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君と初恋をもう一度 情熱の騎士は再会した令嬢と我が子を一生甘やかしたい 2

第二話

 

 帝国騎士になるための登竜門、帝国騎士入団試験は、十八歳になった男子ならば誰でも受験することができる。
 キースは、自分と同じく赤髪赤眼だった大叔父がかつて帝国騎士団長を務めていたこともあり、幼い頃から騎士に憧れを持っていた。自分も大叔父のような立派な騎士になり、ゆくゆくは帝国の騎士たちをまとめる団長になりたい、と。
 そのために血の滲むような訓練を受けても弱音ひとつ吐かなかったし、訓練の過酷さと比例するようにめきめきと成長を遂げ、彼は誰の目から見ても素晴らしい剣技の持ち主になっていった。
「いよいよあと一ヶ月後に入団試験ね。キースなら絶対に合格するわ」
 いつものようにアイシャ夫人が出掛けている隙に、ラインフェルト家の使用人にも協力してもらい、こっそりとキースの自室に潜り込んだイルヴァは、激しく交わったあと、励ますように裸の胸で彼を抱き寄せた。
「ああ。合格したら帝都に行くことになるだろうし、離れ離れになる前に、婚約式だけでも挙げてしまいたいな」
「そうね……」
 婚約、という言葉に、イルヴァのほうが顔を曇らせる。
 恋人になってから三年。
 結局未だアイシャ夫人に反対されていて、婚約には至っていない。それどころか、アイシャ夫人は次々とキースにお見合い話を持ち掛けていた。
 このままではキースがほかの令嬢と婚約してしまうかも……、という不安が、ずっとイルヴァの胸に燻っている。
 不安を口にするたび、キースがそれを払拭するように「俺はイルヴァとしか結婚しない」と言ってくれるものの、確かな誓約がないことには、イルヴァの心は落ち着きそうもなかった。
「そんな顔をしないでくれ。俺がこんなにも頑張れるのは、ほかならない君がいてこそなんだ。君と一緒になれないのなら、死んだほうがマシだ」
「キース……」
 消えない憂鬱を忘れるため、もう一度彼の熱を求めようとしたとき。
「侯爵夫人がお戻りになりました」
 扉越しに、焦ったような使用人の声が聞こえた。
「どうして……。今日は夜まで帰らないと言っていたのに」
 キースが慌てた様子でベッドを降り、服を着る。
「俺が母上を引きつけておくから、その隙に、いつもの場所から逃げてくれ」
「ええ」
 イルヴァも急いでドレスを身に着け、何事もなかったかのように装って、キースの部屋を出る。
 どうにかアイシャ夫人に出会わないようにラインフェルト侯爵家の屋敷を抜けだそうとしたが、彼女は最初からすべてを察していたようだった。
「イルヴァ=ギレ・ノルランデル」
 逃げ道にとキースが用意してくれていた使用人棟に繋がる廊下の先で、淑女の見本のような立ち方をしたアイシャ夫人が待っていた。
「ご、ごきげんよう、ラインフェルト侯爵夫人」
 もう逃げきれない、と観念したイルヴァは、その場でできる限り最上のカーテシーをしてみせた。
 こうしてアイシャ夫人とふたりきりで会うのは、初めてだ。
「あら、泥棒猫なのに礼儀作法だけはしっかりしているのね」
 ふんっと鼻を鳴らし、アイシャ夫人が近づいてくる。
「まったく、礼儀作法だけでなく、身の程も弁えていただきたいのですけれど」
 キッとイルヴァを睨みつけ、厭味ったらしく言う。しかし、彼女の言うことももっともだ。イルヴァに反論する手立てはなかった。
「……申し訳ございません」
「謝るくらいなら今すぐにキースとの縁を切ってちょうだいな」
「それは……」
 ──できない。したくない。
 イルヴァが黙りこくるのを見て、アイシャ夫人はわざとらしくため息をついた。
「いいこと? キースなら、たとえ次男でも、うちと同格の家門か、あるいはそれ以上の家のご令嬢と結婚する資格があるの。ラインフェルトの赤髪赤眼とはそういうものなのよ。それなのに、キースもあの人も、こんな子爵家の末娘でいいだなんて……」
 あの人、というのはおそらくラインフェルト侯爵のことだろう。キースの父は、イルヴァのことを可愛がってくれている。婚約にも特に反対はしていないという。
「おまけに、人の家にコソコソと入り込んで、まるで下水にいる鼠のようだわ」
「……っ」
 酷い言われようだ。だが、ここで反論しても、彼女の不興を買うだけだろう。イルヴァはもう一度、「申し訳ございません」と頭を下げようとした。
 しかし、その瞬間。
「うっ」
 突然吐き気に襲われ、その場に蹲る。
「ちょっと、どうしたの──……」
 アイシャ夫人は嫌そうにしつつも、イルヴァの背中に手を当てた。だが、すぐにバッと手を離し、訊いた。
「……あなた、月のものはちゃんと来ていて?」
「え?」
 何を言われているのかわからず、イルヴァは口元を押さえながら顔を上げる。そして無意識に、自分の腹を撫でていたことにそのとき気づいた。
「あ……」
 そういえば、ここ二ヶ月ほど、来ていない。
 たまに遅れることがあったから、今月もそうなのだろうと思っていた。キースと交わったときは、妊娠しないようにいつも子種を外に出しているし、実際この三年間、それで何も起こらなかった。
 だから今回もただ遅れているだけだろうと思って、そのまますっかり忘れていた。
 ──もしかして、キースの子どもを妊娠した……?
 その可能性に気づいたとき、どっと喜びが胸に押し寄せてきた。
 愛する人の子どもを身籠ったのだ。こうなれば、キースは責任を取らざるを得なくなる。結婚もきっと認めてもらえる。
 思わず笑みが零れた刹那──……。
「この、あばずれ女!!」
 その言葉とともに、バシンと大きな音がして、頬がカッと燃えるように熱くなった。
「え……?」
 目の前には、ものすごい形相のアイシャ夫人が立っていて、イルヴァを罵る言葉が次々と降ってきた。
「いやらしいその身体でキースを誘惑して、挙句子どもを盾にするなんて卑怯な手を使って……っ! 本当にキースの子なのかも怪しいったらないわ!」
「わ、私はキースとしか……」
 頬を押さえながら、イルヴァは初めて反論した。だが、アイシャ夫人の怒りは止まるわけがなかった。むしろ身体の関係を肯定する形になってしまい、火に油を注いだようだ。
「わかってるの!? このままではあなたのせいでキースの将来は閉ざされてしまうかもしれないのよ!」
「ど、どういうことですか」
 ──キースの将来が閉ざされる……?
 アイシャ夫人が言っていることの意味がわからず、イルヴァは首を傾げた。
 結婚して子どもを授かれば、キースだってもっと頑張ろうと思えるのではないか。家庭を持ってこそ男は一人前だと、イルヴァの父はよく口にしていた。だから兄も早いうちから婚約者を見つけ、二十歳になってすぐに結婚したのだ。
 怪訝な顔のイルヴァに向かって、アイシャ夫人がまたため息をついた。
「やさしいあの子は、あなたが妊娠しているとわかれば、きっと夢を諦めてあなたや子どもの傍にいることを選んでしまう。そうでなくとも、とても試験なんかに集中できないでしょうね」
「そんなことは……」
 ない、と言いかけたのをアイシャ夫人が遮る。
「あなたは結婚や出産を甘く見すぎているわ。特に出産は命懸けよ。私はね、キースを産むときに死にかけたの。奇跡的に助かったけれど、そのことはあの子も知っているわ。だからこそ、あなたが身籠ったと知ったら、傍にいたがるはずよ」
「……っ!」
「もし仮にそれを知って試験を受けて合格したとしても、子どもが生まれる前に結婚式をしなければならないわ。入団したばかりの新人騎士に、そんな暇が与えられると思う?」
 貴族の子息で、結婚式を挙げないというのは恥になる。そうでなくとも、婚約すらしていないのに子どもができたなど、外聞が悪い。
 自分の浅はかさにショックを受けていると、アイシャ夫人はさらに重ねた。
「それに、新人は地方への赴任もあるわ。身重なあなたを辺鄙な場所に連れていけるはずがない。知らない土地で出産もさせられないし、かといってあなたと生まれた子どもをここに置いてはいけないでしょうね。あの子はとても愛情深いから、子どもとの時間を大切にしたいと思うはずよ。そうなれば数年は無駄にするでしょうね。そして出世街道にも乗れなくなる」
「確かに、キースはやさしくて、私のことを一番に考えてくれて……」
 アイシャ夫人の言うとおりだ。
 今、イルヴァから妊娠のことを聞けば、キースは騎士入団試験を受けようとしないかもしれない。試験は毎年あるけれど、子どもが少し大きくなるまで、傍にいようとするのは、想像に難くない。
 そもそも、キースは子どもをつくることを反対していたのだ。
 いくらイルヴァが、中に出してもいいと言っても、
「そういうのはちゃんと結婚したあとにな。俺はまだまだ父親になるには未熟だから」
 と必ず外に精を放っていた。
 アイシャ夫人の言うとおり、彼には彼の考えがあって、将来をきちんと見据えてのことだったのだと、たった今気づいた。ただ真面目なだけだと思っていた。
「わ、私、どうしたら……」
 ──私のせいで、キースの未来が閉ざされてしまう……?
 事の重大さを悟り、イルヴァは身体を震わせた。
 そこへ、容赦のないアイシャ夫人の言葉が叩きつけられる。
「堕ろしなさい」
「そんな……」
「なかったことにすれば、あの子の未来は守られるわ。そして今すぐに、私たちの前から消えてちょうだい。二度と顔を見せないで」
 彼女がパチンと指を鳴らすと、控えていたらしい使用人たちがすぐにやって来て、イルヴァの腕を掴んだ。
「いや、やめて……っ、ううっ」
 叫ぼうとしたイルヴァの口は、すぐに塞がれ、抵抗も虚しくどこかへと連れていかれそうになる。
「その女のお腹の子どもを堕ろさせなさい。死ななければ何をしてもいいわ」
 冷酷な声に、イルヴァは目の前が真っ暗になった。
 一体何をされるのだろう。
 使用人の部屋の一室に連れていかれたかと思えば、さらに奥の浴室へと乱暴に押し込められた。
「きゃ……っ」
 床に手をつき、這いつくばる格好になった瞬間、上から冷たい水を浴びせられる。
「申し訳ありませんが、身体を冷やしてお子を流させていただきます」
 言葉遣いは丁寧だが、使用人の手に迷いはなかった。次々と冷たい水が降ってきて、イルヴァはただただそれに耐えるしかなかった。
 どのくらいそうしていただろう。
 ふっと意識が飛び、次に目を開けたときには、イルヴァの周りから人の気配が消えていた。完全に気を失ったと思い、油断したのだろう。
 逃げるなら今しかないと、イルヴァはずぶ濡れのまま浴室の窓からそっと屋敷を抜け出し、少し離れたところで待っているはずの馬車へと急いだ。
「イルヴァお嬢様!?」
 酷い格好で戻ってきたイルヴァを、馬車で待機していたヴァイスが慌てて迎え入れる。
「一体何があったんですか!?」
 ブランケットをイルヴァに被せ、自分が濡れるのも厭わず温めるように抱きしめて背中をさすってくれる。
「大丈夫、だから、早く家に帰って……」
 そう言うのがやっとで、イルヴァはヴァイスの腕の中で、今度こそ意識を失った。


 酷い熱が出た。
 水浸しでノルランデルの屋敷に戻ったイルヴァは風邪を引き、一週間ほど寝たきりの生活を送ることになった。
「お嬢様、本当はキースのヤツに酷いことをされたんじゃないですか?」
「違うの。キースは悪くないわ。あの人に何かされたわけじゃないの」
「だったら……」
 誰にやられたとしても正式にラインフェルト侯爵家に抗議するべきだと言うヴァイスを、イルヴァは必死に宥めた。
 今のところ、両親には通り雨に降られたと嘘をついている。キースに会いに行っていることは、ヴァイスしか知らない秘密だったからだ。
 それに、もしイルヴァが妊娠していると知ったら、きっと両親も驚いてしまう。少し前までなら、両親も喜んでくれるに違いないと軽く考えられたかもしれないが、アイシャ夫人の言葉を聞いたあとでは、そう楽観的にも思えなくなってしまった。
 両親にまで「堕ろせ」と言われたら、ショックでさらに寝込みそうだ。
 そっと腹をさすりながら、イルヴァは考えた。
 ──これから、どうしよう。
 風邪をこじらせたせいで、もしかしたらもうこの胎の中には、赤ん坊がいないかもしれない。だが、まだ生きているのだとしたら──……。
 キースの未来のためには、アイシャ夫人の言うとおり、堕胎したほうがいいのかもしれない。
 けれど、愛しいキースとの子どもなのだ。
 簡単に決断できるものではなかった。
 かと言って、流れているかどうかを確かめるには、医者に診てもらう必要がある。そうすれば必然的に両親にはばれてしまう。
「はあ……」
 ため息をついていると、ヴァイスがベッド脇のテーブルにある赤い薔薇の活けられた花瓶に、また新しい薔薇を挿し込みながら言った。
「私は秘密は守る男です。せめて私だけには、何があったか本当のことを話してはいただけませんか?」
「ヴァイス……」
 真摯な彼の言葉に、イルヴァの胸が揺らぐ。
 ひとりきりでは抱えきれない問題に、イルヴァの精神は弱り切っていた。誰かに話してしまいたい衝動に駆られる。
「でも……」
 妊娠のことなど、男であるヴァイスには相談できない。そう思い、首を横に振ろうとしたときだ。
「俺とお前の仲だろ、イルヴァ」
 ポンッとやさしい手で、彼が頭に手を置いた。
「ヴァイス……」
 普段は主人と使用人として振る舞っているが、イルヴァにとって彼は家族のようなものだ。そして唯一、弱味を見せられる人でもあった。ほとんど生まれたときから一緒にいるのだから。
「信じろよ、俺を。もっと頼ってほしいんだ」
 イルヴァの硬く閉ざした口が、その一言で決壊する。
「実はね……」
 そしてぽつぽつと、イルヴァはあの日あった出来事をヴァイスに語ることとなった。

 話を聞き終えたヴァイスは、見たこともないくらいの渋面をしていた。
「貴族としての体面を守りたいからって、やっていいことと悪いことがあるだろう。そのせいでイルヴァが死んだらどうするつもりだったんだ、あのババア」
「ババアだなんて、口が悪いわ、ヴァイス」
 仕事中は丁寧な言葉遣いや仕草を崩すことはないが、彼の素は結構粗野だ。
 艶やかな黒髪に、整った顔立ち。特に切れ長の涼しげな茶色の瞳は、どこか異国を思わせ、ノルランデル家を訪れる客人たちは皆、一度はヴァイスに目を奪われる。上品な外面と違い、中身が悪童だと知れば、さぞ驚くだろう。
「やっぱり一度腹も医者に診てもらったほうがいいんじゃないか?」
「うん。でも、かかりつけのお医者様がお父様に黙っていてくれるはずないもの。もしお父様が妊娠を知ったら、どうすると思う?」
「それは……」
 ついっとヴァイスの視線が泳ぐ。おそらく彼も最悪の想像をしているのだろう。
 畳みかけるように、イルヴァは訊いた。
「ヴァイスは、どうするのがいいと思う? 私が子どもを産んだら、キースは困るかしら。やっぱり、彼は夢を諦めなきゃいけなくなると思う?」
「あー……」
 また、視線が泳ぐ。はっきりと言わないあたり、ヴァイスもアイシャ夫人と同じ意見のようだ。イルヴァが傷つくと思って、正直なことを言わないでいる。ずっと一緒にいたから、わかってしまう。
「訊かれても困るわよね、こんなこと」
 苦笑した隙に、思いがけずつーっと涙が頬を伝った。それを見て、ヴァイスが気まずげに口を引き結ぶ。
 そして、首の後ろを掻きながら、服の内ポケットから手紙を取り出した。
 差出人を見れば、キースだった。
「どうしたの、これ」
「あいつがイルヴァに何かしたんなら、渡さないほうがいいかと思って、しまってたんだ。でも、そうじゃないなら、渡さない理由もないからな」
 促されるまま手紙を読むと、そこにはただただイルヴァへの見舞いの言葉や愛情が綴られていた。
 イルヴァの具合が悪いのは伝わっていて、すぐにでも会いに行きたいが、未婚の女性の部屋に入れるわけにはいかないとイルヴァの父に断られていて、傍についていてやれないという。
「一応、イルヴァが寝込んだ次の日にはうちに来たんだぜ。それから毎日、自分の代わりにって薔薇の花を持ってこさせてる」
 くいっと顎で花瓶をしゃくり、ヴァイスが告げた。
「そうだったのね」
 毎日薔薇が増えていくから不思議に思っていたが、キースからだったのだ。
「俺は、お前が決めたことなら、反対しない。助けが必要だっていうのなら、なんだってしてやる」
 ヴァイスが真剣な顔でそう言った。
「イルヴァ、お前は、どうしたい?」
「私は──……」
 彼の質問に、無意識に腹を撫でる。
 その時点で、もう答えは決まっていた。
 か細い声で、イルヴァは答えた。
「まだこのお腹の中で赤ちゃんが生きているのなら、私……、産みたい。宿った命を奪うなんてこと、したくない」
 ──たとえ、キースと離ればなれになることになっても。
「堕ろしてしまったら、私、きっと一生後悔する」
「わかった」
 イルヴァの決意に、ヴァイスが頷き、微笑んだ。
「俺が何も言わなくても覚悟は決まってるみたいだしな」
「ええ。どのみち私が傍にいたら、キースは夢を諦めなきゃいけなくなるわ。だったらせめて、子どもだけでも守りたいの。彼との愛の証として」
 言葉にすれば、より強く覚悟が固まっていく。
 このままここにいたら、またアイシャ夫人にお腹の子を殺されかねない。
 いや、キースと結婚しようと企めば、子どもではなくイルヴァ本人が狙われるかもしれない。アイシャ夫人の怒りと怨嗟を間近で浴び、キースと結ばれることはこの先ないと感じてしまったのだ。
 とはいえ、アイシャ夫人にされたことを暴露しようものなら、ラインフェルト侯爵家の家名に傷がついてしまう。それこそキースの迷惑になりかねなかった。
 キースの夢と、まだ生きているかもしれないお腹の子ども。そして自分自身。
 すべてを守るとしたら、イルヴァの進む道はひとつしかない。
 ふう、と長い息を吐いたあと、イルヴァは顔を上げて窓の外を見遣った。
「……私、修道院へ行くわ。処女じゃないからシスターにはなれないかもしれないけれど、賄い婦として雇ってもらう」
 修道院は未亡人やシングルマザーも受け入れていると聞く。だからきっと、妊婦であるイルヴァのことも受け入れてくれるはずだ。
「どんなにつらくても、構わないな?」
 ヴァイスが訊いた。
「ええ。もう決めたわ。修道院へ行けるよう、手伝ってくれる? ヴァイス」
 イルヴァが訊き返すと、ヴァイスは膝を折り、主の手に誓いのキスを落とした。
「俺は、主であるイルヴァの望む未来を必ず手に入れられるよう、この命に代えても使命を果たすと誓う」
 騎士の誓いのようなセリフ回しに、イルヴァはクスッと微笑した。
「命までは代えなくていいのよ。私が修道院に行くとお父様にお願いしたときに、賛同してくれれば、それで」
「うちのお嬢様は欲がないな」
 ヴァイスが立ち上がり肩をすくめた。
「……わかった。まずはあのババアの手が伸びない修道院を見繕ってくる。環境もマシなところがいいだろう。過去に妊婦を受け入れたかどうかと、待遇についても調べなきゃな。それと、やっぱり医者の診察を受けたほうがいいと思う。俺と夫婦を装って町医者にでも診てもらえばいい。流産していないかどうかくらいはわかるはずだ」
「そうね」
 やはり、ヴァイスに頼ってよかった。自分にはない提案を次々としてくれる。
 こうして、イルヴァはヴァイスとともに修道院へ行く手筈を整えはじめた。
 もちろん、最初は両親に猛反対されたが、
「キースと結婚できないなら誰とも結婚したくない。ここで生きるよりも、神に生涯を捧げ、皆の幸せを祈るため修道院へ行きたい」
 というイルヴァの敬虔な言葉に、最後は折れてくれた。信心深い両親は、毎年領地にある修道院や教会に多額の寄付をしているのだ。自分の娘も熱心に神を信じていることに心打たれたのだろう。
 それから、お腹の子は奇蹟的に無事だった。
 町医者曰く、今は妊娠十週くらいだろうということだった。
 生まれるのはまだまだ先だとはいえ、腹が目立つようになる前に、修道院へ行かなければならない。
 それも、誰もノルランデル家を知らないような、遠い地へ。
 両親が寄付している領内の修道院へは当然行けない。そこへ行くようなふりをして、当日になって置き手紙をして別の修道院へ行く。
 そして、イルヴァが実際に頼る場所は、ヴァイスが見つけてきてくれた。ブラウディン帝国の南に位置する、パラウ領の穏やかで自然豊かな田舎町の修道院だ。神父の評判も良く、孤児たちにはきちんと教育の機会を与え、自立へ向けてのカリキュラムもしっかり組まれているらしい。
 過去に何人も妊婦を受け入れ、シスターたちも出産に立ち会うのには慣れていて、産婆もできるという。
 何もかもを秘密にしたまま、しかも二度と家族に会えなくなるかもしれないのはつらいが、そんな素晴らしい修道院があるのならば、行かない手はない。
 ──ひとりでも立派に子どもを産んで、育ててみせる。
 イルヴァの決意は固かった。
 ただ、後悔があるとすれば、あれからキースに会えていないことだ。
 両親には、ラインフェルト侯爵家に自分が修道院へ行くというのを伝えないようにしてもらっている。
 手紙はいつもどおり頻繁に交わしているが、キースは迫る帝国騎士入団試験のため忙しくしているようで、会いに来られるはずもなかった。ヴァイスが探ったところによれば、アイシャ夫人の妨害もあるようだ。
 だが、下手に会いたいなどと我儘を言えば、キースの負担になってしまうだろうし、アイシャ夫人に何か気取られるかもしれず、お腹の子のために我慢するしかなかった。