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引っ込み思案の幽霊令嬢ですが、力【パワー】で黒狼王子の愛され花嫁になります 3

第三話

 


「お父様……トマスさんも!」
 戸口にはステファンとトマス、それにマリクルたちも立っていた。皆レースをかぶっているが、ステファンだけは素顔のままだ。相手に顔を見せることで安心させようというのかもしれない。
「初めまして、私はハイドハイヴ侯爵ステファンと申します。こちらは我が一族の者たち。始祖よりこのかたひどく恥ずかしがりの一族ゆえ……顔を隠すレースはご容赦願いたい」
 ステファンの声は少し震えている。お父様、恥ずかしいのにかなり頑張って、レースもなしに話していらっしゃるんだわ。その姿勢から真剣さが伝わってきた。
「遅くなってすまないね、シルフィーナ。トマス氏に事情を聞いていたんだ」
 背後に立っていたトマスが、おずおずと前に出てきてアレックスを見た。
「坊ちゃん、大丈夫です。この方々はハイドハイヴの一族です」
「分かっている! だからこそ、我々がここにいることで迷惑を掛けては……!」
「いえ、分かっていないのはあなたの方ですな」
 ステファンの声にアレックスは目を丸くした。
 シルフィーナ、とステファンがこちらへ顔を向ける。
「彼をベッドに戻してあげなさい。具合が悪くなってしまう。……お手柔らかにね」
「はい」
 シルフィーナはにっこりとアレックスに笑いかけた。
「アレックス様、お持ちの銃は大事なものでございますか?」
「あ、ああ。海軍で叙任されたときからの……」
「では壊さない方がよいですわね。失礼して」
 銃把を掴んだまま軽く手をひねる。アレックスがアッと声を上げて手を放した。手品のようだった。
「なんだ、いまの力は!? 抗うことができなかった……!」
 訳が分からないアレックスが自分の手を見ている間に、シルフィーナはそっと傍らの机の上に銃を置く。
「さらに失礼しますね」
 それからアレックスに手を掛け……ひょいと抱き上げた。
「なにっ?」
 素っ頓狂な声が上がったが、気にも留めない。
「ご安心ください、すぐに済みますわ」
 シルフィーナは強く頷いた。この人は怪我もしているし、熱もある。そう思ったらもう、放っておくなんて考えられなかった。治してあげたい、死なせたくない。
 暴れるアレックスをものともせず、つかつかとベッドに近寄る。そうっと、まるで赤子を下ろすような優しい手つきで青年を横たえる。
「バカな……大の男を、こんな細腕の女性が軽々と……! 先ほどの剣といい、怪力でもなく、腕力でもなく……いったい何の力が……!?」
 アレックスは呆然とした顔だったが、すぐに身を起こそうとする。
 その肩を、すみません、とシルフィーナが指先で押さえた。
「お静かになさって……ね?」
 アレックスの額にじわりと汗が浮かぶ。
「す、少しも動かない……身体が……!」
「次期ハイドハイヴ当主の力はどうですかな、アレックスどの」
 ステファンが微笑む。アレックスはまだ呆然としているようだったが、ハッとして二人の顔を交互に見つめた。
「これが……ハイドハイヴ家の力……!」
「まだまだ未熟者ではありますが、これで全体の一割程度かと」
「一割!? じゃあ全開放したら、とんでもないことに……」
 驚くアレックスに、シルフィーナはいたたまれず下を向く。その肩にそっと、慰めるようにステファンが手を置いた。
 アレックス様、とトマスが語りかける。
「私はステファン様に、私が分かる限りの今回のことをお話ししました。アレックス様の知っていることとは違うと思いますが……その上で、少しの間、こちらにご厄介になることをお勧めしたいんです」
「だがそれはここの一族に迷惑を掛けることになる!」
「それは分かっています! 分かっていますが、それでもこの方々のご厚意に甘えたいと俺は思っています。アレックス様を、坊ちゃんをお守りできなかったのは俺の責任なんです。でもこの状態じゃ、これ以上は坊ちゃんを守れない……」
 トマスは本当に悲しそうな顔をした。
「私の責務が果たせないのは本当に申し訳ないと思ってます。だからこそ、この方々のお力をお借りして……」
 そこまで言ってから、トマスの巨体がふらりと揺らいだ。
「危ない!」
「トマス!」
 ステファンが支え、額に手を当てる。
「ひどい熱だ。我慢していたのかね!?」
「大事なお話をしないと、と思いましたんで。それに坊ちゃんに比べれば、俺の傷なんて大したことはないですし」
 笑った顔が苦しそうだ。慌ててやってきたマリクルとヨーゼフの夫妻に支えられ、トマスはアレックスの隣のベッドに横たえられた。
「さて、アレックスどのはどうなさるかな? 自分の部下があの状態で、ご自分もそんな状態では……」
 アレックスは苦しげな表情でトマスを、ステファンを、それからシルフィーナを順番に見て、ゆっくりとうなずいた。
「……大丈夫。もう逃げたり暴れたりしないから、少し手を離していただいても良いだろうか」
 そっと、シルフィーナの手に自分の手を重ねる。その行為にびっくりして、シルフィーナは慌てて手を離してしまった。
 アレックスは軽く上体だけを起こし、海軍式の敬礼を取った。
「……オルトシュトルム海軍第三艦隊アレックス・セーデルグレン少佐、一族のご厚意に甘えさせていただきます。極秘任務中に怪我をした私とトマス・レンバリ中尉の身柄を、ハイドハイヴ侯ステファン殿ならびにシルフィーナ殿にお預けする。いただいたご厚意は必ずやお返しいたします」
 それから、と言って彼は中指に嵌めていた大ぶりな指輪を外す。
「こちらを、ステファン殿にお預けします。あなたなら、この指輪の意味合いが分かると思います」
「なるほど。しかし……それには及びません」
 ステファンはちらりと指輪を見てから、あっさりと言った。驚いたのはアレックスだ。
「ですが」
「あなたは私たちの所領に迷い込んできた怪我人です。助けを求められ、私たちはそれを助けた。いまはそれだけで良いと思うが、あなたはどうかな?」
「ステファン殿……感謝いたします……」
 アレックスが深く息を吐く。ステファンはにこやかに微笑むと、机の上の銃を見た。
「そのかわりと言ってはなんですが、この銃をお預かりしておきましょう。ハイドハイヴのすべてをもってあなた方を守り、回復の助けとならんことをお約束します」
 ステファンの言葉は深く、優しい。その響きに安心したのか、アレックスは初めてわずかな笑みを見せた。
「すみま……せん……ご迷惑を、お掛けして……」
 がくんと上体が落ちる。シルフィーナが慌ててその肩を支え、きちんと寝かせた。額に手を当てるとやはりかなりの熱がある。
 その手にそっと、アレックスの手が触れた。
「すまない……君にも……」
「気にしないでください」
 シルフィーナが微笑むと、彼は安心したように目を閉じた。
「骨折しているし傷も多いから、今夜は熱が高くなるだろう。薬草を用意して、皆は交代で治療に当たるように」
 ステファンの声に皆が頷く。シルフィーナも頷きながら、触れた手をぎゅっと握りしめた。


 ──夜の治術室は、失われたものの匂いがする。
 シルフィーナが再び治術室に立ち寄ったのは夜遅く、晩課の鐘が鳴り終えた頃だった。
「あら、シルフィーナ!」
「お疲れ様ですマリクル叔母様。お二人のご容体は?」
 白一色の部屋は意外と広く、窓下にベッドがふたつ並べられている。片方には大男のトマスが、もう片方には背の高いアレックスが横たわっていた。
「トマス様は薬草が良く効いたのか、熱も下がって食事も摂ったのよ。もう大丈夫みたい。けれど、アレックス様はこんこんと眠り続けていらっしゃるわね……」
 確かにトマスは大きないびきを立てているが、アレックスは荒い呼吸だ。顔が赤く、まだ熱があるように見える。
「叔母様、夕食がまだなんでしょう? 私が代わります」
「でも、あなたも疲れているのでは」
 マリクルの心配そうな声に、いいえ、と首を振り、シルフィーナはアレックスを見た。
「看病してあげたいんです。どうしても」
 マリクルが目を細める。
「まだ、ライネの……母上のこと、気にしているのね?」
 シルフィーナの頬を撫で、彼女は息をついた。
「ライネはかわいそうだったけれど、あなたのせいではないわ。私の弟も、一族の何人もがあの年の流行り病で亡くなったのだもの」
 といっても、と困った顔で笑う。
「あなたは納得できないわよね。その意外と頑固なところ、諦めないところがライネに似てるわ」
「お母様に……?」
「そうよ、ライネはとっても諦めが悪くて、むしろしつこいくらいだったんだから! ステファンと最初に友達になったときもずいぶん積極的に話しかけられたそうよ」
「そうだったんですね」
 父から軽く聞いたことはあったが、こうしてなれそめを詳しく話してもらうのは新鮮だ。
 同時に、マリクルが言う『しつこさ』にも納得する。狩猟でも木々の伐採でも、最後まで諦めず、そして困っている人には必ず助けの手を差し伸べる人、それが母ライネだった。
 マリクルがふっと笑う。
「あなたのお言葉に甘えて、休ませてもらうことにするわ。もう治癒魔法をかける必要はないし、ただ熱が下がれば大丈夫だろうとヨハンナたち治癒師も言っていた。もしも急変したときだけ、教えてほしいと」
「分かりました」
「ただ、あなたも疲れているのだから無理はしないで。あと一刻ほどで交代がくるから、それまででいいから」
「はい」
 彼女はまだ何か言いたそうだったが、そっと出ていった。
 後には怪我人とシルフィーナが残される。
 シルフィーナはアレックスの方を見た。こうして落ち着いてみれば、ひどく整った顔立ちの青年だと思う。頬骨の下や耳、手にもいくつかの古い傷跡があり、海軍少佐という名乗りを明確に裏付けていた。
「さて、と」
 アレックスのベッド脇には白いサイドテーブルが置かれ、木製のたらいにいっぱいの氷水が用意されている。シルフィーナは傍らの椅子に腰かけ、水中に漂う白い綿布をぎゅっと絞った。ひんやりと冷たいそれでアレックスの額を拭いてやると、ふうっと気持ちよさそうに息を吐く。よかった、少しは楽になるといいけれど。
 母の最期の夜もこうして冷やしてあげたっけ。
 三年前の冬。あの年の流行り病は異常だった。どの薬草もまったく効かず、老人と幼い者からバタバタと亡くなっていった。
 やがて看病をしていた大人たちも感染し、いつもは身体の丈夫な母のライネまで罹ったのだ。皆の看病をして疲れたのだろうとマリクルは言っていた。
 それでも、いつものように回復すると思っていた。
「……泣いているのか?」
 声を掛けられ、シルフィーナは我に返った。
 アレックスが赤い目で、心配そうにこちらを見ている。震える指が伸び、頬の涙をそっと、ぬぐってくれた。
「め、目を覚まされたんですね! その、お加減は大丈夫ですか?」
 シルフィーナは慌ててハンカチで目を押さえた。いけない、看病する側なのに、気を遣わせてしまった。
「ああ、かなり良くなった。ただ、まだ体温がおかしいけれどね」
 ふうっと疲れた息を吐き、アレックスは枕に頭を埋める。
「さっきはすまなかった。ひどく抵抗して、君の手を煩わせ、銃まで向けてしまった……目的のためとはいえ、許されることではない」
「いえ、気になさらないでください。あなたのお気持ちは、一族のみんなが分かっていますから」
 怪我と熱のある人間を看病するのは手間が掛かる。二人ならなおさらだ。それが分かっていたから彼は出ていこうとしたのだ。
 アレックスがまだ心配そうな顔をしていたので、シルフィーナは笑って見せた。
「本当に気になさらなくていいんですよ。あのくらい、私の一族なら子供でも片手で制圧できますので」
「な、なるほど」
 ごくりと唾を飲み込んでから、アレックスは緊張を解くように一気に息を吐いた。
「君の一族にはかなわないな。あんなに強くて、おまけに優しいなんて。噂では引っ込み思案で影の薄い一族だと聞いていたけれど」
「そこは間違っていませんけれどね」
 ふふっとシルフィーナが笑う。その表情に目を細め、アレックスはゆっくりと周囲を見回した。 
「あの騒ぎからずいぶん経った気がするけど、俺はどのくらい寝ていた?」
「昼前からずっと、かれこれ半日以上です」
「そんなに長く……そうだな、もう外は夜だもんな。君が汗を拭いていてくれたのか」
「い、いえ、私は先ほど代わったばかりで」
「そうか。他の人々にも結局は迷惑を掛けてしまったな……あとで謝らないと」
 小さく息をつき、再びこちらを見る。
「さっき、どうして泣いていたんだ? 俺が君に銃を向け、抵抗したことが原因だろうか。それなら非礼を詫びなければ……」
「いえ、いえ、違うんです」
 シルフィーナは首を振ってから、目を落とした。
「あなたの看病をしているうちに、母のことを思い出してしまって」
「母上? トマスを運んでくださった女性がそうだと思っていたが」
「あれは父の妹のマリクル叔母様です。私の母は、三年前に流行り病で亡くなりました」
「三年前の……」
「私が最後に看病していたんです。この部屋で」
 三年前、流行り病にかかった母の病状は急に悪くなり、シルフィーナは必死に看病をした。だがその甲斐なく、三日も経たずに亡くなってしまった。眠るような最後だったのが幸いだった。
 膝の上の両手を、その指輪をしみじみと眺める。
「私の力は、先ほどご覧になったと思います。怪力でもなく、魔法でもない。ただ、圧倒的な力です。最もその力が発揮されるのが剣を握ったときですが、王都の騎士に圧勝するほどの腕前だろうと父様は仰ってました」
「すごいじゃないか」
 誉め言葉に、だがシルフィーナは沈痛な面持ちで頷いた。
「幼いときから、特別な力を持っているのだと教えられてきました。私だけでなく一族の皆がそう思ってはいると思います。けれど、どれほど特別な力でも、大事な人を守ることはできなかった……役立たずだったんです。母をもっと、長生きさせてあげたかった」
 初めて父と剣の稽古をしたときから、特別だと聞かされてきた。慢心したわけではない。ただ日々の生活の中で自然と思い込んでいただけなのだ。自分の力は、大いに役に立つと。
 そうではないと、一番痛烈な形で思い知らされたのが、母を亡くしたあの日だ。
 力が強くても、剣の技が優れていても、愛する家族を救う役には立たない。
 いままで見たこともないような病だったから、仕方がないと皆が言った。だがシルフィーナの無力感はその日から消えることはなかった。
「君の力が役立たずだなんて、そんなことはない!」
 アレックスは大声で言ってから、いてて、と身体をよじった。
「あっ、ご無理なさらないで!」
「すまない、でも、これだけは言っておかなきゃって、思って」
 はあ、と息を吐いて、アレックスはシルフィーナを強い視線で見つめた。
「過去のこと、母上のことは、俺には分からない。だが、あの森の中で、俺が君に助けられたことは紛れもない事実なんだ。先ほどはいろいろと抵抗して申し訳なかったけれど」
 それに、と彼は静かにシルフィーナの手に触れた。
「この館で最初に目を覚ました時も、君は俺を助けてくれた。ちょっと強引に思えたが、ああでもされなかったら本当にこの屋敷から飛び出して、そのまま倒れていただろう。それこそ死んでいたかもしれない。そういう意味でも、君は俺を助けたと言えないだろうか」
 真剣な声だった。引き寄せられるような熱と、理知的な冷静さがある。
 そういえば銃を調べたお父様が、弾が入っていないと言っていたっけ。最初から撃つつもりはなかったのだ。あの時は怖い狼に見えたけれど、本当は優しい人なのかも。シルフィーナは表情を緩め、小さく頷いた。
 アレックスが微笑む。
「良かった、君の綺麗な顔が涙で曇るのは、俺も悲しい。俺の存在で少しでも心が慰められれば……」
「綺麗な顔……? あっ」
 そこでようやくシルフィーナは気づき、慌ててポケットの中から銀色のレースを取り出して頭にかぶった。
「す、す、すみません、素顔をさらすなんて……恥ずかしいことを……」
「なぜ? そんなに美しいのにもったいない!」
「そんなことは、ない、ですわ……あ、汗をお拭きしますね」
 アレックスに言われるとなんだか気恥ずかしい。シルフィーナは浮ついた心でぎゅっとタオルを絞り、絞りすぎたせいで細い糸束のようになったそれであてずっぽうにアレックスの額を拭いた。恥ずかしくて顔が上げられない。
「ん、んむ、なかなか力強くて、いいな……」
 ごしごしとぬぐわれ、アレックスは絶妙なうめき声を上げた。それが終わってから盛大に息を吐き、満足げに微笑む。その眼には今までにない活力の光がよみがえっていた。
「君と話したら、少し元気が出てきた。飲み物を持ってきてくれないか、このあともう少し眠って体力回復したい」
「分かりました」
 おずおずと腰を上げたシルフィーナだが、そっと彼に微笑みかける。
「あまり無理なさらず、ゆっくりなさってくださいね。私はずっとそばにいますから」
「君は眠らないのか?」
「次の交代までは」
 そうか、とはにかんだような顔でアレックスは視線を逸らす。
「……しばらく一緒にいられるんだな」
 その頬が先ほどよりも赤い。
「まあ大変、おしゃべりでお熱を上げてしまいましたね、すみません。いま薬草酒をお持ちしますから」
 シルフィーナは急いで部屋を出ていく。その背中を、体温とは別な熱っぽい視線で見つめられていることには、まったく気づいていなかった。


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