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たとえ飢えた獣だとしても


 それはまだマーゴットが皇帝クラウスの愛人をしていたときのこと。
 
 マーゴットがずっと憧れていたさらさらの銀髪に、まるで女性と見紛うばかりの白皙の美貌。
 ずっと会っていなかった幼馴染みは、もともと傲岸不遜な性格だったけれど、皇帝の座についたことで、自分勝手に拍車がかかっていた。
「もし逆らうなら、お前の父親の所領を取りあげてもいいんだぞ?」
 そんな脅し文句で、マーゴットに愛人として、皇妃を娶ったときに恥を掻かないよう、房事の練習台になれと迫ったのだ。
「な、なにをバカなことを言って……」
 口答えしながらも、マーゴットの金色の瞳はクラウスの綺麗な顔に釘付けになってしまう。
 マーゴットにはずっとやさしかったクラウスがこんな飢えた獣みたいな目をしているのを、マーゴットは皇城に来て、初めて知った。
 よく知っているはずの幼馴染みの初めて見る顔に、マーゴットは胸が引き攣れるような痛みを覚えた。
 
「まったくもう……あんなところに連れ出して放っておくなんて、勝手なんだから!」
 マーゴットは唇を尖らせて、皇城の廊下を歩いていた。
 夜会のために纏った漆黒のドレスを指で抓み、裾を踏まないように気を付けて足早に歩く。
 すると、向こうから人の気配がして、はっと金色の瞳を瞠る。
 波打つ長い黒髪に、屍毒姫の特徴として知られる金の瞳。
 どこか不思議さが漂う瞳は、いまは涙に濡れていた。
「だ、誰にも会いたくないわ……」
 マーゴットは近くのランプを手にとって、近づいてくる足音から逃げるように、一度も使ったことがない廊下へと足を踏み入れた。
 今宵、マーゴットが胸を痛めているのは、ほかでもない皇帝のせいだ。
 愛人として見せびらかすように夜会に連れていかれ、いつものように途中からひとりで放っておかれた。
 皇帝はときどき、そんな酷いことをしてはマーゴットの気持ちを揺さぶる。
 マーゴットはクラウスのことが好きなのを知っていて、試すように突き放すのだ。
 その度にマーゴットは泣いて、あるいは勝ち気を発揮させて抗っては、またクラウスからやりこめられてきた。
 このときも一瞬、嫌がらせのように話している場に割りこみ、ダンスでも踊ってもらおうか。
 そんな考えがちらりと浮かんだ。
 ところが、いつもだったら大貴族たちと仕事の話をしても、誘いをかけられても無視を決めこんでいるのに、皇帝はマーゴットに当てつけるように、美しい白金色の髪をした令嬢とダンスを踊りはじめたのだ。
「な……なんで……!?」
 麗しい金と銀の一対が優雅にワルツを踊る姿を見て、マーゴットは頭を殴られたような衝撃を覚えた。
 波打つ黒髪はマーゴットのコンプレックスだ。
 自分よりも似合いの娘と踊る姿を見て、マーゴットの金色の瞳は、あっというまに潤んだ。
 割りこんで邪魔をするどころか、皇帝が踊る姿をもう見ていたくなかった。
 ――あんなの、ひどい……!
 ただ放っておかれた以上にマーゴットは傷ついた。
 ひっそりと、誰にも気づかれないように夜会の場を抜けだして、誰にも気づかれないように空き部屋で泣いてしまったほどだ。
 しばらくして、泣き疲れたマーゴットは、それでも部屋に帰らなくてはとぼんやり考えた。
 たとえどんなにひどいことをされても、皇城では皇帝のもとに帰るしかない。
 そうしなければ、父親の所領を取りあげると言われているし、夜半を過ぎた皇城は城門を固く閉じてしまうため、外に出られない。
 結局のところ、皇帝の愛人であるマーゴットは、籠の鳥なのだ。
 ――皇帝に命じられて、好きなときにだけ構われて、好きなときに抱かれるだけの……とるに足らない存在……。
 マーゴットは打ちひしがれた気持ちで、むくりと体を起こすと、とぼとぼと空き部屋をあとにした。
 大広間から少し離れた場処に来ていたせいか、辺りはひどく薄暗い。
 心細くなったマーゴットは壁にかけられたランプをひとつ借り、広い皇城のなかを歩きはじめた。
 ところが、泣いている顔を見られたくないと思うあまり、足音が近づくと人を避けるように廊下を曲がったのがいけなかったのだろう。いくつもの棟が複雑に繋がり、無数に廊下が交錯する皇城は、マーゴットが知らない場処がたくさんある。
 すぐに道に迷ってしまい、自分がどこにいるのかまったくわからなくなってしまった。
 ラインベルグ帝国の皇城は崖地に階段状に連なって建っており、しかも広大だ。
 広間だって無数にある。
 わかっているつもりでいたけれど、どうやら今宵、夜会が開かれていた大広間は、以前使っていた場所とは違ったらしく、方向を間違えて歩いていたらしいと気づいた。
 人を避けて歩いてきたせいか、静かな区画はどこか埃っぽい。
「どうしよう……わたし、どの辺りにいるのかしら……?」
 歩き疲れたマーゴットは、廊下の行き止まりで絨毯の上に座りこんでしまった。
「こんなの……クラウスが、いけないのよ……あんな夜会なんて、わたしは行きたくなかったのに」
 うずくまって愚痴を言うと、また胸の苦しさがよみがえり、涙が次から次へと溢れてきた。
 ――どうせ、愛人のわたしなんて、正式な皇妃が決まれば用なしのくせに……。
 常にその身を狙われてきた皇帝は、幼馴染みで絶対に命を奪われる心配のないマーゴットに、房事の練習相手になれと脅して、処女を奪った。
 その事実を思い出すたびに、胸が軋んだ痛みを訴える。
『クラウスさまとは身分が違うんだから、好きになっても仕方ないんだぞ?』
 幼いころから両親に言われ続けてきた言葉を、マーゴット自身、よくわかっていた。
 ――身分が低いわたしは、ずっとクラウスのそばにいることはできない……。
 そう考えると、また涙が頬を伝って、マーゴットは嗚咽を零した。
「おうちに……帰りたい……」
 しゃくりあげながら呟くと、そのささやかな響きに導かれるようにして、物音がした。
 続けざまに、遠くで光が揺れて――……
「マーゴット!?」
 傲慢な声が、名前を呼んだ。
 はっと顔をあげるけれど、マーゴットは動けなかった。
 ――こんな都合のいい夢、あるわけない。
 拗ねた気持ちで、ぎゅっと漆黒のドレスを握り締めていると、背の高い影が駆けよってきた。 
 ランプを掲げて近づいてくる銀髪と軍装の純白は、夜闇に鮮やかに浮かびあがる。
「マーゴット!」
 もう一度名前を呼び、クラウスはうずくまるマーゴットを忙しなく抱き寄せた。
 荒い息が首筋に当たり、がむしゃらに抱きしめられる。その温かい腕を感じて、マーゴットはようやくこれが本物のクラウスだと実感した。
「…………クラウス? 本物?」
 信じられない心地で呟くと、その言葉は皇帝の逆鱗に触れたらしい。
 怒濤の勢いで怒られた。
「当たり前だ、馬鹿! なんで舞踏会から勝手にいなくなった!? もしかして、誰かに連れ去られたのかと思って、俺は――!」
「だって、クラウスが――ん、ぅっ!」
 言い返そうとしたところで、言葉は途中から封じられた。
 クラウスはマーゴットの顎を掴んだかと思うと、乱暴に口付けて、何の前触れもなく、口腔に舌を挿し入れた。
「んんっ――んー!」
 心の準備がまったくなかったところに深い口付けを受けて、マーゴットは息苦しさに呻く。
 ばんばんと二の腕を叩いて苦情を知らせると、一度は離れたけれど、今度は床に押し倒されて、また口付けられた。
「んっふ………う……」
 しかも髪のなかに指を挿し入れられ、背中にも手を這わされる。
「ど……して、ここ……んっや、ぅ……クラウス……胸、触らないで……っ」
 ドレスを脱がされそうになって、コルセットの上から胸を揉みしだかれてマーゴットは抗うように身をよじった。
 ――クラウスは、また、わたしを見つけだしてくれた……。
 マーゴットは口腔を皇帝の舌に蹂躙されながら、陶然とした心地で考えた。
 子どもの頃にも、マーゴットはひとりで屋敷の使われてない部屋でうずくまっていたことがあった。
 意地を張ってどうにもできないままでいたところを、クラウスが迎えに来てくれたのだ。
 あのとき、子どもの目にも綺麗なクラウスは天使のように見えた。
 もちろんいまも、端整な顔立ちは天使のようだと思う。
 ただ、天使はこんなふうにマーゴットを押し倒して、首筋に唇を寄せたりしないだけで――。
「マーゴットの考えそうなことなら、わかっている」
 確信に満ちた声に、胸がどくんと跳ねた。
 ――なんで、なんでクラウスには……わかるの?
 マーゴット自身だって、どこにいるのかわからないのに、どうしてクラウスはマーゴットのことを見つけてくれたのだろう。
「おまえがいなくなってすぐ、部屋に戻ったか確認させた。そうしたら、部屋にいないばかりか、所在が知れないじゃないか!」
 クラウスはマーゴットが悪いとばかりに、波打つ黒髪を乱雑にかき混ぜた。
 その自分勝手な仕種が、なおさら心配していたのだと告げるようで、マーゴットの胸がぎゅっとわしづかみにされたように痛んだ。
「……だって……だって……」
 謝ろうと思うのに、うまく言葉が出てこない。
 また金色の瞳に涙が溢れてくると、クラウスが唇で涙を拭ってくれた。
「まぁいい。誘拐されたのでも、毒を盛られたのでもなくてよかった……」
 その言葉にはっとマーゴットは目を瞠る。その瞳に、皇帝はまた好き勝手に口付けてくる。
「ランプを持っていってくれたからな……よかった。見回りが報告をあげていて、そこから人気のなさそうなところへ歩いていっただろうと当たりをつけて、捜しに来た……んっ……なんだ、躯が火照ってきたぞ?」
 器用に背中のボタンを外し、コルセットを緩められると、ドレスの上衣から胸を掬い出された。
 その状態で、なにをされるのかわかっていたけれど、自分の失態と、見つけだしてくれたことがうれしかったのとで、強く抗えない。
「だって、クラウスが触ってくるから……!」
 皇帝に愛撫されて、躯の奥が熱く期待に咽んでいる。
 このところ何度も抱かれていたせいで、ほとんど条件反射になっているのだろう。
 しかも緊張していたせいか、胸の先は触れられるより早く硬くすぼまり、クラウスに早くしゃぶられたいといわんばかりにじんと疼いた。
「ん……こんなに、硬くなってるぞ? マーゴット?」
 きゅっと唇で甘噛みされ、「ああんっ」と堪えきれない嬌声が漏れた。
「まったく……言うことを聞かない愛人にお仕置きだ……俺様をこんなに心配させやがって……!」
「ご、ごめん……なさ……あぁんっ!」
 片方の胸の蕾を舌先でつつかれ、もう片方の先を指先できゅっと抓まれ、マーゴットはびくんと背を仰け反らせた。
「や、ぁ……ダメ……こんな、すぐ……」
 ほんの少し愛撫を受けただけで、マーゴットは早くも達してしまっていた。
 その反応の良さは、緊張に気持ちを揺さぶられたせいだろう。
 マーゴット自身、クラウスが躯の上で身じろぎするだけで、肌が粟立つことに気づいていた。
 ましてや、マーゴットをよく知る皇帝が気づかないはずはない。
 ドレスをパニエごと持ちあげると、ズロースを無理やり引きずり下ろして、皇帝はマーゴットの秘部に指を伸ばす。
 じゅくりとぬめりを帯びた花びらから、さらに蜜が溢れた。
「や、ぁ……つ、冷たい……クラウスの指、やぁんっ」
 熱く疼く場処に冷たい刺激が加わり、マーゴットはびくびくと躯を跳ねさせる。
「心配させられて冷たくなったんだ。マーゴットのなかで温めてもらおうか? ん……もう、こんなに濡らして、いやらしい愛人だな」
 冷たい指先が、いつになく不器用に淫裂を愛撫する感触が、マーゴットの内側に官能をずくりとかきたてる。
 ひくりとお腹を空かせた膣洞が収縮して、早く早くと急き立てるかのよう。
 ――躯のなかが、熱くて熱くて……頭がおかしくなりそう……。
 マーゴットは愉悦に蕩けた頭で考える。
 どうしたら自分の心の空洞が埋まるのか――そんなことは、考えるまでもない。
 快楽は理性をあっさりとねじ伏せて、自分にのしかかる躯に手を伸ばしていた。
「く、クラウス……! 早く……欲し……いっ!」
 マーゴットは、大好きな幼馴染みの首に抱きついて、早く欲しいと誘いかけた。
 普段のマーゴットだったら、こんな辱めを受けて、きっと皇帝と口論になっていたに違いない。
 けれども、さっきひとりになって心細さを感じたあとでは、もうすぐ近づく別れがひしひしと胸に迫る。その切なさのあまり、衝動的にクラウスを確かめずにいられなかった。
 ――だって、一緒にいられるのは、いまだけなんだもの……!
 いまだけは、クラウスはマーゴットのそばにいて、マーゴットの躯を抱いてくれる。
 その束の間の幸せだけでも、いまは感じていたかった。
「なんだ、いやらしい愛人は……そんなに我慢できなかったのか?」
 みだりがましい意地悪を言われたって、いまはもうなんだっていい。
 マーゴットは、自らクラウスに口付けて、肯定の意志を返す。
「……クラウスが……夜会なんかに、わたしをひとりで放っておいて、ほかの人と、踊ったりするから……いけないのよっ」
 ひっくとしゃくりあげながら訴えると、美しい白金色の髪をした娘と銀髪との皇帝がまるで似合いの一対のようだったことを思い出して、また涙が溢れてくる。
「なんだそれは……嫉妬なら、はっきりそう言えばよかったじゃないか……別に俺は……おまえがあの女との間に割って入っても構わなかったんだぞ?」
「な、なによ……それ……勝手なことばかり言って……っひゃ、うっ……あぁんっ」
 マーゴットの苦情を最後まで聞かずに、クラウスは自分の前を寛げて、マーゴットのなかに侵入してきた。
「ひゃ……あ………う、うそっ……おお、き、い……っ」
 マーゴットの膣内はすっかり淫蜜に塗れていたものの、急に硬い肉槍に貫かれて、その質量に呻いた。
「……っつ、馬鹿! 締めつけるな、マーゴット……っ! おまえが心配させるからだろっ」
「だっ……て、ひゃ、あ……動いちゃ……あぁっ、は、ぁ……っ、クラ……ウス……!」
 マーゴットはびくんびくんと躯を快楽に揺らしながらも、クラウスの首にしがみつく。
 その意味を、皇帝はどう捉えたのだろう。
 綺麗な顔が、唇を半開きにしたまま近づいて、マーゴットの唇を貪った。
「……ん、ぅ……ふ……」
 ――大好き。大好き、クラウス……そばにいて。
 幼馴染みの皇帝は、マーゴットの声にならない願いのままに、肉槍で躯を貫きながら口付けてくれた。
 その綺麗で、獣のように飢えた顔が、マーゴットは大好きで、こんなに近くで抱きしめ合っているというのに、胸が締めつけられたように苦しくなる。
 ――いまだけでもいい。愛人でもいいの……会えて、触れられて、うれしかったの……。
 思春期に自覚した片恋は、きっと叶えられないだろうと思っていた。
 もう二度と会うこともないだろうと思っていた。
 ――でも、会えたんだもの……。
 それ以上望むのは、マーゴットの身分では贅沢がすぎるとわかっている。

 やさしい幼馴染みに恋をしたと思っていたのに、いままたこんな烈しい獣みたいなクラウスに恋をしてしまった。
 きっと何度だって恋をする。
 ――もう二度と会えなくなったとしても……。
「……クラウスっ!」
 マーゴットは思いあまって、皇帝の体を強く抱きしめて名前を呼んだ。
 その確かな感触を何度も感じたくて、手放したくなくて、次から次へと涙が溢れてくる。
 ――好き。大好き。
 ――ずっとずっと愛してるから。
「は、あぁ……っ!」
 貫かれた躯がびくんと、ひときわ大きく跳ねる。
 マーゴットは心のなかで狂おしいほど渦巻く恋情に灼かれながら、快楽に墜ちていった。

[fin.]