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ワケあって悪女を演じていますが、犬系年下騎士にめちゃめちゃ愛されてしまいました 2

第二話

 

 グリーリルド王国の王都では様々なサロンが開かれている。
 エルシー・マーズが今日参加しているのは、とある貴婦人が自宅を開放して開催している「グリーリルドの遺跡を語る会」である。実質はお喋りしながらお菓子を食べる会なのだけれど。
 エルシーが着いたテーブルには最近結婚が決まった女性がいて、お喋りのテーマはもっぱら「初夜について」であった。
「私、本で読んだことがあるわ。女性の足の間に……そのー……男の人がアレを突っ込むんでしょう?」
「何それ! 信じられない!」
 誰かが自分の知識をヒソヒソ声で披露すると、周囲の女性たちがキャアキャア騒いだ。
「だって、医学書にはそう書いてあったもの」
「そんなの嘘だわ。だって、だって……アレって、ほら……フニャフニャしてるじゃない?」
「やだあ。どうしてアレの感触なんか知ってるのよ」
「お、弟よ! 昔、弟のおむつ替えを見たことがあって……」
「あっ……そういえば、私も弟がはだかんぼうで廊下を走り回ってるところ、見たことがあるわ。確かに、ブラブラしてた」
 そこで周りの女性たちは左右を見渡し、それからテーブルの中央に顔を寄せる。
「……じゃあ、そのフニャフニャブラブラしてるものを、どうやって入れるわけ?」
 彼女たちの会話を聞きながら、エルシーは澄ました顔でお茶を口に運んだ。
 エルシーは知っている。そのフニャフニャブラブラしたものは、とんでもなく硬くなるときがあるのだ。

 

 それを知ったのは、十六歳の夏だ。母親の実家がある隣国ラインディアに家族旅行した夏の出来事。
 あのときは母の実家に滞在した後、サニーデールという別荘地に遊びに行った。そこでエルシーは男性の身体がどうなるのか、見てしまったのである。
 とても暑い日だった。エルシーは最初、川沿いに座って涼んでいた。だが周囲に人はいないし、流れがとても綺麗だったのでシュミーズ姿になって川へ入ることにしたのだ。
 手で川の水を掬って顔や首筋にかけると、驚くほど気持ちが良かった。この際寝そべるようにして肩まで水に浸かってしまおうか。そんなことを考えていると、ザバッという音がした。
 岩の陰から、自分を見ている人がいたのである。一瞬警戒したが、姿を現したのは可愛らしい子どもであった。つやつやした黒い髪と、深いグリーンの瞳が印象的だ。上半身裸で平らな胸を晒していたから男の子だとわかったが、彼は、顔だけ見ればほんとうに女の子みたいだった。
 エルシーは彼を近くに呼んだ。一人で川へ入るには危険そうな年齢に見えたから、家族はどこにいるのか訊ねようと思ったのだ。
 しかも彼は前屈みになってお腹を押さえていて、具合が悪そうだった。冷たい川でお腹を冷やしたのかもしれない。あるいは、岩場にお腹をぶつけて怪我をしたのかもしれない。
 血が出たりしていたら、大人を呼びにいかなくては。心配になったエルシーは彼の問題の部分を確かめようとした。
 すると、少年の下穿きの股間の部分が異様に膨らんでいた。丸めた靴下でも詰め込んでいるように見えた。いったい何を隠しているのだろう? エルシーは彼が股間に隠しているものがなんなのか、確かめるために手を伸ばした。
 それは靴下よりもずっと熱を持っていて、中身が詰まっているような感触だった。人間の身体の一部分にしては驚くほど硬くて、けれども金属ほど無機質ではない、そんな感じだ。
 エルシーが触れた瞬間、彼は呻いて身体を震わせた。エルシーがつかんだものも、びくびくと脈打っているような気がした。
 いまのはなんだったのだろう? とエルシーが考えている間、彼は俯いて肩で息をしていた。やがてエルシーは気づく。彼は自分が思っているほど子どもではなくて、むしろ「男」だったのではないかと。
 男の人の股間にブラブラしているものが付いていることは知っていた。興奮するとそれが膨らむという話も聞いたことがあった。どんな風に、どれくらい膨らむのかはわからなかったけれど。
 だがその現象と目の前の少年はまったく結びつかなかった。天使みたいに可愛らしい外見をした少年に、そんなものがくっついているなんて思うわけがないではないか。
 それから自分の姿を見おろした。濡れたシュミーズが身体に貼りついて、乳首の色までが透けている。自分は無防備に振る舞い過ぎたかもしれない。
 気まずくなったエルシーはその場を取り繕おうとした気がする。しかしエルシーが何かを言う前に、少年はこちらに背中を向け、遠ざかっていった。一度ド派手に転んだが彼はすぐに起きあがり、川べりへ向かって這うように進んで行く。そして自分が着ていた服をつかむと、覚束ない足取りで走っていってしまった。その様子はどこか哀愁を帯びていた。
 敗走する負傷兵って、ああいう感じなのかな、とエルシーは思った。
 母の実家は二、三年おきに訪ねているが、エルシーがサニーデールへ行ったのはそれきりだ。だから彼がどこの誰なのか、知る機会もなかった。

 

「ねえ、エルシーさま。今日はお静かだけど……私たちの会話、あからさま過ぎたかしら?」
 七年前の出来事を思い返していると、突然話を振られ、エルシーは咄嗟に愛想笑いを浮かべた。
「そんなことはないわ。興味深く聞かせてもらっているわよ」
 そう言ってクッキーを食べようとした瞬間、大きな手が自分の肩に置かれる。
「よお、エルシー」
「……マーキス! 何しにきたのよ」
 エルシーはマーキスの手を払いのけ、立ちあがった。
 マーキス・アダムズはこのグリーリルド王国の騎士で、アトリー伯爵の息子だ。伯爵は軍の上層部にいるらしく、マーキスは父親の威を借りて職場ではずいぶんと大きな態度をとっていると聞く。彼の態度が大きいのは社交場でも同じだ。
「ここは女性のサロンよ。男性が立ち寄る場所ではないわ」
「そんなつれないこと言うなよ。帰りは送ってやるからさあ」
 マーキスと知り合ったのは去年の社交シーズンだった。彼は声が大きい上に、無礼なことばかりするのでエルシーは彼が好きではない。パーティー会場で顔を合わせることがあってもエルシーは彼をそれとなく避け続けたのに、何も伝わっていないようだ。事ある毎にエルシーの前に現れ、こうしてベタベタと身体に触れようとしてくるのだから。
「それに、いまの話聞いてたぜ……男のアレに興味があるんだろ?」
「な……!」
 エルシーはテーブルの女性たちを一瞥したが、ある者は恥ずかしそうに俯き、ある者は扇子で口元を隠してヒソヒソ話をしている。
 そういえばほかの女性たちはマーキスの求愛について「あんなに求めてくれるなら、考えてあげたっていいじゃない」とか「アトリー伯爵の息子なら、出世は間違いなしよ!」とか、そんな風に言っていた。彼女らにフォローを期待するのは無駄というものだろう。
「聞き耳を立てていたの? 悪趣味な人ね」
 エルシーはそう言い放ってマーキスから顔を背けたが、彼はエルシーの腰をつかんで自分のほうへ引き寄せた。テーブルの女性たちが「きゃあっ」と盛りあがっている。
「離してちょうだい!」
「いてっ」
 エルシーはマーキスの手を扇子で引っ叩く。そしてサロンのテーブルの女性たちに暇を告げた。
 廊下に出ると玄関ホールを目指して足早に歩いたが、すぐにマーキスが追いついてくる。
「なあ、エルシー。送ってやるよ」
「結構です。うちの馬車を待たせていますから」
「うちのは最新式の馬車だぜ? 乗ってみたいだろ?」
 マーキスは自分の家の馬車がどれだけすごいかを語ってみせる。扉の開け閉めがスムーズだとか、座席に使っているバネが素晴らしくて悪路でもそれほど揺れないとか喋り続けているが、まったく興味はない。マーキスと狭い箱に閉じ込められるなんて、考えただけでゾッとする。
「悪いけど、興味ないわ」
「そんなこと言わずにさあ」
 マーキスは今度はエルシーの肩を抱いてきた。これほど嫌がっているそぶりを見せているのに気づきもしないとは、なんて鈍感な男だ。いや、マーキスはエルシーの気持ちなどどうでもいいのだろう。
 マーキスが「エルシーは自分のものだ」と言わんばかりの態度を取り続けているせいで、マーキスとエルシーが交際していると思い込んでいる人も増えてきているらしい。
 一度「彼女は嫌がっているのではないか?」と言って間に入ってくれた人がいたが、マーキスは大きな身体と声でその人を威圧し、黙らせてしまった。以来、エルシーは極力マーキスを冷淡にあしらうようにしている。しかし彼が身を引く気配はまったくない。
 来月からはじまる社交シーズンのことを考えると頭が痛くなってくる。そろそろ身を固めることも考えなくてはいけないのに、マーキス以外の男性が近寄ってこなくなったらどうすればいいのだろう。
 マーキスのせいで自分の選択肢が狭められていることを思うと、だんだんと腹が立ってきた。
「ちょっと寄り道して、公園のほうに行ってみようぜ」
 マーキスの中ではエルシーを送ることが決定しているようだ。
「あなたの馬車には乗らないと、言っているでしょう」
「なんでだよ。男の身体に興味があるんだろう?」
「……え?」
「男のアレがどうなるか知りたいだろ? 二人きりになったら、俺が教えてやるよ……」
 マーキスはエルシーの耳元でそう囁いた。
 吐き気に襲われたエルシーは自分の肩に置かれたマーキスの手をぐいと退ける。
「教えていただかなくて結構。男性の身体について、わたしはもう知っておりますので!」
 エルシーはマーキスに向かってぴしゃりと言い放つ。
「え? ……お、おい。 し、知ってるって……?」
「ええ。知ったのは、もう七年も前のことだったかしらね」
「……は?」
 マーキスは愕然とし、幽霊でも見てしまったかのような表情でエルシーを見つめている。彼にダメージを与えられたことが爽快だった。
「では失礼!」
 エルシーは固まったままのマーキスを廊下に取り残し、一人で玄関口に向かう。
 すると、マーキスは大声で叫んだ。
「なんだよエルシー! おまえ、処女じゃなかったのかよ!」
「え? ちょっ……」
 彼の声はこの邸宅中に響いているに違いない。それほどの絶叫だった。
 周囲にいた屋敷の使用人たちも驚いてエルシーとマーキスを見比べている。彼らはエルシーと目が合うと、慌てて視線を逸らして自分の仕事に戻った。
 ここはマーキス並みの大声で否定したほうがいいだろうか。いや、まずはサロンを主催している夫人を探して弁明すべきだろうか。それともさっきのテーブルに戻って令嬢たちを相手に誤解だと説明する……?
 エルシーは今後、自分がとるべき行動について考えたがマーキスの追い打ちのほうが早かった。
「よくも俺を騙してくれたな! この、あばずれが!」
「……!!」
 いつエルシーがマーキスを騙したというのだろう。彼はエルシーに勝手にのぼせて自分の気持ちを押しつけていただけではないか。そしてエルシーが自分の思っていたような女性ではなかったからといって、今度は被害者ぶるなんて、なんという男だろう。
 同じ舞台に降りてまでマーキスと向き合いたくない。それがエルシーの本音だ。
 エルシーは喚き続けているマーキスに背を向け、今度こそ屋敷を後にしたのだった。