その聖女、悪魔につき 絶倫勇者は唯一無二の深愛に囚われる 1
第一話
陰気な村だ。
宰相ウジェーヌはその土地に足を踏み入れてすぐに、その暗澹たる風景に辟易した。
(なぜ宰相の私が直々にこんな辺鄙な場所に来なければならないんだ。しかも眉唾ものの情報を確かめるなどという、他の者でも十分に事足りるつまらない仕事のために……)
エズロン村は国の北東にある田舎の寒村だ。村に活気がないのはひと目見ただけでよくわかる。自給自足で自分たちが食べていくのがやっと、というような痩せた畑に、老いた者ばかりが目立つ村人。無口な若者らは覇気がなく、粗末な服を着た子どもたちがはしゃぎまわる声だけが、辛うじてこの村の命を繋いでいるといった印象だった。
子どもらの親はここでの仕事がなく、出稼ぎで留守にしているのだろう。都会には危険や誘惑があふれている。村に家族を残したまま恋人を作ってしまい、戻って来なくなる者もあるだろう。病気や怪我で命を失う者もあるだろう。
そうして孤児となった子は孤児院へ送られるか、どこかしらに売られてゆく。どこにでもある光景だ。
無論、この国、プロキア王国の宰相であるウジェーヌ・ド・プルーヴェは我が国に貧しい村々が数多存在しているのを知っている。けれど、今国の予算は民の幸福のためでなく、戦争のために使われなければならなかった。
小さな王国プロキアは昨今勢いを増してきた周辺の大国に押しに押されて、いつどこに攻め込まれて滅ぶかという状況なのだ。
そして心労でめっきり老け込んだ王は、この窮状を救えるのは噂に聞いた聖女ただ一人なのではないか、と思い詰めてしまった。
エズロン村に現れた聖女は死病に冒された者の苦痛をたちどころに鎮めたという。その声は人々に勇気を与え、自堕落に生きていた者たちを神への信仰に立ち返らせたほどだと。
上手い話だと思った。なるほど、病人の病を癒したというのではなく、苦痛を鎮めた、というところが、いかにも本物らしい。無論苦痛を感じなくするという行為も普通の人間には不可能な術ではあるが、出来過ぎた奇跡はいかに迷信深い人々でも容易には信じられぬところだ。奇跡の一歩手前あたりならば、真実なのではないかと思う気持ちも生まれやすかろう。
国が乱れたとき、人々は心の拠り所を求め、そういった神秘的なものに惑わされやすくなる。ゆえに混乱に乗じて各地で聖人、聖女が生まれ、奇跡が起こり、迷える子羊たちを誑かすのだ。
そういった背景もあり、無論、ウジェーヌはエズロン村の聖女の話も最初から疑ってかかっていたが、王はそうではなかった。どういったわけか何か『天啓』のようなものを感じてしまったらしく、他の同じような話には見向きもしなかったのに、エズロン村の話に執着するようになった。
他国の間諜をしきりに気にするようになっていた王は、その聖女のために信用のおける数少ない家臣の内、最も付き合いの長いウジェーヌを、この村へと急がせたのだった。
久方ぶりの休暇を取り愛人とバカンスの予定があったウジェーヌは苦り切ったが、王直々の頼みを断るわけにもいかなかった。
(許してくれ、ロザリィ。最近どこにも連れて行ってやることができない。愛しい息子の顔も、最後に見たのはいつのことだろうか……)
ウジェーヌはプロキアでも有数の歴史ある貴族の家に生まれ、幼子の頃から将来結婚する相手も決められていた。白に近い金髪を持ち、紫の稀有な瞳を持った気品ある美しい青年に育った彼は、もちろん他の貴族らのように一通りの恋は楽しんだ。
貴族にとって結婚と恋愛はまったくの別物だ。結婚とは家を栄えさせるもの。恋愛とは人生の刺激的な愉しみのひとつである。
ウジェーヌは貴族の従順な娘と結婚し可愛い子どもを三人ほど儲け、同時に酌婦上がりの恋人ロザリィにも屋敷を買い、息子を産ませていたのだった。
そして今四十歳の年を迎えた。何もかもを手に入れ、人生は最高潮を迎えている。国は存亡の危機に瀕しているが、実際ウジェーヌはさして焦っていない。彼の家は近隣の大国とも血縁関係があり、この国が滅びたとて家が消えるわけではないのだ。
とはいえ、隣の強国に吸収されれば、宰相などという身分は剥奪される。大国の下層貴族となるか、小国の宰相を維持するかでいえば、当然このプロキア王国には存在してもらった方がよい。
国が危うい今、愛人にうつつを抜かしている場合などではないのはわかっている。それでも怪しい聖女の噂を頼りにこんな陰気な寒村に時間をかけてやって来るよりは、有意義なことだと思った。
「これはこれは……宰相さま直々に、このような辺境の村へ、ようこそおいでくださいました」
貧しい村には似つかわしくない、でっぷりと太った村長が、宰相の到着を知って転げるようにやって来る。
「今回は極秘の訪問だ。みだりに私の身分を口にしないでもらいたい」
釘を刺すと、村長はこの世の終わりのような顔をして過剰なほど謝った。
「いやいや、そうでございました。申し訳ございません! どうも田舎者には慣れぬことでございまして……長旅でお疲れでございましょう。まずは今宵お泊まりになる場所に案内いたしますので、しばしお休みになられては」
「いや、事態は一刻を争う。早速噂の聖女とやらに会いたい」
こんな場所とは一秒でも早くおさらばして、愛人の許に帰りたいウジェーヌである。
どうせ聖女など存在せず、詐欺師が小細工でもして奇跡に見せかけたものなのだろう。それをこの目で見届け、王に報告してやれば、この無駄な長旅も終わりである。
聖女という言葉を聞いた途端、村長の脂ぎった顔は強張った。
「おお……そうでございましたな。今は聖女は教会におりますので、よろしければ……」
ウジェーヌは訝しげに村長の顔を眺めた。今回の訪問は聖女に会うためのものと事前に伝えてあったはずだが、何か問題でもあるのだろうか。
エズロン村の教会は村の中心に建てられていた。村に入ったときから尖塔が見えていたので予想はついていたが、それはこぢんまりとした石造りの質素な教会で、背後の建物からは賑やかな子どもたちの声があふれている。併設された孤児院だろう。
教会は古いながらも掃除が行き届き清潔で、村人の信仰心が厚いのがわかる。弱者を救済するのは国ではなく教会だ。貧しいほどに民は神を崇める。
ウジェーヌは無関心な目で教会を眺め、村長の後に続いて中へ入った。
はてさて、聖女と呼ばれるのは一体どんな女なのか。
(どうせ芋くさくて人柄のよさが滲み出るような田舎女だろう。人々がまるで聖母だと思うようないかにも無害で、慈悲のあふれた……)
中へ入るとすぐに目の前に予想通りの修道女が現れた。外見だけでなく農作物そのものの匂いもするではないか、と思ってよく見ると、女は逞しい胸に籠に入った採れたての野菜を抱えている。なるほど、土の香りがするわけだ。
「ふむ。彼女が聖女かね。聖女の役割の他に畑仕事もするとは、随分と働き者のようだな」
「い、いいえ、この者は違います。申し訳ありません、ウジェーヌさま、今聖女は懺悔室にいるようで……」
「聖女が懺悔室に? それは神父の役目ではないのか」
人々が罪の告白をし、赦しを得るその部屋は、教会の主である神父がいるべき場所のはずである。
見れば、教会の一角にある懺悔室の前には人々が列をなして順番を待っているではないか。ウジェーヌは呆れた。こんな小さな貧しい村で暮らす人々が、一体どれほど多くの罪を告白しようというのか。
そして、その懺悔室の扉の側に一人の男が立っている。随分な長身で見るからに腕が立ちそうな逞しい体つき。加えてどこか憂いを帯びた顔立ちの美男だが、その目つきには隙がなく、教会全体を見回すとともに、見慣れぬよそ者であるウジェーヌを見てあからさまに警戒している。
「聖女に罪を告白……というか、相談でしょうか。悩んでいることなどを話すと、たちどころに解決してしまうと評判で」
「それは懺悔なのか。あの部屋を使わなくてもよいのではないか」
「何分、狭い村のことですから、他で話すと誰かに聞かれるということもございます。ここでは、音が外へはあまり漏れませんし、周りに人もおりますから聞き耳を立てるということもできませんでしょう。なので、皆安心してここを訪れるというわけで……」
妙な話である。ウジェーヌには金も権力もない貧しい人々が、日々の糧を得る以外に何を悩んでいるのかなど見当もつかない。ましてや、聖女に打ち明けるためにわざわざ懺悔室へ赴くような、何ほどのものがあるというのか。
「聖女に会うために、私にこの列の最後尾へ並べというのか」
「い、いいえ、滅相もございません。しばしお待ちくださいませ」
村長は焦った様子で懺悔室の扉をほとほとと叩く。すると先ほど気になった大きな男が振り向き、何用かと村長に訊ねている。村長は慌てて急ぎの件であることを説明したが、男は怪訝な目つきでウジェーヌの方を見やり、懺悔室の中へ入っていった。
(何なんだ、あの男は。聖女の護衛か?)
それにしてもこの教会の神父はどこにいるというのだろう。このように懺悔室を聖女に使わせて、自らは仕事を放棄し女のところにでも行っているのか。
護衛の男が懺悔室から出て来て、村長に何かを伝える。村長はウンウンと頷いて、転げるようにウジェーヌの許へ戻って来る。
「お待たせいたしました、ウジェーヌさま。すぐに聖女が参りますので、お話はどうぞこちらで」
礼拝堂の奥の扉から、簡素な部屋へ通された。一応長椅子や卓子が置かれ、ここで働く者たちの休む場所といった雰囲気だが、応接室も兼ねているようだ。
勧められて長椅子に腰を下ろすと、気になっていたことを訊ねた。
「あの男は何者なのかね」
「えっ? あ、あの男とは」
「さっき懺悔室で聖女の伝言係のようなことをしていた男だ。背が高く、見目のいい……」
「ああ、アダンですか」
村長は何ともいえない顔をする。あの男が苦手なのだろうか。
「アダンは、その、聖女の友人といいますか」
「護衛か? えらく警戒していたように見えたが、この村で聖女は危険な目にあったことでもあるのか」
「い、いえ、ど、どうでしょうか。まあ、彼女のことをよく思わない輩もいるかもしれませんから……」
そこへ扉が控えめにノックされ、村長が「どうぞ」と声をかける。
やれやれ、遠路はるばるやって来て、ようやく聖女さまと対面か、とウジェーヌが長椅子にもたれ胡乱な目でそちらを見やる。
しかしその人物を認めた途端、無意識の内に体は立ち上がっていた。
「初めまして。エリスと申します」
その女はウジェーヌに向かって丁寧にお辞儀をした。
(美しい)
すべての思考を削ぎ落とされ、ウジェーヌは、ただただ、そう思った。
頭のベールからひとふさこぼれた毛髪は、最初は夜の如き漆黒かと見えたが、光の加減でまるで燃えるような赤とも見えた。瞳も同じように、黒曜石の輝きを持ちながら、紅玉のような鮮やかさをも孕み、さながらアレキサンドライトのようである。
ぬくもりの感じられぬほどの白い肌は、それでいて薔薇色の血の気を頬に上らせ、笑みをたたえた唇は夕陽のように赤い。
ふしぎな色彩を含んだ女の顔貌は息を呑むほど美しく、そしてその美しさは優しく柔和なものではなく、すべてが熱っぽく情熱的で、おそろしく挑発的だった。
禁欲的な衣を押し上げる素晴らしく豊満な乳房に蜂のようにくびれた腰、そして扇情的で見事な臀部。
その肉体はあまりにも濃厚な性的魅力をあふれさせ、却って全身を包む聖なる服装のために、女は異様なほどの魅惑を滴らせていた。
「ウジェーヌさま?」
村長の気遣わしげな声にハッと我に返ったウジェーヌは、口内に溜まった唾を飲み込み、咳払いをした。
しかし、どんなに宰相の威厳を保とうとしても、次の瞬間には、女を見て落ち着きをなくしてしまう。散々女遊びをしてきたというのに、まるで童貞の少年のように興奮してしまうのだ。そしてすぐにその欲情を恥ずかしく思わされるような、ふしぎな気高さも女は持ち合わせていた。
(こんな女には今まで出会ったことがない。なんという目、なんという体、なんという魅惑だろう!)
ウジェーヌは初めて覚える感覚に困惑しながらも、懸命に理性を奮い立たせる。
「エリス殿。私は国王の名代としてやって来たウジェーヌという。王はあなたの噂を聞いて、ぜひともあなたに国を救って欲しいと熱望されている」
「まあ……王さまが、私などに」
驚きに目を瞠るその表情も、まるで男を誘惑しているようにしか見えない。誑かされるというよりも、奪い取られるような傲岸な媚態だ。
「けれど、私には何もできませんわ。王さまのお役に立てるようなことは、何も」
「しかし、あなたは聖女と呼ばれているではないか。その噂は遥か王都にまで届いている。なんでも、あなたの声は病人の苦痛を鎮め、人々の心に活力を与えるのだとか」
「そうだぞ、エリス。お前が来て救われた村人は大勢いる。お前こそ真の聖女ではないか」
村長は縋りつくような顔でエリスに語りかける。
「お前が来てから、村は以前よりもずっと活気あふれるようになった。未だ貧しくはあるが、昔に比べれば見違えるようだ。少しずつ発展しているのは村長の私がよく知っている。何もかも、お前のお陰と言わざるを得ない」
「まあ、村長さま。そのような……」
この不愉快で陰気な村が以前に比べて活気があるとは、元々はどれほどの地獄だったのか、とウジェーヌは内心首を傾げる。
だが確かに、子どもたちの声は明るかった。将来村を背負っていく少年少女たちが健康であることは、そう暗い未来でもないのかもしれない。
「村長殿。失礼ながら、この村には働き盛りの若者が少ないように見えるが」
「ええ。以前はもっと多くの若者がこの村で腐り切っていました。何の希望もなく、ただ貧しさを享受し、怠惰に暮らしていたのです。ですが、このエリスが現れてから……活発に動く者が飛躍的に増えたのです。出稼ぎに出る者が増え、この村で何か新しいことができないかと計画を練っている者らもおります。こんなことは昔は考えられなかった。すべてエリスのお陰なのです」
村長は一息に言い切り、興奮のままに潤んだ目で聖女を見つめた。
なるほど、村に若者が少なかったのはこの村が発展しようとしている萌しであったのか、とウジェーヌは得心した。そういう目で見てみれば、若者の少ない陰気な村という印象も変わってくる。人間の頭とはふしぎなものだ。
「しかし、聖女殿……エリス殿はどのようにしてそんな変化を? 彼女がいるだけで皆変わり始めたというのか」
「私はただ……歌を歌うだけでございます」
「歌?」
聞こえてきた噂では、聖女がどのようにして人々を救っているのか、その具体的な手段までは伝わってこなかった。
「ええ。その方を見て、その心に秘められたものを見つけると、それを解放して差し上げたいという思いが、私に自然と歌を歌わせるのです。旋律も言葉も、自ずと湧き出てまいります」
「ウジェーヌさま。エリスの歌声は、それはそれは美しいのです。まさしく、神の与え給うた奇跡。彼女こそ本物の聖女なのだと、私もその歌を聞いて何の疑いもなく受け入れてしまいました」
「ほう。それでは、例えば兵を鼓舞する歌も歌えるということかな」
エリスはじっとウジェーヌを見つめる。その傲慢なほどに情熱的な瞳。歌を歌われるまでもなく、ウジェーヌはこの聖女への想いで炎に焼かれるように熱く追い立てられている。
そう、もう聖女の力が本物であるか否かということは関係なくなっていた。何としてでもこの聖女を伴って王都へ戻る。自分はそのために宰相にまで上り詰めたのではないかとすら思った。数分前まで抱いていた疑念や胸を占めていた愛人の顔はすでに影も形もない。
「ええ。それが兵の望みであるのならば。そして本当にそれを欲する心があるのならば」
「なるほど。芯から弱りきって怯えている脆弱な兵では、あなたの歌も効果はないということか」
「そもそも、それでは歌が出てまいりません。そのような相手に私が歌って差し上げたいのは、心を慰める、苦痛や恐怖を和らげる歌ですわ」
「それは結果的に、兵を強くすることになるのでは」
「そうかもしれません。人の心の在りようは少しのきっかけでいかようにも変わり得ます。私の歌もそのきっかけのひとつ。心を開いてくだされば、私の声はどなたにでも届くことでしょう」
エリスは微笑んだ。ウジェーヌは聖女の火のような美しさと鉄のような威厳の合間に甘美な慈母の微笑を見て、足元から己の自我がとろけてゆくような錯覚を覚えた。
(なんということだ。もしも神がこの地に降り立つとするならば、彼女のような姿をとるに違いない。まさしく聖女……奇跡を目にするまでもなく、彼女自身が奇跡そのものだ)
「あの……宰相さま。聖女を……エリスをどうするおつもりで」
夢見心地で教会を後にしたウジェーヌに、そろりと村長が訊ねる。
「無論、もしも聖女の力が本物ならば、我が国のために役立っていただく」
「それでは……エリスを、この村から連れ出してしまうのでしょうか」
「それはそうだろう。王の許へ連れて行き、目通りをさせねば……」
「し、しかし、彼女は我々にも必要な存在なのです」
なるほど、それが聖女の件を口にしたときに顔が強張った理由か、とウジェーヌは理解した。
「だが、すでに聖女はここで多くのことを成したのだろう。彼女は選ばれし存在だ。神の言葉を伝える特別な者だ。この村にだけ留まっているのは、神のご意思ではなかろう。ぜひ、国のために働いてもらわなければ」
「い、いえ……それはもちろん、そうなのですが……」
顔にかいた汗を拭いながら、村長は必死で言葉を探している。この太った男が聖女の虜になっていることは明らかで、ただ私的な感情で離れたくないというだけなのだろう、ということは察せられる。同様に聖女に魅せられたウジェーヌにも、その心は有り余るほど理解できた。
「もちろん、聖女本人の意向を蔑ろにするつもりはない。彼女が自ら『ここに留まりたい』と言えば、私も無理強いはできない。だが、国のために協力したいという気持ちが聖女にあるのならば、それを尊重するのもあなたの役目なのではないか」
いかにも理路整然と説いてみせるが、その裏側ではウジェーヌも村長同様、いやそれ以上に自分の情熱のために聖女を欲している。
(あの女を見て、魅了されない者などいるのだろうか。なるほど、未だ村には無気力な若者らも数人見える。彼らは聖女を欲しない者たちだろう。なんとも救いがたい。あのような美酒を目の前にして、ほんの少し味わうことすら忌避する下戸だ。酔い痴れる快さを知らぬ愚か者たちだ)
案外、教会に不在であった神父もそういった者らの内の一人なのかもしれない。ついさっきも、聖女が懺悔室を使うことが耐え難く出て行ってしまったかもしれないのだ。
これまで唯一の信仰の対象であったものを、突然現れた女に横取りされてしまったのだから、拒否したい心情もわからなくはない。
宗教は絶大な力を持っている。神の言葉を借りれば人心は集まりやすく、国の礎を創るのに宗教は欠かすことができない。そして教会は権力の分散を嫌う。聖女や聖人などが各地に現れる昨今、身内に取り込むか、異端として迫害するかのどちらかだ。
国に協力するとなれば、教会は躍起になって聖女を我が物にしようとするだろう。彼女が拒めば難しいことになる。
だが、ウジェーヌはどちらでもよかった。聖女が迫害されたならば、自分が匿えばよい。気持ちのよい静かな土地に家を買い与え、そこへ住まわせ身の安全を保証してやろう。そしてそこが、ウジェーヌの家ともなるのだ。