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ワケあって悪女を演じていますが、犬系年下騎士にめちゃめちゃ愛されてしまいました 1

第一話

 

 ケンドリックが異性の裸──にきわめて近い格好──を初めて目にしたのは、十二歳のとき。暑い暑い夏の日のことだ。
 


 ラインディア王国の避暑地サニーデールは、その年も多くの家族連れで賑わっていた。
 ケンドリックの生家であるエッジワース侯爵家もこの地に別荘を所有しており、毎年のように訪れている場所である。
 運命の日は、肌を焦がすような日差しが照りつけていたのを覚えている。
 ケンドリックは別荘地の近くを流れる川で遊んでいた。川の深さはケンドリックの膝が隠れる程度で、水は底がはっきり見えるくらい澄んでいる。
 シャツとズボンを川べりに置いて下穿き姿で水の中に入り、川底の小石を拾って、コレクションに加えるものを選別する。すべすべつやつやした手触りの良い石と、変わった模様の石を集めるのである。
 たったいま拾いあげた小石は深い青色をしていて、触り心地も滑らかで良い。ケンドリックはコレクションの石をさらに厳選して「自分的ベストテン」なるものを作っているが、この石は余裕でベストテン……いや、ベストスリーに確実に入れられそうだ。これは自分の宝物の一つになるだろう。
 その青い小石を太陽に翳したり、手のひらの上で転がしたりしていたとき、岩場の陰に人の気配を感じた。
 ケンドリックがいる場所は人間が隠れられるほどの大きな岩が水面からたくさん突き出ており、その岩に水がぶつかる音が響いている。だがそれとは明らかに別の、パシャ、パシャッ……という小さな音が不規則に聞こえてくるのだ。
 ケンドリックは岩場に身を隠し、音が聞こえてくるほうをそっと覗いた。
 そこでは、シュミーズ姿の女性が水浴びをしていた。年齢はケンドリックよりも三つか四つ、上だろうか。彼女は屈んで川の水を両手で掬い、それを自分の頬や首にかけた。冷たくて気持ちがいいからだろう。彼女はうっとりするようなため息をついている。
 濡れたシュミーズはぴったりと彼女に貼りつき、その下にある美しい身体の線を露わにしていた。
 彼女が再び水を掬うために屈み込むと、長い金の髪から透明なしずくが落ちる。
 ケンドリックは「わあ」とため息をつきそうになって、慌てて口を塞ぐ。
 彼女は、何もかもが美しかった。
 教会や美術館に飾ってある女神像よりもはるかな崇高さがあるのに、身体を水に浸して恍惚の表情を浮かべるその様はどこか生々しい。ケンドリックはひと目で彼女に夢中になった。
 股間が痛いほどに硬くなって立ちあがっているのがわかる。それは下穿きの紐に阻まれて窮屈そうにしていた。ケンドリックは彼女をさらに近くで見ようとして、そして足を滑らせた。転びはしなかったものの、ザバッという大きな音があたりに響きわたる。拾った小石も、水の中に落としてしまった。
「ねえ……誰か、いるの……?」
 彼女の問う声がした。いまの音で、さすがに自分の存在はばれてしまったようだ。
 ケンドリックは一瞬でたくさんのことを考えた。
 たとえば自分がいますぐに川から這いあがり、走って逃げ出したとしよう。どれだけ素早く逃げたとしても、彼女は黒髪の少年の後ろ姿を目にするはずだ。すると明日には「注意! 川にて黒髪の少年によるノゾキ行為発生」などという注意書きが別荘地のあらゆる掲示板に貼られてしまうかもしれない。
 それに、彼女がこの川に家族と来ているのだとしたら? 彼女が「ノゾキだわ!」と叫び、近くから彼女の屈強な父親や兄たちがわらわらと湧いて出てくるところを想像する。ケンドリックは逃げる間もなく捕まって、ボコボコにされるだろう。
 そこで唾を飲み込み、覚悟を決めた。
 ケンドリックは彼女の前に姿を現すことにしたのだ。
「あの、ごめんなさい。あなたを驚かせるつもりはなかったんだけど……」
 そう言いながらケンドリックは岩場から上半身だけを覗かせる。
「あら」
 すると彼女の表情が緩んだ気がした。
「あなた、この辺の子? おうちの人は?」
「え? えっと……」
 どうやら自分は子どもだと思われているようだ。たしかにまだ大人ではないのだが、子ども扱いされるのはちょっと腑に落ちない。
「ねえ、こっちに来なさいよ」
 彼女は手招きしている。これは、お近づきになれるチャンスなのかもしれない。ケンドリックは膨れあがった股間を隠すようにして、前屈みになって歩を進めた。
「あなた、地元の子?」
 ケンドリックは首を振る。
「近くに、うちの別荘があって……普段は王都に住んでる」
 彼女は「ふうん」と言って、首と肩に貼りついていた金の髪を手で退けた。
「あの、あなたは?」と続けたかったが、それどころではなかった。濡れたシュミーズは彼女の胸の先の色づきまで暴いていたからだ。直視できなくて下方に目を逸らすと、濡れた薄い生地はおへそのへこみまでくっきりと露わにしている。そしてその下は……。
「うっ……」
 見つめているだけで果ててしまいそうだった。彼女の前で恥をかいてしまうことを恐れたケンドリックは、お腹のあたりを押さえてさらに前屈みになる。
「ねえ、どうしたの? お腹が痛いの?」
「あっ、ちょっ……」
 彼女はまったく違う心配をしているらしかった。問題の部分を見ようとして身をかがめている。これ以上の接触はほんとうにまずいと感じたケンドリックは、身を捩って彼女の視線から逃れようとした。
「それとも、怪我でもしたの? 見せてごらんなさい」
 彼女がさらにケンドリックに身を寄せた瞬間、見えてしまった。身体に貼りついていたシュミーズが胸元からぺらりと剥がれたところが。
 膨らんだ乳房に、淡く色づいた先端。ケンドリックはそこから目が離せなくなる。
「どこが痛いの?」
 しかし彼女は自分の状況に気がついていない。ケンドリックの手首をつかみ、隠していた場所を確認しようとしているのだから。そして問題の部分を目にして訝しげに呟く。
「何よ、これ……何か入れてるの?」
 自分でもこの器官の膨張率はおかしいと感じるくらいだ。女の人が見たら、何かが入っていると思うのかもしれない。彼女は「何か」を確かめようとしたのだろう。大胆にも、ケンドリックのその部分をつかむ。
「あっ、ああっ……!」
 羞恥と快感にいっぺんに襲われたケンドリックは、呻きながら身体を震わせ、そして果てた。
 後ろめたさのあまりケンドリックは俯き、肩で息をしながら真夏の太陽の光が水面に乱反射する様を見つめていた。
 やがて彼女が口を開く。
「ねえ、いまのそれって……」
 彼女はどんな表情をしているのだろうか。気持ち悪がっている? それとも、自分を小ばかにしている? どちらにしろ堪えられそうになかったケンドリックは彼女に背を向け、川から出ようとした。膝に力が入らず、一度盛大に転ぶ。
「あ、ちょっと……」
 彼女が何か言いかけたが、ケンドリックは水しぶきをあげてもがくように川から這い出ると、川べりに置いてあった衣服をつかみ、走り出したのだった。
 その後、どうやって別荘まで辿り着いたのかよく覚えていない。
 ただ、終わった。
 エッジワース侯爵家嫡男ケンドリック・カドラーの初恋は、はじまる前に終わった──それだけは十二歳の自分にもわかっていた。

 

 そんな出来事があったというのに、彼女のことを考えるのはやめられなかった。
 あのときケンドリックの身体に何が起きたのか、彼女はわかっていたのだろうか? 意外とわかっていなかったりしないだろうか? そういった期待を抱いたりもしたが、彼女はケンドリックよりも確実に年上に見えた。たぶん、十五歳か十六歳。女の人が男の生理現象について知識を得るのは何歳ぐらいなのだろう。女学校でそういうことは習うのだろうか。それとも、友達同士の会話で学んでいくのだろうか。
 ケンドリックに彼女の顔を見る勇気があったら「彼女がわかっていたかどうか」を知り得ただろう。でもあのときの自分にそんな度胸はなかった。ただ彼女の前から消えたくて消えたくて、逃げ出したのだ。でも実際にそうしてしまったら今度は確かめたくて、どうしようもない気持ちになる。
 ケンドリックは小石を落としてきてしまったことを悔やんだ。あの石は、彼女の瞳の色にそっくりな鮮やかな深い青色だったのだ。あれを持ち帰っていれば、彼女との間に起こった出来事は幻ではなかったと、まぎれもない現実だったと実感することができただろう。
 そんなことを考えているうちに股間のものは自らを主張し出し、今度はケンドリックの頭の中が柔らかそうな乳房や濡れたシュミーズ越しのおへそでいっぱいになってしまう。
 ケンドリックの中で、彼女は忘れたくても忘れられない人になっていった。

 

 次の年の夏、また家族でサニーデールの別荘地を訪れた。しかしケンドリックが毎日のように川へ通っても、彼女に会うことはなかった。せめてあのとき落とした小石を持ち帰ろうと考えたが、いくら探しても見つけることはできなかった。
 そのまた次の年は探索範囲を広げて別荘地全体を無駄にうろついてみた。でも、やはり彼女の姿を見ることはなかった。
 どこに住んでいるのかもわからない、名前も知らないひと。
 あの夏の彼女は、何年経ってもケンドリックの胸の中に住み続けている。
 結局のところ、ケンドリックはいつの間にか初恋にとらわれてしまったのである。それを終わらせることができないまま、時間だけが過ぎていった。

 

 ***

 

 川のせせらぎが聞こえる。
 けれども何もない、真っ白な場所でケンドリックは前屈みになり、自分の意思ではどうにもならない屹立したものを持て余していた。
『う、うぅ……』
 股間のものは異様な熱を持ち、痛いくらいに腫れあがっている。
 これは待っていても鎮まるものではない。もう、自分でなんとかするしかないのかもしれない。そう考えたケンドリックは自分の股間にそろそろと手を伸ばす。
 そのとき、凛とした声が響き渡った。
『どうしたの? お腹が痛いの?』
『え? あ……』
 いつの間にか、目の前に名も知らぬ美しい女性──あの夏の女神が立っていた。
 彼女は濡れたシュミーズしか身に着けていない状態だというのに、恥ずかしがる様子はない。それどころか金の巻き毛から水を滴らせながら、濃い青の瞳でケンドリックの問題の部分を見つめている。
 その視線だけで果ててしまいそうになった。
 けれども果てる前に……そう。彼女の名前を聞かなくては。それからどこに住んでいるのか、次はいつ会えるのかを。いや、まずは自分から名乗るべきだろう。
 ケンドリックが考えを巡らせているうちに、彼女はもっと近づいてきた。
『それとも、怪我でもしているの?』
『あ、ちょっ……』
 身を捩ったが、彼女はケンドリックが隠そうとしているものを暴こうとする。
『見せてごらんなさい』
『ああっ……ま、待って。名前を……あなたの名前を……!』
『ええ、わたしの名前が……なんですって?』
 彼女は大胆にもケンドリックが持て余している部分を握った。
『あっ……ああ!』
 視線だけで果てそうになっていたのに、そんなことをされて我慢できるわけがない。ケンドリックはあっさりと達した。身体の力が抜けて、その場に両膝をついてしまう。
 そんなケンドリックの様子を彼女は黙って見つめていた。
『あの……名前……名前を……』
 ケンドリックは肩で息をしながら縋るように彼女を見あげる。
 彼女は金の髪をぱっとかきあげ、クスッと笑った。
『待てができない子には、教えられないわ』
 そう言って彼女はケンドリックに背を向ける。
『えっ……?』
 どうにかして彼女を引き止めたくてケンドリックはシュミーズの裾に手を伸ばしたが、宙をつかんだだけだった。
『待って……どうかもう一度……』
 もう一度、あなたに──。

 

 ケンドリックはハッと目を覚ました。自分は上に向かって腕を伸ばしている状態だった。視界に入った天井は見慣れたものだ。王城内にある、自分の部屋の天井である。
「夢……」
 そう呟きながら起きあがって毛布を捲り、恐々と下穿きの中を覗く。
 それはギンギンに硬くなって熱を帯びていたが、現実では「待て」ができていたので胸を撫でおろした。
 あの夏の彼女のことは、もう数えきれないくらい夢に見ている。
 だが彼女は決して名前を教えてくれないし、ケンドリックからは触れることもできない。いつもそうだ。今朝もそうだった。
 ケンドリックは盛大なため息をつくと、顔を洗うためにベッドから這い出した。

 

 あの夏から七年。十九歳になったケンドリックは、ラインディア王国の第三王子ダイランの近衛隊に属している。
 ダイランとケンドリックは同い年の学友である。そのせいかケンドリックと二人きりになると、ダイランはかなり気安く接してくるのだった。
「今年ももうすぐ社交シーズンがはじまるねえ」
 執務室の椅子の背もたれに身体を預け、ダイランは近衛騎士たちの勤務予定表をぴらぴらと振ってみせる。
「で、来月のおまえの予定は定時あがりと午後休ばかりだけど、今年も『あの夏の彼女』を捜しに行くわけ?」
「当たり前です」
 ケンドリックは即答した。
 別荘地では、彼女は見つからなかった。だが、社交界には顔を出していると思う。サニーデールの別荘地を訪れているくらいなので、彼女の家はそれなりに社会的地位があるはずだ。だから招待状を受け取ったパーティーはすべて顔を出すことに決めている。
 普段のケンドリックは残業も進んでやるし、早朝出勤やら夜勤やらを入れまくって働いている。頼まれれば休日出勤だってものともしない。そのぶん、社交シーズンは好きに行動させてほしいと事前に周知してあった。
「まあ、好きにしていいけどさ……けど、年上っぽかったんだろう? もうどっかの男のものになってるんじゃないの?」
 そう問いながらダイランが首を傾げる。と同時に、肩のあたりで揃えた栗色の髪がさらりと揺れた。
 思春期をともに過ごしたのでダイランはケンドリックの初恋を知っている。それだけに痛いところをついてきた。
「考えたくはないですけど……そういう可能性もあるというか、なくはないというか……」
「いや、その可能性のほうが高いと思うよ?」
「そんな話はしたくありません」
「いやいや、現実を見ようよ」
 ほんとうに考えたくはないのだが、あれほど美しい女性なら引く手あまただろう。もしかしたらとっくの昔に結婚していて、ケンドリックにやったようなことを、夫にしているのかもしれない。考えたくはないが、でも。
「それならそれで……諦めがつくのかもしれません」
 自分は「あの夏の彼女」にずっととらわれている。彼女にもう一度会いたい一心で社交シーズンのパーティー会場を彷徨っているが、いまのところなんの手掛かりもない。
 せめて彼女が「ほかの男の妻である」ことがわかれば、気持ちの区切りもつけられるだろう。多分。実際はどうなるかわからないけれど、多分。
 大きな深呼吸をし、ケンドリックは顔をあげた。
「ダイラン様。おれ、ちょっと訓練場に行ってきます」
「いいよ。行ってらっしゃい」
 いつ「あの夏の彼女」に会ってもいいように、ケンドリックは身体を鍛え続けている。七年前の自分は同年齢の子に比べて身長が低く、身体の線も細くて「女の子みたい」と言われることが多かった。もしかしたら彼女にも、最初はそう思われたのかもしれない。
 だがいまの自分は違う。身長もずいぶん伸びたし、肩幅も広くなったし、身体に厚みもついてきている。
 再会した彼女に少しでも「素敵!」と思ってもらえるように、鍛錬は怠らなかった。
「今年こそはあのひとを見つけてみせる……」
 ダイランの執務室を出るとケンドリックはそう呟いた。
 社交シーズンはもう目の前に迫っている。