戻る

聖女と番犬 腹黒貴公子の15年越しの愛が重すぎますっ! 3

第三話

 


 ──さっぱり事情がわからない結婚式のあと、ヴィレミーナはディーデリックに抱きかかえられて大聖堂をあとにし、馬車でフェラウデン侯爵家から彼が譲り受けた館に連れていかれた。
 二度目の地上戻りのとき、ディーデリックがもっとヴィレミーナがくつろげるようにと移り住んで、あれこれと整え直した館だ。
 ディーデリックに初めて抱かれたのも、ここだった。
 本館に比べたら少ないが、それでも数十人のお仕着せ姿の使用人たちが大玄関で一斉にヴィレミーナを出迎え、頭を下げて「お帰りなさいませ、奥さま」と声を揃えて言われたときは、気が遠くなってしまった。
 そんな彼らに鷹揚に頷いてディーデリックはヴィレミーナを浴室に連れていき、使用人たちの手を借りながらも婚礼衣装を脱がせ、入浴の手伝いをしてきたのである。
 羞恥で我に返ったときにはもう遅く、泡立てた海綿で身体を優しく洗われ始めていて、ヴィレミーナは全力で抵抗した。
「ヴィレミーナさまのお世話は私が一番慣れています。それに、あのときこの美しいお身体を私に余すことなく味わわせてくださいました……。あなたも私の初めてを味わっていただき、あらゆるところを確かめ合ったはずです。なのに今更照れられるなど……」
 抱かれた夜よりも少し低く、けれど柔らかく甘さを含んだ色気のある声で耳元で囁かれ、ヴィレミーナは「ふにゃああぁぁ」などと奇妙な悲鳴を上げて膝から崩れ落ちた。完敗だった。
 結局鼻歌混じりに世話をされた。
 もちろん途中で状況の説明を求めたが、まずはヴィレミーナが完全に寛げる状況になるまではと言い張られ、この状態だ。心を開いてくれるようになってからは必要以上に過保護なところがあったが、さらに磨きがかかっている。
「ですがもう少し空腹を満たしてからでは……」
「朝食は一日の活力の源よ。女神さまと一緒にしっかり食べたわ。……ディー……まさかまた面倒くさがって朝食を抜いたの?」
 食事を単なる栄養補給としか思っていなかった出会った頃のディーデリックは、空腹を覚えないと食事をしなかった。王家の番犬としての鍛錬で三日ほど食べなくとも耐えられる肉体をしているから余計だ。
 それを知ったときはとんでもないことだと仰天し、地上戻りのときは毎日必ず一緒に食事をするようにと命じたほどである。時折手料理も振る舞うようになった。
「もう……私がいないと駄目ね。厨房を貸してもらえれば、今から何か作って……」
(……いやいや何を甘やかしているの!! まずは説明が先でしょう!!)
 どうにも出会った頃の少年時代の印象が強く、つい甘やかしてしまう。
 ヴィレミーナにとってはたった三年しか経っていないが、地上では十五年の歳月が流れている。彼はもう立派な青年で、女性が騒がずにはいられないほどの容姿と高い身分、財力も立場もある男性になったのだ。
 ちくり、と胸に小さな痛みを覚える。この時間的な隔たりを埋めることは絶対にできない。
 けれどそんな痛みよりも、時間の流れに対応しきれず、立派になっているディーデリックを子供扱いすることの方が失礼だ。
「ごめんなさい。もう立派な大人になったあなたを子供扱いしたのは失礼だったわ」
 ディーデリックは目を丸くしたあと満面の笑みを浮かべ、ヴィレミーナを力いっぱい抱き締めた。以前よりも逞しくなった身体を薄い生地越しに感じて慌てる。
「……ちょ……ディー!! 立派な大人は妙齢の女性に抱きついたりしないものよ。前言撤回、あなたはまだまだ子供だわ……!!」
「ふふ……私のヴィレミーナさまがお変わりないことが嬉しくて、つい……ですがもう子供ではありませんよ。どうぞ確かめてください」
 シャツの襟に手をかけ躊躇いなく脱衣しそうになるのを見て、ヴィレミーナは真っ赤になって押し留めた。
「脱がないで!! そして誤魔化さないで!! 説明はどうしたの!?」
「……では、抱き締めるのは許してくださいますか。それ以上は何もしませんから」
 じっと見つめながら言われる。その緑の瞳には、心の奥がざわついてしまう熱情が秘められていた。
 思わず目を逸らしそうになったが、負けじと見返す。
「わかったわ。抱き締めるだけよ」
 ディーデリックが容易くヴィレミーナを膝の上で横抱きにした。
 頼りがいのある胸に頭を押しつけさせると、ディーデリックはヴィレミーナの髪に頬擦りし、掌で撫でつけ、時折手慰みに指に巻きつけたりしながら話し始める。
「ヴィレミーナさまに求婚者が現れたのです」
「……奇特な趣味の人もいるのね……」
 思わずそう呟いてしまうと、ディーデリックに軽く睨まれてしまった。
「あなたはご自分の魅力をまったくわかっていませんね……そこがヴィレミーナさまの良いところではありますが」
「ど、どうしてそんなに不機嫌そうなの……」
「いいえ、そんなことはございません。……話を元に戻しましょう。聖女のお勤めを無事に終えられたらヴィレミーナさまを妻にしたいと求婚してきた者がいたのです。隣国、ペトルジェラ王国のスフリカ伯爵です」
 ウルジュラに仕えるため必要最低限の教育を施されたが、さすがに隣国の貴族のことまでは教えられていない。突然出てきたまったく覚えのない名にヴィレミーナはどう答えればいいのかわからず、ひとまず沈黙を保つ。
 ディーデリックが忌々しげに形の良い眉を寄せた。
「前回の地上戻りのときに王都内の教会の慰問をされたでしょう? そのときスフリカ伯爵は観光で王都を訪れていて、偶然目にしたヴィレミーナさまに一目惚れをしたそうです」
「……貴族の方って一目惚れしたら、それがどんな人でも結婚できてしまうものなの……?」
 平民として過ごしてきたときにはわからなかったが、聖女として様々な教育を詰め込まれたおかげで、貴族社会の雰囲気を少しは理解している。だからこそ、ディーデリックが一途に想いを寄せてくれても、それを受けてはいけないと拒んだのだ。
 だから少々呆れてそう言ってしまう。ディーデリックが嘆息した。
「そんなわけがありません。貴族社会の頭の足りない男たちが己の欲望を最優先させて罪もない女性を不幸にさせているから、そんな低俗な考えがまかり通ってしまうところもありますが……」
 うわぁ……とヴィレミーナは声には出さずに目を細める。
(ディーの毒舌、さらに磨きがかかっているわ……)
 それでも品よく聞こえてしまうのは、どこか甘ささえ感じられる柔らかな程よい低さの声だからだろう。
「そもそもスフリカ伯爵の宿泊記録は王都内のどの宿屋にもありませんでした。実際に本人が来ていたかどうかはわかりません」
 王都ともなれば、ランクを問わなければ宿屋の数はそれなりだ。宿屋のていをなしていない宿泊施設などを含めば調査も一苦労だったろう。
「そ、そこまでしなくても良かったのでは……」
「そこまでしなければなりません。あなたに求婚しようとする者ですよ。どちらにしてもそんな浮ついた理由であなたを任せる気は私にはありませんし、何よりもあなたの意思を無視して教会が良縁だと進めようとするなんて、許せることではありません」
 名を聞いたこともないスフリカ伯爵が、隣国でどのような立場の者なのかさっぱり見当がつかない。素直に教えを乞う。
 彼はペトルジェラ王国の外交官でこの国とも交流があり、隣国では有望株の若き人材として注目を浴び、家格も高く他の伯爵たちの中でも結構な力を持っている存在だという。
 確かに願ってもみない良縁だ。
 隣国に嫁ぐことになるが、金銭的な苦労も話を聞く限りではなさそうだ。教会が乗り気になるのも頷ける。
 聖女の任期を終えたら聖職者として教会に在籍し、奉仕活動をしながら身の丈に合った人生を過ごそうと思っていた。前回の地上戻りのときに進路をどうするか大司祭に聞かれ、そう答えている。
 大司祭はこれまでの功績に報いるつもりで、この縁を具体的に進めようとしてくれたのだろう。
「大司祭さまが私のために考えてくださった婚姻なのね……」
 直後、ディーデリックが海よりも深い溜め息を吐きながら、片手で額を押さえた。
「お人好しすぎますよ……! そもそも本人の意思を確認せず、勝手に婚姻を結ぼうとしていること自体、褒められることではありません。もし、スフリカ伯爵が残虐非道な性格だったりしたらどうするのですか」
「……そ、それは……嫌、かも……」
「せめて一度は実際に会って話をする機会を与えるべきであるのに、それすらしないなど、ヴィレミーナさまをないがしろにしているだけでなく、駒として扱っていることになります。この結婚は国益にも繋がりますから」
 ディーデリックの畳みかけに、「うっ」や「あっ」などしか言えない。彼の言う通りだ。
「ですからヴィレミーナさまがご自分の意思を尊重できるよう、私としては全力でこの結婚を阻止しつつ、あなたの意志を力でねじ伏せることができないようにしなければなりませんでした。ですから私と結婚するのが一番最良なのです」
「……どうしてそこでディーデリックと結婚することになるの!?」
「スフリカ伯爵以上の良縁を結べばいいからですよ」
 つまりディーデリックはヴィレミーナが天界にいる間、好き勝手に将来を決められないための防波堤になってくれたのか。
 それはとても嬉しいのだが、そもそも、ディーデリックの求婚は前回、あの条件を呑むことできっぱりと断っている。
「私はディーの求婚を断ったわ」
 手鏡を差し出され、覗き込む。いつの間にか後頭部で複雑な編み込みをした、お洒落かつ可愛らしい髪型が出来上がっていた。
 ……なぜ、高位貴族男性のディーデリックが、女性の髪を流行の髪型に結うことができるのか。
「ヴィレミーナさまの夫になる者として、スフリカ伯爵以上に私の方が良縁です。私は『王家の番犬』と呼ばれるフェラウデン侯爵家の次男で、妾腹ですがすでに兄上から侯爵家領地の一部を譲り受けて運営しています。兄上はこれまでの私の功績に報い、聖女の夫として相応しい家格が必要だからと、新しい家名の取得に動いてくれています。陛下も認めてくださっているので、近いうちに伯爵位と新たな家名を授与されるでしょう。領地財政に問題はありませんし、お望みならばいつでもそちらで生活することもできます。ヴィレミーナさまの故郷によく似た、自然豊かで穏やかな土地です。私には一時、王孫殿下との婚姻も持ち上がりました。もちろんご遠慮いたしましたが、それだけ価値のある男だと、貴族社会で保証されています」
 淀みなく続けられる説明に、ヴィレミーナは驚きつつも尊敬の眼差しを向ける。
 新たに家名を作ってもらえるなど、滅多なことではない。それだけディーデリックの働きが素晴らしかったということだ。
「すごいわ、ディー……」
 ふ、とディーデリックが口元に甘い笑みを浮かべる。それにドキリとし、ヴィレミーナは慌てて目を伏せた。
 初めて抱かれたあのときよりも、色気がすごい。
「この国で私以上の男との婚姻となりますと、私の兄か、王太子殿下か……」
 ヴィレミーナは真っ青になって力いっぱい首を左右に打ち振った。
「え、遠慮申し上げるわ……!!」
「そうなるとやはり私が一番相応しい夫かと……気心が知れて、ヴィレミーナさまにとってはこの三年間、誰よりも身近に仕えさせていただいた男です。私はヴィレミーナさまの不利益になることは決してしません。そしてあなたを私から奪おうとする者がいれば、実力で阻止することができます」
「……待って。誰も私を奪おうなんてしていないわ。きゅ、求婚されただけでしょう?」
 ディーデリックは淡い微笑を浮かべた。
「……そうですね。あなたはまだ私のものではない。結婚式を挙げたとしても、かりそめのものです」
 自分の想いを受け入れてもらえない切なげな表情に、胸が詰まる。どう応えればいいのかわからず無言で見返していると、ディーデリックは今度は悪戯っぽく笑って軽く唇にくちづけた。
 ただ触れるだけのくちづけだが、不意打ちのそれには甘さがたっぷりと込められている。ヴィレミーナは真っ赤になり、次には眦を吊り上げた。
「不意打ちは駄目でしょう!」
「申し訳ございません。では次にしたくなったときは、したいと申し上げてからします」
 真面目な表情と声で返され、ヴィレミーナは絶句する。何か言い返したいのだが、何を言えばいいのかわからない。
 ううっ、と言葉を詰まらせるヴィレミーナに、ディーデリックはまるで誘惑するかのような笑みを見せた。
 これが彼なのだ。相手を翻弄するような物言いをするのが。
 だがこんな態度は知る限り自分に対してだけだから、許してしまう。
 ヴィレミーナ以外だと、ディーデリックは本当に愛想の「あ」の字もない。聖堂でのやり取りのように、大司教といえども容赦ない言葉を投げつけるのだ。
(……変わってなくて、少し……ホッとする……)
 五年ごとに地上に戻ってきているとはいえ、自分を取り巻く人々は確実に自分より早く年を取り──人によっては亡くなっていることもある。
 その中で『変わらないでいてくれる』ことがどれほど安心するか。
「……ヴィレミーナさま……?」
 ふいにひどく心配そうにディーデリックが頬を撫でてくる。その指先が涙を拭うように目元で動き、泣きそうな顔をしていたことに気づかされる。
 ヴィレミーナは慌てて微笑み返した。
「私のために結婚してくれたのね。ありがとう。でも偽りの結婚なんて駄目。この結婚をすぐに無効にしてもらえるよう、大司教さまに私からもお願いするから……」
「必要ありません。私が妻にしたいと思うのはあなたしかいませんから。五年前にそう言って、あなたに私の童貞をもらっていただきましたが」
 ディーデリックにとっては五年前の情事を瞬時に思い出してしまい、ヴィレミーナは耳まで真っ赤になる。
「そ、それはっ、そ、そうだけどっ! でも代わりに約束してもらったわ! 次に会うときは、ディーはちゃんと結婚してるって……!!」
「はい。ですからあなたと結婚しました」
 ……ぽかん、と目と口を丸くして、ヴィレミーナは再び絶句した。
 実に爽やかで清々しい笑みを浮かべてディーデリックは続ける。
「過程がどうあれ、私はあなたが望む通り、次に会うときまでに結婚しました。具体的にどのような人物を妻にしろとは言われておりませんでしたので、相手はあなたでも良いはずです。それにこれはあなたの自由を守るための結婚です。あなたにとって必要なものです。私はあなたの夫として、あなたが望む穏やかな生活を保証いたします。妻としての役目も求めませんから、安心してください」
 瞬時に思ったのは、閨事や子づくりのことだ。
 初めて抱かれたときのようにあんなに情熱的に毎晩求められたら、ずっと拒み続ける自信はない。彼に想いを寄せているのだから、なおさらだ。
 二度も彼の心を傷つけてしまうが──改めてはっきりと容赦なく、断らなければ。
 小さく息を吸い込んで口を開こうとするよりもわずかに早く、ディーデリックが言った。
「基本的には私の妻としての社交と女主人としての使用人の統括、私の管理する領地経営の補佐ですね」
 そこに一番気になっていたことは一切含まれていない。拍子抜けし、口を半開きにして、何も言えなくなる。
「ヴィレミーナさまはこの館でお好きなように過ごしてください。面倒なことは私がすべて片付けます。ですがそれでも私と一緒にいることに苦痛を感じるというのであれば、離縁していただいて構いません。手続きに少し時間はかかりますが、絶対にできないというわけではないので……離縁されたとしても、ヴィレミーナさまへの援助は行いますよ。そのときは私の領地内でよろしければ……あなたのための小さな家を建て、使用人もつけましょう。私と離れるときにあなたがどう生きていきたいのかを教えてくだされば、全面的に協力いたします」
「それはあまりにも私だけに条件が良すぎるわ……。ディーはそれでいいの……?」
「はい、私はヴィレミーナさまのお役に立ちたいだけなのです。私の愛を受け入れられないのは仕方がありません……ですがあなたに尽くしたいという気持ちまで拒まないでくださいませんか」
 ひどく辛そうに緑の瞳を曇らせて、ディーデリックが伏し目がちに言う。
 これ以上厚意を拒めば、彼の心を深く傷つけるだけ──ヴィレミーナは罪悪感に苛まれ、その後ろめたさに追い立てられるようにして頷く。
「ディーがそこまで言ってくれるならば……少しだけ、あなたにお世話になるわ」
「少しと言わず、一生お世話いたします」
「それは駄目よ。ちゃんとあなたに相応しい奥さんを迎えて欲しいわ」
 ディーデリックの端整な顔から、一切の表情が消えた。その無表情さは冷酷さすら感じるもので、ヴィレミーナは小さく身を震わせる。
 彼がヴィレミーナ以外に見せる顔だ。自分の前でこそ感情豊かに、まるでよく訓練された大型犬がじゃれつくような表情を見せるが、自分以外には──それこそ信頼している部下に対してすら、ひどく冷酷なのだ。
「……私に、あなた以外を妻に迎えろと……」
 冷たい怒りが、声の奥に込められている。あなたを想うことすらも許されないのか、と。
 ヴィレミーナはディーデリックの気持ちに応えたくなる本心を無理矢理抑え込みながら、彼の目をしっかりと見返して頷いた。
「ええ、そうよ。私は孤児院の前に捨てられたどこの誰ともわからぬ者で、孤児院で育ってきたの。聖女に選ばれて教育されたけれど、生まれも育ちも貴族令嬢として生きてきた方の足元にも及ばないわ。そしてあなたはフェラウデン侯爵家の次男で、国王陛下の覚えもめでたい実力者よ。聖女という肩書きしかない私を妻にしても、あなたが苦労するわ。貴族社会が甘いところではないと、私も少しは知っているつもり」
 ディーデリックの目が細められる。
 冷酷さが増したがこればかりは絶対に譲らないと、挑むように見つめ返す。そうでもしないと全身が震えて彼の言うことを聞いてしまいそうだった。
 見つめ合ったのは数瞬の間だったが、まるで永遠のような時間に感じられた。
 ディーデリックがふう、と長く息を吐き、それが緊張した空気を緩める。
「ではこれから、仮初夫婦としてよろしくお願いいたします」
 わかってくれたみたいだ。ヴィレミーナも安堵の息を深く吐き出す。
(……ごめんなさい……)
「──ですが私はあなたのことを愛していますので、私を好きになってくれるように尽力します。どうぞ御覚悟ください」
 何を言われているのかすぐにはわからず、ヴィレミーナは目を丸くした。
 ディーデリックはヴィレミーナの右手を口元に引き寄せ、恭しく指先にくちづける。一連の動作は騎士が王女に忠誠を誓うかのようだ。
「私が愛するのはヴィレミーナさまだけですので、それ以外の女性を妻とする気が微塵もありません。ならばあなたの心が私に向くよう、努力邁進するだけです。……経緯と理由はどうあれ、あなたは私の妻となりました。これほど近くに愛する人がいるのに求愛しない馬鹿な男がどこにいるのですか」
 言いながらディーデリックは軽々とヴィレミーナを抱き上げ、寝室に向かう。まさか身体から陥落させるつもりなのか。
(前回の地上戻りのときだって素敵になって困っていたくらいなのに、今のディーに迫られたら断りきる自信がないわ!!)
「だっ、駄目よ、ディー!! こういうことは昼間からすることじゃな……!!」
「では夜ならば迫ってもよろしいので?」
 まさにああ言えばこう言う、という状況に追い込まれ、ヴィレミーナは真っ赤になって口をパクパクさせた。そうこうしているうちに寝室に辿り着き、ベッドに優しく下ろされる。
 ディーデリックが掛け布をめくり、その身を覆いかぶせてくる。ヴィレミーナはぎゅっと強く目を閉じて身を固くした。
 ふわりと優しく掛け布がかけられる。そして目元に優しいくちづけが落ちた。
「ゆっくりお休みくださいませ。私は隣室におりますので何かあれば声を掛けてください」
 失礼します、と完璧な従者としての一礼をして、ディーデリックは退室した。
「……」
 なんだか過剰に意識してしまったことが恥ずかしくなり、ヴィレミーナは掛け布の中に潜り込んで身を縮めた。
 目覚めてから目元や唇にたくさんくちづけられたことを思い出す。
(ディーの唇……熱かった……)
 その熱が、自分に向かう恋慕に何の変化もないことを教えてくれている。
(ディーなら美人で身分も高くて教養もあって……そうよ。それこそ王女さまだって欲しいと言えば手に入れられるような人なのよ。なのにどうして私なんかに固執するの……)
 出会った頃は自分より四つも年下で、不愛想で厭世的で己の命すら道具としか思わず、当時のヴィレミーナよりも細い手足をしていた。
 今はヴィレミーナを軽々と抱き上げて寝室まで運べるほどのすらりとした長身、頼りがいのある力を得て、身支度まで手伝える細やかな気配りができるようになっている。
 想いを寄せてはいけない相手だとわかっていても、惹かれてしまう。それが恋なのだと、ヴィレミーナ自身もディーデリックへの想いでよく知っていることだった。
(でも間違いは──正さなければ)

 


------
ご愛読ありがとうございました!
この続きは4月17日頃発売のティアラ文庫『聖女と番犬 腹黒貴公子の15年越しの愛が重すぎますっ!』でお楽しみください!