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致死量の溺愛はご遠慮願います! 魔女見習いですが、腹黒王子の呪いを解いたら逃げられなくなりました 3

第三話

 


「え! まさか殿下!? って、服もぶかぶか!」
「身体が縮んだんだから服が余るのは当然だろう。ヘンドリック、着替えを」
「はい、殿下」
 驚いているのはベルティーナだけだ。ヘンドリックは慣れたように荷物の中から子供服を取り出している。
 ──ものすごく可愛い美少年……女の子にも見えるわね。
 宗教画に描かれる天使のようだ。不機嫌な表情がなければ等身大の人形にも見えるかもしれない。
 だが、人が簡単に退行するなどおかしい。後ろを向いてマリウスの着替えが終わるのを待つ間、ベルティーナは冷や汗をかいていた。
「あの、確認するのがとんでもなく怖いのですが……まさかもうひとつの呪いって」
「これ以外になにがある?」
 着替え終えたマリウスはぶすくれた顔で靴を履き替えた。靴まで持ち込んでいたとは用意がいい。
 ──いえ、慣れているんだわ。
 呪いがかけられてから約二週間が経過していると言っていた。つまり日没後に、彼は毎日子供の姿になっているのだろう。
「日が暮れてから夜が明けるまで、俺は子供の姿に変わる呪いまでかけられた。どうしてくれるんだ?」
「……っ!」
 ──あ、どうしましょう。これは笑えないかもしれない……。
 いつまでこの状況なのかがわからないのであれば公務にも支障をきたす。
 満足に仕事ができていないと言われて、ベルティーナは大変なことになったと慄いた。さすがにチョコレートを食べる気にもなれない。
「急ぎ、師匠に連絡を取ってみますので、今日のところは一旦お帰りいただいて……」
「は? 何度も往復しろと言ってるのか。無理に決まっているだろう」
 マリウスはここまで来るのも苦労したと明かした。
 大樹の中に作った魔女の家は一見ただの大木にしか見えないようにしているが、入り口を見つけるのが一苦労だとか。
「そもそも許可を出している人しか近づけないようにしていたんですが」
「魔術師団から特殊な道具を借りてきた。簡単な結界ならすり抜けると言われたんだが、本当だったようだな」
 だが森の途中から馬が怯えたため、一時間ほど徒歩で彷徨う羽目になったらしい。
「王子命令だ。ベルティーナ・シュタットフェルン、俺たちと一緒に王宮まで来い。じゃないとずっとここに居座るぞ」
「ええ……嫌です」
 ベルティーナはきっぱり拒絶した。
 王宮に用事はないし、牢屋に入れられる可能性もゼロではない。
「ここで断れるなんていい度胸だな。嫌なら両手両足を縛ってでも連れて行くつもりだ」
 美少年が邪悪に微笑んだ。天使というより悪魔のようだ。
「そんな無体なことをするつもりなら師匠と連絡は取りませんからね」
 王子命令と言われても、どこにも属していない魔女には関係ない。
「それに弟子の私が師匠の呪いを解けるとでも? 私はまだ見習いなんですよ? 呪いは専門外です」
 王宮に連れて行くだけ無駄である。ヴィルヘルミナと連絡が取れたら、そのときに王宮に文を出すと告げた。
 が、マリウスは一言「信用ならない」と答えた。
「うやむやにする可能性がないと言えるほど、君のことを信用していない」
「……」
 ──初対面の相手を全面的に信じる方がどうかと思うわね。
 マリウスの言葉には同意である。
 それにうやむやにしたい気持ちもあるのだ。
「どうにかなりませんか、ベルティーナさん。呪いがかけられたままですと、殿下の日常に影響が出るんですよ」
 まず夜会には出られない。
 また、呪われていることを公にもできないため今は休暇扱いになっており、限られた人だけがこの状況を把握しているそうだ。
 可哀想な災難だと思いつつも、ベルティーナに助けを求めるのは無茶だ。
「もしもずっとこのままだとしたらどうする。俺は結婚もできないぞ」
「そうですか? でも初夜なら昼間に行えばいいだけだと思いますけど。あ、その場合はなんて言うんでしょうね。初昼?」
 明け透けな物言いをしたら男性ふたりに引かれてしまった。
「……君は仮にも子爵令嬢だろう。恥じらいもない言い方ははしたないぞ」
「はあ、すみません。耳年増なもので」
 なにせこの家にやってくるのはヴィルヘルミナの魔女仲間しかいない。彼女たちの話題の大半は色恋についてである。
 ──そうよね。普通の貴族令嬢なら美しい王子様の前で初夜の話なんてできないか。
 初恋も未経験なベルティーナは正直詳しいことはわからない。話だけは知っていても、ほとんどは想像でしかない。
「殿下が呪われていることを知っても、逃げ出さない貴族令嬢を探してみたらいいんじゃないですか? 顔と地位だけでなく、中身を見てくれる女性を見つけられる絶好の機会ですよ」
「俺のことを顔と地位だけの男だと言ってないか」
「言ってません」
 とはいえ、これほどまで見目がいいとなると、外見に惹きつけられる女性が大半だろう。
 もしもベルティーナが絶世の美女でどんな男も魅了できる美貌を持っていたら、やはり見た目だけで気に入るような男は遠慮したい。
 ──顔が良すぎるってある意味災難よね。人は誰しも多少背伸びをしたくなる生き物ですもの。
 自分をよく見せたいと見栄を張りたい気持ちはわかるが、どちらかがずっと頑張らなくてはいけない状況は厳しい。いつか限界が訪れる。
 そういう関係は長続きしないだろう。リラックスした状態を受け入れてくれる人こそ相性がいいと言えるのではないか。
 ──って、恋をしたこともない私にはわからないわ。ただの理想論かもしれない。
「取り急ぎ師匠には連絡しますので、今日は帰ってくださ……」
「日が暮れた森の中を歩けと言うのか? 野生動物に襲われたらどう責任を取るんだ」
「熊と狼除けの臭い袋を差し上げますよ」
 マリウスのオーラから苛立ちが伝わる。彼の心情は天候で現れるらしい。声に出さなくても感情を伝えられるというのはある意味便利だ。
 ──まあ、仕方ないわね。
「冗談です。今晩は泊まっていいですから」
「ありがとうございます、ベルティーナさん」
「それで明日はお帰りくださいね」
「君も一緒に行くなら帰ってやる」
 話が平行線だ。ベルティーナはげっそりした。
「あの、本当に私では力不足ですから……」
「もちろんタダでとは言わない」
「え?」
 急に報酬の話を出された。
 てっきりタダ働きをさせられるものだと思っていたのだが、マリウスは仕事として依頼をするつもりらしい。
「報酬はいくらがいい? きちんと呪いが解けたら、君の魔道具開発とやらも俺が援助してやろう」
「本当ですか!?」
 そうなれば話は別だ。
 ──呪いを解いたことなんて一度もないけれど、やる前からできないなんて思ったらそこでおしまいかも!
 現金な性格だと笑いたければ笑えばいい。誰しも先立つものは必要である。
「とりあえず前払い金と成功報酬で、このくらいでどうだ」
「……それって非課税ですか?」
「抜け目ないな。もちろん君の手元に残る金額がこれだ」
 慎ましく暮らしていたら五十年は働かなくても生きられる額だった。
 ──本当に? 騙そうとしてない? 前払いだけでも平民が十年は生きられる金額なんですけど?
 これだけあればもっと好きな研究に時間と金を費やせる。ついでに外国に貴重な材料の採取にも行けるだろう。
「やります! 頑張ります!」
 手のひらをくるっとひっくり返す。
 ベルティーナは脊髄反射的に依頼を引き受けていた。

 

 

 

 長期間家を不在にすることは難しい。時折畑の様子を見に行くとしても、なるべく拘束時間は短くしたい。
 まずは二週間と提案したが、マリウスに却下を食らった。
「君が二週間で確実に呪いを解ける自信があるなら構わないが」
「それを言われると短いかもですね」
 なにせ王宮の魔術師団でもお手上げだと言われたのだ。基本的に呪いというのはかけた張本人にしか解けない決まりがある。
 だが例外はある。弟子であるベルティーナなら解呪の糸口は見つけられるだろう。
 ──なんだっけ? 大昔に弟子がかけた呪いを師匠が解いたことから、師弟関係にある者たちは互いの魔法を無効にできるとか。
 つまりは尻拭い要員である。弟子の不祥事は師が責任を持つものとされている。
 だが逆はほとんど聞かないが。
「はあ、まさか師匠の尻拭いを弟子がする羽目になるとは……」
「その覚悟も入れてヴィルヘルミナの弟子になったんじゃないのか」
「サラッと説明はされましたけど、私が起こした問題は師匠が責任を取るということしか理解していなかったですし、当時はまだ七歳ですよ? ふーん、としか思わないですって」
 乾燥トマト、ハーブと濃厚なクリームを合わせた鶏肉のソテーを食べ進める。甘味と酸味のバランスが絶妙で、パンにクリームをつけて食べてもおいしい。
「あらかじめ契約書はご用意できているので、食後に目を通してくださいね。契約期間は応相談としていますが、ひと月ごとに更新でどうでしょう?」
「更新なんてごめんだがな。そうならないように早く解呪しろ」
 ──小生意気な子供だわ。
 外見詐欺だ。天使と見紛うほどの美少年だというのに、口調は尊大で可愛げがない。
 ある意味王子様らしいのかもしれないが、ヴィルヘルミナは何故この男に騙されてしまったのか。
「ええ、言われなくてもそのつもりです。それより殿下、口にソースがついてますよ。拭ってさしあげますね。私、優しいので」
 ムッとしたマリウスは小さな稲妻をピリピリと放っている。
 ──わかりやすくて面白い。
 子供扱いされるのが嫌なのだろう。ベルティーナが子供の頃に使っていた食器とカトラリーを使用しているが、それも屈辱なのかもしれない。
「口くらい自分で拭ける」
 ヘンドリックは機嫌を損ねた様子のマリウスをにこにこと見守っている。案外子供になった主のことも気に入っているのだろう。
「それにしてもおふたりとも、魔女の家でよくのんきに出されたご飯を食べられますね。私だったらちょっと警戒しそうですが」
「大丈夫です。私は神経が太いので。それに、なにか起こったとしても面白そうですから」
 ──……ヘンドリック様はよくわからないのよね。
 冗談なのか本気なのか。恐らく冗談だと思うが本気にも聞こえる。
「雇用関係になるんだぞ。今から毒など盛っても無意味だろう。報酬を得てから毒を盛るならわかるが」
「盛りませんよ。報酬を得られたら逆にもう用事はないでしょう?」
「皆がそんな考えをしているわけではない。俺も魔女を信用しているわけではないけどな」
 ──命に影響はないとはいえ、面倒な呪いをかけられたんだから信用できるはずはないけども。
 なんとなくベルティーナもムッとする。ヴィルヘルミナと同じように、男性に裏切られたら暴走するような女だと思われたくはない。
「勘違いしないでくださいね。私は師匠や他の魔女みたいに恋愛至上主義ではないので。結婚するつもりもありませんし、異性に恋愛感情や愛情なんて求めていませんから」
 素敵な恋に夢を見る乙女ではないのだ。そんな夢物語は本の世界だけでいい。
 ──なんで魔女って裏切られても真実の愛とやらを求め続けるのかしら。
 ヴィルヘルミナや彼女の魔女仲間は皆、全力で愛する人と向き合ってきた。裏切られて傷ついても新たな恋を探し続けている。
 ベルティーナはそのように振り回される感情が理解しがたく、年頃の少女のように恋に憧れを抱いたことはない。
 その感覚がわからない以上、ベルティーナは見習いのままかもしれない。もしくはまだ血の繋がった家族が生きているため、そのような境地に至っていないのだろう。
「そんなことを言う奴に限って、色恋を知ったら腑抜けになるんだ。裏切られたら相応の報復をするに決まっている」
「じゃあ訊きますけど、裏切られても報復しない人ってどんな人間なんですか? 世の中聖人君子ばかりじゃあるまいし、酷い裏切りに遭ったら報いを受けるべきって思うのが人間だと思いますよ。因果応報、自業自得ってやつです」
 恋愛以外でも同じではないか。
 契約が守られなかったら賠償金を支払うというのに、何故感情だけは粗末に扱われるのか。
 ──書面に残す重要性を再認識したわ。後で隅々まで契約書を確かめないと。
 ベルティーナ側に不利な項目があったら受け入れがたい。
 呪いが解けたらベルティーナの身柄を拘束しないという一文も入れなくては安心して暮らせないだろう。
「まさか、報酬を渡した後に私を拘束して牢屋に閉じ込めて報酬を奪い返す気じゃ……」
「おい、どんな鬼畜野郎だ。そんなことをするはずがないだろう」
「まだ信頼関係が築けていませんので。わからないとしか言えません」
 同じテーブルで食事をしているのも奇妙な状況である。
 野宿をさせるのも忍びないため客室を提供したのだ。食事の用意もベルティーナが行った。しばらく不在にするなら備蓄している食糧も使いきらなくてはいけない。
「あはは、殿下がここまで言い合える女性なんてはじめてではないですか? あ、グラスが空いてますね。林檎酒のおかわりをどうぞ」
「ありがとうございます。ヘンドリック様」
 手土産の大半は貴重な物だ。中でも滅多に味わうことができない林檎酒は美味である。
「口の中がパチパチと弾ける感覚がおいしいし楽しい!」
「お気に召したようでよかったです」
「私、人見知りをする性格なんですけど、ヘンドリック様は話しやすいですね」
「ヘンドリック、俺もほしい」
「殿下はお子様なのでダメですよ」
 ──お酒が呑めないのは可哀想かも……。
 ベルティーナの好物はチョコレートと甘い酒だ。ヴィルヘルミナが酒豪のため、付き合いで呑んでいたらそれなりに強くなった。
 はじめて同情したという憐れみの眼差しを向けると、マリウスはふたたびピリピリとした雷のオーラを放った。
 ──面白い。このくらいはからかわせてもらわないと。
 だが可哀想なので、ベルティーナはとっておきの林檎果汁を分けてあげた。冷蔵室に保管しているため新鮮さは失われていない。
「悪くないな」
「素直においしいって言えないんですか?」
「すみません、ベルティーナさん。殿下は素直じゃないところが可愛いので」
「甘やかしたらろくな大人になりませんよ?」
「俺はもう大人だ」
 眉間に皺を刻むのは子供らしからぬ表情だろう。ベルティーナはくすくす笑う。
 ──こんなに賑やかな夜っていつぶりかしら。
 ヴィルヘルミナ以外と食事を囲むのは、実家に帰省したとき以来だ。家族は皆ベルティーナを歓迎してくれるが、心の壁があるのは致し方ない。
 二歳下の弟は思春期で多感な年頃だ。十歳になった妹はベルティーナがヴィルヘルミナに引き取られた後に生まれた。
 ──身内以外の異性とはほとんど接したことがないけれど、子供の殿下なら変な緊張もしなくていいわね。
 だが何故ヴィルヘルミナは子供になる呪いをかけたのだろう。
 荷造りをはじめる前にベルティーナはヴィルヘルミナに通信用の指輪で連絡を入れたが、彼女からの応答はなかった。

 ◆ ◆ ◆

 ──全然師匠から連絡がこないのだけど!
 一日に数回、指輪を通じてヴィルヘルミナに連絡をしようと試みているが、一向に返事がこない。懸念していた通り、国外でのやりとりは安定しないらしい。
 仕方ないので文をしたためることにした。時間はかかるが確実に届けられる。
 ──近距離なら小鳥でもいいんだけど、海を渡るとなると猛禽類かしら?
 特殊なインクを使用した紙に魔法をかけて鳥に変化させる。大型の鳥を指定する場合はより緻密な魔法を駆使しなくてはいけない。
「これでよし、と」
 ポン! と手紙が変化した。
 鷹を想像していたのだが、出来上がったのはカモメだった。
「なんかちょっと違うけれど、まあいっか」
 少々不恰好なカモメだが、無事に届けられれば文句はない。
 窓の外にカモメを放つ。ベルティーナは小さく息を吐いた。
「ああ……まさか私が離宮に滞在する羽目になるとはね……」
 王宮の一室か使用人部屋でも借りられるのだろうと思っていたが、呪いをかけた魔女の弟子を不特定多数の人間がいる場所には留められないと判断したのだろう。使用していない離宮に仮住まいすることになった。
 人目を気にしなくていいのは助かるが、マリウスまで離宮に越してくるとは思わなかった。まさか王子とふたり暮らしになるなど聞いていない。
 一応王宮から派遣された使用人もいるが、夜になると帰ってしまう。
「でも普通は呪いをかけた魔女の弟子と同じ場所に滞在させるかしら?」
 きちんと契約を交わしているため危険はないと判断したのだろう。それに一晩とはいえ魔女の家に滞在した後だ。ベルティーナの性格と、子爵家の出というのが安心材料になったのかもしれない。
 ──退行現象が起こった後は、人目がない場所の方が安心だしね。
 マリウスは王宮の執務室にいるようだ。休暇中のはずだったが、どうやら夕方までは溜まった仕事をしているらしい。
 彼は主に王太子の補佐をしているとのことだが、詳しい仕事内容はわからない。
 あまり深く関わるつもりがないため、マリウスの日常に深入りするつもりはない。解呪に関する情報だけが手に入ればそれでいい。
「ベルティーナ、どこにいる」
 ──え、もう帰ってきた?
 昼間は離宮に寄りつかないはずなのにと思いながら、ベルティーナは階段を下りた。
「どうしたんですか、殿下。お早いお帰りですね」
「一時的に帰ってきただけだ」
 マリウスはその場に立っているだけでキラキラと眩い光を放っている。
 ──視界の暴力だわ。
 色付き眼鏡がほしい。開発するべきだろうか、などと若干失礼なことを考えながらマリウスの用件を尋ねた。
「それで、なにかございましたか?」
「ああ、君がくれた石を加工して指輪にした。どうだ、オーラは無効化できているか?」
 ベルティーナの手持ちの魔石の中でも純度の高い石に、無効化の魔法を付与したそうだ。
精度の高い高等魔法を使える自信はないため、魔法の付与は魔術師団の力を借りてもらった。
「では、ちょっと怒ってみてください」
「なんで怒りの感情なんだ。他にあるだろう」
「ええ……でも苛立っている方が殿下らしいと思いますけど。それなら喜怒哀楽の喜を出してみてください」
 そういえば喜んでいるときはどのように感情が可視化されるのだろうか。
 ──背中に七色の虹を背負っていたらちょっと面白いかも。
 彼の感情は天候で現れる。苛立ちや怒りは雷として放出されていた。もちろん本物の稲妻が走るわけではないが、慣れると愉快だ。
「なにも喜びを感じていないのに喜べるか」
 ──めんどくさい……。
 ベルティーナは小さく嘆息した。
 基本的に王族は本心を見せない。王族のみならず貴族社会に生きる者たちは、そう簡単に己の感情や本音を見せてはいけないのだとか。
 マリウスは顔の良さを最大限に活用し、キラキラ眩しい笑顔で感情を隠していたようだ。表情と本心は真逆なことがほとんどだと言われたときは、若干引きそうになった。
「では殿下の悪口をヘンドリック様に言ってもらいましょうか。適当に捏造してほしいとお願いしてみますよ」
「本人の前で悪口を捏造させるとか酷い嫌がらせだぞ。いじめじゃないか」
 喜怒哀楽の哀もお気に召さないようだ。なかなかに要求がうるさい。
 ──しょうがないなぁ。
 わがままな王子様だ。ベルティーナは一番よく使う魔法を披露することにした。
「ではこの紙を見ていてください。インクで手紙を書きますね」
 先ほどヴィルヘルミナに送った手紙の魔法だ。
 紙とインクは魔女の手が入った特製品である。
「ヘンドリック・ヴェルマー様へ」
 ふっと息を吹きかけると、なんの変哲もない紙が蝶の形に変化した。
「あ、近くにいるようですね。それとも王宮までの距離なら蝶でも問題ないのかな」
「手紙魔法か。至近距離で見たのははじめてだ」
 飛ばす方法を指定しない場合は最適な生物に変化するのだ。少し遠くにいる者へ送る場合は鳩が多い。
「今、ワクワクしてますか?」
「ああ、している。魔法を間近で見られるのはワクワクするだろう」
 目が輝いている。素直に感情を見せると、実年齢より少し若く見えた。
 ──確か殿下は二十三歳だったかしら。
 ベルティーナより五歳年上だが、精神的にはあまり大差がない気がする。
 指輪を外すように告げて、感情の変化を確認した。
「……殿下、実は結構興奮していたんですね?」
「どういうことだ」
「オーラが太陽のように明るい黄色でした。あと蝶がふわふわと舞っていましたよ」
「……」
 マリウスは無言で指輪をはめ直した。幻影が消えるように蝶の姿はフッとなくなった。
 じっと彼の目を見つめる。バツが悪そうに視線を逸らす様子が少々面白い。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「私はなにも言ってませんけど。微笑ましいなとは思いましたが」
「視線がうるさい。普通の人間は魔法が珍しいんだ」
「そのようですね。でもその指輪の効力はまあまあ成功しているようですよ。一時的とは思いますが、これで感情が筒抜けで恥ずかしい思いをするのも減るかと」
「君は余計な一言が多いと言われないか」
「さあ、言われたことはないですね」
「ならば性格が悪い」
「いえいえ、殿下ほどでは」
 女性に性格が悪いと言う王子の性格もどうなんだと思うが、いちいち指摘する気はない。
 彼は不機嫌さを隠しもしない。だがその感情が可視化されることはなかった。
 ──ふうん、オーラは無効にできるのね。それならもうひとつの呪いはどうかしら。
「殿下、日没の前には離宮に戻ってきてくださいね。子供に退行するかどうか、私も確認しておきたいので」
「……そっちの呪いは防げないのか」
「わかりません。無効化の指輪にどこまでの効果があるのかを検証しなくては」
 マリウスにかけられた呪いは複雑だ。身体に直接的な影響が出る方が呪いの効き目が強いだろう。
 ──本当、師匠は一体どんな意図で殿下を退行させたの?
 純真無垢だった子供の頃の気持ちを取り戻せということだろうか。だがいくら子供に戻っても精神が大人のままでは無垢にはなれない。
「……わかった。今日は早めに切り上げる」
 どことなくしょんぼりした空気を背負いながら、マリウスは王宮へ戻った。
 そして空が茜色に染まる頃、彼は予定通りに離宮に帰ってきた。
「着替えの準備はそこで、靴もよし。あ、転倒防止のために今から裸にローブでも身に着けておきますか?」
 身体が縮んでもローブなら着替えも楽だろう。
 親切心からの提案だったが、マリウスは嫌そうに眉を顰めた。
「そんな変態みたいな真似は嫌だ」
「考えすぎですって。ここには私しかいませんよ」
 頑なに首を縦に振らない。王子なりに矜持が高いらしい。
 ──まあ、本人がいいならそれでいいけれど。そろそろよね……。
 窓の外を窺う。太陽が沈みかけていた。
 一体どんな原理で身体が退行するのかはわからない。離宮に滞在しはじめてから呪いに関する書物を漁っているが、退行現象の呪いはひとつも該当しなかった。
 ──身体の時間が逆行しているとしても、日没から夜明けまでという限定的なのも謎なのよね。
「ああ、本当に嫌だ。この感覚は慣れない」
 マリウスが嫌そうに顔を歪めた直後、彼の身体は十歳頃にまで縮んだ。
「やっぱりこっちには効果がないみたいですね」
 子供になったマリウスはもたもたと服を脱ごうとしている。釦を引きちぎられたらヘンドリックが嘆くので、ベルティーナも手助けをした。
「殿下、手袋を脱いだら釦も外せると思いますが」
「いい、気にするな」
 大人の姿のとき、彼はずっと手袋をつけている。そういう趣味なのかと思っていたが、もしかしたらなんらかの理由が隠されているのかもしれない。
「人には見られたくない傷でも隠しているのですか?」
「違う。単純に人との接触が嫌なんだ。俺は女性に触れると蕁麻疹が出る」
「ええ……?」
 実は女性が苦手で生理的に受け付けないらしい。
 ──なんて難儀な……。
 王太子の補佐をしつつ、女性を口説き落として情報収集をしていたことまで芋づる式に知ってしまった。詳細は知りたくなかったのだが、解呪に関わることかもしれないので胸の奥にしまっておく。
「お可哀想に……」
「余計な同情はいらない」
 彼は小さな手で靴下を履き替えている。
 蕁麻疹が出るならベルティーナもマリウスの傍に近寄らない方がよさそうだ。着替えの間はそっと視線を逸らす。
「それより、この指輪だけでは退行現象を抑えられないんだな?」
「そのようですね……一体どんな複合魔法を使用したのかは、本人から詳しく訊いてみる必要がありますが」
 いかんせん返事がこない。
 しつこいくらい通信用の指輪で連絡を試みているが、引き続き頑張るしかない。
「私も調査を続けますので、殿下もしばらく子供の姿を堪能してください」
「どう堪能しろというんだ。不便なことばかりじゃないか」
 ぶつくさ言う姿は微笑ましい。声変わりをする前の声なので余計に可愛く見える。
「もういい加減飽きた」
 ソファに寝そべりクッションを抱きしめる姿は子供そのものだ。
 ──この姿だと指輪も大きさが合わなくなるから、感情が駄々洩れだわ。
 雨季のようにじめじめしたオーラを背負っている。
「殿下、時間が余っているようですから仕事をお持ちしましたよ」
 大量の書類を抱えたヘンドリックを見て、マリウスは一目散に逃げ出した。

 

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