白い翼に抱かれて
純白のウェディングドレスの裾を持ち上げ、花嫁として化粧をしたセシリアは鏡の前でくるりと回転した。パールの縫い付けられた裾が、まるで花が咲くように大きく広がる。
艶やかな黒髪は綺麗に編み込まれて、後ろで一つに結われていた。
「どうかな。似合う?」
「よくお似合いですわ。まるで、森の妖精のようです」
「ええ。あとは、こうして髪に飾りをつければどうでしょう」
感激しているソフィアの横で、一緒に化粧を手伝ってくれたエレナが、白い髪飾りを耳の上に挿してくれた。
「ありがとう。エレナ」
「とてもお美しいですよ。ライオネル様も、きっと喜ばれますわ」
エレナがにっこりと笑いかけてくる。
ライオネルの元婚約者で従兄弟の妻。まさか、その彼女がこうして身支度を手伝ってくれるとは、夢にも思わなかった。
セシリアと結婚するという話をした時も、エレナは真っ先に喜んでくれたそうだ。
セシリアは目を逸らし、言いにくそうに尋ねる。
「エレナ。どうして、手伝ってくれたの?」
「私もお祝いしたかったのです。セシリア様は、私がライオネル様の元婚約者であったことを、ソフィア様から聞いてご存じなのでしょう。確かに、以前の私はあの方に想いを寄せていました。でも、あの方は私どころか、どなたにも興味がないようでした」
エレナはセシリアの髪を綺麗に整えてくれて、手をそっと握ってきた。
「まさか、あの方が悪魔の女性と結婚されるとは思ってもいませんでしたが、こうしてセシリア様と接してみると、とても素直な方で、種族は関係なく、あの方もそこに惹かれたのだろうと思いました。だから、私も過去を吹っ切って、お祝いしたいのです。それに、いつまでも夫に心配をかけるわけにはいきません」
エレナが嬉しそうに微笑み、そっと腹部に手を当てる。
「夫を愛し、しっかりとした母親にならなくてはなりません。この子のためにも」
セシリアはソフィアと顔を見合わせると、喜びの声を上げた。
「まさか、子供ができたの? おめでとう、エレナ!」
「エレナ様! 喜ばしいことですわ!」
「ありがとうございます。でも、今日の主役はセシリア様です。お祝いするのではなく、お祝いされるほうなのですよ」
ソフィアと手を取り合って喜んでいたセシリアは、エレナに笑われて頬を染める。さりげなく、自分のお腹にも手を当てた。
セシリアもまた、夫になるライオネルに伝えなくてはならないことがある。
とはいえ、今日の主役はセシリアなので、まずは結婚式を挙げてからだ。
天界の裁判官が悪魔と結婚するということで、戸惑う天使も多くいるらしい。
そのため、結婚式は身内だけで行なうことになっていた。
身支度を終えると、セシリアはソフィアに手を引かれて城の控え室を後にする。天界の城の中には美しい教会があり、天界の主ミハエルを招いて式を挙げることになっていた。
中庭に出て教会の前まで行くと、騎士の正装に純白のマントを身に着けたライオネルが待っていた。
セシリアはドレスの裾を持ち、ライオネルへと駆け寄る。
「ライオネル!」
遠慮なく正面から抱きついたら、彼がしっかりと抱き留めてくれた。
「セシリア。あまりに美しくて、一瞬誰かと思いましたよ」
ライオネルが真顔で褒めて、小柄なセシリアを軽々と片腕で抱き上げる。
「あなたの花嫁になれるなんて、思ってもいなかった」
「その台詞は何度目ですか。いい加減、自覚を持ってください。今日からは、私の妻になるのですよ」
ライオネルが溜息交じりに言ってから、キスの嵐をお見舞いするセシリアを降ろす。
「今日はアモンも来ていますよ。先ほど到着したようです」
「本当に? 許可が下りたのね」
「ええ。魔王閣下とミハエル様が、特別に許可を出してくれたそうです」
友人に会えるということで、セシリアは満面の笑みを浮かべた。
「嬉しい! ミハエル様にもお礼を言って、お父様にもお礼の手紙を書かなきゃ。アモンに会うのも久しぶりだから、ちゃんと挨拶をしないと。もう、教会の中にいるの?」
「待ちなさい」
教会を覗こうとするセシリアの腰に、ライオネルの腕が巻き付いてきた。
「少し落ち着いて。式が終わった後で挨拶しなさい」
「うん、ごめん。つい、嬉しくって」
「謝ることはありません。ほら、手を貸してください。……ソフィア」
仲睦まじいやり取りを、くすくすと笑って眺めているソフィアを、ライオネルが手招く。
「扉を開けてください」
「はい、お兄様」
ソフィアが教会の扉を大きく開けてから、席に移動した。
参列者は少ない。席に着いたソフィアの隣にアモンの姿がある。目が合うと、片手をひらひらと振ってくれた。
ライオネルの従兄弟ダヴィドもいて、その隣ではエレナが微笑んでいた。
セシリアは恋しい天使の腕に手を置く。正面の祭壇にはミハエルが立っていて、朗々とした声で二人を呼んだ。
セシリアはライオネルと腕を組み、祭壇まで続く赤い絨毯を、ゆっくりと歩き出した。
親しい参列者に見守られながらミハエルの前に到着すると、ライオネルと共に頭を垂れて誓いの言葉を口にする。
「セシリアを永遠に愛すると誓います」
「わたしも、ライオネルを永遠に愛すると誓います」
彼に倣って永遠の愛を誓った瞬間、セシリアは鼻の奥が熱くなるのを感じた。
こうして誰かを愛し、愛されることになるなんて、以前の自分だったら想像すらしなかったことだろう。
ライオネルと向き直って、指輪の交換をする。細い指に嵌められるシンプルな銀の指輪は、これからも彼と紡いでいく愛の証だ。
ライオネルの指にもお揃いの指輪を嵌めてやり、薄いヴェールを持ち上げられた。彼の端整な顔を見つめていたら、徐々に近づいてきて、そっと唇が触れ合った。
誓いのキスをしたら、またしても涙腺が緩んでくる。ようやく愛し合える相手を見つけたのだと改めて実感して、目尻に大粒の涙が溜まった。
思わず、感極まってぽろりと涙を零すと、キスをしてくれたライオネルの指が伸びてきて、優しく拭われていく。そのまま震える肩を抱き寄せられたので、セシリアは周囲の温かい眼差しに見守られながら、恋しい人の腕の中で喜びの涙を零し続けた。
しばらくして、ライオネルに宥められて泣きやんだセシリアは、教会の外で、式に参列してくれたアモンと再会を果たす。
「アモン。天界まで来てくれてありがとう」
「ああ。閣下が許可をくれたから、足を運ぶことができた。お前が幸せそうで何よりだ、セシリア」
セシリアはアモンと再会の抱擁を交わし、ミハエルにも感謝の言葉を述べる。
「ミハエル様。アモンに参加する許可を出してくださり、ありがとうございました。それから、ライオネルとの結婚も許してくださって、ありがとうございます」
「気にしなくていいよ。今日から、君も私の娘だからね」
にこやかなミハエルは、かつてソフィアにしていたように、セシリアを抱き締めて優しく髪を撫でてくれた。手つきがライオネルとそっくりだった。
セシリアもミハエルを抱擁して身を離し、ダヴィドと話している夫に視線をやる。
悪魔と結婚するとは思わなかったと、苦笑するダヴィドに肩を叩かれ、顰め面をしているライオネルの手を引いて、彼女は声を小さくさせた。
「ライオネル。あなたに話があるの」
参列者から離れたところにライオネルを引っ張っていくと、セシリアは切り出す。
「あのね、あなたに言わなきゃならないことがある」
「なんですか」
「その……」
セシリアは落ち着きなく視線を泳がせた。徐々に頬が熱くなっていく。
ライオネルが眉を上げて、腰に手を当てながら身を屈めてきた。
「一体、どうしたんです?」
セシリアは緊張で鼓動が激しく高鳴っているのを感じながら、思わず背中に黒い翼を顕現させ、落ち着きなくぱたぱたさせて告げた。
「あ、あなたの、子供が、できた」
「……子供?」
「うん……ここにいるの。最近、たまに体調の悪い時があって、ソフィアにお願いして昼間に診察してもらったら、あなたの子供がいるって」
セシリアがお腹に手を添えたら、ライオネルがぴたりと動きを止める。金色の瞳が大きく見開かれて、口を開けたり閉じたりしていた。
こんなに驚いている彼の表情を見るのは初めてだ。
下を向いてライオネルの言葉を待っていたら、腕が伸びてきて身体を抱き上げられた。
突然、現れた白い翼が視界の端を過ぎり、抱き上げられたセシリアごと包み込む。
「セシリア!」
珍しく、ライオネルが歓声のように声を張り上げて、周りから見えないように真っ白でふわふわの翼で彼女を包み、抱き締めてきた。
抱えられた状態でキスをされて、セシリアは頬を緩めながら受け入れる。
「んっ、ん……」
「天使と悪魔の血を引く子だ。素晴らしい」
「ライオネル。口調が変わった」
「今日からは、付き添いなしで外に出ないようにしろ。私を見つけても、勢いよく抱きついたり、駆け寄ってこないように。激しい運動も禁止する。それから……」
「過保護すぎる。あなたに抱きつくのは、わたしの日課なの。それくらいは許して」
セシリアはライオネルの唇に指を乗せて遮ると、頬に手を添えて唇を重ねる。
上機嫌のライオネルも、甘いキスで返してくれた。
こうして、明るい太陽が降り注ぐ天界で、女性として生きることを選んだセシリアは、天使の真っ白な翼に優しく抱擁されながら、新たな幸せを手に入れたのであった。