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婚約破棄はできません!? コワモテ騎士と捨てられ王女がケンカップルから溺愛夫婦になるまで 2

第二話

 

 ──イザーク! この人が……!
 ロザンナは息を呑んでまじまじと、目の前の男を眺めた。おぼろげにしかなかった記憶が、ようやくつながる。ガブリエルの婚約のときなどに、会っている。
 目元と口元が、ガスパールに少しだけ似ている。だが、華やかで洗練された雰囲気のガスパールとは、まるで違っていた。
 まっすぐ伸びた眉の下の瞳は、剣呑な光を放っている。髪と目の色はガスパールよりも暗く、赤みを帯びた茶色の髪は短く切りそろえられていた。
 そのような髪型は軍隊で流行りだと聞いていた。防具をつけるのに、邪魔にならないからだと。
 だが、ダークブラウンの瞳に対して白い部分が際立ち、酷薄そうで冷ややかな目つきだった。
 ガスパールとは、同じ母から生まれた兄弟のはずだ。兄弟でこれほどまでに雰囲気が違っているとは思わなくて、ロザンナは不躾に彼を凝視した。
 イザークのほうも顔立ちは整っているものの、明日、婚儀を挙げる相手を前にしているとは思えないぐらい愛想がない。
 ロザンナの強い視線に対抗するように、まっすぐに見据えてきた。
 ──何よ。
 二人の間には、バチバチと火花が散るほどの緊張が生まれた。
 笑顔には笑顔を。敵意には敵意を。
 ロザンナは目の力をさらに強めようと、ぎゅうと拳を握る。
 結婚相手といきなり喧嘩をするつもりはなかったが、ここまで容赦なくにらみつけられるとは思わなかった。にらまれてもなお笑顔を向けるほどの度量は、ロザンナにない。
 だが、そこでロザンナは、早く国王に訴えなければならない火急の用事を思い出した。
 ハッと、視線を外して玉座を向く。
 そのために急いで、ここにやってきたのだ。
「父さま! 今、街で、──街の広場で、大きな騒ぎが起きております」
「騒ぎとな?」
「得体の知れない男たちが、祝いの葡萄酒の樽を次々と打ち壊し、川に捨てているのです。このままでは、城下の葡萄酒は全て台無しになってしまう……!」
 すぐに止めてもらいたかった。
 この城に警備の兵は大勢いるし、城下にも治安維持のための兵がいる。すぐに彼らに動いてもらえたら、これ以上の被害は避けられるはずだ。
 だが、途端にイザークのどしりとした声が響いた。
「それは、俺がやらせた」
「え? ええええ?」
 あまりの驚きに、ロザンナはギョッとして彼のほうを振り返った。
 イザークはまるで悪びれてはいなかった。
 玉座にあらためて向き直りながら、ロザンナのほうに軽く顎をしゃくる。
 それは、この話題はこれでいいだろ、という合図のように思えた。出て行け、の合図でもあるらしい。そのあとは振り返りもせずに会話を再開しようとするから、ロザンナは食い下がった。
「どうしてそんなことをするのよ! あなたにはわからないかもしれないけれど、城下の人々にとっての振る舞い酒は、大切なものよ! すごく楽しみにしていただろうし、一生の思い出となる──」
 イザークは最後まで聞こうともせずに、鼻でせせら笑った。
「婚儀など、めでたくはないからな」
「何ですって!」
「人生の墓場だ。添いたくもない女と、一生を共にしなければならぬものだと聞いている」
 伝聞の形を取りはしたものの、それは紛れもなくイザークの本心だろう。
 ──添いたくもない女、ですって!
 そのときまでロザンナは、イザークのことを好きでも嫌いでもなかった。どちらかというと、自分と同じ立場──婚約者に逃げられ、いきなりあてがわれた相手と結婚しなければならないということに、同情する気持ちまであったはずだ。
 だが、結婚は人生の墓場だと吐き捨てられ、しかも城下の人々のお楽しみを奪う乱暴狼藉を働くことを命じた、と肯定されたら、さすがに看過できない。
 ──あなたは今、この瞬間から、私の敵として認定されたわ!
 ロザンナはますます強く拳を握った。自分の表情が険しくなっていくのがわかる。
 ロザンナだって、好き好んでイザークと結婚するわけではない。絶対的な君主である父に命じられ、ここまで進んでしまった婚儀の支度と、国家としての体面や、王女としての責任などを考えて、仕方なく合意した結果に過ぎない。
「こ、こっちだってねえ! 好きであなたと結婚するわけじゃないわよ!」
 低く吐き捨てるような声が出た。怒りのあまり、声が震える。
 イザークは臆することなくロザンナに顔を向け、負けじと言い返してくる。
「おまえがしっかり、婚約者をつなぎ止めておかなかった結果だ」
「同じ言葉を、あなたに叩き返してやるわよ! あなたがしっかりとガブリエルをつなぎ止めておいたら、こんなことにはならなかったはずだけど!」
 頭に血が上って、クラクラした。
 ロザンナはもはや自分を取り繕うようなことはしない。言いたいことは何でも言ってやるし、理不尽には立ち向かう。たとえそれが、これから結婚する相手だったとしても。
 ギラギラとした目でにらみ返すと、イザークは男っぽい形のいい眉を少し上げた。そんな表情をすると、造形の良さに少しだけ目を奪われそうになるが、その口から漏れる言葉は限りなく憎たらしい。
「妹とはまるで違うな」
「何ですって!」
 それはロザンナにとって、一番言われたくないことだった。
 ガブリエルは男性にすごくモテた。ロザンナも顔立ち自体は悪くないはずだが、キツい性格が邪魔をした。
 本心では、ガブリエルのようになりたかった。男性の庇護欲を掻き立て、守りたいと思わせるほどのふんわりとした存在に。
 だけど、元婚約者に対する渾身の猫被りが失敗に終わった今、ロザンナはもはや猫を被ることはしない。
 ──特に、こいつのご機嫌を取るなんて御免よ。
 腹の奥から怒りがこみあげてくる。
「父さま、こんな男と結婚するのは無理です」
 まずは玉座に向けて、そう宣言した。
 一度はイザークとの結婚を承諾した。だが、その相手がこんなヤツだとわかったからには、破談にするしかない。
 だが、イザークはロザンナの訴えをせせら笑い、玉座に向き直った。
「陛下の仰せとあらば、このじゃじゃ馬は娶りましょう。ですが、明日からの祝祭は一切行いませんように。逆に鎮魂の鐘を打ち鳴らし、人々が家の外に出ないように注意喚起を」
「鎮魂の鐘ですって!」
 さすがにその言葉には度肝を抜かれて、ロザンナは立ちつくす。
 そこまで自分との結婚は、この男にとって歓迎されない出来事なのだろうか。

 

 

 

 王都に教会は十六カ所ある。
 王族や高位の貴族が出入りする大聖堂から始まり、その他の貴族が通う格式の高い教会。そして、城下の人々に親しまれている教会まで、王都中をカバーしている。
 その教会の全ての塔から、鎮魂の鐘の音が響き渡っていた。
 独特の打ち鳴らされかたは、国における重要人物が亡くなったときのものだ。
 鎮魂の鐘が鳴らされたときには人々は仕事を中止し、家の中に引きこもらなければならない決まりとなっていた。
 だが、今回は誰かが亡くなったわけではない。
 それどころか今日から三日間、王女とブリメーン公爵の婚儀の祝祭が行われる予定だった。城下の人々はそれぞれの広場に集まり、そこで振る舞われる酒やご馳走を食べて歌い騒ぐことを楽しみにしていたのだ。
 だが、その広場に準備されていた葡萄酒の樽は、前日の夕刻に不貞の輩によって打ち壊され、中身を流されてしまった。
 祝祭がどうなるのかわからないまま、城下の人々は朝早くから鳴り響く鎮魂の鐘の音に、不安を掻き立てられていることだろう。
 それでも人々は、ただ家の中に閉じこもっているしかないのだ。
 ──私にも、わけがわからないわ。
 ロザンナは空を見上げながらぼやいた。
 人っ子一人いない王城の広い大通りを、豪華な花嫁衣装を身にまとい、座席剥き出しのパレードの馬車に乗せられて、大聖堂へと運ばれていく最中だ。
 ロザンナが大反対したものの、イザークとの婚儀は予定されていた日取りで執り行われることとなった。
 ロザンナには拒否権がなかったし、イザークも国王の命令には従うつもりらしい。だが、イザークがあの場で言い出した鎮魂の鐘が、どうして現実に打ち鳴らされることになったのか、そのいきさつがロザンナには理解できないままだ。
 今日の王都は喜びに包まれているはずだった。ロザンナとイザークが乗った馬車は、沿道にびっしり立ち並ぶ人々によって、祝福されながら進むはずだった。
 だが今、ロザンナが乗った馬車を見送る人は一人もいない。いつもは大勢の馬車や荷馬車、人々で賑わっている通りとの対比に目を見張る。
 さきほどチラリと見えた広場もガランとしていた。前日まで積まれていた葡萄酒の補充もされていないようだ。
 ──どうして父さまは、イザークのこのような申し出を承諾したの?
 イザークが鎮魂の鐘を打ち鳴らせと言い出した時点で、ロザンナは話にならないと憤慨して退出した。まさか父は同意しないと思っていたのだが、どんな話し合いによってこのような惨事が実行されることになったのか、そのいきさつがまるでわからない。
 部屋に戻り、ふて寝したロザンナだったが、その翌日にあたる今朝未明から侍女が詰めかけて、婚儀の準備を開始した。
 あきらめてそれには応じることにしたものの、鎮魂の鐘が鳴り響く中で教会に向かっているなんて、まるで悪夢の中の出来事のようだ。
 王城から教会まで、誰の姿も見ないまま馬車は進む。ついに王城から少し離れたところにある大聖堂にたどり着いて、その門をくぐった。
 大聖堂は尖った塔が天まで届くほどにそびえ立つ、壮大な建物だ。細やかな石彫りが壁面を飾り、縦長の窓には色とりどりのステンドグラスがはめこまれている。
 出迎えた司祭の後についてロザンナが中に入ると、朝日に照らされた窓からの光が、七色に染まって教会の床を彩っていた。
 その光を踏みながら、ロザンナは今日の婚儀のための特別な控え室に向かう。
 王族は代々、この大聖堂で戴冠式や婚儀を行ってきた。
 今日はここに大勢の貴族や国外の王族や賓客が集まり、ロザンナとイザークの婚儀を見守ることとなる。
 ──ついに、このときが来たんだわ。
 ロザンナは控え室の硬い木の椅子に、背をまっすぐに伸ばして座った。未明からの支度ですでに疲れ切っていたが、大きく広がったドレスや装身具のために、特定の姿勢でしか座ることができない。早く婚儀や祝宴を終えて、自由になって寝転がりたい。そんなことしか考えられない。
 しばらくすると大司教がやってきて、今日の婚儀での振る舞いかたを一通り説明された。
 さらに時間が経つと、広い大聖堂に招待客が次々とやってくる気配がある。大聖堂の門前にひっきりなしに馬車が停まり、下車待ちの渋滞も起きているようだ。そんなようすを、侍女が教えてくれる。
 だが、婚儀が始まる時間になっても、誰もロザンナを呼びにこなかった。
 そのことに不安を掻き立てられ、侍女に何度もようすを見に行かせた。大聖堂には招待客がひしめいているものの、イザークの控え室はガランとしていて、従者も到着していないそうだ。
 ──どういうことなの……?
 ロザンナは不安と憤りを掻き立てられた。自分は朝早くからこうして準備をし、ひたすら待っている。なのにイザークがやってこないというのは、ひどく軽んじられている気がした。
 ──すっぽかすつもりなのかしら。
 だったらロザンナのほうも婚儀を放棄して、教会から出て行きたい。だが、どうにかギリギリ耐えられたのは、イザークだけではなく、父であるジョセフ十二世もここに姿を見せていないと聞いたからだ。
 ジョセフ十二世が現れなければ、婚儀は始まらない。婚儀は大司教によって進行されるが、国王の承認が必要となる。
 じわじわと時間だけが過ぎていった。列席者にも何の説明もないらしく、聖堂内はざわつき、落ち着かないようすだそうだ。
 ロザンナは次第に背骨のあたりが軋んでくるのを感じながら、硬い椅子に何度も座り直した。
 婚儀のドレスは、繊細なレースを幾重にも重ねたものだ。熟練のお針子が一日中作業をしても、ほんの数センチしか編み上げることができない貴重なレースがふんだんに使われている。このドレスでは食事もできないし、横にもなれない。
 全身がますます痛くなっていくのを感じながら、ひたすら待ち続けること半日──。
 ついに日がどっぷりと沈んだ。
 そんなころ、ようやくイザークとジョセフ十二世が乗った馬車の隊列が王城を出たという知らせが入った。もうじき大聖堂につくはずだと聞いて、弾かれたようにロザンナは顔を上げる。
 ──ここまで待たせるなんて、最低だわ。最低、最低。
 思い描いていた婚儀は、こんなものではなかった。
 いくら政略結婚であっても、互いに好意があれば、それなりの幸せが期待できる。
 花嫁衣装は何年も前から、母であるエマ王妃と相談して生地やデザインを選定し、何度も試着を重ねてきたものだ。
 それを身につけた自分は、幸せな花嫁になれるはずだった。少なくとも対外的には。華やかで美しい花嫁として、祝福されるはずだった。
 なのに、今のロザンナは限りなく惨めだ。女性にとっては何より大切な日を、イザークによって踏みにじられた。怒りと悲しみが胸の中に渦巻いている。
 そのとき、不意に控え室のドアが開かれ、イザークが姿を現した。
「すまない。遅くなった」
 その姿を見た瞬間、ロザンナは完全にぶち切れた。
 何故なら、イザークは婚儀の衣装さえ身につけていなかったからだ。昨夜、玉座の間で見た通りの、動きやすさを最優先にした、黒の片マント姿──。
 反射的に身体が動いてイザークに歩み寄り、その頬をぶっ叩いていた。
 イザークはロザンナがそのような行動に出るとは思っていなかったらしい。防御の姿勢を取るのが遅れた。
 バシンと、強い音が鳴り響く。
 平手打ちした後で、ロザンナはてのひらにジンジンとした痛みを感じながら、イザークをにらみつけた。
 だけどこれくらいで、気持ちが落ち着くはずもない。まばたきすると、涙が頬を伝う。悲しいわけではない。怒りの涙だ。
 ロザンナは涙を拭うこともせず、イザークを見据えた。
「あやまらなくって結構よ。あなたの気持ちはよくわかったわ」
 これほどの遅刻によって、自分と結婚したくないという気持ちが嫌というほど伝わってきた。
 イザークは何も言い訳することなく、ロザンナの前から立ち去った。
 ロザンナは気持ちが落ち着くまで部屋にいたが、ほどなくして婚儀が始まる、という知らせが入る。
 それに無言でうなずいて、廊下に出た。
 ここまで最低な出来事が重なると、もはやどうでもいい気持ちになった。案内された部屋で引き合わされたイザークは、さきほどの服から着替えていた。白っぽいきらびやかな服になっていたのだが、ロザンナはイザークの姿をまともに見ることはない。
 ──あなたの気持ちは、よくわかったから。
 横に並ぶイザークも、ロザンナに話しかけなかった。無言のまま二人は大司教と補佐役の司祭に先導され、列席者の間を通って祭壇へと向かう。
 すでに父も席についているようだ。
 式が始まっても、ロザンナの心は冷え切っていた。
 まるでわかり合えない相手と結婚することが、ロザンナの心を荒ませる。
 ──本当に、この人と結婚していいの?
 あらためて盗み見てみれば、イザークの婚儀の衣装はガスパールのために仕立ててあったものをそのまま流用したものらしい。サイズが合っていない。
 発達した筋肉のために、胸元がはち切れそうだ。長衣の裾で隠れていたが、太腿のあたりの布地も、動くたびに張りつめている。
 ──だから、いつもの服で代用しようとしたの?
 それでもあまりにロザンナが怒ったものだから、婚礼衣装に着替えたのだろうか。
 ──それくらいでは、許してあげないんだから……! イザークは許されないことをしたのよ……!
 広場で乱暴狼藉していた男たちの姿を思い出す。葡萄酒の振る舞いがどれだけ、人々にとって楽しみとなるのか、理解していないのだろう。
 ロザンナは理不尽には立ち向かいたい。城下の人々の生活を知っている。祭りというのが、どれだけ人々にとって日々を輝かすものとなるのか。
 式は遅れを取り戻すために、省略を繰り返す。聖歌や説教もそこそこに、最後の宣誓へと進みつつあった。
 神の前で、一生を共にすると誓うところだ。
 その誓いは一生守らなければならない神聖なものだという。
 だけど今のロザンナにとって、イザークへの愛を誓うことは、自分の心に背く行為に他ならない。
 ──もしここで「誓わない」と言ったら、どうなるの?
 そんな思いが、ふと心に兆した。最初は単なる思いつきでしかなかったはずなのに、呼吸とともに膨れ上がっていく。
 ここでイザークとの婚儀を中止しなかったら、一生後悔する気がする。
 ロザンナは十分に我慢した。国のため、王女としての立場も考え、いきなりの結婚相手変更に応じようとした。
 けれど、イザークにここまで踏みにじられた。
 そんな男と、婚儀を挙げる必要はあるだろうか。
 父である国王に嫌だと伝えても、押し切られた。だが、この婚儀の場で「誓わない」と明言したならば、全てがブチ壊しになるはずだ。
 唯一にして最後の抵抗の機会は、今しかない。
 ──だったら、もう全部、終わりにしない?
 心の中で自分に問いかけた。
 ロザンナは基本的には、真面目な人間だ。
 この国の王女として生を受け、その立場にふさわしい人間になるべく、努力を重ねてきた。だが、正しい自分であろうとする反面、どこかで無理をしていた。だからこそたまに城を抜け出して城下をうろつき回るという、王女にふさわしくない密かな息抜きが必要だったのだ。
 ──その結果が、鎮魂の鐘と大遅刻よ?
 イザークがこの婚儀を尊重しているとは到底思えない。こんなふうにされて、自分だけ従順に振る舞わなければならない理由はあるだろうか。
 そのとき、祭壇を背にして二人の前に立った大司教が、朗々とした声でロザンナに問いかけた。
「誓いますか」
 ここでは、誓います、と答えるのが常道だ。さきほど説明を受けている。
 だが、腹を決めたロザンナは、大きく深呼吸をした。
「誓い──」
 ません、と言おうとした。
 なのに、その最後の瞬間、横にいたイザークがいきなりロザンナの肩をつかんだ。強引にロザンナを自分のほうに引き寄せる。
 ──え? えええええ?
 何をされるのかわからず、ロザンナはビックリして固まった。
 背の高いイザークの整った顔が、眼前に迫った。大きく目を見開いたそのとき、ロザンナの唇を何かが塞いだ。
 それはイザークの唇だ。
「んぐ、……ぐ、……きゃ、……ンンン」
 驚きのあまり、悲鳴を発しようとした。
 そのとき、ぬるっとした舌に舌をからめとられた。くぐもったうめきしか漏れない。
 ぞくっとするような淫らな感覚が、腰に伝い落ちる。
 腰が砕けて、がくっと膝が崩れ落ちた。
 そんなロザンナを抱えこみ、イザークが大きく声を放った。
「この婚儀に誰か、異議を持つものはいるか!」
 これは本来ならば、大司教のセリフだ。
 出生や死亡に至るまでの血族の記録に不備が多いことを踏まえ、重婚などを防ぐために儀礼的に尋ねるものだ。
 王族の場合はそれらの不備はあり得ない。形式としてのみ存在している。
 大司教のセリフを奪って挑むように周囲を見回したイザークは、獰猛な獣そのものだった。
 大聖堂の広い空間にひしめいていた列席者は、イザークの気迫に呑まれたように静まり返った。
 それを確認するなり、イザークはさらに大きな声を放つ。
「異議はないようだ。これで婚儀は成立した……!」
 ロザンナは呆然としたまま、イザークに抱き上げられて退出させられる。
 いきなりのキスに、度肝を抜かれていた。まだその感触が口腔内に生々しく残っており、言葉を発することができない。
 それに、驚くほど強く抱えこまれて、まともに息もできなかった。