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致死量の溺愛はご遠慮願います! 魔女見習いですが、腹黒王子の呪いを解いたら逃げられなくなりました 1

第一話

 

 


 ──「運命」という言葉は実に使い勝手がいい。
 そう心の奥で呟きながら、マリウス・ランベルト・ルーデンドルフはほくそ笑んだ。
 多くの女性は運命の恋に夢を見ている。
 たとえ仕組まれた出会いだったとしても、相手が偶然を信じていれば問題はない。たちまち運命という言葉に胸を躍らせて、冷静な判断ができなくなる。
 その偶然を仕組んだ男の容姿が魅力的なほど、女性は恋の予感に心をときめかせるものだ。甘い言葉を紡いでくれる理想的な紳士とひと時でも過ごせたら、警戒心の強い女性でも夢心地を味わえるだろう。
「あなたと出会えたのは運命に違いない。この幸運に乾杯しましょう」
 マリウスは甘い微笑を貼り付けて、こちらをうっとり見つめる女性に歯が浮くような言葉をかけた。
 淡い黄金色の飲み物はこの国の女性が好む林檎酒だ。すっきりした甘味が特徴的で、特に毎年限られた数しか生産されない貴重なもの。
 それを容姿端麗な男性から手渡されたら、女性は心のときめきを抑えられなくなるだろう。
 瞳の奥に宿る僅かな熱を感じながら、マリウスは冷静に相手を分析する。
 自分の本心とは裏腹な台詞が次々と口から零れるのを滑稽だと思いながら、女性の理想の男を演じ続ける。
 色男のふりをして女性を口説き落とし、ほしい情報を盗み出す。それがマリウスの役目だ。ただ恵まれた容姿を利用しているにすぎない。
 だが本当はこんな仕事はごめんだ。王太子の命令じゃなければすぐにでも辞めている。
「どうして手袋をつけているの?」
 甘い空気を漂わせていても、マリウスは革の手袋をはめたまま。女性に素肌を見せることはない。
「私は騎士だから手のひらの皮膚が厚い。あなたの肌を傷つけたくないんだ」
「まあ……」
 剣だこがあることは事実だが、相手の肌を傷つけたくないために手袋をつけているわけではないし、騎士でもない。
 ──素肌に触れるのが嫌だからに決まってるだろう。
 鉄壁の微笑を浮かべながら嘘を紡ぐ。
 女性に触れたら最後。身体中に蕁麻疹が広がるのだ。
 どういうわけか顔から下だけに発症するように制御はできるが、そんな状況に陥らないためにも手袋は必須だ。
 素肌を隠した厚化粧も、鼻が曲がりそうなほどつけすぎた香水も、媚びた眼差しも。すべてが嫌悪の対象である。
 女性に好かれる容姿をしているが、皮肉なことにマリウスは女性が苦手だ。過度な接触はおろか、指先が触れることもしたくない。
 だがマリウスが微笑むだけで、女性は彼に恋をする。心がほしいと懇願するように媚びた眼差しを向けてマリウスにすり寄るのだ。
 キスのひとつくらい顔色を変えずにできたらもっと楽なのだが、想像するだけで鳥肌が立つ。指先に口づけることすらしたくない。
 もしも身体の関係を望まれたとしても、「あなたを大切にしたい」と囁くだけで彼女たちは愛を募らせていく。
 ──本当に、兄上の命令でなければ絶対に従わないんだが。
 残念ながら第二王子という立場では王太子に逆らうことは難しい。
 女性を口説き落として口を割らせた後は、遅効性の睡眠薬を香に混ぜて眠らせることにしていた。それが一番安全で穏便に済ませられるからだ。
 指一本触れずにほしい情報だけを手に入れる。それが済んだら相手に用はない。身体の関係を結ぶ前に誑し込めるのは一種の才能だろう。
 だが人は誰しも、慣れた頃に油断を招くものだ。
 部下の情報を元に訪れた店で、マリウスは標的の女性を見つけた。
 ──黒髪に紅茶色の瞳。目の下にはほくろがひとつ……あの女性か。
 とある貴族の愛人と噂される妖艶な美女から違法薬物の情報を手に入れるだけ。薬物に関する話が聞けたらマリウスの役目は終わりだ。
 瞳の色が紅茶色にしては赤みが強いとは思ったが、薄暗い店内では正確な色まではわからない。
「こんばんは、素敵な夜ですね」
 マリウスはいつも通り相手を口説き、そして個室へ移動後に酒を酌み交わしながら香を焚いた。
 ここまではよかった。
 だが、ここからがこれまでとは違った。
 通常なら女性は眠気に抗えずに目を閉じるはずなのに、彼女の表情は変わらない。平然と林檎酒を呷っている。
 自分のように身体が慣れているのだろうか。いや、一般女性にこの効果覿面な睡眠香が効かないなどあるわけがない。
 些細な動揺を見破られて、マリウスは一瞬本心を曝け出した。
 失態に気づいた直後、相手に手袋を奪われた。
 全身に広がる蕁麻疹を見られて、うまい言い訳が思いつかない。
「へえ? 運命の恋だと囁きながら蕁麻疹? 随分と身体は正直なのね」
 口ではなんとでも取り繕えるが身体はそうもいかない。
 マリウスはいくつもの美辞麗句を思い浮かべるが、激高する相手に通用するとは思えなかった。
「待ってほしい、落ち着いて」と、冷静に相手を宥めようとした。
 しかし、口説かれたのに弄ばれたと思っている女性が聞き入れるはずもない。
「その顔と身体とよく回る口で、一体どれだけの女の純情を弄んだのかしら? このすけこましが!」
 マリウスに怒りを向ける柘榴色の目の奥には、見慣れない星の煌めきがあった。
 ──瞳の奥に星を宿すのは魔女の証……まずい。最初から相手を間違えた……!
 黒色の髪がみるみる赤く染まっていく。
 声をかける人物を誤ったのだと気づいたときには、マリウスの身体は突風に包まれていた。
「……ッ!」
「そう簡単に偽りなぞ言えなくしてやるわ。しばらくは自分に正直に生きなさい、坊や」
「待て、なにを……!」
 身体がじんわりと熱を帯びている。
 意識を落とす直前、マリウスは魔女に呪われたことを悟ったのだった。

 

 

 

 ルーデンドルフ王国の森の奥には魔女の家が存在する。
 百年ほど前、王都から馬車で半日ほど離れた東の森にやってきた魔女は、その森で最も生命力の強い大樹の幹を居心地のいい住処に変えた。
 魔女が許可した者だけが大樹に近づけるようにしているため、彼女と面識のない者はこの家を訪ねることはできない。普通の人間なら大樹に近づこうとしても同じ場所を彷徨い続けることになるそうだ。
 近所づきあいとは無縁で、人より野生の動物が多く棲まう東の森に越してから十一年。
 魔女見習いのベルティーナ・エルネスタ・シュタットフェルンは、朝食の準備を終えるといつも通りこの家の主を起こしに部屋を訪れた。
「師匠、おはようございます。朝ですよ。起きてますか?」
 コンコン、と二回扉を叩いてから中へ入る。
 寝室に施錠がされていないのもいつものことだ。
「今日の朝ごはんは師匠の好きな半熟のオムレツ……って、あれ?」
 部屋の中はもぬけの殻だった。家具とラグ、カーテンまで消えている。
「わあ、この部屋ってこんなに広かったんだ……って、そうじゃないわ。ヴィルヘルミナ様、どこですか!」
 いつもはヴィルヘルミナの服や本が床を覆い隠すほどごちゃごちゃと散らばっているのだが、今は床の色がくっきり見えていた。
 なにもないと途端に部屋が広々と見える。夜な夜な大掃除をしたとしても、家具まで捨てるのはいささかやりすぎではないか。
「もう、せっかく作ったのに。師匠のオムレツは私が食べちゃいますからね!」
 いらないなら昨晩のうちに言ってほしかった。
 彼女から「明日の朝食はオムレツにして。半熟のやつ!」と注文したのに、と恨み言が出そうになる。
「え、ちょっとダメよ! 待ってちょうだい! せっかちな弟子ね」
 旅支度を済ませた部屋の主が階段を下りてきた。どうやら寝室の外にいたらしい。
 ヴィルヘルミナ・ブリュンヒルデはこの家の主であり、百年前から東の森に住む魔女だ。
 燃え盛る炎のように眩い赤髪と柘榴色の目をした妖艶な美女で、実年齢は軽く二百歳を超えている。
 ──あれ? いつものドレスじゃないわ。旅行にでも行くつもりなのかしら?
 旅装姿は珍しくないが、今度は突発的な旅行というわけでもなさそうだ。家具をすべて撤去するほど長期間不在にするのだろうか。
「珍しく早起きしたからお腹がペコペコだわ」
「師匠、家を空ける予定ならちゃんと事前に教えてくださいね。今度はまたどちらへ行かれるのですか?」
 ベルティーナは食堂のテーブルにサラダ、オムレツとパンを並べる。簡単な調理魔法を駆使しているため、一から手で作るよりは手間がかかっていない。
「まだ行先は決めてないわ。これで決めようと思って」
 いつの間にか食堂の壁には世界地図が貼られていた。
 ヴィルヘルミナはダーツの矢を握っている。
「これから決めるんですか? というか何故急に旅行に?」
「気分転換もあるけれど。まあ、あれよ。運命の愛を探しに行こうと思って」
 ストン、と矢が壁に刺さった。行先が決まったらしい。
「運命の愛って、またですか……」
 ──一体これで何度目だっけ?
 ベルティーナがヴィルヘルミナに引き取られてから十一年が経過しているが、その間にヴィルヘルミナが家を空けたことはたびたびあった。どれも短期間で戻ってきていたが、要は失恋旅行である。
 ──師匠が旅行に行くたびに、師匠の魔女友達が私の面倒を見てくれていたけれど。さすがにもうそんな年齢じゃないからね。
 ベルティーナは成人年齢と呼ばれる十八歳になった。
 今回は弟子が成人してからはじめて旅に出るため、長期間不在にしても問題ないと考えたのだろう。
「いいこと、ベル? 人間も魔女も、この世で一番尊いものは同じ。それは真実の愛よ! 私は愛に貪欲な女なの。だって愛を求めるのが魔女の本能だから!」
 今にも歌いだしそうなほど情熱的に愛を語っている。魔女とは愛に貪欲な生き物なのだ。
 ──まさか、またどこかの色男にでも誑かされたんじゃ……?
 愛を尊いと言うが、ヴィルヘルミナはあまり異性を見る目がない。
 惚れっぽくて、運命の恋に憧れている夢見がちな性格だ。若かりし頃は結婚詐欺にも遭いかけたことがあったとか。
 だがいくら好きになった男でも、騙されたら涙で枕を濡らすなんてことはしない。魔女らしくきっちり報復するため、彼女に関わった男性はある意味災難である。
「いつもこれが最後の恋だと思っているのよ? 心が震えて、燃えるような愛に身を委ねたいもの」
「ええ……そんなに心がどうにかなるなんて、寿命が縮みそうなんですが」
 冷めたツッコミを入れながら、ベルティーナはハーブティーを啜った。
 寿命が縮みそうとは言ったが、魔女は人間よりも長生きだ。
 ヴィルヘルミナの外見は二十代半ば。妙齢の女性に見えるが、人間の年齢で言うと後期高齢者どころではないだろう。魔女の年齢ならかろうじて若い部類に入るらしいが、それも本当かはわからない。
 魔女は精霊の力を借りて超常現象を引き起こせる稀有な生き物だ。ルーデンドルフ王国には魔術師団に属する魔女と魔術師もいるが、その人数は非常に少ない。国に仕えていない者を含めても、国内にいる魔女は百人未満だろう。
 ヴィルヘルミナもかつては王宮の魔術師団に所属していたそうだが、今は除名されているらしい。
 ベルティーナは七歳のときに魔女の素質を見出されてヴィルヘルミナの弟子として引き取られた。
 それまではシュタットフェルン子爵令嬢として育ったが、先祖に魔女、もしくは魔術師がいたのだろう。
 幼少期に隔世遺伝が発現したためヴィルヘルミナの元で力の扱いを学び、今では生活魔法が使える他にちょっとした便利な魔道具を開発している。
「なんのメリハリもない平坦な毎日なんて退屈じゃない。あなたも人生をかけるような恋のひとつでもして、もっと豊かに成長なさい!」
 そうお節介を言いながら、ヴィルヘルミナは軽く指を振って食べ終わった皿を流し台に入れた。熟練の魔女ならサッと指を振るだけで、簡単に食べ終わった食器を片付けられる。
「ごちそうさま。おいしかったわ。じゃあ、行ってくるわね」
「え、もうですか? というかいつお戻りに?」
「さあ、いつにしようかしら。とりあえず一年は放浪の旅に出ようかと思っているけれど」
 年単位で帰ってくる気がないらしい。
 ──師匠らしいといえばそうだけど……相変わらず自由すぎじゃない?
「ベルだってもう成人した大人なんだし、私がいなくても大丈夫でしょう。そろそろ独り立ちも考えていい頃よね」
「いいえ、私はまだ一人前と呼べるほどの実績を出せていませんから」
 魔女見習いから卒業するには師が課した試験に合格するのがならわしだ。ベルティーナの得意分野は簡単な薬を煎じることと魔道具を開発することである。
 ──魔道具作りは材料費がかかるから、簡単には進まないのよね……純度の高い石を手に入れても、魔法の付与がうまくいくわけでもないから中途半端というか。
 もう少し修業が必要だ。一人前と呼べるにはそれだけの成果が足りていない。
「しばらく見習いでいたいならそれでもいいわ。なにかあったら連絡してちょうだい。ちゃんと通信用の指輪も持っていくから」
 ヴィルヘルミナは大きな赤い石がついた指輪をはめていた。同じ石を持つ者同士なら、離れていても会話ができる魔法がかけられている。
「それって国外でも使用可能でしたっけ?」
「あら? どうだったかしら。まあ、やってみないとわからないけれど、多分大丈夫じゃない? ダメだったら手紙でも送ってちょうだい」
 ──……不安だわ。
 楽観的に笑う師匠を見つめながら、ベルティーナは頬を引きつらせた。
 どうしても連絡が取れない場合は手紙を飛ばせばいい。時間はかかるが、確実に手元に届けられる。
 ヴィルヘルミナの私物はすべて斜め掛けの鞄に収納したらしい。
 彼女は街まで出かけるような軽装で「じゃあ行ってくるわね」と手を振り、移動用の姿見に入った。
「行ってらっしゃいませ……」
 水面のように波を打っていた鏡が落ち着くと、部屋が静かになった。途端に寂しさがこみ上げそうになる。
「静かすぎるのは慣れないわ……そういえば、結局師匠はどこに行ったのかしら?」
 ベルティーナは彼女がどこの国に向かったのかを把握していない。
 壁に刺さった矢を確認する。行先はルーデンドルフ王国の南に位置する島国だった。
「南の島? わあ、陽気な南国なんて師匠にぴったりな場所じゃない」
 海に囲まれた島で海の幸を堪能するヴィルヘルミナを想像する。新鮮な魚介類を食べ尽くせるのは正直に羨ましい。
「まあ、いっか。飽きたら戻ってくるだろうし、いつでも連絡もできるものね」
 突然本物の愛を探しに行くなど突拍子もないが、考えるだけ無駄だ。ヴィルヘルミナはいつも思い立ったら即行動する人なのだ。
「私は私の仕事をしなくちゃ」
 薬草畑の手入れをした後は、試作中の魔道具作りに没頭する予定だ。ヴィルヘルミナの愛の行方を考えていても仕方ない。
 ──本当、魔女ってみんな運命の恋に貪欲よね。
 それこそ魔法で相性のいい相手を探し当てられないのだろうかと思うが、長生きをしているヴィルヘルミナができないのだから、きっと無理なのだろう。
 誰かの心を無理やり自分に向けることもしてはいけない。精神に干渉する魔法は禁じられているのだ。
 ──私は別に恋とか愛とかに興味はないけれど。そんなにいいものなのかしら?
 初恋も未経験のため、恋というのがどんなものかは想像でしかわからない。巷で流行っている大衆向けのロマンス小説や、魔女同士の会話で恋愛話を耳に挟む程度だ。
 お子様だとからかわれることもあるけれど、魔女の寿命は長い。慌てて恋をしようとしなくても、そのうち星の巡り合わせのような恋に落ちるかもしれない。
「……想像はできないけれど。そもそも恋に落ちるってどういう現象なの? 考えれば考えるほど怖いじゃない」
 薬草の手入れをしながら独り言を呟く。自分の感情が制御できなくなるような状況など恐ろしさしか感じない。
 きっとヴィルヘルミナはそのような状況も含めて楽しんでいるのだろう。誰かの心と繋がりたいという欲求はある意味純粋なものに感じられた。
 ──でも私がもしも子爵令嬢として育てられていたら、こんな悠長なことは考えられないかもしれないわよね。
 人間の寿命は短い。魔女の十八歳は未熟者だが、貴族令嬢の十八歳は結婚適齢期だ。
 成人年齢を迎えて、本格的に婚約者を見つけなくてはいけない。
 ベルティーナも数か月前に十八歳の誕生日を迎えた。
 ヴィルヘルミナだけでなく、家族に祝ってもらえてうれしかったが、ただ年齢を重ねただけで日常が変わるわけではない。
 年に一、二回シュタットフェルン子爵家には戻っている。家族はベルティーナを快く迎え入れてくれるが、そのうち生家を訪れる足も遠のいていくのだろう。
 ──仕方ないわよね。今はまだわからないけれど、これから魔女と人間の違いを実感するようになるんだもの。
 時間の流れが違うというのは切ないものだ。ベルティーナの弟妹たちの方が先に老いていく。
 いつしか家族の中で自分だけが異質な存在なのだと実感させられるに違いない。
 寂しさに耐えきれなくなったとき、隣に愛する者がいてくれたら心強いと考えるのはある意味当然のように思えた。
「愛する人、ね……今度こそ師匠は出会えるのかしら」
 自分だけを見てくれる運命の相手。そんな人と巡り合えたら、寂しさなど感じることもなく生きられるのだろうか。
「あ、しまったわ。間違えて薬草抜いちゃった」
 雑草を抜いていたはずが薬草を採取していたらしい。
 材料がもったいないので、ベルティーナは薬草入りのクッキーを焼くことにした。

 ◆ ◆ ◆

 ヴィルヘルミナが家を空けてから半月が経過した。十月も半ばに入ると夏の空気は完全に消えて、空には秋の雲が広がっている。
「すっかり秋空に変わったわね。でも、今日の午後は雨が降りそう」
 今は晴れているが、空気に雨の匂いが混じっている。洗濯物は外に干さない方がよさそうだ。
 現在ベルティーナは魔石を使用した魔導洗濯乾燥機を開発できないかと目論んでいる。水仕事がとにかく嫌いなのだ。
「一度で全部済んでほしいのよ。生活魔法も便利なようで融通が利かないんだから」
 たらいの全方位に魔石を嵌め込んでいるが、いちいち揉み洗いをする動作を指示しなくてはいけない。濯ぎまで見張りが必要で、魔法が使えても効率的ではないのだ。
 ──あとはもっと汚れが落ちやすい石鹸の開発よね。洗浄力を上げて、ついでに香り付きのを大量生産できたらいいお金になりそう。
 資金はあればあるほどうれしい。ヴィルヘルミナのおかげで生活に困っているわけではないが、自分の稼ぎも大事だ。魔道具の開発には先立つものが必要なのだ。
「どこかに実入りのいい仕事があれば飛びつくんだけどなぁ」
 そんなことを呟いていたからだろうか。
「チリン……」
 来訪者を告げるベルが鳴った。
 半年に一度、いや、年に一度も鳴らないかもしれない。
「え、誰? 師匠のお客様?」
 東の森は王都から馬車で半日ほど。さほど離れていないとはいえ、ここには簡単にたどり着けないようになっている。許可がある者にしかこの家には近づくことができない魔法をかけているのだ。
 人が立ち入る場所は森の入り口付近まで。さらに奥まった場所にある魔女の住処までは遭難する覚悟で入らないといけない。
「今のは聞き間違いであってほしい……きっと風よね」
 ベルティーナは無視することにした。ヴィルヘルミナが不在中に来訪者など厄介な予感しかしない。
 だが残念ながら聞き間違いではなかったらしい。
 チリンチリン! ドンドンドン!
 ベルを鳴らすだけでなく、扉を叩く音まで聞こえてきた。さすがに風ではなさそうだ。
 ──ええーどうしよう! 嫌なんですけど!
 急な来訪者など怖い。このまま居留守を使いたい。
 いくら魔女見習いとはいえ、ベルティーナの外見は十八歳の女の子なのだ。
 悪魔のように角が生えているわけでも翼で空を飛べるわけでもない。飛行魔法は不得意で、成人男性の身長くらいしか浮かべないのだ。
 護身用の武器は手元にあるが、相手が複数人かつ手練れであればベルティーナなどあっという間に捕まってしまうだろう。
 ──そうだわ、危険を感じたら薬を盛ろう。
 スカートのポケットに痺れ薬と眠り薬を忍ばせてからローブを羽織る。
「……どちらさまですか」
 フードを被り、意識的にしゃがれた声を出した。老婆のように腰を曲げて扉を半分ほど開く。