キスしてイチャつかないと出られないシンデレラ迷宮で因縁の騎士団長と初恋をやり直します! 1
第一話
――ウソでしょ……!?
エリシア・ベルモントは、正面に立つ相手を見つめたまま、完全に動きを止めた。
――こんなことって、本当にあるの!?
離宮の大広間、煌びやかなシャンデリアの光。
行き交う人々はみな若く、着飾った姿で頬を上気させている。大舞踏会の予行練習会とはいえその様子は本番さながら。期待に満ちた空気と熱気で体温まで上がりそうだ。
エリシアもそんな参加者の一人だった。
だが今日はいつもと容姿が違う。
変化魔法により、義理の妹リーシャの姿に『化けて』いるのだ。
リーシャは美しい少女だった。結い上げた金髪に、青い大きな目。整った顔立ちは会場の人々の目を一身に引きつける。舞踏会のために新調したドレスも可憐な仕立てで、薄桃色のふわりとした布地に、縫い付けられた真珠や宝石が輝いていた。
義妹であるリーシャに化け、身代わりとして王宮の大舞踏会に出ること。
それが魔法博士見習いであるエリシアに託された、今夜の任務だった。
魔女がシンデレラの身代わりだなんて。寓話でも聞いたことがない。それでも家族のためにと引き受けたエリシアだったが、こんな事態は予想外だ。
正面から歩いてきた王子が首を傾げる。
「どうし……どうされました?」
茶色の髪に日焼けした肌、整った容姿。その顔。
表面上は確かに「サンドリヨン王国第二王子アマデオ」に見える。
いや、違う。
これは、別人だ。
エリシアと同じように、別な人物が魔法で王子に化けているのだ。
その人物に、エリシアは見覚えがあった。あるどころか、忘れたことはない。
――ま、まさか、あの男……ジルベルトが、どうして王子に化けてるの!?
うっすらと透けて見えるその正体は、この五年間忘れたくても忘れられなかった騎士、ジルベルト・グローリーのもので!
エリシアの視線に相手は眉を顰め、すぐにハッと表情を強張らせた。
「……お前の、その姿は……まさかエリシア・ベルモント!?」
二人の困惑と驚愕を切り裂くようにファンファーレが鳴り響く。
「それではこれより――シンデレラ大舞踏会の、予行練習会を始めます!」
◆ ◆ ◇ ◆ ◆
――予行練習会の五日前。
「リーシャが呪いに掛かったって、本当なの!?」
昼下がりの応接室に必死な声が響き渡った。
サンドリヨン王国、王都サンドリア。
ベルモント伯爵の街邸宅(タウンハウス)は王都の目抜き通りの奥にある。
この時間帯は大きな窓から陽射しが降り注ぎ、通りの喧噪も耳に心好い。いかにも春らしい、明るいそよ風が館の中にまで吹き込んでくる。
だが旅装姿のままのエリシア・ベルモントは、その場に似合わぬ困惑と緊迫を纏っていた。
「しいっ、声が大きいわよ!」
出迎えてくれたのは義母のカーラだ。さすがにベルモント伯爵家の女主人だけあって、こんな事態にも落ち着いて見える。エリシアはようやく我に返り、思わず自分の口を自分の手で塞いだ。そっか、リーシャのこと、まだ周囲には秘密なんだっけ。
「ご、ごめんなさい、昨夜いただいたお手紙の内容が、あまりに衝撃的だったので」
エリシアの手にはカーラからの手紙が握られている。
――エリシアの義妹リーシャが呪い(のようなもの)に掛かった。
――あなたの力を借りたい、すぐに帰ってきてほしい。
そんな内容の速達がエリシアの通う北大陸魔法大学へ届けられたのだから、飛び上がって驚いたのも無理はない。担当教授に事情を話し、とりあえず身の回りの物だけを持って、エリシアは空飛ぶ翼馬車に飛び乗ったのだ。
「分かるわ。私も最初はびっくりしたもの。でも医師や魔法師の先生によれば、緊急性はないそうよ。実際、身体的に困る病状が出ているわけではないから」
自分自身を安心させるようにカーラが言う。彼女も心の中の混乱を抑え込んでいるのだ。エリシアは混乱する気持ちをなだめつつ、ゆるゆると息を吐いた。
「あのリーシャが……まだ信じられません。手紙で伺った『呪い』も聞いたことのないものだし」
「私たちもいまだに信じられないけど、まずは見てもらうのが早いわね。到着早々で申し訳ないけど」
「もちろん! そのために急いで帰ってきたんですから!」
「ありがとう、本当に頼りになるわ……」
カーラがニッコリと笑う。その笑顔はエリシアが小さい頃から慣れ親しんだもの。ようやく実家に帰ってきた実感が湧き、少しだけ肩の力が抜ける。
「それにしても、手紙の内容は本当なのですか? 大舞踏会の準備会で、そんな呪いが続出したなんて。王都の中はいつも通りのように見えましたが」
「王家は箝口令を敷いたから、表向きは騒ぎになってないの。でもあの会に参加した人々はみんな上よ下よの大騒動よ。だって参加者が何十人も原因不明の症状に陥ってしまったんだから」
とにかく、とカーラは少し疲れた表情でエリシアを見た。
「あなたさえ良ければ、まずは……彼女の部屋に行きましょうか」
「え、ええ」
踵を返してカーラが歩き出す。エリシアは旅装姿のまま、緊張した面持ちでその後に続いた。
サンドリヨン王国はとある有名事件の舞台として童話世界によく知られている。
シンデレラがガラスの靴を落とし、王子と大恋愛を繰り広げた、あの事件。
その舞台がまさにこの王国だったのである。
それまではモラン王国という地味な小規模貿易国家だったが、シンデレラの一件で国の知名度は一気に上がった。王子が国王になり、シンデレラが王妃となってからは、美しく優しい彼女を一目見ようと王宮へ人が集まり始めた。
結果的にそれは社交界を育て、基幹産業である貿易業を大きく躍進させた。シンデレラ王妃も国王もかなりの『やり手』だったらしい。王国はあっという間に大きく有名になり、やがて王妃が亡くなったとき、王国はそれまでの国名を『サンドリヨン王国』に改めるまでになった。
こうして有名になったサンドリヨン王国は、社交界や国際会議の舞台として華やかな躍進を続けた。国庫は潤い、文化活動も充実。王宮では毎週のように舞踏会が開かれるようになった。
豪奢な国家行事は周辺産業も潤わせる。特に宝飾品・服飾関連は非常な成長を示し、王家御用達のドレステリア『サンドリヨン・クチュリエール』は各国子女の憧れの的となって全大陸で流行を作り出すまでになった。
そうした王国の最大の象徴が、一年に一度開かれる『シンデレラ大舞踏会』だ。
水晶ガラスで作られた離宮を使い、千名を超える人々が参加する一大国家行事。周辺諸国の貴族子女たちが社交界デビューするためのお披露目会も兼ねており、参加者には事前にシンデレラにあやかった水晶ガラスの靴が配布される。少女たちは頬を染めて相手役にその片方を拾ってもらい、そのまま幸せな恋人同士になれる場合も多いのだとか。いわばシンデレラの再現というわけだ。
だから少女たちはこぞって大舞踏会への参加を熱望し、自分もシンデレラに……『舞踏会の主役』になれるよう、星空に祈る。
エリシアの義妹であるリーシャもまた、十八歳になった今年の大舞踏会で華々しくデビューするはずだった。
「エリシア、足の具合はどう? 見た感じはずいぶん良さそうだけど」
二階への大階段を昇りながらカーラが振り返る。エリシアは悶々とした思考を振り払い、小さく微笑んだ。
「骨の長さが左右で違うのは生まれつきだし、これは変えられないですから……今は最新魔法で片方の足を補って、他の人と同じような速度で動けるようにしています」
「今歩く姿からはまった分からないものね。本当に動きが自然だわ。さすが魔法博士」
「や、やめてください! それに私はまだ『博士見習い』で」
「でも次の秋に論文と実技が通ったら大学史上最年少で魔法博士になれると言っていたじゃない? さすが天才エリシア!」
無邪気に喜ぶカーラに、エリシアはほんの少しだけ頬を染めた。嬉しいような、くすぐったいような気持ちになる。
エリシアの家族関係は少し複雑だ。生家であるベルモント家はサンドリヨンの中堅貴族であり、父は若い頃から外交官として他国を飛び回っていた。生母は貴族の出身だったが身体が弱く、出産後はすぐに亡くなってしまったという。
エリシア自身にも生まれつきの障碍がある。
この足だ。
右足が少しだけ左足よりも長いので、そのままだと片足をわずかに引きずるような歩き方になる。
小さい頃は杖をついていたので、からかわれたりして嫌だった。やがて良い魔法師に出会い、補助の術を定期的にかけるようになってからはほとんど目立たなくなったが……それでも足の長さは変わらないし、心の傷も残る。
そんなエリシアを励まし、支えてくれたのが義母のカーラだ。
『あなたにはあなたの良いところがいっぱいある。それでも気になるなら、その弱点を補えるような術を身につければいいじゃない?』
ベルモント家の会計士だったカーラと父が再婚したのが、エリシアが五歳の時。平民の出身であることを気にもせず、前向きでさっぱりしたカーラの考え方は、エリシアの後ろ向きな性格に光をもたらしてくれた。
再婚の二年後に生まれたのが義妹のリーシャだ。
こちらも明るく優しく天真爛漫な性格で、エリシアの後をついて回り、いつでもニコニコと慕ってくれた。
父親は同じなのに、二人の容姿は大きく違う。
リーシャは金髪に青い目、白い肌。道を歩けば皆が振り向くほどの絶世の美少女。
対してエリシアの容姿はパッとしない。くすんだ灰色の髪に紫の目。透けるような肌にはそばかすが浮いて、いつも眉間に皺が寄っている。
性格も違っていて、リーシャは無邪気だが飽き性で勉強が苦手。エリシアは冷静で知的、賢いが、裏を返せばかわいげのない性格だと言われてきた。
実のところ『シンデレラ』の義母のせいで、サンドリヨンでは義母や義姉のイメージがすこぶる悪い。カーラ自身もそれは分かっていて、特にエリシアとの関係には気を遣ってくれた。
リーシャも同様で、ともすればエリシアが悪役になりそうなところでは必ずかばってくれた。彼女自身がカーラに良く似て勝ち気でもあり、時にぐいぐいとエリシアを引っ張ってくれた。だからこそ、エリシアも自分を愛してくれるカーラとリーシャに報いるべく、勉強を教えたり、一緒に生活を楽しんだりした。
そしていつしか、自分のためだけではなく、リーシャや家族のために魔法が使えたら、と思うようになった。
それこそ、シンデレラに出てくる『善の魔女』のように。
その思いがエリシアを突き動かし、ついには大陸最高峰と言われる北大陸魔法大学の博士課程まで進ませたのである。
二階にあるリーシャの部屋は固く扉が閉ざされていた。
「リーシャ、入るわよ?」
カーラのノックにも返事はない。
ドアを開けたカーラに続き、部屋に入ったエリシアは息をのんだ。
「リーシャ……?」
昼なのに薄暗い部屋は、分厚いカーテンが閉ざされたまま。窓辺のベッドの上に、毛布をかぶった人影が座り込んでいる。
「リーシャ、エリシアが帰ってきてくれたわよ。あなたのために」
毛布の影が少しだけ動き、ゆっくりと白い顔がこちらを向いた。
「おねえ……さま……?」
毛布から覗いた顔は確かにリーシャのものだ。大きな青い目に長いまつげ。白い相貌は人形のように整って、見たものすべてを魅了してしまうほどの美しさに溢れている。
けれどその容貌は記憶とまるで違う。
絹糸のようだった金髪は乱れ、目の下にはクマまでできている。おまけにこの格好。いつものリーシャなら、こんなくしゃくしゃの夜着姿なんか絶対に人に見せないはずだ。
驚きを隠しつつ、エリシアは一歩を踏み出した。
「私よ、エリシアよ! 魔法大学から、あなたを救うために帰国したの!」
リーシャは一瞬、弱々しい笑顔を浮かべたが、すぐに頭を抱えて顔を隠してしまった。
「ああーっ、ダメです、こんな私ではお姉様に会う価値がないの! 頭も悪いし、つまみ食いも我慢できないし、いろいろ面倒くさくなってすぐに放り投げちゃうし……!」
「リ、リーシャ、落ち着いて」
「ダメダメなんですぅ! 私、ほんとにダメダメで!」
うわーん、と泣き崩れるリーシャを、お付きのメイド二人が必死になだめる。エリシアは呆然としながらカーラに顔を向けた。
「ど、どういうこと……?」
「見ての通りよ。大舞踏会の準備会から帰ってきて以来、すっかり後ろ向きな性格になってしまったの!」
「後ろ向きな性格に!?」
あんぐりと口を開けたまま、エリシアはリーシャを見下ろした。
確かにさっきの発言がすべて後ろ向きだ。価値がないとか、頭が悪いとかダメダメとか。
いつものリーシャとは正反対。そう……私みたい。
慌ててその気持ちを打ち消してから、エリシアはリーシャの足に目を留め、眉を顰めた。左足がパンパンに腫れ上がっている。
「この足は……」
「手紙でも書いたと思うけど、準備会での騒動からずっと腫れたままなのよ」
魔術の気配がする。エリシアは慌てて魔術検知眼鏡を取り出し、まじまじと足を見た。
「間違いない、ぼんやりと何か……術が込められてる。しかしあまりにもこれは……薄い……古い術式? 現代の魔法ではないわ」
「すごいわ、さすが」
だがそこまでだった。
「私の、私のダメダメな気持ちなんか、お姉様には分からないわよ、お姉様にはッ……!」
リーシャが何やらわめきながらこちらに枕を投げ、メイドが申し訳なさそうに視線で退出を促す。エリシアとカーラは急いで部屋を出たが、その背中をリーシャの叫びが追ってきた。
「こんな、こんな足じゃガラスの靴が履けない、シンデレラになんてなれない!」
「あなたがモテなかったら国民全員無理だと思うけど……」
エリシアのつぶやきに、カーラが頷きながらドアを閉める。閉ざされる寸前、ベッドの脇に乱雑に転がったガラスの靴が痛々しく目に焼き付いた。
「どう、分かってくれた?」
カーラの溜息に、エリシアも思わず重い表情になる。
「確かに……呪い、というよりも、魔法障害の気配がしますね」
「やはりそうなのね」
カーラが真剣な眼差しで頷いた。
「準備会の参加者三百人のうち、およそ五十名ほどが同じ症状らしいわ。超憂鬱な気分が抜けないとか、さっきのように『シンデレラになれない』『王子になれない』なんて呟いてるみたい。宮廷魔導師もあなたと同じ、魔法をかけられたことによる障害だと言っていたけど、どうしてそんな症状になったかは不明だって」
エリシアは考え込んだ。先程の症状。たしかに魔法の障害だとは分かるのだが、あんな症例は見たことがない。
「大変なことになりましたね。じゃあ今年の大舞踏会は……」
それが、とカーラは苦い顔になった。
「……大舞踏会は中止できないのよ」
「えっ、こんなことが起きたのに!?」
「王国にとってこのシンデレラ大舞踏会は国の象徴であり、社交界や舞踏会は貿易や観光業、国際会議に繋がる生命線なの。昨年までは先王の喪中だったから開催できず、国の収支にも大きな影響が出たと言われているわ」
「そんな……」
「なによりこの国はシンデレラ推しだから。あなたも分かっているでしょうし、私たちもうんざりしているけど」
ああ、とエリシアもジト目で頷く。
この国にはもともと、誇れるような基幹産業がなかった。貿易はそこそこ、海沿いだから土地は貧しい。誇れるものと言えば魔法水晶の産出くらい。国土も狭く、歴史的に有名な場所もない。
そこへ燦然と登場したのがシンデレラだ。
可哀相な生い立ちとその美貌、劇的な展開。王子との婚約から結婚、そして王妃となったアイドル的人物。今でも王国内でもてはやされるサンドリヨン風髪型やドレス、お菓子などはその後の彼女が考案したものだと言われている。彼女が亡くなったあとにサンドリヨン王国と改名したのもその流行を長続きさせたかったからだと言われていた。
いわば、シンデレラという存在に、その煌めきに、いまだに依存しているのだ。
「シンデレラのお陰でこの国は一躍社交大国となったの。その象徴たる大舞踏会を、よく分からない呪いだの魔術障害だので中止でもしたらどれだけ評判が落ちるか……だから全員に箝口令が敷かれてるってわけ」
「で、でもこんなワケの分からない状況で、リーシャも出られないんじゃ」
「だからあなたを呼んだのだけれど……」
カーラは少し迷った上で、潤んだ目でエリシアを見つめた。
「エリシア、こんなお願いをして申し訳ないのは分かってる。でも、もしあなたが良かったのなら……リーシャの代わりに大舞踏会に出て、原因究明に協力してほしいの」
「ええ!? 私が舞踏会に!?」
エリシアは素っ頓狂な声を上げた。リーシャの治癒や原因究明というならまだしも、なぜ舞踏会にまで!
実はね、とカーラは少し疲れたようにエリシアを見た。
「……舞踏会が開催される以上、我が家はどうしても欠席するわけにはいかないのよ。だって、リーシャの相手役は王子様なのだから」
えっ、とエリシアはさらに驚いた顔でカーラを見返す。
「リーシャの相手って、王子だったんですか!」
「以前のあの子からの手紙には書いてなかったのね? 引く手あまたのリーシャ嬢を射止めたのは、第二王子アマデオ様だったってわけ」
「アマデオっていう名前は聞いていたけれど、王子とは……!」
「こちらではアマデオ様といえば第二王子で通じるから、リーシャも特別に言わなかったのかもしれない。シンデレラ大舞踏会では毎年『今年の王子とシンデレラ』が設定されるのは知っているでしょう? みんなを導くリーダー、そして皆の憧れの存在として、今年はアマデオ王子とリーシャがそのお役目を仰せつかっているの」
「なるほど、それでリーシャはさっき『シンデレラになれない』なんて言ってたんですね」
そういう事情だったのか。道理で、いつも冷静な判断をするカーラがあんなに慌てた手紙を送ってきたわけだ。
カーラが深く息をつく。
「我がベルモント伯爵家はお父様が外交官だし、私は王妃様と親友と言っていいほどの親しいお付き合いをさせていただいてるわ。王妃様と私、同じように平民出身の後妻だから……他の人には頼めないお願いをしやすいのでしょうね」
シンデレラの輝かしい名前に反して、現サンドリヨン王家は少し複雑な事情を抱えている。国王は十五年前に王妃を失い、その五年後には落馬事故を起こす不幸に見舞われた。その後、言葉がうまく出なくなるなどの後遺症が残ったため、王太子を摂政として国内外の執務を任せ、郊外の離宮で療養生活を送っている。
そんな国王を献身的に支えたのは、一人の女性白魔導師だった。彼女の熱心な看護に国王は心身の健康を大きく取り戻し、後に白魔導師を後妻に迎えた。政略結婚続きのサンドリヨンで平民から王妃が出るのは珍しい。『シンデレラの再来か』ともてはやされたものだ。
だが進歩的な結婚であった一方で、王妃の立場の弱さも指摘されている。幸いにも王太子と婚約者との仲は良好なようだが、大貴族の後ろ盾がない、歴史的な裏付けのある地位がないというのは社交界においてはずいぶん肩身が狭いだろう。頼れる者も少ないのかもしれない。
「王太子はちょうど大舞踏会前の各国周遊中だし、心細さも余計なのよね。いま、王家を支えられる王族は、王妃様だけだから」
カーラは表情を少し緩めた。その眼差しが優しくエリシアに向けられる。
「王妃様もあなたの秀才ぶりは知っていてね、それで秘かにお願いされたの。五日後には次の『予行練習会』があって、無事だった参加者たちや前回不参加だった外国の客人たちもやってくるわ。そこへ出席して王子と共に健在ぶりを示し……その上で、せめて事件の切っ掛けなり、原因の一端だけでもいいから掴めないかって」
「王子との件は分かりましたが、事件の捜査は宮廷魔導師だって行っているでしょう。彼らもそれなりに実力者のはずですよ?」
「後妻、しかも普段は王宮におられない王妃様の言うことを、貴族ばかりの王宮職員たちが聞くと思う? あなたはいなかったから知らないと思うけれど、昨年末に先王様を王墓へ埋葬したときも、王妃様の座る位置でかなり揉めたんだから」
「なるほど、そういう混乱が……」
「アマデオ王子を軽んじる派閥までいるし、なかなか難しいのよ。王太子が国にいらっしゃればこんな余計な手回しはいらないのでしょうけど、外遊から戻られるのは二週間後だというし。我が家のお父様も同行しているから助力も頼めないわ」
エリシアは息をついた。内部事情で統率が取れていない。有力者の意見に左右されてしまう。よくある話だ。
もちろん、エリシアだって家族の力になりたいと思っている。あんなリーシャの姿を見た後ならなおさらだ。
しかし大舞踏会とは。
「そういう『詰んだ』状況だからこそ、あなたの知恵に縋らせてもらいたいのだけれど、まだ『舞踏会』に出るのはイヤ?」
カーラの言葉にエリシアはきゅっと手を握りしめた。
険しい顔つきのエリシアを気遣うようにカーラが覗き込む。
「ごめんなさいね、あなたの好きではないことをさせようとしているのは分かってる。でも……いつもの明るいリーシャがあんな風になっているのを見続けるのは、少し辛くて、あなたに頼ってしまったの……」
カーラは申し訳なさそうに言った。その目の下にはうっすらとクマができている。
無理もない。カーラにとって、リーシャは可愛い娘なのだから。
そしてエリシアにとっても……慕ってくれる、太陽のような妹だ。
エリシアは考え込んだ。そうだ、自分は愛しい人々の『善の魔女』になるために、知識と研鑽を積んだのではなかったか。その技術を使うのは、今ではないのか。
たとえ自分のトラウマがあるにしても。
そして大切な家族であるカーラも、自分の力を頼りにしてくれている。
拳を握りしめ、エリシアはきっぱりと顔を上げた。
「……分かりました。リーシャとカーラのために善の魔女になる、と決めた私ですから、確かにお引き受けします。リーシャの身代わりになって、事件の原因も探って来ます!」
「ありがとうエリシア!」
カーラが弾かれたような勢いでエリシアの手を強く握る。エリシアは大きく頷いた。
「あくまで学生なので、微力ではありますが……魔法博士見習いの力を信頼してくださって嬉しく思います。そうそう、本番までに解決できたのなら、大舞踏会には出なくてもいいんですよね?」
「ええ、もちろんよ! あなたに出てほしいのは五日後にある予行演習会なの。そこから本番までには二週間近くあるから、原因の一端だけでも分かったなら、解決の糸口になるわ! ああ、本当に頼りになるわ、ありがとう!」
感極まったようにカーラがエリシアを抱きしめる。そのぬくもりがくすぐったく、そして心地好い。カーラと最初に会ったときもこうしてくれたっけ。その気持ちに報いることができるのはエリシアにとっても嬉しかった。
「何をお礼にしたらいいかしら。サンドリヨン・クチュリエールの高級ドレスとか?」
カーラの笑顔にエリシアは慌てて首を振った。
「そ、それはいいから、王都の美味しいお店で私の大好きなチーズケーキをお腹いっぱいご馳走してください」
「あらまあ、それでいいの? お安いご用だわ!」
エリシアとカーラは顔を見合わせて微笑んだ。そうだ、愛しい家族の笑顔を守るために、私が頑張らなければ。エリシアは心の中で強く決意を固めた。