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様子のおかしい陰キャを助けたら、ハイスペックイケメンだった件 王太子様は愛しの彼女を射止めたい 1

第一話

 

「は?」
 ギョッとして、アンドレアは目を見開いた。
 アンドレアの髪色は黒に近い褐色であり、しかもあまり人前に出ない引きこもり生活のために、ぼさぼさに伸びてその顔面を分厚く覆っている。
 だから、どれほど大きく表情を変えたとしても、その違いはほとんど他人からわからないのだが。
 それでも大きく漏れた声は、驚愕を表すのに十分なものだったはずだ。
「陛下、……なんて?」
 アンドレアがひざまずいていたのは、このリパブルク王国の玉座の前だ。
 王都にある王城の玉座に威厳をもって座っているのは、アンドレアの父である国王ダニエレ二世だった。その横には、母の王妃が座っている。
 順当に行けば、王太子であるアンドレアが玉座を継ぐことになる。
 だが、今、聞いた内容は、それをも揺るがすことだった。
「だから、今言った通りだ、アンドレアよ。西の大国ストロンポリはかねてより、この大陸を支配しようと軍備を増強しておった。ストロンポリが侵略を始めたら、まず狙われるのは、隣接する我が国だ。長いこと様子をうかがってきたが、残念ながらストロンポリ国王の侵略の意欲が衰えることはないようだ。だからこそ、ストロンポリを牽制せねばならぬ」
「その必要は、重々承知してはおりますが」
 アンドレアはひざまずいたまま、玉座の父に言い返す。
「ですが、西のストロンポリに攻めこまれぬがために、そこに匹敵する軍を備える東の大国、サルディーニャ皇国の皇女をこの、……この僕に射止めてこい、というのは、あまりにも無理なご命令なのでは?」
 自分に色恋の要求をするのは、ウサギに酌をさせるようなものだ。無茶がすぎる。
 そうアンドレアは伝えたいのだったが、ダニエレ二世はさも不思議そうに首をひねった。
 横で王妃も同じように首をひねってから、口を開く。
「どうしてかしら、アンドレア。サルディーニャ皇国は、頼りになる軍事大国よ。その姫を娶れば、国同士の軍事同盟も結ぶことができる。そうなれば、ストロンポリも我が国に攻めこむことを躊躇するはずだわ。何よりサルディーニャ皇国には年頃の皇女がいて、三ヶ月後に結婚相手を探す大がかりな誕生記念パーティを開くと決まっているの。そのパーティにあなたが参加して、皇女を射止めればいいだけよ。それができれば、我が国は存続できる」
 何でもないことのように言われたが、とんでもない危機なのが伝わってきた。
 自分の結婚に、王国の存亡がかかっている。
 アンドレアは生まれ育ったこの国を愛していた。この国に住む民も、王城に住まう人々も、だ。ストロンポリに攻めこまれて、滅ぼされるわけにはいかない。
 そして両親が選んだ方法が、一番手っ取り早く、かつ安全で、現時点で最善な方法であることも理解できた。
 だが、それには根本的な問題があることを、この二人は忘れてはいないか。
「しかし、陛下。王妃殿下。僕に、この僕に、……サルディーニャの皇女を射止めることができると、本気でお思いなのでしょうか」
 アンドレアは、年齢だけは適切だ。サルディーニャ皇国の十八歳になるという皇女に対して、五つ年上の二十三歳。だがそのパーティには、大陸にある国々の、適齢期の王族や大貴族が大勢招かれるはずだ。
 ライバルは山のようにいる。
 それをまず理解して欲しいと、アンドレアは必死で言葉を継いだ。
「サルディーニャは豊かな大国であり、しかも皇女はかなりの美女だと聞いております。その皇女を娶るために、大勢の男が虎視眈々と目を光らせているに決まっているのです」
 すると挑むような目をして、ダニエレ二世は楽しげに言い渡した。
「出し抜くのだ、アンドレア。全ての求婚者を蹴落とし、見事、皇女を射止めるのが、そなたの使命――」
「無理ですよ!」
 ついにアンドレアは、大声を出した。礼儀も忘れて叫んでしまう。
「いったい父さんは僕のどこを見て、女性を射止められると思ったんです? 二十三になってもひたすら王城の一室に引きこもり、古代文書を読み解いて魔術師の真似事をすることが趣味の僕を、城の人々が何と呼んでいるのか、知らないとは言わせません……!」
 だが、ダニエレ二世は動揺を見せず、にんまりと余裕の笑みを浮かべた。
「ああ。知っておる。『魔術オタク』だろう?」
「『陰キャ非モテ引きこもり魔術師もどき』とも言われてるんですよ! 城の公式行事にほとんど顔を出さず、こんな小国のちっぽけなお城の舞踏会ですら拒んでいる僕が、どうやって、大国の、競争率爆上がりの皇女を射止められると思ってるんです? 本気で考えているとしたら、現実を知って欲しい!」
 だが、ダニエレ二世は落ち着き払って指を組み直した。
「残念ながら、本気も本気なのだ、愛しい息子、アンドレアよ。わしが若いころは、それこそサルディーニャ皇国からの縁談も寄せられるほど、魅力的な美男として有名であったものだ。そなたもわしの息子であるからには、髪を切って服装をこざっぱりしたものに変え、パーティまでの三ヶ月、必死になって磨きあげれば――」
「だったら、そのときに父さんがサルディーニャ皇国の皇女と結婚し、同盟を結んでおけばよかったんですよ!」
 ダニエレ二世がモテモテだったことは、今の風貌からもアンドレアにはわかる。
 口髭をたくわえた堂々たる姿は、玉座にもっともふさわしい。
「そうはいかん。わしは母さんを、とても愛しておったからな」
 これほどの危機だというのに、玉座で両親が視線を合わせてにっこりしていることに、アンドレアは頭髪を掻きむしりたくなった。
 さらに、とんでもない提案までされる。
「そうだ、パーティでの振る舞いを、我が国きっての色男、ガブリエーレに指南してもらうのはどうだろう」
「それはよろしいですわね。さすがはあなた」
 玉座でいちゃいちゃし始めそうな両親に、アンドレアは拳を握りしめた。
 この二人には親の欲目がある。思いっきり言っておかないと、アンドレアが非モテだということを認識してくれない。
「無理ですよ! 無理無理、無理無理、絶対無理! 非モテ陰キャは、何をどうしても、女にはモテないものなのです。これは全世界共通の真理です」
「アンドレアがモテないことはないと思うがのう?」
「そうですわ。アンドレアはあなたによく似て、とてもハンサムですから」
「ハンサムだったら、どうして王城で行われた僕の十八歳のお披露目パーティで、女性が一人もダンスを申しこんでくれなかったんですか!」
 それは、アンドレアの心の深い傷となっている。さすがに国内では、王太子である自分はモテモテだろうと思っていたのに、女性はアンドレアを遠巻きにするだけで、一人も近づいてきてくれなかった。
 あのとき初めて、アンドレアの心に『僕は非モテなのかもしれない』という疑いが忍びこんだ。それまでは王太子として、趣味にいそしみながらも健やかに育っていた。自分の姿が女性の目にどんなふうに映るのかなんて、考えたこともなかった。
「あれは、あなたが直前まで行っていた魔術の実験によって、耐えがたい臭いがその身体から漂っていたからだわ。特に髪に染みついていた」
 王妃がそのときの臭いを思い出したとばかりに、眉間に皺を寄せてアンドレアを見る。
 確かに、あのときは皆、そのような険しい顔をしてアンドレアを見ていた。だが、それが匂いのせいだったとは、アンドレアは今でも思ってはいない。自分が非モテだったからだ。
「そういう慰めはいいですよ!」
「しかし、まだ三ヶ月ある、愛しいアンドレアよ。その間に、まずは外見を整えるところから始めて――」
「ですから無理ですってば!」
 渾身でアンドレアは拒絶した。
 脳裏に浮かんでいたのは、城一番の色男とされるガブリエーレの姿だったからだ。
 彼は目の下に泣きぼくろをつけ、けばけばしい化粧をし、ピチピチのタイツで太腿の筋肉や股間の膨らみを強調している。それが大陸の最先端だと彼は言っていたが、あのようなおぞましい服装をすると考えただけで、アンドレアは死んだほうがマシだという気分になる。
 しかし、愛する我が母国に迫るストロンポリの軍事的脅威を思うと、無下に父の要求を退けることができないのが難しいところだ。
 母がため息をついてから、包容力に満ちた笑いを浮かべた。
 かけてくる声は優しく、柔らかな響きを帯びている。
「私の愛しい息子アンドレア。どうしてあなたが非モテなどと思いこんでいるのか、私にはその理由がわからないわ。とても素敵に見えるもの」
「ですから、それは親の欲目――」
 母の言葉を、父が継いだ。
「結婚前のわしの前には、ダンスを踊りたい令嬢たちが行列をなしていたものだ。そのわしと、うり二つであるそなたが――」
 父は今でも、女性にモテそうな容姿を保っている。
 だが、アンドレアはモテたためしがない。むしろ年頃の令嬢は、アンドレアを見るとあからさまに不審者に向けるかのような表情を浮かべる。
「ですから! 父さんがモテるのは承知していますよ! ですが、大陸に出たら、このリパブルク王国は吹けば飛ぶような小国です。国土も狭く、人口も少ない。特に目を惹くような産業もない。つまりサルディーニャ皇国の皇女を引きつけるだけのステータスは、今の僕には全くないってことです!」
 ハッキリと言い切ったことでアンドレアは現実を突きつけられ、悲しくなってきた。
 もしかしたら、両親も自分の息子が非モテで、サルディーニャ皇国の皇女を射止められる可能性が少しもないことぐらい、とっくに承知なのかもしれない。
 それでもそんな無理を強要するしかないほど、我が国は軍事的に追い詰められているということだ。
 ストロンポリの軍事的脅威にさらされ、もはや打つ手なし、というのが実際のところなのだろう。
 ズン、と重荷がアンドレアの両肩にのしかかる。
 自分も王太子として、この国を救う方法を考えなければならない。だが、まさに頭が真っ白だ。
「と、……とにかく、……どうにか他に方法がないか、僕も考えますから」
 その場を取り繕おうとしたアンドレアに、ダニエレ二世の声が突き刺さった。
「そなたが考えずとも、すでにあらゆる方法を考えた後だ。ストロンポリへの対処法について、何度も合議会を開いておるからな。まずは周囲の友好国と、対ストロンポリの軍事同盟を結ぼうとしてみたのだが、ことごとく断られた。我が国の軍備も、懸命に増強し続けておるのだが、それ以上にストロンポリは兵を増やしており、到底対抗できん」
「つまり、僕に考えさせなくとも、あらゆる対処法は無効。かくなる上は、サルディーニャ皇国にすがるしかない、ってところですか」
「そうだ。わかって欲しい、息子よ」
 より重みを増した王の言葉に、アンドレアはうなずくしかなくなった。
 だが、呆然としながら退出するアンドレアの背中に、母は気楽にこう付け加えた。
「――あなたなら、皇女を射止めることぐらい、うまくやれると思っているわよ?」
 ――無理だ無理だ無駄だ無理だ……!
 どうして両親は、そんなふうに考えられるのだろう。
 だが、その軽口――としか、アンドレアには思えない――にこめられた絶望が、アンドレアにのしかかる。
 それでも他に方法はない。
 かくして三ヶ月後にあるサルディーニャ皇国の皇女の十八歳の誕生記念パーティへの出席が、アンドレアに義務づけられたのだった。

 


 * * * * *

 


 この大陸はかつて、一つの強大な帝国に統一されていた。
 その古代帝国の栄華は、千年以上も続いた。その帝国を統べていた人々の末裔が、リパブルク王国人なのだという。
 そして古代帝国の支配階級の血を、今のリパブルク王国の王族が継いでいるそうだ。
 マルティナはこのバルカン市にやってきたときに、そんなふうに聞いた。
 その証拠として、古代帝国の帝都であったバルカン市には、かつての栄光を表す巨大建造物が至るところに残っている。
 城こそ完全に破壊されたものの、巨大な神殿に、城壁に城塞。
 それのみならず、その古代帝国は今でも使えるインフラを残していた。
 一番役に立っているのは、リパブルク王国の各都市を結ぶ、舗装された道路だ。その道路は、かつては古代帝国が支配している大陸中の各都市をつないでいたというが、現在、残っているのはリパブルク国内ぐらいだ。
 そして、バルカン市の隅々まで潤す水道に、排水溝。
 今から何百年も前に作られたという花崗岩造りの水道橋は、このバルカン市の端にある水源地から長く伸びていて、数知れない美しいアーチで支えられている。モルタルなどで固定しておらず、その構造だけで重さを支えるという驚くべき技術が使われている。
 だが、すでにそれは失われた技術でもあった。壊れたところを補修してどうにか利用することはできるものの、新しいものを作ることはできない。
 ――だけど、この古代遺跡は、リパブルク王国人の誇りなのだわ。
 それを横目で見ながら、マルティナは市街地を急ぐ。
 スルドレ川の南側にあるバルカン市旧市街は、かなり崩れてはいるが、城壁に囲まれた歴史のある地域だ。城壁には、今も日没時と夜明けに開閉される七つの門が残っている。
 旧市街地は狭い入り組んだ道になっており、その道の左右にはびっしりと石造りの家々が建ち並んでいた。そのところどころに、かつての古代帝国の建造物が残っている。
 だが今は、それらの巨大な石造りの建物を再建することはできないらしい。
 ――巨大な石を動かすことはできないの。それは、失われた技術だから。
 古代帝国では、強大な力を持つ魔法が使われていたらしい。
 それで巨大な岩を移動させ、組み合わせて、ビックリするほど大きな建造物を作ることができた。
 だが、古代帝国が滅びた際に、その大帝国の復活を阻むべく、侵略者は魔法書をことごとく焼き払ってしまったそうだ。
 古代帝国の滅亡とともに、この大陸は暴力が支配する『暗黒期』へと突入した。
 異民族も大陸に流れこみ、何百年も『暗黒期』が続いたらしい。
 マルティナが生まれたころには、大陸はいくつかの国に分断されていた。今は、大きな戦争のない小康状態となっている。だが、常に戦の種はくすぶっているようだ。
 古代帝国の末裔たちは、かつてより領土を極端に減らしはしたものの、このバルカン市も含めた地に王国を建国した。それが今のリパブルク王国だ。
 このバルカン市は『暗黒期』には建物が打ち壊されたまま放置され、無人の状態だったそうだ。
 だが、リパブルク王国が建国されてから、ここにはかつての帝国の子孫たちが戻ってきた。彼らはバルカン市の壊れた建物を補修し、住み始めた。
 今やここにはリパブルク王国の王都ラティオに次ぐ第二の都市として、かつての賑わいが戻っている。
 何よりこの周辺には、豊かな農地もあった。
 市の城壁の外側には、青々とした畑が広がっている。ファッロと呼ばれる穀物畑や、トマト畑、オリーブなどの畑だ。
 かつての古代帝国の農業技術が復活し、廃棄されていた水車も再建されて、脱穀や粉砕が行われている。
 そして、このバルカン市で集中的に取り組まれていたのが、かつての古代帝国の技術を受け継ぐための研究だった。
 国王の命を受けた学者の集団がそれぞれの曰くのある建物に住み着き、古代語や魔法書の研究を行っている。バルカン市は、王都であるラティオをしのぐ一大学術都市でもあった。
 ただし、国王に選ばれる学者はリパブルク人に限られており、その研究成果の多くが隠匿されている。
 古代帝国の魔法も研究されていると聞くが、復活への道のりはまだまだ遠そうだ。今のバルカン市は、遺跡を多少利用できるだけの都市でしかない。
 ――つまりは、変わり者の多い都市よね。
 マルティナはそんなバルカン市が気に入っていた。
 マルティナが暮らしているのは、バルカン市内の薬草院だ。そこでは古代帝国から伝わるとされる貴重な薬草が育てられ、中には魔法薬の原料として使われるものもある。
 国王の肝いりで研究を行っている学者たちが、許可証を持ってごっそりと買い上げていく。それらの研究施設に、定期的に納めている薬草もあった。
 だんだんと秋が近づき、木々の実りが目につく季節に入った。
 マルティナはそんな街の様子に、焦りを募らせる。
 冬の間、ここ一帯には雪が分厚く積もり、バルカン市は孤立する。そうなるまでに、薬草をたくさん貯蔵しておかねばならない。
 気温が低くなれば、流感が増える。それに備えて、薬草院内の薬草の刈りとりや、薬になる木の実や根などの採集をできるだけ進めておきたかった。
 収穫の秋に入っているというのに、薬草院の責任者であり、マルティナの師であるカルロが、ふらりと出て行って戻らないままなのだ。
 ――男手が足りないわ……!
 そんなふうに思いながら、市場への買い出しから戻る最中のことだ。マルティナは旧市街と新市街をつなぐ城門の内側で、道端にへたりこんでいる男を見つけた。
 一目で旅人だとわかったのは、馬を連れていて、旅装だったからだ。命からがらこのバルカン市までたどり着き、ここに到着するなり力つきたというのは一目瞭然だ。
 どうにか馬の手綱は握っているものの、高級そうなマントの裾は真っ白だ。その色合いを見て、マルティナはピンと来た。
 ――この人、ポンペオ砂漠を横断したのね……!
 そこは、王都ラティオとバルカン市の間にある最大の難所だ。
 ポンペオ山は今もなお噴火する活火山であり、その周囲は深く灰が降り積もって、死の大地と化しており、〝砂漠〟と呼ばれていた。
 普通の旅人なら、ポンペオ砂漠は回避する。そのための迂回路もある。
 なのに、こうしてごくごく稀に、ポンペオ砂漠を横断したとおぼしき旅人を見かけることがあった。
 ――忙しいけど、仕方ないわね。
 マルティナは小さく息をつく。
 薬草院にいることもあって、困っている人は見て見ぬふりができない。しかも、今は喉から手が出るほど男手が欲しいという下心もある。
 マルティナは、まずは近くの取水口に向かった。
 バルカン市内には、あちらこちらに水道橋から分岐した取水口がある。その一つで、マルティナは置いてあった木桶にたっぷりと水を汲み、それをつかんで男の元へ戻った。
「どうぞ!」
 それだけ言って男の前に置き、取水口に急いで引き返す。
 馬にも水を与えたかったからだ。
 次は馬用に新たな木桶をつかんで水を汲み、戻って馬へ与える。
「き、……君は」
 馬の様子を見ていたら、最初の木桶の水を飲んで、顔も洗ったらしき男が顔を向けてきた。
 だが、その表情はまるで見えない。
 伸びた黒髪が、顔面を分厚く覆っていたからだ。それでもまだ二十代そこそこの若者であるということは、身体つきや肌の張りからわかった。
 マントの下の旅装は、金のかかった立派なものだ。
 ――貴族の次男ってところね。
 マルティナは素早く値踏みする。
 古代帝国が残した道路が、リパブルク王国内の各都市を結んでおり、その道に沿って、宿泊所や給水所があった。だから、国内の旅は比較的安全とされている。
 それもあって、この国の貴族の子息は、結婚前に社会勉強を兼ねて国内を旅することがよくあると聞く。
 花嫁探しも兼ねているらしい。とはいっても、貴族の子息だから、庶民と結婚するわけではない。相手は旅先で世話になった領主一族や、富裕な商人の娘に限られるはずだ。
 ――たぶん、この人もその類ね。服装はそれなりに立派だけど、お供の一人も連れていないってことは、貧乏貴族に違いないわ。
 マルティナはそう決めつけた。
 貧乏貴族であるならば、路銀に困って薬草院での仕事を手伝ってくれないだろうか。
 そんなふうに考えていると、やたらと男がマルティナをじろじろと眺めているのに気づいたので、まずは名乗ることにした。
「私はそこの薬草院のものよ。マルティナ。薬師の見習いなの」
 マルティナの服装は、庶民の娘そのものだ。
 くるぶし丈の白の長袖のワンピースに、ウエストをきゅっと締めるボディスをつけている。ボディスには可愛い花の刺繍がされ、マルティナのほっそりとした身体のラインを際立たせた。
 それに、肩にふんわりとかかる金色の髪。
 仕事のときにはくくったり、布で押さえたりすることが多いが、輝くばかりの光を放つその髪は、マルティナの自慢だ。
 それに、晴れの日が多いバルカン市の空の色を、そっくり写しとったような、澄んだ青い瞳。
 色白で、すっと鼻筋が通っていて、いかにも勝ち気そうに見える顔立ちだ。美人だと近隣では噂されているらしいが、あまりよけいなちょっかいを出されることがないのは、マルティナの性格のせいだろう。
 一つ文句を言われたら、十倍に増やして返す。
 それは、薬草院での暮らしの中で身につけたことだ。のんきな師匠に任せていたら、ここでの暮らしは成り立たない。お金を持たない人に無料に近い金額で薬草を分け与えることには、マルティナも文句はない。だが、金のないフリをしたり、薬草をだまし取ろうとしたりする狡猾な相手には容赦はしない。悪徳業者や研究者を見抜いて、正当な対価を得るのがマルティナの役割だ。
 ――だってあの人たち、王様からしっかり研究費を与えられているっていうもの。
 だからこそ、まだ二十歳という年齢であっても、いつでもずっと年上に見られる。
 ガミガミうるさい、下町の小娘。それが、マルティナだ。
 ――本当は私、元子爵令嬢なんだけどね。
 そんなことを思いながら、マルティナは馬のほうへ視線を移した。
 馬は木桶の水を、美味しそうに飲んでいた。男の服装のみならず、この栗毛の馬も驚くほど毛並みが立派だった。そのたてがみに触れ、顔をのぞきこんで、馬の健康状態に深刻な問題がないことを確認してから、マルティナは男に視線を戻した。