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この独占欲は想定外です!? 天才伯爵様は可愛い新妻をめちゃめちゃ溺愛したい 2

第二話

 

 石を受け取る。ふたつに割れたという石は最初は黒に見えたが、紫や青色も混じっているようだった。とても不思議な色。
 セイリールが宝物だというのも分かるかもと思った。
「で、でもいいの? 大事なものなのに私に渡しちゃって」
「構いません。君の持っているのより大きな欠片が家にはありますから。それは迷惑を掛けたお詫びです。……大事にしてくれると嬉しいです」
「う、うん」
 どうやら彼は、子供の私に迷惑を掛けたことを申し訳ないと思っているらしい。
 私としては、お詫びなんて要らないと言いたいところだけれど、せっかくの気持ちを踏みにじるような真似もしたくなかった。
 だから有り難く貰うことにする。
「ありがとう。大事にするね」
「ええ、そうして下さい」
 スカートのポケットに石をしまうと、セイリールはホッとした顔をした。
 あとは無言で屋敷に向かう。
 時間はまだ夕方だったが大分暗くなってきていて、ノルン伯爵邸には煌々と明かりがついていた。それを目印に歩く。
「ああ! 坊ちゃま! どちらに行かれてたんですか! 皆、あなたをお捜ししていたんですよ! 旦那様も奥様も心配なさっています!」
 ノルン伯爵邸に着くと、血相を変えた家令が飛び出してきた。どうやらセイリールは屋敷の人に何も言わず、出ていたらしい。
 他の使用人たちも集まってきて、セイリールの無事にホッとしている。家令は私に気づくと、「ルーリア伯爵家の……」と呟いた。
 付き合いがあるので、私の顔も知られているのだ。
 特にこの家令は、主人の使いとしてよく私の屋敷にやってくる。
 私がいることに家令は不思議がっていたが、セイリールを連れてくるまでの経緯を説明すると、すぐに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、レイラ様。本当に何とお礼を言っていいのか……」
 彼だけではなく他の使用人たちも頭を下げる。
 家令は申し訳なさそうな顔をして、私に言った。
「すみません。旦那様に報告して参ります。レイラ様、少しお待ちいただけますか。おそらく旦那様は、あなたに会って直接お礼を言いたいとおっしゃると思いますので」
「え、別に要らないわよ。そんな大層なことをしたわけではないもの」
 偶然見かけたから連れ帰っただけだ。だが、家令も他の使用人たちも退かなかった。
「お願い致します。お帰りの際には、我々がお屋敷までお送りしますので」
「それこそ必要ないわ。メイドもいるし、近いんだもの」
「送らせて下さい。暗い夜道に恩人を放り出すなどできませんから」
「……」
 真剣な顔で言われてしまえば、これ以上断るのも悪いような気がする。
 見ればメイドも頷いていて、私はこの場で待つことを了承した。
 家令はすぐに主人の元へ向かい、十分ほどで戻ってきた。そうしてやはり当主夫妻が会いたいと言っていると私に告げた。
「え、おじさまに……おばさまも?」
「はい、是非にとのことでした」
「そう……」
 ノルン伯爵家の当主夫妻とはそれなりに面識があり、なおかつ娘のいない彼らに私は気に入られている。
 私も優しい彼らのことが好きで、『おじさま、おばさま』と呼んで懐いていた。
 その彼らがわざわざ会いたいと言ってくれたのなら、断る理由はどこにもない。そうして通されたのは、談話室だ。
 談話室にはおじさまとおばさまのふたりだけがいて、私を連れてきた家令もすぐに下がってしまった。
 肘掛け椅子に腰掛けていたおばさまが立ち上がり、駆け寄ってくる。私の手を握り、涙ながらに告げた。
「ありがとう、レイラちゃん。あなたがセイリールに声を掛けて連れ戻してくれたと聞いたわ。本当に助かったの。お礼を言わせてちょうだい」
「い、いえ……私は別に」
 大したことをしてはいない。だがおばさまは否定した。
「あなたが止めてくれなかったらセイリールはまた、何日も雲隠れしていたと思うもの。屋敷を出てすぐに帰ってくるなんて、あの子が帰国してから初めてのことだわ」
「……え?」
 雲隠れ、なんていう不穏な言葉を聞き、おばさまを見つめる。
 おばさまは、困ったように言った。
「あの子ね、こっちに戻ってきてから、もうすでに三回ほど、行方を眩ませているのよ」
「……さ、三回も!?」
 ギョッとした。
 思わず近くに立っていたおじさまに目を向ける。おじさまも重々しく頷いていた。
「実はあの子は、人よりもずいぶんと耳が良いみたいでね。昔から音をよく拾いすぎては苦しんでいたんだ。それで隣国で静養していたのだけど――」
 おじさまによると、セイリールは子供の頃から非常に聴力に優れていて、聞こえてくる音に振り回され続けていたのだとか。
 普通では聞こえないような音まで拾ってしまう彼は、都会の喧噪の中では暮らしていけず、仕方なく隣国にいる親戚を頼り、静養していた。
 だが彼も十七という年になり、ある程度は音を無視したり、気にしないようにしたりできるようになった。
 だから、満を持して帰国したという話だったのだけれど。
「静養先は田舎でね、ここのような都会とは全然違ったんだ。あの子は特に人の声に敏感で、ここに戻ってすぐ、『うるさくてかなわない』と静かになれるところを求めて屋敷を出て行った。幸いにもその時は三日ほどで帰ってきたのだけれど」
 それからも音に耐えかねるたび、セイリールはふらりと屋敷を出奔していると、そういう話だった。
 確かに私が声を掛けた時、彼はずいぶんと辛そうな顔をしていた。
 私はそれをどこか調子が悪いからではと思っていたのだけれど、そうか、彼は音が聞こえすぎることが辛かったのか。
 おじさまが嘆くように言う。
「私たちとしてもあの子が苦しむのは本意ではない。だけど、あの子は特別な子なんだ。聞こえすぎる聴力もそうだが、それと同時に非常に高い知能を有している。いわゆる天才と呼ばれるレベルのね。……それをセイリールは王城で発揮してしまっているんだよ。陛下も期待して下さっているし、今更やはり隣国へ戻しますとは言えないんだ」
 ほとほと困り果てたという顔をするおじさま。
 隣国へ戻してやりたいが、すでにその存在を知られてしまった今、どうしようもないのだという話に、「はあ」としか言えない。
 しかし何故、私に。
 疑問に思うが、おそらくおじさまたちも誰にも言えずに苦しんでいたのだろう。
 息子を助けてくれた知り合いの女の子。愚痴を言う相手としてはちょうど良かったのかもしれない。
 ――おじさまたちも苦労なさっているのね。
 ふたりの語り口調は疲れ切っていて、セイリールにどう向き合えば良いのか苦心しているのが伝わってくる。
 そんなふたりの様子を見ていると「じゃあ、私はこれで」と言えるはずもなく、結局、そのあとも彼らの愚痴を長く聞き続けることとなってしまった。

                                    ◇◇◇

「……セイリールだわ」
 ノルン伯爵夫妻の話を聞いてから一週間。
 その日は、使用人たちと一緒にピクニックに来ていた。
 私は自然が好きで、晴れた日なんかは山や丘を散策するのが趣味なのだ。
 まだ小さいのと、伯爵家の娘をひとりで出歩かせるわけにはいかないということもあり、出掛ける時は手の空いている使用人たちが付き合ってくれる。
 今日もメイドや従僕を連れ、王都のすぐ近くにある低山を登っていたのだけれど、そこでこの前見たばかりの男性を発見したのだ。
 セイリール・ノルン。
 隣国から帰ってきたばかりのお隣さんの息子。彼は舗装された道から外れた場所をふらふらと歩いていた。
「……セイリール!」
 七つも年上の男を呼び捨てにするのもどうかと思ったが、今更だ。
 少し大きめに名前を呼ぶと、セイリールが振り向いた。その目が僅かに見開かれる。
「君……」
「どうしてこんなところにいるの? ……もしかして、また、おじさまたちに何も言わず出てきたとか?」
「……」
 気まずげにセイリールが目を逸らす。それを見て、私は今日の予定変更を決めた。セイリールに近づき、その手を握る。使用人たちに言った。
「ノルン伯爵邸に向かうわ」
「えっ……」
「この人、ノルン伯爵家の次男なの。きっと今頃皆が彼を捜していると思うから、連れて帰ってあげないと」
 ぐいっと手を引く。セイリールが渋い顔をして言った。
「……僕は帰りませんよ。静かなところに行きたいんです」
「聞こえすぎるってやつ? 気持ちは分かるけど、皆に心配掛けるのは駄目だと思う。大体、いつ屋敷を出てきたの?」
「……三日前、ですかね」
「帰るから!!」
 聴力が良すぎて辛いという話は覚えていたので、少々同情していたが、それも返ってきた答えを聞いて吹き飛んだ。
 何も連絡をせず三日間も行方不明になるとか、さすがに放置してはおけないと思うのだ。
「帰りましょう。……ご飯は食べたの?」
「携帯食を持ってきていたので、その辺りは大丈夫です」
「それならいいけど……って、全然良くないわね!」
 おじさまたちが心配していることを思えば、それならいいかとはとてもではないが思えない。
「もう、私より子供なんだから」
 セイリールの手を引く。彼は素直に私についてきた。そうして尋ねてくる。
「……君にあげた石、持ってくれていますか?」
「え? ええ。お守りにして持っているわ。今もポケットに入っているけど……見る?」
 嘘ではなかった。
 せっかく貰ったのだからと布で磨いてみたところ、石はまるで宝石みたいに輝いたのだ。どこか神秘的な輝きを見て、お守りにしようとお気に入りの袋に入れ、常に身につけている。
「いえ、持っているのなら良いんです。あれは、持ち主を守る石とも言われていますから、身につけているのは良いことだと思います」
「へえ……そうなんだ。もしかして、セイリールも持ってたりする?」
「ええ、ほら」
 私の質問にセイリールは頷き、ズボンのポケットから黒い石を取り出した。私が貰ったものより一回りほど大きい。
「……この石の声は静かで落ち着くんですよ。僕はお守りというよりは、精神安定のために持っているんですけどね。冷たい石の感触は心を静めてくれる……」
 表情を緩め、セイリールが石をポケットに戻す。
 そうして申し訳なさそうに言った。
「すみません。今日は差し上げられるものが何もないんです」
「別に要らないけど。前回だって要らなかったんだからね。ご近所さんだもの。あんまりそういうの気にして欲しくない」
 偶然見つけただけでお礼やお詫びを貰うつもりはない。
 前回は彼の気持ちを踏みにじりたくなかったから受け取っただけだ。そう言うと、セイリールは嬉しそうに笑った。
「そう、ですか。ご近所さん」
「ええ。実際、うちの屋敷はあなたの屋敷のすぐ近くにあるもの。そういうことだから、止めてね」
「はい、分かりました」
 真顔で頷くセイリールを見つめる。どうやら彼はかなり律儀な性格をしているらしい。いちいちお礼とかお詫びとか言い出すあたり、間違っていないだろう。