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転生聖女はモブキャラの推しを攻略したい! 2

第二話


 ラララ学園の敷地は広大で、移動はもっぱら馬車であることが多い。
 学び舎である建物は学園の中心地に集中しているものの、授業後のサロン活動やクラブ活動を楽しむための建物や、図書館、迎賓館、礼拝堂、食堂、運動場、芝が豊かな散歩コースなど様々な施設が点在している。
 遠方の生徒のための学生寮も複数あり、家の爵位などその生徒のステータスで住む場所が分かれていた。
 私が住む教会寮は中心地から一番離れた場所にあり、滅多に人がこちらまでは立ち入らない。
 教会寮は学園に訪れる教会関係者の宿泊場所として使用されることがほとんどで、他の寮に比べて滞在人数も少ない。
「本当に大丈夫ですか? 安静にしといた方が……」
「お医者さんにも問題ないって言われたし、大丈夫です!」
 私はシルヴィオと共に、手入れされた庭をゆっくり歩いた。
 ウォーターテラスの隣には美しい薔薇が艶やかに咲いている。
 しばらく行くと毎朝シルヴィオが礼拝している礼拝堂があり、いつ見ても壮麗だ。
(さて、どう切り出そうかな)
 並んで歩きながら話のタイミングを見計らっていると、突然黒い影が私の前を横切る。
「にゃー」
「あっ、おいで」
 きっとこの前、私が追いかけた黒猫だ。
 だが呼んでもこちらをちらりと見るだけで、すぐにどこかへ行ってしまう。
「あの子ってここの飼い猫なんですか?」
「もう亡くなった職員の猫という噂ですがどうでしょう。ずっとこの学園をうろうろしているみたいです。ときどき餌をやっている人を見かけますよ。みんな愛着があるみたいですし、積極的に追い出さないようです」
「へえ……」
 黒猫を追いかけたときのことを思い出す。
 あの日、黒猫に導かれるように迷い込んだ先が、きっと攻略キャラの王子様たちが過ごす会員制のサロンだったのだろう。
 そこに私が無断で入ってしまったことでベアトリーチェの不興を買ったのだとすればいろいろと納得がいってしまう。
「シルヴィオさん」
 さて、そろそろ本題だ。私は女優よ、と自分に言い聞かせる。
「私……、やっぱりこの学園に向いていない気がします」
 この学園から出ていきたいんですけど、どうですか? というお伺いだったりする。
 私はこれからの立ち振舞いについて考えてみた結果、これ以上この学園にいるのはしんどいという結論に達してしまった。
 だからこその、泣き落とし作戦だ。
「みんな私を嫌っている気がして……怖いんです!」
 実はこの訴えはあながち嘘ではない。
 クラスメイトは優しいし、嫌なことばかりでもないのだけれど、聖女候補という肩書が気に入らない生徒も少なからずいるだろう。
 そしてこれが乙女ゲームである以上、これからも災難が続くのは確実だ。
「ああ、エリッサ。そうですか、……可哀想に」
 そうでしょう、そうでしょう。
「私この学園でやっていけるか不安で。それに私、きっと聖女なんかじゃないって思うんです」
 今からでもこの学園から出ていきたいという意思表示をさりげなくしてみる。
 この学園から出ていきさえすれば、この先私に待ち受けるであろうゴタゴタをおそらく回避出来ると思うのだ。
「いいえ、エリッサは聖女ですよ」
 だがシルヴィオは確信めいた口調で私に言い聞かせる。
「あ、はい……。いや、でも……」
 おそらく、私が能力開花前の聖女なのは間違いないのだと思う。
 でも現時点の私の扱いは『聖女の素質がある』といったふわりとした認定でしかなく、何とも宙ぶらりんな状態だ。
 その緩い認定のおかげで一定の自由は保証されているけれど、シルヴィオは何故そこまで自信を持って私を選んだのだろう。
「学園でエリッサに何があったのかは聞きました。本当に大変でしたね」
「あ、はい、そうなんです。だからその……」
「でも、エリッサは大丈夫です」
 私の悪巧みなんて一瞬で浄化されてしまう、神々しい笑顔だ。
 この笑顔の前で辞めたいだなんて言葉、言えなくなる。
「さっきの林檎あったでしょ? 実はあれ、ベアトリーチェ様からの見舞いの品なんですよ?」
「ええ、そうなんですか!?」
「はい、実はそうなんです」
 さすがの私も、びっくりしてしまう。
 あの悪役令嬢が、まさか心配してお見舞いにきていたなんて。
 先程食べた甘い林檎の味を思い出していると、シルヴィオはにこやかな顔で話を続けた。
「それだけじゃないですよ。先程も周辺国の王子殿下たち四人が、エリッサの容態を気にして訪ねてくれたんです」
「え、えええっ、殿下たちまで訪ねてこられたんですか!?」
「はい、いらっしゃいましたよ」
(いやいや、待って待って!)
 まさか攻略キャラたちまで見舞いに来るなんて。
(だから、まだ一回会っただけなんだってば!)
 早くも興味を持たれてしまったというのだろうか。
 シルヴィオは私の困惑なんかそっちのけで、うっとりとした表情を浮かべていた。
「さすが聡明で慈悲深い人格をお持ちの方たちですね。皆、エリッサをこうして心配してくれているのですよ」
「は、はあ……」
 優しいトーンで励ますように言われると、私はそれ以上何も言い返せなくなった。
「特に殿下たちはエリッサが怪我をしたと知ってすぐに駆けつけてくださいました。是非元気になった姿を殿下たちに見せてあげてくださいね」
 心配してくれる気持ちは嬉しいけれど、距離の詰め方が早すぎる。
 だがなるほどな、と冷静に受け入れる自分もいた。
(これがヒロインってことなのね)
 きっとヒロインとして生まれたゆえに、人を惹きつける特殊スキルを持っているのだ。
(ゲーム風に言うなら『魅了』のスキルってところかしら)
 自分で言うと凄く間抜けだし自意識過剰かよ……って思うけれど、とどのつまりはモテモテ仕様設計なのだ。
 これはもう、ヒロインがヒロインたるゆえの業のようなものだ。
 わざと地味な子を演じたとしても、どうせ何かの拍子であっさりバレる。
 そういうものだ、ヒロイン属性とは!
(実際、ちょっと話しただけなのに、攻略キャラたちの興味を引くことに成功してしまってるし)
 もちろん私が『聖女候補』という特殊な事情を持つ女の子ということも大きいだろう。
 でもシルヴィオの言う通りにお礼を言いに行けば、王子たちからの好感度もグンと上がってしまうはずだ。
 基本的に『なる乙』は会えば会うほど相手からの好感度は上がるシステムなので、ある一定の条件で個別ルートに入れば恋愛へと発展しやすくなるだろう。
 彼らと恋愛したくないのであれば、嫌われる行動をすればいいのかもしれない。
 でも前世で恋愛コンテンツにそれなりに触れてきた私からすると、それは逆効果だ。
(嫌われようとすればするほど、何故か溺愛ルートに入っていたりするのよね)
 そんなコンテンツで溢れ返った時代に、私は生きていたのだ。
 逃げるほど追われる、ということだろう。南無阿弥陀仏。
 とにかく、まだ好感度が上がりきったわけでもない。
 今は焦らないで、冷静に現状を見定める時期だ。
 ここが乙女ゲームの世界だと気づいてしまった以上、下手に動かないほうがいい。
 この先王子たちに会ったとしても妙なインパクトなんて残さず、下手に感情を露わにせず、妙な抵抗をせず、他と迎合する──いわゆる「面白くねー女」を目指していくほうがいい。
 そもそも私は遠くからキャーキャーとイケメンを眺めるほうが好きなのだ。
 いざ自分にガッツリ好意を向けられるのは苦手だし、攻略キャラは皆個性的で目立つ上、恥ずかしいことを公衆の面前で囁くタイプだ。
 そんなことをされた日には不登校ものだ。
 でも──。
「いいですか、エリッサ。ジークフリード殿下は中庭によくいますし、ギルベルト殿下は図書館にいることが多いです……それに」
 シルヴィオは自分の役割と言わんばかりに、攻略キャラの情報を私に教えてくれる。
「ロイド殿下は……にハマっておられまして……、リュート殿下は……、あと……」
 申し訳ないけれど、正直あまり興味ない。
 おそらくシルヴィオの行動パターンに、攻略キャラをおすすめすることが組み込まれているのだろう。
 優しいし、外見もタイプだし言うことなしなのだけれど、そこだけは難点だ。
(あーあ、せめてシルヴィオが攻略キャラなら頑張ろうって思えるのに……)
 現時点のリアル推しなのだ。
 礼拝をする姿、庭掃除をする姿をいつも遠くから拝んでいる。祭服も大変お似合いだ。
 シルヴィオと話すときは私もそこはかとなく上品になるし、声音も高くなってしまう。
 もちろん恋愛としての好きというより、推し的憧れ、という意味での好き、だが。
 そしてシルヴィオの一番いいところは、私の魅了スキルが全く効かないことだ。
 おそらく攻略キャラではないからだと思う。
 だからこそ、私がいくらシルヴィオに対し好意的な視線を向けても、何も起こらない。
 ただ神々しい癒やしスマイルを返されるだけだ。
 自分に興味がないからこそ、遠慮なく推せるというものである。
 ガチ恋ではなく、ただの癒やしとしてそこに存在してくれるだけで尊いのだ。
 この学園に来てからクセが強い人とばかり出会っていたので、こういうタイプに安心する。
「エリッサ、覚えましたか?」
 いつの間にか王子たちの趣味嗜好までをも私に語ってくれた後、シルヴィオは悪意のない笑顔を向けてきた。
「あのー、少し分からないことがあって」
「何です?」
「殿下たちの好きなことは分かったんですが、シルヴィオさんの好きなことって何なんですか?」
 本来なら有益な情報かもしれないが、それよりも私はシルヴィオのことが知りたい。
「私ですか?」
「そうですよ、シルヴィオさんは犬が苦手かなーってこと以外分からないんですもん」
 まだ知り合って間もないということもあるけれど、シルヴィオのプライベートはやはり謎のベールに包まれている。
 基本的に誰にでも優しく、いつもにこにこしていて温厚だが、前に犬に吠えられてビクついた姿を見て妙にキュンとしてしまった。もっと欲しい。そういうのがもっと欲しい。
 でも──。
「エリッサは私のことまで気にしてくれてとても優しいですね。きっとその優しさが皆の心を動かしますよ」
(うううっ、眩しいッ!)
 何を質問してもこうやって見事にスルーされるまでがセットなのだ。
(分かってる。自分なんかに興味を持つな……ってことよね?)
 シルヴィオは優しいけれど、きっと私に聖女候補以上の興味はないし、深入りする気もさせる気もない。
 自分よりも攻略キャラに興味を持ってほしいのだろう。
 運命の恋だか何だかして、聖女の力に目覚める設定だ。
(でも、ごめんねシルヴィオ)
 私は個別ルートに入りたくない。どのキャラも茨の道だ。
 そのための抜け道を、どうにか模索させて頂きます。
 期待に沿えなくてごめんねと、思っていたのだけれど──。
「……え、えぇええっ!?」
 ある日、私はシルヴィオの意外な一面を知ることになってしまったのだった。

 

 

 

 カーテンから漏れる朝の光の眩しさで私は目が覚める。
 ぼんやりと覚醒しきっていない頭をどうにか起動させるため、タオルを持って外の水場まで向かい顔を洗う。
 日中は暖かいが朝はまだ少し肌寒く、そのおかげですぐに目も覚めた。
 まだ着慣れない制服に袖を通し、鏡台の前で長い髪を櫛で梳かした後、一階の食堂で用意された朝食をとる。
 食事を終えるとそろそろ出かける時間だ。
 教科書やノート、筆記用具が入った鞄を持ち教会寮を出る。
「行ってきまーす!」
 礼拝堂の近くを通ると、箒で掃く音が聞こえた。
 視線を向けるとシルヴィオが教会の前の階段で落ち葉の掃き掃除をしている。
「シルヴィオさん、おはようございます」
「エリッサ、おはようございます」
 うん、今日も癒やされる。爽やかな笑顔が眩しい。
 申し分ないほどのいい朝だが、今日の私は少し憂鬱だったりする。
 階段から落ちて気を失って以来、初めての登校だからだ。何をどう言われるのかと思うと今から気が滅入ってしまう。
「病み上がりですし、無理しないでください」
「ありがとうございます。では行ってきますね」
 シルヴィオの優しさが心に沁みる。
 私は学園内を巡回する馬車に乗り、授業のために中央エリアへと向かう。
 しばらくするとお城のような佇まいの学び舎へ到着した。
(はあ、来てしまったか)
 馬車から降りてすぐチラチラと視線を感じるのは、ベアトリーチェとの一件のせいだろう。
「ねえ、あの子が……」
「そうみたいよ……」
(き、気まずすぎる……)
 居心地の悪さに胃がキリキリしてきた。
 既に噂は回っているのだろうか。
 それはまあ、あれだけのことがあれば致し方ないだろう。
(やだなー、嫌がらせとかされなきゃいいんだけど……)
 波乱の学園生活は心が折れそうになるので勘弁してほしい。
「でもベアトリーチェ様もやりすぎよね……。殿下たちもご立腹だとか」
「婚約破棄されたばかりだったから、気が立っていたのかもな」
 あれ、と聞こえてきた噂話に首を傾げる。
(私が意識がない間にも一波乱あったのかな?)。
 そんなことを考えていると教室にたどり着いた。
 クラスメイトに無視されなければいいな、と願いながら中に入ると、私の憂鬱さを吹き飛ばすような溌剌とした声が耳に届いた。
「エリッサちゃん、もう出てきても大丈夫なの? 心配だったのよ」
「カミラ!」
 私を見てすぐに声をかけてくれたのは、この学園で初めて仲良くなった同級生のカミラだ。
 黒髪のおさげのメガネっ子ちゃんで、彼女は金で爵位を買ったと噂される成金の娘であることから、伝統と血筋を大切にしがちな貴族ばかりのこの学園で随分苦労してきたらしい。
 そんな彼女だからか、ラララ学園に三年から編入してきた私のことを、とても気遣ってくれている。
「お見舞いに行ったのよ。けど会えなくって」
「そうなんだ。心配かけたよね、ありがとう」
 ゲーム内でもそうだったが、いわゆる親友キャラというやつで、私に凄く親切だ。
 なかなかの情報通で、学園内の権力者情報や行事、しきたりなどを私に分かるように細かく解説してくれる。
 なお、階段から滑り落ちた日、一緒に教室移動で歩いていたのはカミラだった。
 現場に居合わせたこともあって、ずっと心配させていたと思うと申し訳なくもある。
 教室に入るまで凄く不安だったので、今日ほど彼女の存在に救われたと思ったことはない。
「ほら、今日はミル先生の授業だから。ここ当てられる前に写して」
「ありがとう、助かるー!」
 ほらほら、と促されるままにカミラの隣の席に座る。
 部屋は階段教室になっており、講堂のように広い。
 基本的にここで大陸の歴史や語学、宗教学、数学、生物学などの授業を受ける。実技科目や合同の講義など必要に応じて教室を移動する仕組みだ。
 クラスは国や実家の階級などで固められているわけではなく、完全にランダムだ。
 私のクラスに攻略キャラがいないのは不幸中の幸いだし、親切なカミラと一緒だったことは最大の幸福だろう。
 私が必死でノートを写していると隣のカミラが身体を寄せてきた。
「でも元気になってよかった。エリッサちゃんが気を失ったあとも大変だったの」
「……何があったの?」
「ジークフリード殿下たちとベアトリーチェ様が言い争いになって」
「ええ、そんなことになってたんだ!?」
 ジークフリード殿下というのは攻略キャラの一人だ。
 赤髪の俺様キャラで、攻略キャラの中ではメインヒーローの王子様でもある。
 そういえば教室に来るまでに、何やら噂話が聞こえてきたことを思い出す。
「もともと二人は婚約者だったらしいんだけど、相性が悪かったのか喧嘩ばかりで随分前に婚約を白紙にしたらしいの。でもベアトリーチェ様はまだジークフリード殿下のことが好きだとかで、今回の騒ぎも嫉妬したんだって言われているの」
 そういえばゲームでもそんなやりとりがあった気がする。
「でもさすがに、やりすぎよねって皆も思ってるみたい」
 どうやら階段から落ちたこともあって私に同情する生徒が多いようだ。攻略キャラのジークフリードと言い争ったことで、ベアトリーチェの立場が悪くなった可能性もある。
(そういえば、ベアトリーチェって見舞いに来てくれたんだっけ?)
 意地悪なイメージが強かったので、正直シルヴィオに聞かされたときはびっくりした。
 まあいくら悪役令嬢とはいえ、いきなり目の前で人が階段から落ちれば、驚きもするだろう。
(それにビンタは駄目だけど、ベアトリーチェが怒るのも分からなくはないっていうか)
 意図していないとはいえ、立ち入り禁止のサロンに私が勝手に入ってしまったのだ。
 ちゃっかり殿下たちに気に入られてしまい、反感を持つのも当然だろう。
 しかも階段から落ちたのは完全に私のせいである。
 わざわざ見舞いにきてくれたことからも、悪役な立ち位置であるだけで性根は悪いタイプではないのだろう。
 ベアトリーチェが誤解されやすいポジションとはいえ、何だか逆に申し訳なくもある。
「でも、実のところ殿下たちとどういう関係なの? エリッサちゃんのこと気にしてるみたいだったし。何をきっかけに仲良くなったの?」
「仲良くだなんてそんな……恐れ多いわよ!」
 どうして興味を持たれたのか。正直ヒロインだからですとしか言いようがない。
 魅了のスキルの恐ろしさよ。
 早急に対策を打たなければと改めて恐怖する。
(でも、心配して見舞いに来てくださったらしいし、お礼ぐらいは言ったほうがいい? ああでもそうなると好感度が上がる可能性が……)
 良心が痛むけれど、ここは出来る限り息を潜め接触を回避しなければならないのだ。

 そう意気込んで一週間が経った。
 授業が終わった瞬間、慌てて荷物を鞄に詰める。
「あれ、エリッサちゃん今日も急ぎなの?」
「うん、帰って勉強でもしようかなって」
 私が一目散に教室を去ろうとするのは、これも全て攻略キャラを避けるためだ。
 ここのところずっと、攻略キャラがよく出没するという場所を避け、あえて遠回りしている。
 遠くから「きゃあああ♡」という黄色い声が上がればすぐ進路を変え、とにかくひたすら逃げまくっているのだ。
 シルヴィオには悪いけれど、彼から聞かされた王子様出没地域情報をうまく活用させてもらっている。
 毎日何かと理由をつけて寮に帰ろうとする私を見て、カミラはもったいないと残念そうだ。
「えー、せっかく『グリティア会』に誘われたのに」
「まあ、そのうち……ね」
 グリティア会というのは攻略キャラの王子たち四人が主催する会員制のサロンで、選ばれたものだけが特別に立ち入ることが許されたサロンだ。
 実はここだけの話、ずっと避けてはいたものの、昨日とうとう俺様王子のジークフリードに鉢合わせしてしまったのだ。
(で、でたーーー!!)
 逃げようにも、怪我の様子を心配されれば無下にも出来ない。
 お見舞いに来てもらった礼を言うと、今度遊びにきてくれとグリティア会の招待状を手渡されたのだった。
 定期的に開催しているので、都合の良いタイミングで来るがいい、とのことだ。
(今から来いって、強引に連れて行かなかったのは意外だったけど)
 俺様キャラなのにそこの押しは弱いんだ、と思わなくもなかったが、時代の波なのかいい感じにアレンジされていたのだろう。
 行くか行かないかの選択権を持たせてくれたことに感謝しつつも、サロンに行くのは申し訳ないが遠慮したい。
「あまり興味ない感じ? みんな羨ましがってるのに」
「んー、光栄ではあるんだけどさ」
 別に、私は彼らが嫌いなわけではない。
 友人程度の関係性であれば良いが、のちに恋愛に発展する可能性が極めて高いので極力顔を合わせたくないのだ。
 無駄な抵抗かもしれないけれど、誰とも恋愛しないルートだって存在するかもしれないので、試す価値はあると思う。
 とはいえ彼らを避けるため必要以上に体力も使うし、王子たちがどこから現れるのか分からない。気疲れする毎日だった。
「じゃあ私行くから!」
「うん、エリッサちゃんまたね」
 私はカミラに別れを告げて、急いで教会寮へ戻る。
 すると礼拝堂の前で一人の祭服の男性の姿が見えた。
 あれは、と思っていると、向こうが私に気づき大きく手を振る。
「あれー、エリッサさん。えらく早いお戻りですね」
「ヒューイさん、お久しぶりです」
 声をかけてきたのは、シルヴィオの補佐役を務める助祭のヒューイさんだ。
 ヒューイさんは庶民的な親しみやすさがある方で、ゆったりと優雅なシルヴィオとは対照的に、いつも騒がしくバタバタした印象だ。
 彼は助祭ではあるけれど他の礼拝堂の手伝いに行くことが多く、学園に来るのは週に数回だけだ。
 久々に会ったヒューイさんは何かいいことがあったのか、満面の笑みを浮かべている。
「何にやにやしてるんですか?」
「あー、分かります? ちょっと聞いてくださいよ」
 ヒューイさんは誰かに話したかったのか、最近出来たばかりの恋人について話し出す。
 少し前は喧嘩したと言って悲しんでいたので、いつの間にか仲直りしたのだろう。
「でね、あいつ可愛いんですよ!」
「はーい、良かったですね」
 やれやれと呆れつつ、ヒューイさんの惚気話に適当に相槌を打った。
(まったく、聖職者なのにびっくりね)
 てっきり聖職者の恋愛はご法度かと思っていたけれど、聖カトル教会では特に禁止されていないらしい。きちんと節度を持ちさえすれば、恋愛も結婚も、あと飲酒もオッケーだそうだ。
 なおシルヴィオに恋人はいないことは、既にヒューイさんから聞き取り調査済みだ。
 ただあの容姿なので隠れファンのおば様がたが多いという噂も聞いている。
「いやー、本当毎日が幸せで。シルヴィオ司祭も若いし、将来有望なエリートなんだから良い相手がいればいいのに」
「ちょっと、私の癒やしなんですからやめてくださいよ!」
 とんでもない発言に私は噛みついてしまう。
 そりゃもちろんシルヴィオの幸せが第一ではあるけれど、やはり本音としてはもう少し皆のシルヴィオでいてほしい。
「だってもったいないじゃないですか。シルヴィオ司祭は最年少で司祭になった方ですよ? 頭もいいし、能力だって高いんです。大司教のお気に入りでもあるんですから」
「へえ、それは初耳ですね」
 なるほど、貴重な情報だ。頭の中にしっかりその情報を刻み込む。
「凄い方なんですよ。望めばもっと上だって目指せるのに本人はそれ以上を目指す気はないみたいで──」
「二人ともどうかされましたか?」
 私たちの会話の途中、礼拝堂の中からシルヴィオが現れた。
「あっ、シルヴィオさ……ンンンッ!」
 その胸にはなんと、黒猫を抱いている。
(か、可愛いいいいいっ!)
 尊いものが掛け合わされ、何ともうっとりする空間だ。スマホを持っていれば今すぐ写真に収めたいぐらいだった。
「こ、この子ってもしかして」
「はい。礼拝堂の中に忍び込んでましたので出て頂こうかと」
 前に私が追いかけたあの黒猫だ。
 私がドキドキしながら猫に近寄ると、猫が「シャー」と威嚇し、シルヴィオの手を爪で引っ掻いて、ぴょんと逃げ出した。
「ああ、行っちゃいましたね」
「すすみません、大丈夫ですか!?」
 私が近づいたせいで引っかかれたのだろうかと、申し訳ない気持ちになる。
「大丈夫ですよ。さっきまでずっと暴れていましたし、慣れたものです」
 シルヴィオの手にはいくつもの引っかき傷が出来ていたが、優しい笑顔を浮かべていた。
(そうそう、これこれ。これなのよ!)
 望むのはこういう日常だ。こういう平穏でいい。
 ドラマチックな波乱万丈の学園生活じゃなく、この癒やしの日常こそ私が求めるものだった。