あやかしの執愛 黒き蛇は無垢な乙女を夜ごとに貪る 2
虚しい記憶の水底から意識が浮上していく。
紗夜は小さな呻き声を漏らした。炎に投げ込まれたように全身が熱く、胸の中心がひどく痛むせいで身じろぎ一つできない。
──ここは、どこ……?
背中が柔らかいので褥に寝かされているのだろうが、それ以上の状況把握ができない。
力なく横たわって荒い呼吸をしていたら、話し声が聞こえた。
「──傷は塞がっておるようじゃが、このままでは死んでしまうぞ」
「ここまできて死なせるものか。どうすればいい?」
「手っ取り早いのは、おまえさんの妖力をできるだけ多く与えることか。この娘は人の身ゆえ、本来であれば時間をかけて順応させなければならぬが、猶予はない」
「だが、妖力を与えるなんてやったことがないぞ。やり方を教えろ」
──ようりょく?
耳慣れぬ言葉だが、二人の声量が落ちて続きが聞こえない。
それから会話を聞く余裕もなくなり、熱さと痛みの狭間で苦しんでいたら、誰かが出ていく襖の音がした。まもなく傍らで声がする。
「意識はあるのか」
紗夜をここまで連れて来た男の声だった。声を出すのも億劫で弱々しく頷くと、静かな口調でこう言われた。
「じゃあ、そのまま死なないことに集中していろ」
またもや無理を言うものだと、紗夜は苦痛に呻きながら思う。
口を開いてみるが、漏れ出たのは「うう……」という苦しげな吐息だけだった。
男の気配がぐっと近づいてきた。顔の近くで息遣いを感じ、火照った頬に冷たいものが触れる。
「……?」
すりすりと撫でられたので、冷たいものは大きな手のひらなのだろう。
燃えるような熱さを感じていたところにひんやりとした感触が心地よく、ほうと嘆息したら、身体をそっと起こされて帯を解かれる。衣擦れの音がして、腰をきつく締めあげていた圧迫感が消えた。
そのまま衣装を脱がされるが、袖を抜くために腕を持ち上げる動作すら痛みを伴い、紗夜は呻く。
「いた、い……」
細い声で囁いたら、粛々と衣装を脱がせていた手が止まった。
数秒後、男の吐息が首筋にかかり、柔らかいものが押し当てられる。太い針で刺したかのようにちくりと痛みが走った。
「っ……」
「痺れ毒だ。動きは鈍るが、痛みを麻痺させる。お前は衰弱しているから、あまり使いたくなかったんだけどな」
毒、という響きに不安を覚えたが、彼の言ったとおり全身を苛んでいた痛みが少しずつ薄れていく。
「痛みが和らいできただろう。これで、だいぶ楽になったはずだ」
確かに楽になったが、今度は指先に微弱な痺れが広がって虚脱感に見舞われる。
四肢を動かそうとしても、小刻みに震えるばかりでうまく力が入らない。
──胸の痛みは遠のいたけど、全身が痺れて、頭がふわふわする。
ぐったりとしているうちに着物をすべて脱がされる。
男が自分の帯も解いているのか、しゅるしゅると音がして後ろから抱きかかえられた。
背中いっぱいに硬くてひんやりとしたものが当たっているが、彼の胸板だろうか。
──あれ……彼も、裸なの?
ろくに回らぬ頭で不思議に思ったら、ぎゅっと抱きしめられた。
うなじに彼の吐息がかかり、生温かい舌で舐められたので、死への恐怖とは違った本能的な恐れがぞわりと駆け抜けた。
男の手のひらが意図をもって動き出し、紗夜の肌を撫で始めた。ほっそりとした首を辿り、浮き出た鎖骨をなぞって膨らんだ乳房に触れる。
「あ……」
「準備をするから、おとなしく身を委ねていろ」
男が静かな口調で囁いた。
視力に頼れないぶん、紗夜は人の声を聞き分けるのが得意だが、彼の声はこれまで聞いてきた男たちの声と比べると特徴的だった。声質はやや掠れ気味で、音の調子はかなり低め。落ち着いたしゃべり方をするので一音一音がはっきりと聞き取りやすい。
聴覚に集中していたせいか、硬い手のひらで乳房を揉まれた瞬間、紗夜は驚いて身震いをした。
──この人は、私を抱こうとしている?
紗夜も年頃の娘であるから、男が女を抱く細かい手順は分からずとも、子供を作るための行為であるという知識はあった。
いよいよ本能が警鐘を打ち鳴らし、力の入らない手を必死に持ち上げる。胸に添えられた男の手を振りほどき、ふらつく身体を支えながら前のめりになった。
死ぬことは、この上なく恐ろしい。
しかし、紗夜とて女だ。何者か知れない男に身体を暴かれて、女として貶められるのもひどく恐ろしかった。
褥の上を這おうとするが、脱力した四肢は意思のとおりに動かない。
敷布を握りしめて身を捩るのが精一杯で、次から次へと恐ろしいことばかり起きるから鼻の奥が熱くなった。閉じた眦に涙がじわりと溜まってくる。
決死の思いで、背後の男から逃れるために震える手を上のほうへ伸ばした。
「……嫌……怖い……」
痺れのせいで舌もうまく回らなかったが、口から零れ落ちた言葉を掬い上げるように顎をとられる。
男の吐息が頬を掠めて、恐れおののく唇の端に口づけられた。
「怖がるな。ただ交わるだけだから」
交わる……ならば、やはり抱かれるのだと涙が溢れたが、背中をさする男の手つきは乱暴に手籠めにするというよりも穏やかで宥めるみたいな触れ方だ。
「お前を生かすために必要なことなんだ。応急処置ではあるがな」
彼の声色には憂いの響きがあった。欲に駆られている様子はなく、紗夜が落ち着くまで辛抱強く待ってくれる。
力ずくで犯される気配はないと分かり、恐怖に支配されていた紗夜の頭も冷えてきた。
しかし交わるのが必要とは、いったいどんな理屈なのだ。
見ず知らずの男が、何故そこまでして彼女を生かそうとするのかも理解できない。
「……よく、分からない、けど……生き延びた、ところで……意味が、ないの」
紗夜はそう絞り出して敷布に突っ伏した。手の甲に顔を押し当てると、睫毛がしっとりと濡れている。
この目は何も映さないというのに一丁前に涙が出るのだ。
「誰も、私を……必要として、いないから……」
村の人々は儀式のために紗夜の死を願った。生きて戻っても、今まで以上に腫れ物扱いされるに決まっている。そして自分は孤独であると思い知らされるのだ。
それならばいっそのこと身体や心の痛みに抗うことなく、楽になってしまったほうがいいのではないか。
途切れ途切れに心中を吐露したら、強めに肩を抱き寄せられた。大きな腕の中に包みこまれて、やや棘のある口調で叱られる。
「誰も必要としていないだと? 何を馬鹿なことを」
「……でも、本当で……」
「いいや。お前を必要としている奴はいる」
「どこ、に……?」
「……ここに」
「?」
「俺が、お前を必要としている」
紗夜ははっと息を止めて、男の相貌があるはずの場所に顔を向けた。
何もない暗闇の向こうから苛立った彼の声がする。
「だから、馬鹿なことを言うな」
「……あなた、こそ……何を、言うの……私、あなたの、名前すら……知らないのに」
「俺の名は、時雨だ」
「時雨……?」
発音してみて、あれ、と思う。この名の響きはどこかで聞いた気がする。
けれども、どこで?
紗夜が口を噤むと、男──時雨の手のひらが頬に添えられた。
「俺の名を覚えておけ。生きる望みも捨てるな。それとも、本当にこんなところで死にたいのか?」
力強い声色で問いかけられて奥歯をぐっと噛みしめた。
紗夜は盲目でも諦めてはならぬと自分を鼓舞し、これまで生きてきたのだ。
人々から蔑ろにされて、いっそ死んでしまったほうが楽だと思えるくらい絶望していても、心の奥底では──。
『俺が、お前を必要としている』
先ほど男が放った言葉が脳裏を過ぎって、わななく唇を動かした。
「……死にたく、ない……」
なけなしの矜持をもって答えたら、褒めるように頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「だったら、そう駄々を捏ねるな。苦しいことはしないから」
仰向けに転がされて、指の腹で慰撫するみたいに睫毛の縁をなぞられる。目尻に溜まった涙の雫まで拭いとられた。
その手つきがあまりに優しいから、紗夜は強張った肩の力を抜く。
先刻まで逃げ出したくなるほど怖かったはずなのに、なんだか毒気を抜かれた心地になってしまった。
「時雨、さん……」
「時雨、でいい」
「……時雨……どうしても……交わらないと、だめ、なの?」
「だめだな。放っておいたら、お前は死んでしまうから」
時雨の手が離れていき、ぽんっと密封されたものの蓋を開ける音がした。たちまち甘い香りが鼻腔をくすぐる。
何の香りだろうかと不思議に思っていたら、太腿の間にとろみのある冷たい液体──おそらく香油が垂らされた。
驚いて揺れた足首を掴まれ、横に押し開かれる。垂らした香油を不浄の場所に塗りつけられた。
「っ、ん……」
「怖ければ眠らせることもできるが、何をされたか分からず、あとで怖くなるかもしれないだろう。お前がおとなしくしていたら、さほど時間もかからない」
「……そう、なの……経験が、ないから……よく、分からない……」
消え入りそうな声で告げたら、時雨が身体を少し揺らし、くくっと喉を鳴らした。どうやら笑ったらしい。
「俺も交尾の経験はないぞ」
──交尾?
なにやら動物的で生々しい言葉選びにうろたえると、また紗夜が怖がっていると思ったのか「安心しろ」と言われた。
「やり方は分かる。乱暴に扱ったりはしないからな」
紗夜は見えない目をおそるおそる開ける。
──何故なのかしら。
彼女に触れる時雨の手つきや、降り注ぐ言葉とそれを紡ぐ声は、どれも出会った瞬間から優しい気がする。
──それに、彼は私を『必要としている』と言った……『死ぬな』とも。
いつも相手の声色から心情を推し量るが、時雨は終始真剣で、冗談で言っているようには思えなかった。なによりも直球の言葉が胸にしみる。
村人たちの憐みや同情の言葉よりも、出会ったばかりの男の言葉のほうが胸に響くなんて、まったくもって皮肉なことだけれども。
──それに彼が来なかったら、私は間違いなく死んでいた。
「まだ怖いか?」
「……さっきより、怖くは、なくなった……あなたは、優しい、気がして」
「そうだろう。俺は存外、優しい男だからな」
応じる声がどことなく嬉しそうである。
「その調子で、身を委ねていろ」
足の間を探っていた指が秘部を見つけて、香油を絡めながら挿しこまれた。
麻痺のせいで感覚は鈍っていたが、ぬるぬると緩慢に出し入れをされると腹の奥がじんと熱くなる。
「はぁ……」
時雨の指が動くたびに下半身からくちゅくちゅと濡れた音がした。
蜜路を入念にほぐされて痒いような、もどかしいような感覚に見舞われて、苦痛の呻きとは違う吐息が零れる。
「ん……は……ふぅ……」
顔を横に向けて、あえかな声を漏らしていたら急に顎を掴まれた。
柔らかいもので口を塞がれたので、今度は何だと困惑するが、時雨の舌が口内に入ってきたことで接吻だと知る。
「あ……し、ぐれ……ん、っ……」
初めての口づけに動揺していると、いたいけな唇をたっぷりと舐め回された。長くてざらついた舌が口の中を好き放題にかき混ぜて、ちゅっと音を立てて離れる。
紗夜がはふはふと息をしたら、次は顔の至るところに唇を押し当てられた。
たえまなく降り注ぐ口づけは甘く、ひたすら愛でられている気がする。
再び接吻されたので無意識に口を開けると、すかさず時雨の舌が忍びこんできた。
「ん……んん、っ……は……」
「……ふ……口吸いは、心地いいものだな……だが、そろそろ、こっちも──」
時雨の乱れた呼吸が鼻先をくすぐっていく。
下半身を弄っていた指が抜かれて、蕩けた隘路に硬い逸物が押しつけられた。
「ほら、お前の中に入るぞ」
「……あ、っ……」
じっくりとほぐされて、濡れそぼつ割れ目に太い陰茎が埋められる。狭い道をずぶずぶと抉じ開けられても破瓜の痛みはなかった。
一度も止まることなく、ずんっと最奥まで穿たれて重たい衝撃が駆け抜ける。
紗夜が思わず息を止めたら、耳元で「怖くないから」と掠れた声がした。
「手を貸せ……怖ければ、握っていろ」
狼狽する紗夜を宥めつつ、時雨が痺れた手をとって恋仲のように指を絡めた。口を吸い、淫蕩に舌を動かしながら腰を揺らし始める。
深々と埋められた陰茎がずるりと出ていって、再び奥まで入ってきた。
「あっ……うっ……は、っ……は……」
ゆったりと腰を揺すられて勝手に声が出てしまう。
ぐちゅり、ぐちゅり、と秘部からぬかるんだ音がした。下半身を押しつけられるたびに彼の太腿が臀部に当たり、ぱんっと軽やかな打擲音が交じる。
そこに時雨の荒々しい吐息が加わると、鼓膜に届く音が何もかも卑猥に感じられた。
「ん、っ……あっ、あ……」
「ふぅ……」
紗夜にのしかかり、身体を揺らしている時雨は時折、感じ入った低めの声を漏らす。
──ああ、もう……何が、どうなっているのか、分からない……。
徐々に腰の動きが速くなる。ぱんっ、ぱんっ、と肌のぶつかる音が激しくなった。
低く色っぽい吐息が耳朶に吹きかけられて、時雨の息遣いが段々と切羽詰まったものに変わっていく。
「は、っ……紗夜……」
「ん……ん……時、雨……」
紗夜が名を呼び返した途端、獲物を齧るように口づけをされ、繋いだ手をほどかれる代わりに抱きしめられた。下腹部から臍のあたりに、体内に押しこまれている男根とよく似た棒みたいなものがずりずりと当たる。
しかし、その正体が判然としないうちに腰をずんっと押し上げられた。
深く繋がった瞬間、最奥で熱が弾ける。
「……あっ……」
思わず身動ぎをしたら臀部を掴まれ、動けないよう固定された。
時雨の腕にがっちりと抱きこまれたまま、緩やかに腰が揺れて腹の奥にびゅくびゅくと精を注がれる。
「紗夜……」
顎をとられて、ちゅうっと口を吸われた。
口づけている間も吐精は続き、結合部から溢れるほどに種付けされる。
紗夜はぐったりと身を委ねていたが、やにわに体内がどくん、と脈打った。
どくん、どくん、と脈打つたびに、温かな湯に浸かった時みたいな心地よさに全身が包まれていく。
痺れは抜けてきたが、気だるい身体はぽかぽかと温かく、あれだけ身を苛んでいた痛みも消えていた。
「……あたた、かい……」
「妖力を注いだから、それに順応しているんだ。これで、もっと楽になる」
──ようりょく、って何……?
呆けていると、隣に寝転んだ時雨が「よく頑張ったな」と褒めて頭を撫でてくれる。
彼の声と手のひらはやっぱりとても優しくて、抱かれてしまったというのに安堵感に包みこまれた。自然と涙まで溢れてくる。
「っ、う……ふぅ……」
「ああ、泣くな、泣くな」
時雨が緩やかな口調で宥めて、泣きじゃくる紗夜を腕に抱きこんだ。
「もう苦しくはないだろうが」
紗夜はくすんと洟を啜って彼の胸板に顔を押しつけた。もともと体温が低めなのか、ひんやりとして心地よい。
「ひとまず、これで死にはしないはずだ。あとは、ゆっくり休め」
時雨の声に耳を澄ませていると強い眠気が襲ってきた。
紗夜が泣き疲れて寝入ってしまうまで、彼の温もりはすぐそこにあった。