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青い輝きを君に


 多くの出来事があった秋の終わり――。
 レオとの結婚式を間近に控えていたアイラは、懐かしい思い出の品に囲まれていた。
「あ、これ……」
 アイラが思わず声を上げ、取り上げたのは小さな指輪だった。
 その日は、マリアンナの主催するオークションに出品するものを探すため、自ら屋根裏部屋で古い家財道具を整理していた。
 そんな折に出てきたのが、アイラが子供の頃に使っていたおもちゃや本が入った箱である。
 寝室へと運んで箱を開け、中に入っていたおもちゃや子供の頃の服を出して広げていたところ、目についたのがその指輪だったのだ。
 偽物のサファイアが輝く指輪は、子供用の小さなものである。
 試しに左手の薬指にはめてみるが、小さすぎて第一関節さえ通らない。
(これを貰ってから、ずいぶんと時が経ったわね)
 懐かしさを覚えていると、不意に部屋の扉がノックされる。
「ずいぶん楽しそうだが、何をしているんだ?」
 部屋に入ってきたのは、夫であるレオだ。
 この時間に彼がいると思わなかったアイラは少し驚き、それから花がほころぶように笑った。
「おかえりなさい、旦那様。今日はお早いんですね」
「ああ、仕事が早く終わってな」
「出迎えもせず、申し訳ありません」
「いや、構わない」
 優しく笑い、レオがアイラを抱き寄せる。
 自然と唇が重なり、優しくも深い口づけを落とされる。
 今でこそ当たり前になった口づけだが、かつてを思えば夢のようだとアイラはうっとりした。
「それで、何を見ていたんだ?」
 甘い声で尋ねられ、アイラは持っていたおもちゃの指輪を掲げてみせた。
 するとレオが大きく目を見開く。
「ずいぶん懐かしい物を持っているな」
「これ、覚えていますか?」
「ああ。……だが、今思うとこれを渡したときは君に悪いことをした」
 レオは悔いるように言うが、アイラにとってこの指輪を貰ったときの記憶は素敵な思い出である。

 ◇◇◇      ◇◇◇

 この指輪を貰ったのは、レオとの結婚が決まった直後のこと。
『結婚するならせめて指輪は渡しなさい』とマリアンナに言われ、二人は街の宝飾店にいくことになっていた。
 結婚の証をもらえるのは嬉しい。けれど自分のために高価な物を買わせたくないと思っていたアイラは、宝石店ではなくおもちゃ屋に彼を無理矢理連れ込んだのだ。
『指輪なんて好きじゃないし、遊んでたらなくしそうだから、安物で良いよ』
 そう言って、アイラは子供用の小さな指輪を取り上げた。
 咄嗟に選んだのは、針金で作られたあまりにちゃちな指輪だった。
 店にはちゃんとした石がはめられた物もあったが、それは自分には似合わない気がしてあえて一番貧相な物を選んだのだ。
 だがこれにしようと言ったとき、レオはその指輪をそっと棚に戻した。
『おもちゃだとしても、ちゃんと君に似合う物を選ぼう』
 そう言って、彼は真剣な顔で棚に並ぶ指輪を見つめた。
 しばし悩んだあと、彼が選んでくれたのは青い石のついた綺麗な指輪だった。
 おもちゃとはいえそこそこの値段で、アイラはレオがそれを選んだことに酷く驚いた。
『こんなの、オレには似合わないよ』
 何せ当時のアイラは、男の子のような外見と性格だったから。自分を『オレ』といい、その日だってマリアンナにドレスを着せられ髪を整えられたものの、全く似合っているとは思えなかった。
『そんな事は無い』
『でも……』
『ほら見ろ。この石はアイラの瞳の色と同じ、綺麗な青色だ』
 優しく笑って、彼は左手の薬指に指輪をはめてくれる。
『すこし、きついか?』
『ううん、大丈夫。オレ、これがいい』
『でも、本当に本物の指輪じゃなくて良いのか?』
 アイラが頷くと、レオはどこかほっとしたような顔で『そうか』とつぶやいた。
 そしてその日のことは、アイラの中で忘れられない記憶となったのだ。

 ◇◇◇      ◇◇◇

 昔を懐かしく思い出しながら、アイラは指輪を指先に絡ませる。
「でもやっぱりおもちゃで良かったのかも。手も、大きくなってしまったから」
「俺は逆に、本物の指輪にしておけばと後悔している。おもちゃで済ませるなんて、あまりに不誠実だった」
「でも、旦那様はなにか理由があっておもちゃにしたのでは?」
 当時、本物の指輪を贈る事に、彼は抵抗を感じているようだった。
 その理由は何だったのだろうかと思って見つめていると、レオが悔いるようにうつむいた。
「好きでもない男からの指輪など、贈られても困ると思ったんだ。あのとき、自分は戦場で死ぬに違いないと考えていたし、高価な形見は捨てにくいかと」
 ようやく知った彼の気持ちに、アイラの胸に切なさがよぎる。
 確かにおもちゃの指輪で済ませたことは、対外的に見れば良いことではないだろう。実際、この件はマリアンナもしばらく腹を立てていた。
(でも、旦那様なりに考えて下さっていたのね)
 少しでも自分との結婚がアイラの枷にならないように――そう考えてくれていたのだろうと今はわかる。
「色々と気遣ってくださって、本当にありがとうございます」
「感謝されるようなことではない」
 それに……と、そこでレオの顔に笑みが戻る。
「どうせなら、もっと別のことで感謝されたい」
 そう言うと、レオが姿勢を正した。
 軍人であるが故に普段から姿勢が良い彼だが、今日はいつもよりさらにピンと背筋が伸びている。
「実は今日、早く帰ってきたのには理由がある」
「なにか、ご用事が?」
「ああ、大事な用事だ」
 言うと、レオが懐から小さな小箱を取り出した。
 まさかと思い目を見開いたアイラの前で、レオが蓋を開ける。
 すると中から現れたのは、おもちゃの指輪とよく似た、青い宝石が輝く指輪だった。
「あの、これ……!」
「君があのおもちゃを手にしているのを見たとき、驚いたよ」
 こんな偶然があるんだなと笑いながら、レオがアイラの薬指に指輪をはめてくれる。
「今度は、本物だ」
「で、でも、とても高価なのでは……」
「婚約指輪に安物を贈る方がどうかしているだろう」
 つまり昔の自分はどうかしていたんだと、レオが苦い笑みを浮かべる。
「色々と今更になってしまって申し訳ない」
「いいんです。むしろ、とっても嬉しいです!」
 指輪のはまった手を持ち上げ、光にかざす。
 きらきらと輝く大きな宝石は、きっと本物のサファイアだろう。
「やはり、綺麗だ」
「ええ、綺麗な石です」
「いや、そちらではないよ」
 そこで、レオがそっとアイラの額に口づける。
「綺麗なのは君の瞳だ。それにできるだけ近い石を選んだつもりだが、全然叶わないな」
 夫の言葉はどこまでも甘く、アイラは胸を詰まらせた。
 おもちゃの指輪を貰ったとき、アイラは結婚できるだけで十分だと思っていた。
 だからこそ今、あのとき以上の幸福と愛を与えられ、なんだか泣きたい気持ちになる。
「大切にします。今度は入らなくならないよう、気をつけなきゃ」
「入らなくなったら、新しいのを買えばいい」
「いえ、これは絶対ずっとつけます!」
 おもちゃの指輪のように、仕舞い込んだままなんて絶対に嫌だとアイラは思う。
「なら、毎日つけてくれ」
「ええ、外しません。何があっても、絶対に」
「何があっても、か?」
 そこで、夫の瞳に危うい色香が灯る。
 ドキリとしながら、アイラは指輪のはまった手でレオの軍服をぎゅっと掴んだ。
「例え服を脱がされても、これだけは外しませんから」
 二人は見つめ合い、深く唇を重ねる。
 そしてアイラは夫の手によって甘く乱されることになり、それを彩るように薬指の宝石は輝き続けたのだった。

【END】