余命一ヶ月の呪いが、××で解けるなんて聞いていません! ケンカばかりの幼なじみに実は愛されていたようです!? 1
ミルドレッド・イングリスは、幼なじみのアランに招かれて彼の屋敷を訪ねた。
べつに浮いた話ではない。魔法使いにして二十二歳の若き将校であるアラン・スタンホープは、イングリス商会のお得意様なのだ。
普段から家業を手伝っているミルドレッドは、仕事でアランからの依頼を担当している。
今日も紙やインク、魔道具製作に必要な金属や鉱物などを届けに来ただけだった。
イングリス家は子爵家、スタンホープ家は侯爵家で家格に差はあるけれど、タウンハウスが隣同士で家族ぐるみの付き合いだ。
子供の頃はよく土地の境界線にある低い柵を跳び越えて、兄と二人でアランのところへ行ったものだ。
(アラン様に会うのは一ヶ月ぶりかしら?)
軍人になってからのアランは、宮廷や軍の司令部がある都の中心近くに私邸を持ち、気が向いたときにだけ侯爵邸に帰ってくるという生活を送っている。
両家のタウンハウスも都の中にあるのだが、宮廷までは馬車で一時間半ほどかかる。
多忙な軍人には不便な距離だろう。
さすがに、貴族の令嬢であるミルドレッドが一人暮らしのアランのもとを訪ねていいはずはない。
そのため最近は、彼と顔を合わせる機会が徐々に少なくなってきている気がした。
注文の品が入った小さな包みを抱えながら、うっかりステップを踏みそうになり、ミルドレッドは慌ててやめた。
(私はべつに、浮かれてなんていないわ!)
あくまでおしとやかな振る舞いを心がけ、ミルドレッドは侯爵邸の扉を叩く。
出迎えてくれたのは見知った家令とメイドだった。
「これはこれは……お待ちしておりました、ミリーお嬢様。若様でしたら、南のサロンにいらっしゃいますよ」
「ありがとう、南のサロンね?」
ミリーはミルドレッドの愛称だ。
侯爵邸ではとくに案内がつくこともないのだが、これは蔑ろにされているのではなく特別親しいからだった。家族同然の扱いを受けているのだ。
南のサロンはミルドレッドのお気に入りの部屋だった。
大きな窓から望める庭園の景色が綺麗だし、家具も明るい色で統一されていて美しい。
アランの用事で侯爵邸に出向くと、大抵お茶の席に誘われる。きっと今日も彼と一緒に過ごせるのだろう。
むしろそちらがアランの主目的であり、商会の用事はミルドレッドを呼び出す建前のような気がしていた。
(アラン様ったら、本当に素直じゃないのよね)
アランはやや口が悪いし、かなり屈折した性格をしている。
けれど社交界での評判はすこぶるよく、完璧な貴公子だと言われていた。
女性に冷たいという話もあるけれど、クールだとか、真面目だとか、誠実だとか──聞こえてくるのは賞賛ばかりだ。
おそらく、ごく親しい者しかアランの二面性を知らないのだ。
だからこそミルドレッドは、思い上がっていた。
アランが素を見せて、それでも親しくできる女性は自分だけである。ミルドレッドは彼の特別である、と。
南のサロンの前までたどり着くと、部屋の中から話し声が聞こえた。
(アラン様と、テリーサおば様?)
テリーサはスタンホープ侯爵夫人──つまりアランの母親だ。
すぐにノックをして入室すべきだが、自分の名が聞こえたものだからミルドレッドは扉の前から動けなくなる。
「ミリーはもう十六歳のお年頃なのよ。幼なじみとはいえ、男性のあなたが気軽に呼びつけるものではなくてよ」
「気軽に呼びつけてなどいない」
「まぁ、確かに。べつに侯爵邸に届けてもらうだけで十分なはずですのに、わざわざあなたが時間を合わせてこちらへ来るんですものね。そのチョコレート、王室御用達のものじゃない?」
立ち聞きしていることに対して少しの罪悪感を抱きながら、それをかき消す勢いの熱い感情で心がいっぱいになる。
私邸で暮らしているはずのアランが、商品を受け取るためだけにわざわざスタンホープのタウンハウスに戻るのは、かなりの手間だ。
それに、王室御用達のチョコレートは先月会ったときにミルドレッドが世間話で食べてみたいと言ったものだった。
(やっぱり……勘違いなんかじゃないわ……)
このまま立ち聞きしていたら、彼の本音が聞ける気がした。
「ミリーは今年、社交界デビューを迎えるのよ。……事業に成功している子爵家の娘でとびきりの美人……どれだけの求婚が舞い込むのかしら?」
「……知らん」
「それなのに、いったいどうして、頑なに縁談を断ったの? 私は大賛成だったのに。社交界デビュー前にあの子の相手を決めておいたほうが安心でしょう?」
カタクナニ、エンダンヲ、コトワッタ……。
ミルドレッドの頭の中にテリーサの言葉が響く。
(誰が、誰との縁談を……え? え……?)
すぐには理解できなかった。
いいや、そうではない。単純にミルドレッドが理解したくなかっただけだ。
胸のあたりがざわざわとして、目の前が暗くなった気がした。
ここから逃げて、今の話は聞かなかったことにしたい。けれど、ミルドレッドの足はまったく動かなかった。
「縁談って……母上と子爵夫人が勝手に盛り上がっていただけだ。俺とミリーは……」
続く言葉は、「ただの幼なじみであり、恋愛対象外だ」だろうか。
彼に嫌われているとは考えられないからこそ、それくらいしか思いつかない。
(だめ……これ以上聞きたくない! もう耐えられない……!)
ミルドレッドの手が勝手に動き、気づけば扉を打ち鳴らしていた。
会話が途切れ、一瞬で室内が静かになった。
「……ど、どうぞ」
アランからの許可があり、ミルドレッドはゆっくりと扉を開けた。
部屋の中にいた二人は真っ青な顔をしている。
「あ……あのね、ミリー……今の話……その」
テリーサが気まずそうにしながら話しかけてくる。ミルドレッドは彼女が言い終わるのを待つ余裕を失っていた。
「もう! テリーサおば様ったら……。私の母と結託して、縁談なんて進めていたんですか? 二人ともお節介なんですから。フフフッ」
不自然に思えるくらい高い声になってしまったかもしれないが、どうにか取り繕って笑い飛ばす。
ミルドレッドもまた、素直とはほど遠い性格だった。
そしてやたらとプライドが高い自覚もある。
アランと特別に親しい令嬢は自分だけであり、家同士の関係も良好だからいずれ彼の花嫁になれるかもしれない……などと妄想していたことが恥ずかしくてたまらない。
「……ミリー……そのっ、俺は……」
彼の言い訳など、聞きたくもないし、興味がない。
なぜならミルドレッドは、べつに縁談を断られても傷つかないからだ。そういう演技をしなければならない気がした。
できなければ、次からどんな顔をして彼に会えばいいかわからなくなってしまう。
「今日はお仕事で訪問させていただいたんです。まさかおば様、五歳のときに私が『アラン様とけっこんするー!』って言っていたことを、今でも信じているわけではありませんよね? ……だとしたら恥ずかしくて、私、困ってしまいます……」
身近な男性との結婚を願うのは、小さな頃にありがちな経験だ。
ミルドレッドは幼かった自分を恥じているが、今は違うという演技を徹底した。
それでもどこか、皆がぎこちない。
「もちろん……そんなはず、ないわよ……オホホッ。さあ、ゆっくりしていってね?」
テリーサはこの空気に耐えられなくなったのか、そそくさとサロンから去ってしまった。
アランと二人きりになって、嬉しくないと感じたのは初めてだ。
「ミリー……あのな……」
「アラン様! はい……こちらお届けものです」
つい、彼の言葉を遮ってしまう。
ミルドレッドはソファに座っていたアランに包みを押しつけた。
「あ……あぁ、いつもありがとう」
一ヶ月ぶりのアランは、また格好よくなっていた。
短めの黒髪に落ち着いたダークグレーの瞳。精悍な顔立ちだが色気もあって、背も高い。
おまけに希有な存在である魔法使いで頭もいい。
軍に入ってからは日に日にたくましくなっていて、ついでに言葉遣いが悪くなった気がするが、そこもまた彼の魅力だった。
幼なじみがこんな青年だったら、恋をしてしまうのは当然だ。
その気持ちが今日、予告なく砕かれたのだ。
ちょうど、メイドがティーセットを持って入室してきたところだった。
本当は次の用事があるという言い訳をして、立ち去りたいミルドレッドだが、準備させておきながらお茶を飲まずに帰るなんて無礼で、できそうもない。
仕方なく、アランの向かいのソファに腰を下ろす。
「ミリーが食べたいって言っていたから、わざわざ買ってきてやったぞ」
アランがテーブルに置かれていた可愛らしい缶をスッとミルドレッドのほうへ移動させた。
「それはどうも。……いただきますね」
恋愛対象外の相手が食べたがっていたものをわざわざ買ってくるのはどうしてだろうか。
すばらしい貴公子の気遣いは、ときに女性を傷つけるものだった。
「ジェシーもそういうのが好きだろう? どうせ全部食べきれないんだから、余ったら缶ごと持って帰っていいぞ」
ジェシーは、ミルドレッドの兄の名だ。
彼はアランを「兄さん」と呼んで慕っている。
今にして思えば、真に仲がいいのはアランとジェシーであり、ミルドレッドなど兄にくっついてくるおまけ程度の存在なのかもしれない。
口の中で溶けて消えたチョコレートは甘いけれど苦みが強い、大人の味だった。
「はぁ……さすが王室御用達のチョコレート! とってもおいしいです。……アラン様、ありがとうございます」
きっとこの苦みが失恋の味だ。──そんな似合わない考えがミルドレッドの頭に浮かんだ。
「それで、さっきの……」
「先ほどお渡しした品物についてですか? なにか問題でもございましたか?」
さっき、のあとに続くのが縁談の件かもしれないと警戒したミルドレッドは、また無理矢理話題を逸らす。
「……あぁ、品物のことだが……」
おそらくアランもミルドレッドの態度が不自然だと気づいている。
その話はしたくないという思いは彼にも伝わったみたいだ。
以降の会話では互いに、立ち消えとなった縁談には触れないようにした。
いつもどおりを装うことがこんなに難しく、そしてつらいだなんてミルドレッドはこれまで知らずにいた。
泣いて、勘違いさせたアランに文句を言える、素直な令嬢だったらどれほどよかっただろうか。
もしかしてそういう可愛げがあれば、ミルドレッドが思い描いていたとおりの「特別」になれたのだろうか。
そんな後悔に襲われても、もうどうにもならない。
貴族の結婚なんて恋愛結婚とは限らない。
親の勧めでミルドレッドを選んだとしてもなにも問題なかったはず。
家族同士の付き合いがあり、アランはミルドレッドには飾らない姿を見せている。
それでも拒絶されてしまったのだから、本当に対象外なのだとわかった。
(しっかりしなきゃ……らしくないわ!)
最悪のお茶会から帰ったミルドレッドは、チクチクとした胸の痛みを抱えながら、それでも前向きに考えた。
社交界デビュー前に恋心が打ち砕かれてよかったのだ。
きっとアランはミルドレッドみたいな小娘ではなく、もっと落ち着いていて彼に相応しい女性にほほえみかけ、ダンスに誘っているのだろう。
そういう姿を目の当たりにして、多くの人の目がある中で動揺する前に、思い上がりに気づけたのは幸いだった。そう考えなければと言い聞かせた。
「よし! きっと社交界デビューを果たしたら、アラン様が特別だなんて思っていた自分が世間知らずだったと気づけるに違いないわ。この都には素敵な男性がいっぱいいるはずよ。……立派な淑女をめざして、新しい恋をすればいいだけなんだから」
六歳の年齢差はミルドレッドが考えていたよりも大きかった。
今のミルドレッドはアランにとっては子供で、妹みたいな存在のまま、まだそれ以上にはなれないのだろう。
「あと何年か経って……縁談を断ったことを後悔すればいいのよ!」
そうなるように、ミルドレッドは自分を磨こうと決意した。
わざと声に出したのは、どうにか前を向きたかったからだ。それでも涙は止まらない。
ミルドレッドは本当に長いあいだ、彼に恋をしていた。
五歳の頃の話を今でも信じているのか──ミルドレッドはそんな言葉で、初恋を笑い話にしてしまった。
だが、変わらず抱き続けているアランへの憧れを自分自身で取るに足らないものとして扱った気がして、自己嫌悪に陥るのだった。
「……それなのに……私が“恋多き女”になるなんて……」
十八歳になったミルドレッドは舞踏会の会場に向かう馬車の中で、愚痴をこぼす。
「うーん、見た目が華やかだからだろうか?」
向かいの座席に座る兄のジェシーは予想を口にしてみたものの、納得いっていない様子で首を傾げた。
ミルドレッドは、ゆるく波打つ金髪に大きめの青い瞳を持つ華やかな印象の美人だ。
睫毛は長く、鼻は高すぎず低すぎず、唇は健康的なピンク──年相応の可愛らしさも持ち合わせている。
家が裕福であるため、社交界デビューと同時に多くの縁談が舞い込み、ダンスのパートナーにも事欠かない。
ただし、派手な化粧で男性の歓心を買うような愚かな真似はしていない。
ドレスも露出の少ない清楚なものを好んでいる。
誰かと踊るときは、絶対に二度目のダンスは断り、誤解されないように注意していたはずだった。
社交場に出る目的の一つは男性との出会いのためだが、求めているのは遊び相手ではなく将来の伴侶だ。
それなのに、気づいたら恋多き女になっていた。
「はぁ……やっぱり婚約者のいる男性を籠絡した……っていうあの話が決定打になったのかしら……?」
一年ほど前、とある令息に懸想されたことがある。
その令息のほうから声をかけてきたので、短い時間言葉を交わした。
もちろん大勢の紳士淑女が集まる社交の場での出来事であり、彼と二人きりになった機会など一度もない。
それなのに令息は「真実の愛に目覚めた」などという世迷い言で、一方的に婚約者を振ってしまった。
彼の婚約者だった令嬢とその家族は当然憤り、ミルドレッドと子爵家を訴えた。
「あのとき、アラン兄さんやスタンホープ侯爵家の助力がなければ、どうなっていたか」
思い出しただけで肝が冷えたのか、ジェシーが青ざめている。
令嬢の家は、イングリス子爵家より格上の伯爵家だった。
貴族の社会では、どれだけ理不尽な難癖であっても、爵位が上ならまかりとおる場合がある。
そのため、イングリス子爵家は恥を忍んでアランの家に仲裁役を頼んだ。
アランが多くの証言を集め、元凶の令息もミルドレッドとの関係をとくに偽らなかったため、最終的には訴えは取り下げられた。
一応、ミルドレッドの無実は証明されたのだ。
ただし、決着がついても勘違いさせたほうが悪いと考える者がいる。
破談の原因がミルドレッドだという事実は変わらないと罵られたこともある。
そんなわけで、社交界でのミルドレッドの評判は芳しくないのだった。
アランや侯爵家には感謝しなければならないのだが、この出来事のあたりからミルドレッドは不幸続きだし、アランとの関係も悪化してしまった。
「アラン様には感謝しているけれど……。最近、会えば小言ばっかりなのよ」
素敵な女性になって、縁談を断ったアランを見返す作戦は悪評のせいで完全に失敗してしまった。
見返すどころかあきれられている気さえする。
社交の場で会う機会が増えているが、アランは主に不出来な幼なじみを注意する目的で近づいてくるのだ。
彼はトラブルになった令息とミルドレッドが大して親しくなかった事実を知っている。
それなのに説教をするものだから、ミルドレッドは毎回傷ついた。
「アラン兄さんは、ミリーを心配しているんだと思うよ」
「嘘よ、そんなの。……あぁ、もう……どうか今日の舞踏会では、アラン様に会いませんように!」
アランはなぜか、ミルドレッドが訪れる社交の場に大抵いる。
きっとこの都で開かれている主立った催し物にほぼ出席しているのだろう。
(あまり女性とのお遊びをする人ではなさそうなのに、舞踏会は好きなのかしら?)
彼は軍に所属する魔法使いだ。
この世界に生きるものは、誰しもが身体の中に魔力を有している。
けれど、身に宿る魔力を外に排出し、操れる存在は十万人に一人程度で大変めずらしい。
血筋に関係なく、十代中頃に突如として自分の力を自覚する者が現れ、魔法使いとして認定されると平民でも一代限りの爵位が与えられるほどに優遇される。
元々大貴族の跡取り息子で、魔法使いで、顔までいいアランはこのモールゼイ王国の社交界で間違いなくナンバーワンのモテ男だった。
さっさと婚約者を定めればいいのに、その気配もない。
彼はいったいなんの目的で社交の場に出ているのか……。
「魔法使いって、処女を食べるのが好きなのよね?」
「よく知らないけれど、そんな噂もあるね……」
「アラン様は一夜限りのお相手でも探しているのかしら……?」
それくらいしか思いつかない。ならば余計に文句を言われる筋合いなどない気がした。
するとジェシーが不自然な咳払いをする。
「……まったく、ミリーは……! アラン兄さんがかわいそうだよ。遊んでいるなんて噂は聞いたことがないし、むしろ、女性には冷たいほうだ」
「かわいそう? それは私のほうだわ。無実なのに、噂だけ一人歩きして……アラン様にまで白い目で見られて……」
ミルドレッドはいまだに失恋を引きずっていた。
もう結ばれる可能性はないとあきらめているけれど、彼から軽蔑されているなんて耐えられない。
だからつい、大きなため息をついてしまった。