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致死量の溺愛はご遠慮願います! 魔女見習いですが、腹黒王子の呪いを解いたら逃げられなくなりました 2

第二話

 

 

「どうもこんにちは。突然の訪問、失礼します。ルーデンドルフ王国の第二王子、マリウス殿下の側近を務めているヘンドリック・ヴェルマーと申します」
 爽やかな笑顔が目に眩しい青年だった。フードの隙間からちらりと見えただけで、端整な顔立ちと人懐っこさが窺えた。
「あ、どうも……」
 声を偽ることを忘れて、ベルティーナは反射的に扉を閉じようとする。このような場所に美青年が訪れないでほしい。
 が、すかさず隙間に革靴がねじ込まれた。
 彼は笑顔で扉が閉まるのを妨害する。
「まだ用件をお伝えできていませんが?」
 ──ぎゃっ! なんか怖い!
 笑顔の圧が強い。ヴェルマーという家名には聞き覚えがある。
 ──第二王子の側近で、ヴェルマーって言ったら絶対貴族じゃない? 確か侯爵だったはず。
 ベルティーナの顔が青ざめる。貴族や王子と関わりたくはない。
 社交界デビューを果たしていないため、自分の顔を知る貴族はいないと思っている。ベルティーナは生家から除名されたわけではないが、公の場でシュタットフェルンの家名を名乗ることは許されていない。
「お、お帰りください。主人は不在にしておりますので……」
「ああ、そうですか。では中で詳しい話を聞いていただけるのですね、大変助かります。私の主もおりますので、本人の口から話をさせていただきます」
「……え?」
 ひとりではなかったのか。
 いやそれよりも、ひとつも同意していないというのに押しが強すぎる。
 ──こ、これが巷に聞く訪問販売の押し売り!?
 気が弱い婦人は恰好の鴨になってしまうだろう。
 ベルティーナはそれなりに気が強い方だと思っていたが、爽やかで素敵な貴公子の笑顔というのは十分武器になるらしい。
「あの、主とはつまり……」
 扉の取っ手を握りしめたまま、ヘンドリックの足のつま先を見つめる。
 革靴に傷がついても構わないのだろう。ぎゅうぎゅうに扉に押し潰されているが、微塵も退く気配がない。
「ええ、第二王子のマリウス殿下です」
「ひぇ……っ!」
 手から力が抜けた。その隙に、ヘンドリックは扉を勢いよく開いた。
「ぎゃっ!」
「おや、可愛らしい魔女さんですね」
 すってんころりんと後ろに転がったベルティーナは、目深に被っていたフードが外れていることに気づいた。
 視界が良好な中で、一生関わることがないと思っていた美男子ふたりを目の当たりにした。眩しすぎて目が潰れそうだ。
 ──美男子程度の形容じゃ表現できない……。
 眩い金の髪に、海を思わせる青い瞳。神が気合を込めて作り上げたのではと疑いたくなるような美貌を直視し、言葉を失いそうになる。
 ──この人が第二王子のマリウス殿下……!
 彼は滅多に姿を現さないと言われているが、王妃譲りの美貌が麗しいという噂は聞いていた。一度でも目にすれば恋に落ちてしまうらしいことも。
 噂は誇張されるものだが、この件に関しては事実だろう。ベルティーナは咄嗟に顔を背けた。
「お尻を打って動けませんか?」
「え、いえ、ちが……」
 少し痛むが、身体は受け身を取っていた。ただあまりの美の暴力に慄いているだけである。
 ──あ、腰が抜けてるかも。
 起き上がろうとしても起き上がれず、玄関前でもぞもぞと動く。
「なにをしてる。さっさと入れろ」
「きゃあ!?」
 身体をひょいっと抱き上げられた。至近距離からマリウスの顔を直視し、魂が抜かれそうになる。
 ──怖い怖い! 魔性の美貌をただの人間が放っているなんて!
 だが心臓の高鳴りは一瞬で落ち着いた。
 横抱きにされるならまだしも、ベルティーナはマリウスの小脇に抱えられていた。まるで荷物を運ぶかのようなぞんざいな扱いである。
「早く案内しろ。応接間はどこだ?」
「え、尊大すぎる……」
「すみません、魔女さん。マリウス様は気が短くって。あ、ソファはこちらですね。玄関の扉はきちんと施錠しましたから」
 ヘンドリックはにこにこと笑顔で世話を焼いた。一瞬でソファの場所まで把握するなど、他人の家とは思えない馴染み方ではないか。
 ──天は二物を与えないんだっけ。外見に全振りしたってことにしましょう。
 とりあえず運ばれるのは楽なので、ベルティーナは「あそこのソファに下ろしてください」とマリウスに要求した。

 初対面だというのに図々しい来客は、ベルティーナの前でお茶を啜っていた。手土産のひとつとして茶葉を持参してきたらしい。
「魔女さんもどうぞ」
「あ、お構いなく……?」
 ──おかしい。なんで私がお茶を勧められているのかしら。
 王宮で出されている貴重な茶葉だそうだ。隣国から輸入しているというだけあり、香りも豊かでほのかに甘さも感じる。
「おいしい!」
「それはよかったです。お菓子もありますよ」
 ずらりと並べられたのはつやつやとコーティングがされたチョコレートとバターがたっぷりしみ込んだ焼き菓子だ。
 焼き菓子ならなんとか作れるが、チョコレートは街に出かけたときにしか買えない高級品である。形も可愛くて見ているだけで楽しい。
「ベリーのジャム? が入ってるわ。これもおいしい!」
 口の中で酸味の効いたジャムがじゅわりと溶け出した。甘酸っぱさとチョコレートの甘さが絶妙で、ついベルティーナの目が輝きだす。
「お気に召したようでよかったです。こちらもお口に合うと思いますよ」
「え、そう? じゃあいただこうかしら」
 誘惑に負けてふたたびチョコレートを摘まんだところで、長い脚を組み替えた男が口を開く。
「それでお前は誰なんだ」
「はい?」
 ころころと舌の上で転がしていたチョコレートをガリッと噛んだ。濃厚なクリームが口いっぱいに広がる。多少の苛立ちも消えそうだ。
「魔女さんですよね? この家の」
 ヘンドリックはベルティーナに給仕をしながら答えたが、咄嗟に否定する。
「いえ、まだ見習いです。私、ちゃんと主人は不在にしているって断ったじゃないですか」
「おや、そうでしたっけ」
 ──ええ、あなたの靴が邪魔をしているときに。
 聞いていたのを惚けているだけかもしれない。人当たりはいいが、さすが第二王子の側近。食えない性格をしていそうだ。
 マリウスに「名前は?」と訊かれ、ベルティーナは渋々名を告げる。
「ベルティーナです」
「家名は?」
「魔女に家名はありません」
「シュタットフェルン子爵令嬢ですよ、殿下」
 さらりと素性を明かされて、ベルティーナはあんぐりと口を開けた。
「は、え? なんで名前……」
「当たっていましたか? ベルという名がついた令嬢はシュタットフェルン子爵家にしかいませんから。病弱な令嬢という噂もありますが誰ひとり見たことがない。訳ありなのだろうと覚えていたのですよ」
 確信はなかったが鎌をかけたらしい。
 ベルティーナはひくりと口元を引きつらせる。
 ──怖い! 策士! 腹黒い!
 魔女見習いをやり込めるなど、肝と度胸が据わりすぎだ。通常なら下手に出て、機嫌を損ねないようにするはずなのに。
「なるほど、シュタットフェルン子爵家の幽霊令嬢とは君のことか」
「幽霊……?」
 そんな風に呼ばれていたとは知らなかった。いっそ死んだことにしておいた方がよかったのかもしれない。
「ちなみに何故魔女になっても家名から除名がされていないかをお訊きしても?」
 ヘンドリックに尋ねられて、ベルティーナは渋々答える。
「もしも魔術師団に入れた場合、貴族籍の方がなにかと有利だからと師匠が助言をしたので……」
「それは納得です」
 国に仕えるとなると、貴族の家柄が便利だそうだ。とはいえ、ベルティーナが一人前の魔女になり魔術師団に入るならもうしばらく修業が必要だ。
「で、君は入りたいのか」
「まだわかりません。国に仕えたら自由じゃなくなるもの」
 使える予算は増えても自由とは無縁になるだろう。意に添わぬことをしなくてはいけなくなる。
 かつては国に仕えていたヴィルヘルミナも百年前に辞めたそうだ。魔女とは本来気まぐれな性質を持つ者が多い。心の赴くまま本物の愛を探しに行けなくなる。
 ──まあ、愛の旅に出たいからっていう理由が決め手ではないと思うけど。
 三個目のチョコレートを味わう。おいしい手土産をくれたので、ベルティーナは王宮からわざわざヴィルヘルミナを訪ねてきた理由を尋ねることにした。
「それで私の師匠は不在なんですが」
「いつ戻るんだ」
「運命の愛を探しに旅に出てしまったので、年単位で戻らないかもです」
「はあ?」
 マリウスが苛立ったと同時に、彼の背後から黄色く光る稲妻のようなものがぶわりと放たれた。
「……ッ!」
 ──え、なに? 幻覚……じゃない。まさかオーラ!?
 音は聞こえないが、彼の背後で雷鳴が鳴り響いているようだ。
 人体から放たれたオーラが雷のような形を作るなど聞いたこともない。まるで彼の感情をそのままオーラで表現したかのよう。
「……はあ」
 マリウスが溜息を吐いたと同時に、そのオーラは霧散した。
「えっと、今のは一体……?」
 魔女であるベルティーナだけが視えたわけではないだろう。ヘンドリックの反応から、彼も視えていたようだ。
「こちらへ来た理由がこの現象の解明です。殿下から放たれる幻覚の正体はわかりますか? ベルティーナ嬢」
「私はただの見習いなので、呼び方はお気遣いなく……あの、殿下は誰かの恨みでも買ったのでしょうか?」
「何故そう思う」
 専門分野ではないため断言はできないが、呪いの一種に見えた。
「今のは恐らく殿下のオーラが変化したものですよね。多分ですが、怒りを可視化させる呪いに見えました。あ、でも怒りだけじゃないのかも? 特定の感情のみに反応するのは高度な魔法になるもの」
「見習いというからどんなへっぽこかと思いきや、勘は悪くないようだな」
「……ヘンドリック様、この方失礼すぎでは?」
「すみません、殿下は取り繕わなくてもいい場所ではつい本音が出てしまうようでして」
 ──取り繕いなさいよ……初対面よ?
 ついじっとりした眼差しでマリウスを睨む。魔女の前で本心を明かすなど、余裕すぎではないか。
 ──まあ、でも私も遠慮なく言ってるからお互い様かもしれないけれど。
 国に仕えていない魔女は中立の立場である。王侯貴族にへりくだることなく、基本的にはどちらが上というわけでもない。
「それで、うっかり呪われた理由はなんですか? 誰が呪ったのかはわかりますか?」
 四個目のチョコレートには木の実がまぶされていた。ざくざくとした食感が香ばしい。
 ヘンドリックがすぐに「新しいお茶をお持ちしますね」と、ベルティーナに告げる。いつもはヴィルヘルミナにお茶を出す係だが、今は素直に甘えることにした。
「ヴィルヘルミナ・ブリュンヒルデ」
「師匠の名前をご存知なんですね」
 魔術師団にいたのだから、王族が名前を把握していてもおかしくはない。
「で、師匠がなんですって?」
「察しが悪いな。俺に感情を可視化させる呪いをかけた張本人だ」
「……はい?」
「しかもそれだけではない」
 マリウスはヘンドリックが淹れた新しい紅茶を啜る。
 ベルティーナは自然と背筋が伸びていた。
「あの……それだけではないとは? というか、待ってください。殿下に呪いをかけたのが師匠ですって? 本当に本当なのですか?」
「本人が不在なのがなによりの証拠だろう。俺が呪われたのは二週間ほど前のことだ」
 ヴィルヘルミナが旅に出たのも二週間ほど前のことだった。
 ──なんですって!?
 ベルティーナの顔が青ざめた。カップを持つ手が震えだす。
「まだ味わっていないチョコレートがありますよ」とヘンドリックに囁かれたが、食べられる状況ではない。
 眉毛を下げて、「後でいただきます……」と答えた。
 思考を巡らせて、ヴィルヘルミナとの最後の会話を思い出す。
 ──師匠が急に愛を探しに行くなんて言い出したときはなんとも思わなかったけれど、殿下が関わっているからと考えた方が納得できる……!
 つまりマリウスはヴィルヘルミナの怒りを買ったということだ。
 すぐに解ける呪いだったとしても、誰かを呪うなんてそう気軽にできるものではない。
「何故師匠に呪われたのですか? 心当たりはあるんですよね?」
 恐る恐る尋ねると、マリウスの眉根がギュッと寄った。
「ちょっとした行き違いだ」
「行き違いとは?」
「調査対象の関係者かと思って声をかけたら違ったというだけだ」
 そんなことだけでヴィルヘルミナが怒るはずはない。
「もしかして殿下、声をかけたときに『美しい』とか『好きだ』とか、愛を仄めかすような言葉を使いましたか?」
「……言ってない」
 微妙な間があったが、多分言っていないのだろう。
「殿下はそう簡単に女性に好きとは言わないですよ。というか、一度も言ったことがないかもしれません」
「一度も? その顔で?」
 ぎろりと睨まれた瞬間、マリウスのオーラがふたたび放たれた。今にも雷が落ちそうな暗雲を背負っているため、ベルティーナは慌てて口を噤む。
 ──でもちょっと面白いかも。
 他の感情も見せてもらいたい。苛立ちや怒りは雷で現れるらしい。
「告白めいた言葉は使わなかったとして、他はどうですか? たとえば……運命、とか」
「……」
 スッと視線を逸らされた。無言の肯定だ。
「言ったんですね? 君との出会いは運命とかって。それじゃあ呪われますね……」
 黙ってチョコレートを摘まんだ。甘い物は心を落ち着かせてくれる。
「なんだ、どういう意味だ」
「わざわざ言わなくてもわかっているんじゃないですか? 師匠……というか、魔女や魔術師は愛に飢えている人たちですからね。皆心の奥では“運命の恋”を渇望しているんですよ」
 ついでにヴィルヘルミナは二週間前から旅に出たと告げる。
 面倒なので行先は黙っておいた。
「きっと師匠をその気にさせた罰なんでしょうけど、持続性のある呪いではないと思うので心配しなくてもいいんじゃないですか? 時間と共に消えると思いますよ」
「そのうちっていつまでだ。かれこれ二週間、俺の感情は周囲に駄々洩れなんだぞ」
 ──それは恥ずかしいかもしれない。
 自業自得とはいえ、自分の気持ちが他者に筒抜けなのは嫌だろう。恐らくマリウスが望んでヴィルヘルミナを口説こうとしたわけではなさそうだ。
 可哀想にという同情から、後でヴィルヘルミナに連絡をしておくことにする。
 だが簡単に連絡が取れると思われると面倒なことに巻き込まれそうだ。
「仕事に支障が出るということであれば、魔術師団に相談してください。なにかしらの魔道具を開発してくれると思いますよ」
 呪いをかけた魔女が師とはいえ、ベルティーナは無関係だ。
 やんわりと帰宅を促すが、マリウスは動く気配がなかった。
「さっきも言ったが、呪いはこれだけじゃない」と言いながら、不機嫌そうに窓の外に視線を向ける。
「そういえばそうでしたっけ。まさか師匠、二重に呪いをかけたとか……?」
「そんなことは可能なのですか?」
 ヘンドリックに問われるが、同時に複数の呪いをかけるような高等な呪いかはわからない。
「すみません。呪いの分野は専門外なので……」
「君の得意分野はなんだ」
「私はちょっとした体調不良を治す薬を煎じたり、生活魔法をさらに便利なものにできないか研究と試作を繰り返したり」
 要は労力を最小限に留めて楽がしたい。
 そして皆の暮らしを手助けし、自由で楽しく暮らせたらうれしい。
「誰かに魔法をかけるような技術はないです。人に魔法はかけられませんが、鉱物や植物にならかけられます」
 魔女にも向き不向きがあるのだ。器用になんでもこなせる魔女は一握りしかいない。
 それこそ魔術師団に所属できるような魔女は優れた才能を持つ者たちだ。
「それでもうひとつの呪いとは」
「もうじきわかる」
 外は日が落ちかけていた。
 空が茜色に染まり、黄昏時を迎える。
 ──昼と夜の境目のような空模様ってすごく綺麗よね。神秘的というか。
 空がまだ明るいときに見上げる月も好きだ。太陽が昇って間もないときの月も神秘的に見える。
 部屋のいたるところにランプを置いている。通常であればひとつずつにランプを灯す必要があるが、魔女の家では不要だ。
 壁に埋め込んだ星型の石に触れるだけで、ランプに閉じ込めた月光石がぽわんと光る。橙色の灯りは目に優しい。ついでに調光も可能だ。
「さすが魔女の家ですね。他にも面白いものがあれば見せていただきたいです」
「では、七色に発色するペンとインクとか、無限にゴミを食べてくれるゴミ箱とか見てみますか? ゴミ箱は一度捨てたら二度と取り戻せないので、永久に葬りたいものしか入れられないんですけど」
「それ、使いようによっては完全犯罪に悪用されそうですね」
「なるほど」
 燃えカスすら残らないゴミ箱の話をしていたら、すぐ近くから子供の声が聞こえてきた。
「楽しそうだな」
「……どちらさま?」
 マリウスが座っていた椅子に十歳ほどの男児が座っている。
 淡い金色の髪とふてぶてしい表情は、マリウスをそのまま小さくしたかのよう……。