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引っ込み思案の幽霊令嬢ですが、力【パワー】で黒狼王子の愛され花嫁になります 2

第二話

 


 指示を終え、ようやく自室に戻ったのは一刻ほど経ってからのことだった。
「まあお嬢様、お疲れ様でございましたね!」
 部屋で迎えてくれたのは侍女のキルスティだ。茶色の目とそばかすが明るい印象の、面倒見の良い女性である。ハイドハイヴの血統ではないがシルフィーナとはまるで姉妹のように気が合い、なにかと世話を焼いてくれていた。
「そうね、意外なことばかりで驚いたわ」
 ふう、と息をついてシルフィーナはレース布を外し、ベッドに腰を下ろす。
「でもきちんと薪は取れたのよ。十本ほど伐り倒してきたから、一か月半はもつと思うわ」
「お嬢様の『伐採』はお見事ですものね。私も見に行きたかったです」
 それにしても、とキルスティは絞ったタオルでシルフィーナの顔を拭いてくれる。
「まあまあこんなに汚れて、美しいお顔を曇らせては大変ですわ……お洋服も取り替えましょう。こちらの水色のドレスはいかがでしょうか」
「お任せするわ。でも、このあとも作業はあるし、治術室も手伝わないといけないから、動きやすい服でお願いね」
「分かっておりますよ! さあお嬢様、こちらへ!」
 キルスティに手を引かれ、シルフィーナは壁の姿見の前に立った。
 銀色の髪に白い肌、紫色の瞳に日の光が映っている。
 ハイドハイヴの一族は似たような容姿の者が多い。髪の毛は銀色で、白い肌を持ち、瞳は青色系か金色でひっそりとした印象を保っている。山育ちなのに一様に日焼けしないのは体質なのだろう。いつまでも白くひょろっとしているから『幽霊貴族』などと陰口をたたかれるのだ。
 だがそんな『ありきたりなハイドハイヴ風の容姿』であるシルフィーナを、キルスティは着替えのたびにうっとりと見つめる。
「あの大男さんも驚かれていましたが、本当に……ハイドハイヴの皆さまはお人形さんのようにお美しくていらっしゃる。中でもシルフィーナ様の美しさは抜群ですね。紫の目は大粒の宝石にも似て、長い睫毛は糸杉の一房のよう」
「恥ずかしくなっちゃうからやめて! 褒められるのは嬉しいけれど、特別に容姿が良いという実感は全然ないわ」
 鏡を見つつ、シルフィーナは髪の毛をはらりと手で流してみる。この髪の色も姿かたちも、一族では標準的な方だ。
 ただそれだけの仕草でも、キルスティは感じ入ったようなため息をついた。
「ハイドハイヴの皆さまは顔面の質が高すぎるんですわ。隠れ住んでいるから良いようなものの、首都や外国に行ったら大変なことになりますよ!」
「そういうものかしら?」
 シルフィーナは一度だけ、父に連れられて王都の舞踏会に行ったことがある。だがその時の記憶はさほど良いものではなかった。
「昔行ったときは、良いことはなかったわ。同じくらいの年の女の子がいじめられているのを助けたけれど、逆に力が強すぎて怖いと泣かれてしまったし」
「それは……ハイドハイヴあるあるかもしれませんね。皆さまお美しい以上に、力がお強すぎるのです」
 森に隠棲、いわゆる『森の引きこもり』をしているハイドハイヴ侯爵一族は、貴族である以上はきちんと王国の官職と爵位を持っている。『特別王墓守護侯爵』というのがそれで、メッサシュトルの森の奥にある歴代の王墓を守護するのが主な役割だ。
 立派な肩書きと役目があるのだから、所領から離れた都市に邸宅でも構えればいいのに、なぜ引きこもりをしているのか。
 その理由は三つ。
『引っ込み思案』『特別な力』そして……『貧乏』である。
「あら、穴が」
 シルフィーナのドレスを脱がせたキルスティが眉をひそめた。
「お嬢様、スカートの裾に穴が開いてしまっておりますわ」
「ごめんなさい、森の中を駆け抜けたものだから。申し訳ないけれど、繕っておいてもらえるかしら? 日常用のドレスは長く保たせたいけれど、大事に使うのはなかなか難しいわね……」
「周囲が森でございますからねえ。お嬢様にはもっと素敵なドレスをたくさん着ていただきたいのですが」
「うちにはお金がないもの、仕方ないわ」
 シルフィーナは困ったように微笑む。
 初代ハイドハイヴ侯は建国王オルトシュトルムの右腕だった。その輝くような美貌と不思議な剣の腕前によって建国の戦いでは大活躍。瞬く間に英雄に祭り上げられてしまう。
 だが生来は引っ込み思案で恥ずかしがりだったというハイドハイヴ侯は皆の視線に耐えきれず、その気持ちを鑑みた建国王によって『王墓の守護侯爵』という役割を与えられ、このメッサシュトルの森に引っ込んだのだそうだ。
 以来、彼の子孫たちは隠者としてこの森に住まい、高貴な墓守としてひっそりと暮らしていたのだが。
 それを無駄な役職と切り捨てたのが、現国王テオドール公だった。
 宮中の無駄を省くという名目のもと、ハイドハイヴ家への数々の手当てが削減された。メッサシュトルの所領こそ残されたものの、森の近くを通るふたつの大街道の徴税権を没収されてしまった上、南方にもっていた王立葡萄園の管理徴税権さえ取り上げられたのだ。
「この不思議な力を活かして、大貴族にのし上がるというのはどうでしょう? 貧乏から脱出できますよ?」
「それこそ無理。うちの一族の引っ込み思案ぶりを知っているでしょう? 王宮に出仕するときはお父様でさえレースをかぶってコソコソ移動しているんだから」
 ハイドハイヴの一族は、不思議な力だけでなくその引っ込み思案ぶりさえも初代からしっかりと受け継いでいた。所領にいるときは生き生きと暮らせるが、街に出れば誰もがレースをかぶり、隠れるように日陰を歩く。誰かに指でもさされようものなら、妖精も驚く素早さでサッと物陰に隠れてしまう。そんな一族が王国でのし上がるなんて絶対に無理だ。
「先代国王さまのころはよかったですねえ。支給金も多くて、ドレスもある程度は自由に買えたし、他のものだって」
 キルスティのぼやきにシルフィーナは首を横に振った。
「昔を懐かしんでも仕方がないわ。今は今で楽しまないと。私たちにはこんなに豊かな森があるのだから」
「シルフィーナお嬢様は本当に心が清らかでいらっしゃいますね。ステファン様も皆様もそうですけれど……私はそんなハイドハイヴの皆様が大好きでございますよ。さあ気分を変えて、空色のドレスにいたしましょうね」
 キルスティはシルフィーナの汚れたドレスを取り、コルセットの上から手早く新しいドレスを着せていく。髪を飾っているリボンも新しくしてもらえば気持ちまでさっぱりした。
「森の恵みと言えば、今日の出会いもそうかもしれませんよ! 招かれざる客人かもしれませんが、ドキドキわくわくしちゃいます!」
「そう、ね」
 シルフィーナは複雑な表情で頷いた。確かに感情としてはキルスティと同じだ。客人を喜びたい半面、事態はもっと深刻ではないかという懸念も大きい。怪我人の青年と、それを追いかけてきた黒い影。あの時は一人だったが、さらなる追っ手がいてこの集落に来たら……。
 だがそれ以上に、あの青年が気になって仕方なかった。助けてあげたいと思った。
「大丈夫ですよ、ハイドハイヴは隠れ里ですが、王国随一の腕前の方ばかりですもの。何かあっても心配はいりません。それよりも大事なのはその怪我をなさった方ですよ! とっても男前なんですって!?」
 急にキルスティが目をキラキラさせたので、シルフィーナは困惑したまま微笑んだ。
「え、ええ。たぶん……素敵な方? かも……」
 シルフィーナの言葉にキルスティが黄色い声を上げる。
「その感覚は大事ですよお嬢様! そりゃあハイドハイヴの皆さんは残らず美形ですし顔の良い男女は見飽きているかもしれませんが! 好きになる方っていうのは見た瞬間にビビッとくるもんなんですよ!」
 シルフィーナはきょとんとしたまま繰り返した。
「ビビッと」
「そうです! ビビッと!」
 いつもは穏やかで明るいキルスティだが、こと恋愛事情となると凄まじい積極性を発揮するのだ。同じように恋愛話が大好きなマリクル叔母とは話が合い、絵新聞を見ながら黄色い声を上げているのを何度か見ている。
「ああ、こんなに美しくお育ちのお嬢様をさらっていくのはいったいどこの男なのかと思っていましたが……まるで童話のような出会いではありませんか! あの海狼の童話の!」
 シルフィーナはどきりとした。朝読んだばかりの内容が胸によみがえってくる。怪我をした海狼と、銀の姫の出会い。
「でも、あれは悲劇で終わってしまって……」
「それは読み手次第ですよ! 亡き奥様もおっしゃっていたじゃありませんか、変えちゃえばいいと!」
 キルスティはもともと、母が王都で拾ってきた孤児だった。侍女として長く傍にいたせいか、二人は時々、似たようなことを言う。
 それが嬉しくもあり、今はまだ、母を思い出して切なくもある。
 お嬢様、とキルスティはシルフィーナの手を握り、優しい顔で見つめた。
「奥様が亡くなってから三年、まだお寂しいのは分かります。でも、お嬢様には未来があるのですから、新しいことやモノにもどうか目を向けて下さい。いろいろなお悩みが浮かぶようでしたら、ぜひ私にご相談を。どこまでもお支えしますから」
「キルスティ……ありがとう」
 キルスティの優しさにふと母が重なって、思わず目が潤みそうになる。だが。
「……まあ、実のところ私はもう一人の人が気になるんですけどね!」
 陽気な声で言われ、シルフィーナは慌てて頬を膨らませた。
「んもう、感傷に浸っていたのに、台無しよ!」
「うふふ、だって外の人が来るなんて珍しくて! おまけに私の好きな日焼けした筋肉男なんですよ!? 見ましたあの大男!」
 キルスティの勢いにシルフィーナは笑った。その明るさにこちらまで元気になる。
「ありがとう、キルスティのおかげでちょっと楽になったわ。なんだかいろいろなことがあって少し気を張っていたみたい」
「やはりそうでしたか。お部屋に入ってきたとき、そんな顔をなさっておられましたからね!」
「わ、分かるの?」
「お嬢様はけっこう表情に出ますよ! まあ隠そうとしても、この私には無理でしょうけれどね!」
 よいしょ、と言ってキルスティは手早く荷物をまとめた。
「ステファン様にも少し休憩を取られるよう言われたのでしょう? ブルーマロウのお茶で一息いれませんか。野イチゴジャムのクッキーもありますよ」
「まあうれしい! 朝食が早かったから、おなかがペコペコなの」
「ふふ、それなら野生レモンのフィナンシェもお持ちしますね。先ほど焼いたばかりですから美味しいですよ。じゃあ準備してきますね」
 そうそう、と戸口で振り返る。
「奥様は誰よりシルフィーナ様の幸せを願ってらっしゃいました。シルフィーナ様が笑顔でいることが、何より大事なのですよ」
 キルスティはにっこり微笑み、パタンとドアを閉めた。
 廊下を去っていく足音が遠ざかってから、シルフィーナはようやく大きなため息をつく。
 皆の前では気を張っていたが、さすがに疲れた。朝から驚きの連続だったのだ。
 あの青年。
 初めて見たはずなのに、ひどく気になる面影だった。
 いったいどうしてそんなに気になるのかと問われれば、まだ答えはないのだけれど。
「新しいこと、か……」
 確かに、母が亡くなってから三年、そんなことは考えられなかった。今でもまだ難しい。あの夜に覚えた無力感、自責の念はなかなか消しさることができない。
 けれど。
 ──シルフィーナ様が笑顔でいることが、何より大事なのですよ。
 キルスティの言葉を噛み締めながらベッドの上にあおむけになる。
 笑顔になれるようなこと……でも今は、まだ心の底にお母様の……。
 だがその思考を鋭いノックの音が破った。
「シルフィーナ様、失礼します! あの、先ほどの海軍少佐が目を覚まされたらしく!」
 キルスティが飛び込んできたが、険しい顔で息を切らしている。
「ここから出ていくと言って聞かないそうで……どうお止めしたらいいかと……」
「分かりました、すぐに行きます。お父様たちをお呼びして!」
 シルフィーナは軽く髪を整えると、すぐに部屋を出た。


 治術室の周囲は騒がしかった。
「おやめください、傷が開いてしまいます!」
「俺に構うな!」
 カシャンと何かが倒れる音、わずかな悲鳴も聞こえる。
 シルフィーナは一瞬、治術室の前で立ち止まった。この扉を開けるのは久しぶり……最後に母を看病した日以来だ。
 あの夜の寂しさを思い出しそうになって、首を振る。しっかりしないと。息を整えてからレースをかぶり、部屋の中に飛び込んだ。
「この騒ぎはいったい……どうなされたのですか?」
「あ、シルフィーナ!」
「シルフィーナ様!」
 部屋の中は誰も彼もが銀レースをかぶっている。だが困惑した表情は布の上からでも知れた。
 青年はその隙をついて手を振りほどき、よろよろと立ち上がった。
「離してくれ、俺はここから……」
「まだ起き上がってはいけません、怪我も、傷も深いのですよ!」
 シルフィーナの声に彼は強くこちらを見つめた。
「君は、先ほど森で出会った女性だな? すまない、トマスともども助けてもらったのだと聞いた。とても感謝している。だが俺は……ここにいるわけにはいかないんだ」
 乱れた黒髪に赤い目。傷だらけでも、赤い目を光らせてこちらに向かってくる。まるで童話の中で見た海狼のよう。その鋭さに、シルフィーナは思わず息を呑んだ。
「落ち着いてください。あなたは大怪我をして、森の中で倒れておられたのです。まだ寝台から起きるべきではないと思いますが」
「それでも俺はここから去らねばならない。君たちと、トマスに迷惑を掛ける前に」
「トマスさんも?」
「そうだ。これは俺一人の問題なんだ……」
 青年はよろめく足で歩きだした。手にした銃は彼が所持していたものだ。森で救助したあとに拾ったのだが、起きた時に安心するだろうとナイトテーブルに置いたのが仇になったようだ。
「シルフィーナさま……」
 みながこちらを見つめる。当主の娘としての責任もあるし、なにしろ一番強い。
「トマスさんはどこへ? 一緒にいらしたはずですが」
「さきほどステファン様に呼ばれて出て行ってしまったのです。そのあとにこの方が目を覚まされて」
「なるほど、折が悪かったようですね……大丈夫、私に任せて」
 シルフィーナは一歩踏み出すと、彼の前にしっかりと立ちはだかった。
「アレックス様、と申されるのですよね。初めまして、シルフィーナ・テレサ・ハイドハイヴと申します。申し訳ありませんが、ここをお通しすることは出来かねます。どうしてもというのなら、私を倒してからになさってください」
「倒す!? 君を?」
 青年は驚いたように赤い目を丸くし、それから困惑した顔でこちらを見つめた。
「君のような美しい女性を……できるわけないだろう。冗談で言っているのならやめてもらいたいのだが」
 美しい、という言葉に少し照れそうになる。だがシルフィーナはレースをかぶったまま首を振り、ことさら真面目な表情を浮かべた。
「冗談ではありません。本気です。本気であなたをお止めしたいと思っております」
 言葉は丁寧だが気迫がある。青年も本気だとわかったのか、眉を吊り上げて険しい顔になった。
「俺は海軍少佐だぞ。銃も、剣も、素手だってそれなりの腕がある。だが誰も傷つけたくないんだ。そこをどいてくれないだろうか」
 迷う仕草をしつつも、こちらへ銃口を向ける。どうやら向こうも本気のようだ。
「できればこんな真似はしたくないのですが」
 シルフィーナはため息をついた。右手の指輪をひとつだけ、外す。
「まことに申し訳ありませんが、失礼いたしますわ」
 つかつかと青年に歩み寄り、その銃把を素早く握る。青年はとっさに銃を引こうとしたが。
「う、動かないっ……!?」
 慌てるアレックスとは対照的に、シルフィーナは冴えた眼差しを上げ、レース越しに彼の赤い目をまっすぐに見つめた。
「あなた様は私どもハイドハイヴ家が保護させていただいた大事なお客人です。せっかくお助けしたものを、ご自分で傷つけるような真似をなさるのはおやめくださいませ。悲しく思います……」
 相手もこちらに目を向ける。赤い視線と、紫の視線。それぞれの感情がぶつかり合い、それでも目を離せない。
 彼の強い眼差しにシルフィーナは不思議な高揚を覚えた。なんだろう、この胸がドキドキする感じ。戦闘の前とも、恐れを抱いたときとも違う。
「あなたを助けたのはうちの姉、シルフィーナなんですよ! 倒れてくる木から庇い、謎の敵からも守ったんですから!」
 いつの間にか来ていたイェルドの声に、青年はハッとしたようだった。
「君が……俺を……?」
 シルフィーナが小さく頷く。
 青年はわずかに視線を落としたが、いや、と再び上げた。
「だったら……それこそ、ここから去らねばならない。君のような人を、俺の事情に巻き込むのは危険すぎる……!」
「その心配はありませんよ、アレックスどの」
 優しい声に、二人は弾かれたように戸口へ目をやった。