戻る

脳筋かと思ったら凄腕テクニシャン!? 騎士団長は王女様をずーっと溺愛したかった! 1

第一話

 

 


 十年前の王家の庭にて────。
 フェザニア王国の第三王女レイラ・フェザニアは、天真爛漫な姫であった。
 末娘で八歳となるレイラはゆるく波打つ金髪を揺らし、王家の血を濃く引く紫色の瞳を好奇心いっぱいに輝かせ、庭を駆けていく。
 他の兄姉達とは年齢の離れた末っ子の王女だったため、皆に甘やかされて育ったので、少々我が儘であった。
「早くつかまえてごらんなさい。でも、じゃましたら、ふけいざいなんだからね」
 新しく覚えた響きのいい言葉を誇らしげに放って、レイラは追ってくる少年を振り返る。
「お待ちください、姫様。前を見ずに走っては転びます」
 従騎士のイーサン・アルスターは十四歳であった。
 公爵家の長男で、相応しい遊び相手とされていたが、見習いの騎士となったばかりなので、ひょろ長く細身で、本物の護衛騎士達のように強そうではない。
 イーサンはすらりと背が高いだけの気弱な少年だ。
 いつも困った顔をして、ハキハキとしていない彼の様子について、レイラの父である国王は世渡りが下手そうだと言っていた。
 だからであろうか、レイラはイーサンと遊んでいると、よりはしゃいでしまいがちだった。強気に出ることができるのだ。
「追いかけるだけでは、よわたりべたになるわよ!」
 その響きもレイラはお気に入りで、ことあるごとに口にしてはイーサンをからかった。
 自覚のない恋心の裏返しを、絶対的に逆らえないイーサンに押しつける。
 レイラはイーサンに不器用に追いかけられるのが好きだった。
 我が儘を言いながら、弱々しく笑うイーサンの顔を独り占めする。
 優しくて便利な彼はレイラのお気に入りだ。
 何度か振り返りつつ、芝生の上を駆けていると、突然ガクンとレイラの身体が宙に浮いた。
 走るうちに、地面が芝生から石畳になっていて、その花壇の段差に足がひっかかったのだ。
「えっ……きゃっ!」
「危ないっ!」
 レイラをグンと追い越したイーサンが、その身をクッションにして転ぶ直前のレイラと石畳の隙間へザッと滑り込む。
 顔から転びそうになったレイラは、イーサンの胸へ突っ伏すような形で受け止められた。
「お怪我はありませんか? 姫様」
「っ……うぅ」
 イーサンからは父とも母とも乳母とも違う匂いがした。
 少し汗ばんだ男の子の香りに包まれて、レイラは気まずさでいっぱいになる。
 頬が……熱い。
「遅いわよ、きしならころぶ前に私をまもりなさい」
「す、すみません」
 レイラは素早くイーサンから離れて、腰に手を当てて胸を張った。
 照れて熱っぽかったのが風に吹かれて飛んでいき、ホッとする。
 いつまでも石畳の上に転がっているイーサンの身体を見下ろす。
「今はおれいを言うわ、ありがとう。でもね、大人になったらもっとスマートに守るのがとうぜんなの。たくましいからだで、片手でひょいと助けられるようになるのよ」
「はい、精進します」
 のそのそと起き上がったイーサンが、恭しく聞き入るように頭を下げる。
 聞き上手な彼の様子に、レイラは上機嫌になった。
「いいこと? もっと私のために強くなりなさい。強くて、カッコよくて、ムキムキで、手柄も立てて、発言力のある大人になって、むかえに来なさい」
「はい!」
 ピッとイーサンが背筋を伸ばして、返事をする。
 世渡り下手の彼に無理難題を押しつけた自覚はあった。本心では、そうならなくても、一緒にいてあげる気でいたし、好意を示したつもりだった。
 その幼心でした約束が、時を経てこんな形になるなんて……。

 

 

 

 第三王女レイラ・フェザニア十八歳。王家の庭にて────。
 晴れた空には大きな雲が浮かんでいて、日差しが強い。
 レイラは十年前のことを思い浮かべながら、頭を抱えて猛省していた。
「あの時の私は、未来の英雄に何をやらかしていたのよ……」
 後悔しても遅い。
 恥ずかしくて消し去りたい記憶であるが、過ちとして認めなければならない。
 いや、大事な思い出だからイーサンの部分だけは覚えておきたいが、過去の自分には説教をして早めに改心させたかった。
 我が儘でお転婆だった王女は、今はいない。
 十歳を過ぎたあたりから王族としての自覚が芽生え、賢くて優しく、時には厳格でしっかり者な王女へと成長していった。
 十八歳となる今、レイラは帝王学も身につけ、王である父の補佐を務めている。
 二人の姉王女は政略結婚で他国へ嫁いでいるので、レイラが国のためにできることを考えた上でのことだ。
 父の側近や大臣達はいい顔をしないが、父とは信頼し合えていると思う。
 風が吹き、東屋の薔薇の蔓が揺れた。
 甘い香りと共に、赤と桃色の花弁が視界に散る。見頃の八重咲きの薔薇だ。
 レイラは軽く目を閉じて頬に風を受けた。あの頃と同じように下ろしている金の波打つ髪が揺れて、顔の熱が引いていく。
 額に落ちた前髪も微かに舞い、また元の場所へと落ち着いた。
 身を包んでいる淡い紫色のドレスが風を含み、裾がふわりと広がっていく。
 ドレスを飾るレースは薄桃色で、布地の胸元からウエストには蔦模様が刺繍してある高貴な意匠であった。
 レイラ以外は、十年前と何一つ変わっていない庭。
 この庭はいつの頃からかレイラ専用となり、庭師と相談してから手入れまですべてを行っていた。
 植わっている花も変えていない。
 東屋の薔薇は湿度にやられたことが二回あったけれど、懸命な手入れで乗り切った。
 植えっぱなしであったクロッカスの球根が小さくなった時は、掘りあげて管理しながら、腐葉土と石灰で土を肥やした。
 背の高いジギタリスの花色が混ざりすぎてしまった時は、一旦交配を中止した。
 丸い実のような小花の集合体のアリウムの元気がない時は肥料を取り寄せて、釣鐘の形に咲くカンパニュラが根腐れした時は、風通しを工夫した。
 ……とにかく、イーサンと過ごしたあの日々から庭を変えていない。
 いつか、彼が戻ってきた時にホッと息をつける場所にしておきたかったから。
「覚えているかはわからないけど……」
 レイラはぽつりと呟いた。
 我が儘だったレイラのことは忘れて欲しいのに、ここでの思い出やレイラの存在は覚えていて欲しい。
「……それは、記憶の捏造ね」
 都合の良い願いを、レイラは首を横に振って追いやった。
 イーサンへの態度は、王族であれば一度はやってしまう勘違いから犯した過ちである。
 そんな風に乳母が慰めてくれたけれど、レイラは申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
 便利な小間使いどころか、子分のように扱ったことを、彼はどう思っているだろうか。
 イーサン・アルスターは、正式な騎士となり戦場に出た。そして、めきめきと力を発揮し、十年後である現在、騎士団長となったのだ。
 二週間前に終わった戦争では、彼の活躍でフェザニア王国は圧倒的な勝利を収めた。今まさに行われている凱旋式の主役こそがイーサンである。
 フェザニア王国を救ったイーサン・アルスターは、今や国じゅうの誰もが憧れて尊敬する英雄だ。
「……ああ、私はそんな英雄に……」
 思考が繰り返しに陥ったレイラは、顔を手で覆って俯く。
 いつの頃からか騎士の訓練で忙しくなり遊びに来なくなった彼を、しばらくは気にしないでいた。
 けれど、誰と遊んでも、大人たちにかまってもらっても、彼と過ごした日々以上に楽しいことはなかった。
 庭へ行くたびにイーサンを思い出して、周りへ彼のことを尋ねて回ったのだ。
 別に気になるわけではないけれど……と、前置きしながら聞くレイラに皆はにこやかに答えてくれた。
 戦闘訓練で百人抜きした話や、多くの武功を立てたこと、弱き者を優しく助けた話や、部下に慕われている様子について。
 背が高いだけであんなに弱そうだったイーサンが……?
 半信半疑で聞いているうちに、レイラは彼の活躍に引き込まれた。
 英雄譚のような眩しい功績は、聞く者の心まで勇ましくさせ、虜にしていき、レイラもその一人となった。
 そして、レイラはいつでもイーサンのことが気がかりだった。
 無理をしていないか? 怪我をしていないか? 心は壊れていないか?
 心配は尽きず、無事だと聞けば胸躍る。
 しかし、イーサンが国じゅうの人気者となる頃には、レイラは一周回って気後れしていた。
 そんな彼へ幼少の折に、我が儘をやらかしてしまった数々の記憶が蘇るから。
「…………」
 ────凱旋式だから、立派な装いをしているわよね。
 正直なところ、成長したイーサンの姿はとても見たかった。
 一目でいい、遠くからでも眺めたい。
 王女なのだから凱旋式の後の宴に出席することは簡単であったが、レイラは欠席とした。
 過去の行動が恥ずかしかっただけでなく、イーサンのあまりの人気ぶりに二の足を踏んでしまったからだ。
 宴に出席を希望する貴族は、大広間に入りきらないほどであった。
 上級貴族も大臣も、自分の娘である令嬢を参加させるため、競い張り切っていたのだ。
 きっと美しく着飾った淑女の鑑のような令嬢たちに、イーサンは囲まれているだろう。
 その光景を想像したら、レイラの心はざわざわした。
 戦う前に意気消沈する情けない己が恥ずかしい。
 イーサンを一目だけでも見たいのに、他の令嬢と話しているところを目に入れたくはないのだ。
「まだ、こんなにも我が儘なの、私は……?」
 昔と変わったところは、身を引いて我慢できることだ。
 王女らしからぬ態度で、取り乱す可能性があるなら行かない。
 ────イーサンは親の爵位を継いで公爵になったのだから、これから社交の場で見る機会ぐらいある。
 そうやって希望をつないで、自分を慰める。
 面倒な性格だと自覚はしていた。しかし、王女の威厳や品格を保つためには、こうするしかないのだ。
 とりわけ、イーサンが絡むことについては……。
「姫様?」
 よく通る声が、庭に花風と共に届いて、レイラはびくっと身を硬くした。
 式典用の盛装に華やかな外套を纏った立派な騎士が、石畳を歩いてくるところだった。
 なんて見事な体鏸なのだろう。
 筋肉質で、動作一つ一つにキレと気品がある稀有な存在感であった。
 日差しを受けてところどころ輝く茶色の髪は、やや短い前髪が額に落ちて、襟足は騎士らしく清潔感のある短さで切りそろえられていた。
 目が離せなくなり瞳を探すと、濃青の美しい目の輝きがある。
「えっ……?」
 ドクンとレイラの胸が高鳴った。
 ────まさか、まさか……そんな……!
 髪と瞳の色がイーサンと同じである。
「……イーサン?」
「はい。レイラ王女」
 微笑みながら目を細めて、イーサンが言葉に詰まることなく返事をした。屈強な身体に加え優雅さまである。
「あっ……」
 ────本当にイーサンなの!?
 レイラのほうがたどたどしく口ごもり、顔が熱くなってくる。
 話で聞くより、生で見る迫力は眩しかった。
 背がグンと伸び、筋肉が凄い。騎士団長だからか、威厳があるし、盛装も似合っている。
 どう見ても国じゅうで一番カッコイイ騎士だろう。
 目が離せない……これが肉体美というものなのだろうか?
「そんなに見られると、こそばゆい」
 レイラの前まで歩いてきたイーサンが、一瞬だけ照れた顔をして、目を逸らした。
 その仕草に、彼だと実感する。ああ、間近で見てもイーサンだ。
「け、怪我をしていないか確認しただけで、筋肉なんか見ていません!」
 反射的にレイラは返した。
 せっかく会えたのに、憎まれ口のようになってしまった。
 途端にフッとイーサンが笑い、その笑みを独占したくなる。
 レイラは、頬がどんどん熱くなり赤く染まっていくのを感じた。
「凱旋の宴の最中ではないの?」
「終えてきた」
 すらすら答える彼が立派すぎる。
 二十四歳になったからって、あの少年がこんなに成長するなんて聞いていない!
 王女らしくしていたいのに童心に戻ってしまい、調子がおかしくなってしまう。
「とにかく、ご苦労様でした英雄さん。公爵になったから、ただの王女が相手ならもっと堂々としていていいのですよ」
 ツンとしつつ、レイラは答えた。我ながら可愛げがなくて、がっかりする。
 でも、可愛らしさとやらが、動揺のあまりどこかに吹き飛んだから仕方がない。
「俺のことは、昔みたいにイーサンと呼んでくれ」
 余裕たっぷりに微笑みかけてくるイーサンの眼差しに、レイラは一瞬だけ呼吸を忘れた。
 ひゅっと喉が謎の音を立てる。
 これは国じゅうの淑女が放っておかない。不器用なままかと思っていたら、ときめくほどに優雅である。
 強靭な肉体美の中に、相反する知的な魅力があり、それが蠱惑的な色香を含んでいた。
 ────立派になった幼馴染、心臓に悪い!
 誤魔化すみたいに咳払いして、レイラは取り繕った。
「……そうね、イーサン。おかえりなさい。逞しい身体の大人に、素晴らしい騎士になりましたね」
「そう見えたのなら、よかった」
 どこかホッとした無邪気さを漂わせて、イーサンが呟く。
 その声が甘さを含んでいる気がして、レイラはドキドキした。こんなに彼に翻弄されるなんておかしな事態だ。
「レイラ王女、俺は強くなった」
 噛み締めるようにイーサンがゆっくりと言葉を発する。
「ええ、英雄さんなのだからレイラでいいわよ。私からも褒美をあげませんとね」
 口に出してから失礼だと怒らせてしまったらどうしようと後悔したのに、返ってきたのは自信に満ちた笑みだった。
「そうして欲しい。なぜなら、俺はレイラのために強くなったのだから」
「……はい?」
 ザッと音を立てて、イーサンがレイラの前に跪いた。
 その勢いで彼の外套がバサッと舞い、一呼吸遅れて石畳の上へシュルッと広がる。
「強くて、カッコよくて、ムキムキになったし、手柄も立てた。英雄となり公爵家も継いで発言力を持った。だからレイラ、結婚してくれ」
 彼のごつごつした手がレイラへ差し出された。
 姫君に、手を許して欲しいと────忠誠を誓う騎士のように。
 ぽーっとして、自分でも気づかないまま吸い込まれて、手を取ってしまいそうになる。
「えっ……あっ、あ……の……」
 レイラは耳まで真っ赤になって取り乱した。
 変な声が口から勝手に出て、これでは挙動不審な王族である。
 ────イーサンは、今なんて言った? 結婚?
 ────私のために強くてムキムキな英雄になった?
 彼が自分のことを覚えていただけではなく、自分のために英雄と呼ばれるほど強くなってくれたなんて、信じられない。
 そんな都合の良いことは、幸せな夢ですら見なかった。
 今すぐに誰かに頬を抓ってもらいたい。
 いいえ、夢なら醒めてほしくない。
 ならば、これが現実だとどうやって証明したら良いのだろう。
「レイラ?」
 思いも寄らないイーサンの言葉に固まると、彼がどうしたのかというように首を傾げている。
 ────もしかして、誤解させてしまった!?
 今度は大いに焦った。
 反応がないことを、彼が変に解釈してしまわないだろうか。
 たとえば幼い頃から親しかった仲とはいえ、いきなり結婚を迫ったことを不敬だったと考えてないか。
 そうしたら、すぐ発言を取り消そうとするかもしれない。
 もし、そうなってしまっては大いに困る。
 こんな幸せな機会は二度と来ないかもしれない。レイラから結婚を請うようなことはとてもできそうにない。