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憧れのお兄さまからえっちな治療を受けています。 『印』の乙女はみだらな快感に抗えない 2

第二話

 

「はあ……」
 前期試験の最終日。アネットは肩を落として廊下を歩いている。
 試験は思ったほどいい点が取れなかった。脇腹の痛みが肩に移動してしまい、腕が上がらず、実技でちゃんとした魔法を使えなかったのが要因である。
 今後もこんなことが続くのなら、ゼロ判定どころか学校生活もまともに送れない。
(やっぱり保健室に行って相談しよう)
 肩を押さえながら保健室に向かう。ズキズキと痛むそこは、まるで火傷をしたような感じだ。
 大教室がある角を曲がったところで、アネットは足を止めた。
「……っ!」
 前方に人だかりがあるのが目に入る。
 上等なブラウスを纏った女子生徒と肩や袖口に金線が入った上着の男子生徒が群がっていた。セレスの生徒たちである。
「素敵でしたわー」
「完璧な魔法だったな」
「さすがですわ」
「七段階目まで行くとは、信じられないよ」
 賞賛の言葉が聞こえ、人々の中心にいる人物が見えた。
(お兄さまだわ)
 おそらく、前期試験の最終実技で完璧な魔法を披露したのだろう。試験の内容はセレスやグリスの区別はなく、全学年一緒だ。
 問題が七段階になっていて、だんだん難しくなる。二段階目に入ったところで肩の痛みが増し、アネットの試験はそこで終わってしまった。
(二段階まででもすごく難しかったのに、お兄さまは最後まで行けたのだわ)
 自分との違いを痛感する。
「……うっ……」
 肩に強い痛みが走った。保健室に行くにはエドアルドたちの横を通らなくてはならない。だが、こんな状態では挨拶もまともにできないし、もし試験のことを訊ねられたら恥ずかしい結果を告げなければならない。
(ちょっとここで休んでいこう)
 アネットは大教室の手前にある準備室に入った。ここは大教室で講義を行う教授が、必要な教材を保管したり休憩を取ったりする場所である。今は試験期間中なので使われていない。
 肩を押さえながら長椅子に腰を下ろした。
(早く治まって……)
 長椅子の背もたれに身体を預ける。廊下から聞こえてきていたセレスたちの声が次第に小さくなっていく。彼らは食堂に移動したのかもしれない。試験の終わりを祝ってこれから宴が始まるのだろう。
(お兄さまとお姉さまはダンスかしら)
 エドアルドは氷の貴公子と呼ばれていて、普段ほとんど笑わない。けれど、宴などでダンスが始まると、一曲目はグレースと踊るのだ。そのあとは誰かと踊ることはなく、上級の男子生徒たちと談笑している。
 グレース以外の女性には興味がないというのが見るからにわかるし、美しくて優秀なグレースを憚って、誰も声をかけたりしない。
「一度でいいからお兄さまとダンスをしてみたいわ……っ、痛たたっ」
 叶うことのない夢をつぶやいた途端、痛みが走る。
「もう……やだ……」
 ダメな自分にうんざりしながら、早く治ってほしいと強く願う。
 すると……。
 背後で準備室の扉が開かれた音が聞こえた。
(えっ?)
 靴音がする。
(誰かが入ってきた……)
 長椅子の背もたれに掴まったまま振り向く。背の高い人物を認めて、アネットは青い目を見開いた。
(あれはっ!)
 よろよろと身体を左右に揺らしながら近づいてくるのは、エドアルドである。眉間に皺を寄せて、緑色の目を不快そうに細めていた。
「うっ、うううっ」
 辛そうな声を発すると、準備室の中央で膝をついた。長椅子にいるアネットに気づいていないようだ。
 木の床に手をつき、肩で息をしている。
「お兄さま!」
 思わずアネットはエドアルドを呼んでしまった。
「……っ」
 ビクッと身体を震わせると、エドアルドはしんどそうに顔を上げる。
「……アネット……なぜここ……に?」
 厳しい表情で問いかけられたが……。
「わたしはあの……えっ? あ、お兄さま!」
 答えを告げる前に、エドアルドがバタリと倒れてしまう。アネットは肩の痛みも忘れて長椅子から立ち上がり、エドアルドが倒れているところへ駆け寄った。
「どうしてこんなことに? ほ、保健室に、あの、誰かを呼んできましょうか?」
 膝をついてエドアルドを覗き込む。
「私に……構うな……」
 きつい言葉がエドアルドから発せられた。
「で、でも……」
 こんな状態の者を、知り合いでなくとも放ってはおけない。
「いいんだ……すぐに……なお……うぐぅっ」
 苦しげに首を掻きむしっている。
「お兄さま!」
 思わず肩に手をかけようとして、ぱしっと払い除けられた。
「放っておいてくれ! グリスの出る幕ではな……いっ」
 振り絞るような声で命じられる。
「す、すみま……せん」
 一歩下がって謝罪した。
 おそらくこれは、セレスにしかわからないことなのだろう。だが、エドアルドの顔色は真っ青で、息も絶え絶えだ。
 放っておけと言われても、心配でたまらない。
(わたしには何もできないの? ……そうだわ、グレースお姉さまをお呼びすれば?)
 それならエドアルドも納得するし助けになるかもしれない。アネットはそうしようと立ち上がったが……。
「ひっ、あああぁっ!」
 とんでもない痛みが肩に走り、今度はアネットが悲鳴を上げてうずくまる。
(なんでこんな時に痛むの?)
 しかも、かつてないほどの痛みだ。
 エドアルドの横で、アネットも呻きながら床に突っ伏す。
「……アネット?」
 異変に気づいたのか、エドアルドに呼ばれた。
「ご……ごめんなさ……肩が……痛くて……ひぅっ」
 肩にエドアルドの手が触れて、激痛が走る。痛みはズキズキと全身に広がり、アネットは悲鳴に近い声を上げた。
「これは……」
 エドアルドが何か言っている。
 けれど、激しい痛みでアネットは何も返せない。
 痛みは手で押さえることもできないほど強まっていた。ブラウスの布が肌に触れ、擦れているだけでも辛いので、思わず襟元を広げて肩を露わにしてしまう。
(お兄さまがいるのに……でも、あぁぁぁっ)
 もしここにエドアルドがいなければ、袖から腕を抜いてしまったかもしれない。それほどに痛かった。
「まさか?」
 近くでエドアルドの声がする。
 肩が痛む方の腕が掴まれたのを感じた。
「ああ、や、やめて……」
 痛みが増して、アネットは首を振った。
「これは……いつからだ?」
「あああ、痛いっ」
 質問に答える余裕はなかった。
「アネット。これを、私がもらってもいいか?」
(え……?)
 不可解な言葉が聞こえてきた。痛みのせいか、何を言っているのかよく理解できない。
「おそらく、痛くなくなるはずだ」
(痛く、なくなる?)
 幻聴だろうか。
 ……そうに違いない。
(でも、この痛みが少しでも軽くなるのなら……)
「なんでも、あげます、から、お願い……いぃぃ」
 何をあげればいいのかわからないが、アネットは痛みに震えながら答えた。
 ぐっと強く腕を掴まれたのを感じる。
「ひいぃぃっ腕があぁ……」
 千切れてしまうほどの痛みに襲われた。痛すぎて叫び声すら上げられない。
 けれども──。
「は……あ、……?」
 痛む肩に温かいものが触れた瞬間、全身に震えが走った。
(なに?)
 激しかった痛みが、明らかに軽減していく。
 目を見開くと、アネットの肩にエドアルドの美しい顔があった。いつの間にかブラウスの前を開かれ、むき出しになった肩に彼の唇が吸い付くように触れている。そして……。
「ん、あぁっ」
 皮膚が引っ張られるように強く吸われた。
「な……なに? あ、あぁんっ」
 痛みが煙のように消えていく。しかも、痛みが消えると同時に、肩からねっとりとした熱が発生してきた。
 疼くような、痒みにも似た感覚で……。
「どう?」
 唇を肩から離したエドアルドに問われる。
「い、痛く……なくなりました……」
 困惑しながら答え、息をついた。
(これは、どういうこと?)
 いったいエドアルドは何をしたのだろう。セレスにしかできない魔法なのだろうかとアネットは首をかしげる。
「今のはほんのお試し程度だよ。まだ全然消えていない」
 アネットの肩を見つめてエドアルドが言う。
「消えていない? あ、これはっ!」
 肩の痛かった場所に親指くらいの大きさの痣ができていた。青紫色で三日月のような形をしている。エドアルドの唇が触れていたからか、ぬらりと光っていた。
「これはまだ痛むはずだが?」
 問われてみると、そこがジンジンしているのに気づく。これまであまりにも痛かったのと痣に驚いたこともあるが、なにより、こんなに近くでエドアルドと触れ合っていることに、アネットはどうしていいかわからないほど緊張している。
「ええ……」
 三日月の痣を中心に、ジンジンからヒリヒリに痛みが強まってきた。
「吸ってあげよう」
「え? でも……」
 またしてもそんなことをエドアルドにさせるのは申しわけないし恥ずかしい。しかしながら……。
「これは完全に吸い取らないと、いつまでも痛むし、また強くなるよ」
 戸惑うアネットに告げられた言葉に、ぞっとする。
「また強く痛む……そんな……」
 それは嫌だとアネットは首を振った。
「いいね?」
 という問いに、アネットはうなずくしかない。
 エドアルドの唇が再びアネットの肩に触れた。先ほどのように強く吸われると、痛みがなくなる。
「はぁぁ……きもち……いい……」
 思わずはしたない声が出てしまうほどの快感が、痛みに替わって発生した。
(わたしったら……ああ、でも……)
 意識がふわっと浮き上がる。エドアルドがアネットの背中に腕を回していなければ、床に倒れてしまっていただろう。
「はぁ、はぁ、あぁぁ」
 淫猥な快感に身悶えし、意識が遠のく。
「これでいい。完璧だ」
 という声が聞こえて、アネットははっと我に返った。
「お兄さま?」
 目を開くと、至近距離に笑みを浮かべたエドアルドの顔がある。これまで見たこともないような華やかで魅力的な笑顔だ。
「君の痣は消えたし、私も復活できた」
 嬉しそうな言葉が返ってくる。
「お兄さまが復活? そういえば、具合は大丈夫なのですか?」
 先ほどとても苦しんでいたのに、アネットは自分の痛みでそのことを失念していた。
「君の痣で復活の力を得られたから、元気を取り戻せたんだよ」
「わたしの痣から? どういうことですか? きゃっ……あ、あの痣にはなにかあるのでしょうか?」
 アネットはエドアルドに質問しながら、自分の肩がむき出しになっていたことに気づいて慌ててブラウスの襟を引き上げる。
「ああ、君は下級貴族だから知らないのだね。……あの痣は『魔孔の印』と呼ばれていて、本来上級貴族しか発症しないと伝えられているものなのだが……」
 立ち上がったエドアルドは、アネットに手を差し伸べる。
「ありがとうございます」
 エドアルドから手を握られ、顔を赤らめながらアネットも立ち上がった。
「説明しよう。……私たちの魔力に限界があることは知っているな?」
「ええ……」
 アネットの魔力は弱い上に持続力はほんの少しである。
「今回の試験で最終段階に到達するまでに、私は自分の持つ魔力を使い果たしてしまってね……」
「最終段階まで進まれたのはすごいことですわ……」
 アネットは先ほどの廊下での騒ぎを思い起こした。
 試験内容はセレスもグリスも同じものだ。七段階に分かれていて、グリスで第二段階まで終えられるのは半分程度である。セレスも、かなり優秀な者で第五段階止まりだ。それが、エドアルドは第七段階まで進んだのだという。
「魔力を使いすぎたために呼吸困難で動けなくなってしまった……それでしばらく休もうと思ってここに入ったんだ」
「そうだったのですね」
 疲労困憊のせいであんな状態だったのだ。
「でも、君に出ていた魔孔の印を吸ったので、魔力が回復した。魔孔の印にはそういう作用がある。セレスの中でも百年に一人出るか出ないかの特殊なものだそうだが」
「セレスの? それがなぜわたしに?」
「君のご先祖にセレスだった者がいるのか?」
 聞かれて記憶を探ってみるものの、思い当たることはない。
「……いいえ……聞いたことはありません」
「それなら、突然変異かもしれないな。あの痣は頻繁に出るのか?」
「痛みが出るようになったのは、ここに入学してからです。週に一度くらいで、出ると消えるまで数日かかります」
「これまでは消えるまで我慢していたと?」
「はい……」
 エドアルドの質問にアネットはうなずく。
「でもこのところ頻繁でしたし、痛みがひどいので、試験が終わったら保健室へ相談に行こうと思っていました」
「なるほど……」
 エドアルドはアネットの返事を聞いて美麗な顔を顰めた。
「保健室へは行かない方がいい」
「どうしてですか?」
「その印は吸わなければ治まらない。そして吸うのはセレスでなければだめなんだ」
「そうなのですか」
「魔孔というのは魔力を溜める穴のことだ。古くから特別な存在の女性に出るとされている。溜まった魔力が飽和状態になると印が現れ、そこから吸い出さなくてはならない。そして吸い出す作業は、セレスの異性でないと十分な処置ができないと教えられている」
「い、異性……男性でなくてはダメだということでしょうか」
「そうだよ」
「どうしよう……」
 アネットにとって、セレスで異性の知り合いはエドアルドだけである。
「私が吸うしかないようだな」
 ため息交じりに言われ、アネットは泣きそうになった。
(きっと迷惑なのだわ)
「あ……あの……」
「……それとも、他に吸わせたい……好きな相手でもいるのか?」
 ちょっと恐い表情で質問され、慌てて首を横に振った。
「い、いいえ、吸わせたい人なんていません。憧れている方ならいますが……頼めないですし……」
 憧れのお姉さまのグレースは、異性ではない。
「それに、お、お兄さまにご迷惑がかかると思うと、心苦しくて……」
「同郷のよしみだからそこは気にするな」
「あ……ありがとうございます」
 アネットは頭を下げる。
「魔孔の印は薄いうちに吸えば早く消える。これからは、魔孔の印が出たらすぐに私のところへ来るように」
「すぐに……ですか」
 ドキッとしながらアネットは問い返す。早朝や夜中に出ることもあるのだ。
「そうだ。夜中でも構わないよ」
「お兄さまのお部屋に行ってもよろしいのですか?」
「そうだ。私が君の専属になったのだからね」
「は……はい……」
(お兄さまがわたしの専属って……)
 まるで恋人のような響きである。とはいえ恋人ではない。ただ同郷のよしみで、困っているアネットに手を差し伸べてくれたに過ぎないのだが……。
「あと、このことは誰にも言ってはいけないよ」
「……どうしてですか?」
 グリスのアネットがセレスのエドアルドとそういう関係になるのが公になると、望ましくないのだろうか。
(身分違いだし、そうなのかもしれない)
 そう考えたアネットだったが、違っていた。
「もしこのことが知られたら、君はセレス男子の餌食にされてしまうだろう」
 エドアルドは深刻な表情で告げた。
「え、餌食……?」
 恐ろしげな言葉にアネットは目を見開く。
「以前見たことがある記録に、魔孔の印が出た伯爵令嬢が数人のセレス男子から代わる代わる吸われて、正気を保てなくなったと書かれていた」
「なんて恐ろしい……わたしにもそんなことが?」
 複数の男子生徒に吸い付かれることを想像し、青ざめた。
「君はグリスだから手加減もされず、もっと酷いことになるかもしれない」
「そんな……」
 アネットは恐怖におののく。
「恐がらなくてもいい。秘密が守れるなら大丈夫だ」
「はい」
(お兄さまとわたしとの秘密)
 心強い言葉にほっとするとともに、エドアルドと秘密を共有することにアネットはドキドキするものを感じた。
 憧れのお兄さまと自分だけの秘密を持つのである。
 けれどもそれは、そんなにお気楽なものではないと、このあと思い知ることになるのだが……。