死ぬまで溺愛させてほしい 王太子殿下はかわいい新妻に一生分の愛を誓う 1
私は、国王陛下の私室に呼び出されていた。
部屋の壁には金箔が施された美しい装飾があり、金糸縁飾り付きの真紅の壁布は、目にも鮮やかだった。
天井から吊り下げられている、キラキラと輝くクリスタルのシャンデリアはとても豪奢で、国王の私室に相応(ふさわ)しいと常々思っている。
緑色のダマスク織の布が張られた三人掛けのソファに私は座っていて、白い猫足のローテーブルを挟んだ正面には、国王陛下と王妃殿下が座っている。
――と仰々しく説明したが、私はこの国、マルフォニ王国の第四王女で、国王陛下と王妃殿下は両親だ。
目の前にはお茶菓子用のクッキーと、私が好む紅茶が置かれていて、王女らしく優雅な所作で紅茶を飲んだ。ふんわりとベリーの香りがする。いつも通り美味しい。
花柄のカップとソーサーをローテーブルに戻し、私はここに呼ばれた理由を、父に聞くことにした。
「……それで、どういったご用件なのでしょうか? お茶を飲むために私を呼んだわけではありませんよね?」
私がそう切り出すと、父は気まずそうに視線を落とした。何か言いにくい話なのだろうか。思わず身構えてしまう。
「うむ……実は……レティシアにディオランティス王国へ嫁いでもらいたいと考えているのだ」
「え? 私がディオランティス王国にですか?」
父の部屋に呼ばれ、何事かと思えば、あまりに突然すぎる結婚話だったので驚いてしまった。
しかも相手が、大陸で栄華を誇っているディオランティス王国だったから余計だ。
「どうだろうか? レティシア。私としてもおまえを遠い国に嫁がせるのは、気が引けてしまうのだが……国益を考えればいい話だと思っている」
父が言うと、隣に座っていた母は持っていた扇子で、手のひらをパンと叩いた。
「レティシア、国益なんてどうでもいいのよ? あなたはまだ十四歳なのだし、結婚話そのものだって早いくらいだと思っているの。……それなのにディオランティス王国なんて遠い所へレティシアを行かせるのは、わたくしは反対です」
「だがな……あちらも、マルフォニ王国との結婚を望んでいる」
そんな父の言葉を聞いて、母が目をギラリと光らせた。
「それはあなたが勝手に、ディオランティス王国に結婚話を持ちかけたのがいけないのでしょう? わたくしにもレティシアにも相談なしに話を進めるなんて、なんて自分勝手な人なのかしら」
……どうも母はこの結婚に反対の様子だ。
母は、国内の貴族と私を結婚させるつもりだったらしい。だから突然、遠い所に嫁に出すと言い出した父とは、夫婦喧嘩をしているみたいだ。しかも母に相談もしないで、ディオランティス王国に結婚話を申し込んだというのだから、余計に怒りが収まらないようだった。
(……取り敢えず、ふたりの意見を一致させてから、私を呼んで欲しかったわ……お父様も、きちんとお母様と話をしてからお決めになったらよかったのに、そんなに急ぐ話だったのかしら)
王女という立場上、国王が選んだ相手と結婚するのは当たり前で、恋愛結婚をしたいなんて思ってはいない。だけど、私としてもこの結婚話は青(せい)天(てん)の霹(へき)靂(れき)で、すぐ上の姉である第三王女が婚約したのがつい先月のことだったので、まさかこんなに早く、自分のところに結婚話が舞い込んでくるとは正直思ってもいなかった。
姉は十六歳になってから婚約を決めたというのに、私の結婚話が急がされるのには何か理由があるのだろうかと勘繰ってしまうが、まぁ、考えるだけ無駄だろう。
――私自身はディオランティス王国の王太子との結婚を嫌だと思っていない。ディオランティス王国は歌劇やら小説やらがとても流行(はや)っていて、そういうものが好きな私にとって憧れの国だった。
自ら、かの国のロマンス小説を取り寄せて翻訳して読むほど、ディオランティス王国の作家が書く小説は面白くて大好きだ。
突然の結婚話に驚きはしたけれど、結局一国の王女である以上はどこかに嫁がなければいけないのだから、条件のいい国との結婚話があるなら受けたほうがいい。この大陸で栄華を誇るディオランティス王国に嫁げるなら願ってもない話だ。しかも小説も読み放題。
――悪くない。
それに王太子殿下にも昔、ディオランティス王国の建国記念パーティで一度だけお目にかかったことがあった。エメラルドグリーンの瞳が綺麗で、凄く聡明そうな少年だった印象がある。
「わかりましたわ。お父様、ディオランティス王国に嫁ぎます」
「レティシア、無理をする必要はないわ」
「いいえ、お母様。私、ディオランティス王国には以前より興味がありましたので、その国に嫁げることを、とても嬉しく思いますわ」
「……なんということ……母は寂しいわ」
母は眦(まなじり)をハンカチで拭いながら言う。
姉たちと違って他国に嫁いでしまえば、滅多に会えなくなる。私も寂しくないと言えば嘘になるが、きっとこうすることが最善だと思えた。
そしてあっという間に、私がディオランティス王国の王太子妃になる話が決まった。
すでに相手国には承諾を得ていたみたいで、私が断ったらどうするつもりだったのだろうかと思った。(母は大反対だったし)
両国の王太子と王女の婚約はすぐに公にされたものの、ディオランティス王国の王太子であるクリストファー様も、私もまだ十四歳だったので、婚約式は私たちが十七歳になってから、結婚式はその一年後に執り行われるという話になった。
三年後だからまだまだ先の話ね、と思っていたのだけれど季節は驚くほど早く過ぎ去っていった。
私は自国では十四歳になってから王立学園に入学して勉学に励み、それと同時にディオランティス王国の文化や歴史を学んでいると、学園生活を優雅に満喫できる時間などなく、毎日が慌ただしかった。
――そうこうしているうちに三年制の王立学園を卒業した。
本当にあっという間の三年間だった。
いよいよ、〝婚約〟のためにディオランティス王国に向かう時がやってくる。
父に結婚話を告げられたのが、まるで昨日のことのように思えた。
私は自室の壁に飾ってある、クリストファー王太子殿下の姿絵を眺めた。彼はプラチナブロンドの髪に、エメラルドグリーンの瞳が綺麗な美少年だった。
金色の豪華な額縁の中で、彼は静かに微笑んでいる。実際はどんな人物なのだろうか。
時間が経ってしまって、記憶の中にある幼かった彼とはもはや別人だった。
クリストファー王太子殿下には以前に婚約者がいて、その婚約者とはうまくいかなかったという話をちらりと聞いたけれど、そんなことがあったから、私との結婚が降ってわいたのだろうか?
だから、父は他の令嬢とクリストファー王太子殿下の結婚が決まってしまう前に、私との婚約を急いだのだろうか?
ディオランティス王国からは、年に一度は姿絵が届き、クリストファー王太子殿下からは手紙がまめに送られてきていた。
手紙はマルフォニ語で書いてくれるので、ディオランティス語でも大丈夫ですと返事をした時もあったけれど、私の母国語を覚えたいと言ってくれて嬉しかった。
きっと優しくて、勤勉な方なんだろう。
ディオランティス王国とマルフォニ王国は遠距離であったため、婚約式まで私たちは一度も会う機会が得られなかったけれど、心配しないようにした。
――色々考えたところで、なるようにしかならない。きっと、うまくいくはずだ。
なんの確証もないけれど、私は常々、そう思うようにしていた。なんでも自分の気持ち次第なのだから。
◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇
ディオランティス王国への出発二日前、王城では盛大なパーティが催された。
第四王女である私がディオランティス王国に嫁ぐためのお祝いパーティだったので、嫁ぎ先のディオランティス王国からも何名か特使が派遣されてきていた。(お迎えの警護のついでもあると思う)
残念ながら、警備の都合でクリストファー王太子殿下は来ていなかった。ご本人から謝罪の手紙が届いたが、仕方がない。
王子二人、王女四人という子だくさんのうちの国とは違い、ディオランティス王国はクリストファー王太子殿下がただ一人の直系王位継承者と考えれば、無理をして来られて何かあったら一大事だ。
だから私は、クリストファー王太子殿下が来られなかったことをなんとも思っていなかったが、母は不服そうだった。まだ私がディオランティス王国に嫁ぐのを快く思っていないみたいだ。
王立学園で仲良くしてくれた令嬢たちが、大きな花束を持って私のところにやってくる。
「レティシア王女殿下、どうかお幸せに」
「ありがとう。幸せになるわね」
両手がいっぱいになるほどの大きな花束を渡された私は、満面の笑みで答えた。
(幸せかぁ……)
この三年間、クリストファー王太子殿下と文通をして、彼の人柄が多少はわかったつもりだったけど、偽りなく優しい人だったらいいなぁというのが正直な思いだ。(手紙だけならどうとでも取り繕える)
精神的に強い方ならなおいい。なんといっても将来の国王なのだから。
……そういえば、クリストファー王太子殿下はどんなタイプの女性が好みなのだろうか? 私のような感じの人間でも好んでくれればいいな。
「レティシア王女殿下、花束をお預かりします」
侍女が声をかけてきた。
「私の部屋に生けておいてちょうだい」
「かしこまりました」
色鮮やかな花束を侍女に渡して、両親の元へ向かった。兄や既に結婚した姉たちも集まってくれている。
「……本当に行ってしまうんだな」
私を人一倍大事にしてくれていた二番目の兄が、悲しげに言ってくる。
「私は大丈夫です、お兄様。ディオランティス王国でもうまくやっていきます。だから、悲しまないで下さい」
「……そうか」
「ああ、レティ。たまには手紙を書いてちょうだいね」
姉たちが代わる代わる私を抱きしめて言う。
「はい、もちろんです」
「できれば、ディオランティス王国の小説を翻訳して送って欲しいわ」
第三王女の姉が言った。すぐ上の姉とは趣味が合うのだ。いつも私が翻訳したディオランティス王国のロマンス小説を楽しんで読んでいた。
「わかりました、お送りしますね」
そうして、パーティの夜が更けていった。
私が部屋に戻る前に、ディオランティス王国の特使がクリストファー王太子殿下からの贈り物を渡してくる。
小さくて長細い青い箱に白いリボンが飾られている。私はお礼を言って部屋に戻った。
クリストファー王太子殿下からは、何度か贈り物を頂いたことはあった。
ブレスレットだったりネックレスだったり、どれも趣味がいい美しい細工がされているものばかりだった。
今度はなんだろう? とわくわくしながら箱を開けると、長方形の金細工の栞(しおり)が入っていた。
「わぁ……素敵だわ」
栞には芍薬(しやくやく)が彫られていて花びらには白(しろ)蝶(ちよう)貝(がい)が使われており、とても可愛らしく綺麗だった。薄桃色のタッセルがついていて、栞としても使いやすそうだった。
私が本をたくさん読むという話を、気にとめてくれていたのが嬉しかった。
箱の中にはカードが添えられていて、『ディオランティス王国までの道のりは長いと思うが、道中気をつけて来て欲しい。特使には本を何冊か持たせてあるから、レティシア王女殿下が退屈しなければいいと思う』とマルフォニ語で書かれていた。相変わらず、綺麗な字だ。
どんな本を用意してくれているのだろう。私が好きなのはロマンス小説だが、そういったものをクリストファー王太子殿下が選ぶとも思えない。それでも、私はどんな本でも好きなので、用意されている本を読むのがとても楽しみにだった。
◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇
ディオランティス王国への出発の日。
マルフォニ王国からは数名の侍女が従い、護衛の騎士も帯同するので大所帯だ。
それに加えて、ディオランティス王国の特使たちや騎士団の人もいるので、大行列になった。
馬車が王城の門を出ると、お祝いに駆けつけてくれたマルフォニ王国の国民が、私が乗っている馬車に向かって手を振ってくれていた。
みんな笑顔で、感慨深いものがあり思わず涙が滲んでしまう。
「レティシア王女殿下、大丈夫でございますか?」
王女付きの侍女であるダリアが声をかけてきた。
「ええ、大丈夫。みんながお祝いしてくれるのが嬉しくって」
「よろしゅうございましたね」
「……ダリアも……ありがとう。遠い国までついてくることを了承してくれて」
「私はレティシア王女殿下の侍女でございますから、当然ですわ」
ダリアは黒髪と茶色の瞳が美しい女性だ。六歳年上の伯爵令嬢だったが、ディオランティス王国までついてくるとなると、結婚は難しくなるだろう。
ディオランティス王国に同行をお願いするときにその話をしたのだが、ダリアは結婚するつもりはないと言っていた。
マルフォニ王国にいれば、縁があったら結婚出来ただろう。だが、個人的には気心が知れたダリアがついてきてくれるのは心強かった。
城下町を過ぎてから、ダリアは馬車のカーテンを閉める。
「道中長いですから、お休みになりますか?」
「そうね、少し休もうかしら」
ディオランティス王国到着までまだまだかかるから、休めるときに休んでおいたほうがいい。
「ダリアも休みなさいね」
「かしこまりました」
馬車の椅子に横になると、ダリアが毛布をかけてくれる。
緊張しているせいか、少しの間目が冴えていたが、しばらく馬車に揺られていると眠くなってきてそのまま眠りについた。
夢の中にクリストファー王太子殿下が現れた。
肩にかかるプラチナブロンドの髪が、風に揺れている。
綺麗な人だなぁと思った。これが夢だとわかっているので、ご本人の姿と私の想像が、どこまで違うのかな、なんて思っていた。
あと数日でそれがわかるのだけれど。
ディオランティス王国の特使の話では、姿絵通りの見た目だと言っていた。違うと言えば、今は後ろの髪がもう少しだけ長くなっているというところぐらいだと。
ディオランティス王国では、男女ともに髪が長いのが主流だそうだ。
そう言われてみると、特使も皆、髪が長く、男の人はリボンや組紐で束ねている。
――そして、私がディオランティス王国に嫁ぐと決まったことで、皆さんが必死にマルフォニ語を覚えてくれたようで、ありがたかった。
三年前までは一人の女性しか、マルフォニ語を知らなかったらしい。
私は婚約が決まってすぐにでもディオランティス王国に向かってもいいと思っていたくらいだったが、この三年はお互いの言語を学ぶという期間として必要だったのだろう。
ダリアや、他の侍女たちもディオランティス語を話せるようになっていた。
コミュニケーションをとるには言葉は大事だ。
私たちは、十四歳で婚約をしたのが丁度よかったと思えた。
夢の中で私とクリストファー王太子殿下は、何やら楽しげに話をしていた。実際にお目にかかったときも楽しくお話出来ればいいなと思った。
目が覚めたので、ディオランティス王国の人たちが用意してくれた本を読むことにして、ダリアを休ませた。
本は推理小説だった。クリストファー王太子殿下はこういった本が好きなのだろうか。普段は読まないジャンルだったが、面白くて夢中になって読み進めた。けれどある程度時間が経ったところで、腰が痛くなってきた。
長距離にも耐えられるように揺れが少ない馬車を用意してもらっていたが、やはり長い時間乗っていると腰が疲れてきてしまう。
コルセットもきつく締めていたので身体が窮屈だ――なんてことは、思っていても言ってはいけないのだろう。
私はディオランティス王国の王太子妃になるのだから、今後はどこに行くのにも人の目を気にしなければいけない立場になる。
(しっかり気を引き締めないと)
マルフォニ王国から妃を娶ってよかったと思われなければいけない。視線を落とし、本に挟んである、彼から貰った可愛らしい栞を見ながらそんなふうに考えた。
白蝶貝の花びらが美しい綺麗な芍薬。クリストファー王太子殿下は芍薬が好きなのだろうか?
(私も芍薬は好きだわ)
見た目の美しさだけではなく、その根が薬にもなるし、薬用酒にもなるからマルフォニ王国では重宝されている。
ディオランティス王国もそうなのだろうか? なんでも薬学研究所があると聞く。何か役に立てればいいと思うが、最初のうちはおとなしくしていよう。
まずは環境に慣れるほうが先だ。
馬車がゆっくりと減速して止まる。横になっていたダリアが身体を起こした。扉がノックされてダリアが返事をすれば、今日はこの街のホテルで宿泊していくとディオランティス王国の騎士が言った。
腰が痛かったので助かった。
普段国外に出ない私にとって、この街までも十分に長距離だった。
ディオランティス王国まであと一週間はかかるというから、クリストファー王太子殿下に会えるのはまだまだ先だ。
私たちが泊まるのは、貴族が使う高級ホテルらしく、まるで小さな宮殿のようだった。外観の壁は水色で、金色の彫刻が窓の上下に彫られている。
室内も外観に見合う豪華な造りで、真っ白の壁には金色の飾り彫刻が施されていた。
窓には水色のダマスク柄のカーテンが掛かっている。絨(じゆう)毯(たん)は大柄の花模様が織られている豪華なものだった。
「……豪華なホテルですね。まぁ……王女殿下が泊まるところですので当然と言えば当然なのですが」
ダリアが茶色の薬鞄から瓶を取り出して、中に入っていた茶葉を煎じている。
「そうね、旅行に出かけても王族所有の別荘に泊まるから、こういう民間の宿泊施設は初めてだけど……驚きの豪華さね」
「クリストファー王太子殿下がここをお選びになったのでしょうか……。さぁ、レティシア王女殿下、腰痛に効くお薬をお飲みくださいませ」
「ありがとう、もう腰がパンパンよ。ダリアも飲みなさいね」
こんなに長時間座りっぱなしということがないから、腰が張って仕方ない。
ダリアから薬が入ったカップを受け取って、飲む。
――まぁ、お世辞にも美味しいとは言えないのだけど。
「お風呂上がりにマッサージをいたしましょう」
「ダリアも疲れているだろうからいらないわ。その代わり湿布を貼ってちょうだい」
「かしこまりました」
お風呂にゆっくりつかって筋肉をほぐした後、ダリアに湿布を貼ってもらった。
部屋で食事を済ませたらすぐに眠気が襲ってきて、私は天蓋ベッドで眠りについた。
◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇
伝書鳩が持ってきた手紙を読んで、大きな窓から外を眺めた。
手紙にはレティシア王女殿下の様子が書かれていた。
『クリストファー王太子殿下が贈られた品を、大変お喜びになっていらっしゃいました』
(喜んでいた……か)
粗末なものを贈ったつもりはないが、年頃の女性がジュエリーの類いではなく、金(ゴールド)で出来た物とはいえ、栞を喜んだりするだろうか……と、後になってから気になってしまっていた。
マルフォニ王国の王女ともなればジュエリーはたくさん持っているだろうし、ディオランティス王国に到着すれば、彼女の装飾品を作ることになるだろうから、自分からは違う物を贈ろうと思ったのだが。
(栞は余計だったかもしれないな)
そんなふうにネガティブに考えてしまうのも、元婚約者であるフォルマ公爵家のリリザベス嬢が何を贈っても喜ばなかったからだ。いい加減リリザベス嬢の行動を思い出すのはやめようと思うのだが、どうにもふとした時に思い出してしまう。
良くないことだ。なにせ彼女との間にはいい思い出がないから、リリザベス嬢を思い出せば傷ついた胸が痛みで疼く。
――彼女は今、王城の地下牢にいる。
リリザベス嬢が実妹であるアシュリー夫人を毒殺しようとしたため、薄暗くてカビ臭い地下牢に入れられることになってしまった。
リリザベス嬢の罰は重く、北の地に送られて幽閉されるという刑だったが、私は自分の婚約式という機会を使って彼女に恩赦を与えることにした。
リリザベス嬢には愛情がなかったが、そのせいで彼女が暴挙に出たのかもしれないと思うと、不憫に思えてしまったからだ。
(リリザベス嬢が望んでいたのが、王太子妃という位だけだったとしても……)
もっと違う接し方があったかもしれない。私たちはすれ違いすぎた。
既に結婚し、第一騎士団長のハインリとアシュリー夫人の仲睦まじい様子を見ていると、余計にそんなふうに思わされた。
二人の結婚を機にリンバーグ公爵が引退して、ハインリが公爵になり、アシュリー夫人は公爵夫人になった。
(結婚か……)
ふいに顔を上げ、壁に掛けられているレティシア王女殿下の姿絵を見て一抹の不安を覚えてしまう。
レティシア王女はゆるくウエーブがかかった銀色(シルバー)の髪に、印象的なサファイアブルーの大きな瞳が愛らしい。口元は柔らかな微笑みを浮かべていて、淡い色の唇が少し幼く見せていた。
――可愛い人であるとは思うけれど、私は彼女を愛せるのだろうか? もし愛せなくても、愛しているふりぐらいは出来るだろうか?
彼女をリリザベス嬢の二の舞にするわけにはいかない。
(おそらく、私の一挙手一投足がリリザベス嬢の暴挙に繋がっていったのだろうから……)
ましてやマルフォニ王国の大事な王女殿下と結婚するのだから、これまで以上に気を遣わなければならない。
婚約式を前にして色々考えてしまい、小さなため息が思わず漏れ出てしまった。
◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇
――数日後。
馬車の中でゆらゆらと揺れ、マルフォニ王国を旅立ってから何日目だろうか……と思い始めた頃、ようやくディオランティス王国の王城に到着した。
王城を守る門をくぐり、馬車の窓から見ると大きくて立派な城がそびえ立っていた。歴史を感じる荘厳な外観に圧倒される。
(やっと到着したのね)
長旅だったなぁと、しみじみ思わされた。これでは国交があっても貿易が盛んにならない筈だ。マルフォニ王国は海に面していないので、陸路でしか移動出来ない。
旅程を短くする手段がないのだ。だから、よほどのことがない限り、お互いの国を行き来しなかった。
ディオランティス王国は芸術の国で、マルフォニ王国は薬の研究に秀でた国。これまでは交わりそうで交わらない国だったが、私が嫁いできたことで、少しは親交が深まればいいと思う。
馬車から降りると、いくらか冷たい風が頬を撫でていく。ディオランティス王国はマルフォニ王国よりもやや北にあるので、少しだけ気温が低いような感じがした。
私たち一行の出迎えのために、ずらりと並んだ人々の中から、ペリースを左側に掛け、背がすらりと高い男性が近づいてくる。
「遠いところ、よくいらしてくださいました。王女殿下。私はこの国の王太子のクリストファー・ディオランティスです。長旅でお身体は大事ないでしょうか?」
クリストファー王太子殿下その人が恭(うやうや)しく私に声をかけてきた。
姿絵通りに見目麗しい人で、エメラルドグリーンの切れ長の瞳が素敵だった。それに想像していたよりも、うんと背が高くて男らしい。まさかいきなり対面することになるなんて。思わず胸がドキドキする。
「私はマルフォニ王国、第四王女のレティシア・マルフォニです。お気遣いありがとうございます。ディオランティス王国の付き添いの皆様のおかげで、道中快適に過ごせました。お貸し頂いた推理小説もとても面白かったです」
「……王女殿下の好みに合ったのなら、良かったです」
クリストファー王太子殿下は目を細めて微笑んだ。眦のあたりが少し赤らんでいるのは照れているからなのだろうか?
(可愛らしい方だわ)
怖い人だったらどうしようと思っていたが、それは杞憂だった。
とても優しそうな人だ。だけど王太子としての威厳もある。そんなオーラが出ている気がした。
「侍女に王女殿下のお部屋へ案内させます。夕餉までの間、ゆっくりお休みください」
「ありがとうございます。両陛下へのご挨拶はそのときでよろしいのでしょうか?」
「ええ。両陛下も、王女殿下のお身体を休ませることを第一にと言われています」
「そうですか。わかりました」
「それではまた、夕餉の時間にお会いいたしましょう」
「はい」
お互いに一礼をして、私は侍女に王城内の部屋へと案内された。
長い廊下には大きなアーチ型の窓がたくさんあって、そこから陽光を取り入れているらしく、室内はとても明るい。
等間隔に置かれている金色の天使の彫像が、三アームのキャンドルスタンドを持っていた。キャンドルにはまだ火は灯されていない。
天井のフレスコ画には美しく羽ばたく女神が描かれている。
(豪華な造りね……)
王城の外観も壁に彫刻が施されていて立派だと思ったが、城内の装飾も目を見張るほど素晴らしかった。さすがは芸術に優れた国だと思わされる。
本当はじっくりと観察したいところだったが、ここは王女らしく黙って案内係の侍女の後ろを歩いた。多分、これからいくらでも見る機会はあるだろうし。
「こちらが王女殿下のお部屋になります」
侍女がそう言うと、大きな白い扉の横に立っていた騎士が扉を開けたので、私たちは部屋の中に入った。
室内に入って、最初に目についたのは大きな窓だった。
アーチ型の窓には、目にも鮮やかな白地に花束と鳥模様が美しいブロケード生地のカーテンがかかっている。
(なんて可愛らしいの!)
室内の壁も、カーテンと同じデザインの壁布で覆われている。椅子や暖炉の衝立にも同じデザインの布が使われていた。
素敵な調度品の数々。立派なシャンデリアや凝ったデザインのキャンドルスタンド。猫足のドレッサーには、薔薇の彫刻が施されている。どれも思わずうっとりするほど素晴らしい。スツールには銀糸で織られた布が使用されている。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
銀色のカートを押しながら、侍女が入室して来る。カートの上にはティーセットやお菓子が置いてあった。
「もうじき昼食のご用意をさせていただきますが、それまでの間、よろしければご賞味ください」
給仕に来た侍女は、白色の猫足のローテーブルにお菓子のお皿を置き、花柄のティーカップには紅茶を注ぎ入れた。
テーブルの中央には、ピンク色の薔薇とかすみ草が小さな白い花瓶に生けられている。
小腹は空いていたが、もうすぐ昼食なら我慢したほうがいいだろう。
なんと言っても、コルセットが苦しい。本当は一刻も早く楽な服装になりたかったが、そうもいかないのが令嬢というものなのだ。王女という立場で他国に来ている(ましてや嫁入り)ならなおさらだ。
私は三人掛けのソファに腰掛け、ディオランティス王国の侍女が淹れてくれた紅茶を飲んで、一息ついた。
「美味しい紅茶ね」
「王女殿下のお口に合って良かったです。こちらの紅茶は王城内で作られた物なのです」
「まぁ、そうなのね」
シトラスの香りがふわっと口の中に広がる。
「王女殿下のお荷物は専用のお部屋に運んでおきます。それから、昼食後に仕立屋がやってきて、婚約式のドレスのお直しをいたします」
婚約式は一週間後だ。マルフォニ王国からドレスを持ってきても良かったのだが、ディオランティス王国で作るという話になった。
(流行が違うものね)
ディオランティス王国のドレスはマルフォニ王国に比べて少し露出が多いみたいだ。
マルフォニ王国のドレスは首まで隠すようなデザインが多いのだが、ディオランティス王国はデコルテを見せるぐらいの露出があるようだ。ドレスは何着かすでにマルフォニ王国にいた時に送って貰っていたが、首元が心許ない。
そんなドレスに合わせるように、豪華なジュエリーもたくさん用意されていた。
母が「まぁまぁね」などと言っていたが、宝石の質がいいものばかりだったので恐縮してしまう。まぁ、王太子妃になるのだから、これぐらい上等な物をつける必要があるのだろうけど、豪華すぎて私が身につけるとジュエリーが目立ってしょうがない気がした。
今着用しているドレスは、ディオランティス王国から贈られた物だ。首元がスースーする。
ジュエリーも、ディオランティス王国のダイヤのネックレスとイヤリングをつけていた。クリストファー王太子殿下にはもちろん、両陛下にもすぐに謁見すると思っていたからだ。
(首元が眩しいわ)
耳で揺れるイヤリングも大ぶりなので少々重たい。
マルフォニ王国でもイヤリングはもちろんつけていたが、普段使いなのでもっと小ぶりの宝石だった。
「昼食はどちらでいただくのかしら?」
私が質問すると、ディオランティス王国の侍女が答えた。
「こちらにお持ちいたします」
「そう……じゃあ、ダリア。ネックレスとイヤリングは外してちょうだい」
「かしこまりました」
ダリアがジュエリーを外す様子を、ディオランティス王国の侍女たちは黙って見ていた。
驚いている様子も特になさそうだったけど、ポーカーフェイスが上手だったりするのかしら……。彼女たちの反応を見てみたかったんだけど。
◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇
昼食後、仕立屋が来るまで、馬車の中で読んでいた本の続きを読むことにした。
クリストファー王太子殿下に借りているので、早々にお返ししなければならないだろう。
せめて読みかけの本は読んでしまいたい。
ディオランティス王国の侍女たちは下がっていて、何かあれば呼び鈴で呼んで下さいと言われていた。
今、部屋の中にいるのはダリアの他、マルフォニ王国から連れてきた数名の侍女だけだ。
マルフォニ王国から侍女を連れてくるのは両陛下からのお許しがあるので、私の気が済むまで付き添わせることは出来るのだろうけれど、ここでの生活に慣れたらダリア以外は国に帰してあげたほうがいいだろうと思っている。
侍女(みんな)の気持ち次第だけど。
扉がノックされて、ディオランティス王国の侍女がやってきた。
「王女殿下、ドレスのお直しに仕立屋が参りました」
仕立屋が婚約式用のドレスを持って入室してきた。
ウエディングドレスとどう違うのだろうか? と思うような白いドレスだ。そして、上質そうなシルクで出来たドレスはやはりデコルテの出るデザインだった。
「こちらは婚約式で着用されるティアラでございます」
宝石商も一緒に来ていて、木箱からティアラを取り出した。
雪の結晶がモチーフとなっている、真珠とダイヤが使われた豪華なティアラだった。
――婚約式で使うということは、結婚式では使わないのかしら……。
そういえば一番上の兄の結婚式の時もめちゃくちゃ派手なパレードをしたし、そのお妃の義姉も豪華なドレスやジュエリーを身につけていたな……。
他のお姉様もそうだったけれど、結婚はお金がかかるなぁと改めて思ってしまった。