ご褒美はキスじゃ足りません!? 家庭教師令嬢は王太子殿下の甘すぎる求愛にたじたじです! 2
第二話
――わあ。
心の中で感嘆の声を上げる。
壁や天井、家具類に至るまで、どこもかしこも豪華で、なんだかピカピカしていた。
今の今まで、授業のことに気を取られ、あまり意識していなかったが、さすが王子の部屋だ。
――あ、あれ、百年前に亡くなった芸術家の作品……。
無造作に飾られている絵に気づき、目を見張る。この絵が一枚あれば、貴族が王都の中心地に大きな屋敷を建てることも可能だろう。それくらい価値のあるものなのだ。
ソファやテーブルも芸術品としか思えない逸品で、おそらく相当な値打ちもの。大理石で作られた暖炉は彫刻が美しかったが、多分これもどこぞの芸術家の作品なのだと思う。
どれもこれもが美しく互いを引き立て合っていて、部屋自体がまるでひとつの芸術品のように思えてきた。
――どこの王家もすごいわね……。
留学した際に、他国の王族の部屋を見る機会があったのだが、そこもこのような感じだったのだ。
私は侯爵家の娘で、それなり以上の贅沢をさせてもらってはいるが、やはり王家はレベルが違う。とはいえ、羨ましいとは露ほども思わないけれど。
贅沢ができるから幸せというわけではない。その分、私たちには想像もつかない責務や苦労があるのだと分かっている。
「――はい、できたよ」
「えっ……」
ぼんやりと部屋の内装を眺めていると、声を掛けられた。
ハッとして、声の主を見る。王子が私に答案用紙を差し出していた。
「できたって言ったんだ。まだ五分ほど時間はあるけど、別に早めに提出しても構わないよね?」
「は、はい。それはもちろんです。お疲れ様でした」
驚きつつも、王子から答案用紙を受け取る。
時計を確認すれば、ちょうど十分が経過したところだった。
――早い。
だけど、早ければ良いというものでもない。
大事なのは正答率だ。
そう思いながらも答え合わせをしていく。
癖のない、お手本のような文字は読みやすかった。
「――ええと……え、嘘」
全回答をチェックし終わり、目を見張る。
まさかの全問正解だった。
十五分ではとてもではないが終わらない量を捌ききっただけでなく、その全てで正解の回答。
冗談みたいな話に、思わず王子を見つめてしまった。
「え……?」
「うん? どこか間違いでもあった? 結構自信はあったんだけどな」
王子が首を傾げ、聞いてくる。慌てて口を開いた。
「い、いえ、間違いはどこにも。全問正解です……」
「あ、本当? 良かった。どこか勘違いでもあったのかと少し不安になったからホッとしたよ」
笑顔を見せる王子だが、私としては信じられないの一言だ。
だって、初日から全問正解してくるとか、一体誰が思うだろう。しかも、これは会話ではなく、筆記問題だ。
相当、勉強してきているし、予想していたよりも優秀とみて間違いない。
――お父様のおっしゃっていたことは本当だったのね……。
優秀だから大丈夫、なんて軽く言われた時には、そうだったらいいな、くらいにしか受け取っていなかったが、実際の王子ときたら、驚くほどに優秀だった。
これなら一年でエルメニア語を習得したいと言うのも理解できる。
「まさか満点だとは思いもしませんでした。もしかして、相当予習をされましたか?」
「予習は当然かな。難しい言語だというのは知っていたし、私には時間もないから。毎日執務が終わったあとに独学である程度は勉強しているよ」
「へえ……」
目的のために努力を惜しまない姿勢が素晴らしい。
どうやら私は、ものすごく優秀な生徒に当たったようだ。これは教える側としても気合いが入るというもの。
「殿下がここまでおできになるとは思ってもいませんでした。明日からは、もう少しレベルを上げた授業をしますね」
「あまり上げられるとついていけなくなるけど、君にがっかりされたくはないから頑張るよ」
「まさか。ご謙遜を」
「本当だって」
軽く返された言葉を聞き、これは相当自信があるなと察する。
うん、俄然、教えるのが楽しくなってきた。
父に話を聞いた時は、なんでこんなことにと思ったものだけれど、これだけできる人が相手なら、教師をするのも悪くない。
持ってきた本を片付けながら王子に言う。
「それでは、本日はここまでと致しましょう。また明日、今日と同じ時間に参りますが、宜しいですか?」
「それは構わないけど、帰っちゃうの? せっかくなんだ。一緒にお昼を食べて行って欲しいな」
「え……お昼、ですか?」
予想していなかったお誘いに目を瞬かせる。
王子は頷き、私に言った。
「うん。といっても、アフタヌーンティーだけどね。私たちは今日が初対面みたいなものだし、これからのことを考えれば、ある程度親睦を深めるのは大切だと思う」
「親睦……」
「必要でしょ?」
「……そう、ですね」
一年間、毎日顔を合わせることになるのだ。王子の言い分は間違っていないと思う。
「それではお邪魔させていただきますが、本当に構わないのですか?」
特に断る理由もなかったので了承すると、王子からは笑顔が返ってきた。
「もちろん。というか、最初からその気だったから、料理長には昨日のうちにお願いしてあるんだ。だから帰られてしまった方が困る。せっかく作ったアフタヌーンティーが一人分、余ってしまうわけだし」
「あ、それはまずいですね」
「でしょ」
どうやら断るという選択肢は最初からなかったらしい。
とはいえ、別に嫌というわけでもないので、有り難くご相伴に与らせてもらうことにした。
アフタヌーンティーは、王子の部屋でいただくこととなった。
既に準備が進められていたのだろう。王子が女官を呼び出すと、すぐに数名の女官たちがアフタヌーンティーを運び入れてきた。
……うん、断らなくてよかった。
暖炉前にある大きなローテーブルに、ケーキスタンドが二台置かれる。
一段目にはキッシュやサンドイッチ、小さなサラダなどが、二段目と三段目にはチョコレートがメインに使われたスイーツが並べられている。
ムースや生チョコ、マカロンやタルトなど、どれも一口サイズで食べやすそうだ。
女官のひとりが紅茶を注いでくれる。
林檎の甘い香りが広がった。
「良い匂い……」
「本日は、アップルティーをご用意しています」
説明を聞き、どうりで良い匂いだと頷く。
女官たちは準備を終えたあと、すぐに部屋から出ていった。
ふたりだけになったところで、王子が言う。
「どうぞ」
「ありがとうございます。どれも美味しそうで目移りしそう」
お礼を言って、セイヴォリーの中から、ローストビーフのサンドイッチを取り出した。
王子は別に置かれていたチョコレートのスコーンを手に取っている。
なんとなく、聞いてみた。
「甘いもの、お好きなんですか?」
「まあね。仕事柄、頭を使うことが多いからかな。どうにも甘いものに飢えちゃって」
「へえ……」
「特にチョコレートはいいよね。糖分が頭に染み渡る気がする」
目を瞑りながら、スコーンを味わう王子。本当に堪能しているようだ。
楽しそうに食べる姿に笑みが零れる。
私もサンドイッチを食べ、アップルティーを飲んだ。
優しい林檎の香りに癒される。
「美味しい……」
「喜んでもらえてよかった。そのお茶、実はエルメニア王国からの輸入品なんだよ」
「え、そうなのですか?」
「うん。エルメニア語を教わることだし、エルメニアに関連する何かを出したいなと思って、料理長にお願いしたんだ」
「……へえ」
「チョコレートもエルメニア産のものを使ってる」
それはかなりの拘りだ。
私は一番上のお皿から四角い形をした一口サイズのチョコレートをとり、口に入れた。
どこか懐かしい味に、嬉しくなる。その気持ちのまま、王子に告げた。
「ご存じかもしれませんが、去年、エルメニア王国に留学に行っていたんです。その時食べたチョコレートを思い出しました。ふふ……懐かしい。ありがとうございます」
エルメニア産のチョコレートは、高級品なのだ。
何せ、エルメニア王国は海を越えた先にあり、輸送料が高額になってしまうから。
そのせいもあり、なかなか市場には出回らない。
父に言えば手に入るのだろうけど、そこまでしてもらいたいわけでもない。
そういう存在だっただけに、ここで口にすることができたのが嬉しかった。
ニコニコしていると、スコーンを食べていた王子が手を止めた。
じっと私を見つめてくる。
「殿下?」
「……知ってる」
「?」
何のことだと首を傾げる。王子は過去を懐かしむような顔をして言った。
「君がエルメニア王国に留学していたことは知っているよ。だって、エルメニアにいる君を見かけたことがあるからね」
「えっ……そうなのですか? ど、どこで?」
吃驚した。
だって私の方にそんな記憶はどこにもない。焦りつつも尋ねると、あっさりと答えが返ってきた。
「エルメニア王国の王宮」
「……なるほど」
それなら納得だ。
実は私は、エルメニアの王女と友人関係にあり、留学当時は頻繁に王宮に出入りしていたから。
父の仕事の関係から知り合ったのだけれど、彼女のことは今も良い友人だと思っている。
しかし、まさか自国の王子とニアミスしていたとは。
全く気づいていなかった己が恥ずかしく、穴があったら入りたかった。
外務大臣の父を持つ娘としてもあり得ない。
私は小さくなりながらも頭を下げた。
「も、申し訳ありません。殿下がいらっしゃることに、まるで気づきもせず……」
「別にいいよ。私もお忍びで来ていたしね。それにちらりと見かけただけだから」
「お忍び、ですか」
「目的は秘密。それとも知りたい?」
「い、いえ……、大丈夫です」
気にならないと言えば嘘になるが、知りたいなんて言えるはずもなかった。
「そう。……その時の私はエルメニア語ができる通訳を使っていたんだけどね。そこで見かけた、明らかに年下の君が、流暢にエルメニア語を操っているのを見て驚いたんだ。君がエルメニア人でないことは見れば分かるし」
トロントライン人とエルメニア人では肌の色が違うのだ。
エルメニア人は肌に黄みがあり、トロントライン人は青白い。
あと、エルメニア人は黒髪黒目が国民の九割を占めていることでも知られている。
そういうところからも判断することができたのだろう。
「なるほど。……ん? でも私の素性はどこで?」
見かけただけでは、私がどこの誰かまでは分からないだろう。そう思ったのだが、答えはあっさり返ってきた。
「私が使っていた通訳が知っていたんだよ。君と一緒に仕事をすることもあるって言ってたけど」
「ああ……!」
今度こそ納得した。
私が父の仕事に同行する時には、大抵もうひとりかふたり、別に通訳がいるのだ。
彼らとはそれなりに顔を合わせているので、向こうもこちらを知っている。
大きく頷くと、王子は紅茶をひとくち飲んでから口を開いた。
「彼らに君のことを聞いてね。驚いたんだ。私よりみっつも年下なのに、八カ国語を操る才女。こんな女性もいるんだなって。そこからなんとなく君のことが忘れられなくて、今回、エルメニア語習得の話になった際に、君の名前を出させてもらったんだよ」
「えっ!? 殿下が? 今回指名を下さったのは陛下だと父からは聞いているんですけど」
まさかの話に驚いた。
王子が紅茶を飲みながら当時のことを思い出すように言う。
「私が父に直談判して、その結果折れた父が君を指名した……という流れかな。父は怒っていたけどね。エルメニア語の教師なら他にいくらでも優秀な者がいるのにって」
「……そうでしょうね」
私も同じことを思った。
確かに私はエルメニア語をそれなり以上に話せるが、家庭教師をした経験なんてこれまで一度もなかったから。
そんな素人に王子の教師は普通頼まないだろう。
国王の判断は正しいと思う。
「どうして私だったんですか?」