悪役令嬢の継母なので娘を全力で愛でるはずが、氷の皇帝の心を溶かしてしまったようです 1
「──以上の罪を以て、シルヴィア・ルーストを国外追放の処分とする!!」
白い髭を蓄えた男が高らかな声を上げ、会場中の視線が自分に突き刺さる。
シルヴィアって誰だろう。ぼんやりと立ちすくんだまま思案して、はっと我に返った。
それは「この世界」での、自分の名だ──。
元々の名前は森野舞子。日本で営業職に就いていた普通の会社員だったはず。
しかし同時に、西洋風のこの世界で貴族令嬢のシルヴィアとして過ごした記憶も存在している。
情報量の多さに整理が追いつかず、ずきずきと頭痛がして、思わず顔をしかめた。
(落ち着いて。とりあえず、今のわたしは『シルヴィア』なのね?)
信じがたい話だが、小説や漫画のヒロインがよく遭遇する、いわゆる異世界転生をしてしまったらしい。
ここはどこかのお城のようで、高い天井には大きなシャンデリアがぶら下がっていた。ホールの中は煌びやかな盛装で着飾った者たちで溢れている。
窓の外は暗い。なにかのパーティーだろうか?
(そう、パーティー。……王子の誕生パーティーよ)
混線していた記憶を整理していくと、段々と自分の状況を思い出してきた。
シルヴィアはここ、ギタレス王国の男爵令嬢で、今日は王子の誕生パーティーに招待されていたはず。
参加者たちはシルヴィアを遠巻きに眺めている。
その視線は憎々しげで、先ほど宣告された国外追放がこの場の総意だと窺えた。
(転生早々に絶体絶命の状況ってこと? わたしは一体なにをしたのかしら……)
頭痛を堪えてさらに記憶を辿ろうとするが、そのとき群衆の中からいきなり、人をかき分けて男が飛び出してきた。男は勢い余ってつんのめり、そのままシルヴィアの足元に縋りつく。
「いやだよ、シルヴィア!! どうしてきみが国外追放なんかにならなきゃいけないんだ!!」
若い男だ。金髪に碧の瞳。見目は悪くないのだろうが、今はいかんせん涙で顔がぐしゃぐしゃである。
誰なのだろう。この場で唯一、シルヴィアの罰を悲しんでくれる人。親しい仲には違いないはずだが──。
(そうよ、これが王子じゃない)
この国の第一王子、クリスだ。今日のパーティーの主役である。
思い出せてすっきりしていると、さらにもう一人、若い男が進み出てきた。
「クリス殿下、その女から離れてください。あなたは騙されている」
(う、また知らない人が……)
シルヴィアの視線に気づいた男が、侮蔑の笑みを向けてくる。
「どうしたんです、そんなに見つめて。身内を売った弟が憎いですか、姉さん?」
「弟……」
ヒントを得て、ようやく思い出す。彼は二つ年下のスチュアートだ。
無事名前を思い出せたのは良かったのだが、どうやらシルヴィアの罪を告発したのは彼らしい。家族から断罪を仕向けられるなんて、なにをしたというのだろうか。
シルヴィアの足元に縋りついていたクリスが立ち上がり、スチュアートを睨みつける。
「売ったってどういうことだ。きみがシルヴィアになにかしたのか」
「嘘をついて貶めたわけではないですよ。ただ、姉さんの保管していた手紙やら高価な贈り物やらを証拠として提出しただけです。その女はとんでもない悪女だと気づきませんでしたか?」
「悪女だなんてとんでもない! シルヴィアは僕の愛しい恋人だ!」
「殿下以外にたくさんの恋人がいたとしても?」
「え……」
王子の顔が引き攣る。
「やはりご存じなかったのですか。姉は多数の男性と恋人関係となり、多額の金品を要求していました。その中の一人が殿下です。贈り物によって国庫は逼迫し、周囲は危機感を抱いていたのですよ。さらに妃の立場までねだっていたというではないですか。その毒婦が国母となるなど国の破滅に等しい」
「う、嘘だ……シルヴィアに僕以外の恋人がいたなんて……」
王子はその場にぺたりと尻餅をついた。
その拍子に、胸のポケットからなにか小さなものが転がり落ちる。
床の上でくるくると回るのは、大きなダイヤモンドのついた指輪だった。
「今日結婚を申し込むつもりだったのですね。間一髪でした」
胸をなで下ろすスチュアートへ、先ほどシルヴィアへの罰を宣告した老齢の男性が近づいていく。
「ご協力感謝する。きみが手を回してくれたおかげで、充分な証拠が集まった」
「いえ、ルースト家から妃を輩出する名誉以上に、あの性悪女が王族の一員になることが耐えられませんでしたから」
老齢の男は大臣かなにかだろうか。
一仕事を終えたように晴れやかな顔の二人を、シルヴィアはぼんやりと眺めていた。
(つまり、わたし──シルヴィアは、男にだらしなくて、付き合っていた男性のうちの一人が王子だったわけね。目に余るほどのプレゼントを要求して、さらには結婚まで迫っていたみたい。王子は盲目的にわたしを愛していたようだけど、浮気を知って目が覚めた、と……)
事情はわかった。
しかし大問題が一つ。
これは、一体なんという物語の世界なのだろう。
異世界転生というのは普通、なんらかのお話の世界に転生するものだ。
乙女ゲームの世界が一般的な気がするが、あいにく転生前にゲームをする趣味はなかった。
普通はなじみのある世界に転生するはず。小説や漫画なら好きだったから、そのどれかだろうか。
今のところ、知っているキャラクターが一人も出てこないので、特定が困難だ。
(は、早く思い出さないと。このあとのストーリーを知っているかどうかで、生き延びる難易度が変わるんだから)
努めて冷静に、と思っていたシルヴィアだが、いよいよ胸中に焦りが見えてくる。
このままだと国外追放だ。
罪人に情けなどあるはずがない。着の身着のままで放り出されたら飢えて死ぬか、犯罪に巻き込まれて死ぬか──どっちにしろ近いうちに死ぬ未来しか見えない。
(わたしって、悪役令嬢なのかしら?)
シルヴィアはとんでもない性悪女だ。
ということは転生者としてはよくある、悪役令嬢になった……?
だがシルヴィア・ルーストというキャラクターは悪役令嬢どころか、どの作品でも目にしたことがない気がする。
「待ってほしい」
混乱により頭痛がさらにひどくなってきたとき。
静かな、しかしよく通る声がホールに響いた。
ざわめきが自然と収まり、人々が道を空ける。
そこを泰然とした足取りで歩いてきた若い男がいた。
男はまっすぐ、シルヴィアの前まで進み出る。
自然と居住まいを正してしまう、その場の雰囲気を引き締めるオーラを纏った男だった。
さらりと流れる銀髪に、氷のごとく冷ややかな温度を宿した青い瞳。
精巧な人形めいて整った外見には、熱を感じない。触れてもひやりと冷たいのでは、と思わせる極寒の夜のような美貌──。
「ラーシュ陛下」
スチュアートがつぶやく。
目の前の男はラーシュ、というらしい。
シルヴィアは彼を見つめたまま動けなかった。
こんな美しい人に会うのははじめてで。
ラーシュもまた、シルヴィアをじっと見つめている。
そしておもむろに、その場に跪いた。
固唾を呑んで見守っていた周囲からざわめきが上がる。
「シルヴィア・ルースト」
「は、はい……?」
「私と結婚してほしい」
ラーシュがそっとシルヴィアの手を取る。ざわめきが一層大きくなった。
白い手袋越しにほのかなぬくもりを感じる。ちゃんと人間だ、と当たり前のことを無意識に思った。
「な、なにをおっしゃっているのです!?」
大臣が唖然としている。
「なにか問題があるのか?」
「も、問題と申しますか……」
「この国からは追放されるのだから、私が貰い受けても構わないだろう」
どこまでも淡々と話すラーシュに、大臣はなにか言いかけ、そして結局言葉にならずに口をぱくぱくさせただけで終わった。
「返答は」
再び、ラーシュの視線がこちらに向く。
その静かな迫力に、シルヴィアはごくりと唾を飲み込んだ。
(このシチュエーション自体は、何度も読んだことがある)
絶体絶命の悪役令嬢に救いの手が差し伸べられるシーン。しかも絶世の美男子からの求婚という極上のご褒美だ。
まさに今の状況と同じだが、ときめきよりも緊張感のほうが遥かに上回っているのは、ラーシュがにこりともしないからだろうか。
彼は徹頭徹尾、無表情である。言葉にも抑揚がなく、なにを考えているのかわからない。
跪いてのプロポーズなんてロマンチックなはずなのに、ちっとも甘い雰囲気は感じなかった。
本当に自分を好きなのだろうか。──これはなにかの罠なのでは?
そう疑いたくなるほどに。
なにより──。
(ラーシュって人も、知らない……)
こんな美青年、どの作品のキャラだとしても絶対に覚えているはずなのに、彼にも見覚えがない。
先の展開がわからない以上、ラーシュも警戒しないといけないに決まっている。
だが、シルヴィアにはそもそも選択肢がないのだ。
このまま国に留まれば、追放。それは死を意味する。
だったら、ラーシュを選ぶしかない。少しでも生存の可能性があるのならば。
「ありがたくお受けいたしますわ」
差し出された手をきゅっと握ると、ラーシュはちらりと足元に目をやった。
そして落ちていた、小さな銀の輪を拾い上げる。
クリス王子が持っていた、プロポーズ用の指輪。それを躊躇なく、シルヴィアの指にはめた。
(他人の準備してきた指輪を使い回した……!?)
「すぐに出立の用意をしろ」
求婚が受け入れられたというのに、特段嬉しそうな素振りもない。
言葉は淡々としていて、まるで捕虜かなにかにでもなった気分だ。
左手の薬指には指の太さにも迫るほど巨大なダイヤが輝いているけれど、こんなに最低なプロポーズはないと思った。
ひとまず、この指輪は、視界の端で憔悴している王子にあとで返しておこうと心に決めた。
◇
シルヴィアは艶のある長い黒髪と、漆黒の大きな瞳が印象的な美女である。
前世ではごくごく平凡な見た目だったから、こんな状況でもなければ美貌の女性に生まれ変われて喜んだだろう。
けれど今は呑気なことを言っている場合ではない。
シルヴィアとしての記憶は、日本で森野舞子として暮らしていたときの記憶と同じく脳内に刻まれているけれど、自分がどんな作品のキャラだったかは、相変わらず思い出せない。
シルヴィアは特段、作品の展開には関与しないキャラ、つまりモブだったのだろうか。
(あの『ラーシュ』って人も?)
真夜中の寝室で、ベッドに寝転がったシルヴィアはぼんやりと考え込んでいた。
祖国であるギタレス王国をあとにし、ローガイル帝国に辿り着いたのが今日。
元々、追放される予定だった故郷では別れを惜しんでくれる人もいなかった。
なりふり構わずお相手をとっかえひっかえしていたせいで、近しい歳の令嬢に友達はいないし、家族からも一族の恥さらしだと思われていたようだ。
恋人だったという男たちも、表立ってシルヴィアとの付き合いが知られると外聞が悪いと思ったらしい。
最低限の荷物を馬車に詰め込み、旅立ったのが三日前だ。
行く先があるというだけで、出立の雰囲気は追放とそう変わらない。
おそらくもう二度と祖国に帰ることはないだろう。誰にも望まれていないのだし、シルヴィア自身、ギタレス王国への未練があるわけではない。
元のシルヴィアの記憶も共有しているが、感覚は森野舞子のもののようだ。祖国はどこかと自問すれば、日本だという自覚がある。
ローガイル帝国に入って、ラーシュが寄越した馬車はそのまま教会に向かった。
そこでは相変わらず静謐な美貌を放つラーシュが待ち構えており、そのまま結婚の誓約書にサインをした。
久方ぶりの再会を喜ぶでもなく、結婚に浮き立つでもなく、淡々と儀式は進む。結婚ではなく、連帯保証人になるサインなのかと錯覚するくらいに、甘やかな雰囲気にはほど遠くて。婚姻とはいわゆる一つの契約なのである、ということをいやでも理解させられた。
そして実感のないままラーシュの妻になり、王城に部屋を与えられ、今に至るわけである。
移動と緊張で疲れた身体を休めたいのに、神経が高ぶって眠れそうにない。
ラーシュ・エル・ディスベルはこの国の皇帝だ。
そんなたいそうな御仁の結婚が、参列者もいない教会でひっそりと執り行われるのは意外だった。
あの美しい顔──。彼も自分と同じくこの世界のモブだなんて、信じられない。だとしたらどれほど顔面偏差値の高い世界観だろう。
(わたしはこのまま普通に生活していて生き残れるのかしら)
一番気になるのはそこだ。
なんの作品に転生したのかがわかれば、先の展開を知れる。
国外追放から一命を取り留めたものの、結局嫁ぎ先で呆気なく命を落としました、なんてことがあっては元も子もない。
だから早く思い出したいのに。
(ラーシュ・エル・ディスベル……聞き覚えがあるような気もするんだけど……)
舞子の記憶をたぐり寄せても、辿り着くのはこのあたりまでが限界だった。
転生先を思い出したい理由がもう一つ。
一体なぜラーシュは自分と結婚したのか。その事情を知りたいから。
あの冷たい態度は実は素直になれないだけ。彼は超絶ツンデレなのだ、という可能性も移動中の馬車で案じたが、実際に再会してみると、それはかなり甘い考えだと感じた。
誓約書へのサインが終わって一歩後ろに下がったとき、シルヴィアはバランスを崩してふらついた。隣にいるラーシュに肩が軽く当たったけれど、彼は手を差し伸べるでもなく表情一つ変えずにこちらを一瞥しただけだった。
もしも相手が好きな女性だったら、さすがにあの場面でなんの反応もせずにいるなんて不可能だろう。触れたことに赤面したり、身体を支えようとしたりするはずだ。
(でもわたしと結婚するメリットなんてほかにない気がするのよね)
シルヴィアの持ち味はたぐいまれな美貌だけ。
実家の財力は貴族の中では低いほうだし、大国の皇帝が惹かれるものではないはず。
結婚を承諾してくれるなら誰でも良かったのだとしても、わざわざ人望のない悪女を相手に選ぶだろうか。
ラーシュがなにを考えているのかわからない。わからないから、怖い。
彼に対して、若干の恐怖心が芽生えている。
少なくとも、今後の生活がシルヴィアの想像する新婚夫婦のそれとはまるで違うものになるのは明らかだ。
何度目かの深いため息をついていると、がちゃりと音がして部屋の扉が開いた。
そこからつかつかと中に入ってきたのは、ラーシュその人だった。
「えっ!?」
シルヴィアは跳ね起きる。
「あ、あの、部屋をお間違えでは……? ここはわたしの部屋だと聞いていますが……」
「皇妃の部屋だ。私が入っても問題ない」
顔色一つ変えずに言い放たれ、そういうものだろうかと納得しかけるが、
(いや、おかしいでしょう! 女性の部屋に無断で入って、悪びれもしないって)
結婚して妃になったけれど、ラーシュの所有物になったつもりはない。
どんな夫婦だって、相手の部屋に入るのに許可くらい得るだろう。モラルのない発言に、警戒心が強くなる。
ラーシュはベッドの前に仁王立ちしている。
シンプルなシャツとトラウザーズというラフな格好だが、このまま眠るつもりだったシルヴィアのほうはナイトドレスというさらにしどけない姿だ。
薄着なのが急に心許なく思えて、側にあった掛布を胸の上まで引っ張り上げた。
「話をしに来た」
そんなシルヴィアの素振りなど気にする様子もなく、ラーシュが突然切り出す。
「は、話ですか?」
「この結婚についてだ。お前にはやってもらわないといけないことがある」
それを聞いて、幾分か安心した。
ちょうどシルヴィアも結婚に至った理由を知りたいと思っていたところだ。
デリカシーには欠けるけれど、彼も対話をするつもりはあるらしい。
「お疲れのところご配慮いただき感謝いたしますわ。陛下がわたしを選んでくださった理由を、ぜひ知りたいと思っていたところです」
シルヴィアは、自分も対話をするつもりがあるのだと示すように、穏やかな口調で告げた。
「それでわたしのやるべきこととは──」
「お前には、娘の教育係になってもらう」
「え……」
思わず言葉を失った。
彼に子供がいるなんてまるで想定していなかったのだ。
(そ、それって前妻との子供? どうして別れたのかしら……。娘って、つまり女の子よね。何歳? どんな性格? 教育って、どの分野の……。そもそも『シルヴィア』が教えられる知識や技術ってあるのかしら。学業に秀でていたってことはないみたいだけど)
疑問が脳内を駆け巡る。
知り合って間もないのにずけずけ聞いてもいいのだろうか。
遠慮の気持ちが先に立つが、目の前にいるのは夫なのだ。夫婦が子供の教育方針について話すのは普通のこと。
本気で向き合わなければ、相手だってこちらを信用してはくれないだろう。
「ええと、まずは娘さんの名前を教えていただけますか? それから、以前の妃にその役目を任せないのはなぜでしょう? 娘さんは納得しているのかしら。新しい母親だなんて急に言われても反発するんじゃ──」
「名はアリスだ。年は十歳。それ以上の詮索は不要だ」
断定的な口調に二の句が継げない。どうやら、相手は対話をしに来たわけではないらしい。これは命令なのだと言外に告げる強い口調だった。
「お前にはアリスに『悪女教育』を施してもらう」
「……なんですって?」
「財も学もないというのに、ほかの女たちを出し抜いて王子の婚約者にまで上り詰めたその手管をアリスに教え込め。私の娘を、完璧な悪女に仕立て上げること。それがお前の仕事だ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
なるほど、シルヴィアの得意分野は「悪女」。それはそうかもしれないが、教育係になれなんて到底納得できない。
(この人、一体どうして自分の娘を悪女になんてしたいのよ)
普通なら子供には、品行方正に生きてほしいと思うものではないだろうか。
混乱していると、ラーシュがベッドに片膝をのせた。
はずみでぎしりとマットが軋む。
「は──?」
「報酬ならくれてやる」
掛布をむしり取られ、そのまま肩をとんと押される。
油断していたシルヴィアはベッドに仰向けに転がされた。
「お前は、ゆくゆくは妃になりたかったのだろう。それで王子に取り入った」
「え、ちょっと……」
「私の子種をやる。これで妃の立場は揺るぎないものになる」
ナイトドレスの裾をぞんざいに捲り上げられる。
夜の冷気が素足を撫でた。
そのままラーシュがドロワーズに手をかけたものだから、慌てて腰元を押さえる。
「待って!!」
「手を退けろ。私は、お前を愛するつもりはない。お前がたぶらかしてきた男たちのように献身的な貢ぎ物や情熱的な愛撫を与えられると思うな。ただ結果だけをもたらせ。そうすれば私も報酬をやると言っているんだ」
こちらを見下ろすラーシュの瞳はどこまでも冷たい。
「そうだな……週に一度だ。教育の成果を報告しろ。そのたび、子種を注いでやる。今日の分は契約締結に際する報酬と思っていい」
結婚も性交も、彼にとっては感情の伴わない儀式の一つでしかない。
そのことが痛いほどに伝わってくる。
求めるのはその先の結果だけなのだ。
娘を悪女にしたいから、その師を探していた。それだけ。シルヴィアに求婚したのは、至極単純な理由で。
利害関係の一致、といえばそうなのだろう。
もしかしたら、転生に気づく前のシルヴィアなら喜んで受け入れたのかもしれない。
けれど、今のシルヴィアは──。
「待って……」
声帯が強張って、か細い声で制止する。
しんと静まりかえった部屋では聞こえないはずがないのに、ラーシュは無遠慮にドロワーズを引き下ろした。
白い肌が暗闇にぼんやりと浮かび上がる。
「待って、待ってってば……」
泣き出しそうに声が震えるのも無視された。膝裏に手がかけられ、頭の中で我慢していたなにかがぶつんと切れる。
「ま……っ、待てって言ってるでしょう!?」
ぎゅっと握った右手の拳をぶんっと横にスイングする。
ゴッ、と鈍い音がして、ラーシュが頬を押さえてうずくまった。
「っ……!」
「聞きなさいよ、人の話!! なに一人で納得してんのよ!! わたしが待てって言ってる以上、契約が成立してないのよ!!」
「お、前……」
顔を上げたラーシュは痛みでなのか怒りでなのか、わずかに顔を歪めていた。
無表情でないラーシュをはじめて見た、と思った。
興奮していて気づかなかったが、拳にはじんじんと熱を持った痛みがある。
人を殴ったのなんてはじめてだ。加減がわからず、とにかく目一杯、腕を振った。相手も油断していただろうから、相当痛かったはず。
恐怖を振り切って大声を上げた。そうしたらもう、止まらなかった。
「誰があんたの子種なんているもんですか!! この性犯罪者!! 二度とわたしに触らないでよ!!」
言いたいことを吐き出すと、胸がすっとした。
先ほどまでとはまるで態度の違うシルヴィアに、ラーシュはただひたすら唖然としていた。