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ワケあって悪女を演じていますが、犬系年下騎士にめちゃめちゃ愛されてしまいました 4

第四話

 

 どうやら彼女は、去年の社交シーズンに出会った男性のことが気になっているようだ。
 しかし去年のペネロペはデビュタントしたばかりで勝手がわからず、異性へのアプローチなどはまったくできなかった。
「か、彼とダンスをしてみたかったのだけれど……お母さまに打ち明けてしまうと、あの、なんて言うか、ほら……」
「ああー……」
 アニスのことだ。娘が興味を持った相手にぐいぐい強く迫って、半ば無理やり二人で踊らせようとするだろう。そういったことを繰り返していると、すぐに噂が立つものだ。「ウィングフィールド伯爵令嬢は、とある男性にご執心らしい。母親を使って目当ての男性と懇ろになろうとしている」と。
 そんなことになっては、ペネロペのガラスの心臓は粉々に砕けてしまうに違いない。
「つまり、夜会に出席することも、私が付添役を務めることも反対ではないのね?」
 そう確認すると、ペネロペはこくこくと頷く。
「エルシーねえさまと一緒に参加できるのはとても楽しみなの。それで、できたら……今年は彼と踊ってみたくて……」
「なるほど」
 踊るだけでいいなんて、ペネロペはあまりにも謙虚すぎる。相手がどこの誰かはまだ知らないが、社交界にいる人ならばそれなりの身分と地位があるのだろう。しかし踊って満足しているだけでは、そのうちほかの女性に取られてしまう。
「どうせなら、もう少し仲良くなるところまで目指しましょうよ」
「え? そ、そんなこと……」
「お友達になっておけば、社交シーズンが終わっても会えるでしょう?」
 するとペネロペは頬を押さえてぽうっとしている。お茶会や何かのイベントで相手と会えることを夢想しているのだろうか。
「ね? 目標はお目当ての方とのダンスではなくて、お友達になることにしましょう」
「わ、わかった……頑張ってみる」
「その調子だわ」
 ペネロペが頷いたのでエルシーもそうした。
 付添役として、まずはペネロペの相手を見定めなくては。そしてその人が真面目で優しい男性であったなら……自分は従妹のキューピッド役に徹しようと思う。
「ではおばさまのところへ行きましょうか。あなたも何着か新しいのを用意したら? 衣装を揃えたら、二人で作戦会議をしましょうよ」
 なんだかやる気が湧いてきた。従妹の付添役が、このラインディアでの自分の使命であるような気さえしていた。

 

 ペネロペにとって今シーズン初の夜会は、オットー公爵家の屋敷で行われるものだった。屋敷はかなり広いが、それでも多くの招待客がひしめいている。
 エルシーは大きな柱の近くで玄関ホールを往来する人々を観察していた。
「どう? あなたのハウエル様はいらしている?」
「エ、エルシーねえさま……彼は私のものではないわ……」
「でもそうなるように頑張らないと」
 ね? と言ってペネロペを見ると、彼女は頬を染めて俯いた。
 ペネロペが好きになった相手はコリンズ伯爵家の嫡男ハウエル・アッシャー。騎士として王城に仕えている二十三歳の青年らしい。
 昨年のとある夜会でペネロペは人にぶつかられ、その拍子に手にしていた扇子を落としてしまった。扇子は床に落ちると同時に誰かに蹴飛ばされ、ペネロペが扇子の後を追っていくと、またほかの誰かに蹴飛ばされてしまった。扇子は最終的にハウエルの靴にぶつかり、彼はスマートな所作でそれを拾いあげ「これは君の扇子かな?」と言ってペネロペに差し出してくれたと聞く。
 基本的に、紹介されてもいない知らない異性に話しかけるのはタブー視されているが、これは不可抗力というものである。そこで自己紹介を済ませると、ハウエルは「知り合った記念に一曲踊りましょう」と、ペネロペにダンスを申し込んだ。
 しかし二人が踊ることはなかった。
 庭園の大きな木の枝が折れて、ダンスホールの窓に直撃したからである。とても風の強い日だったせいで起こった出来事だった。幸いけが人はいなかったが、ホールには砕けた窓枠やガラスが散乱していてダンスどころではなくなってしまった。
 その後まもなく社交シーズンは終わり、彼と踊れなかったことはペネロペの心残りになっていたようだ。
「それで、そのハウエル様はどういった外見なの?」
「背が高くて、髪が真っ黒なの」
 エルシーは玄関ホールとダンスホールに続く通路を見渡し、ペネロペに言った。
「そんな人、たくさんいるわ。ほかの特徴はないのかしら」
「とても、素敵な人なの……!」
「なるほど」
 エルシーは気のない相槌を打った。ペネロペにとってはじゅうぶんに素敵なのだろうけれど、自分が見て素敵と思えるかどうかはわからない。
 伯爵家の嫡男で職業が騎士ならば、身分的には問題ないと言えよう。それでも外面(そとづら)がいいだけの女好きはたくさんいる。お酒を飲んで暴力を振るう人だって少なくないらしい。あとは賭博ばかりしている人とか。
 とにかく今シーズン初の公爵家主催の夜会ともなれば、ハウエル・アッシャーがやってくる可能性は高い。ハウエルがどういう人間なのかをよく見定めなくては。
 ハウエルについてチェックしなくてはならない項目を頭の中に列挙していると、ペネロペがエルシーの腕をぽんぽんと叩いた。
「ハウエル様がいらっしゃったわ……!」
「まあ。どの人?」
「いま、公爵夫妻と挨拶している人よ」
 ハウエルはやってきたばかりのようだ。ホストの公爵夫妻と話している人物は二人。一人はグレーの髪の毛をした五十歳くらいの男性。もう一人は真っ黒な髪の毛の背の高い青年。若いほうがハウエルで、もう一人はおそらく彼の父親のコリンズ伯爵であろう。
 観察を続けていると、公爵夫妻との挨拶を終えたハウエルたちは、別行動になった。父親のほうは知り合いを見つけ、男性たちがカードゲームをしている一階の奥の部屋へと向かっていく。ハウエルも自分の知り合いを探すためにホールをうろつきはじめた。いまがチャンスだとエルシーは思った。
「ペネロペ。ハウエル様のところに行くわよ」
「え……えっ?」
「昨シーズンに一度会ったきりなのでしょう? それならまずはご挨拶して、自分を印象付けなくてはね」
 心の準備ができていなかったのだろう。ペネロペがヒュッと息を吸い込む音が聞こえた。しかし彼女の心の準備ができるのを待っていたら、社交シーズンが終わってしまいそうだ。
「今夜の挨拶は大事だわ。次はいつ会えるかわからないのよ」
「え、ええ、ぇえ……」
 ペネロペの口から呻き声のようなものが漏れたものの、彼女はこくこくと頷いている。うろたえてはいるが、エルシーに同意しているとみていいだろう。
 エルシーはペネロペの肘に手を添えてまっすぐにハウエルがいる場所へ向かう。彼がこちらの気配に気づいて顔をあげた瞬間、エルシーは笑顔を作った。
「ハウエル様。昨年のお礼を言わせていただけるかしら」
「え、ええと……昨年……?」
 彼は訳がわからないといった表情でエルシーをぼんやり見つめている。
「ええ! わたしの従妹のペネロペ・フェイブリーを助けてくださったのでしょう?」
 そう言ってペネロペを一歩前に出させる。ハウエルはエルシーとペネロペを交互に見ているが、まだわかっていないらしい。エルシーは「ほら、昨年のお礼を言うのよ」とペネロペに耳打ちする。
「あ、あの……きょ、きょ去年、かっかか風の強い日に、ガ、ガラスが割れて……それで、せっせせ扇子を……」
 ペネロペは耳まで真っ赤になり噛みまくってよくわからない説明をした。もともと内気な娘だが、想い人の前ではこんな風になってしまうらしい。本人にもうまく伝えられなかった自覚はあるようで、可哀想なことに涙目になっている。
 しかし、ハウエルは白い歯を見せてにっこりと笑った。
「ああ。あのときの……ウィングフィールド伯爵家のお嬢さん! 覚えていますよ。ダンスホールのガラスが派手に割れてしまったんですよね」
「あ、は、はい……っ。あの、あのときは……扇子を……そのっ、お礼を言いたくて……」
「そんな。お礼を言われるほどのことはしていませんよ」
「け、けどっ……ず、ずっと……き、きき気になっていて……」
「それでわざわざ僕を捜してくださったんですか? 光栄に思います」
 エルシーは「なるほど」と心の中で頷いた。ハウエルはペネロペの言いたかったことを上手に拾ったうえで優しく答えてくれている。第一印象はかなり良い。
 そろそろ「せっかく再会したのだからダンスでもどう?」と促したいところである。しかしぐいぐい勧めたら、それではアニスのやり方と同じになってしまう。さりげない勧め方を考えていると、ハウエルはエルシーのほうを見た。
「あの、失礼ですが、あなたはペネロペ嬢の付添の方なのでしょうか……?」
「まあ! 自己紹介がまだでしたね。大変失礼いたしました。わたしはペネロペ・フェイブリーの従姉でエルシー・マーズと申します。それに、そう。今シーズンはペネロペの付添役を務めさせていただくことになっております」
「従姉、と言いますと……」
「わたしの母が、ウィングフィールド伯爵の妹なんです」
 するとハウエルは急に真顔になり、エルシーの前に立つ。
「けれども僕は、これまであなたに会ったことがない」
 伯爵家の縁者でそれなりの年齢に達していれば、社交界に顔を出していてもおかしくはない。だからハウエルは、いきなりラインディアの社交界に現れたエルシーのことを訝しんでいるのだろう。
「ええ。普段はグリーリルドに住んでおりますから。ラインディアの社交界は初めてだわ」
「なるほど。異国住まいでしたか」
 エルシーは頷く。これで自分は出自の怪しい女ではなくなったはずだ。そう思った。しかし、ハウエルはまた質問を投げかけてくる。
「ペネロペ嬢の付添役ということは……ご結婚されていらっしゃるのですか」
「いえ。ペネロペの母親の依頼で付添役をしております。母国でデビュタントしてもう五年も経っておりますもの。わたしがちょうどよかったのでしょう」
「そうでしたか……」
 これで納得してもらえただろうか。なかなか疑り深い人だ。いや、伯爵家ともなると素性の怪しい人たちがお金や家名目当てに寄ってくることもある。これくらい用心するべきなのかもしれない。むしろ、考えなしになんでも頷いてしまう人よりはいいだろう。
 そんなことを考えていると、ハウエルがエルシーの手を取った。エルシーはそれを「これからよろしく」の握手だと思ったが、彼はエルシーの手を自分の両手で包み込む。
「次にお会いできるのはいつになりますか? 今シーズンの予定を教えてください」
「……え?」
 自分はただの付添役である。ペネロペの影に徹し、彼女がおかしな男に引っかからないように目を光らせる役。ハウエルは何か勘違いをしているのではないだろうか。思わずハウエルを見あげると、彼はのぼせたような瞳でエルシーを見つめていた。
 男性のこういう目を、エルシーはよく知っている。マーキスも出会ったばかりのころは同じような目をエルシーに向けていた。それまでは気が乗らなければきっぱりと断っていたエルシーだが、マーキスは違った。つれなくされて意地になったのか、何が何でもエルシーを手に入れようと躍起になったのだ。……思い出したら腹が立ってきた。
 いや、いまはマーキスに腹を立てている場合ではない。
 こんなことになってしまうなんて、気まずくてペネロペの顔が見られない。しかしエルシーの気も知らずにハウエルは畳みかけてくる。
「僕と踊っていただけますか」
「あの、ハウエル様。わたしは……」
 そうだ。彼の心が自分から離れるように仕向ければいいのだ。マーキスにやったように。
 エルシーは息を吸い込み、姿勢を正した。
「手を、離してくださる?」
「あっ。これは、失礼しました。それで、あの、ダンスは……」
 エルシーはつんと顔をあげ、肩にかかった金の巻き毛をぱっと払う。それから取り澄ました顔で扇子を広げて口元に持っていった。
「わたし、特定の殿方とのお付き合いはしていないの」
 そう宣言すると、ハウエルは愕然とした表情になった。マーキスのときは「ざまあみろ」という気持ちが大きかったが、今回はちょっと心苦しい。けれどもハウエルにはどうしても自分から目を逸らしてもらう必要がある。
「そ、それは……決まった相手はつくらないと……そういう意味でしょうか」
「ええ、そう。お付き合いの相手は不特定多数、と表現すればよろしいかしら。わたしの国ではそういう女性も多いの。付添役として買われたのは、わたしが経験豊富だからという理由もあるのでしょうね」
 エルシーが口にしたのは出まかせである。グリーリルドでも経験豊富な未婚の女性は醜聞になる。身を以って知っている。しかしハウエルが自分への興味を失ってくれるならばもうなんでもよかった。
「ふ、不特定多数……? 経験……豊富……?」
 ハウエルは呆然とエルシーの言葉を繰り返している。この場のおかしな雰囲気が周囲に伝わったのだろう。一人、二人とこちらに視線を寄越すものがでてきた。
 まずい。非常にまずい。自分一人ならば「では失礼!」と言って踵を返すのだが、ペネロペのことがある。次の一手を考えながらエルシーが扇子でぱたぱたと顔を扇いだとき、
「やっと見つけた!」
 ホールに、若い男性の声が響き渡った。別の騒ぎが生じたようだ。エルシーはホッとして声がしたほうに視線をやった。
 長身で黒髪の青年が走ってくるのが見えた。
 問題は、彼がエルシーに向かってきているように思えることだ。
 だんだんと黒髪の青年が近づいてくる。驚くほど整った顔立ちだが、自分が知っている人ではない。けれども、やっぱり彼は自分を見ている気がする。
 青年は長い足で距離を詰めてきて、あっという間にエルシーの目の前にやってきた。
 彼のエメラルドのような深いグリーンの瞳に見入っていると、いきなり肩をつかまれる。
「ああ、本物だ……!」
 エルシーはぎょっとする。ラインディアでは知らない異性の両肩をつかむのが一般的なのだろうか? いや、そんなはずはない。彼は人違いをしているのだろう。
「あの、ちょっと。わたし……」
 あなたの探している人ではないわよ、と言おうとしたが青年はエルシーをハウエルから遠ざけるようにして自分が間に入る。そしてエルシーに小声で囁いた。
「あの男、誰なの?」
「え……」
 あなたこそ誰なのよ。と問いたい。
 そのとき、ハウエルがためらいがちに口を開いた。
「あの……そちらは……お知り合いの方ですか?」
 いきなり乱入してきた青年を訝しんでいるようだ。それはエルシーも同じなのだが、否定の言葉を口にする前に頭の中でパズルが一気に完成していくようなイメージが湧いた。
 エルシーはパンと音を立てて扇子を閉じ、取り澄ました声を出した。
「ええ。わたしの信奉者の一人……と言ったところかしら。あなたたち、踊ってきたら? わたしは彼と過ごすことにするわ」
 ここで見知らぬ青年が異議を唱えたりしたら大変だ。エルシーは名も知らぬ青年の肘につかまると「行きましょう」と囁き、ぽかんとするハウエルとペネロペをその場に残してきたのだった。

 

 エルシーは早歩きでダンスホールを突っ切り、大きな掃き出し窓からテラスへ、そして庭へ出る。ひと気のない生け垣の傍まで来たところで、ようやく青年から手を離した。
「あなたは人違いをしているみたいだけれど……わたしは助かったわ。どうもありがとう」
「人違いじゃないよ」
 彼に背を向けようとしたとき、ぱっと手首をつかまれる。
「ああ、やっぱり本物だ……」
「え? え? ちょっと……?」
「今夜のあなたは夢じゃないんだよね……?」
 月明かりの下、青年は夢見るような表情でエルシーを見つめ、次にエルシーの手のひらを撫でた。
「あの、人違いではないかしら?」
「おれがあなたを間違えるはずがない」
 この人、なんだかアブない……?
 エルシーは彼との会話を切りあげたい一心で続ける。
「わたし、あなたとは会ったこともないわ。誰かと間違えているのよ」
「そんな。さっきあなたは、おれのことをあなたの狂信者だと紹介してくれて……」
「狂信者ではなくて、信奉者よ。あの場を切り抜けたくて、とっさに言っただけ。とにかく、会ったことはないと言っているじゃない」
 外は薄暗いが、彼がショックを受けたように表情をこわばらせたのがわかった。
「そんな。おれは……一日たりとも忘れたことなんてなかったのに」
 彼はそう言って一歩、二歩とエルシーから遠ざかっていき、よろめいて生け垣にぶつかった。バサッと音がして、葉っぱが飛び散ったのがわかった。
 彼の様子は、まるで敗走する負傷兵みたいだった。
 そこでエルシーは「ん?」と首を傾げる。自分は敗走する負傷兵なんて見たことがないのに、どうしてそんな風に思ったのだろう、と。
 ここから遠ざかりたい気持ちはあったが、彼の様子が昔見た何かと重なるような気がして、エルシーは青年の言動を見守った。

 

 

 

 

 

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