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婚約破棄はできません!? コワモテ騎士と捨てられ王女がケンカップルから溺愛夫婦になるまで 3

第三話

 

 ──ちょっとちょっと! 何よあれは! 何のつもりよ!
 ロザンナは大聖堂の前に停車していたブリメーン公爵家の馬車まで、イザークによって直接運びこまれた。
 その馬車にイザークまで乗りこんできたならば、思いっきり不満を叩きつけることができただろう。だが、イザークはあっという間に馬車を降り、ロザンナ一人だけを残して去ってしまった。
 ロザンナの婚儀のドレスは高価なレースが幾重にも重なった品で、とても嵩張る。だから、それ以上乗ることはできないといった物理的な理由もあったのかもしれないが、ロザンナには彼が自分から逃げたように感じられてならなかった。
 ──あの男は、野性の勘を持ってるようだわ。だって、『誓いません!』と本気で言おうとしたのに、素早く封じられたもの!
 あのタイミングで口づけされたのは、ロザンナの反逆を、その表情や口の動きから読み取ったためではないだろうか。
 ──それくらい、あの男はしそうだわ。狡猾で、悪知恵ばかり回りそう。
 ロザンナは憤懣やるかたなく、一人でプリプリと怒り続けている。
 ──ううううう。
 悔しさに歯がみするロザンナを乗せた馬車は、ほどなくブリメーン公爵邸に到着した。離宮に匹敵するほどの広大な館であり、そこであらためて婚儀の披露宴が開かれることになる。
 婚儀が中止できなかったのだから、ロザンナは腹をくくるしかなかった。
 新しいブリメーン公爵夫人として、内外の賓客たち大勢に挨拶しなければならない。イザークの大遅刻のせいで、この屋敷で宴が始まるのもだいぶ押したが、それでも朝まで続くのだから、決行するらしい。
 だいぶ遅れて始まった宴ではイザークと並んで座り、社交が苦手そうなイザークを何かと補佐することになった。
 滅多に社交の席に出てこないから、イザークはまるで人々の顔や名を知らない。そんなイザークが無礼を働かないように、ロザンナがこっそり招待客の身分や名を教えてやった。
 挨拶が一通りすんで一息ついていたときに、ロザンナはこの宴に招待されていた従兄とバッタリ顔を合わせた。
 そこで嵐のような勢いで愚痴を漏らした後で、イザークの人となりを尋ねてみた。社交はともかく、軍でのイザークの評価を知りたかったからだ。
 常に近隣国からの脅威にさらされてきたパラメウィア王国には、国王直属の強大な常設軍がある。その軍で重職にあった従兄は、イザークのことをよく知っていた。
「イザークは優秀な指導者だよ。彼とはブリメーン公爵領における軍政や、北の山脈の防衛について、何かと話し合うことがある」
「北の山脈?」
 ブリメーン公爵領に属するその地域の防衛が、この国の防衛の肝でもあると、かつて聞いたことがあった。
 だが、詳しく知らなかったので尋ねると、従兄はわかりやすく説明してくれた。
 この大陸には三つの大国と、いくつかの小国がある。
 その大国の一つが、ここパラメウィア王国だ。その隣国である大オリゴ皇国と、何かと覇を競う関係にあった。
 かつては北の山脈は、隣国に対する天然の防御壁とされていた。軍隊がこの山脈を越えることは不可能だったからだ。それもあって、大オリゴ皇国との国境に近いこのパラディスの地に王都が築かれたのだが、当時と今では事情が違っている。
 軍の装備品の性能が上がり、それなりに道も整備されたことで、かなりの無理は必要だが、軍隊が北の山脈を越えられるようになった。
 北の山脈が攻略可能となったことで、パラメウィア王家にとって、ブリメーン公爵領との連携が重要事となった。
 現在、ブリメーン公爵領には強力な公爵軍が常設され、北の山脈ににらみを利かせている。イザークはその軍の責任者だ。
「そういうことなのね」
 納得してうなずくと、従兄は続けた。
「イザークは十代のときからずっと、ブリメーン公爵軍で鍛えられてきた。ブリメーン公爵家では長男は社交、次男以下は軍と決められているようだな。イザークは優秀な副官の助けも得て、十年ほどで軍を立て直した。今では、我が国におけるもっとも頼りになる軍になっている」
「……そう」
「しかも、ブリメーン公爵領では、徴兵した兵に必ず自分の故郷に近いところを守らせるそうだ。それによって、士気も維持できる」
 従兄はどれだけイザークが努力して、軍のために財政を整備したかも語る。
 普段は辛辣な物言いが目立つ従兄だが、思いがけない評価の高さに驚いた。
 ──それだけ、イザークは優秀なのね。
 自分の手柄のようにイザークの功績を次々と挙げていくさまに圧倒されていると、従兄は表情をあらためて、ロザンナに言ってきた。
「陛下がブリメーン公爵家との婚姻関係を重視されるのは、決して彼らに裏切られたくないからだ。陛下は嫡子のガスパールよりも、イザークを評価しているところがある。おまえはイザークの心を奪い、国家への忠誠心を確かなものにさせろ。それが、王家の娘としての役目だ」
 ──私にそんなことができるとでも……!
 ガブリエルならまだしも、ロザンナには自分に女性としての魅力が備わっているのか、自信がない。
 だからこそ、これほどまでに軽視されてもどこかで受け入れてしまっているのだ。
 重責に押しつぶされそうになっていると、宴の第一部が終わった。このまま宴は朝まで続くのだが、ロザンナとイザークはここで大広間から退去することになる。
 新郎新婦にはこの後も大切な仕事が待っているからだ。
 ──その大切な仕事とは、初夜よ。
 考えただけで、ロザンナはげんなりした。従兄からイザークの心を奪えとそそのかされたものの、もう何も考えずに眠りたい。何しろ長時間教会で待たされたせいで、全身くたくたなのだ。
 大広間から公爵家の人々が住む棟まで、一団となって移動する。かなりの距離があった。先導するイザークの後に従いながら、ロザンナは新居となる屋敷の広大な敷地を眺めた。
 堅牢な壁に囲まれた要塞都市である王都では、一番奥まった高台に王城が築かれている。そして王都の主要な区域には位の高い貴族の屋敷が置かれ、その区域を守護する役割を担わされていた。
 国一番の大貴族であるブリメーン公爵邸にも、東の一角を守る義務がある。
 防衛と豪奢さを兼ね備えたこの公爵邸のことを、王都に初めてやってきた国内外の貴族や賓客は、王城だと間違えることがあるくらいだ。本当の王城はブリメーン公爵家からのふんだんな寄付を得て、さらなる豪華さで建てられているのだが。
 ブリメーン公爵邸にはガスパールの婚約者だったころ、出入りしたことがあった。だが、あらためて自分がここの女主人になったと思うと不思議な気持ちになった。
 ロザンナは長い渡り廊下を経て、別の棟までたどり着く。
 宴のざわめきは少しずつ遠ざかったが、廊下の内装の美しさやシャンデリアはますます華やかになっていく。
 あまり金のない貴族の屋敷では、大広間などの対外的な空間だけはどうにか取り繕ってあるものの、来客に見せない空間は装飾のない簡素な造りになっているとも聞く。
 だが、さすがにブリメーン公爵家だ。財政の豊かさは、こんなところにも表れている。
 ──それはそうよね。我が国有数の金鉱山があるところだもの。
 ややもすれば、王家を凌駕するほどの財政規模だ。ブリメーン公爵家の財産は、国家ですら把握できていないらしい。
 ガスパールの婚約者だったロザンナだが、会うのはほとんどが公的な場だった。このような奥まったところにまでは立ち入ったことがなく、物珍しさについあちらこちらを眺めてしまう。
 だが、ロザンナにはそれ以上に気になることがあった。
「あの、……あのね」
 二人の背後から、少し間を置いて家令と、他に三人の男がついてきていた。
 彼らに聞かれないようにイザークに追いつき、声をひそめて問いかけた。
「これから、初夜でしょ」
 いくら気が強いとはいえ、ロザンナはまだ二十歳であり、乙女だ。ガスパールとはキスをしたこともない清い間柄だったから、その単語を口にしただけで、恥ずかしさに頬が赤く染まりそうになる。
 イザークが無言で視線を向けてきた。
「する気、あるの?」
 ロザンナはささやき声で聞いてみる。
 問題はそれだった。
 政略結婚であっても、いやむしろ政略結婚であればこそ、二人には家の後継者となるべき子供を作らなければならない義務がある。だが、こんな状況で結婚した二人に、恋愛感情があるはずもない。
 自分を抱くつもりがあるのかどうか、そろそろ問いただしておきたかったのだ。
 イザークがロザンナを眺めながら、嘲るように唇をゆがめた。
「怖いのか?」
 ──あなた、そういうところ……!
 イザークの挑発を受けて、ロザンナはイラァッとする。その怒りを心にとどめておくことができずに、ささやき声ながらも荒々しく言い返した。
「怖くはないけど、その気は全くないわね!」
「俺もだ。その気はない」
「だったら、なしにしない?」
 そんなロザンナの提案に、イザークが片方だけ眉を上げた。
 そのときの表情は、もともとの造形と相まって、見とれるほど格好良くはあった。だが、同時にやたらと煽られる。イザークは驚くほど、ロザンナを苛立たせる術に長けている。
「──俺にも、望まぬ女を抱く趣味はないが」
「だったら、なしにしましょう!」
「ならば、形だけで」
 そこまでイザークが言ったところで、ロザンナたちはとあるドアの前に到達した。歩哨が二人を見て、ドアを開く。
 この廊下から先が、ブリメーン公爵家の私的な棟のようだ。
 透かし彫りで植物の加工がされた大理石の柱と、高い天井に施された天井画が目を惹く。代々のブリメーン公爵の肖像画が飾られている細長いホールを抜けていくと、侍女が二人、待っていた。
 部屋付きの侍女だと、追いついてきた家令に伝えられ、挨拶される。
 ロザンナは彼女らに先導され、イザークとはここでいったん、別れることとなった。
 案内されたのは、当主の妻の部屋だ。
 ──うわ、……素敵……!
 ロザンナはドアをくぐったところで、うっとりと室内に見入った。まばゆいほどのシャンデリアが輝いていた派手で豪奢な大広間とはまるで雰囲気が違う。柔らかな色彩に包まれた、居心地のよさそうな空間だ。
 贅を尽くした家具が置かれた居間が手前にあり、その奥に寝室がある。
 ──さらに、衣装部屋まであるのね!
 とにかくウエディングドレスから解放されたかったので、ロザンナは着替えることにした。
 今日は朝早くから婚儀のために着替えさせられ、長い時間、冷えこむ教会で待たされた。さらにお披露目の宴で作り笑顔が売り切れるまで挨拶し続けて、くたくただ。
 ロザンナはようやく重くて嵩張るドレスを脱ぎ、侍女たちに手伝われて湯浴みを終える。
 その後で髪を乾かされながら、しばし放心した。
 ──そういえば、初夜は『形だけ』ってイザークは言ってたわ。それって、どういう意味?
 だが、まともに考えることもできないほど瞼が重くなった。
 このまま眠ってしまいたい。
 そのとき、侍女が歩み寄ってきて、ロザンナの耳元でささやいた。
「後ほど、ご当主さまがいらっしゃるそうです」
 ──え?
 ドキンと、鼓動が大きく鳴り響いた。
 婚儀は式を挙げただけで終了するものではないのは、知っている。その後に、通常ならば初夜の儀式が待ち受けているのだ。
 婚姻が正式なものであり、しかも完成されたものであると立証するために、身分のある者が初夜に立ち会う習わしがあった。
 先ほど、宴の席からロザンナとイザークの背後を歩いていた三人の男がそれだ。
 司祭と、王家側の立会人、ブリメーン公爵家側の立会人。その三人によって、花嫁が処女であるかが確かめられ、無事に性行為が行われたことが見届けられる。その後で、司祭が祝福を与える儀式があった。
 ──最低よね。
 ロザンナはそのことを考えただけでげんなりしてしまう。本当にそのような見届けが、今でも行われているのだろうか。
 何より準備できていないのは、ロザンナの心だ。
 ──だってあまりにも、急なことばかりだったもの。
 髪が乾き、夜着に着替えさせられたあたりで、ロザンナの中でぷっつりと糸が切れた。ソファに力なくもたれかかる。
 もう何も考えたくない。考えることを、頭が拒否していた。
 これでイザークが、もっと人当たりがよくて穏やかな人間であればよかった。だけど、普通にしていても、にらまれているような眼力の持ち主だ。
 ロザンナもにらまれたらにらみ返さずにはいられない性格だ。こんな自分たちが、うまくいくはずがない。
 ──いいわ。もう寝ちゃおう。疲れたわ。疲れ切ったわ……。もうこれ以上は、無理。
 初夜について考える余裕もなく、ロザンナはソファで目を閉じた。
 それから、どれくらいの時間が経ったときだろうか。
「──おい」
 低く呼びかけられて薄く目を開くと、部屋の明かりが落とされていることに気づいた。自分はいつの間にか寝室に移され、ベッドに寝かされている。
 室内には、香油の甘い匂いが漂っていた。天蓋布を下ろされた空間の中にいる。ランプの光にうっすらと浮かび上がった男っぽい端整な顔を、ロザンナはぼんやりと見上げた。
「な……に……」
 だが、眠すぎたので、そのまま寝返りを打ってランプの光から目を背けようとした。
 自分は何か、大切なことをしなければならない。そんな気持ちが、心のどこかにかすかに残っていた。
 それでも眠さが勝っていて、目を開けていられない。
 そんなロザンナの態度に、誰かが低く笑ったようだった。
 その気配に、ロザンナの意識は少しだけ現実に引き戻された。
 ──笑った……?
 何だかこれは、すごく珍しいことのような気がする。見逃してはいけないと思ったロザンナは、無理をして重い瞼を持ち上げる。こちらのほうに屈みこんだイザークの顔が見えたとき、ようやく今の状況を思い出した。
 ──そうだ、初夜!
 バチッと、目が大きく開く。眠気が吹き飛んだ。
 いったいどんな状況なのか把握したくて、周囲を見回した。
 室内は天蓋布で阻まれて見えないが、今は真夜中だろうか。
 イザークが低い声でささやいた。
「初夜の見届け人が来ている」
 その言葉に、ロザンナの心臓はドキリと跳ね上がった。
「どこに……?」
「隣の部屋だ。形だけ、どうにか取り繕う必要がある」
 そう言った後で、イザークが自分の指を口元に押し当て、力をこめた。
 それから手をベッドに入れ、ロザンナの腰の横あたりで動かす。
「……何をしているの?」
 ロザンナは闇の中で目を凝らさずにはいられなかった。
「痕跡を残している」
「っ」
 指から流れた血をシーツに擦りつけているのだと知って、ロザンナは狼狽した。そこまでの偽装工作が必要なのだろうか。
 それをすませてから、イザークはロザンナの横の上掛けを引き上げて、その中に潜りこんできた。
「見届けの儀式は、三日続く。だが、今日のところは『形だけ』のこれでごまかせるはずだ。そのまま、眠っていろ」
 その声は、暗闇の中で柔らかく響いた。
 初めて、イザークの気遣いを感じ取ったような気がする。
 警戒していた心が、その言葉によって柔らかくほどけていく。
「わかった。眠るわ。……おやすみなさい」
 ロザンナの疲れは限界に達していて、眠気のあまり頭痛までしてくる始末だ。
 とにかく、今夜は何もかも投げ出して眠りたい。ロザンナは再び身体から力を抜いていく。
 次の瞬間には、また眠りに落ちていた。
 その次にふと目を醒ましたとき、まだ夜は明けていないようだった。
 ロザンナの部屋のベッドに、イザークはまだいた。初夜のアリバイのため、自分のベッドに戻ることはかなわないのだろう。
 面倒な儀式だと思いながらも、ロザンナは声もなく笑った。イザークが少しだけ好ましく思える。
 また深い眠りへと落ちていく。
 翌朝、あらためて起きたときには、もうイザークはいなかった。

 

 

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