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この独占欲は想定外です!? 天才伯爵様は可愛い新妻をめちゃめちゃ溺愛したい 1

第一話

 

「……セイリール、どこにいるのかしら」
 護衛をひとり連れ、額に滲む汗を拭いながら、山道を登る。
 獣道というわけではないが、それなりに険しい道のりを進むのにはもう慣れた。
 柔らかいピンク色の髪をポニーテールにするのも、膝丈のワンピースを着て編み上げのブーツを履くのも、山道を行くには必須だ。
 大きなバックパックを背負い、土を踏みしめる私は絶対に貴族令嬢には見えないだろう。
 実は、それなりに由緒ある家の出だったりするのだけれど。
 私、レイラ・ルーリアは、ラクランシア王国にあるルーリア伯爵家の娘だ。
 女は私ひとりだが、兄と弟がいて、兄の方はすでに結婚して子供もいる。
 私ももう二十一歳。
 そろそろ本格的に結婚を視野にいれなければならないのだけれど、残念ながらまだそういった話はないし、ないことに安堵もしている。
 それは何故か。
 私は、十年ほど前からとある人物に恋をしているのだ。

                                    ◇◇◇

「見つけた」
 ひたすら山を登り続けること三時間。
 途中、なんとなく道を逸れ、そうして木々の奥に小さな洞窟を発見した。
 普通なら、こんな場所にある洞窟に興味を示しはしないだろう。だが、私には予感があったのだ。
 ここに彼がいるという予感が。
「ここで待っていて」
 護衛に声を掛ける。彼が頷いたのを確認してから私は洞窟に向かって声を張り上げた。
「セイリール!」
 返事はない。洞窟は私の身長よりも少し高いくらいで、大人ふたりが並んで通れる程度の大きさだった。
「……今からそっちに行くから」
 相変わらず応答はなかったが、気にせず洞窟の中に足を踏み入れる。コウモリや虫がいたら嫌だなと思ったが、幸いにもその類いは姿を見せなかった。
 十メートルほど歩く。少し先は行き止まりになっているようだ。そこにはひとりの男がいて、地面に足を投げ出した体勢で心地よさそうに目を瞑っていた。
 ――見つけた。
 私の捜し人。セイリール・ノルンだ。
「セイリール」
 もう一度名前を呼ぶも、彼は目を開けようとすらしない。
 いつものことなので気にせず、その側へと行った。バックパックから敷物を取り出し、彼の隣に敷く。
 並んで座り、彼に目を向ける。彼――セイリールはとても上機嫌だ。
 目を瞑っていても、付き合いの長い私には分かる。
「……あと、一時間したら帰るから」
「……分かりました」
 問答無用で帰りの時間を告げると、ややあって返事があった。
 やっぱり故意に無視していたのだ。
 周囲を見回す。洞窟内は暗かったが、入り口から光が届いているようで、真っ暗というほどでもなかった。
「……」
 黙ってセイリールを見つめる。
 セイリール・ノルン。
 今年二十八歳になる彼はノルン伯爵家の次男で、昔から天才と皆に認識されている人物だ。
 誰よりも優秀で、一を聞くまでもなく十を知っている。それが彼という男なのである。
 そんなセイリールは現在、ラクランシア王国国王の相談役という地位を得ている。
 宰相ハイネ・クリフトンと並ぶ、国王が最も信頼する部下のひとり。
 その彼がどうして洞窟にひとりきりでいるのか、ちゃんと理由はあるのだけれど、今は置いておく。
 彼を連れ帰れなければ、話にならないからだ。
 私が見ていることには気づいているだろうに微動だにしないセイリールは、相変わらず目を閉じ、何が嬉しいのか口元を楽しげに緩めていた。
 ――はあ。
 とりあえず暇なので、セイリールを観察することにする。
 彼の容貌はとても整っているので見応えがあるのだ。
 目を瞑っていても美しいと分かる造作。だが、鋭い感じはなく、むしろ甘く柔らかい印象を与える。事実、彼は穏やかな物言いをする人で、誰かに怒鳴ったりというようなことは殆どしない。
 長い黒髪を後ろでひとつに束ねた彼は、丈の長い上衣にシャツ、長ズボンという、いわゆる貴族服と呼ばれる、登城時の格好をしていた。とてもではないが、山登りに適した服装とは言えない。
 おそらく、勢いで出てきたのだろう。
 彼の横には口を縛っただけの白いずたぶくろが置いてあった。長年の経験から中身が食糧であることは知っている。どうやら最低限のものくらいは持ってきていたようでホッとした。
「帰るわよ」
 きっちり一時間待ってから再度セイリールに声を掛ける。今度は彼は目を開けた。
 少し垂れた黒い目が私を捕らえる。
「はい」
「あなたがいなくなるたびに、私に声がかかるんだからね。いい加減どこに行くとか、せめて書き置きくらい残していってちょうだい」
「すみません。……そこまで気が回らなくて。次回から気をつけます」
 今まで散々、それこそ耳にたこができるほど聞かされた言葉だ。たぶん、次も書き置きなんか残してくれないのだろうなと悟る。
 次があると確信している自分が嫌すぎなのだけれど、すでにこれは十年以上続けられてきたこと。今後もあると考える方が自然だ。
「……行きましょ」
 敷物を片付け、立ち上がる。
 セイリールもノロノロと私に続いた。あまり高さのない洞窟なので、長身の彼は背を曲げている。
「また妙な場所を見つけて。いい加減、遭難するわよ」
「大丈夫ですよ。そんなに危ない場所ではありませんし、それに何かあってもレイラが見つけてくれるでしょう?」
 当たり前のように言われ、思わず彼の背中をはたいた。
「私は! あなた専用の便利屋ではないの!」
 何が悲しくて、伯爵令嬢の私がバックパックを背負って、山登りしつつ、とうに成人した男を捜しに行かねばならないのか。
 しかもその男は私の家族でも恋人でも婚約者でもなんでもない。十年来の付き合いがある友人という関係なだけなのに。
 セイリールをせっつき、洞窟を出た。そこには命じた通り護衛が待っていて、私たちの姿を認めると頭を下げた。
「帰るわよ」
 ふたりに声を掛け、率先して山道を下る。
 まだどこかぼうっとしている様子のセイリールに声を掛けた。
「それで? 今回は何日くらいあそこにいたの? 私があなたの家の人に捜索を依頼されたのは今朝方のことなんだけど」
「……うーん、たぶん、一週間くらい、ですかね」
「一週間。まあ、半年冬山に篭もっていた時のことを思い出せばずいぶんとマシだけど。ねえ、最近頻度が多くない?」
「そう、ですかね。僕としては少ないくらいだと思ってるんですけど」
「多いわよ」
 軽口を叩きながらも慎重に山を下りていく。
 セイリールの足取りはしっかりしていて不安はなかった。
 持ってきた食料をきちんと摂取していたのだろう。健康面に不安がないのはとても良いことだし安心したが、先ほど彼にも告げた通り、最近、山に篭もる頻度が上がっているような気がするのだ。
 ふらりといなくなることは前からだけれど、明らかにその回数は増えている。
 それはいつからなのか。
 セイリールは気づかれていないと思っているだろうが、私は知っている。
 彼が頻繁に姿を消すようになったのは、我が国の王女であるフレイ・ラクランシア様が、ハイネ・クリフトン宰相に降嫁した直後からだと。
 セイリールは、フレイ・ラクランシア王女が好きだった。
 彼は長くフレイ王女に片想いしていて、だけどその想いは叶わなかったのだ。
 彼女は国王命令でハイネ・クリフトンに嫁いでしまったから。
 何も言わなかったけど、彼が気落ちしていることには気づいていた。
 いまだその傷が癒えていないのも知っている。
 言われなくたって、そんなのは察することができるのだ。
 だって、私も同じだから。
 ――私も、恋をしている。
 この、今隣を歩いている男に。
 現在失恋中のセイリール・ノルン。
 十年来の友人であるこの男に、私はそれこそ長い間片想いをしているのだ。


                                    ◆◆◆


 ――私が十歳の時の話だ。

「そういえば、ノルン伯爵家に息子が帰ってきたらしいよ」
 そう父に聞かされたのは、家族全員で昼食を取り、食後のお茶を楽しんでいる時だった。
 ノルン伯爵家は、お隣さんと言って良いくらいの距離に屋敷がある。
 同じ家格ということもあり、それなりに交流もあった。
 兄が首を傾げ、聞く。
「ノルン伯爵家ですか? あそこの息子はオッド殿だけではなかったのですか?」
「どうやら次男もいたらしい。何やら隣国で長く静養していたそうだが、この度こちらに帰ってくることになったとか。確か……十七歳だったかな。お前より少し年上だね」
 十七歳、と兄が呟く。興味が出たのか、父に詳しいことを聞き始めた。
「……名前は? 登城はするのですか?」
「ああ、その予定だそうだよ。名前は確か……セイリールといったかな」
 父と兄の会話を、特に興味もなく聞く。
 付き合いのある伯爵家に息子がひとり戻ってきた。それだけの話だ。正直七つも年上の男性に興味なんてないし、まだ十歳の私には、どうでも良いことでしかなかった。
 弟も兄よりも年上の男性に興味はないらしく、お茶と一緒に出てきたチョコレートの方に気がいっている。
「まあ、会うこともないだろうが一応ね。お前たちには知らせておこうと思って」
 父の話に頷いておく。
 とはいえ自分に関係のない話だ。自室に戻る頃には、すっかり忘れてしまった。

                                    ◇◇◇

「あら……?」
「どうなさいましたか、お嬢様」
 父から話を聞いてから数日後の夕方、メイドと一緒に屋敷の周辺を散歩していた私は、フラフラと所在なげに歩く男性を見つけた。
 綺麗な顔立ち。だけどその表情には生気がなく、なんだか放っておけない感じがしたのだ。
 年は……十代後半といったところだろうか。着ている服は遠目から見ても分かるくらいに質が良く、おそらくはどこかの貴族の子息なのだろうと思った。
「ねえ」
 近づき、声を掛ける。
「お嬢様!?」
 私が見知らぬ男性に突然声を掛けたことに、メイドが咎めるような声を上げた。
 警戒心がないと言いたいのだろう。気持ちは分かるが、申し訳ないけど無視させてもらう。
 男性は王都の中心街とは反対の方向に向かって歩いていたのだ。このままでは、王都から出てしまうし、あとは山や森しかない。
 どこに行こうとしているのかは分からないが、放置して良いものとは思えなかった。
 だってもう夕方だ。今、王都から出れば夜になってしまう。
「ねえ、ねえってば!」
「……なんです?」
 最初は返事をしなかった男性だったが、何度か根気よく声を掛けると、ややあって立ち止まり、こちらを振り向いた。
 黒曜石を思い起こさせる瞳が私を見る。ドキンと胸が高鳴ったように思ったが、私はそれを振り払い、男性を見つめ返した。
「あなた、どこへ行こうとしていたの? そっちに歩いていっても、山や森にしか辿りつかないわよ」
「山……? ああ、ちょうど良いかもしれませんね。……ここは想像以上にうるさくてかなわない」
「うるさい?」
 眉根を寄せ、鬱陶しげに首を振る彼は、心なしか顔色も悪いようだ。
「……ね、もしかして調子が悪いの? 駄目じゃない。そんな様子で外へ行こうだなんて。名前は? お屋敷は近くにあるの?」
「……」
「ねえ!」
 グイグイと男の手を引っ張る。メイドがハラハラしながら私を見ていた。
 彼は小さく息を吐くと、面倒そうに口を開いた。
「セイリール・ノルン。屋敷はすぐ近くにありますので、ご心配なく。放っておいていただけると助かります」
 告げられた名前を聞き、目を見開いた。
「ノルン! あなた、ノルン伯爵家の人なの?」
「……僕の家を知っているんですか」
 意外そうにこちらを見てくる彼に頷く。
「殆どお隣さんみたいなものだもの。私はレイラ・ルーリア。ルーリア伯爵家の娘よ。ノルン伯爵家に息子がひとり戻ってきたって聞いていたけど、あなただったのね」
「……ルーリア伯爵家。……ああ」
 怪訝な顔をしていた彼だったが、私の身元を聞いて、納得したようだ。
「それで? ルーリア伯爵家のご令嬢が僕に何の用なんです?」
「用も何も……もう夕方なのに外に出るのは危ないって言ってるんだけど」
「別に危なくありませんよ。ただ少し……静かなところに行きたいだけです」
「……静かなところ?」
「もういいでしょう。僕は行きますから――」
「駄目!」
 咄嗟に彼の手を掴んだ。何故か、彼が消えてしまいそうに見えたのだ。見過ごせず、グイグイと引っ張る。
「ノルン伯爵邸なら近くだから屋敷まで送ってあげるわ。一緒に帰りましょう?」
「余計なお世話ですよ。僕は――」
「良いから! ほら、一緒に帰るの!!」
 嫌がる男――セイリールの手を掴んだまま、私は彼の屋敷へ歩き出した。
 一緒にいたメイドは「お嬢様……」と額に手を当て、呆れたようにため息を吐いていたが知るものか。
 セイリールは抵抗していたが、私の意思が確たるものだということが分かると、大人しくなった。黙って私に引っ張られている。
「別に……君には関係ないことでしょうに」
「関係なくない。目の前にフラフラと危なっかしそうな人がいたら無視できないでしょ。もう、私より大人なんだからしっかりしてよね」
「……大人。確かに君に比べれば大人だとは思いますが」
「そうよ。私、まだ十歳なんだから。十歳相手に抵抗したりしないでね」
「はあ……仕方ありませんね」
 言い聞かせるように告げると、彼はようやく自分の意思でしっかりと屋敷に向かって歩き始めた。それに安堵しつつも、声を掛けた手前放ってはおけないので、屋敷まで送り届けることにする。
「君」
 屋敷までもう少しというところでセイリールが話し掛けてきた。
「何?」
 立ち止まり、彼を見る。セイリールはポケットから何故か石を取り出すと、強引に私に押しつけてきた。
 黒い色をしている。黒曜石だろうか。
 だが綺麗な形ではなく割れているようだ。
「石?」
「これ、あげます」
「?」
 意図が掴めず、戸惑いながらも彼を見る。セイリールは淡々と言った。
「それ、隣国から持ってきた僕の宝物なんですよ。こちらに来る時に僕の不注意でふたつに割れてしまって。その片方を君にあげます」
「……あ、ありがとう?」
 割れた石を貰ってもと思ったが、思いの外セイリールが真剣な顔をしていたので、その言葉は呑み込んだ。