悪役令嬢の継母なので娘を全力で愛でるはずが、氷の皇帝の心を溶かしてしまったようです 2
(やってしまった……)
結婚から一夜明けて、シルヴィアは青い顔で城の渡り廊下をふらふらと歩いていた。
昨夜は結局、悶々と考え事をしていてほとんど眠れなかった。太陽の眩しさが目にしみる。
拳をくらって唖然としていたラーシュは、特になにも言わないまま部屋を去ったけれど、内心どう思ったのか、気が気ではない。
せっかく追放から一命を取り留めたと思ったのに、自分でみすみす命を縮めるような真似をするなんて。
(絶対怒らせたわよね……)
大国の皇帝を思い切りぶん殴ってしまった。即刻斬首などと言い渡されたらどうしよう。
ラーシュなら、あの無表情で淡々と刑を言い渡しそうだ。
自分の考えが間違っているとは思わない。
同意もないのに条件を突きつけて、襲おうとしてきた。ここで怒らずにどうする、というほど無礼な態度だ。
けれどシルヴィアは崖っぷち男爵令嬢。相手の身分と照らし合わせたとき、正論がまかり通るかは厳しいものがある。
本心を隠して謝れば、ラーシュはまたチャンスをくれるだろうか。
子種はいらないが、命は惜しい。
自分は彼の望むものを差し出せるのだろうか。
そもそも、無理な話だ。自分はもう悪女じゃない。男を手玉に取る術など知らない。
(……それに、やっぱり謝るなんていや)
相手も頭を下げるならともかく、こちらが一方的に謝罪するなんておかしい。
憎たらしいほどに整ったラーシュの相貌を思い浮かべて苛立っていると、目の前にひらりとリボンが飛んできた。
反射的にそれを捕まえる。
シルクの水色のリボンだ。
一体なぜこんなものが──。
「ごめんなさい!」
頭上より、少し鼻に掛かった、焦りを帯びた声が聞こえた。
仰ぎ見れば、二階の部屋の窓から十歳頃の女の子が身を乗り出している。
「すぐ取りに行きます」
しばらくその場で待っていると、先ほどの女の子が髪をなびかせて走ってくる。
ふわふわの長い銀髪に大きな青い瞳。とてつもない美少女だ。
「あの、拾ってくださってありがとうございました」
あまりのかわいらしさに目を奪われてしまう。女の子はシルヴィアの前までやってきて、ぺこりと頭を下げる。
シルヴィアははっとして、自分が握っていたリボンを差し出した。
「あ、こ、これよね? はい、どうぞ」
「部屋で髪を結い直そうとしていたら、飛ばされてしまって……」
少女は伏し目がちにリボンを受け取る。
「大変だったわね。ええと、あなた名前は?」
「え……」
怪訝そうな顔をされて、シルヴィアは慌てて言葉を重ねる。
「実はわたし、昨日この城に着いたばかりで、なにも知らないの。知り合いもいないから、よければ出会った人の名前は覚えたいなって」
「そう……なのですか? わたしはアリス、ですが……」
少女の名はアリスというらしい。
ますます訝しげな顔を向けられて、ようやく合点がいった。
(この子がラーシュの娘……!)
昨日彼から名と歳を聞いた。十歳のアリス。彼女に間違いない。言われてみれば銀髪と青い瞳が似ている。
皇帝の娘を知らない人間なんて、この城どころか国中探しても見つけるのが難しいはず。
それで不思議そうな顔をしていたのだろう。
「わ、わたしはシルヴィアといいます。昨日、ラーシュ陛下と結婚したの。突然決まったものだから、なにも知らないままでごめんなさいね」
事実を説明しながらも、アリスからの心証が気になってしかたない。
つまり、昨日付けで自分はあなたの継母になったのよ、と言っているのだ。
到底受け入れられるはずがない。
しかしアリスは特に嫌悪感を示すわけでもなく、なにか納得したように頷いた。
「そうでしたか。こちらこそ存じ上げておらず、失礼いたしました」
「い、いいのよ。本当に突然だったんだもの。あの……もしもなにか気になることがあったら言ってちょうだいね。不満を抱えているのはよくないわ。わたしが言うなって感じでしょうけれど……」
「いえ、不満なんて。わたしが叔父さ……陛下になにか言える立場ではないので」
殊勝な心がけだが、年端もいかぬ少女にしては物わかりが良すぎる。
(まあ、出会って間もないわたしになんでも言って、なんて無理よね……)
たとえ嫌いだとしても、真正面から嫌いだと告げられる人はそういない。
気持ちを打ち明けてもらうには、それがいいものであれ悪いものであれ、ある程度の信頼関係が必要になってくる。
(ちょっと待って、今ラーシュ陛下を叔父さまって言いかけた?)
それが本当なら、彼女は義理の娘なのだろうか。元々はラーシュの姪だった、ということ?
(だからラーシュ陛下に口答えできないの?)
彼が子供を愛する姿が思い浮かばない。アリスに対しても傍若無人な冷たい態度を取っているのではあるまいか。
苛立ちが再燃しそうになったとき、ふと、心にひっかかるものを感じた。
(この子がアリスなら、正式な名前はアリス・エル・ディスベル──)
瞬間、記憶が一つの作品に辿り着く。
『恋と情熱のセレナーデ』。転生前に愛読していたロマンス小説だ。
内容は王道の、貴族社会での身分差のある恋愛模様を描いたラブストーリーである。
壮大な世界観に、夢中で読みふけった作品だった。
その中で、ヒロインをいじめる底意地の悪いキャラクターがいた。彼女は大国の姫でありながら、ヒロインとヒーローの仲を引き裂こうとあの手この手で嫌がらせするのだ。
いわゆる悪役令嬢のポジションである。
そのキャラクターの名前が、アリス・エル・ディスベル。
つまり目の前にいる、この子……?
(い、いやいや、そんなはずないわ。だって小説のアリスは隙のない強気な悪女だったけど、この女の子はどちらかと言えば内気そうだし。たしかに銀髪で青い瞳って、見た目の特徴も一致しているけれど──そもそも小説のアリスは、十七歳なのよ!?)
いや、違う。
だからこそ同一人物なのだ。
目の前のいたいけなアリスが成長し、七年後。どこに出しても恥ずかしくない悪女となったアリスが生きる世界が、小説『恋と情熱のセレナーデ』の世界で。
つまりシルヴィアが転生したここは、『恋と情熱のセレナーデ』の七年前の世界。
ようやく自分がなんの作品に転生したのかがわかり、その衝撃に思わずよろめいた。
「だ、大丈夫ですか……?」
「ええ、軽いめまいだから」
不安げなアリスに片手を上げて問題ないと告げる。
(わたしは悪役令嬢じゃなくて、その継母役だったってわけね。そしてラーシュ陛下は父親。悪役令嬢の両親なんて、そこまで作中でフィーチャーされる存在じゃないもの。どうりでわからないはずよ)
「あの……具合が悪いなら典医のところへ案内しましょうか?」
アリスがおずおずと訊ねてくる。
警戒心は強いが優しい心の持ち主のようだ。
(信じられない……この子が七年後は悪役令嬢だなんて)
小説のアリスは男にだらしなく、色目を使って彼らを手駒にし、ヒロインに苛烈な嫌がらせをしていた。
七年あれば人は変わる。理解はできるが、点と点がうまく繋がらない。
(だって悪役令嬢のアリスは、そのせいで斬首になるのよ!?)
散々悪事をはたらいたアリスは、最後には皆に見捨てられ、広場の中心で斬首刑が執行される。
小説を読んでいたときには納得の結末だったが、幼少期のアリスと出会った今、ひたすら胸が痛んだ。
──もしかして、ラーシュの望む悪女教育の結末が、小説のエピソードに繋がるのでは。
シルヴィアは、はっと息を呑む。
転生前のシルヴィアが、ラーシュの望み通り、アリスへしっかりと悪女教育を施す。そしてアリスは稀代の悪女となるのだ。
(そんなのだめ!!)
無垢な少女への無用な教育が最悪の結末を導き出すなんて。
やはり転生先の作品を思い出せて良かった。
今ならアリスの死を阻止できるではないか。
「……アリス、わたしは今日からあなたの母よ」
「え、は、はい」
突然の宣言にアリスは困惑しつつ小さく頷いた。
シルヴィアとしての人生、やるべきはただ一つ。アリスを悪役令嬢なんかではない素敵なレディに育て上げること。そして、死の運命から救うことだ。
義理とはいえ彼女の母として生まれ変わったのだから。
シルヴィアは使命感に燃えていた。
アリスは城内にて、ほとんど毎日家庭教師の授業を受けている。
様子を見ようと、講堂の後方からそっと入室すれば、黒板の前には神経質そうな眼鏡の女性が立っていた。
広い講堂には生徒が二人。
真剣に教師の話を聞いているアリスと、頬杖をついている男の子だ。
「それでは本日は、ローガイル帝国の成り立ちについておさらいしていきます」
家庭教師の名はカミラ。真っ白な髪をシニヨンに結っている。おばあさん、と言っても差し支えない年齢だが、背筋がぴんと伸びて声にも朗々とした張りがある。
(めちゃくちゃ厳しそうな人ね……)
何年にもわたり王族の家庭教師を務めてきた女性らしい。
厳格な性格だと聞いていたが、実物は予想以上に怖そうだった。
「アリス殿下、この国はどのようにして栄えていったのですか?」
「はい。ローガイル帝国は元々、氷に覆われた大地でした。それを初代の皇帝が炎魔法で切り拓き、人の住める土地にしました。皇帝の力を認めた氷の精霊が皇族に氷魔法を授け、皇族はさらに栄え、現在にまで至ります」
アリスの回答ははきはきとして淀みない。
日頃からよく勉強しているのだろう。
(それにしても面白い伝説よね)
ローガイル帝国については、シルヴィアも図書館の本を借りてざっと調べた。
アリスが答えたように、この北方の地は元々、氷に覆われて人が住むどころではなかったらしい。
そこを冒険家だった男が炎魔法で氷を溶かして、現在の穏やかな気候にしたのだとか。
以来、精霊に一目置かれ、皇族は氷属性の魔法を授かることも増えた、というのがこの話のあらましだ。
炎魔法で氷を溶かしても、気候が変わるほど暖かくなるとは思えないので、おそらくは皇族の権威を示すために作られた神話なのだろう。
幼少期より繰り返し教えられる神話らしく、国民もそれが物語であることを理解しつつ、どこか心の深いところで信じている。
(宗教……とかにも近い気がするわね。習慣みたいに染みつく部分が)
神なんて信じていない、と思っていても、自分の行動や考えのどこかに幼いころからの教えに由来する部分がある。
ごくごく一般的な日本人として暮らしてきた自覚のあるシルヴィアはなんとなくその感覚に近いものがあると思った。
敬虔な信者でないとしても、宗教に由来する考え方は自分の深いところに根付いている。
(でも、魔法が使えること自体は嘘でもなんでもないんだから、本当にすごい世界だわ)
この世界には魔法が存在する。人々は皆、魔力を持っており、その力にはそれぞれ属性がある。いわゆる得意分野のようなものだろうか。
小説で得た知識で、属性については知っていた。
たとえば炎属性はごく一般的な属性だ。
反対に、氷属性はとても珍しい属性である。
ローガイル帝国ではほとんど皇族にしか現れない。この属性を持つ者は、総じて魔力も強いそうだ。
小説の中で、氷属性の皇族が畏怖されていたのも、その強さに加えて建国の証として精霊から与えられた、という特別な由来があったのが理由だろう。
アリス。そして、ラーシュ。
彼らは氷属性の魔法を使う。
選ばれし皇族なのだ。
(でもあの子は炎属性なのよね)
アリスの隣の席に座るのは、イクセル。
ラーシュの妹の子。つまりアリスの従兄弟にあたる。
アリスと同じ十歳だが、受講態度は正反対だ。
椅子に浅く腰掛け眠そうな目で黒板を見ており、教師の目を盗んであくびをしている。
(少しくらい注意すればいいのに)
厳格だと噂のカミラだが、イクセルの姿勢の悪さについてはスルーしている。背筋をぴんと伸ばして座るアリスが隣にいると、余計に目立つのに。
カミラは気にならないのだろうか。
現在は歴史の講義中だ。
多岐にわたる科目ごとに家庭教師がついているが、中でもカミラは総合的な管轄をしており、他の教師の授業内容などもチェックしているらしい。
歴史やマナー、そして魔法など、一部の科目についてはカミラが直接教える手筈になっている。
もしかしたら、態度についてはマナーの時間にたっぷりと教え込むのかもしれない。
「シルヴィアさま、椅子をお持ちしましょうか?」
授業に聞き入っていると、そっと入室してきたシルヴィア付きの侍女、マヤに耳打ちされた。
少し様子を見るだけのつもりが、結構な時間が経っていたらしい。
「いいわ。部屋に戻るわね」
歴史についてはかなり初歩の授業だったようだが、シルヴィアにはちょうどいい知識だった。
もう少し聞いていたい気もするが、それよりもさらなる情報を集めたい。
シルヴィアは侍女を連れて、自室へと戻った。
(アリスが不真面目で遊び呆けているような子だったらどうしようかと思っていたけれど、あれならまったく心配ないわね)
祖国でのシルヴィアのように、怠け者で、しかし浪費が大好きな男好きだったりしたら救いようがない。
けれど現在のアリスは優等生だ。悪役令嬢への道はきっと阻止できるはず。
「シルヴィアさま、お茶の用意が調いました」
レースのクロスが敷かれたテーブルの上には、白磁のティーセットに三段重ねのスイーツ皿。
豪華なアフタヌーンティーセットはいつ見ても心が躍る。
「じゃあお茶にしましょうか。マヤ、付き合ってちょうだい」
声を掛けると、侍女のマヤはぱっと顔を輝かせる。
「お心遣い、光栄にございます」
世話係のメイドは多数いたが、より親しい間柄の付き人が欲しかった。
身支度や食事の準備は自分でもできるが、雑談は一人ではできないからだ。
シルヴィアは今、なにより情報を求めていた。
自分が読んでいた小説の世界とはいえ、現在はその七年前だ。細かい事情はわからない部分も多い。
転生に気づく前のシルヴィアが勉強嫌いだったこともあり、その辺の知識がまるで頭に入っていないのである。
そこで、メイドの一人を侍女として登用した。
マヤは素直で、顔が広い。親しくしている使用人も多く、そういう子には自然と情報が集まる。
「それ、身につけてくれているのね。売って給金の足しにしてくれても良かったのに」
「まさか! シルヴィアさまがせっかくくださったものですから。わたしには値がつけられないほど大切なものです」
マヤのシンプルなデイドレスの胸にはルビーのブローチが光っている。
侍女に任命したとき、お近づきの印にとあげたお下がりだ。
田舎の出身で、王城に勤めて数年。貴族令嬢でもない自分が突然皇妃の侍女になるなんて、とはじめは警戒されていた。しかし、あなたのような素直な子と話したかったのよと説き、プレゼントを贈ったことでかなり心の壁を取り払ってくれたようだ。
(警戒されていた理由が、素行のせいじゃなかったのはラッキーだったわね)
元いたギタレス王国は、ローガイル帝国に比べてかなりの小国だ。いくらシルヴィアが国内で悪女だと言われていても、所詮ただの男爵令嬢。帝国の使用人にまでは悪名が轟いてはいなかったらしい。
事情通といえば貴族令嬢もかなりのものだろうが、そういった人物を話し相手にするのは当初より選択肢から除外していた。
今後必要なら親しい令嬢の友人を作るべきかもしれないけれど、今知りたいのは城の内情についてだ。
それならば使用人が一番詳しいに決まっている。
貴族だと皇妃に取り入ろうという思惑が介在し、情報にノイズが混じる可能性が高いという懸念があった。
それでマヤを選んだが、自分の目に狂いはなかった。
彼女は実際事情通だし、質問に対して的確に答えを返してくれるのも助かる。なにより素直な態度が癒やされた。
ここ、ローガイル帝国はシルヴィアの祖国ギタレス王国の北方に位置する、広大な領地を持つ大国だ。
旧くは戦争で領地を広げてきたという歴史を持つけれど、現在は周辺国と良好な仲を築いており、安定した外交を行っている。
シルヴィアが、自分は不勉強で他国の知識に疎く、急に結婚が決まったものだからこの国について知りたいのだと頭を下げると、喜んで色々教えてくれた。
家庭教師やアリスの従兄弟についても、マヤからあらかじめ聞いていたのだ。
ローガイル帝国は国内の治安も安定しているが、唯一、昔から皇族の帝位争いについては血なまぐさい噂が絶えないのだとか。
向かいあってカップに口をつけると、華やかな香りが鼻腔を掠めた。
「今日のお茶もいい香りね。わたしの好みをもう把握してくれたのね」
「もちろんです。シルヴィアさまは好みをはっきりおっしゃってくれて助かります。他の皇族の方々はあまり食べ物の好みを口にされないそうですから。今は降嫁されましたが、アンジェリカさまも気難しい方だったようで……」
雑談からなにやら気になるキーワードが出てきた。
アンジェリカはラーシュの妹。今日授業を受けていた、イクセルの母である。
彼女は公爵家に嫁いでおり、現在は皇族ではない。
「食にうるさい方だったのかしらね」
「どちらかと言えば食は細かったそうですよ。皇族の方々は皆様その傾向にあられますよね。あ、でも、ご出産されてからはむしろ食欲旺盛になったんじゃないかって。イクセルさまを連れて登城されたときには少しふっくらされたようでしたから」
「少し気になっていたんだけれど、イクセルがアリスと一緒に授業を受けるのは普通なのかしら? カミラは皇族専門の家庭教師でしょう? 厳密には皇族でないイクセルと机を並べるのが不思議だったの」
「アンジェリカさまの強いご意向があったそうですよ。カミラさまも切磋琢磨する相手がいたほうが授業にも身が入るだろうと進言したそうです。アンジェリカさまは皇女であったときには城での生活を嫌い、早く降嫁して城を出たいとおっしゃっていたらしいのですが、イクセルさまがお生まれになってその態度が嘘だったみたいに城に出入りするようになったらしいんです。不思議ですよね」
その話が本当ならば、導かれるシナリオはこうだろうか。
アンジェリカは、自分に子が生まれたことで、その子に帝位を継がせたい気持ちが強くなった。そのため城への出入りも多くなり、当然、自分の子にも皇族と同等の教育を受けさせたいと願い、アリスと同じ授業を望んだ。
こんな筋書きを描いてしまうのは、先代の皇帝夫妻が殺されたと聞いたばかりだからだ。
元々、ラーシュには兄がいた。
父亡きあと、その兄が皇帝の座を継ぎ、ラーシュは彼の右腕として参謀役を務めるのが決まっていたらしい。
しかし二年前、皇帝となった兄とその妃が、食事の席で毒殺された。
犯人は見習い料理人だった。彼は最後まで動機について自供しないまま処刑され、結局真相は闇の中。
一説によれば、帝位を狙った身内が雇ったのだという噂もある。
皇族が不可解な暗殺をされる事件は歴史上、これまでにも起こっていることだ。
帝位を巡って骨肉の争いが起こる国、それがローガイル帝国。
自分で調べた内容とマヤの話を照らし合わせて、シルヴィアはそう結論づけた。
アリスを悪役令嬢にしないための作戦を考えるつもりが、彼女の命を守る策を最優先で考える必要が出てきてしまった。
「ねえ、アリスの交友関係ってわかるかしら。周囲に親しい人はいるの?」
「いえ、親しい人は、今はいないはずです。先代の皇帝陛下と妃殿下が亡くなってから、アリス殿下は部屋で塞ぎ込んでいる時間が長くなり、誰にも心を許していないようですね」
はっとした。
アリスは実の両親を亡くしているのだ。
あの年齢の女の子にとって、それは衝撃的な出来事のはず。
もしかしたら内気だと感じたアリスの態度も、事件を経てそう変化したものなのかもしれない。
(まずはアリスの心のケアを最優先にしたほうがいいみたいね)
シルヴィアは険しい顔で考え込んでいた。