小さな伯爵は双子姫に愛を尋ねる
双子の姉たちがそれぞれに嫁いでから半年が過ぎ――アーガラム領に夏が訪れる。
(夏と一緒に姉さまたちが戻ってきてくれるんだ! ふたりとも!!)
ルーフレット・アーガラムは朝早くから、正面ポーチを見下ろすことのできる二階の高窓で馬車がやって来るのをずっと待っていた。
ルーフレッドはまだやっと七歳になったばかりのアーガラム伯爵家次期当主である。父によく似た鳶色の目は、年のわりには分別くさいとたまに言われる。一方、茶色の巻き毛は年相応にやんちゃで、いつもどこかが変な形に跳ねている。
「馬車! 来た! どっち!? あ……どっちもだ!!」
四頭立ての馬車が連なって二台。
馬車から降りてきたドレスの女性を見てルーフレッドは飛び上がり、すごい勢いで階下へと駆けだした。
「姉さまっ! 待ってたよ。僕ずっといい子にして待ってたんだ」
玄関ホールに立つケイトリンとアマンダに向かってそう叫び、ルーフレッドはまずケイトリンに抱きついた。ケイトリンは身を屈め、
「ルーフレッド。また大きくなったわね」
とルーフレッドの頬にキスをする。ほのかな甘い匂いがして、ルーフレッドはくすぐったくて嬉しくて笑ってしまう。
「あなたがいい子じゃなかったことなんて、そんなにないわよ。たまには悪い子にして待っててくれてもいいのよ?」
ルーフレッドの髪をぐしゃっとかき混ぜて告げるのはアマンダだ。
「アマンダ姉さんくらい悪い子に? それはちょっと僕には難しすぎるよ」
「どういう意味よっ」
アマンダがルーフレッドの頭をこつんと軽くこづいた。
ケイトリンとアマンダはルーフレッドの双子の姉である。
暖炉の火のような赤い髪に宝石みたいに輝く緑の瞳。花ばなの咲き誇るアーガラム領のなかでも、最上の二輪の薔薇と人に謳われた自慢の姉たちだった。
さまざまな出来事を経て、いまは、ケイトリンはロージアン国の第一王子であるエイヴリーの花嫁だ。
そしてアマンダは同盟国でもある隣国、タルブの第二王子ファビアンの花嫁である。
「違いない。猿のようになれるのは、この可愛い猿だけだな。ルーフレッド。きみはそのまま健やかにのびのびと、父君であるアーガラム伯爵をお手本に、人として育つといい」
金狼王子という名も持つエイヴリーが、アマンダとルーフレッドを見比べて真顔で言った。エイヴリーは、いつもアマンダのお転婆ぶりを「猿」と言ってからかうのだ。
「どういう意味!?」
アマンダがエイヴリーに食ってかかる。エイヴリーは迫力があって鋭すぎて、ルーフレッドは少しだけこの義兄となった王子が苦手だった。怖いのだ。しかしアマンダはエイヴリーに対してまったく怯むことがない。
「そのままの意味だ」
高い位置から見下ろすようにして冷たく言うエイヴリーにアマンダが目をつり上げる。
「姉さん、よくこんな冷酷馬鹿王子と結婚生活をおくれるわよね。つらくなったらいつでも離縁して戻ってきていいのよ。なにかあったら、タルブ国のわたしたちを頼って!」
「アマンダ。ロージアン国の第一王子は、冷酷でも馬鹿でもなくてよ。民のことを思う素晴らしい王子でいらっしゃいます。身内になったからこそ、そういう言い方は慎んでちょうだい」
ケイトリンが眉をひそめ、そっと言う。
穏やかな言い方だったが、正論である。冷静な叱責にアマンダが頬を膨らませる。そうすると、たしかにアマンダは少しだけ猿っぽく見えるとルーフレッドも思う。猿というか……栗鼠? 可愛らしい、森の動物のなにかだ。
ルーフレッドはアマンダとケイトリンのドレスの裾をぎゅっと握りしめ、はらはらとしながらみんなのやり取りを聞く。
「それを言うならケイトリン。僕は、僕の可愛い妻を『猿』と呼ばれるのを許すことはできないよ。タルブの第二王子としての国の立場を背負って断固抗議する。こんなに美しい猿がこの世にいるものか。アマンダをたしなめるのであれば、きみはきみの夫であるエイヴリーの言動もたしなめなくてはね」
それまでにこにこと笑顔でみんなを見守っていたファビアンが、笑みを崩さずそう言った。
ファビアンは、そこにいるだけで清涼な風を感じさせるような、銀色の天使のような容貌をしている。性格も天使のようだと聞いている。けれどこの義兄はアマンダがからむときだけはたまに天使じゃなくなる。穏やかな緑の目に怜悧な光が灯る瞬間があるのだ。
しかし、どういうわけかアマンダはさらにむくれてしまった。
「もうっ。ファビアンったら。なんでケイトリン姉さまが、そんなこと言われなくちゃならないの。悪いのはエイヴリーさまなのに。姉さまに文句を言うなんて、駄目よ。理不尽な仕打ちだわ」
「理不尽な仕打ちを受けてるのは僕だよ。アマンダはいつだって僕よりケイトリンを大事にするんだから。愛する妻の名誉を守ろうとしたのに怒られるなんて」
ファビアンが嘆息し天を仰いだ。
「だって、わたしだってさすがにもうわかってるもの。そりゃあエイヴリーさまにからかわたら腹が立つし、怒るけど、それでエイヴリーさまが改めてくれたことなんてないじゃない? そもそも誰も、この性悪で凶暴な金の狼に手綱なんてつけられないのよ。たとえそれがケイトリン姉さまだって……」
と、アマンダが言ったところで、
「そんなことも……ない」
エイヴリーがつぶやく。
「え?」
その場にいたみんなの声が揃った。エイヴリーへと視線が集まる。
「きみになら。ケイトリン」
エイヴリーがくすりと笑って、傍らに立つケイトリンを抱き寄せる。
つかんでいたドレスの裾がルーフレッドの指先からするりと逃げる。エイヴリーがケイトリンを自分の近くへと引き寄せたせいだ。
光が射したかのような笑顔を浮かべ、エイヴリーはケイトリンを見つめている。腕のなかにしっかりと巻き込んで、赤い髪に鼻先を埋め耳元にキスをした。
「ケイトリンなら俺に首輪をつけようが、手綱をつけようが、許す。愛しているからな」
言い放たれた言葉に、ケイトリンが見る見る真っ赤になった。
胸元も首筋も頬も耳まで――真っ赤だ。
みんなの顔を見回してエイヴリーが続ける。
「なんでそんな呆れたような顔をするんだ?」
「いや、大人げないなあと思って。エイヴリーさま、ルーフレッドにケイトリンを取られそうでむっとして、いつ奪い返そうか見計らっていたでしょう? 半年ぶりに会うんだからもう少し抱擁を味あわせてあげればいいじゃないですか」
やれやれというようにファビアンが言った。
「え……そうなの?」
慌ててルーフレッドは、再び、ケイトリンのドレスへと手をのばす。しがみつくと、ケイトリンが頬を染めて、困った顔でルーフレッドを抱き返す。エイヴリーが大きな笑い声をあげ、
「ルーフレッドが相手なら仕方ない。身を引くか」
と言ったのだった。
その夜――。
楽しくみんなで食事をした。ご馳走が並び、お腹いっぱいになったルーフレッドは宴の途中で眠くなる。本当ならばずっと起きて、大人たちに混じって、話したり笑ったりしていたいのだけれど――。
ルーフレッドは話の途中で頭がぼんやりしていき、がくっと頭が落ちて、テーブルに額を打ちつける。目を開けていられない。
「ルーフレッドったら」
「そろそろおやすみの時間ね」
双子の姉たちが優しくそう言って、ルーフレッドを抱きあげてくれた。
「ケイトリン? 俺がルーフレッドを寝室まで運んでいこうか?」
「いいえ。エイヴリー。これはわたしの楽しみのひとつなの。取らないで」
「そうか」
エイヴリーとケイトリンの会話を夢のなかで聞く。
「ルーフレッドったら、大きくなったけどやっぱりまだまだ子どもよねぇ。口あけて寝て。こうしてると可愛い」
アマンダが、ルーフレッドの頬をつんつんと指先でつつく。
「やめてよぉ……アマンダ姉さん……」
そうして――ケイトリンとアマンダは、ルーフレッドを寝室まで連れていってくれた。ベッドにそっと寝かしつけ、
「おやすみ。また明日ね」
「明日はもっとたくさん遊びましょうね。ファビアンが、剣術の手ほどきをしてくれるって言ってたわよ」
髪を撫でつけてくれたのは、ケイトリン。頬を軽くつつくのはアマンダ。目を閉じていても、どっちがなにをしたのかは、ルーフレッドにはわかる。
「うん……。ねぇ、姉さま」
とろとろと睡魔にとらわれながら、がんばって目を開いて、ルーフレッドは今日一日の疑問を姉たちにぶつける。
「どうしてエイヴリー王子はケイトリン姉さんにだけはすごく優しい顔をして、ファビアン王子はアマンダ姉さんが関わるときにすごく怖い目をするの?」
「「え……?」」
「僕、エイヴリー王子のことちょっとだけ怖いんだけど、ケイトリン姉さんを見てるときだけはちっとも怖くなく見える瞬間があるんだ。逆に、僕はファビアン王子のことは優しくて大好きなのに、アマンダ姉さんのことでなにかに憤ってるときはものすごく怖い目をするときがある。変なのって……」
どうしても聞きたいわけじゃなかったけれど。
なんだか気になって。
「それはね。愛しているからよ」
「愛?」
「「そう。愛しあっているからよ。わたしたち」」
双子の声が綺麗に揃った。ふふ、と声を出さずに笑い合う気配がする。
「愛ってなんだか……不思議なんだね」
「そうね。不思議だけど、いいものよ」
アマンダが笑いながら即答し――。
「ルーフレッドにもきっといつか、わかるわ」
ケイトリンがそう答え――。
ルーフレッドはいつのまにか夢の世界へと引きずり込まれていたのだった……。