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婚活するならオレにして! 騎士姫は乙女な団長にぐいぐい迫られています 1

第一話

 

 ブライトニア王国。
 トリオリアン大陸中央部に位置する、いくつもの森に囲まれた建国五百年の国だ。
 一番深い森は暗愚の森と呼ばれ、凶暴な魔獣が多数生息している。彼らは不定期に姿を現しては人々を襲っていた。
 王都メリステリアは暗愚の森に近く、魔獣の襲来が絶えない。それを防ぐため、王都は堅牢な外壁で守られていた。
 魔獣襲撃の折には国の各騎士団が出撃し、皆が一丸となって退治する。
 暗愚の森があるお陰で他国との戦争はないが、魔獣との戦いはある。
 そのブライトニア王国の王都メリステリアで、本日、御前試合が行われた。
 国王ホセフの即位三周年を記念しての行事である。
 近衛騎士団の練習場を開放し、国民にも観覧できるようにした御前試合は、騎士が多数参加したこともあり、かなり盛り上がるものとなった。

◇◇◇

「そこまで!」
 審判が片手を上げる。その場は大きな歓声に包まれた。
 勝者の名前が高らかに告げられる。
「勝者、クルト・ヴァニス!」
 御前試合の決勝戦。
 近衛騎士団長と魔獣討伐を主な任務とするギャラー騎士団の団長という、国を代表する騎士同士の一戦となった。
 その勝者は、力強い剣筋で有名な近衛騎士団長クルト・ヴァニス。
 現役公爵でもある彼は、高身長でがっしりとした体格の持ち主だ。
 分厚い鎧を身に纏い、大剣をもって勝利した。
「……ふう」
 戦いを終えた彼が剣をしまい、被っていた兜を脱ぐ。
 黒い短髪と精悍な顔立ちが露わになった。
 途端、黄色い声が上がる。
 顔が良くて、爵位も高い。更には爽やかな雰囲気を持つ彼は、貴族令嬢にも平民にもファンが多いと聞いている。
 敗者となったギャラー騎士団長は悔しげにしていたが、対戦相手に礼をしたあとは、大人しく下がっていった。
 その場には勝者であるクルトだけが残される。
「見事だ!」
 パチパチと拍手をしたのは、この国の国王であり、私の兄でもある人だ。
 三年前、父が亡くなったのを受けて即位した兄は今年二十五歳になる。
 私と同じ金髪碧眼で中性的な美貌の持ち主だ。兄妹だからか、顔の系統が似ている。
 結婚話も出ているようだが、政務が落ち着くまではと断っているらしい。その兄は満足げな顔をしていた。
「素晴らしい試合だった。ここまでの戦いはそう見られるものではないだろう。我が近衛騎士団の団長が優勝したこと、誇りに思う」
「身に余る光栄です」
 クルトが胸に手を当て、一礼する。
 兄は頷き、傍らに立つ私に目を向けた。
「エルザ」
「はい、なんでしょう」
 返事をすると、兄はじっと私を見つめてきた。
「いや、クルトとお前ではどちらの方が強いのかと疑問に思ってな」
「さあ、どうでしょうか」
 兄の疑問を笑って躱す。
 私──エルザ・ブライトニアは第一王女という身分ではあるが、同時に国王親衛隊の隊長でもあるのだ。
 子供の頃から剣術が得意で、兄の即位と共に親衛隊長に取り立てられた。
 親衛隊は女性だけで構成されているが、皆、腕に覚えがある者たちばかり。
 今日は王女ではなく、親衛隊長として兄の護衛の任に当たっていた。
 格好だって鎧を着込んでいる。銀色の甲冑は身体の線に沿ったもので、女性らしさを強調しているみたいで嫌だが、動きやすいところは気に入っていた。
 兄が面白いことを思いついたという顔をする。
「そうだ。なんなら余興としてクルトと戦ってみないか? お前が強いことは無論知っているが、実際どれほどのものか興味がある」
「えっ……」
 兄の言葉を聞いた皆が一斉に私を見る。
 面倒なことになったと思った。
 私は親衛隊長という役柄上、兄の側にいることが多く、あまり騎士団の面々とは関わらない。だからちょっと剣を使えるだけの王女が親衛隊長に抜擢されたと思われているのだ。
 兄としては皆の偏見を払拭させたいのだろう。近衛騎士団長と戦う機会をわざと作ったことは理解できたが、正直乗り気にはなれなかった。
「お兄様、私は──」
「おお、噂の姫騎士と戦えるのならぜひ! 願ってもないことです!!」
 私が断るよりも先に、当のクルトがやる気を見せた。
 新たな戦いに喜びを見出しているのか、少々興奮気味である。
 クルトが前向きな姿勢を見せたことが決め手となったのだろう。兄が命じる。
「クルトも乗り気なら問題ないだろう。エルザ、行ってくれるな?」
「……ご命令とあれば」
 国王命令では断れない。
 小さく息を吐き、気持ちを切り替える。
 戦うとなれば、手を抜くことはできなかった。
 兄にも私を慕う部下たちにも格好悪いところを見せられないからだ。
「──いいわ。相手をしてあげる」
 クルトを見据えつつ告げる。
 目の前の手摺りに手を掛けた。
 国王の観覧席は三階にあったが、気にせず飛び降りる。ポニーテールにした長い真っ直ぐな髪がふわりと宙を舞った。
 私が飛び降りたことに驚いたのか、観客席からどよめきが聞こえる。
 それを心地良く聞きながら地面に着地し、剣を引き抜いた。
 剣先をクルトに向ける。
「私が勝っても恨まないでちょうだい」
「もちろん。姫騎士と名高い姫様にお相手いただけるとは光栄。オレの全てで挑ませていただきましょう」
 物騒な笑みを浮かべ、クルトがしまったばかりの大剣を引き抜く。
 兜を被り直し、構えを取った。
 言葉通り真剣に相手をしてくれるようだ。
「……悪くないわね」
 女性というだけで侮られることが多いだけに、クルトの態度は好感が持てる。
 準備ができたと見なしたのか、審判が試合開始の合図をした。
「始め!」
「ふぬうっ!!」
 先手必勝とばかりに攻撃を仕掛けてきたのはクルトだった。大剣が空気を切り裂き、振り下ろされる。それを己の剣で受け止めた。
「ぐっ……」
 両足を踏ん張る。クルトの剣は重いが、受け止めきれないほどではない。
「なんと……」
 クルトが驚愕の声を上げる。彼としては、私が受け止めきれずに剣を落とすと思ったのだろう。
 そんな無様な姿、見せるはずがないのに。
「──長引けばこちらが不利になるわね。一気に決めるわ」
 腕力や体力で劣っているのは認めざるを得ない。
 早めに勝負を決める必要があった。
 何度か打ち合いをして、距離を取る。
 次の動きで勝敗はついた。
 兄と親衛隊以外の全員がクルトの勝利を疑っていなかっただろうが、結果は逆だった。
 勝利したのは私。
 速度と正確さでクルトを圧倒したのだ。
 懐に入り込んで剣を弾き飛ばせば、クルトは唖然とした顔になった。
 その隙を逃さず、彼の喉元に己の剣を突きつける。
「油断大敵。私の勝ちね」
「……」
 にこりと笑い、審判を見る。
 審判は目を白黒させていたが、慌てて「勝者、エルザ姫!」と私の名前を呼んだ。
 己の目で見たものが信じられないのか、観客席はしんと静まり返っている。
 誰も動かないし、何も言わない。
 そんな中、私は鞘に剣を戻し、クルトに目を向けた。
 彼は顔を俯かせて、じっとしている。己が負けたことを認められないのだろうか。
 騎士なんて総じてプライドが高い生き物だ。
 それが女性、しかも王女に負けたとは信じられないのだろう。
「……姫様」
 小さな声でクルトが私を呼ぶ。その声は少し震えているように聞こえた。
「何? もしかして再戦でもしたいの? 別に構わないけど、結果は同じよ」
 一度戦って分かった。
 クルトは強いが、私ほどではない。
 パワーでは負けるものの、テクニックや速さ、総合力では私の勝ちだ。
 もう一度戦ったところで、勝敗が変わるとは思えない。
 そんなことを考えていると、クルトが勢いよく顔を上げた。
「……」
 鬱陶しげに兜を脱ぎ捨て、なんなら剣も放置し、無言で目の前まで歩いてくる。
 その表情には鬼気迫るものがあり、ある意味試合をしていた時より怖いくらいだ。
 ガシャガシャと音をさせながらやってきた彼は、私をじっと見下ろした。
 クルトは身長も高いが体格も良いのだ。そのせいで妙な威圧感がある。
「な、何よ……?」
 クルトを見上げる。
 捨て台詞でも吐かれるかと構えたが、彼は何も言わない。やがてその顔に笑みが広がっていった。
「え……? きゃっ」
 ガシッと手を握られた。
 何事かと目を見開く。彼はキラキラと目を輝かせて私を見つめていた。
「まさか姫様がこんなにも強い方だったなんて……! 惚れました! どうかオレと結婚してくださいっ!!」
「へ……」
 大音声で告げられ、絶句する。
 今、クルトはなんと言ったのか。
 私の聞き間違いでなければ、惚れたとか、結婚してほしいとか、そんな感じだったと思うのだけれど……。
「へ、へ、へ?」
 動揺する私に、クルトが顔を近づけてくる。
 慌てて顔を逸らした。
「ちょ、ちょっと近いって……」
「姫様の強さに惚れたのです。あなたに剣を弾かれたあの時、恋の矢が心に深く刺さった音が聞こえました。もうあなたしか見えない。どうかオレと──」
「ひぃっ……!」
 真剣に言っているのが分かるだけに、恐怖を感じる。
 というか、恋の矢ってなんだ。妙なたとえは怖さを助長するからやめてほしい。
 先ほどまで静かだった観客は、事態を理解した途端、今度は逆に騒ぎ始めた。
「いいぞ」とか「押し倒せ」とか無責任にクルトをけしかける声が聞こえてくる。
 兄に言われてクルトと戦っただけだというのに、どうしてこんな目に遭わないといけないのだろう。
「姫様……」
「え……?」
 正面を見ると、何故かクルトが唇をキュッと尖らせ、キスしようと顔を近づけていた。反射的に腕を掴んで投げ飛ばす。
「いやあああああ!!」
 ドンという音がしたが無視し、ゼイゼイと膝に手をつき、息を吐く。
 背中から地面に叩きつけられたクルトは「姫様……強い……好きです……」とまだおかしな戯れ言を言っている。
 私は泣きそうになりながらも声を上げた。
「絶対に嫌だけど!? 二度と私に関わらないで!!」
 心からの声だったが、それで終われるはずもない。
 何の因果か、その日から私はクルトに付き纏わられるようになった。

 

 

 

「姫様、今日もあなたにお会いできるなんて夢のようです。もうオレは姫様なしには夜も日も明けない。あなたの恋の奴隷。それが今のオレなのです」
「……今は勤務時間中なのだけれど」
 クルトの口から出てくる口説き文句に顔を引き攣らせる。
 あの御前試合の日から、クルトは会うたびに「好き」だの「結婚してくれ」だの言ってくるようになった。
 今の台詞だって王城の廊下を歩いている私を目聡く見つけたクルトが駆け寄ってきてのものなのである。
 これまで私のことは『親衛隊長をしている王女』としか見ていなかったくせに、凄まじいほどの変わりようだ。
 私の後ろにいる親衛隊員たちも「またか」という顔をしていた。
 こめかみを押さえながら、クルトに告げる。
「もう一度言うわ。今、勤務中なの。あなたもそうよね、ヴァニス団長」
「クルトとお呼びください、姫様。あなたに名前で呼ばれることは至上の幸福。何の変哲もないオレの名前もあなたの呼び声で特別なものへと変わるのです」
「あの、ねえ」
 臭い口説き文句を平然と言ってのける男に、自然とへの字口になる。
 何が至上の幸福か。
 彼が本気で言っていることはよく分かっていたが、こちらとしてはやめてほしい。
 何せ彼は、恋愛小説の一節をそのまま口説き文句に転用しているので。
 気づいたのは、私も同じ本を読んでいたから。
 私は恋愛小説が好きで、夜寝る前に読むのが習慣なのだけれど、小説の台詞がそっくりそのままクルトの口から出てきていると気づいた時は、共感性羞恥で倒れるかと思った。
 こっそり愛読している小説を皆の前で音読されている気分になったのである。
 というか、剣一筋という感じのクルトが恋愛小説を読んでいるというのがまず意外だ。
 そしてそれはそうとして、毎度口説き文句に小説の台詞を使うのは勘弁してほしいところである。
 何せ彼の使う口説き文句のほぼ全ての出典元を私は知っているから。
 つまり、クルトと私は本の趣味が同じなのである。
 この認めがたい事実に気づいた時は、羞恥のあまり穴を掘って埋まりたくなったものだ。
 その時のことを思い出し、いい加減やめさせるべきと決意した私は、勇気を持って彼に挑んだ。
「……その口説き文句、とっても素敵だけどあなた自身の言葉じゃないでしょう? だって全然『らしく』ないもの」
「え……?」
「そういうの、やめた方がいいわ。真実味に欠けるから」
 まさか同じ小説を愛読しているから気づいたとは言えないので『らしくない』と別方向から切り出してみる。
 クルトは口をポカンと開けていたが、すぐににっこりと笑みを浮かべた。
「慧眼恐れ入ります。ご指摘のとおり、愛読している恋愛小説の一節を借りているのですよ。しかし、オレの言葉ではないと見抜くとはさすがとしかいいようがありません。いや、それくらいオレのことをよく見てくださっているということでしょうか。そうだとしたら嬉しいです」
「……いや、嬉しいとかじゃなくて」
 何故か喜ばれてしまった。
 渋い顔をする私に、クルトが柔らかい口調で告げる。
「オレ自身の言葉ではないとのことですが、小説の言葉を借りているだけで、どこにも嘘はありません。全てオレの本心だと思っていただければ」
「……」
「そうだ。よろしければ参考にした小説をお貸ししますよ。姫様にも知っていただければ嬉しいです」
「……遠慮するわ」
 すでに愛読しているとは口が裂けても言えない。
 しかし参った。
 指摘すればやめてくれるかと期待したのに、この様子では今後も同じことが起こりそうだ。
 何せクルトはこのとおり、小説の口説き文句を使うことを恥ずかしいとは思っていない様子なので。
 つまり羞恥に悶えるのは私だけなのだ。
 ──つ、辛い。
「ヴァニス団長……」
「ですからクルト、と」
「お断りよ」
 心の中ではずいぶん前からクルトと呼んでいるが、面と向かって呼ぶ気はないのですげなく断る。
「これ以上仕事の邪魔をしないで。それに私、自分より弱い男に興味はないの。口説くにしても、まずは私を倒してからにしてちょうだい」
 ここまで厳しく言えば、クルトもこれ以上関わってこないだろう。
 私も自分の愛読小説を音読されなくて済むし、もっと早くこうすればよかった。
「行くわよ」
 清々しささえ感じながら、後ろに控える親衛隊員を見る。
 彼女たちもどこかホッとした様子で頷きを返してきた。
「失礼するわ」
 クルトを残し、その場を立ち去る。
 やれやれ、ようやく解放されたと思っていると、後ろから声がした。
「それなら……再戦を希望します!」
「え……?」
 振り返る。
 クルトがこちらを穴が空くかと思うほど見つめていた。
 強く拳を握り、決意を固めたような顔をしている。
 彼のファンが見れば黄色い声を上げること間違いなしな精悍な表情なのだろうが、私は嫌な予感しかなかった。
「ええと、ヴァニス団長?」
「ですから、再戦を希望します。オレは姫様に惚れました。もう姫様以外に考えられない。勝たないとオレを見てくださらないというのなら、そうするだけのこと。姫様、オレと勝負してください」
 ビシッと指を差され、眉が中央に寄った。
 嫌な予感的中である。
 諦めるどころか、再戦の申し込み。
 断りたいところだが、クルトの顔を見れば彼が退かないことは一目瞭然だった。
 肩を落とし、仕方なく告げる。
「……分かったわ。でも今は仕事中なのは本当だから、休憩時間にして。それなら付き合うから」
 なんでこうなるのかと嘆きたくなるも、頷いてしまったからにはやるしかない。
 やる気満々のクルトを見ながら、私はひとり溜息を吐いた。