち上がった。
 相手は隣国カスカーダのアデルバート王子。
 二十歳になるパトリシアと、二十二歳のアデルバートは年齢的にもちょうどよくて、二国の関係を深めるための政略結婚だった。
「はじめまして、王女殿下。アデルバートです」
 アデルバートの第一印象は、温厚で優しそうな青年。
 実際に話してみると王子は気さくで接しやすく、すぐに打ち解けることはできたもののパトリシアは複雑な想いを抱いた。
 父が決めた婚約ならば拒否権はなく、祖国のために結婚するのは王女の務めだ。
 たとえアデルバートに異性としての愛情を抱けずに、ラディウスと接する時のような胸のときめきがなかったとしても。
 二人の婚約が正式に公表されると、今度はラディウスとの関係に変化が訪れた。
 ある日、城内の廊下でラディウスを見かけたパトリシアは、周りの目がないことを確かめて声をかけた。しかし、彼は黙礼しただけで通り過ぎていく。
 婚約が発表されてからラディウスの態度はよそよそしくなり、まともに口も利いてくれなくなった。
 堪りかねて、パトリシアは彼を追いかけた。
「待って、ラディウス。少し話がしたいの」
 ラディウスが振り返り、無表情かつ抑揚のない口調で言った。
「王女殿下、私は貴女の臣下です。今後、気安く声をかけるのは控えてください」
「そんなことを言わないで。あなたとは付き合いが長いし、これまでどおり――」
「これまでがおかしかったのです。貴女への態度を、私も正さなくてはなりません」
 ラディウスは顔を背けて、そっけなく続ける。
「王女殿下はアデルバート王子とのご婚約が決まったんでしょう。誤解されるような行動はお慎みください。私に親しげに話しかけるのは控えたほうがよろしいかと」
「それは……」
「では、失礼」
 彼が足早に去っていこうとするので咄嗟に腕を掴んで引き留めた。
「待って! わたしが声をかけるのは、あなたにとって迷惑なことなの?」
 ぴたりと足を止めたラディウスが冷ややかな口調で応える。
「ええ、迷惑です」
「…………」
「ご無礼をお許しください。――失礼します」
 彼はパトリシアの手をやや強引に外して歩き去った。
 パトリシアは振り払われた自分の手を見下ろして、ラディウスの言葉を反芻する。
 ――迷惑、か……そう、なのね……。
 ラディウスはわざと彼女を突き放し、距離を置いたのかもしれない。
 そんな考えが頭を過ぎる一方で、初めて恋心を抱いた相手にぶつけられた「迷惑」という言葉――たったその一言がパトリシアの心を傷つけた。
 王女である限り、ラディウスへの想いを遂げられる日は訪れないと分かっていたのに。
 この日以来、ラディウスは彼女と目を合わせなくなり、臣下としての態度に徹する姿には強い拒絶が見て取れた。
 それでも諦めずに声をかけ続けたが、幾度となく「迷惑です」と突き放されたため、パトリシアは次第に「しつこくしすぎて、とうとう彼に嫌われたかもしれない」と思うようになった。
 そこに至り、初恋が苦い終わりを迎えたことを、彼女はようやく受け入れたのだ。


 人生の幕引きの瞬間は、あまりにも突然訪れた。
 結婚式の日取りを決めるため、アデルバートがモルテ王国に再訪問した時のこと。
 パトリシアは王都の観光地である有名な植物園に王子を案内した。
 当時、パトリシアはアデルバートと親交を深めて、だいぶ打ち解けていた。
 ただし深まったのは、よき友人としての関係性だった。
 アデルバートも「もし同性だったら貴女とはいい友人になれたと思う」と、よく笑って言っていたものだ。
 相手を異性として意識していなくても、祖国のためと割り切って結婚する。
 互いにそのスタンスで顔を合わせていたから、パトリシアも随分と気が楽だった。
 しかし、事件はアデルバートと広い植物園を散策していた時に起きた。
 周辺の人払いがされていたはずなのに、いきなり脇の物陰から顔色の悪い男が現れた。
 男の手には剣が握られていて、護衛が反応する前に、よそ見をしていた王子を狙って斬りかかったのだ。
 いち早く襲撃者の存在に気づいたパトリシアは、頭で考えるよりも先にアデルバートの前に飛び出した。身を挺して凶刃を受け止めた瞬間、胸に激痛が走った。
「うっ……!」
「パトリシア!」
 倒れかかったところを王子に抱き留められ、暗殺者は護衛の手で地面に倒された。
 担架に乗せられて医者のもとまで運ばれる最中、血まみれになったパトリシアは虚ろな目で晴れた空を見ていた。
 頭が妙に冷静で、自分はここで死ぬんだなと思った。
 視界が霞んで空が狭まっていく中、遠くのほうでラディウスの声が聞こえた。
「リシア!」
 それは幻聴か、はたまた死出の道へと誘う呼び声に違いないと思った。
 何故ならば、ラディウスがパトリシアをその名で呼ぶことは二度とないからだ。
 ――結局……彼に想いを告げることが、できなかった……好きな、相手に……拒絶されたまま、死ぬなんて……本当に……虚しい、わね……。
 パトリシアは細く息を吐きながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
 きっと大事な人たちを悲しませてしまう。
 思い残すこともたくさんある。
 だが、それ以上はどうしても目を開けていられなかった。
 これが、パトリシア・モルテの人生最期の瞬間。
 それきり糸が切れたように意識がぷつりと途絶え、深い眠りから目覚めた時、六年の歳月が経過していて、パトリシアはフェリシアの姿でベッドにいた。

      ◆

 見舞いに来てくれたラディウスを屋敷の客間へ案内すると、お茶の支度も整わないうちに彼が口火を切った。
「フェリシア殿。身体の調子は?」
 ラディウスの声には感情が籠もっていなかった。
 どういう態度をとればいいか分からず、ラディウスの様子をチラチラと窺っていたパトリシアは明るく応える。
「気遣ってくださってありがとう。随分良くなったわ」
「そうか」
「……お茶でも、いかが?」
 重苦しい沈黙に耐えかねて紅茶を勧めると、ラディウスが義務的に一口飲んでカップを置いた。パトリシアと目が合っても、すぐに逸らす。
 やけによそよそしい態度から、彼はフェリシアとの婚約に乗り気ではないのだなと、パトリシアは察した。
 この見舞いも、モルテ王に命じられて足を運んだのかもしれない。
 ――二人の婚約は正式に決まったわけではないみたいだけど……たとえ乗り気じゃないとしても、女性の見舞いに来たのなら、もう少し愛想よくしてもいいんじゃない?
 わずかに眉を寄せた時、ラディウスは陰のある美貌の面を伏せて言った。
「元気そうでよかった。私がいると休めないだろう。そろそろ帰る」
 言い終えると同時に立ち上がり、彼が大股で客間を出て行ってしまう。
 パトリシアは慌てて後を追ったが、玄関から外に出ると、ラディウスはすでに騎獣アストラに跨っていた。
「君が快復したら、話がある」
 用件のみを告げたラディウスが騎獣の手綱を引いて、踵を返す。
「では、また」
 黒い髪を靡かせながら遠ざかるラディウスを見送り、パトリシアは唇を引き結ぶ。
 ――彼は子供の頃から寡黙だったし、女性に対してそっけない時もあったけど、いくら何でもよそよそしすぎるわ。あんな暗い表情だって見たことがない。
 他者を拒絶する見えない壁があり、葬儀の参列者みたいに陰気な顔をしている。
 パトリシアのよく知るラディウスとは、まるで別人だ。
 あっという間に現れ、あっという間に去った初恋の男の姿が見えなくなるまで、パトリシアはその場に立ち竦んでいた。

 

 

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