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S級魔術師の甘くて執拗な溺愛 初恋の彼に浄化と称してエロいことしかされません!? 1

第一話

 

 ――絶対に、逃がさないよ。


「上機嫌だな」
 宮廷魔術師のエルシオンは、上司であるアルフレド第三王子殿下に報告書を手渡した際にそう指摘され、自らの頬が緩んでいることに気づいた。
「まあね、わかります?」
「ようやく治癒師を雇ったと聞いたぞ」
「ええ、その節は殿下にご心配をおかけしまして」
「ふん、まあその分見返りはもらうけどな。お前のコンディションにこれ以上振り回されてはいられないんだ。さっさと調子を整えてくれ」
 アルフレドは中身をパラパラと確認すると、ため息を吐きながらエルシオンに書類を戻す。
 これまでさんざん治癒師を雇えと急かされていたが、全て断ってきたエルシオンだ。
 この国における自分の役割は自覚していたけれど、エルシオンが専属として迎え入れたい治癒師は随分前から決まっていた。
 今日、ようやくその悲願が叶ったのだ。
 仕事中だというのに浮かれてしまうほど嬉しくてたまらない。
「お前は頭のネジが飛んでいるからな。その治癒師も不憫なことだ」
「俺はいたって常識人ですよ。殿下のようなお方に言われるのだけは心外なんですけどね」
 執務室から出たエルシオンは自らの仕事部屋へと戻ると、机の奥にしまっていた履歴書を取り出した。
 直筆で書かれた彼女の名前を見てくすりと口角を上げる。
(会いたかったよ、リリー……)
 ずっとずっと――。
 エルシオンは彼女の名前にそっと唇を寄せた。


 ◆ ◆ ◇ ◆ ◆


 アドヴィス王国は商業国であると同時に魔法産業国でもあり、そして魔法軍事国としても栄えた強国だ。
 人口の約三割が魔力を持ち、その魔力は商業や医療、流通、防衛に至るまで様々な形で国の発展に大きく寄与している。
「リリー・ローウェルさんですか?」
「は、はい……っ!」
 魔法省の受付近くの長椅子に腰掛けていたリリーは、緊張した面持ちで席を立つ。
 立ち上がった瞬間、長いピンクの髪がふわりと揺れた。同じ待合室にいた男性の視線がちらちらとリリーに向けられたのは声が上擦ってしまったからかもしれない。
「どうぞこちらへ。お待ちしておりました」
 声をかけてきた眼鏡の優男風の男は、自らのことをカロルと名乗った。
 ついて来るよう促され、慌てて後に続く。
 リリーは今日、仕事の紹介を受けてこの場に来ている。
 事の発端は一週間ほど前――。

(……ど、どうしよう)
 魔力持ちであり白魔法使いのリリーは、来月から薬師として街の小さな薬屋に就職する予定だった。
 だがその薬屋はなんと、このアドヴィス王国が禁止している違法薬物が混入した商品の販売を行っており、国から摘発されてしまったのだ。
 もちろん、即廃業となった。
 勤務する前だったのでリリーは事情聴取されることもなく、その点では幸運だったのかもしれないけれど、ようやく見つけた仕事先がこのようなことになり、さすがに途方にくれてしまう。
(ああ、何て災難。早く働かなきゃいけないのに)
 リリーの家には借金がある。
 父は魔法道具を扱う事業家で、昔はそれなりに裕福な家庭だったけれど、最近は商売がうまくいかなくなり家計は火の車だ。
 お人好しで騙されやすい父は、事業提携を申し出てくれる貴族がいるから今回こそ大丈夫だと言うけれど、正直あてにはできない。
 リリーの家にはまだ幼い弟がいて、母はなかなか目が離せない状況だ。
 魔法学校を卒業して一年ほど家の手伝いをしていたリリーは、少しでも家のために稼ごうと就職活動をした。だが薬屋で働くことが決まった途端、今回の事件だ。。
 苦境に立たされたリリーだったけれど、不幸中の幸いだったのは国の機関が突然職を失ったリリーのような人間に対し、次の就職先の相談にのってくれたことだ。
 役人はリリーが白魔法使いだと知ると、いい仕事がありますと職を紹介してくれたのだ。
 そして、今日――。
(き、緊張する……)
 魔法省に来るよう言われたリリーは、今まで見ることも叶わなかった関係者以外立ち入り禁止のエリアを歩いている。
 魔法省というのはアドヴィス王国内にある魔法を管轄する機関で、いくつもの支部が国内に存在している。
 魔法に関する全ての業務は基本的に魔法省の管理下にあり、国は魔法使いを保護し、保護された魔法使いは国に力を貸すというシステムを、魔法省を介して構築するようになっている。
 魔法省は王都から少し離れた場所に位置しており、その建物はまるで要塞のようだった。
 高い塀に覆われ、厳重な審査を経てから奥へと進む。中の敷地は広く、ここでは数々の魔法実験が行われているという噂を聞いたことがあるが、外の人間からしたら真偽は不明だった。
 最近は国外に生息する竜や猛獣などの危険生物に対し、国の正規軍と魔法省が協力して対策本部を設置したという話を耳にしたことがある。
 カロルに連れられ受付のある建物を抜け奥に進むと中庭が広がっていて、その先に城を思わせる大きな建物がそびえ立っていた。
(……すごい、こんな風になってるんだ)
 中に入ると、天井の高さと廊下の広さに圧倒されてしまう。何十メートルもある長い廊下を進むと、せわしなく動く魔法省の職員と何人もすれ違った。
 ここで働く人はみな防御魔法効果が施されている専用の魔道ローブを身に着けていて、リリーは興味津々であたりを見渡した。
 リリーのような来客者は専用の入館証を首からぶら下げる決まりになっており、もしここで規律から大きく逸脱した行為をした場合には、拘束魔法が発動する仕組みになっているそうだ。
「すみません、もう少し歩きます」
「いえ、とんでもないです!」
 カロルはにこにこと柔和な笑みを浮かべ、リリーのことを客人のように丁重に扱ってくれた。これだけで職場の優良さがにじみ出ている。
(……どうかご縁がありますように)
 この国の魔法使いは、大きな功績をあげれば平民でも高い地位に上りつめることが出来る実力主義の世界だ。
 魔法使いが就ける仕事は多く、その内容は一般的な職場の中での魔法関連業務から魔法省の職員、宮廷魔術師まで多岐にわたる。
 役人から聞かされた今回の仕事の報酬は、正直今までリリーが見てきたどの求人票に書かれたものよりも多かった。給料も良く、住み込みで、家事の必要もない。さすが天下の魔法省から依頼されたお仕事というべきだろうか。
 人口の三割ほどしかいない魔法使いの中でもさらに二割しか存在しないとされている白魔法使い――怪我の回復などを専門とする能力――を持つリリーだからこそ、おそらく紹介してもらえたのだろう。
 とはいえ魔法省からの求人は滅多に出ないと聞いている。
 面接を受けるにあたり一応筆記の試験を行ったものの、大して難しい問題ではなく正直肩透かしだった。
 筆記試験の合格通知が送られてきて、今日がいわば本番である面接だ。採用率が極めて低いと噂されている魔法省関連の仕事は、今の時期に募集されることも少なければそもそも面接までたどり着けることすら稀であるため、幸運には違いない。
 長い廊下を二人して歩いていると、すれ違う職員がカロルに頭を下げた。採用担当者だからそれなりに職位は高いのだろうなどと考えてしまう。
 そんな相手と一緒にいるからだろうか、リリーもちらちらと顔を覗き込まれた。少し居心地が悪かったこともあり、目が合った職員に少しだけ会釈してみると、突然のことに戸惑ったのか顔を赤らめたあとすぐに目を逸らされた。
(えっ、私、何かおかしかったかな?)
 通路の鏡に映る自身の外見をちらりと確認する。
 ふわりと長いピンクの髪と、青い瞳、赤く小さな唇と高くも低くもない平凡な鼻がうつるだけだ。
 身だしなみも派手過ぎず地味過ぎず、面接に適したドレスを着用したつもりだったのにと不思議に思ってしまう。
「すみません、歩きながらで申し訳ないですが、簡単に仕事内容の説明をさせて頂きますね」
「は、はい!」
 突然話しかけられ、リリーの声は緊張で震えた。
「リリーさんは『治癒師』ってご存じですか?」
「確か、黒魔法使いのケアをする仕事、だと習った記憶はありますが……」
 リリーが昔クロムウェル魔法学院に通っていたときに授業で軽く説明されただけの職業だ。
 黒魔法使いとは主に攻撃魔法を専門とする魔法使いで、治癒師というものがどんな職業で、どんなことをするかなど具体的にはよく知らない。
 カロルはリリーの回答に満足そうに頷いた。
「実は今回リリーさんにお願いしたいのは治癒師の仕事なんです」
 カロルの言葉にリリーは相槌を打つ。
(治癒師、一体どんな仕事なんだろう)
 今まで全くお目にかからなかった求人だ。今尋ねられてどうにか思い出したぐらいで、周囲でも話題に上ったことはない。
 リリーはカロルの後を追いながら、必死で耳を傾ける。
「ここだけの話なんですが、黒魔法使いは攻撃魔法を使うとその魔法の性質上、『濁る』んです」
「――濁る、んですか?」
「そうなんです。攻撃魔法っていうのは使うと体内に『邪気』が溜まるんです」
 一瞬戸惑ったのは初耳だったからだ。授業でも習った覚えはない。
「ちなみに、このことは魔法使いの中でも一部の人間しか知らないんです」
「……えっ?」
 秘密ですよ、と念押しされリリーは絶句してしまう。
 まさかいきなり極秘な話を聞かされるとは思わなかった。
 まだ雇ってもいない人間にここまで話していいのだろうか。
「ああ、もしご縁がなかったなら忘却の魔法を使いますのでご安心を」
 勘弁して、と内心悲鳴をあげた。超高難易度魔法ではないか。
 もしや採用前提だったりするのだろうかと期待してしまったのに、何てことだろう。やはりエリートの人は少し変わっているのかもしれない。
「邪気は少量ならあまり問題はないのですが、多く体内に溜まると身体的にも不調が出てくるんです。で、そんな邪気を浄化することが出来る能力を持つのが白魔法使いで、浄化を仕事にする人を『治癒師』と呼びます」
 なるほど、とリリーは納得した。
 昔黒魔法使いの友人が攻撃魔法を使ったあと、みなどこか少し苛々していたり疲弊したりしていたことを思い出す。
「で、今回はですね。ある黒魔法使いの浄化をする専属治癒師を探しているんです」
 そこまで話を聞いてリリーはふと疑問に思ったことを尋ねてみた。
「その、浄化って……どうやればいいのでしょうか」
 当然と言えば当然だが浄化なんてことは今までやったことなどない。
 白魔法使いではあるが魔力量が少ないリリーに、こなせるかどうか不安だった。
 だがリリーの心配をよそにカロルは笑顔だ。
「ははは、大丈夫ですよ、白魔法使いであるなら問題ありません。多少相手との相性などはあるみたいですが……まあ大丈夫だと思います」
 カロルの言葉に少しだけ安堵するものの、今度は別の不安が生まれてくる。
「あの、専属になる黒魔法使いというのはどんな方なのでしょうか?」
 募集要項や事前に聞かされた話によれば、今回の仕事は住み込みでの業務だ。部屋は専用のものが用意され、家事は使用人がいるためリリーがする必要もないとあるが、やはりどのような相手か気掛かりだ。
(もしや、すっごい変な人とか?)
 ここまで待遇がいいのなら何か裏がある可能性だってある。
 選べる立場じゃないのは重々承知だが、少しだけ警戒してしまう。
 リリーの質問に、カロルが「そうですねえ」と顎に手を当て考え込んだ。
「彼はS級の宮廷魔術師でして……」
「え、S級ですか!?」
 しかも宮廷魔術師ときたものだ。
 驚きのあまり声が上擦ってしまう。
 級というのは魔法使いとしての実力を測る指標のようなもので、S級からC級までのランクで分類されている。
 S級はランクとしては最上位で、桁違いの魔力や潜在能力を秘めており、この国に数名しかいないという噂だ。
 ちなみにリリーのランクはB級で割合としては一番多く、その能力もひどく平凡なものだ。
 それに加えて宮廷魔術師というのは魔法使いの中でも花形で、王宮お抱えの超エリート魔法使いのことを指している。
(ほ、本当に大丈夫なのかな……)
 正直なところかなり荷が重い。
 詳しい仕事内容は分からないけれど、S級のケアをするのだ。本来なら最低でもA級以上の白魔法使いがする仕事だろう。
 本当に自分のようなB級でも問題ないのだろうか。
 絶対に採用されたいという気持ちに変わりはないものの、相手の凄い肩書きを聞かされ小心者のリリーはどんどん自信がなくなっていく。
「大丈夫ですよ、S級といっても歳はリリーさんと近いですし」
「そ、そうなんですか?」
「はい、最年少で宮廷魔術師まで上りつめた方でして、精鋭部隊の『アカツキ』に所属していますね」
「え?」
「魔法道具研究の特別審査員にも去年から就任してます。えーと、あとは孤児院の設立や援助などの慈善活動にも精力的に取り組まれているみたいですし……ああ、最近はベスト魔道ローブ賞も受賞されたとか……」
 安心させるどころか、どんどん不安になる要素ばかりが大量に投下されていく。
(何そのベスト魔道ローブ賞って……。魔法省ってもしかして暇なの?)
 より混乱し、慄いてしまうがカロルはお構いなしだ。
(でも歳は近くて最年少って……)
 一瞬、リリーの知っているある人物の顔が頭に浮かんだものの、まさかねとその考えを打ち消した。
 いくら優秀だったとはいえ卒業してまだ一年だ。さすがにここまで出世するはずはないだろう。
「じゃあせっかくですし、これから実際に会って頂きますね」
「え、あ……会うんですか?」
「ですです。ほら案内しますね」
 頷きはしたけれど、さんざん評判を聞かされたあとだ。会うと言われ妙に緊張してしまう。
 不安を覚えながらもついていくと、突然バタバタと人が走る音が聞こえてきた。何事かと思った瞬間、カロルが身につけていた腕輪がブブブッと震え、淡い光を放つ。
(これって、魔法通信!?)
 魔法通信は遠隔で人と会話することが出来る、この国の最新技術だ。
 カロルが慣れた手つきで腕輪に触れると、アナウンスが流れてきた。
『B地区にて火竜が暴走中。付近の者は注意するように。安全対策部隊の者はただちに出動せよ』
 聞こえてきた内容にリリーはぎょっとする。
(か、火竜って……)
 不安な表情でリリーがあたりをきょろきょろと見渡すと、隣のカロルが冷静な顔で告げた。
「すみません。この近くで被検対象の火竜が暴れているみたいでして」
「えっ、大丈夫なんですか?」
 どうやら魔法省の中に魔物の生態を調査、育成する研究機関があるらしい。
 今日は新しく捕縛した火竜を魔法省に輸送する日だった。運び込んだものの途中で暴れてしまったらしく、今こうして慌てて応援を呼んでいるようだ。
「搬送前に炎を出せないよう一時的に制御魔法を施してはいますが、いかんせん火竜は超巨体ですからね。捕縛にはなかなか苦労するとは思いますよ。……ああ、あれです」
 渡り廊下に差し掛かったところでカロルが中庭を指さす。そこには咆哮する巨大な火竜と、それを囲む人だかりがあった。
「何て大きいの……」
 火竜を見たのは初めてだったけれど、想像の何倍も巨大だ。
 遠目から見てもその大きさが分かる。動きは遅いが狂暴で、近くにいた何人もの研究員が捕えようと試みているが恐怖があるのか及び腰だ。多少の動きは封じても、すぐに破られてしまう。このままじゃ危険だ。
 すると人だかりの輪に、ひとりの男性がゆっくりと近づいていく。
 その男性は宮廷魔術師だけが纏うことのできる特殊な魔道ローブを身につけていた。
 そして、突然――。
(あれ……?)
 暴れていた火竜の動きがピタリと止まる。
 ふっと力が抜け、火竜は突然意識を失ったようにぐらりと体勢を崩すと、そのまま真横にゆっくりと倒れた。
「危ない、逃げろおおぉぉ‼」
 研究員の怒号と同時に、ドオオンと大きな地鳴りがあたりに響いた。
 砂煙が舞い上がり、リリーはゴホゴホと咳き込む。
(な、何があったの……)
 リリーが信じられない思いでその場を眺めていると、そこにいた全ての者たちの視線が先程の宮廷魔術師の男へと注がれていた。
 おそらく彼が火竜の動きを鎮圧したのだろう。周囲からは尊敬と驚愕と畏怖が入り混じった視線が向けられている。
(す、すごい……皆があんなに苦戦してたのに一瞬で……)
 火竜にかけられたのはおそらく眠りの魔法だろう。だが本来はあんな強大な暴れる動物に簡単に効くようなものではない。魔物は退治するよりも捕縛の方が難しいのだ。多くの工程と時間と労力を割くはずのあの場面をたった一人で華麗に鎮圧してしまった。
(一体誰なんだろう。レベルが違い過ぎる……)
 男はフードまで被っているためリリーのいる位置からでは顔が分からない。だがローブについた砂埃をパンパンと払う後ろ姿には余裕が見えた。
(まって、あれって鷲の紋じゃないの!?)
 よく見るとローブには宮廷魔術の中で特に優秀な者だけを集めた『アカツキ』という特殊部隊のみに許された鷲の紋章が見えた。
 リリーは『アカツキ』の実力を目の当たりにできたことに感動を覚え、その場でしばらく立ち竦んでしまう。
「あっ、いましたいました、あの人です。リリーさんに紹介したかった相手」
「……えっ、うそ!?」
 隣にいたカロルが呑気に指さした相手は、今まさにリリーが熱い視線を送っていた男だった。
「ささ、行きましょうか」
 まさか、と動揺するリリーを促しカロルは男の元へ向かう。
 男は火竜を運搬していた者たちに軽く指示をして、喧騒の輪から離れようとしていた。カロルは背後から男を慣れた調子で呼び止める。
「もー、探しましたよ」
 カロルの気の抜けた声に気づいた男が、ゆっくりとこちらを振り向く。
(えっ、待って待って!)
 心の準備が出来ていなかったリリーは、相手の顔を見る前に慌てて頭を深く下げた。
「はじめまして、あの……私は」
 震える声でどうにか自己紹介をしようとした瞬間、聞き覚えのある声が頭上から降ってくる。
「――……あれ、リリー?」
(……えっ?)
 まさか、と思いながらおそるおそる視線を上げると、男はローブのフードを取る。美しく輝く銀色の髪がサラサラと揺れていた。
「え、エル……!?」
 彼の名前はエルシオン・レイヤード。
 今から八年前にクロムウェル魔法学院で出会い、同級生として五年間一緒に過ごしてきた幼馴染みだ。
 そして――。
「リリー、こんなところでどうしたの?」
 向けられる笑顔も、眼差しも、何も変わっていない。
 三年ぶりに名前を呼ばれ胸の奥がぎゅっと締め付けられたのは、彼はリリーがずっと片想いし続けていた相手に他ならなかったからだ。

 面接用の応接室に通されたリリーの目の前には、カロルと、その隣に幼馴染みであるエルシオンが座っている。
 テーブルの上には可愛らしいティーカップに入れられたルイボスティーの他に、リリーの好きなチョコレートブラウニーや、ライ麦のクッキーが並んでいるけれど、このような場で気軽に手を付けることなど出来なかった。
(やっぱり私のサポートする相手って、エルってことなんだよね?)
 突然のことに理解がうまく追いつかない。
 エルシオンに出会ったのは八年前。彼はクロムウェル魔法学院の初等部に途中入学してきた貴族の子息で、当時から綺麗で目立つ子だった。
 最初はなかなか心を開いてくれなかったエルシオンだが、リリーの粘り勝ちでどうにか仲良くなった。それからエルシオンに恋心を抱くようになるまであまり時間はかからなかったと思う。
「飲まないの? 好きだったんじゃない、ルイボスティー?」
 急に声をかけられ、リリーはためらいがちに頷く。
「……あ、はい」
「ああ、もっと甘い方が良かったっけ?」
「あっ……いえ」
「あはは、まさか緊張してる?」
 まさにそのとおりだ。混乱してうまく話が入ってこない。
 リリーが敬語で話そうとすると、前のように話してほしいと言われてしまう。
 こうしてエルシオンと顔を合わせるのは三年ぶりだけれど、相変わらずの整った顔立ちが眩しかった。
 サラサラと柔らかそうな銀色の髪に、妖艶さを凝縮した紫の瞳。
 すっと通った鼻筋と整えられた眉。唇は甘い笑みを浮かべている。
 以前と少し変わったのは顎のラインが鋭く精悍になり、顔つきから幼さが消えたことだろう。身長も伸び、肩幅も少し広くなった。
 さわやかな雰囲気は相変わらずだが、大人の艶やかさが加わり、リリーは向かい合うだけでどきどきしてしまう。
 だがそれ以外はまるで変わっていない。
 リリーに対する口調も眼差しも、別れたあの頃のままだ。少し小馬鹿にした物言いも意外に親切で優しいところも相変わらずだった。
「あ、その……エルって宮廷魔術師になったんだ?」
「うん、卒業前から声がかかってて。俺ってほら、それなりに優秀だったでしょ?」
 もちろんそんなこと百も承知だ。
 魔法学院を卒業してすぐ宮廷魔術師になったこと自体はあまり驚きはしない。むしろ当然だろう。
 在学中から最年少のS級魔法使いとして騒がれていたし、卒業後のスカウトを早くから受けていたことも知っていた。宮廷魔術師になるのは確実だろうといわれてはいたけれど、まさか一年で『アカツキ』に選ばれる実力や実績があるとは。
 会わない三年間の間にリリーもいろいろとあったけれど、エルシオンもおそらく濃密な時間を過ごしたのだろう。
「リリー、ほら、砂糖置いとくね?」
 リリーが考え込んでいると、エルシオンは一度席を立ち、棚にある砂糖をわざわざ用意してくれた。
「ありがとう……」
 ここまでしてもらった手前、固辞もしづらい。砂糖を入れてルイボスティーを飲むと、口の中に爽やかな甘みが広がった。
 すると今まで二人を静観していたカロルがようやく間に割って入る。
「お二人はお知り合いだったんですね。丁度いいです」
 カロルの言葉にエルシオンが眉を寄せる。
「丁度いいって、どういうことです?」
「前に伝えていた治癒師の件なんですが」
「ああ……」
 エルシオンは合点がいったように頷くと、リリーに視線を戻す。
「リリーってもしや治癒師の仕事で来たの?」
「私もまさか、その……相手がエルっていうことは今初めて知ったんだけど……」
 歯切れが悪いのは、リリーがこの幼馴染みとの再会を素直に喜べずにいたからだ。
(だって……)
 リリーはエルシオンに対し一方的な負い目がある。
 この偶然を喜んでいいのかどうか、リリーには分からなかった。
 もう会うこともないだろうと思っていたのに、まさか仕事相手として再び出会うとは。
 ずっとエルシオンに恨まれていると思っていたけれど、彼の様子からそんな態度は微塵も感じられない。
(なーんだ……まあ、そうだよね)
 エルシオンは何とも思っていないのにリリーが一人で拘り過ぎていたのかもしれない。
 今や天と地ほどの立場の差がある。身構えた自分が馬鹿みたいだ。
 ほっとすると同時に、寂しさを感じる自分が心底面倒くさいと思う。
 そんな胸の痛みを一人覚えていると、エルシオンはカロルが手渡したリリーの履歴書を見て唸り出す。
「治癒師が来るとは聞いていたけれど、まさかリリーとは……」
 その言葉にリリーはハッとした。
 今は選考中なのだ。過去のことは一旦おいておくことにする。
 背筋を改めて正すと、リリーは悩んだ様子のエルシオンを緊張しながら見つめた。この沈黙が怖い。