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執愛の騎士は孤高の百合を甘く手折る 2

第二話

 

「エルメリック宰相補様、国王陛下がお呼びでございます」
「わかりました。すぐに向かいます」
 宰相補の執務室に緊張が走る。文官達の心配そうな眼差しを受けながら、ラナは机に広げていた書類を手早くまとめた。
 国王の侍従は先に戻るのかと思いきや用意が整うまで待つと告げる。そこまで喫緊の用件とはなんだろうか。ローブを羽織りながら最近の有力貴族達や周辺諸国の動きを思い浮かべ、あれこれ想像してみたが懸念材料となるようなものは見つからない。
 唯一思い当たる節があるといえば、ラモルテ皇国の視察団が一週間ほど滞在を延ばした件だろうか。だがあれは取引条件を具体的に詰める為だと国王へ報告し、了承してもらっていたはず。
 そういえば大まかな用件すら告げず、国王から呼び出されるのは初めてではないだろうか。廊下を進むごとに不安が募っていく。それでも平静を装い、謁見の間に入ると静かにその時を待った。
 ちりん、と澄んだベルの音が鳴り響き、宰相が国王の到着を報せる。ラナは深く腰を落として頭を下げた。
「国王陛下に拝謁いたします」
「面を上げよ。ラナ、どうか楽にしてくれ」
「はい。ありがとうございます」
 淑女の礼から元の体勢に戻り、軽く顎を上げて玉座へと視線を向ける。国王がいつもと変わらず豪華な装飾が施された椅子へ座り、向かって左側に王妃が寄り添うように立っていた。
 そして、右側には王女プリシラと――ラモルテ皇国の視察団代表、アレクシス皇太子が並んでいる。
 これは一体どういう状況なのだろう。
 王族と国賓が一堂に会する場にラナが呼び出された。しかも、王女と皇太子の距離がやけに近いのは決して気のせいではないはず。
「急に呼び出して悪かったね」
「いいえ。お気になさらないでください」
 きっとラナの困惑が伝わっているのだろう、国王はすっと視線を斜め下に逸らし、一度咳払いをするとおもむろに口を開いた。
「まず、お前を王籍へ復帰させる予定だ」
 告げられた意味を理解した瞬間、心臓がどくりと嫌な音を立てる。だが、ここで動揺してはいけない。静かに深呼吸をしてから発言の赦しを請うた。
「理由を、お聞かせ願えますでしょうか」
 そう返されるのは想定していたはず。国王は自分の左側にちらりと目を遣った。
「我が娘、プリシラがラモルテ皇国へと嫁ぐことになったからだ」
 国王の宣言に呼応したかのようにアレクシスがプリシラの肩を引き寄せる。王女もまたそれに抗わず、皇太子へと身を預けた。
 頬をほんのり染めたプリシラを見下ろすアレクシスの眼差しは甘く、二人が想い合っているのが見て取れる。夜会や晩餐会といった大勢の場だけではなく、小規模な茶会などでも顔を合わせていたが、いつの間にここまで親密になったのだろう。
 アレクシスはラモルテ皇国の皇位継承者。国の格を考えるとプリシラが嫁ぐのは仕方がない。
 だから直系であるラナを王族に戻し、王位を継がせようと考えるのが妥当かつ手っ取り早い。ラナが国王の立場なら同じように考えるだろう。
 だが、そうなった場合――。
「ラナ・エルメリック。お前には王位継承者としてヴォルト・キーショアとの婚姻を命じる」
 不意に近くの空気が揺れた。右斜め後ろに人の気配を感じるが、そこにいるのが誰なのかはすぐにわかる。
 彼は今、どんな顔をしているのだろう。振り返って確かめる勇気は出てこなかった。
「王女は半年後に輿入れする。それまでに王籍への復帰とキーショア卿との婚約、王位継承者になることを発表する予定だ」
「……半年で、殿下はラモルテ皇国に嫁がれるのでしょうか?」
 アレクシスとプリシラの結婚は、どちらの国にとっても重要な出来事のはず。どうしてそこまで急ぐ必要があるのだろう。ラナの疑問に初めて国王が表情を変えた。
「少々……急がねば、その、ならぬ事情があってだな……」
 国王にしては珍しく歯切れが悪い。王妃までもが表情を曇らせているが、反対側に立つ二人の表情にあまり変化は見られなかった。
「王女は私の子を宿している可能性があります。ですから、結婚はできるだけ早い方がいいでしょう」
 嬉しそうな口調で告げられたアレクシスの言葉に、ラナは大きく目を見開いたまま動きを止める。
 つまり、王女であるプリシラが婚約していない間柄の男性と関係を持った……?
 大勢の侍女や騎士が傍についていながら、どうしてそんな事が起こったのか。
 衝撃や疑問が頭の中で渦を巻き、徐々に息が苦しくなってくる。ふっと意識が遠のき、後ろへ倒れそうになったのを咄嗟に一歩下がって堪えた。
 体勢と思考を立て直すのに精一杯で、背中に伸ばされかけた手の存在に気付く余裕などなかった。
「プリシラ殿下とアレクシス皇太子殿下の婚姻は非常に喜ばしいことと思います。……ですが、これまで王籍に復帰した者はおりません。大臣や貴族達から反対の声が出るのは避けられないでしょう」
「前例が無いのであれば作るだけだ。他に王位を継げる者がいないのは、お前が一番よく知っているではないか」
 痛い所を突かれ、ラナはぐっと言葉を詰まらせた。
 国王が指摘した通り、傍系でラナと同世代の者達は身体が弱かったり他国へ嫁いだり、はたまた放浪癖があったりと王位を継承させるに能うとは言い難い。
 だからといって、このまま素直に受け入れるわけにはいかない。大きく息を吸い、お腹の前で重ねた両手にぐっと力を籠めた。
「それでしたら、王女殿下のお子が成人するまでの間、わたくしが摂政を務めるというのはいかがでしょうか」
「お姉様、どうして……?」
 アレクシス皇太子の腕の中でプリシラが困惑している。王宮で一連の出来事は禁忌として扱われている。きっと王女はラナの置かれている立場がどれほど複雑なものか、完全には理解していないのだろう。
「わたくしは、玉座に就くに相応しい人間ではありません」
「そんなことないわっ! お姉様は外国語も堪能だし、とても頭がいいもの。きっと素晴らしい女王になるはずよ!!」
 無邪気な主張に咄嗟に出かけた言葉を喉奥に押し戻し、ラナは沈黙を貫く。
 違う、違うのだ。王に必要なのは語学力や知識ではない。国の頂点に君臨し、民を導く何かしらの力を備えていなくてはならない。
 先王であるラナの祖父は圧倒的なカリスマ性を持つ人物だった。そして突然王太子となった現王は民の声に耳を傾ける賢王として知られている。
 次期女王となる予定だったプリシラは愛らしい顔立ちと優しい心、そして皆から愛される魅力を持っている。そんな彼女の代わりなど、「恥知らずな女」の血を引き、地味な容姿の宰相補が務められるはずがない。
「陛下、わたくしが王位を継げば反発を招くのは必至でございます。どうか摂政の件をご検討ください」
 アレクシスとプリシラの間に生まれる子はラモルテ皇国の跡継ぎでもあるから交渉が必要になるだろう。少々突飛ではあるが、ほんの少しでも可能性があるのであれば、ラナの提案が最も余計な波風を立てない安全かつ確実な道だと国王も理解しているはず。
「しかし、キーショア辺境伯との盟約はどう考えている」
「十分な補償の上、次代に果たせば問題ないかと」
 ラナの知る限り、キーショア伯爵家の長男には二人の男児と一人の女児がいる。だからプリシラの産む子が男女どちらでも問題はないはず。
 本来なら今代で果たすべきだった約束を先延ばしにするのだから、辺境伯へはそれなりの補償をしなくてはならない。伯爵から侯爵へ陞爵(しょうしゃく)し、かつ補償金を支払うくらいが妥当だろう。
「キーショア様がお望みでしたら、引き続き殿下の騎士としてラモルテ皇国へ同行していただく。スカラファリアに残られるのであれば、当代限りの爵位を授けてはいかがでしょうか」
 結婚はできずとも、ずっと大事に守ってきた王女の傍にいられた方が彼も幸せだろう。少なくとも目すら合わせたくない相手と夫婦になるよりはましなはず。
 誰もが正しい判断だと納得してくれると思いきや、玉座の間にはなぜか戸惑い混じりの重い空気が漂っていた。
「陛下。突然の話で宰相補も混乱しております。今日はこれくらいにいたしましょう」
 宰相の言葉に国王は軽く頷きラナを見据えた。その眼差しから憐憫の気配を感じて思わず奥歯をぎゅっと噛みしめる。
「ラナ、これはお前にとって悪くない提案だと思っている。よく考えてくれ」
「……お心遣い、感謝いたします」
 ラモルテ皇国の皇太子、アレクシスは大国の皇族でありながら気さくな人物だった。
 同い年なだけあって話も合い、情報交換の名目で設けられた顔合わせの場は終始和やかな雰囲気だったと記憶している。
 だから愛するのは難しくても、仲間としてうまくやっていける。結婚が決まった暁には為政者としての彼を支える覚悟を決めようと思っていた。
 だが、それは盛大な勘違いだったらしい。
 ラナの身を案じ、国王はわざわざ見合いを整えてくれたというのに、アレクシス皇太子が選んだのはプリシラだった。
 期待に応えられなかっただけでなく、王位継承権を持つ大事な一人娘を嫁に出す羽目になったのだ。役立たずと罵られてもおかしくはないというのに、同情までされてしまうとは。
 結局私は――誰にも選ばれない。
 情けなくて、申し訳なくて、居たたまれない気持ちでいっぱいになる。
 退室の許可を得るとラナは一礼するなり足早に扉へと向かった。
「宰相補殿」
 玉座の間を出ると後ろから低い声が追ってくる。
 忘れてはいけない。今回の件で最も大きな被害を受け、深く傷ついたのは他ならぬ「彼」なのだ。
 ヴォルトは必ずラナを家名ではなく役職で呼ぶ。決して目を合わせようとせず、名前すら口にするのを避けてしまうほどの相手との結婚など、いくら盟約とはいえ苦痛でしかないだろう。
「この度は誠に申し訳ありません。わたくしが至らなかったせいで多大なるご迷惑をおかけいたしました」
 とてもじゃないが顔を見る余裕など無い。ラナが振り返るや否や深く頭を垂れると、少し離れた場所に艶やかなブーツの爪先があった。
「先程も申し上げました通り、キーショア様ご自身、そして伯爵家へは謝罪と十分な補償をいたします。もしお望みのものがありましたら遠慮なくお申し付けください」
 ヴォルトからは何も返ってこない。それをいいことにラナは「失礼いたします」と告げて逃げるように廊下を進んだ。
 金銭的な補償が必要になった場合、国庫からではなく当代限りになるであろうエルメリック家の資産から拠出しよう。
 とにかくラナが女王となり、ヴォルトと結婚する道だけはなんとしてでも回避しなくてはならない。
 その為の手段を必死で考えながら執務室へと続く廊下を歩いた。

 


 *******

 


 ――冷たい雫が頬を叩く。
 容赦なく降り注ぐ雨の中、ラナは木々の間を必死に走っていた。
 この森に入った時は頭上にある太陽が明るく照らしていたはず。なのに、奥へと進むにつれて段々と暗くなり、遂に姿を消したと思った瞬間に雨が降り出した。
「ヴォルト……も、だ……め。い、息が……」
「もう少し、だっ。あの岩の、向こう……っで、雨宿り、できっ……る」
 ミントグリーンのドレスには所々に泥が跳ね、水を吸って重くなっている。泥濘(ぬかる)んだ道でただでさえ足元が覚束ないというのに、錘(おもり)と化した服が更に歩みを阻んでいた。今にもへたり込みそうなラナの手を引く少年もまた、荒い呼吸を繰り返している。
 今が何時なのか、そしてここはどのあたりで、目的地までどれくらいかかるのか。
 半ば強引に連れ出されたラナには何ひとつわからない。それでも言われるがまま、ただひたすらに足を進めた。
「あった! あそこだっ!!」
 ヴォルトが弾んだ声で今にも朽ち果てそうな大木を指差した。なるほど、根元にはぽっかりと穴が開いている。洞は子供二人でも少々手狭なもののなんとか潜り込み、互いに寄りかかりながら息が整うのを待った。
「雨、早く止まないかな」
「……そうね」
 重く垂れこめた雨雲の色が段々と濃くなってきているから、もしかすると日暮れが近いのかもしれない。このまま雨が止まなければここで一夜を過ごすことになるだろう。
 そう思い至った瞬間、ラナはふるりと身を震わせた。なにせこれまでベッド以外の場所で眠ったことがない。その上、ずぶ濡れのドレスが肌に貼り付いて気持ちが悪いだけでなく、徐々に身体が冷たくなってきた。
「ラナ、お菓子でも食べよう」
「ありがとう……」
 ヴォルトは茶会の席で出された菓子をくすねてきたらしい。だが、ナプキンに包んで上着のポケットに仕舞っていたせいでクッキーは粉々になっており、とても食べられる状態ではなかった。
 辛うじて無事だった砂糖菓子を口に含むと優しい甘さが広がっていく。温かな紅茶が欲しいけれど、当然ながらこんな森の奥で出てくるはずがない。
「城下町まで、あとどれくらいあるの?」
「んー……多分、歩きだとだいたい一時間くらいじゃないかな」
 そんな、最初は森を抜けるのに一時間は掛からないと言っていたじゃない……!
 ヴォルトを問い詰めそうになったが、ここで責めたところでなんの解決にもならないだろう。ラナは抗議の言葉を喉奥でぐっと押し留め、一向に止む気配のない雨空を見上げた。
「ここって、獣が出たりしないの?」
 ふと湧き上がった疑問にヴォルトがびくりと身体を揺らす。急に落ち着きを失った様子を目の当たりにして、ラナの中で急激に不安感が膨れはじめた。
 ヴォルトが王宮のほど近くにある森に詳しかった理由。それは王都に住む彼の祖父と狩りを楽しむ為だったはず。
 身を守る道具など用意はしていない。仮に持っていたとしてもラナは扱い方を知らないのでまったく意味がないのだが。
「ねぇ、ヴォルト。これ以上は危ないわ。戻りましょうよ」
 いよいよ空が暗くなってきた。日が暮れたら身動きが取れなくなる。だから引き返すなら今しかない。ラナは俯いたまま動かないヴォルトの肩にそっと手を乗せた。
「きっと、皆が心配し……」
 ぱんっという音と共に手に衝撃が走る。振り払われたのだと理解した時には、隣にいたはずの少年が狭い穴の中から抜け出していた。
「ラナはそれでいいのかよっ!?」
 ヴォルトは振り返ると仁王立ちになり、激しい雨音にも負けじと叫んだ。こちらを睨みつける瞳には怒りの炎が燃え盛っている。
「よくないわ……でも、仕方がないじゃない」
 もちろんラナだって、ヴォルトとの婚約内定を解消されると聞かされた時はショックのあまり言葉を失った。だが、辺境伯の次男との結婚はラナがいずれ王位に就く身だったからこそ約束されていたもの。父の廃嫡が決まった以上は諦めなければならないと乳母に諭され、頷くより他はなかった。
「このまま戻ったら、俺達は二度と会えなくなるんだぞっ!!」
「それは、そうだけど……」
 会えなくなることはないだろうが、きっと次に顔を合わせる時は二人の関係に付けられた名前が変わっているだろう。項垂れると前髪からぽたりと一つ、冷たい雫が手に落ちた。
「だから、お祖父様のところに行ってお願いしようって決めたんだろ!」
 ラナはお茶会の前に、ヴォルトと私的に会うのはこれが最後だと伝えられていた。婚約内定の破棄が決まった以上、本来であればこういった場を設けるべきではなかったのだが、仲の良かった二人がちゃんと区切りを付けられるようにと特別に用意してもらった。
 そしてヴォルトから庭園を散歩しようと誘われ、二人は護衛の目を盗んで王宮を抜け出すと郊外にあるキーショア家の別邸を目指したのだ。
「やっぱり無理よ……どうせ叱られておしまいだわ」
「ラナ……」
 庭園を歩きながら小声で作戦を伝えられ、舞い上がったラナは後先考えずにヴォルトの提案に乗ってしまった。だが、身体と頭が冷えた今、どれだけ無謀な計画だったのかを思い知らされている。
「今ならまだ間に合うわ。すぐに戻って謝れば、罰も軽いもので済むはず」
 ざぁ、と音を立てて雨足が一気に強まった。ヴォルトは容赦なく叩きつけられる雫を気にする様子もなく、大きく目を見開いて立ち尽くしている。
「な、んで……俺、は…………」
「え?」
 雨音でなんと言っているのか聞き取れない。ヴォルトは黙ったまま、みるみるうちに顔を歪めた。
「ヴォルト?」
「ラナはいつも、そうやってすぐに諦めるよな」
「……ごめんなさい」
「謝ってほしいんじゃない!」
 返す言葉を失ったラナはただ目の前にいる少年を見つめていた。血の気の失せた頬を絶え間なく流れているのは、果たして空から落ちてきている水だけだろうか。
「もう、いい……」
「ヴォルト、お願い。こっちに戻って……」
「ラナなんて、大っ嫌いだ!!」
 叫びにも似た声が洞の中にこだまする。
 硬直したラナと目を合わせることなく、ヴォルトは身を翻して森の奥深くへと駆け出していった。