戻る

悪役令嬢の継母なので娘を全力で愛でるはずが、氷の皇帝の心を溶かしてしまったようです 3

第三話

 

 

 翌日。
 アリスの授業は、今日は屋外で行われる。
 場所は城の裏手にある、魔法訓練場。
 巨大な岩が点在する広場に加えて、高い塀にはアーチェリーで使うような円状の的もいくつか設置されていた。
 魔法の実践演習にはここを使う。
 シルヴィアは昨日に引き続いて授業の様子を見に来ていた。
 変わったのは、堂々と家庭教師の隣に陣取ったことだ。
「皇妃殿下、くれぐれも邪魔なされませんよう。魔法には繊細な集中力が必要となります。騒音など立てられますと困ります故」
「もちろんよ」
 カミラの物言いは目上のシルヴィアに対しても遠慮がない。
「それから、授業は未来の皇帝陛下へ向けて行われるものです。将来有望な男性を物色するなどの下賤な思想が垣間見られた暁には即刻退場していただきます」
(おっと……)
 後方に控えているマヤは意味がわからずきょとんとしているが、これは不意打ちの嫌みだ。
 つまり、カミラは知っているのだ。シルヴィアが祖国でどんな悪行を繰り広げていたのか。
 教え子の継母となる女がどのような人物か調べたのだろう。そして少し調査すれば、シルヴィアの振る舞いなど簡単に知ることができる。
 ここでは元のシルヴィアを知る人なんていないと油断していたから、少々ひるんでしまった。
(しかたないわね……この身が起こしてきたことですもの。これからの行いで改心したと信じてもらうしかないわ)
 頭の固そうなカミラに信じてもらえるかはわからないが。
(でもある意味この教師は信頼できるのかしら。こんなことを言うってことは、その分授業に真剣なのよね)
 マヤの用意してくれた椅子に座り、正面からアリス、そしてイクセルを見る。カミラが言っていたのは、イクセルに色目を使うなという意味だろう。
 いくら男好きの悪女だとしても、アリスと同じ十歳の少年に色仕掛けなどしないと思うのだが。
(地位や名誉が大好きだったのなら、そうとも言い切れないのかしら)
 少なくとも、現在のシルヴィアにはそんな趣味はない。
 アリスはシルヴィアの存在など気にする素振りもなく、カミラの話に耳を傾けている。
 イクセルのほうはシルヴィアに対して不審そうな目を向けていた。
 ラーシュが結婚したという事実を知らない人間も多い。シルヴィアを皇妃だとわからず、どうして部外者が見学しているのだろうと訝しんでいるらしい。
(わたしはこれでもアリスの母親よ! アリスに変な真似したら許さないわよ!)
 じっとイクセルを見つめ、視線で圧をかける。
 幼い子に対して大人げないが、アリスの無事がかかっているのだからそんなの気にしていられない。
 居心地が悪くなったのか、イクセルもシルヴィアから視線を外し、カミラに向き直った。
「本日は狩りの形式にて、実践的な魔法の訓練を行います」
 その言葉に、アリスの表情が曇る。
 カミラは地面に置いてあった鉄製の檻の扉を開け放った。途端に、中からこぶし大ほどのねずみが逃げ出していく。
「ねずみはこの広場から出られないよう結界の魔法を張ってあります。的は小さいですから、よく狙って。より多くのねずみを捕らえたほうの勝ちです」
 淡々と説明されるが、ねずみの姿はもう見えなくなっている。
(捕まえるなんてできるの?)
「っしゃー、まあやるか」
 イクセルが一つ伸びをして、あたりにじっと視線を巡らせた。
 小さな影が動く。そこめがけて、ばっと手の平を向けた。
「フローガ!」
 呪文を唱えると同時に影の動いたあたりがぼうっと燃え上がる。
「キィイイッ!!」
 炎の中心ではねずみがのたうち回っていた。肉の焼けるいやな臭いと同時に、鋭い断末魔が聞こえる。
 黒い炭と化したねずみはそのまま動かなくなった。
(うわ……結構残酷なことするのね)
 シルヴィアは思わず顔をしかめて、鼻を手で覆った。
 実践だからしかたないのかもしれないが、生きている動物を的にするなんて。
 けれど皇族たるものいざという時に魔法が使えないと困るのも事実だろう。
 イクセルはこの授業が好きなのか、生き生きとねずみを捕まえていた。
 一方、アリスは苦戦しているようだ。
「クリュス!」
 ねずみを見つけられても、放った魔法が当たらない。
 芝生の上に弾けた氷魔法で霜が降りている。
(座学は得意だけど実技は苦手、ってところかしら。真剣に取り組んではいるようだけど……)
 額に汗を滲ませる姿は、昨日以上に必死だ。
「アリス殿下、先ほどからねずみを一匹も捕らえられていないようですが」
 カミラの鋭い声が飛んで、アリスがびくりと肩を跳ねさせた。
「ご、ごめんなさい……」
「日頃の訓練が足りていないご様子ですね。イクセル様を見習ってもっと精進なさいませんと」
 カミラに嫌みっぽくため息をつかれて、アリスはすっかり萎縮している。
 どうやら、カミラには頑張りを褒めるという考えはないらしい。結果至上主義なのだろう。
(だからってこんな言い方されたらさらに焦って結果が出ないわよ)
「ちょっと、少し伝え方を考えたら──」
「口出しは無用とお伝えしたはずです。方針に逆らうのなら、殿下といえどご退席願うことになりますが」
「な、なんなんですか、その言い方。こちらはシルヴィア皇妃殿下であらせられますよ」
 隣に控えていたマヤが気色ばむ。
 じろりと睨みをきかされるが、マヤもひかない。
「マヤ、大丈夫よ。約束を破ったのはわたしのほう」
 このままだと本当に追い出されそうなので、そっとマヤを諫めた。
 カミラの態度は改めてほしい部分もあるが、今は監視の目的も大きい。立ち入り禁止にされては大変だ。
(……あら?)
 なにやら視線を感じた気がして、建物のほうに視線を向ける。
 訓練場に繋がる渡り廊下には、女性が一人立っていた。
 紺色の地味なワンピース。歳は二十代半ばくらいだろうか。
 浅黒い肌をした、わりと大柄な女性だ。
 きついウェーブの掛かった黒髪をうなじで一つにまとめている。
 女性は演習場に鋭い視線を向けていたが、シルヴィアと一瞬目が合うと、ばつが悪そうな顔をしてそそくさと王城へ戻っていった。
「それでは今日の訓練はここまでといたします。イクセル様、大変良い成績を残されましたね。……アリス殿下は自主的な訓練を怠りませんよう」
 いつの間にかねずみはすべてイクセルが捕まえていたらしい。
 今日の魔法訓練はここまでのようだ。
 アリスはきゅっと唇を噛んで俯いている。
 カミラが去って行くと、アリスはそのまま足早に城へと戻っていってしまった。
 なにか声を掛けようとしたのに、全身で拒絶されたのを感じる。
「アリスはどこへ行ったのかしらね」
「きっとお部屋に戻られたのでしょう。アリス殿下はたいていご自身のお部屋で、お一人で過ごされますから」
「そう……」
 しばしアリスが去ったほうを見つめて、はっと思い出す。
「そういえばさっきの人、一体誰だったのかしら」
「さっきの人、とは?」
「廊下からこっちをじっと見ている人がいたのよ。浅黒い肌の、背の高い女性だったんだけど……」
「ああ、それならブランカですね」
「知っている人なの?」
 てっきり不審者かと思っていたから、知り合いらしいとわかり胸をなで下ろした。
「アリス殿下の侍女です。元々複数いたナニーの一人で、殿下が大きくなられたあとは、直々に侍女へ登用されていたはず。まるで姉妹のような関係でした」
「そんなに仲のいい人がいたのね」
「でも、今はアリス殿下のお側につくことを許されていないようです。先代の皇帝陛下がお亡くなりになってから、アリス殿下は親しい人間を作りませんから」
「元はとても仲が良かったのに?」
「わたしも不思議なんです。たしかにブランカは無口ですけれど、悪い噂があるわけでもないし、人となりをよく知る殿下がどうして今さら疎遠にするのでしょうね」
 シルヴィアもその答えが見つからず、黙り込んでしまう。
 近しい人を亡くして悲しみに暮れているのなら、余計に気の置けない相手に側にいてほしいはずなのに。
「わたし、アリスと少し話をしてくるわ」
「では一緒に──」
「ううん、一人で大丈夫。なるべく警戒されたくないの」
 シルヴィアは一人、アリスの部屋へ向かう。
「アリス、ちょっといいかしら──、っ!」
 部屋の前には護衛は誰もいない。
 扉をノックして、慌てて手を引っ込めた。
(冷たい……!)
 まるで氷でできているかのごとく、木の扉はひんやりとしている。
 唖然としていると、すぐ向こうで声がした。
「誰ですか」
「あ……わ、わたしよ。シルヴィア。ちょっとあなた大丈夫? 部屋の中までこんなに寒いんじゃ──」
「なにかご用でしょうか」
「え、ええと、中に入れてくれない? 少し話したくて」
 迷うような間のあと、アリスのか細い声がした。
「シルヴィア殿下、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「え、あ、なに?」
「ラーシュ陛下との結婚の経緯についてです。陛下のほうがシルヴィア殿下を選ばれたのですか? ご自分の意思で?」
 どうして今そんなことを聞くのだろう。
 馴れ初めが気になるのは当然として、部屋の中で話せばいい気もするのだが。
(なんにせよ恋バナのテンションじゃないわね……)
 アリスの声は真剣で、どこか悲壮感すら漂っている。
 理由はわからないが、とにかくここで回答を得るのが彼女にとっては大事なのだろう。
「わたしを選んだのはラーシュさまよ。初対面だったわたしに結婚を申し込んだの。理由はあとから聞いたけど……完全に自分の意思だったわ」
 シルヴィアを選んだ理由については伏せた。まさかアリス本人に、あなたに悪女教育を仕込むため、だなんて言えない。
 それ以外は偽りなく答えたが、アリスは満足するだろうか。
「……そうですか」
 静かな声がして、扉がゆっくりと開く。
「扉が冷たかったのは、氷魔法でバリケードを張っていたからです。……どうぞ」
 どんよりと暗い顔のアリスに、ようやく部屋へと入れてもらえた。
 アリスの部屋は淡い青を基調としたかわいらしい調度品で揃えられていた。
 あちこちに本が積まれており、その種類は様々だ。
「読書家なのね」
「部屋ですることがあまり思い浮かばなくて」
 謙遜ではなく、本気で言っているようだった。
「外では遊ばないの?」
「用事があるとき以外はあまり部屋から出たくないんです。今は魔法の訓練以外ではほとんどここで過ごしています」
 思い詰めた表情に胸が切なくなった。
 こんな顔、幼い子供が浮かべる表情ではない。
 人生の辛いもの全部を背負ったような顔だ。
 両親を亡くして打ちひしがれているのだろう。けれど辛いのなら、じっと耐えるのではなくせめて泣きじゃくってほしい。そう思うのは大人のエゴだろうか。
「さ、さっきわたしとラーシュさまの馴れ初めを聞いたのはどうして? 気になるなら、ゆっくり話したのに」
「……ラーシュ陛下がご自分の意思で選んだ方ならひとまず安心だと思ったからです。不躾な質問をしてごめんなさい」
「いいのよ。でも、ラーシュさまをとても信頼しているのね」
「それは……お父さまとお母さまがいなくなって、ほかに誰を信じたらいいかわからなかったので」
 淡々と話されるその言葉に深い悲しみを感じた。
「ラーシュ陛下は人を信じるなと言いました。どこに命を狙う人がいるかわからないから、無闇に親しい人を作ってはいけないって。すごく納得したんです。それ以外、どうやって自分の命を守っていいのかわからなかったので」
「アリス──」
「もっと強くなれとも言われました。一人で生き延びられる力を身につければいいんだと、ラーシュ陛下は教えてくれました」
 ようやくアリスがにこりと微笑んだ。
 見ていられなくて、反射的に視線を逸らしていた。
 ひとりぼっちになった女の子が、自分の心を守るために縋った作戦だ。
 否定したくはない。けれど──。
「たしかに、一人で生きていけたらあなたは最強ね」
「はい。だからわたし──」
「でも、それは無理なのよ、アリス。人間は一人じゃ生きられない。絶対に」
「え……」
 まっすぐにアリスと目を合わせる。
 アリスは絶望的な顔をしていた。
「どうして……。どうしてそんなふうに言うんですか」
 アリスの理想は机上の空論だ。誰とも関わらず、誰に頼らずとも済むほどに強くなれば、一人でいられる。一人なら、誰にも殺される心配はないなんて。
 そんなこと、できるはずがない。
「アリスはこの先どうやって暮らすつもりなの? この城で生きていくんでしょう? だったら、誰とも関わらないなんて無理よ。あなたが生きている以上、知らないところでたくさんの人の手を借りているの。食事を作ってもらったり、身支度を調えてもらったり、そういうあれこれを自分でやっているわけではないわよね?」
「じゃ、じゃあこれからはそれも全部自分でやります」
「明日からすぐに誰にも頼らず生きていけると思う? あなたはまだ家庭教師の授業を受けている身よね。世の中にはたくさん知らない物事がある。明日になってすべてを理解するなんて、到底無理よ」
 アリスはまだ子供だ。発展途上なのだ。
 これから生き抜くための知恵や行動を学んでいる最中。
 誰とも関わらずにすべてを知るなんて、無理な話だ。
「じゃ、じゃあわたしどうしたら……」
 呆然としていたアリスの瞳に涙が浮かぶ。
 真実は幼いアリスにとって残酷だったかもしれない。けれど前世、普通の社会で普通の大人として暮らしてきた記憶のあるシルヴィアは、アリスの考えを肯定する気にはなれない。
(わたしだって子供のときにはなんだってできる気がしてた。でも、大人になればなるほど、誰かに頼り頼られるのは当たり前だって思うようになった)
 困ったときはお互いさま、だ。
 それはなにもおかしくはない。まして、怖いことではない。そのはずなのに。
 両親を理不尽に奪われた経験で、アリスは臆病になっている。
 無理もないが、そのまま人を信じるのは危険だという価値観で育つのはさらに危険だ。
 孤独は寂しい。なにより──。
 七年後のアリスを思って、シルヴィアは顔をしかめた。
 彼女が死の運命にあるのは、幼いころに人を信じることを忌避したからではないのか。
「アリス、あなたは生き延びたいのよね」
「は、はい……」
「だったら、一人を選んじゃだめ。困ったときに手を差し伸べてくれる味方を作らないと」
「味方ってそんな、どうやって……誰が味方になってくれるかなんてわかりません……」
「誰かを信じるなら、まずは自分が先に信じないと。そうでしょう?」
 アリスの視線が不安げに揺れる。
「裏切られたら、って考えたら怖いわよね。でも、どこかで勇気を出さないといけないの」
 閉じこもっていた殻を破って、恐怖の対象に歩み寄る。そうしないとこの状況を打開できない。
(ひどいこと言ってるかしら……)
 アリスはわがままで引きこもっているわけではない。両親の死という明確な心の傷が、彼女の足をすくませている。
 けれどこのままでは結局、七年後のアリスは死ぬ。
 誰とも信頼関係を築けず、暴走しても止めてくれる人はいなくて、最後には処刑されてしまう。
「……一人だけ、信頼できるかもしれない人がいます」
「えっ、誰かしら」
「ブランカです。わたしの侍女だった人」
「あ……!」
 魔法の授業を物陰から見ていたあの女性だ。
「ブランカとは赤ちゃんのときから一緒にいました。本当の姉みたいに思っていたのに、わたしが人を近づけるのが怖くなって、一方的に侍女をやめさせてしまったんです」
「そうだったの……」
「信じられる人はブランカしか思い当たりません。わたし、ちゃんと謝ってブランカと仲直りがしたい……!」
 ずっと怯えたように伏し目がちだったアリスの目が希望の輝きを取り戻している。
(やっぱり急に侍女をやめさせたのには理由があったのね。ブランカの身元についてはあとでしっかり調べるとして、アリスにも信頼できる人がいて良かった)
「──わかったわ、いいと思う」
「ではまず、わたしは魔法の特訓をしたいと思います」
「特訓? ええと、ブランカに謝るんじゃ……」
「わたしに魔法を教えてくれたのがブランカなんです。はじめてわたしを導いてくれた人だから、その教えを守って魔法が上手になったのを見せて、それから謝りたくて」
 アリスの中で考えは固まっているようだった。
(謝るにもきっかけがいるってわけね)
「じゃあ、それ、わたしにも手伝わせて」
「え? でも……」
「大丈夫。邪魔はしないわ」
 アリスが特訓しているあいだ、周囲に気を配ることができる。危険も多少減るだろう。
 一応、シルヴィアだってアリスから信用された人間なのだ。
 ラーシュのお墨付きを得ているから、というのが気に食わないが。
「わかりました。ではお願いします……」
 少し不本意そうなアリスがぺこりと頭を下げた。

 ブランカはとにかく寡黙な女性らしい。
 マヤをはじめ、メイドたちにもそれとなく聞いてみたが、皆語る印象は同じだった。
 使用人の中に親しい人物もいないそうだ。
 しかしナニーとして採用される際にはしっかりと出自を調べ上げられているわけで、怪しいところもないと見える。
(まあ、本当に怪しい人物はそうとわからないようにしているものよね)
 二年前に皇帝夫妻毒殺事件があってから、城にはずっとぴりぴりとした緊張感が漂っているらしい。無理もないだろう。同僚の中にとんでもない犯罪者がいたのだから、使用人たちの動揺も計り知れないのだ。
(動機がわかっていたら少しは違ったのかしら)
 実行犯の料理人は多くを語らないまま死罪となった。
 毒を盛ったのは相手が皇帝夫妻だったからなのか、それとも愉快犯か。あるいは他の理由があるのか──。
 単独犯なのかどうかも定かではないため、警戒を解けずにいる。
 アリスの不安を思うと、そのあたりもしっかりと調べる必要がありそうだが、まずはブランカとの仲直りだ。
 そのとき、廊下の向こうからラーシュが歩いてくるのが見えた。
(げっ!)
 まっすぐ進むとシルヴィアとすれ違うことになるが、隠れられそうなところもない。
 正直、進んで会いたい人物ではない。だがこちらが隠れる必要もないはず。
 シルヴィアは覚悟を決めると、平静を装って直進した。
(そういえば、一人でいるのね)
 アリスへ過剰なまでに警戒するよう注意したらしいが、本人は護衛などつけなくていいのだろうか。
 そんなふうに考えていると、ラーシュがちらりとこちらを見遣る。
「アリスへの教育はどうなっている」
 枕詞もなしに自分の疑問点だけを聞くところがとても彼らしい。仮にも相手は自分の妻だというのに。
 シルヴィアは口元を引き攣らせながら、なんとか愛想笑いを貼り付ける。
「ええ、滞りなく」
 やろうとしているのは悪女教育ではないけれど。そんな事実はわざわざ報告する必要はない。プロジェクトの途中で横槍を入れられないためには、与える情報をコントロールすることが不可欠だ。
「そうか。妙なことは考えるなよ」
 釘を刺され、内心どきりとした。
 悪女教育などするつもりはさらさらないのが見透かされた気がして。
 しかしラーシュはそれ以上、深く追及しては来なかった。
 無意識なのか、ラーシュがため息をつく。
 よく見ると、能面のような表情には若干の疲労が見て取れた。
「あの……大丈夫ですか?」
「どういう意味だ」
「いえ、お疲れのようですから」
 心配するのに理由は特に必要ないと思うのだが、ラーシュは警戒心を露わにする。
「お前には関係ない。余計な詮索は無用だ」
 そう言い捨てると、ラーシュはすたすたと立ち去ってしまう。
「……本当にかわいげのない男ね」
 ぽかんとしていたシルヴィアは、姿の見えなくなった廊下を睨みつける。
 こうなったらなんとしても、アリスに正しい道を進ませよう。幸せに生き延びるアリスの姿を見せて、ぎゃふんと言わせるしかない。

 

 

------
ご愛読ありがとうございました!
この続きは4月17日頃発売のティアラ文庫『悪役令嬢の継母なので娘を全力で愛でるはずが、氷の皇帝の心を溶かしてしまったようです』でお楽しみください!