王子様から逃げ切った転生シンデレラですが、魔法使いの公爵閣下と溺愛ハッピーエンドを目指します 2
私のお母様はとても見目麗しく、お父様から溺愛されていた人だった。お父様はお母様に、たくさんのネックレスや指輪やブレスレットなどの宝飾品をプレゼントしては「君は宝石よりも美しい」と褒め称えていた。そう言われて、頬を赤らめ微笑むお母様の顔は、少女のように愛らしかった。
愛し合っている二人の様子を見ているだけで、子供の私は嬉しかった。お父様の愛情は全てお母様に注がれていたけれど、私はお母様からはとても愛されていたので、寂しさを感じることなく幸せだった。
──だけど私が十歳のときにその幸せは音を立てて崩れていった。お母様が流行り病にかかり、お父様がありとあらゆる手を尽くしたものの、その甲斐なく亡くなってしまった。
雷鳴轟く雨の日の出来事だった。
そしてその日、自分が何者であるのかを知ることになる。
私は異世界転生者で、シンデレラなのだと──。
(……これから、どうすればいいのかな……)
お母様の名前が刻まれた墓石の前で佇み、今後起こることにどう対処していけばいいのか考える。大丈夫、身体は十歳でも心は二十九歳だ。
「大丈夫? アーティ」
寄り添うように立っていた幼馴染のシリウス様が、そっと私の肩を抱いてくれる。
十四歳のシリウス様は、もうこのときから完成しつつある美貌と、神々しいオーラを持ち合わせていた。
「……シリウス様」
私の中身はすでに二十九歳だったので、子供らしく声を上げて泣けなかったけれど、瞳からはぽろりと涙が零れ落ちた。その涙をシリウス様がハンカチで拭ってくれる。
お母様の死はとても悲しかったけれど、自分が灰かぶり姫だとわかってしまった今、この先の人生をどうやって生きていくか、その不安のほうが大きかった。
ましてや──涙を拭ってくれているベイレフェルト公爵の子息であるシリウス様は『シンデレラ』の登場人物ではないため、幼馴染の彼をいつまでも頼れない。彼がいつこの物語から退場するかわからなかったから……。
(ずっと、傍にいてくれればいいのにな……)
俯く私の頭を、彼の手が優しく撫でる。
「気にかけてくださってありがとうございます、シリウス様」
涙を拭い、彼に視線を向けると、シリウス様がにっこりと微笑んでくれた。
「私はずっとアーティの傍にいるからね」
「…………はい」
私が本当に十歳の子供だったら無邪気に信じられたかもしれなかったが、彼が『シンデレラ』の登場人物ではないということ以外にも、自分が男爵家の娘で彼が公爵子息という爵位の差を考えれば、いつかは離れ離れになるのはわかっていた。
──とはいえシンデレラは、公爵子息よりも爵位が高いこの国の王子と結婚するのが物語の結末だ。それは一見大団円ではあるけれど、私は王子妃にはなりたくなかった。
物語自体はめでたしめでたしで終わるが、私の人生はその先も続いていくのだから、王子妃の位は苦労しかないだろう。ちっともめでたくないというのが二十九歳の私には想像できた。
将来王妃となる立場なら学ばなければいけないことは山ほどあるだろうし、そもそも私が王子に一目惚れなんかするだろうか? いや、しないだろう。そんなに惚れっぽくできていない。なにせ年齢イコール彼氏いない歴の前世を持つ女なのだから。
悲しみに暮れている私の目の前に、シリウス様が可愛らしい包みの棒キャンディを差し出してくる。
何属性なのかわからないが、これは彼の魔法だ。けして今、彼のポケットから出てきたものではない。
「オレンジ味だけど、別の味のほうがいい?」
私が頷けば彼はどんどん違う味のキャンディを出してくるだろう。シリウス様がキャンディ(というかお菓子)をくれるのは初めてではなかったので、どう答えたら何が起こるというのはある程度予想できた。
「オレンジ味、好きです。ありがとうございます、シリウス様」
「良かった」
微笑んでいる彼の手からキャンディを受け取り、包みを剥がして口に含んだ。
甘酸っぱいオレンジの味が、口の中で広がる。
次にシリウス様は白いバラの花束を魔法で出して、お母様の墓石の前に置いた。
彼が何かを出す魔法は何度も見ているが、それはまるでマジックのようでいつも不思議な気持ちにさせられる。
「そろそろ帰ろうか、少し寒くなってきたね」
「はい」
彼は私と手を繋ぎ、待たせている馬車へと向かった。
◇◇ ◇◇◇ ◇◇
──それからの二年間は男爵令嬢として何不自由なく過ごし、シリウス様は王立学園に通いながらも、私の遊び相手になってくれた。
でも、そのシリウス様が二年制の王立学園の卒業と同時に、彼の父ベイレフェルト公爵が所有するブルクハウゼン公爵領を継承し、領主としての勉強と引き継ぎのために王都を離れることになってしまった。
「……君を残して行くのは、辛いよ」
シリウス様がそんなふうに言う。どこまでも私の身を案じてくれる彼の優しさが嬉しかった。
お父様は、お母様が亡くなってからというもの、邸にいるときは自分の部屋に閉じこもりきりになってしまい、もう何年もちゃんとした会話をしていない。
それでも、外交官の仕事はかろうじてこなしているお父様だったが、ひどくやつれてしまって、幼心にも胸が痛んだ。
そうした生活を送る中で、シリウス様は幼馴染であったが兄のようでもあった。そして私の誕生日を唯一祝ってくれる人だった。
年の数と同じ本数の紫色の薔薇の花束。エメラルドのジュエリー、精緻な刺繍がされている美しいドレスを、クローゼットから溢れるのではないかというくらい贈ってくれた。
バースデーケーキを二人で分け合って食べたりもした──。
人生さえも分かち合ってきたような彼が、いなくなってしまう。心が引き裂かれるようだった。
「……しばらくは、王都に戻ってこられないと思う」
「そうですか……」
しばらくは……というよりは、もう二度と私とは関わり合いのない人になるんだろうな、と思っていた。
彼の父、ベイレフェルト公爵からブルクハウゼン公爵領を継承したということは、当然、婚約者の選定も行われるだろう。
シリウス様はこの国では成人にあたる十六歳になったのだから、全てが今まで通りというわけにはいかないのは百も承知だ。
深い喪失感が胸を突き刺してくる。今までが幸せだったからその反動だろう。
……これからは不幸のオンパレードだ。
意地悪な継母たちはまだ登場していない。正直、これからが一番シリウス様に傍にいて欲しい時期だったが仕方がない。原作通りに物語が進んでいるのだから、私も覚悟を決めなければいけない。
頭ではわかっていたが心が追いつかなくて、涙が零れた。
最後は笑って見送りたかった。無様に泣いた顔を彼の記憶に残したくない。
ハンカチで涙を拭うが、後から後から溢れてきて止まりそうもなかった。
「……アーティ」
「ご、ごめんなさい、シリウス様。泣くなんておかしいですよね」
「そんなことはないよ」
彼は私が座っている三人がけのソファに移動してきて隣に座り、ふんわりと私を抱き締めてくれる。
(ああ……この優しさも、今は辛いな……)
シリウス様の服から香るシダーウッドの匂いが、今はひどく愛おしく思える。
嗅ぎ慣れた香りだったのに……、この香りもやがて時間が経てば忘れてしまうのだろう。
「王都に戻ってこられなくなるぐらい激務になると思うけれど、手紙は必ず書くから、アーティも返事を書いて欲しい」
──手紙か。完全に縁が切れるわけではないんだ。
私はパッと顔を上げて、シリウス様を見上げた。
「……手紙を、書いてくださるんですか?」
「ああ、もちろんだよ」
「……嬉しいです」
これを機に彼は物語から完全に退場してしまうと思っていたので、私はほんの少しだけ安心した。
「あ、あのっ、領地への出発はいつですか?」
「一カ月後だよ」
「そのとき……お見送りに来てもいいでしょうか?」
シリウス様は美しい笑みを向けてくれる。
「来て欲しい。アーティに見送ってもらいたい」
彼はいつでも私が欲しい言葉をくれる。心の中がじんわりと温かくなるような……。
(シリウス様に何か贈り物をしよう)
厚かましいかもしれないが、自分の瞳と同じ色の宝石がついたブレスレットを贈ろうと思った。彼の心の片隅にでも、私との思い出を残しておいて欲しかったから──。
「ね、アーティ、今夜はうちに泊まっていきなよ」
シリウス様が無邪気に言う。
「え?」
お泊まりなんて今まで一度も経験がなかったし、シリウス様のお父様やお母様ともそんなに面識もなかった。
「で、でも、公爵がなんて仰るか……」
「父にはすでに承諾を得ているよ」
「……そ、そうだったんですか」
どんなふうに話せば承諾が得られるのだろう……。いくら同じ部署で働く部下の娘とはいえ、爵位の差がありすぎるのに。
(きっと私が十二歳だから、何かありようがないと思っているのでしょうね)
私もシリウス様が何かしてくるなんて考えていない。
「モルベルト男爵にも連絡を入れておくね」
「……はい」
まぁ、お父様は昔から私に関心がないから、否とは言わないだろう。
「あ、でも、お泊まりができるような準備をしてきていません」
私がそう言うと、シリウス様は爽やかに微笑んだ。
「大丈夫、必要な物は用意させてあるから」
「え?」
彼に手をひかれて、応接間から客室に連れて行かれる。
シリウス様が客室のクローゼットを開けると、中には可愛らしいネグリジェやワンピースが何着も入っていた。
「好みの物を着てくれればいいよ」
「随分たくさんご用意されたのですね」
「大体アーティの好みは把握しているつもりだけど、色々見ているうちに、どれも君に似合う気がしてね。つい、量が増えてしまったんだ」
さすが、複数の領地を持つ家の御子息ともなると金銭感覚が普通とは違う。それより、私が『泊まらない』と言うとは思っていなかったのだろうか。
(その選択肢が私にないのを、彼はお見通しなのね)
シリウス様が人差し指をくるんっと動かせば、空っぽだった客室の花瓶の中にピンクや黄色の花が生けられる。
魔法は本来、杖がなければ使えないらしいし、無詠唱というのはありえない。──というのを魔法の本で読んだ。シリウス様はどうやら規格外の魔法使いみたいだ。それでも大きな魔法を使うときは杖も詠唱も必要だといつだったか彼が言っていた。
(そもそも、この国で魔法を使えるのは王族の血筋だけだから……私が魔法を使える人に会えるはずないんだけど)
私とシリウス様との関係が異例なのだ。いくら親が同じ職場とはいえ、本当であれば仲良くできる間柄ではない。
──これまで仲良くしてもらえて、嬉しかったけど。
シリウス様が私の頭を撫でる。
「今日は夜遅くまでゲームをして過ごそうか」
「はい! リバーシがいいです」
チェスもいいけど、シリウス様に勝てた例がない。
私たちは飽きることなく、リバーシやカードゲームをして遊んだ。
客室で夕食をとった後はお風呂に入って、ネグリジェに着替えた。(この間、シリウス様もお風呂に入るために自室に戻っていた)
私がお風呂から出て部屋で待っていると、シリウス様が客間に戻ってくる。
パジャマの上にガウンを羽織っていた。こんなにラフな姿は初めて見る。だけど、どんな服装でもシリウス様は格好いいなぁと思う。
十二歳の私でも、心から感情が溢れ出しそうなくらい彼は美しかった。
(……これはきっと、中身がアラサーだからなのかな)
自分が本当に十二歳だった頃は、男の子相手に何か思った経験はなかったから。異性なんて意識すらしてなかったと思う。まぁ、奥手だったんだろうなぁ。そういえば私に初恋なんてあったのだろうか? 気がつけばデザイナー職に憧れを抱いてその道をまっしぐらだった。
──そんな私が、ひとつのベッドの上に男の子と二人でいる。
胸がドキドキする程度に、意識はしてしまう。
「もう眠くなってしまった?」
シリウス様は綺麗な笑顔をこちらに向けてくる。
十二歳の身体は少しだけ眠気を感じていた。二十九歳なら徹夜ぐらいできるのに!
「……少しだけ」
でも、眠ってしまえば彼との時間が終わってしまう。それは寂しい。
一カ月後には領地に旅立つなら、それまでは相当忙しくなるだろうし、彼と次に会えるのはお別れのときだろう。
「じゃあ、寝ようか」
彼は部屋に戻るんだろうと思っていたが、シリウス様は私と共に布団に潜り込み、腕枕をしてきた。
「……っ」
顔がボッと熱くなる。
「一緒に寝るんですか?」
「嫌なら、部屋に戻るけど?」
「……ううん。嫌じゃないです……」
私はどさくさに紛れて、シリウス様に身体を寄せた。
彼の身体の温もりを感じる。あぁ、なんて温かくて居心地がいいんだろう。
「……ずっとこうしていたいな」
心の声が漏れてしまう。
「ふふ、可愛いことを言ってくれるんだね」
だって、私は本当に寂しいし、シリウス様がいなくなった後の世界を怖いと考えている。
いくら中身が二十九歳でも、頼れる人がいなくなるのは心細い。
「私とアーティの縁は切れたりはしないよ。しばらく離れ離れにはなるけれど、必ず戻ってくるから」
シリウス様がぎゅうっと私を抱き締めてくれる。
(戻ってきてくれるっていうのは……私のところに? 私は待っていてもいいの?)
いや、待つなんていうことが灰かぶり姫である私に可能なのだろうか?
きっと、それは不可能だ。私は物語に流されるがまま、王子と結婚する。
(絶対、ぜ~~~~ったい、嫌なんだけど!)
灰かぶり姫としてこき使われるのも、その環境から逃げるために王子と結婚するのも、どちらも嫌だった。
どうしたって幸せになんてなれないと思えたから。
シリウス様の体温に包まれて眠りにつき、これからの不安を覚えながらもこの上ない幸せを同時に感じていた。
ふと夜中に目が覚める。隣で寝ていたはずのシリウス様がいない。ベッドからおりると、彼はベランダの窓から外を見ている。
「シリウス様、眠れないんですか?」
私がそっと声をかければ、彼は微笑んでこちらを向く。
「目が覚めてしまってね。こっちにきてごらん、アーティ」
「はい」
シリウス様の傍に近寄って窓の外を眺めれば、金色の蝶がたくさん飛んでいた。
光を放っているからまるで──そう、蛍のようだ。
「わぁ、綺麗……」
キラキラ輝く蝶は美しく、幻想的に見えた。
「金色の蝶って初めて見ます」
「そうか……時々この邸の庭に現れるんだよね……」
「このお邸だけですか?」
「いや、他でも目撃情報はあるよ。アーティがいるときに飛んでくるなんてタイミングが良かったね」
その割に、起こしてくれる気配はなかったような……。表情で私の考えが彼に伝わったのか、シリウス様は苦笑した。
「いつ起こそうかと……考えていたんだよ。今日は遅くまで起きていたからね」
「確かに、いっぱいゲームをして遊んだので、寝るのが遅くなっちゃいましたが……」
シリウス様が私を抱き寄せ、自分が着ていたガウンを脱いで私の肩にかける。
「アーティ、私が君の傍にいられなくても、私を忘れないでいて欲しい」
「もちろんです。シリウス様も、私を忘れないでくださいね」
私はシリウス様に抱きつく。やはりシリウス様の体温は心地良いものだなと思ってしまう。
「私は決して君を忘れたりしないよ」
いつの間にか金色の蝶はいなくなっていて、私はシリウス様にエスコートされてベッドに戻った。
ベッドに横たわると、シリウス様が「おやすみ」と言って額にキスをしてくる。
柔らかい唇の感触に思わず胸がときめいた。
私は今夜のことを宝物にして、ずっとずっと覚えていよう──そう思った。
◇◇ ◇◇◇ ◇◇
──そして、いよいよシリウス様が領地に出発する日。
私がブレスレットを彼にプレゼントすると、シリウス様はその場で腕に嵌めてくれた。
アメジストが埋め込まれて、美しい彫刻が施されたブレスレットだ。なかなか高価な品物ではあったが、お父様が予算を組んでくれた。
そのお父様は、シリウス様のお見送りには来てくれなかったけど……。
「ありがとう、綺麗なブレスレットだね。ずっと大事にするよ」
そして、彼も私へのプレゼントを用意してくれていて、ティアドロップにカットされたエメラルドのネックレスをくれた。
エメラルドの周りには小さなダイヤモンドが装飾されていて、豪華なネックレスだ。
私がネックレスをつけると、彼は満足そうに微笑んだ。
「可愛い。よく似合うよ」
「ありがとうございます。私もずっと大事にしますね」
「ああ、そうして欲しい」
シリウス様は、最後に私を抱き締めて馬車に乗り込んだ。
「じゃあね、アーティ。元気で」
「はい、シリウス様もお元気で!」
馬車の中から彼は見送りに出てきていたご両親に頭を下げた。やがてゆっくりと馬車が走り出す。
(……さようなら、シリウス様……)
泣かない努力は大変だった。鼻の奥がつんと痛んだけれど、私は涙を零さなかった。
これで、本当にシリウス様はこの物語から退場してしまったのだろう。
心に浮かんだ虚無感は消えることがなかった──。