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ずっと、君だけを 寡黙な黒騎士は生まれ変わりの元王女を今度こそ手放さない 1

第一話

 

 モルテ王国、城の一室。
 ダンスの練習をするための小さなホールで、王女パトリシアが落ちこんだ様子で言った。
「昨日は大変だったのよ。お父様とお母様だけじゃなく、お兄様にも叱られてしまったわ」
 ラディウス・ヴァレリアンは顰めっ面で王女を見下ろす。
「当然です。私も貴女を見つけた時、心臓が止まるかと思いました」
「あなたに見つからなければ、うまくいったかもしれないのに」
「反省しているんですか?」
「しているわ。ちょっと試してみたかっただけなの。……心配をかけて、ごめんなさい」
 昨日、お転婆な王女が城の三階にある窓からシーツを垂らし、ぶら下がっているところをラディウスが発見した。
 もちろん大騒ぎになり、部屋に飛びこんだ衛兵によりパトリシアは救出された。
 どうして危険な真似をしたのかと問われたパトリシアは、
『窓から地面に下りられないか試してみたかったの。よく文学小説にあるでしょう。囚われの令嬢が窓からシーツを垂らして逃げるのよ。ラディウスに気づかれなければ、うまくいっていたと思うのよね』
 と、しおしおと説明したらしい。
 しかし、彼女は閉じこめられていたわけではない。
 うまくいくか知りたかっただけ……つまり単なる好奇心から行動を起こしたのだ。
 パトリシアは子供の頃から好奇心旺盛で、とにかく行動力があった。
 王女教育を受けて成長し、近頃は公の場でも淑やかな女性らしくふるまうようになったが、たまに突拍子もない行動で周囲を驚かせることがある。
「二度としないでください」
 釘を刺しても、パトリシアは腕組みをしてかぶりを振った。
「約束はできないわ。いずれ必要に駆られるかもしれないから」
「王女殿下」
「そう怒らないで。本当に反省はしているの……お兄様にまで怒られたのは初めてよ」
 小声になるパトリシアの目元は赤くなっていた。叱られて泣いたのかもしれない。
 ラディウスはそれ以上言い募ることはせずに、ため息をつく。
「以後、気をつけてください。さぁ、ダンスの練習をしましょう」
 パトリシアの強張っていた顔が綻んだ。
「うん。よろしくお願いします、ラディウス先生」
「……先生は、やめてください」
「だって、あなたのステップはダンス教師と同じくらい上手よ。お兄様と同い年なのに、よくそこまでダンスが上達したわね。お父様も感心していた。だから、わたしの練習相手をするように命じたのよ」
 ラディウスが手を差し出すと、そこに王女の手が重ねられた。
 お付きのメイドが見守る中、ゆっくりとステップを踏み始めたら、パトリシアが身を寄せて優雅に踊り出した。
 重ねた手から温もりが伝わり、至近距離で目が合うと彼女がはにかんだ。
 たったそれだけで、ラディウスの心臓の鼓動は跳ね上がる。
 だが、顔には出さずに足を動かし続けた。
 騎士の訓練の合間に、必死にダンスのステップを習得したのは、こうして王女と踊る機会を得るためだ。
 今この時だけは王女を独占できる。
 そんな不純な動機があると知ったら、パトリシアはどんな顔をするだろうか。
 ラディウスは頭の片隅で考えながらダンスの練習相手を務めた。
 彼女はお転婆なところもあるが、まじめに王女教育に励む責任感は立派なものだ。
 城下へお忍びに行くパトリシアに同行した時、こんな台詞を聞いたこともある。
『わたし、この国が好きなの。長いこと戦とは無縁だし、城下で暮らす人たちも活気に溢れているわ。わたしはいずれ他国に嫁ぐことになるだろうけど、祖国を忘れない。この国を愛しているから』
 そう語る王女の横顔は見惚れるほどに美しかった。
「ラディウス。あなたとダンスをするのは楽しいわ。今度の夜会でも、わたしと踊ってね」
 パトリシアが頬を紅色に染めて微笑みかけてくる。
 屈託のない笑みは麗しく、いつからか彼の胸を甘く疼かせるようになった。
 それさえも無表情で覆い隠して、ラディウスは「はい、王女殿下」ときまじめに応じる。
 ――この笑顔を守るために、私は強い騎士になろう。
 そのための努力なら惜しまない。
 たとえパトリシアが他国に嫁いでしまったとしても、自分の祖国であり、彼女が愛するこの国を生涯守り続けようと心に誓った。

      ◆

 モルテ王国の北東部に、ルファ山と呼ばれる山岳地帯がある。
 隣国との国境付近まで広がる山脈は魔獣の巣窟となっており、普通の人間であれば寄りつかない危険区域だ。
 そのルファ山の一角に石造りの塔が建っていて、最上階の部屋には一人の男がいた。
 男は、稀代の賢者と呼ばれる魔術師イードルだ。
 外界から隔絶された塔で暮らすイードルは、ここのところ代わり映えのしない日々に退屈していた。
 暇を持て余しながらぼんやりと窓の外を眺めて、彼はふと目を瞬かせる。
「そうだ、魔獣を操作できるようになったら面白いことになりそうだな。新しい魔術理論を構築してみようか……でも、新しい蘇生魔術の手法も試してみたかったんだ……魔獣操作の理論を構築させるのを先にするべきか……うーん」
 イードルは人知を超越した知識量と技術を手に入れていた。
 しかし人間の倫理観すら侵しかねない英知は、世に争いを生む可能性があることも彼は理解していた。
 だから、こうして人との接触を断って暮らしている。
 イードルは部屋を出て、螺旋階段を下りながら退屈そうに口を尖らせた。
 ――どこかに暇つぶしができるようなことが、ないだろうか。
 その時、塔の周りに張ってある結界が揺らいだ。
 イードルは「うん?」と首を傾げてから、口角を吊り上げる。
「魔獣が入りこんだな。僕がいると知って結界に入りこむなんて気概のある魔獣だ。どれ、久しぶりに相手をしてやろう」
 たまには魔獣狩りもいいだろう。
 何しろ、毎日が退屈で堪らないのだから。
 天才魔術師が一階に辿り着くやいなや、魔獣が体当たりでも食らわせたような音を立てて入り口のドアが開いた。
 そして、天才魔術師の暇つぶしが始まった。


  ◇ ◇ ◆ ◇ ◇


 パトリシア・モルテは静謐な闇の中で眠っていた。
 ふと誰かに名前を呼ばれた気がして瞼を開けると、紫色の炎がメラメラと燃えていた。
 その不思議な炎に、何故かとても目が引きつけられる。
 パトリシアは手を持ち上げた。指先が紫色の炎に触れた瞬間、身体がぐんっと引き寄せられて燃え上がった炎の中に吸いこまれた。
 濁流のようなうねりに全身が呑みこまれ、どれだけ経った頃か――遠くのほうから呼ばれた。
「――様……お嬢様……っ!」
 しつこく呼ばれるものだから、パトリシアは低く唸りながら目を開ける。
 だが、窓から射しこむ陽光があまりにも眩しくて枕の下に頭を突っこんだ。
 長いこと眠りについていたせいで光に慣れず、人の声が頭にガンガンと響き、手足は重くて動かしづらい。
 再び目を開けるのが億劫で二度寝に入ると、控えめに身体を揺さぶられた。
「――お嬢様、フェリシアお嬢様っ……意識が戻られたのですね……!」
 ――フェリシアって、いったい誰のこと……わたしの名前は〝パトリシア〟だし、王女なのよ……お嬢様と呼ばれたことだって、一度もないわ。
 呼び方を間違えるのは王女の側仕え失格だ。
 そう不満に思いつつ枕の下から顔を出し、目をパチパチさせて眩しさに慣らすと、二人の見知らぬメイドがこちらを覗きこんでいた。
「まぁ! 本当に、お目覚めになられたわ……!」
「ああ、よかった……本当に、よかったです……!」
 メイドたちがおいおいと泣き始め、その後ろでは白衣姿の医者と看護師が騒いでいた。
「確かに心臓が止まったはずだ! 医療魔術でも回復しなかったのに、あそこから生き返るなんて信じられん!」
「先生、まさに奇跡ですね!」
 誰も彼もが興奮気味に話をしていて、室内がとにかく騒がしい。
 パトリシアが重い頭を振りながら起き上がった時、窓辺のカウチが視界に入った。
 毛並みのいい白猫がカウチに寝そべり、長い尻尾をくねらせている。
「ね、こ……?」
 掠れきった声で呟くと、顔の横に垂れてきた銀髪が目に入った――え、銀髪?
 両手で髪に触れ、まじまじと見つめる。間違いなく色素の薄い銀色だ。
 続いて自分の顔を触り、折れそうに細い肩と腕、腰回りまで確かめてから、パトリシアは勢いよくベッドを飛び下りた。
 しかし、両足に力が入らなくて床にへたりこむ。
「お嬢様! すぐに動いてはなりません。まだ熱も下がっておりませんし、しばらく寝こんでいらっしゃったのですから」
「寝こむ……?」
 メイドの手を借りて立ち上がったパトリシアは、ドレッサーの鏡に映る姿を見てハッと息を呑んだ。
 ――ちょっと、嘘でしょう? これは〝わたし〟じゃないわ……!
 よろよろと鏡に近づき、穴の空くほど自分の姿かたちを見つめる。
 腰まで伸びた銀髪と紫水晶(アメジスト)の瞳、目鼻立ちの整った繊細な顔立ち。
 力を入れたらポキリと折れそうなほど華奢な手足と、小柄な背丈――。
 お伽噺の絵本から飛び出した妖精のように美しく儚げな女性だが、全くの別人である。
「……え、ええと……これは、誰? わたしは、いったいどうしたの?」
 頭を抱えて愕然としていたら、メイドが顔を見合わせて痛ましげな表情を浮かべた。
「お嬢様……高熱が続いていらしたし、きっと記憶が混乱しているのね」
「今がどういう状況なのか、説明して差し上げないと」
「……そうね、今すぐ説明して。わたしが誰で、ここはどこなのか」
 強い口調で迫ると、やけに驚いた表情で見つめ返されたが、メイドの一人がぽつぽつと説明してくれた。
 フェリシア・コルヌスというのが、この身体の持ち主の名前らしい。
 年齢は二十四歳。カスカーダ王国の出身で、コルヌス公爵の一人娘である。
 今は隣接するモルテ王国の侯爵子息と婚約が打診されていて、その顔合わせをするためにモルテ王国に来ているのだとか。
 けれど旅の疲れから風邪を引き、病弱な体質のせいで悪化して、生死の境をさ迷った結果、何故かパトリシアがフェリシアの姿で目覚めたのだ。
 ――モルテ王国にいるというのは分かったけど、どうしてわたしが〝フェリシア〟の姿で目覚めたの? “わたし”は、とっくに死んだはずなのに!
 パトリシアはモルテ王国の王女だった。
 だが、その人生はすでに終わった。
 死ぬ間際の光景も鮮明に覚えていて、あれきり意識が途絶えていたから、ほぼ間違いなくパトリシアは死んでいるだろう。
 ――本当に訳が分からない。死ぬ直前のことをハッキリと覚えているのに、目覚めたら別人になっていたなんて笑えない状況よ。
 パニックで叫び出したくなるが、心配そうなメイドの視線を感じたので、どうにか落ち着きを取り戻す。
 メイドたちは、それぞれケイトとマンディと名乗った。
 二人ともコルヌス公爵家のメイドで、フェリシアの側仕えだ。
 ついでにモルテ王国の王女パトリシアについて訊くと、やはり亡くなっていて死後六年が経過していると判明した。
 ――わたしが死んで六年も経っているなんて、いよいよ頭がおかしくなりそう。あまりにも非現実的すぎるし……もしかして、何かしらの魔術が使われたの?
 モルテ王国には〝魔術〟が存在している。
 魔術を扱うには専門の知識と技術が必要なので、日常的な場面で見かけることはほとんどないが、不可思議な現象の多くは魔術ということで説明がつく。
 その中でも、人の生死に干渉する技は高等魔術に分類されて〝魔術師イードル〟が編み出したと言われていた。
 イードルはモルテ王国の出身で、稀代の賢者と呼ばれる天才魔術師だ。
 彼の記した魔術書は現代魔術の基礎となっており、本人も魔術を極めたことで人間の寿命を超越し、今も生きていると噂されている。
 ただ、かなりの人嫌いだそうで人前に現れることがなく、所在も知れなかった。
 ――イードルの魔術書は何冊か読んだことがあるけど、難しかったわ。何が書いてあるのか分からないところが多かったし、高等魔術の工程が複雑すぎて、イードルにしか扱えないと聞いたこともある……もし、彼が関わっているのなら問い詰めたいけど、六年前は行方不明だったのよね。
 思考が行き詰まり、大人しく医者の診察を受けていたら四肢がだるくなる。
 死の淵から蘇ったばかりで、身体がひどく衰弱しているようだ。
 ――どうしてこんなことに……って、さっきからそればかりね……とりあえず寝よう。体調が悪すぎるわ。もしかすると、起きたら状況が変わっているかもしれないし。
 パトリシアは淡い望みを抱いて眠りについたが、次に目覚めた時も状況は何一つ変わっていなかった。


 翌日に熱が下がり、数日後には屋敷を歩き回れるほど元気になった。
 その驚異的な回復力にメイドたちは驚いていた。
 どうやら〝フェリシア〟は体調を崩すと、一ヶ月近く寝こむほど病弱らしい。
 二十四歳まで未婚だった理由は、その体質にあるようだ。
 性格は大人しく物静かで、趣味は詩集を読むことと音楽鑑賞。
 必要な時以外は外出することが滅多にないのだとか。
 ――フェリシアとわたしは正反対ね。わたしは健康だったし、詩集なんて読んでいるだけで眠くなる。音楽鑑賞も同じよ。ピアノは好きでよく弾いていたけど、テンポのいい行進曲ばかり練習して教師を泣かせていたものだわ。
 しみじみと考えながら、メイドのケイトを連れて屋敷の庭を散歩する。
 ここ数日、モルテ王の使者が体調を聞きに来たり、カスカーダ王国にいるフェリシアの両親から手紙が届いたりして慌ただしかった。
 ただ、その間に、ある程度は状況の整理ができた。
 ――何でこんなことになったのかさっぱり分からないけど、これ以上は悩んだって仕方ないわ。わたしはフェリシアとして蘇った。その事実はハッキリしている。
 太陽の光を浴びつつ、パトリシアはため息交じりに屋敷を振り向く。
 ――この屋敷は〝フェリシア〟が婚約者と顔合わせをするため、モルテ王国での滞在用に用意された邸宅みたいね。わたしの父……モルテ王が暮らす王城からも近いわ。
 屋敷の門に視線をやると、敷地の向こうに貴族たちの屋敷が立ち並び、ひときわ目立つ王城の塔が見えた。
 ――お父様、お母様、ハインリヒお兄様……皆、元気にしているの?
 家族の顔を思い浮かべていたら、幼少期から共に育ったヴァレリアン侯爵家の兄妹の顔も蘇ってくる。
 ――わたしの友人、ベラドナ。国家魔術師の資格を取ると言って、よく一緒に勉強していたけど、無事に魔術師になれたのかしら……ベラドナの兄、ラディウスもきっと立派な騎士になったでしょうね。
 彼のことを考えただけで胸がきりりと痛み、パトリシアは唇を噛みしめた。
 かぶりを振って苦い記憶を遠ざけ、庭をぐるりと一周してから部屋に戻ると、メイドのマンディが駆けこんできた。
「お嬢様!」
「マンディ、そんなに慌ててどうしたの?」
「これからヴァレリアン侯爵家のご子息様がいらっしゃるそうです! 今朝、魔獣の討伐遠征から帰られて、お嬢様のお見舞いにいらっしゃるらしく、すでにこちらへ向かっていると知らせが――」
「ちょっと待って。今、ヴァレリアン侯爵家の子息と言った?」
 予想外の名が耳に飛びこんできたため、パトリシアは面食らった。
「どうして彼がわたしの見舞いに来るの?」
「あの方は、お嬢様との婚約が打診されているご子息様ではありませんか。体調を崩される前にも一度、顔合わせをされたでしょう」
「もしかして、まだ記憶が混乱していらっしゃるのかしら」
 マンディとケイトが顔を曇らせたが、パトリシアはそれどころではない。
 フェリシアが婚約の顔合わせのためにモルテ王国へ来たことは理解していたが、相手が誰かまでは聞いていなかった。
 まさか、ヴァレリアン侯爵家の子息だなんて――よく知っている男性ではないか。
 パトリシアは居ても立ってもいられずに部屋を飛び出したが、逸る気持ちに身体が追いつかなくて、すぐに足がもつれて転ぶ。
「ああ、もうっ……この身体は、動きづらすぎるわっ」
 思わず悪態をついた。
 生前のパトリシアは運動神経がよく、騎士の訓練に交じって剣を振り回せるほどの体力と筋力があった。
 しかしフェリシアの身体は華奢で、思いのままに走ろうとしても足が動かない。
 ――フェリシアったら、ちゃんと運動して最低限の筋力をつけないとだめよ。
 パトリシアは胸中で文句を零して、追いかけてきたマンディの手を借りて立ち上がる。
 今度は早足で玄関に下りて行き、扉を開け放った。
 すると騎獣に乗った黒衣の騎士が門を通り、こちらに向かってくるのが見えた。ヴァレリアン侯爵家の子息だ。
 騎士は玄関前で騎獣を止めてひらりと降りる。大股でパトリシアの正面にやって来た。
 パトリシアは咄嗟に顔を伏せて、彼の黒い靴を見つめる。
「――ごきげんよう、フェリシア殿」
 騎士の第一声は重みがあり、腹の奥まで響きそうな低音だ。
 パトリシアは小声で「ごきげんよう」と返し、おそるおそる視線を上げていく。
 騎士――ラディウス・ヴァレリアンは騎士服の上から黒い外套を着ていて、両手に黒い革手袋をはめていた。
 今のパトリシアより二十センチ以上は身長が高く、背中まで伸びた黒髪を肩に垂らし、騎士服の上からでも厚みのある身体つきをしていることが分かる。
 やがて視線が騎士の顔に至り、パトリシアは呼吸の仕方を忘れそうになった。
 ラディウスは夜の果てを覗いたような漆黒の瞳でパトリシアを見下ろしている。
 恐ろしいほどに目鼻立ちの整った男だった。眦の吊り上がった両目と高い鼻筋、そこから薄い唇に至るまで顔のパーツの配置が完璧だ。
 しかし目つきは手負いの獣みたいに鋭く、黒の双眸に温かみはない。
 端整な面には愛想笑いすら浮かんでおらず、前髪が長くて目元に影を落としているのも相まってか、ひどく陰気で冷淡な顔つきに見えた。
 全体的に暗色で統一された装いや、どこかよそよそしい佇まいも、婚約を打診されている女性の見舞いに来たとは思えない姿だった。
 パトリシアは絶句した。
 彼女の知るラディウスは感情の分かりづらい青年ではあったが、こんなにも暗い空気を纏ってはいなかった。
 もっと温かみのある眼差しをしていて、パトリシアと共にいる時は笑顔を見せたし、纏う雰囲気も柔らかかったのに。
 ――ラディウス……あなた、どうしたの?
 思わず駆け寄り、何があったのだと胸倉を掴んで揺さぶりたい衝動に駆られる。
 同時に、パトリシアの脳裏にはラディウスと過ごした生前の記憶が蘇ってきた。