余命一ヶ月の呪いが、××で解けるなんて聞いていません! ケンカばかりの幼なじみに実は愛されていたようです!? 3
「……ん」
胸のあたりを強く打ったような痛みと頭痛、そして倦怠感に苛まれながら、ミルドレッドは目を覚ました。
ここは、イングリス子爵家ではない。自分の部屋とは違う、木目の天井が見えた。
わずかにミントみたいな清潔な香りが漂う。なんとなくアランが好きそうな香りだと感じた。
(胸が痛い……身体が、すごく重いわ……)
思考がままならなくても、自分の身体が正常でないことはすぐに察した。もしかしたら悪い病気にでもかかってしまったのだろうか。
「目が覚めたのか?」
すぐ近くで声がする。やがてミルドレッドの視界に入ってきたのはアランだった。
「アランさま……どうしたんですか? ひどい顔……」
いつもきっちりした装いを好む彼にしてはめずらしく、クラバットをはずしてシャツにベストというラフな服装だ。髪も整えていないし、目の下にくまがある。
まさか、アランまで具合が悪くなってしまったのだろうか。
ミルドレッドの問いかけに、アランは顔をしかめた。怒っているみたいだ。
「アラン様……?」
「俺のことより、今は君のことだ。……水は飲めるか?」
問われてから初めて、喉の渇きを感じた。
水を飲むのなら寝たままでは無理だ。だから身を起こそうとしたのだが、胸の痛みのせいですぐには動けそうにない。
身体が重く、まだ夢の中にいるみたいだった。
「そのままで」
アランはベッドサイドに置かれたガラス製のティーポットのようなものに水を注ぎ、ミルドレッドの口に運んだ。
「吸い飲みというんだ。……用意しておいて正解だったな」
アランに介抱されている状態は、なんだか気恥ずかしかった。
水を飲んだことでわずかに気分がよくなってきた。すると頭の中に様々な疑問が浮かんでくる。
「私、どうしちゃったんでしょうか……? ここはどこですか? アラン様、なんでそんなにやつれて……?」
「俺はべつにやつれてない! ただ、幼なじみが倒れているのに呑気に睡眠などとれるはずもないだろう?」
「そういうもの……なんですね……。私の家族は? ここって、もしかしてアラン様のお屋敷ですか?」
光の差し込み方や気温、そして鳥のさえずりからなんとなく朝の比較的早い時間だとわかる。アランの屋敷である予想もつくが、どうしてミルドレッドがここにいるのかはさっぱりだ。
「屋敷と言えるほど広い建物じゃないが、俺の私邸だ。魔法による治療のために運び込んだんだ。ジェシーにも、君のご両親にも連絡はしたし、昨日は誰かしらがずっと付き添っていたよ」
「昨日? 誰かしらが……?」
その言葉にミルドレッドは違和感を覚えた。「誰かしらが付き添っていた」としたら、それは時間を区切って交代で付き添いをしていたという意味だ。
だったら家族は今、どこにいるのだろうか。
「落ち着いて聞いてほしいんだが、今日は舞踏会の日の翌々日なんだ」
「え……? 私、そんなに眠って……」
それなら家族が交代で付き添っていた話に納得がいく。同時に自分がどれほどの重病におかされているのかがわからず、不安になっていった。
「自然に眠っていたんじゃない。治療のために必要だったから魔法で眠らせていた。……この私邸は客間が一室しかないし、ジェシーたちのほうが倒れてしまっては元も子もないから一旦帰ってもらった」
「そうだったんですか……」
とりあえず状況は理解した。
けれどぼんやりしているせいか実感が持てず、だからこそ冷静だった。
アランが大変優秀な魔法使いであることは、当然ミルドレッドも知っている。
軍人だが、医療にも詳しくて王家の専属医も彼に一目置いているらしい。
つまりミルドレッドは今、王族並みの魔法による治療を受けているのだ。そうしなければならないほどの事態なのだと予想がついた。
「私……かなり悪いんでしょうか? なにかの病気ですか?」
「その説明は、君が食事がとれるようになってからにさせてくれ。今は体調を整えるほうを優先してほしいんだが」
それはおそらく、アランの優しさだ。
けれど、知らないままで呑気に食事などできるはずもない。
「気になるので教えてください。……言えないほど、悪いんですか……?」
聞いたらショックを受けて、命が危うくなることをアランは心配しているのだろうか。
だとしても、秘密にされたまま過ごすのだって、同じくらい健康に悪そうだった。
アランはしばらく悩んでいたが、あきらめたのかベッドの横に椅子を持ってきて、そこへ座った。
ミルドレッドもどうにか上半身を起こし、クッションにもたれながら話を聞く準備を整える。
「君は呪われているんだ」
たったそれだけの言葉を吐き出すために、アランは随分と苦労していた。それくらい深刻な状態だと否応なしに理解させられていく。
アランは手鏡を差し出してくる。
「胸元を見てくれ。……ちなみに着替えさせたのは母君と、アボット女史だ」
そう言われて初めて、ドレスではなく、いつの間にかナイトウェアが着せられていることに気づく。
アボット──ヘロイーズ・アボットはミルドレッドの家庭教師にしてお目付役の女性の名だった。
ミルドレッドは鏡を受け取ると、指示されたとおり胸元に目をやった。谷間のあたりにうっすらと痣みたいなものが見え隠れしている。
アランが不自然に顔を背けているのを確認してから、そっと胸元を覆う布地をどける。
肌に刻まれていたのは、どこかの家の紋章のような、図案化された百合の花だった。これが呪いの印だろうか。
(昨日まではなかったのに……)
ミルドレッドが静かに鏡を置くと、アランが視線を戻す。
「あのトミーという男の仕業ですか?」
アランのような特別な者だけが扱える不可思議な現象を魔法という。
その中で、人に害悪をもたらすものを、ほかの魔法と区別するために『呪い』と呼ぶ。
呪いだと知って、ミルドレッドが真っ先に疑ったのはトミーだった。
ミルドレッドを襲おうとしたトミーには、悪意はなかった気がする。それでも自分の思いどおりにするために、相手の言葉を封じるなんていう卑怯な魔法を使ったのだ。
ほかにも隠れて悪い魔法を使っていないとは言い切れない。
けれどアランは静かに首を横に振った。
「おそらく違うだろう。あの男は確かに魔法使いだが、それほどの能力は持っていない」
「あの人には使えない魔法?」
「あぁ、すでに呪いの種類は特定済みなんだ。『毒花』と呼ばれる、危険な魔法。……覚悟して聞いてもらいたいんだが……呪われた者は、胸の痛みに苛まれ、どんどんと発作の間隔が短くなっていって、やがて胸の痣が真っ黒になった頃に死に至る」
「そ……そうなんですか……」
あの胸の痛みは尋常ではなく、そのため『死』は実感と一緒にすんなりと理解できた。
ただ理解できることと、それを受け入れることは別だ。
「魔法式に閲覧禁止措置がされているし、保管されているのは宮廷の禁書庫だ。魔法使いであっても、詳細は知り得ないはずなんだが……」
ミルドレッドにとって魔法式という言葉は聞き慣れないものだったが、なんとなく魔法を使うためのレシピみたいなものだと解釈した。
「その魔法式はアラン様でも見られないものなんですか?」
「今回、呪いを解くための緊急措置として許可が出た。……だから、俺はすでに仕組みを把握している」
「だったら」
ミルドレッドは魔法に関しては素人だが、魔法式を理解しているのなら解呪もできるのではないかと単純に考えた。
実際、舞踏会の晩に声を奪われたミルドレッドを、アランはすぐに救ってくれたのだ。
「いや……。一般的な病気にたとえるのなら、病名や病気になる仕組みがわかっていても、特効薬があるものと、自然治癒に任せなければならないものがあるだろう? 魔法による呪いも同じなんだ」
アランは魔法の仕組みについて、簡単に説明してくれた。
舞踏会の夜にかけられた声を奪う魔法については、アランもその構造をよく知っていたそうだ。
あのときアランは、目的と使用者の実力を考えて、声を奪う魔法の持続効果は長くても一時間程度だと予想した。
そして、かけられた魔法を分解するのではなく、魔力的な時間の流れを促進することで効果が切れるところまで導いたのだ。
簡単な魔法なら、この方法で無効化できる。
けれど『毒花』に関しては、進んだ先にあるのはミルドレッドの死だ。この場合、促進させても自然消滅とはならない。
アランの説明はわかりやすく、ミルドレッドも大まかな仕組みは理解できた。
「つまり、私は死ぬしかないのですか?」
「いいや! 死なせてたまるか。……とりあえず、進行を遅らせる処置を定期的にして、それで一ヶ月は耐えられるはず。そのあいだにこの呪いを解く方法を探す」
「一ヶ月……」
アランが対処してどうにか一ヶ月……。それは余命宣告だった。
「この呪いは、発動までに一週間から十日程度の潜伏期間があるとされているんだ」
「つまり私が呪われたのは先週か、先々週……?」
「……犯人に心当たりはないか? 犯人が特定されても解呪できるわけではないが、君の命を狙っている者がいるのは事実だ。金を積んで魔法使いに仕事をさせた、という可能性もあるから、魔法使いに限定しなくていい」
ミルドレッドを殺したいほど恨んでいる人間は誰か。思い当たる人物は一人いた。
「ヴェロニカ様とのトラブルくらいしか……。でも一週間から十日程度?」
彼女に会ったのは舞踏会の当日だけだが、彼女が雇った非合法の魔法使いによって呪われた可能性はあるかもしれない。
「あの令嬢への取り調べは昨日のうちに行ったんだが……」
「証拠はない、と?」
「あぁ。君の予想どおり、トミー・セイラーをけしかけたのは事実みたいだ。だからこそ、わざと疑われる行動をしたのが不自然な気がする」
もしヴェロニカが犯人なら、確かに行動に矛盾がある。
誰かを死に至らしめる大きな呪いをかけておきながら、ミルドレッドが不埒な男に襲われるように仕向けるなんていう別の嫌がらせをするだろうか。
疑ってくださいと言わんばかりだ。
「私が悪事をくわだてていたら……たぶん、当日わざと接触して嫌味を言うこともしないでしょうね」
「一昨日の夜、実際に受けたからわかると思うんだが、人体に直接作用する魔法は、魔法使いの接触なしにはかからない。眠っているときなら気づかないかもしれないが、人を死に至らしめる呪いを受けたら、相当な違和感があったはずなんだ」
「確かに……」
トミーに声を封じる魔法をかけられたときも、アランにそれを解除してもらったときも、ミルドレッドは魔力の気配みたいなものを感じた。
トミーのときは悪寒のように、アランのときはぬくもりのように……なぜか感じ方は違ったがなにかをされたことだけはわかった。
「幅を設けて二週間のあいだ、君に接触した者は?」
「友人とお茶会をしたり、家族と過ごしたり、買い物をしたあとティールームに立ち寄ったり。……魔法使いの友人もいますけど、魔法をかけられた気配なんてしませんでした」
膨大な魔力が身体に流し込まれて、気づかないはずがないというアランの説明が本当なら、一切思い当たる出来事がなかった。
「眠っているとき……夜間は? それくらいしか考えられないんだが」
「夜、ですか? 家族も使用人も、魔法とは無縁です。もし魔法の才があれば……貴族の屋敷に勤めるなんておかしいですし」
夜間に関わる人間──つまり子爵邸で暮らしている者たちは、ミルドレッドが信用している者ばかりだし、魔法使いではない。
アランは感情論抜きにして、可能性をすべて洗いだしているだけかもしれないが、大切な人たちを疑われると少々気分が悪い。
ミルドレッドは語気を強め、彼が提示した可能性を否定していった。
「すまない……。個人的な事情まで聞きたくないんだが……捜査に必要なんだ……。許してほしい」
「許してって……どういうことでしょうか?」
だんだんと二人のあいだに不穏な空気が漂ってきている気がした。
「君の……交友関係で……その、一夜を……」
「……あぁ、そういうことですか」
要するにアランは、ミルドレッドの恋のお相手が犯人である可能性を一番に考えているのだ。
確かに無自覚のまま呪われてしまう条件が限られているのなら、そう考えるのが当然かもしれない。
「言いにくいのはわかるつもりだ。君が好意を抱いている相手を疑うのは申し訳ないと思っている。だが……俺を信用して打ち明けてほしい」
一ヶ月後に死亡予定のミルドレッドは、自分で思っていたよりも心の余裕を失っていた。
彼がミルドレッドを助けてくれる人だと十分に承知しているのに、怒りと失望が抑えられない。
「私……そういうふうに思われていたんですね……」
「ミリー……?」
アランが少しだけ近づき、ミルドレッドの顔を覗き込んでくる。
おそらく小声でのつぶやきが聞き取れなかったのだ。
(ずっとアラン様だけを想って……一度だって恋人がいたためしがないのに……!)
モールゼイ王国の貴族社会は恋愛に寛容だ。真面目な交際をしている恋人同士であれば、婚前交渉は普通に行われている。だから、清い身体のままでいないと結婚に支障が生じるなんてことはない。
けれど、魔法使いだけは別だ。
噂によると彼らは、処女を食べるのが好きで、結婚相手にも処女性を求めるらしい。
魔法が使える尊い存在だから、ほかの者が手をつけた相手など選ぶ価値がないとでも思っているのだろうか。
血筋によって決まる力ではないはずなのに、なぜ魔法使いか否かで常識が変わるのかは謎だが、有名な話だ。
そしてミルドレッドはアランに経験豊富な女だと思われていた。
つまり、魔法使いのアランにとって、益々恋愛対象外なのだ。
毎度の小言からある程度予想していたものの、はっきり言われると傷つく。
弱った心に、グサグサとナイフが突き刺さるみたいだった。
涙をこらえると、表情が険しくなってしまう。それでもプライドの高いミルドレッドは歯を食いしばり、必死に耐えた。
「家族に確認してもらってもかまいませんが、男性と二人きりになったことなんてありませんし、外泊もしていません。少なくとも、この二週間のあいだなら裏付けができると思います」
キッとアランをにらみつけてから、ミルドレッドはベッドの上でうずくまり、毛布をかぶった。それ以上涙を我慢できなかったのだ。
「そうか……わかった。すまない……これ以上聞かないから……。だが、もしなにか思い出したら教えてくれ……」
今の発言は、信じたという意味ではない気がした。
おそらく、ミルドレッドが拒絶するから無理矢理聞き出すのをひかえただけだ。
(アラン様、ぜんぜんわかってない……! 私を少しも理解してくれない……。こんな人、嫌いになれればよかったのに……)
それでも窮地に陥るたびに一番に駆けつけて救おうとしてくれるのも彼だった。
優しくて、嫌いになれない。
だからこそ、悔しさと悲しみで涙が止まらなかった。
十歳のミルドレッドは子爵邸の庭に置かれたベンチに座って本を読んでいた。
お気に入りのこの庭はスタンホープ侯爵家とのあいだにあり、低い柵のみで仕切られている。
最近士官学校へ入ったばかりで寮住まいのアランが、スタンホープのタウンハウスに帰っていたとしたら、庭先に出てきてくれるかもしれない。
(べつに、アラン様に声をかけてもらうためにここにいるんじゃないわ。……お気に入りの場所だから……)
じつはアランの母親であるテリーサから、今日帰ってくることを聞かされていたのだ。
明らかに期待しているのに、自分自身に言い訳をしたくなる。
ミルドレッドは屈折した性格を直したいと思っているのだが、なかなか思いどおりにならないのだった。
(あぁ……。物語に出てくるお姫様みたいに、素直で誰にでも愛される女の子だったらよかった……)
例えば、今まさに読んでいる物語に出てくるお姫様が理想的だ。
『大魔法使いと呪われた姫』
それが、最近お気に入りの物語である。
とある国に大変美しい姫がいた。
姫の結婚相手を決めるために開かれた舞踏会で、隣国の王子が姫に求婚する。
けれど、姫は病気がちな母のそばにいて、次期国王である兄を支えたい思いから、求婚を断った。
傲慢な隣国の王子は、自分のものにならないのなら姫を殺してしまおうと考え、悪い魔法使いに依頼して彼女を呪う。
姫の父である国王は、国一番の魔法使いに呪いを解くように命じる。
なかなか方法が見つからない中、魔法使いと姫は恋に落ち、真実の愛で結ばれると呪いが解けた──という内容だ。
子供向けの物語のため、ところどころに挿絵が入っている。
最後の挿絵は、これからキスをするのではないかと思われる二人の横顔だった。
ミルドレッドはこっそり、主人公の大魔法使いをアランに見立て、彼と結ばれるお姫様を自分に見立てながら読んでいるのだった。
「やぁ、ミリー」
突然、名が呼ばれた。
ミルドレッドは本に向けていた視線を、声のするほうへと動かす。すると柵の向こうで手を振るアランの姿が見えた。
「お帰りなさい、アラン様」
ミルドレッドは本を抱えたまま小走りで柵に近づく。
十四歳で魔法使いとしての力を自覚したアランは、すぐに高名な魔法使いに師事し、魔法の基礎を学びはじめた。
十六歳の現在は、士官学校の学生だ。
噂では、魔法使いとしての実力が同世代の中では飛び抜けているらしい。
そして頭もよいうえに身体能力も優れているから、そのうちに将軍となることが期待されている。
(でも……私はべつにアラン様が魔法使いじゃなくてもよかったのに……)
ミルドレッドの初恋はアランだ。何歳から彼を好きだったかわからないが、五歳のときに「けっこんするー!」と言って、彼を困らせている。
今は、そんな恥ずかしい発言はしないけれど、変わらず特別な相手だ。
彼が魔法の才能に目覚める前から、大好きだった。
魔法使いになった彼を尊敬する一方で、どんどんと遠い人になってしまうみたいで寂しいとも感じている。
「俺がいないあいだも、いい子にしていたか? ミリー」
それでもまだ、ミルドレッドを幼なじみとして大切にしてくれるアラン。
軍服に似た士官学校の制服姿の彼は、会うたびにたくましく成長している。身長はほぼ大人と同じだし、肩幅も広くなっている気がした。
わしゃわしゃと頭を撫でてくれる手は大きく、そして少し硬い。
「アラン様……“俺”って?」
これまでアランの一人称は“私”だったのに、急に変わってしまった。
会うたびに身体の成長だけではなく、話し方も変わっていくので、ミルドレッドは別の人と対峙している気分になり落ち着かなくなる。
「あ……あぁ。士官学校は高位貴族の令息ばかりが通うところではないから、上品にしていると舐められるんだ」
「そうなんですか……?」
「嫌だった?」
「そんなことないですよ。でも、ちょっと寂しいかも」
それは少しの強がりだった。
事情があるのなら変わっていくのは仕方がないのだが、置いていかれる気分になるから本当は嫌だ。けれど、わがままを言って困らせる子供ではいたくない。
アランがクスリと笑う。
ミルドレッドの嘘はきっと見抜かれているのだろう。
「ほら、こっちへおいで。ちゃんとおみやげを買ってきているんだ」
「じゃあ、正面から」
以前は兄と一緒に柵を跳び越えていたが、アランが急激に大人になっていくものだから、ミルドレッドも淑女らしい行動がしたかった。
正面の門から訪問するのが正しい作法だ。そう思って歩きだそうとしたミルドレッドの行動を、アランが妨げる。
柵越しに脇の下あたりをひょいと抱えて、ミルドレッドを引き寄せたのだ。
(完全に子供扱いなんだから!)
これ以上差が広がってほしくないから素敵な淑女になりたいのに、アランが進んで幼い妹分として扱うため、ミルドレッドは大いに不満だった。
けれど屋敷に招かれて、おいしい紅茶とお菓子を与えられると、そんな不満はどこかに吹き飛んでいった。
「ところでどんな話を読んでいたんだ?」
アランはソファに置かれた本に視線を向けながら問いかけてきた。
それは先ほどまでミルドレッドが抱えていた本だ。
「ええっと……『大魔法使いと呪われた姫』です」
「へぇ」
彼の表情が冷たくなったように感じられたのは、ミルドレッドの気のせいだろうか。
「アラン様もご存じなのですか?」
「魔法使いが題材になっているから……読んだというか、内容は把握している。ミリーはその話のどこが好きだったんだ?」
「もちろん真実の愛で、お姫様の呪いが解けるところです。相手を思いやる心が奇跡を起こす……って、とても素敵だと思いませんか?」
ミルドレッドは熱心に語ったが、アランの心を動かすことはできなかった。
やはり、アランはこの物語が嫌いなのだ。
「いいか、ミリー。思いやりや愛なんていう感情──目に見えないものでは呪いなんて解けないんだ」
「でも、魔力だって目に見えないじゃないですか」
なぜ彼は、子供の夢を壊す発言をするのだろうか。好きな物語を否定されたミルドレッドはついむきになってしまう。
「目に見えなくても魔法は現実に存在している。ほら、こうやって可視化もできる」
アランは手のひらを上に向けて、ミルドレッドのほうへ差し出す。ほんのわずかな時間で、手のひらの中央から柔らかい光が発生して、部屋の中を照らした。
「綺麗……」
林檎くらいの大きさの丸い光がいくつも創り出され、プカプカと浮いてミルドレッドの近くに漂ってくる。
指先で軽く触れると、わずかに温かい。しばらくすると儚く消えてしまう──まるでしゃぼん玉みたいだった。
「初歩的な光の魔法だ。……愛で魔力は生まれない。そんな単純な力ではないんだ。ミリーはもう少し、現実を知ったほうがいい」
魔法使いが出てくる話だからだろうか。アランの意地悪な発言はいつものことだが、今日はそれに磨きがかかっていた。
「私、もう十歳なんですよ!」
「まだ十歳だ」
「アラン様に言われなくても、ちゃんと現実を知っています。キスで呪いは解けないし、自分がお姫様ではないってわかっているんです。だからこそ、物語を読んで楽しむくらいはいいでしょう?」
ツン、としばらくそっぽを向いているとアランがわざわざミルドレッドの隣の席に移動してきた。
「ごめんな、俺のほうが大人げなかった。……ほら、クッキーがいいか? それともフルーツ?」
「……両方」
そう答えると、アランは小皿にクッキーとフルーツを取り分けて、ミルドレッドの前まで持ってきてくれる。
二人の言い争いはいつも簡単なことで収まるのだ。
ミルドレッドは、アランが『大魔法使いと呪われた姫』を特別に嫌う理由についてしばらく考えていたが、彼が用意してくれたクッキーがおいしくて、すぐに忘れてしまった。
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