ご褒美はキスじゃ足りません!? 家庭教師令嬢は王太子殿下の甘すぎる求愛にたじたじです! 3
第三話
私が選ばれたのは王子の希望だということは分かったが、なんとなく覚えていた程度で父親に直談判までするだろうか。
疑問に思って聞いてみると、王子は柔らかい笑みを浮かべながら言った。
「君がいいなって思ったから、じゃ駄目かな。君となら一年という短い期間でもエルメニア語を習得できると思えた。だから、なんだけど」
「そ、そう、ですか……」
理由になっていないような気もしたが、『こうすればやれる気がする』と本人が感じるのは大事なことだ。
私のどこにその価値を見出してくれたのかは分からないが、彼が私とならやれると思ってくれたのなら、応えるのが仕事を請け負った私のすべきことだろう。
私は胸に手を当て、軽く頭を下げた。
「光栄です。殿下がエルメニア語を習得できるよう、精一杯頑張らせていただきますね」
「うん。でさ、それ、なんだけど」
「それ?」
顔を上げ、首を傾げる。
それとは何のことだろう。
さっぱり分からない様子の私を見て、王子がムッとしたように言う。
「名前。私のこと、ずっと『殿下』としか呼ばないよね。私にはライオネルって名前があるんだけど」
「存じておりますが」
「知っているのに、名前で呼んでくれないの?」
じっと見つめられる。
少し迷ったが、別に良いかと思った。
特に意味があって『殿下』と呼んでいたわけではないし、きちんと名前を呼ばれたいというのは、普通のことだと思うから。
「失礼致しました。それではこれからはライオネル殿下とお名前で呼ばせていただきますね」
「……ま、今はそれでいいか」
「? 今は……?」
どういう意味だろうと思ったが、王子は「なんでもない」と笑って誤魔化し、食事を再開させながら、ついでのように聞いてきた。
「私も君のことを名前で呼んでいいかな。カタリーナって。あ、それともカタリーナ先生って呼ぼうか?」
「カタリーナでいいです!」
ブンブンと思い切り首を横に振った。
『先生』なんて恐れ多い。
確かに私は彼の『先生』ではあるけれど、年上の王子様にそう呼ばれたいとは思わない。
私は力を込めて彼に言った。
「是非、カタリーナとお呼び下さい! ええ、気軽に!」
「そう? じゃあ、そうさせてもらうね。でも、せっかくだから時々先生って呼ぼうかな。君が動揺している姿、可愛いし」
「可愛い!?」
素っ頓狂な声を上げてしまった。
だって生まれてこの方、異性に可愛いなんて言われたことがない。
いつも私は『可愛くない女』で、見合いの話が出てもそう言われて、断られ続けてきたのだから。
それなのに王子は当たり前に言ってくる。
「うん、カタリーナは可愛いよ」
疑わしいという顔をするも、王子は意に介さなかった。それどころか、更なる追撃を仕掛けてくる。
「あ、今の不満げな顔も可愛いね」
「殿下、もしかして目がお悪いのですか?」
「? どうして視力の話? 視力なら、かなり良い方だと思うけど」
「……私を可愛いなんておっしゃるから」
「え、可愛いじゃない」
真顔で返されて閉口した。王子はニコニコとしながら口を開く。
「今みたいにくるくる表情が変わるのがすごく可愛いし、あ、実は容姿も好みなんだよね。ふふ、こんな可愛い子に家庭教師を引き受けてもらえるなんて、私は幸せものだな」
「容姿ですか? 私は特別美人というわけでは……」
侯爵家の令嬢としてそれなりではあると思うが、王子に可愛いと言ってもらえるようなレベルではない。
自覚はあるのでそう言ったが、王子はきっぱりと否定した。
「好みだって言ったでしょ。美人かどうかなんて関係ないし、大体、私にはとても可愛い子に見えるんだからそれでいいじゃないか」
「……」
「カタリーナは可愛い。誰が何と言おうと可愛いよ」
じっと見つめられ――なんということだろう。じわじわと照れてきた。
そんな自分が信じられず、動揺してしまう。
「そ、その、もう止めて下さい」
「え、なんで」
「恥ずかしいからです! ライオネル殿下が変なことをおっしゃるから!」
「変なこと? 私は思っていることを口にしただけだけど」
「それが恥ずかしいって言っているんですよ!」
「だからそれの何が恥ずかしいの?」
駄目だ。王子が全く分かってくれない。
彼が本気で私を可愛いと思っているらしいというのは今のやりとりだけでもよく分かったが、それならそれで恥ずかしさが積み重なる。
「い、いいから! とにかくやめて下さい……」
顔を赤くしつつ、再度やめてくれと頼むと、王子は何故かにっこりと笑った。
「やだ」
「殿下!」
「だって、可愛いんだもの。ほら、今だってすごく可愛い顔してる」
緑色の瞳が私をじっと見つめてくる。表情こそ笑っていたが、その瞳はとても真剣だった。
「もう一度言おうか。カタリーナはとても可愛い女性だよ。一喜一憂する姿が堪らなく愛おしく見えるし、ずっと見てても飽きないと思う」
「か、揶揄わないで下さい!」
羞恥の限界だ。真っ赤になって叫ぶと、王子は柔らかく目を細め、私に言った。
「だから、揶揄ってないって。これは全部私の本心だよ」
「……」
「可愛いね、カタリーナ先生」
優しい声音。それと同時にパチリとウィンクされ、頭から湯気が噴き出るかと思った。
――この王子、心臓に悪い。
勉強については確かに優秀かもしれないが、別の意味で大変そうだ。
この先どうなるのか。
一抹の不安を抱いたが、今更逃げることは許されない。
私は顔を真っ赤にしながらも、誤魔化すように紅茶のカップを手に取った。
「――ごめんって。そんなに可愛い反応をしてくれるとは思わなかったんだよ」
「……もういいです」
あれから何とか気持ちを持ち直した私は、アフタヌーンティーを再開させたのだけれども、私が怒っていると勘違いした王子は、ひたすら謝り続けていた。
ごめんごめんと何度もしつこい。
「別に怒っていませんから、もうやめてください」
「本当? 本当に怒ってない?」
「本当です」
こちらを窺うように聞いてくる王子に頷きを返す。
実際、私は怒ってなどいないのだ。
揶揄われたのなら怒ったかもしれないが、王子にその気がなかったのは明白だったし、可愛いと言われたこと自体は嬉しかった。
ただ、恥ずかしかっただけ。
だって、誰も私を可愛いなんて言わないから。
賢しい可愛くない女。
それが男性から私への日常的な評価なので、ストレートに可愛いと言われたこと自体は新鮮だった。
「良かった。初日から見捨てられたらどうしようかと思ったよ」
「見捨てませんよ」
胸を撫で下ろす王子に告げる。
そもそも私に見捨てるという権利は与えられていない。
私を見限る選択肢を持っているのは王子の方なのだ。
そのあとは特段何もなく、普通に雑談を交わしながら、アフタヌーンティーを楽しんだ。
優秀だと言われるだけあり、王子は知識が豊富で、何を話していても興味深く、面白い。
あっという間に時が過ぎる。気づけば、午後の執務の時間が迫っていた。
王子が立ち上がる。
「ああ、そろそろ時間だね。執務に行かなくっちゃ」
「あ、そうですね。私も帰ります」
自席から立つと、王子が手を差し出して来た。
「ライオネル殿下?」
「改めて宜しくって言おうと思って。また明日ね。カタリーナが家庭教師を引き受けてくれて嬉しかった。君を幻滅させないように死ぬ気で頑張るから、これから一年宜しく」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
こちらも手を差し出す。
軽く握手しただけなのだが、それでも少し緊張した。
私とは違う、男らしい大きな手が私の小さな手を包み込む。
他意はないと分かっていても照れくさい。
「そ、それじゃあ――」
「あ、待って」
手を放そうとしたタイミングで、王子が私をぐっと引き寄せてきた。
「えっ……?」
予想していなかったので見事にバランスを崩し、王子の方へと倒れ込んでしまう。
慌てる私の耳元で優しい声が響いた。
「――可愛いカタリーナ。明日、また会えるのを楽しみにしてる」
「っ!?」
王子が倒れそうになった私の身体を支える。体勢を戻し、私から離れると、彼はウィンクをしながら部屋の扉を開けた。
「先に行くよ。君は落ち着いてから帰ると良い」
「……」
扉が閉まる。私は呆然とその場に立ち尽くしていた。
「――は?」
――今のは、なんだ。なんだったんだ。
「な、な、な、な……」
意味が分からなすぎて、混乱する。
顔が限界まで赤くなっているのが見なくても分かった。
「……お、女ったらし?」
王子にそんな噂がないことは百も承知だが、思わず言ってしまった。
だって随所で甘い言葉を入れてくるし、ウィンクだって手慣れた感じだったから。
「そ、そういう方、なのかしら……」
そうは思えなかったけど。
何せ授業態度は終始真面目だったし、私に対しても真摯だった。ということは、どちらかと言うと、素でそういうことをしてしまうタイプなのかもしれない。
「……あ、ありそう……」
無自覚だけに性質が悪いというやつだ。
「うう、ううう……」
胸を押さえる。あり得ないくらい、心臓がバクバクしていた。
落ち着こうと、深呼吸を繰り返す。
婚約者すらいない身なので、今みたいな行動に慣れていないのだ。
「これは、この先が思い遣られる……」
そうは思うが、今更辞めますとは言えないし、そんな無責任なことしたくない。
私を連れてきた父の評価にだって関わってくる。
慣れるしかないのだ。
「な、慣れられるかな」
不安だが、頑張るより他はない。
こうして私の家庭教師第一日目は、無事……とは言い難いが、終わりを告げたのだった。
これからどうなることだろうと、初日から不安になった家庭教師だったが、少なくとも勉強だけは驚くくらいに捗った。
一年でエルメニア語を習得しなければならないということで、かなり厳しくしているのだけれど、王子が思ったより優秀で、常に想定した以上の成績を修めてくるからだ。
正直、これは嬉しい誤算だったし、段々一年という期限も、無理ではないように思えてきた。
とはいえ、これは私の力ではない。王子が努力しているからだ。
毎日、午前中にレッスンをするのだけれど、彼はいつも予習復習を欠かさなかった。
午後は執務をしているので無理だが、寝る時間を削って勉強しているらしいと悟れば、彼が本気でエルメニア語習得に挑んでいるのは十分過ぎるほど理解できた。
すごく真面目な人なのだ。
そして、努力家。
王子はコツコツと努力することを厭わないタイプのようで、それは勉強の成果にも繋がっていた。
毎回、授業が終わるたびに実施している小テストでも、王子は殆ど満点を取ってくるのだ。
普通に授業を聞いているだけでは回答できない内容も入れているので、彼が相当勉強してきているのは間違いなかった。
「ライオネル殿下ってすごく努力家ですよね……」
授業が終わったあと、アフタヌーンティーをいただきながら、しみじみと言う。
あの初日の授業からずっと、一緒に昼食を取っているのだ。
最初数回は王子が誘ってくれたが、今ではそれが当然であるかのように授業が終われば食事が運び込まれてくる。
その食事だが、普通に昼食の時もあるのだけれど、わりとスイーツ率が高い。
ケーキセットのみが出てきた時には本気で「これが昼食!?」と言ってしまった。
王子が甘党だということは知っているが、これだけ続くと「本当に好きなんだな」としか思えない。
頭を使っているから甘いものが欲しくなるというのは分からなくもないが……いや、やっぱり糖分の取り過ぎだろう。
今日、用意されたアフタヌーンティーも全体的になかなか甘い。栗をメインにしたものなのだけれど、非常に満腹感があった。
特に栗が練り込まれたスコーンはひとつ食べればお腹がいっぱいになってしまうボリュームだ。
スコーンをちまちま食べながら思いを口にした私に、王子は栗の上にトリュフが乗ったスイーツを頬張ったあと、言った。
「うーん、努力家って言われるほどでもないけどね。当然のことをしているだけだし」
「当然、ですか」
その当然ができない人は多いと思うのだけれど。
王子は真剣な顔で言った。
「わざわざ教師として来てもらっているんだ。それなのに何の準備もしていないなんて、その方があり得ないよ。失礼すぎる」
その答えを聞き、やっぱり真面目な人だなと思う。
普通は思ってもなかなかできないことだからだ。
でも、何事もやりすぎはよくない。私は真顔になって王子に諭した。
「そう言っていただけるのは嬉しいですが、あまり無理はしすぎないようにして下さい。勉強している分、睡眠時間を削っているのでしょう? 倒れてしまっては元も子もありませんから」
「分かってる。でも、大丈夫だよ」
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