戻る

この独占欲は想定外です!? 天才伯爵様は可愛い新妻をめちゃめちゃ溺愛したい 3

第三話

 

 ふたりで山を下りる。
 ノルン伯爵邸に連れて行くと、前回の比ではないくらいに感謝された。
 三日も行方不明になっていた息子を連れ帰ってくれたのだ。そうなるのも当たり前だろう。
 私はお礼をしたいというおじさまたちの言葉を固辞し、屋敷に帰ったのだが、何故かそれから出掛けるたびに、ふらりと外に出ていたセイリールに出会い、連れ帰るということが続いた。
 完全に偶然ではあるのだけれど、不思議とタイミング良く出会ってしまうのだ。
 そして見つけてしまえば無視もできない。
 おじさまたちが心配しているのを知っているからだ。
 更にすっかり私に慣れてしまったセイリールも、声を掛けると素直についてくるものだから、気づけば彼がいなくなると、おじさまたちはまずは私を頼るようになっていた。
 十年以上経った今も。
 私はもう二十一歳になるというのに、セイリールがふらふらしているせいで、いつまで経っても彼の世話役から抜け出せないというのが現状なのだ。

                                    ◇◇◇

「……」
 私の隣を無言で歩く男を見る。
 一週間の山ごもりをしていたという彼は、パッと見た感じでは普段通りで変わった様子もなかった。
 だが、十年越えの付き合いがある私には分かる。彼はまだ本調子ではないようだ。
 顔色は悪くないが、雰囲気が違う。そんな風に感じた。
「……二、三日くらいあとで迎えに来た方が良かった?」
 セイリールが山に篭もっている理由はよく知っている。
 音を拾いすぎてしんどいから。だから自然豊かな場所へと逃げていくのだ。
 いつもは迎えに行くと、通常状態まで回復しているのだけれど、どうやら今回はそこまでに至らなかったようだ。
 おじさまたちにお願いされたから捜しに来たのだが、少し早かったのかもしれない。だが、セイリールは首を横に振った。
「……良いですよ。君が迎えに来た時点で、帰る気にはなっていましたから」
「そう?」
「ええ。それに今回は陛下にも何も言わず出てきてしまいましたから。いつものことと分かっては下さっているでしょうけど、さすがに罪悪感があるんですよ」
「え、駄目じゃない。……というか、陛下に断る余裕もないくらい追い詰められていたの?」
「……お恥ずかしながら」
 しょぼんと萎れたセイリールを見つめる。
 世間ではセイリールは、自由気ままな天才として知られている。
 相談役という地位に就きながら、時折フラッと山ごもりしてしまうからだ。
 それでも叱責されるどころか、そういう人物として国王に許されている彼を、当たり前だが皆は羨んでいるのである。
 ……実際の彼は自由気ままというわけではなく、定期的に訪れる限界に振り回されているだけなのだけれど、彼の事情を知っている人物はそう多くない。
 セイリールの家族と国王、そして私で全員だ。
 どうして言わないのか。
 別にセイリールが故意に隠しているわけではない。おじさまたちが嫌がったのだ。
 聞こえすぎる聴力のせいで、全ての音が煩わしくなり、定期的に逃亡している……なんて、あまり人に知られたいことではない。
 王城で他人に弱みを知られることは、自らの立場を危うくするというのと同義。
 だからおじさまたちは、黙っていることを選択したのだ。
 セイリールもおじさまたちの意向に従い、王城では『マイペースの自由人。山好きの変人』ということで通している。
 そう思われている方が彼にとっても色々と都合が良いからだ。
 実際の彼はそこまで自由人というわけではなく、どちらかと言えば真面目で、思慮深く行動する方なのだけれど。
 天才と呼ばれるだけあって博識だし、実は周囲をよく見ている。
 そういうところを国王は買ってくれているのだろう。
 ただ、ストレスに耐えかね、突発的に出て行ってしまう面がどうしても強調されるので、あまり皆には気づかれていないだけ。
 セイリールも平然と、「気が向いたので、ちょっと山ごもりしていました」と言うものだから、今ではすっかりそういう人物だと思われている。
 自由気ままに城を出入りする、変人の天才相談役。それが今のセイリールの立ち位置だ。
 正直、私としては歯がゆいばかりだけど。
 本当の彼は皆が思うような人ではないのに、誤解されているのだから。
 でも、肝心のセイリールが気にしていない。
 国王がきちんと評価してくれているからそれでいいのだと、周囲の目など全く気に留めてもいなかった。
 国王がセイリールという男を理解してくれる人で良かったと心から思う。
 今の国王は年若く、皆もまだ様子見という感じだが、セイリールを相談役に置くくらいだ。間違いなく傑物なのだろうと信じている。
 その国王に何も言わず飛び出してきたのだから、本当に今回は限界だったのだと推測できる。
「……なんだったら、ちゃんと陛下に謝ってから、改めて休みを取らせてもらえば? 確かにセイリール、本調子ではないように見えるし」
「さすがにそれはできませんよ。迷惑を掛けているのは分かっているんです。また、限界までは頑張ります」
 私の提案をセイリールはきっぱりと拒絶した。
 ほら、こういうところが彼が真面目だと思う点だ。
 体調が悪い自覚はあるだろうに、ギリギリまで逃げない。逃げられないのが彼なのだ。
 誰も、そんな風に彼のことを思ってはくれないだろうけど。
 彼という人を知っているだけに、胸がツキンと痛む。
「……倒れてしまってからでは遅いんだからね。その……今連れ戻してる私が言うのもなんだけど、本当に辛いなら、またすぐ山に逃げても良いから」
「それで次も君が連れ戻しに来てくれるんですか? 君に迎えに来てもらうのは嬉しいので、それも悪くないかもしれませんね」
「そんなこと言って……いい加減、使用人たちが迎えに行っても帰りなさいよ」
「いやです」
 ため息を吐きながら言うと、はっきりとした拒否が返ってきた。
 本当に、これだけは困っていた。
 十歳の頃、初めて彼を連れ戻した時から、何故か彼は私が迎えに行かないと帰らない。
 誰が行っても頑として動かなくて、だけど私が出向けば、驚くくらい素直に出てくるのだ。
 彼を見つけるのが異常に上手いというのもあるのだけれど、何より私が行かなければ帰らないというのが、おじさまたちが私を頼る一番の理由だと分かっていた。
 そして、私でないと嫌だと行動で示すセイリールに呆れているうちに、それはいつの間にか恋となり、愛へと変化していったのだ。
 私が迎えに行った時、セイリールはほんの少しだけど嬉しそうに顔を緩める。
 多分、彼は気づいていない。
 だけどあの嬉しそうな顔を見るたび、仕方ないなと思えるし、同時にどうしようもなく好きだなと思ってしまうのだ。
 最初に好きだと思ったのはいつだったのか。気づいた時には後戻りできないほどに嵌まっていたので、正確な日付は分からない。
 ただ私はこの恋をずっと引き摺っていて、今も尚抱え続けているのだ。
 セイリールには好きな人がいると知っているのに。
 もう、結婚してしまったフレイ王女。
 セイリールは彼女のことをずっと好きで、彼女に振られた今もまだその傷を抱えていると知っている。
 彼がフレイ王女のことを話す時はいつもとても楽しそうだったから、「ああ、好きなんだな」と説明されなくても分かっていた。
 私のことは、長年の友人くらいにしか思われていない。異性として意識などされていないのだ。
 たとえ、私以外の迎えの手を拒んだとしても、それが事実。
 私はセイリールに恋愛の意味では好かれてない。
 こちらはこんなにも彼のことが好きなのに。
 不毛だと分かっていても、こうして側近くに彼と接する機会があれば、諦めることなんてできるわけがなくて、ずるずると恋心を引き摺っている。
 いい加減、捨ててしまえれば楽になれるのに。
 友人だと割り切れれば、彼がフレイ王女を引き摺っていることに気づいても、傷つかなくて済んだのに。
 できないから私はずっと傷ついているし、心は血を流し続けている。
 この手を離せば、全てを手放してしまえばと何度も思ったけど、今、こうしてセイリールの側にいるのが、私の出した答えなのだ。
 彼は、私の気持ちになど欠片も気づいてくれないのに。
 セイリールは天才と呼ばれるほどの人ではあるが、絶望的に人の感情の機微を察知するのが下手なのだ。
 彼相手に、察してくれは不可能。説明すれば分かってはくれるが、自分から気づいてくれるのを待つのは悪手でしかない。
 彼とは長い付き合いで、それくらいは理解している。
 その上で私は、セイリールに『好き』とは言わないことを決めていた。
 だって友人としか思っていない女から告白されたところで困るだけだろう。それに振られるのが分かっていて告白できるほど、私は心が強くない。
 振られて今の関係が壊れてしまうよりは、現状維持を狙いたい。
 ずるい考えだが、セイリールの側にいられる今の立場を失いたくないのだ。
 いつまでこの関係を維持できるのかも分からないのに。
 知っている。私もそうだが、セイリールだって適齢期。
 そろそろ結婚話が出てきてもおかしくない頃合いだ。幸いにもまだ私に縁談はないが、国王の相談役を務めるセイリールに婚約者をという話はあっても不思議ではない。
 貴族にとって、恋愛と結婚は別物。
 失恋に傷ついているセイリールだって、おじさまたちから話があれば検討くらいはするだろう。それは私もそうだ。
 父が婚約者を用意するのなら、「はい」と言って受け入れなくてはならない。
 そしてそうなれば、今の関係は終わりを迎えてしまうわけで。
 先が見えているのに、今にしがみ付くなど愚かしいことだ。それなのに私はずっと目を逸らし続けている。
「……この関係がずっと続けば良いのに」
 セイリールには聞こえないように呟く。
 私の愚かな願いはきっと聞き届けられないと分かっていた。

                                    ◇◇◇

「レイラお嬢様。ノルン伯爵家の家令が訪ねてきたようですが」
「また?」
 セイリールを連れ帰ってから一週間。
 自室で読書を楽しんでいた私は、メイドに声を掛けられ本を閉じた。
「前回連れ戻してから一週間か……ずいぶんと早いわね」
 本を置き、椅子から立ち上がる。
 前回、セイリールを迎えに行った時、調子が悪そうだとは思ったが、やはり回復しきっていなかったらしい。
 我慢できず、誰もいない場所に飛び出していった……というのが正解だろう。
「仕方ない、か」
 事情を知っているだけに怒れない。いや、「またか」とは思うのだけれど、大分ストレスを抱え込んでいるのだろうなと分かるだけに、それ以上は言えないのだ。
 二階にある自室から出て、玄関ロビーに繋がる大階段を下りる。玄関ロビーでは、セイリールの家の家令が申し訳なさそうな顔で待っていた。
「レイラ様」
「……またセイリールが蒸発したの?」
「……はい」
 肯定の返事を聞き、苦い顔をした。多分、今回は前回とは違う場所にいるだろう。
 昔から不思議と彼がいる場所が分かるのだ。
 これが更にノルンのおじさまたちに頼られる要因のひとつとなっていると理解しているが、分かってしまうものは仕方ない。
「分かったわ。セイリールを迎えに行く」
「いえ、あの……その前に、旦那様と奥様に会っていただきたいのですが」
「え、おじさまたちに?」
 山登りの準備をしようと身を翻した私を家令が止めた。振り返ると、彼は深々と頭を下げている。
「はい。レイラ様にお話があるということで。セイリール様を迎えに行く前に、こちらの屋敷に立ち寄って欲しいと……」
「構わないけど……何の用事かしら」
 セイリールを見つけに行く前に来て欲しいとは、よほどの緊急案件なのだろうか。
 不思議に思ったが、ノルン伯爵家は近所で、負担になるような距離でもないので頷いた。
 両親に出掛けることを告げ、執事と一緒に屋敷を出る。
 玄関にはノルン伯爵家の紋章が掲げられた馬車が停まっていた。思わず目を丸くする。
「……これって」
「どうぞ。こちらの馬車にお乗り下さい」
「?」
 歩いて五分ほどの距離にあるノルン伯爵家に向かうのに、わざわざ馬車を使うのか。
 なんだかいつもとは違う感じに戸惑いはしたが、特に断る理由もないので馬車に乗った。
 すぐに馬車は走り出し、ノルン伯爵邸の入り口で停まる。
 馬車から降りるとすっかり見知った使用人たちがずらりと並び、私に向かって頭を下げていた。
 異様な空気に酷く戸惑う。
 今まで気軽な近所づきあいをしていたので、こういう対応をされたことがなかったのだ。こうなってくると、おじさまたちの話を聞くのも不安になってくる。
「レイラ様、どうぞこちらに。旦那様がお待ちです」
「え、ええ……」
 案内されたのはノルン伯爵邸の応接室だ。
 何度か訪れたことがあるそこに入ると、中にはおじさまとおばさまが待っていた。