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最強辺境伯さま(※ただし、DTヘタレです!?)は捨てられ令嬢をひたすら真摯に愛したい 2

第二話

 

 アスタリオンが治めるフォレスト領は、メルディス王国の東に位置する辺境区だ。
 トナール王国、キンリー王国と国境を接しているため、太古から小競り合いの絶えない紛争地でもあった。
 ゆえに領主の城は巨大かつ堅牢な城砦であり、フォレストの街のみならず、メルディス王国全土を守る要衝なのだ。
 その重要な土地を預かるフォレスト辺境伯は、国王から特別に『地方君主』として自治権が与えられており、ほぼ独立国家だ。ただ、君主としてのさまざまな特権と引き換えに、必ずここで外敵を撃滅するという重い責務を負っている。
 そのため、城砦司令官でもあるフォレスト辺境伯は、領主として民を統治する能力に加え、騎士団を統率する能力、国境を守り外敵の侵入を防ぐ戦略・戦術家としての能力、それらすべてを兼ね備えている必要があった。
 現在その能力を持つ者が、前辺境伯ザクトルのひとり息子、アスタリオンである。
 彼が十五の年、今から九年前に近隣諸国との間に小競り合いがはじまり、少々規模の大きな戦へと発展してしまった。
 その戦で一兵卒として初陣を果たしたアスタリオンだったが、二年、三年と戦が長引く間にめきめきと実力を発揮していき、十八になる頃には、己の才覚だけで騎士団幹部へとのし上がっていった。
 指揮を執れば緻密極まりない戦術で敵を撹乱、壊滅したし、戦場に出れば、総大将であるにも拘らず、誰よりも多くの首級を挙げる。
 虫も殺しそうにない典雅な容姿の青年は、いつしか『フォレストの告死伯爵(デァトート)』などという、本人的にはかなり恥ずかしい二つ名で呼ばれるようになっていた。
 大小の戦を繰り返し、勃発から五年後にようやく終戦を迎えると、負傷した父の後を継いで正式にフォレスト辺境伯となった。
 すると今度は、メルディス国王の名代として和平条約締結に駆け回る日々に忙殺された。
 おかげでここ数年は平和が維持されている。まさにアスタリオンさまさまといったところだ。

 ――要するに、フォレスト辺境区はむくつけき尚武の国である。
 男たちは農民も商人も関係なく、戦になれば、誰もが屈強な兵士や騎士となる剛の者揃いだ。
 女も、男不在の戦時下を支えるために、剣や槍を手にしてきた剛の者ばかりだ。
 そんなお国柄ゆえか、フォレストの人々は男女関係なく、身体も声も大きく豪胆なのだ。
 フォレスト辺境伯の息子として生を享けたアスタリオンは、幼い頃から屈強な男たちに徹底的に揉まれ、鍛え上げられて育った。
 顔面こそ大変雅で玲瓏にして麗しいが、荒々しい集団の中心にいるアスタリオンこそ、根っからの剛の者である。
 ただ、母親を早くに亡くして女性と関わる機会が少なかったせいか、どうにも女が苦手だった。
 彼の乳姉弟リルエルのように、女だてらに剣を振り回す豪快な女傑ならまだしも、しなを作って擦り寄るような相手に出会ったら、脱兎のごとく逃げ出すだろう。
 奥の院に鎮座まします姫君など、苦手中の苦手だった。
 そんなアスタリオンが、修道院で行儀見習いまでしていた公爵家の令嬢を妻に迎えるだなんて、無理が過ぎる。
 やはり今からでも撤回させたほうがいいかもしれない。
 考え込んだ挙句に怖じ気づいたアスタリオンは、そう命じて話を白紙に戻そうとしたのだが、どうやら遅きに失したらしい。
「アスタリオンさま、とうとう奥方をお迎えになられるのですね!」
「公爵家のお姫さまだと聞きましたぞ! さっそく領地に早馬を出しておきました。すぐにでも準備を始めなくてはなりませんな」
 気の利きすぎる家臣たちは、とっくにアスタリオンの退路を断っていた。おそらく、髭モジャの計略だろう。
 どうやら、一番避けて通りたい事態に直面してしまったらしい。アスタリオンは頭を抱え、唸った。

   *

 それから一ヶ月後。
 ミュザは公爵家の紋章が入った箱馬車に揺られ、東へと向かっていた。
 目的は嫁入り。行き先はメルディス王国東部のフォレスト辺境伯領だ。
 王都から馬車で十日ほどかかるというが、一日一日の経過が、まるで死刑宣告を受けた罪人に残された日々のように感じた。
(辺境伯さまは『フォレストの告死伯爵(デァトート)』って言われてるって……)
 婚約者は、戦場の英雄だ。
 数年前まで続いていた戦では、誰よりも多く敵の首を取ったともっぱらの噂だ。たった一度見(まみ)えただけだが、あの巨漢ならば、さもありなんという気がする。
 それに引き換え、自分はどんなに取り繕ったって『エブロス公爵令嬢』なんて立派な存在じゃない。
 それどころか、髪や目の色が同じだったために、たまたま娘役として白羽の矢が立っただけという可能性もある。
 どんなに上等で上品なドレスを着せられても、美しい宝石を与えられても、まるで木偶人形が着飾っているみたいな滑稽さだ。
 真実を知られてしまったら、辺境伯のあの大きな手で打たれるか、一刀のもとに首を刎ねられるか――自分こそが死を告げられるのかもしれない。
 想像して、涙を堪えるのに必死だった。
 これから先、常に正体を暴かれる恐怖と戦わなくてはならないのだから。
 獄門へと近づく日々を恐れながら過ごしているうちに、とうとうフォレスト辺境伯領の街へとたどり着いてしまった。
「あそこが、フォレストのお城……」
 深い森を抜けた先に、堅牢な城壁に囲まれた街が見えてきた。豊かな緑の中に突如として現れた石の街だ。
 ぐるりと高い城壁に囲まれた街の奥に威容を放つ城が見えるが、あれが辺境伯の居城であるラザス城だろうか。国境を流れるウラーユ川を見張るようにそびえ立っている。
 あの中にはたくさんの兵士が駐留していると聞いたことがあった。
 物々しい跳ね橋が見えてくると、ミュザは圧倒され、やがてぽかんと口を開けた。
 ここへやってくるまで抱えていた不安さえ忘れるほど、城砦都市フォレストの姿は壮大で、無骨な美しさがあったのだ。
 戦時中ではないから跳ね橋は常に下ろされているものの、そこには多くの兵が詰めている。出入りするのはかんたんではなさそうだ。
 跳ね橋の向こうには、整然とした石畳の道や、格式ばった街並みが広がっている。
 無骨だがどこか純朴な雰囲気もあり、街の中心へと近づいていくと人の姿が多くなって喧騒が増した。みな忙しそうに、でも明るい表情でくるくると働いている。
 辺境というくらいだから、ミュザが暮らしていた地方の修道院のようにさみしい場所だと思っていたが、想像とはまったく違う。
 王都とは趣が異なるが、ミュザの知らない大都市だった。
「すごい……」
 見るものすべてが珍しい。尖塔群の後ろの空は青くて美しく、さっきまでの憂鬱はどこへやら、自然と胸が弾む。
 市場にさしかかった。店頭には色とりどりの野菜や果物が積まれ、干した魚や薫製肉もたくさん並んでいるのが馬車から見える。お茶を飲めるカフェーも、きれいな布を売る店も、昼間なのに盛況な酒場もある。
 国境沿いにあって、常に紛争にさらされている危険な場所だと教わったが、住人たちの表情を見れば、ここがどんなに豊かな街であるか一目瞭然だ。
 紛争地帯といえばそうだが、逆に平和なときであれば、異国の品物がたくさん入ってくるということだ。運河もあるから、国境を接していない国とだって商売ができるだろう。
 実際、辺境伯は交易にも力を入れていると教わってきた。
 やがて、ミュザを乗せた馬車はラザス城前に到着した。城の周囲には堀があり、やはり城内に入るための跳ね橋を渡らねばならない。
 立ちはだかるようにそびえる巨大で頑丈な城砦は、住民たちにとっては頼もしい姿に映るだろうが、この中に入ったが最後、ミュザは二度と生きて外に出られないかもしれない。
 たちまち弾んだ気持ちに冷や水を浴びせられてしまった。
 広大な中庭を抜けると、たくさんの人々が待つ城の入り口に到着した。
 エブロス公爵家から付き添いでやってきたロザリーが先に挨拶をすませ、ミュザを馬車から降ろす。
 そこに居並ぶ人々を見た彼女は、胃がぎゅっと縮むのを感じて唇を引き結んだ。男性も女性も背が高い。男性はとくに、身体つきのしっかりした大柄な人ばかりだ。
 でも、その中に辺境伯の姿はなかった。
「遠路はるばるようこそおいでくださった、ミュラ嬢。私はアスタリオンの父ザクトルだ」
 真っ先に声をかけてくれたのは、真ん中に立っていた白髪の紳士だった。ということは、この人がミュザの義父になるのだ。
 ずば抜けた長身で体格もいいが、顔はとてもやさしそうなのでほっとする。杖をついているが、戦で負傷したと聞いていた。
 だが、間違った名前で呼ばれた気がした。訂正したほうがいいのだろうか。それともただの聞き間違いか。
 迷ったものの「よろしくお願いします」と蚊の鳴くような声で答えるのが精一杯で、訂正はできなかった。
 その様子をもどかしい気持ちで見ていたのだろう。ロザリーがすかさず訂正した。
「お嬢さまのお名前はミュザでございます」
「あっ、これは失礼をした。ミュザ……?」
 ザクトルは黒い瞳を軽く瞠り、隣の男性を振り返ったが、彼も首を傾げている。
「とにかく、お疲れでしょう。大旦那さま、お話は中でゆっくりいたしましょう」
 そう言ってミュザを城の中に誘ってくれたのは、濃い艶やかな栗毛をキリッとまとめた、お仕着せ姿の若い女性だ。二十代半ばくらいだろうか。
「はじめまして、私はリルエルと申します。お嬢さまの侍女兼護衛を務めさせていただきます。不自由がございましたら、何なりとお申し付けくださいまし」
「護衛、ですか?」
「ええ。フォレストでは戦がはじまると、男も女も関係なく戦います。あっ、もちろんお嬢さまに剣を取れだなんて言いませんからご心配なく。それに、アスタリオンさまの統治よろしきを得て、現在のフォレストは王都よりも平和で安全な街ですから、危険はそうそうありません」
 ニカッと笑うリルエルも背が高く、女性にしては身体つきもしっかりしている。
 ここへ来るまでに見た街の人々も大柄な人が多かった。きっとフォレストの人々の特徴なのだろう。
 しかし、彼女のざっくばらんな口調のおかげで、緊張がすこし解れた。ここでもエブロス公爵邸にいたときのような、束縛に近い上品さを求められたらと思うと、気が張って仕方がなかったのだ。
 だが、背後に控えるロザリーは、リルエルの口調がお気に召さなかったらしい。
 彼女が説教じみたことを言い出すのではないかと察したミュザは、くるっと振り返ってロザリーに頭を下げた。
「ここまで同行してくれてありがとう、ロザリー。王都まで気をつけて帰ってくださいね」
 公爵令嬢っぽく言って笑ってみせる。するとロザリーは鼻白んだ様子を見せたものの、元々思い入れも何もない孤児にこれ以上関わる気がなかったのだろう。
「ではここで失礼いたします。お父上のお言葉、しっかりお守りください」
 フォレストの人々が驚くほどあっけなく、公爵家の馬車はミュザひとりを置いて城を後にした。
「では参りましょう、お嬢さま。ご案内いたします」
 城のサロンへと招かれ、重厚なソファにちんまりと座ったミュザは、お菓子やお茶を勧められるがままに口にした。
 でも、緊張しすぎていて味はあんまりわからない。
「リルエルさん、フォレスト辺境伯閣下は……」
 一向に姿を見せない婚約者に、不安が募った。
 顔を見たら見たで、あの顎髭の巨漢に圧倒されて声など出なくなってしまうだろうが、いなければいないで余計な心配を煽られる。
「それが……アスタリオンさまは領地の巡回に出かけておりまして。戻り次第、すぐにご挨拶させます。申し訳ありませんねえ、ご婚約者さまがいらっしゃるというのに公務など。本当に失礼な男で」
 歯切れ悪くリルエルは言い、ごまかすよう次々にお菓子を並べた。
「いえ……ご領主さまですもの、お忙しいと思いますから」
「ありがとうございます。それと、私のことはリルエルとお呼びください。すこし休まれましたら、お嬢さまのお部屋にご案内いたします。お疲れでなければ、城内もぜひ見て回りましょう。全部回るのは一日では無理ですが、生活動線だけでも覚えてくださいな」
 その後、アスタリオンの父ザクトルが訪れ、息子の非礼を詫びたが、ミュザは微笑して首を横に振った。
 彼と会ったのはもう一ヶ月以上前で、恐ろしげな顎髭の巨漢という印象だけが膨れ上がっている。実を言えば、まったく会いたくはない。
 辺境伯はこの巨大な城砦都市において、国王と同等の存在と聞いているし、その妻ということは、もちろん後継ぎを望まれることだろう。
 修道院では出産の手伝いをしたこともあるし、子供がどのようにできるかは知っている。閨の作法も、公爵家できっちり教えられてきた。
 ただ自分にそんなことができるのか、すでに恐怖心に押し潰されかけている。あの大きな人にのしかかられた瞬間、気絶する自信ならあった。
 ところが、ミュザがやってきた日にアスタリオンが現れることはなかった。そして、その翌日も姿を見せない。
 そのせいか、リルエルをはじめとした侍女や使用人たちの態度が、どんどんよそよそしくなっていくのが手に取るようにわかる。
 もちろん、表向きはとても歓待してくれているが、どこか避けられていると肌で感じた。
 初日は領地内の巡回と言っていたが、ミュザが王都から到着する日はあらかじめわかっていたのだから、あえてその日でなければならない仕事ではないだろう。
 今日だって、使用人たちは要領を得ない言い訳をして、辺境伯の不在をごまかしている。
(もしかしたら、偽令嬢ってばれているのかも……)
 辺境伯は天才的な戦略家にして戦術家だとも聞く。もしかしたら、ミュザがエブロス公爵家の娘ではない可能性を、とっくに見抜いているのかもしれない。
 だいたい、いくら修道院にいたと言ったって、公爵家の娘が行儀見習いに上がるために髪を切るはずがないのだ。公爵の言い訳は、実際かなり苦しい。
 そんなエブロス公爵のやり方に腹を立てて、アスタリオンは彼女の前に姿を見せる必要なしと判断しているのでは――。
 城内の廊下には、たくさんの鎧や剣、槍が飾られている区画があるが、そこを通るたびに、あの鋭い武器で殺されてしまうのではと、不安だけが掻き立てられた。
「お嬢さま、お顔の色がすぐれませんが、大丈夫ですか?」
 リルエルに顔を覗き込まれ、ふるふると首を横に振った。でも、視界の隅に鋭い槍の先端が入ったので、あわてて顔を背けた。
「あ、もしかして、鎧や武器が怖かったですか? 片付けましょう」
「いえ、とても大事なものですから、このままにしてください」
 自分のためにこの城の規律を乱してほしくない。フォレストの人々が、ますます自分に悪感情を抱くかもしれないから。
 不安が高まりすぎて、思考も暗く落ち込みがちになっていた。