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悪女(と誤解される私)が腹黒王太子様の愛され妃になりそうです!? ~新婚編~ 2

第二話

 

「お待ちくださいませ、突然席を立たれていかがされましたの?」
 アンジェリカは、会議の途中でふらふらと出ていった一人の貴族を呼び止めた。
「こ……これは王太子妃殿下……!」
 冴えない顔色の貴族が、アンジェリカの呼びかけに振り返り直立不動になった。
 人見知りのアンジェリカは、未だに強ばりがちな顔筋を動かし彼に微笑みかける。
「……っ! 大変申し訳ありませんでした!」
 出会い頭に謝罪され、やはりこの顔は人並み外れて怖いのだと少し寂しい気持ちになる。だがすぐに気を取り直し、アンジェリカは『笑顔』のままで彼に問いかけた。
「会議場で何かありまして?」
「いえ、とくにございません、申し訳ございません!」
「謝らなくてよろしくてよ?」
「さようでございましたか、申し訳ございません!」
 貴族の顔は汗だくだ。
 初対面の人にひたすら謝罪されるのは、この怖い顔、氷の将軍と言われる父に生き写しの『コワモテ』のせいだ。
 分かっているがいくつになっても慣れない。
 そう思いながらアンジェリカは『できる限りの優しい顔』で彼に尋ねた。
「なにかあったのならお話しくださいな。もしかして女神祭の女神決めで問題が?」
 女神役決めが揉め続けていることはアンジェリカも知っている。その件で、ただでさえ多忙なエルヴァンが余計に頭を悩ませていることも。
「いいえ、王太子妃殿下のお耳を汚すようなことではないのでございます!」
 どうしても話したくないらしい。
 アンジェリカは残念に思いつつも、思い切り愛想良く微笑んでみた。
「言えないことなら仕方ありませんね」
 多分、今の自分の顔は、悪役が決め台詞を吐くときの顔になっている。
 エルヴァンや数少ない侍女、実家の皆の前では笑えるのに。
 ──もっと柔らかくなって、私の顔筋!
 そう念じたとき、貴族がカタカタと震えながら小声で語り出した。
「な、なにも企んではおりません……ッ! ただ、女神役がうちの娘に回ってくることはないのだろうなと、ただ、それだけの理由で失望して席を立ちました!」
「まぁ」
 心を割って話してくれたのではなく、処罰に怯えて口を開いたように見えなくもない。だが彼が口を開いてくれたことに感謝して、アンジェリカは一礼した。
「そうでしたのね。お嬢様が花の女神役を望んでいらっしゃいますの?」
「え、ええ、娘が身の程もわきまえずに女神役を望んでいるのです……ですが、小柄ですし、事情があって体力もなく、他の令嬢方との競争を勝ち抜けるような子ではないので」
 そう言うと、貴族は見るからにしゅんとした様子になった。
「そのような状況のお嬢様が、なぜ女神役を望んでおいでなのかしら?」
「はい、あ、大変失礼いたしました。私はダルト伯爵家の当主、エイランと申します」
 ようやく普通に喋ってくれるようになった貴族が、そう名乗った。
 ──ダルト伯爵といえば、領主貴族の中でもかなり上位の家柄ね。
 そう思いながらアンジェリカは頷く。
「娘は生まれつき心臓が悪く、ずっと手術が必要だと言われてきたのです。ですが、怖いからと、未だに手術を受けておりません」
「もちろんそうでしょう、身体にメスを入れるのですから」
 気の毒な話を耳にし、アンジェリカは眉をひそめた。
「ですがそんな弱気な娘が、もし祭りの女神役を務められたら、女神のご加護にあやかって手術を受けられそうだと言いだしたのです。娘なりに折り合いを付けて、やる気になってくれたことは嬉しいのですが、残念ながら、やはり娘の願いは叶えてやれそうになく」
「まぁ、そうでしたの」
 そんな事情があるなら、女神役に就かせたいと考えるのも無理はない。
 しかし現実問題、手術が必要な身体で、女神祭の長い準備や衣装合わせ、女神役としての公務を果たすのは難しい。
 ──でも、ごく一部なら特別に叶えてあげられるかもしれないわ。
 そう思いながらアンジェリカは尋ねた。
「お嬢様は、女神役のどこに魅力を感じていらっしゃいますの?」
「……まあその、色々と事情がございまして」
「漠然と憧れておいでなのですか?」
「はい、そのとおりです。あ、これは失礼いたしました。妃殿下の貴重なお時間を」
「大丈夫です。ですが、せっかくお嬢様が手術に前向きになってくださったのに、頭ごなしに女神役は無理だと言い聞かせるのも心苦しいですわね」
「はい。私自身は娘には女神役は無理だと納得できましたが、娘は残念がるでしょう。せめて妃殿下に直接お会いできれば、娘も多少は……」
「私、ですか?」
 唐突な話題の転換に、アンジェリカは首をかしげる。
「あ、申し訳ございません! 娘はその、以前よりアンジェリカ妃殿下に憧れておりまして……どうしてもお会いしてみたいと……」
 領主貴族の令嬢に『会いたい』と言われるなんてほぼ初めてで、アンジェリカは激しく戸惑う。困り顔のアンジェリカに気付いたのか、伯爵が慌てたように付け加えた。
「あ、む、無論、王太子妃ともあろうお方に、我が家の娘ごときを見舞ってほしいなどとは考えておりません、失礼いたしました!」
「いいえ、大丈夫です。私がお嬢様にお会いするのは構いませんわ」
 いくら戸惑いを覚えるとはいえ、病人を放ってはおけない。首を横に振ると、伯爵は大いにほっとした様子で胸に手を当てた。
「あ、ありがとうございます! 手術を受けさせたいのですが、どう頑張っても娘を説得できず、正直困り果てていたのです!」
 安堵している伯爵の態度からは、嘘をついている様子は見られなかった。
「そうなのですね、いくつか日程を挙げてくだされば、都合をつけてお嬢様のところに伺いますわ。いかが?」
「では、唐突なお願いで申し訳ないのですが、娘が開くお茶会にご出席いただけないでしょうか?」
「お茶会……? お見舞いではなく、ですか?」
 予想外の言葉にアンジェリカは目を丸くした。
 武門貴族の令嬢が開くお茶会には何度か出たことがある。
 華美な支度はできないので、質実剛健、簡素実直なお茶会ばかりだった。
 話題も家門の心得についてや武技の修行の話、将来はどんな武官に嫁ぎたいか……というような『いかにも武家の娘』で『頭が固そう』なものがほとんどだったのだ。
 ──あんなにお堅い席でも『顔が怖い』と浮きまくっていた私がお茶会に?
 平静な外面とは裏腹に、アンジェリカの背中につーっと汗が伝った。
 ──大丈夫? 自分から世話を焼いておいてなんだけれど。
「お茶会はいつですの?」
「明後日なのですが……大丈夫でしょうか?」
 近日で逆に良かった。絶対に外せない公務もないし、なによりアンジェリカ自身が『お茶会どうしよう』『何を喋ろう』と悶々と悩む時間も短くなる。
 ──私が突然お茶会に現れて、場が凍てつくことだけが心配だけれど。エルヴァン様が『最近は愛想がいい』と言ってくださるし、なんとかなる。なんとかなるわ!
 アンジェリカは自分に言い聞かせ、頷いた。
「ええ、問題ありません。お茶会の詳細を侍女頭に届けてくださいませ」
「ああっ、助かります、本当にありがとうございます! 娘はあのような趣味ですので、絶対に喜びます」
 ──あのような趣味?
 内心首をかしげたが、本人に会って確かめればいいだろうと思い直し、アンジェリカは精一杯の愛想笑いと共に頷く。
「お力になれそうでようございました」
「それから、娘たちのお茶会は『男装の会』なのだそうで、恐れ入りますが、妃殿下も男の格好をしてきてはいただけませんでしょうか?」
「分かりました、だん……男装!?」
 予想の斜め上を行くお願いに、アンジェリカは思わず目を剥いた。


 ──あ、ああ……鏡の中にお父様がいたわ……!
 馬車に揺られながらアンジェリカは青ざめていた。
 最近、領主貴族の令嬢たちの間で、仮装してのお茶会が大はやりなのだという。
 特に人気なのは『男装』だ。
 無論髪を切ったりなどの『本気の男装』ではなく、なんとなく男っぽい、格好いい程度の仕上がりで令嬢たちは満足するらしい。
 だが……。
 アンジェリカの場合は……。
 ──気合いを入れなくてもお父様生き写しになってしまうのです。必要以上に怖がられたらどうしましょう。
 真顔で馬車に揺られながら、アンジェリカは焦っていた。
 結婚式に出るために、ちょうど父が帰ってきていたのは都合が良かった。
 わざわざお金を掛けて男性的な衣装を用意せずとも、父が若いころの軍服を借りられたからだ。
 父には『世の娘たちの楽しみは分からぬな』と首をかしげられたが、アンジェリカにだって流行の遊びのことなどなにも分からない。
 分かっているのはただひとつ、周囲に怯えられる危険性だけである。
 ──無駄な予算を使わずに済んだとはいえ、どうしましょう。今日の私は、若き日のお父様が軍事教練に向かっている姿にしか見えませんわ。
 焦るだけでなにも策が思いつかない。
 やがて馬車はダルト伯爵邸に着いた。見事な屋敷だ。
 敷地は見渡しきれないほど広く、これから夏を迎えようとしている庭には花が咲き乱れている。伯爵家は領主貴族の中でも相当な富裕層らしい。
「ようこそおいで下さいました、王太子妃殿下」
 正面玄関前では、ダルト伯爵一家が待っていた。家族総出で迎えられ、アンジェリカはお下がりの軍服姿で頭を下げる。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
 そのとき、はぁ……というため息が聞こえた。
 伯爵夫妻に付き添われた車椅子の少女が、アンジェリカを見上げている。なぜか口をぽかんと開け、目を潤ませて呆然とした表情だ。
 年のころは十四、五だろうか。
 ──彼女が、心臓を患っているというお嬢様ね。私を見て驚いているみたい。
 心臓が弱いならば、なおさら驚かせてはいけない。
 ──笑うと怖いと言われるから、笑わない方がいいのかしら? どんな風にお嬢様に接するのが一番なのか分からないわ。
 馬車の中であんなに真剣に頭を絞っていたのに、いざ令嬢を目の前にするとなにも頭に浮かんでこない。
 ──あああ、私のポンコツ!
 自分の気の利かなさを恨みながら、アンジェリカは苦し紛れに言葉を絞り出した。
「男装の会って、しゃべり方も男性に寄せるのかしら?」
 変に厳しい口調で尋ねてしまった。尋問と間違われなかっただろうか。案の定、令嬢が困り果てたように答える。
「どちらでも……結構です……」
 小さな耳が赤くなっている。
 ──私、変なことを言った? 多分言ったのね? 早いところなんとかしなくては。
 焦りに焦りながらアンジェリカは口を開いた。
「分かったわ。他のお客様のご様子を見て合わせるわね」
 そのとき、アンジェリカをじっと見つめていた令嬢が、無言でスッと顔を覆う。
 ──え……っ? どうしたのかしら?
 なぜ顔を隠してしまったのだろう。
 無表情に焦りまくるアンジェリカの前で、ダルト伯爵夫妻が慌てふためき始めた。
「こ、こら、ニノン! 王太子妃殿下のご下問に答えなさい!」
「なにしてるの、失礼でしょう? 顔なんて隠してッ!」
 ──きっと怖がっているのね、どうしよう、どうし……。
 脳内で『どうしよう』がぐるぐる渦巻き始めたとき、ニノンと呼ばれた令嬢がボソリと声を上げた。
「とう……と……すぎて……無理ぃ……!」
「え……?」
 いま、ニノンはなんと言ったのだろうか。
 アンジェリカは首をかしげる。
 車椅子のニノンは手を上げて母親の袖を引き、彼女の耳元でなにかを囁きかけた。訝しげな表情をしていた伯爵夫人が、ニノンを振り返って頷く。
「薬? 薬が飲みたいの? 分かりました。王太子妃殿下、申し訳ございません、この子に動悸止めの頓服を飲ませて参ります!」
 言うやいなや、伯爵夫人がニノンの車椅子を押して邸内に戻っていく。
 アンジェリカは訳が分からないまま、二人を呆然と見送った。
「申し訳ありません、伯爵。私がご令嬢に不愉快な思いをさせてしまったようですわ」
 慌ててダルト伯爵に謝ると、伯爵は慌てたように首を横に振った。
「いえいえ、娘はいつもあんな感じですので!」
「えっ? どういう意味ですの?」
「あ、いえ。ささ、妃殿下、他の来客も参っておりますので、お席の方へどうぞ」
 伯爵はその場を取り繕うように笑い、アンジェリカを先導して歩き始めた。
 案内されたのは、広い庭の中に作られた擬似的な森だった。この時期に一番美しく咲く花々が寄せ植えされ、その中央に噴水と四阿がしつらえられている。
 王都の一等地にこれだけの敷地、これだけの庭を構えられる領主貴族の財力に、アンジェリカは内心圧倒された。