王子様から逃げ切った転生シンデレラですが、魔法使いの公爵閣下と溺愛ハッピーエンドを目指します 3
シリウス様が旅立ってから数カ月後──いよいよ我が家に継母たちがやってきた。継母のカルラさん、義姉のエルマとドルシアだ。本格的な不幸到来だ。
お父様が率先して再婚したわけではなく、知り合いからの紹介で結婚する羽目になった。男爵とはいえ、いつまでも女主人が邸にいないのは良くないだろうという理由だったが、この後、継母たちが散財して男爵家を傾かせるのを知っている私としては、余計なお世話を焼いてくれたものだとしか思えない。
しかも子連れの未亡人を紹介するのってどうなのよ。押し付けられたのではないかという疑念が浮かんだが『シンデレラ』の重要人物だからな……。
私は彼女たちに見つからないように、シリウス様からプレゼントされたネックレスも、お母様の物と一緒に隠した。
最初こそ大人しくしていたカルラさんだったが、お父様が家に帰ってこないのをいいことに、男爵家のお金を自由に使い始めた。自分や娘のエルマやドルシアのために豪華なドレスを仕立てては、夜会に出かけていく。
娘二人の結婚相手を探しに行っているみたいだけど、難航しているようだった。
(……まぁ、シンデレラが王子と結婚するまで二人は男爵家にいるものね……)
シンデレラの結婚後に、この人たちがどうなったかは知らない。
王子妃の家族であるなら、それなりの待遇はしてもらえたのだろうけれど、この世界ではそうはいかない。私は王子と結婚する気がないのだから。
──そして、邸の中からみるみる美術品やら装飾品やらが無くなっていって、売れる物が無くなると使用人たちに給金が払えなくなり、執事のセバスチャン以外はみんな辞めていった。
邸の中はお母様がいた頃の男爵家らしい豪華さは見る影もなくなり、やがて家事全般を私一人でやらなければいけなくなった。
もちろん、私はシンデレラのように大人しくも心優しくもないので、継母たちの行動は逐一お父様に手紙で報告していた。
(……全然帰ってこなくなったわね)
現在のお父様は、王城内にある外交官の寮で寝泊まりしている。継母たちとの接触を極端に嫌がっている様子だった。
だったら再婚なんてしなければよかったのに……と思うが、それでは『シンデレラ』の話が成立しない。
「お嬢様、ブルクハウゼン公爵閣下からお手紙が来ております」
唯一邸に残ってくれている執事のセバスチャンが、洗濯物を干している私に手紙を持ってきてくれる。
「ありがとうセバスチャン」
「お嬢様、私もお手伝いいたします」
セバスチャンが言う。
「いいのよ、セバスチャンがいてくれるだけで助かっているんだから。満足な給金を払えなくてごめんなさい。お父様には報告しているんだけど」
梨の礫なのだ──。私からの手紙を見ているのかどうかすらわからない。私が何かを訴えても、お父様からの反応はない。
(だからシンデレラは諦めてしまったのかもね)
下働きをさせられる毎日。そんな中、王子との結婚話が持ち上がれば、当然そちらを選んでしまうのだろう。
──私は絶対嫌だけど。
洗濯物を干し終えた私は、屋根裏部屋でシリウス様からの手紙を読むことにした。
(私の部屋はエルマにとられちゃったのよね)
他に部屋がないわけでもなかったが、カルラさんに屋根裏部屋をあてがわれたのだ。
私の部屋になったとはいえ、ここは物置部屋で埃っぽいから、あの人たちがこの部屋に近寄ることは滅多にない。
宝石の隠し場所でもあったから、ちょうどいいんだけど。
手紙の封を切って便箋を取り出す。便箋からはふわりとシダーウッドのいい香りがした。その香りだけでも懐かしさで胸がいっぱいになる。
手紙の内容はシリウス様の近況報告だった。
相当忙しいらしく、やはり王都に戻る暇もないみたい。
『アーティに会えないのが寂しいよ。君はどう過ごしている? モルベルト男爵の再婚後、男爵家のいい話を聞かないから心配しているよ』
私はお父様には継母たちのあれこれを報告しているが、シリウス様には伝えていなかった。
心配させたくないというのもあったけれど、シリウス様はもう物語から退場している人物だから、という遠慮があった。
遠慮、というか──期待ができなかったというのが正しいかもしれない。
私が何を言っても、彼が領主である以上、私を助けることを優先したりはしないだろうと思っていた。
(いいのよ……もう彼とは縁がないのはわかっているもの)
かといって、大人しく物語通りにストーリーを進行させるつもりはない。
私は成人したらこの家を出て、ファッションデザイナーの知識を使い、街でドレスショップを開くつもりでいる。
(……さて、シリウス様へのお返事はどう書こうかしら)
私が男爵家の現状を書かなくても、彼のいる領地にまで噂話が届いてしまっているのは問題だ。でも、とりあえず、こちらは大丈夫ですと書くしかない。
それから、シルクのハンカチに金色の蝶の刺繍を施して彼に送ることにする。そうすれば手紙には、金色の蝶を見た思い出話だけを書けばいい。
私たちは、それでいいんだ──。
いつか、完全に関係が途切れてしまうまでは。
「シリウス様に、お花の冠をあげます」
そう言ってアーティがツインテールのプラチナブロンドの髪を揺らしながら、駆け寄ってきた。紫色の大きな瞳がキラキラ輝いていて可愛らしい。
私は読んでいた本を閉じて、彼女を見る。
(色白で人形のように可愛いなぁ)
いつ見てもそう思わされた。可愛い令嬢はたくさんいるけれど、アーティほど心が動く令嬢はいない。これが特別な感情というものなのだろうか?
白いベンチに座っている私の目の前に立ち、アーティは黄色いガーベラで作った花冠を私の頭に乗せた。ふわりと花のいい香りがする。
「ありがとう、アーティ」
私が礼を言うと、彼女は満足そうに笑った。無邪気な笑顔は私の心を癒やしてくれる。
私とアーティの幼馴染という関係は私が十二歳、彼女が八歳のときに、母親と共に登城してきた頃から続いている。
外務省勤めの夫を持つ夫人たちが、王城内の庭園を借りてお茶会をしていて、子供たちは大人の近くで遊んでいた。他にも子供は何人もいたが、アーティは常に私の傍にいたので、私もアーティの傍にいるようにした。
「……シリウス様」
彼女は私の隣にちょこんと座って話しかけてくる。
「何? アーティ」
「私、刺繍を習い始めているんです。それで……もしよかったら、刺繍入りのハンカチを貰っていただけませんか?」
「もちろんだよ」
アーティは、ぱぁっと明るい表情をする。
「あまりむずかしい柄はまだ刺せないんですけど……ハンカチにする刺繍の柄は、どんなものがいいですか?」
「うーん……そうだなぁ……」
自分の頭の上にあるガーベラの花冠のことを考え、答えを出す。
「黄色いガーベラの花がいいな。できそうかな?」
「ガーベラなら大丈夫です。この前、練習したばかりなので」
風が吹いて、アーティの髪を結んでいるピンク色のリボンが揺れた。
彼女がハンカチをプレゼントしてくれるのなら、私もリボンをプレゼントしようか。緑色のリボンに銀色の刺繍がされているものがいいだろう。きっとアーティには似合うと思う。以前着ていたエメラルドグリーンのワンピースも、彼女によく似合っていたから。
「……」
子爵家の子息が、何か話したそうにこちらをチラチラと見てきていた。
「……アーティ、向こうで花の観察をしないか?」
「はい!」
私はアーティの手を握って、その場から離れる。
──アーティと私の間に、誰にも割り込んできて欲しくない。きっとこれはわがままな独占欲だと思うが、別の人間を交えて話をしたくない。
アーティがいれば、それだけで楽しい気持ちになるのだから、邪魔をされたくなかった。
それから数日後、アーティが黄色いガーベラの花が刺繍されたハンカチをプレゼントしてくれる。
「刺繍したハンカチをプレゼントするのは、シリウス様が初めてなんです」
ちょっと恥ずかしそうに言う彼女が可愛かった。
私からも、あらかじめ用意していた銀の花の刺繍がされた緑色のリボンを、アーティにプレゼントする。
彼女はとても喜んでくれて、すぐさま自分のリボンを解き、ツインテールの髪に緑のリボンを結んだ。思った通りよく似合っている。
(それにしても……初めての刺繍の贈り物は愛の告白だという話を、彼女は知っているのだろうか)
そういう意味での照れは、アーティにはなさそうだったから、この習わしを残念ながら彼女は知らないのだろう──と、思った。
◇◇ ◇◇◇ ◇◇
──月日が流れ、季節が何度か移ろった。
私が十四歳のときに、アーティの母親が流行り病で亡くなってしまった。
社交界でも有名な仲睦まじい夫婦だったので、モルベルト男爵は憔悴しきっていた。
アーティの話では、家にいてもほとんど自分の部屋から出てこないらしく、食事も親子別々にとるようになったそうだ。
アーティにはきょうだいがいなかったから、ひとりで寂しい思いをしているだろう……。
大好きな母親が亡くなり、まだ十歳のアーティには辛い出来事だと考えていた。
そんなとき私の母が、アーティを気にかけてあげなさいと言ってきた。
母は公爵夫人であったが、爵位で人を判断したり遠ざけたりしない人だった。
アーティの母親は男爵夫人だったけれど、公爵邸でのお茶会にも呼ぶぐらい仲良くしていた。
外務省の夫人が集まるお茶会にアーティは出席できなくなったので、私は公爵邸に積極的にアーティを呼ぶようにした。
彼女の母親の死によって、父親は人が変わってしまったみたいだったが、私にはアーティも少し変わったように思えていた。
以前より、立ち居振る舞いが大人っぽくなった。そして私に対してもなんだか遠慮がちになり、無邪気に甘えてこなくなった。
「もっと甘えてきてもいいんだよ」
私がそう言うと、アーティは困ったように微笑むだけだった。私自身、王立学園に通い始めて多少忙しくなったが、それでもアーティを二の次にするほどではなかったから、遠慮なんてして欲しくなかった。
アーティを第一に考えるくらいの余裕はあったのに、距離を感じてしまい寂しく思った。
──王立学園の卒業が迫ったある日。父から、複数所有している領地のうちのひとつを私に譲るという話を聞かされた。
私が譲り受けるのは、ブルクハウゼン公爵領という避暑地や観光地として有名なところだった。
王都からは馬車で三日かかる。
王立学園を卒業し次第、ブルクハウゼン公爵領に住んで、公爵領の経営を学ぶように言われる。ゆくゆくは父が持つベイレフェルト公爵領も私が継承するのだから、勉強になるだろうと。
(……アーティのことは、どうすれば……)
できれば彼女を一緒に連れて行きたかった。アーティと離れ離れになりたくなかった。だが、未婚の令嬢を領地に連れて行くには婚約をする必要があった。
私はアーティとの婚約に迷いはなかったけれど、父から婚約は早いと言われてしまったのだ。
領地経営について学ぶ大事な時期であるから、まだ十四歳のアーティと婚約して尚且つ領地に連れて行くのは早すぎる、というのが父の意見だった。
母も、どちらかといえば父の意見寄りで味方にはなってもらえず、私はアーティになんの約束もできずに王都から離れなければならなかった。
いや、アーティが私に好意を寄せてくれていたら、たとえ口約束でも婚約したいから待っていて欲しいと言えたかもしれなかったが、この頃のアーティは何故か私に対して、全てを諦めたような視線を向けてきていた。
(アーティは……私を幼馴染以上には思ってくれていないのか……)
アーティの傍にいれば、何がなんでも彼女の気持ちをこちらに向けさせるのも可能だったかもしれないが、遠く離れてしまうとなるとその自信がなかった。
あんなにずっと共に過ごしていたのに……いや、一緒に過ごしすぎたせいなのだろうか。私が想うほどアーティが私を想ってくれていないのが、ひどく悲しかった。
(私は……なんて無力なのだろう……)
父が王弟であることで、無力さと同時に窮屈さを感じた。
自分がアーティと同じ男爵位であれば良かったのにと、時々考えてしまう。
(……いや、私は彼女を諦めたりはしない)
諦められる段階はもうとっくに過ぎていた。醜さを感じるほどの黒い独占欲はアーティに向けられていて、彼女だけを心が欲していた。
◇◇ ◇◇◇ ◇◇
王都から領地に移り住んでから四年が経った。
この頃になると領地の仕事もすっかり覚えて、魔法の勉強にも注力できるようになり、
かなり難しいと言われている分身の魔法を習得することができた。
転移魔法も覚えたので、私は自分の分身を領地に置き、王都にいるアーティのところに行く決心をした。
十六歳になったアーティは、きっと美しく成長しているだろう。
胸を高鳴らせつつ転移魔法でモルベルト男爵邸に向かったが、邸の変貌ぶりに驚かされる。
──風の便りで没落寸前と聞いていたが、想像していた以上に邸の手入れが行き届いていない。立派だった庭には雑草が生い茂り、見るも無惨な状況だった。
(こんな状況になっているのに、アーティは私に何も教えてくれなかったのか)
期待されていないのか、遠慮をされたのかわからなかったが、失望感を覚えた。苦い感情を抱きながら邸の裏手に回ると、アーティが洗濯物を干していた。周りに使用人らしき人物は誰もおらず、彼女はたった一人で洗濯をしているのだろう。
(……アーティ……)
やせ細った彼女の姿が痛々しい。あの様子だと、食事もまともにとれていないのではないか? と思わされた。着ているものも質素なワンピースだ。それでもアーティの美しさや愛らしさは少しも損なわれてはいなくて、愛おしさで胸がいっぱいになる。
(アーティ……)
堪えきれずに私は変化の魔法で黒猫になり、彼女のもとへ駆け寄った。
──今日は様子を見るだけで帰るつもりだったから、先触れを出していなかった。それ故の苦肉の策だったが、アーティの現状を考えれば、そのまま会っても良かったのかもしれないと思ったものの、すでにアーティの視界に入った後だった。
「あら、可愛い猫ちゃん。どうしたの? 迷い込んじゃったのかしら」
優しい声でアーティが話しかけてきて、私の目の前でしゃがんだ。
彼女の足にすり寄る。
「人懐っこい子なのね」
「にゃあ」
「ふふっ、可愛い!」
アーティはなんの躊躇もせずに、私の頭を撫でてきた。貴族の令嬢は野良猫を嫌う場合が多いが、彼女はそうではなかったようだ。
猫の毛並みを気に入ったのか、長い間頭や身体を撫で回してくる。なんとなく不思議な気持ちにさせられた。人間の姿をしていればこんなふうに触れてくることはない。
彼女の手で撫でられるのは思った以上に気持ちが良くて、この時間が長く続けばいいと思った次の瞬間──。
「ちょっと灰かぶり! いつまで洗濯しているのよ。お茶会で使うテーブルクロスの刺繍はもう終わっているの!?」
ひょろっと背の高い女が、大股歩きでアーティのところまで歩み寄ってくる。
(灰かぶりって……アーティのことか?)
アーティは立ち上がった。彼女は思わずぞっとするほど冷たい表情をしていて、驚かされる。こんな表情をする少女ではなかったはずだ。
「今晩中には完成しますので、もう少し待ってもらえますか? 出来上がったら、居間にあるテーブルの上にでも置いておきます」
「早くしなさいよね。本当、おまえは愚図なんだから。そんな汚らしい猫と遊んでいる暇があるならさっさと終わらせなさいよ」
「私の対応が気に入らないなら、エルマさんが刺繍なさったらどうですか? 私はあなたがたの世話で忙しいんです」
再び驚かされる。男爵令嬢のアーティが義理の姉たちの世話をしているのは、どういうことなのだろう?
「灰かぶりのくせに生意気ね! お母様に言いつけてやるから!」
憤慨した様子でエルマと呼ばれた女が怒鳴ると、アーティはため息をついた。
「私はかまいませんけど。お説教の時間が長引けば、テーブルクロスの完成が遅くなるだけですし」
バチン! とエルマがアーティの頬を叩いた。
「この私に口ごたえをするな!」
アーティは驚きも悲しみもしていなかったから、暴力は日常的なのだろう。アーティへの態度もそうだったが、さすがに平手打ちされたのを目の前にして黙ってはいられず、エルマの顔を引っ掻いてやった。
「きゃあ! 何よこの猫!!」
引っ掻いてすぐに庭の端まで逃走した。その場にいつまでもいたらアーティの猫と思われて、また彼女が傷つけられてしまう。
エルマが騒いでいると執事が慌てて走ってくる。
(……あの執事は、以前からいた人物だな)
それでも執事以外の人間が邸から出てくる気配はなく、ここには使用人はいないのでは? と思わされた。
外務省に勤める男爵の邸に、使用人がいないなんてありえない話だが。
(庭の状態を見ても、庭師もいなさそうだし……)
厩舎に向かってみたが、馬がいなかった。
──馬もそうだが、馬車もない。
窮地に立っているという噂話は聞いていたが、アーティが何も言ってこなかったので、よもやここまでとは思わなかった。
(どうしてアーティは、私に相談してくれなかったんだ……)
頼ってくれればなんとかできたはずだし、どんな手段を用いても彼女を守った。
(……信用されていなかったんだな)
それもそうか、と思わされた。自分はただ待っていてくれと言うだけで、アーティに将来の約束は何もしなかったのだから、そんな私に彼女が頼れるはずもない。
(モルベルト男爵は何をしているんだ……)
もともとアーティよりも妻である男爵夫人を優先するような人物ではあったが、仕事はきちんとこなし、男爵家の当主としての働きもしていたのに。
アーティたちが邸の中に入っていったのを見計らって、私は猫の姿のままアーティの部屋に向かったが、何故か執事がエルマを連れてアーティが使っていた部屋に入っていく。
(……今はあの部屋をエルマが使っているのか? だったらアーティはどの部屋にいるんだ?)
アーティが遅れてやってきた。手には救急箱を抱えている。
エルマたちが入っていった部屋に彼女も入室したが、すぐに出てくる。どうやら手当ては執事がするらしい。
私はアーティの後を追った。二階まで上がると、彼女は屋根裏部屋に続く扉を開けた。
屋根裏部屋に何か用事があるのだろうか? そういえば刺繍がどうのという話をしていたけれど……。
扉を閉められてしまうと猫の姿では開けられないので、こちらの存在に気付いてもらうために鳴いた。
「にゃあ」
アーティがくるりと振り返ってこちらを見る。
「あら、さっきの猫ちゃん。入ってきちゃったのね」
さきほどまで無表情だった彼女の顔が笑顔になる。
「おいで」
屋根裏部屋に続く部屋の扉を開けて、彼女は階段を登るように促してくる。
私は彼女の横をすり抜けて、屋根裏部屋に続く階段を登った。
(……これは……まさか)
屋根裏部屋には、たくさんの荷物がごちゃごちゃと置かれていて埃っぽい。
──その荷物の奥に、小さなクローゼットやらデスクやら、粗末なベッドなどが置かれていた。
「ウーン、猫ちゃんが食べられるようなものなんてあったかしら」
彼女はデスクの引き出しを開けて、何やらがさがさと探しものをしている。
「干し肉ならあるけど……食べるかな」
独り言を呟きながらアーティは小物入れに使っていた皿の中に干し肉を裂いて入れた。
「はい、どうぞ」
お腹が空いたから、ついてきたと思われたのだろうか。
あいにくお腹は空いていなかったので、食べるのは遠慮させてもらった。
──お菓子が出てくるならともかく、引き出しの中から携帯食の干し肉が出てくるなんていったいどういう生活をしているのだろう?
それに……やはり、ここが現在のアーティの部屋なのだろうか。
アーティはベッドに腰掛けていた。ベッドの上には製作途中のテーブルクロスが置かれている。
アーティがちらりとこちらを見てきた。
「猫ちゃん、お腹空いてないの?」
「にゃあ」
床からベッドの上にジャンプして、アーティの横に座る。
彼女の手が、頭を撫でてきた。
「グリーンの瞳が綺麗ね。まるでシリウス様みたい。それに君はどうやら男の子のようね」
突然名前を呼ばれて驚いてしまう。
変化の魔法を覚えたのは最近だったから、彼女は知らないはず……。
「お手紙では変わらない感じだったけど……随分立派になられているんでしょうね……」
彼女は遠い目をして独り言を呟いた。
「もうお会いできないんだろうけど……少し……ううん、だいぶ寂しいわね」
会えないというのはどういう意味なのだろう?
確かに、今までは自由も魔法の技術も足りなくて、王都にも戻ってこられなかったけれど、これからは違う。いつでも会えるのに──。
「にゃあ……」
アーティの手が私の背中を撫でる。彼女は微笑んでいるがどこか寂しげだった。
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