死ぬまで溺愛させてほしい 王太子殿下はかわいい新妻に一生分の愛を誓う 2
私がディオランティス王国に到着してから一週間後、私とクリストファー王太子殿下との婚約式が行われた。
一年後には結婚式があるので、今回は簡素に行うと聞いていたが、ドレスも装飾品も驚くほど豪華だった。
王太子妃の証のティアラは今回使用されなかったが、婚約式用に準備されていた雪の結晶モチーフのティアラは、プラチナを土台にダイヤがふんだんに使われていて、光を浴びるとキラキラ輝いて美しかった。
クリストファー王太子殿下は真っ白いドルマン式の軍服を着ていて、右肩から斜めに真紅のサッシュを掛けている。左肩には大きなリボンがついている赤いマントを着用していた。そのマントには金糸や様々な色の糸を使用して国章が縫われている。
この国の騎士団員は皆同じデザインのマントを着用していて、第一騎士団はⅠ、第二騎士団はⅡという数字が縫われている。
国王陛下と王妃殿下がこの婚約式を見守っていて、騎士団が警備をしている。
その他に一部の貴族が大聖堂に集まっていた。今日の婚約式には公爵位以上だけが参列している。
木の台に置かれた婚約証書にクリストファー王太子殿下がサインをして、私がその後に続いた。
婚約証書にサインをするだけなので、結婚式のように指輪の交換や誓いの口づけはない。
大司教がふたりの婚約の宣言をして、婚約式は無事終了した。
(これで婚約出来たのね)
ほっとするのと同時に、一年後の結婚式までが、大変そうだなぁと思った。
その後、婚約パーティが行われて、ディオランティス王国の貴族の方々からお祝いの言葉を貰った。婚約式とは違って、公爵位以外の貴族の方もいる。
人数が多すぎて目が回りそうだった。
「結婚式を楽しみにしております。婚約式が終わったのでリリザベス様も解放され、クリストファー王太子殿下の肩の荷もおりることでしょう。よろしゅうございましたね」
そんな話をする貴族がいた。
――リリザベス様とは誰なんだろう?
「……貴殿が気にすることではないだろう?」
クリストファー王太子殿下は顔色一つ変えずに、淡々とそう答えた。
「し、失礼いたしました」
貴族の男性は慌てて一礼して、下がっていった。
列をなしている貴族の人たちが次々にお祝いの言葉をかけてくるので、私はリリザベス様のことをクリストファー王太子殿下に聞きそびれてしまった。
夜も更けて、私はパーティからの退席を許された。
どうやらこのお祝いのパーティは朝まで続くらしい。
クリストファー王太子殿下は、朝までパーティ会場にいるようだった。だから、クリストファー王太子殿下とは別行動になってしまい、リリザベス様の話を聞けなかった。
自分の部屋に戻ってから、私は部屋付きの侍女に聞いてみることにする。
ディオランティス王国の侍女だから事情は知っているだろう。
事情を知っていても話してくれるかは怪しかったが。
「ねぇ? リリザベス様という方はクリストファー王太子殿下とはどういったご関係なの? あと、婚約式が終わったらリリザベス様が解放されるっていうのはどういう意味?」
私の問いかけに、部屋付きの侍女は答えにくそうな表情をした。
「その……そちらの件をお答えするには、王太子殿下に了承を得る必要がありますので……」
うーん、やっぱり話してくれないか。
「じゃあ、後で私が直接王太子殿下にお伺いしてみるわ」
「そうしていただくほうが、よろしいかと思います」
お風呂の準備が出来たので、私とダリアはバスルームに入る。基本的に私の身の回りの世話はダリアが行うことになっている。
ダリアがシャンプーを丁寧に泡立てながら、呟くように小さな声で言う。
「リリザベス様というのは、王太子殿下の前の婚約者です」
「あぁ、そうだったのね。前の婚約者の話だから気を遣わせたのかしら」
「いいえ、侍女の口からお伝えするには少々問題があるので、了承が必要だと言ったのだと思います。私でよければ知っていることはお話いたしますが」
泡立ったシャンプーを私の髪に塗りつけながら、ダリアが意味深に言う。
林檎のいい香りがするシャンプーは自国から持参した物だ。使い慣れている物のほうが今はいい。
――まぁ、それはともかくとして。
「……少々問題って? 解放されるがどうのって部分かしら?」
「はい。リリザベス様は実妹であるリンバーグ公爵夫人の毒殺未遂事件を起こし、地下牢に投獄されていたそうです。裁判の結果、北の地の塔に送られて一生を過ごす刑が下されたのですが、実妹であるリンバーグ公爵夫人の気持ちを慮(おもんぱか)って、婚約式というお祝い事を理由に恩赦を与える話になったそうです。……そのようなことに王女殿下の婚約式が利用されるのは私としては不本意に思いますがね」
ダリアは物事をはっきりと言う。
私も、あらかじめクリストファー王太子殿下が説明してくれていれば、納得したかもしれないが、正直モヤッとしたものは感じる。
話だけ聞いてしまえば、どうにかしてリリザベス様の刑を軽くする手段を探していたようにしか思えず、それが私たちの婚約式だというのは気分が良くない。
リリザベス様がどうして実妹を毒殺しようとしたのかはわからなかったが、そのようなまねをする人物を王太子の立場を利用して庇いたいほど、クリストファー王太子殿下はリリザベス様に並々ならぬ感情を抱いていたのでは? というふうにどうしたって考えてしまう。
何かありそうな婚約だとは思っていたが、感情が複雑に絡んだものとなると気が重くなる。
(でも、一度きちんとお話してみないといけないわね)
できれば仲良く結婚生活を送りたいというのが私の目標なのだから、そのためにはクリストファー王太子殿下と話をして、お互いの距離感を見極めなければいけない。
変なところで傷ついたり悲しんだりしたくない。
ダリアに髪の毛を乾かしてもらってから、私はベッドルームにある天蓋付きのベッドに寝転んだ。
サイドテーブルに置かれている本を手に取り、栞が挟んであるページを開く。
白蝶貝の細工が美しい芍薬の栞はとても気に入っていたが、同じような物をリリザベス様にも贈っていたのかも? と考えてしまって、なんとなく嫌な気分になる。
(……考えたって仕方ないんだけど)
恋とは感情のブレーキがきかないもの。そんな風に小説では書かれている。
クリストファー王太子殿下はそんな恋をしていたのだろうか――あるいは現在進行形で?
ダリアの更なる情報で、リリザベス様は地下牢から出て、両親が住む領地に向かったらしい。
ぱたんと本を閉じて、元あった場所に戻す。
(人の気持ちは、そう簡単に変わらないものよね……)
そうしてその日の晩は、もう色々考えるのはやめて眠りについた。
――翌日、自分の部屋に用意された朝食をとる。
基本的に私は自分の部屋で食事をしている。理由がない限り、国王夫妻やクリストファー王太子殿下と共にテーブルを囲む機会はなかったので、これからもそうなんだろうなと思っていた。
それは私が〝よそもの〟だからなのか、ディオランティス王国が家族で食事をしない習慣なのかはわからない。
マルフォニ王国では、食事はみんなでしていた。その中にお兄様の妃もいた。(自国の貴族令嬢だったけれど)
ひとりぼっちの食事に慣れてしまうのも寂しいものだ。
食事の席だけがみんなが集まれる時間で、仕事が忙しい父王と会える数少ない機会だった。
せめてクリストファー王太子殿下とは、一緒に食事をしたいなぁと思う。
クリストファー王太子殿下は王太子としての公務が忙しいらしく、顔を合わせる時間があまり無い。
だからこそ、食事くらいは一緒にとりたいと考えてしまう。
「王女殿下、王太子殿下がこちらにいらっしゃいます」
侍女長が先触れにやってくる。
変なタイミングだな……と思ったが、私は思わず微笑んだ。
(ふふ、嬉しいかも)
食事の手を止めてクリストファー王太子殿下が来るのを待っていると、ややあってから彼が部屋に来た。
深緑のフロックコートの中には浅黄色のベストを着ている。フロックコートには金糸の美しい刺繍がされていて、彼によく似合っていると思えた。ベストにも色とりどりの刺繍がされている。鳥や蔦だろうか?
彼は私が食事の手を止めて待っていたことに気がついて、申し訳なさそうな表情をした。
「すまない、食事の手を止めさせてしまったんだな」
「クリストファー王太子殿下がこちらにいらっしゃると聞いて、楽しみでしたので食事どころではなくなってしまいました」
そう言って笑うと、クリストファー王太子殿下も笑った。
「そうか、歓迎してくれているようで嬉しいよ」
「一年後には夫婦になるのですから、私は少しでもクリストファー王太子殿下と仲良くしたいと思っております。ですので会いに来てくださるのは大歓迎です」
「そう言ってくれるか」
「それで、どういったご用件でしょう?」
「用はない。ただ顔を見に来ただけだ」
彼は少し照れたように笑った。
うーん。彼の笑顔はなんだか胸のあたりがくすぐったくなるわ。
「クリストファー王太子殿下は、もうお食事は済まされたのですか?」
「朝の会議の前に軽く済ませた」
「……こんな朝早くから会議があるんですか?」
「毎日ではないけれどね」
昨晩はパーティがあったから、仕事が残ってしまっていたのだろうか。
(うちは兄弟が多いから、皆で仕事の分担ができるけど……)
クリストファー王太子殿下は兄弟がいないので、大変そうだなと思った。
「朝は何をお食べになったんですか?」
「ハムとチーズのサンドイッチだったかな」
「足りましたか?」
「朝はいつもそれぐらいしか食べない」
「少食なんですか?」
「そういうわけでもないんだけどね。朝はどうも忙しくなりがちだから」
朝が忙しいなら昼も忙しいのでは? と思ってしまう。
「無理はなさっていないですか?」
「何に対して?」
私の正面に座って、クリストファー王太子殿下は出された紅茶を飲んだ。
紅茶よりも野菜ジュースを飲んで欲しいところだ。
「お忙しいのに時間を作って、無理にこちらにいらっしゃっているのかと……」
私の度重なる質問に、彼は微笑んだ。
「多少の無理でもしなければ、そなたに会うことが出来ない」
その言葉は凄く嬉しい。嬉しいけど、無理をさせるのはどうなのだろうかと思ってしまう。
今日だって、朝までパーティがあったはずだから睡眠もとれていないだろうし。
……とはいえ放っておかれるより、クリストファー王太子殿下が来てくれるのは嬉しいしなぁ。
私はポンと手を叩いた。
「そうですわ、マルフォニ王国特製の健康ジュースを毎朝作ることにいたします」
「健康ジュース?」
「味はまぁ、アレなんですが……とても身体にいいんですよ。あぁ、でも材料があるかしら」
「必要な物は……もしかしたら薬学研究所の薬草畑にあるかもしれないな」
「薬草畑があるんですか?」
思わず声が弾んでしまった。それはなんて素晴らしいことなのだろう。
「研究所にはマルフォニ王国の薬学本があって、それを参考にして色んな薬の研究をしているんだ。マルフォニ語に堪能な夫人がいてね」
「そうなんですね」
「今度紹介するよ。取り敢えず必要な薬草類は侍女に持ってくるよう頼めばいい」
「はい。あの……そちらの薬草畑を見せて頂くことは可能ですか?」
「ん? ああ、構わないよ。それでは研究所の所長に話を通しておこう」
「ありがとうございます!」
――などという話をしていると、あっという間にクリストファー王太子殿下の公務の時間になってしまい、リリザベス様の話を聞きそびれてしまった。
急ぎでもないから、またの機会でいいか……。
どうせなら楽しい話をするほうがいいものね。
午後からの時間はディオランティス王国の歴史や文化の勉強に大部分が費やされたが、マルフォニ王国で学んできたので、困ることは少なかった。講師にも褒められた。
ディオランティス語に関しても、私は読み書きが出来るので正しい発音を学ぶことに重点がおかれた。
(ふふ、楽しいわ)
授業の一環として、王城内にある劇場で観劇する話が出てきて、私は胸が躍った。
それにしても、王城内に劇場があるなんて凄いわ。
◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇
「リリザベス嬢はフォルマ公爵領に出発しました」
側近のゲレオンが報告してくる。
「……そうか」
「リンバーグ公爵夫人がリリザベス嬢の面会をご希望されましたが、ご希望に添うことは出来ませんでした」
「リリザベス嬢が拒んだか」
「はい。どうしても会いたくないと仰って」
「残念だな……」
リンバーグ公爵の妻であるアシュリー夫人に媚びのひとつでも売っておけば、公爵から援助されて今後の生活が少しは楽になったかもしれないのに。
リリザベス・フォルマという人物は、どこまでもプライドの高い人だ。
そのプライドの高さが、自分もフォルマ家も没落に追い込んだようなものなのに。地下牢で長い間過ごしても、何も変わらなかったのはとても残念に思う。
反省の気持ちや、後悔の念は彼女にはないのだろうか。
謝罪があればすべてがなかったことになるものではない。だが、殺すつもりはなくても、実際はそれに近い行為だったのだから、反省なり後悔なりはして欲しかった。
もっとも、リリザベス嬢が後悔するとしたら、王太子妃になり損なったという事実に対してだろうが……。
彼女なりには、王妃教育も頑張っていたのかもしれないのだろうし……。
誰にも頑張った成果を認めてもらえない分、リリザベス嬢にストレスが溜まっていったと思われた。せめて、私がもう少し彼女に寄り添えれば良かったのかもしれないが、初対面のときからリリザベス嬢との間に距離を感じていた。
――私は、彼女より年下だったから……頼りにはならないと思って気を許してくれなかったのだろうか。
「次の会議まで一時間ほどお時間がありますが、いかがいたしましょうか?」
ゲレオンの問いかけに、私は手に持っていた羽根ペンをインク瓶に戻した。
「それならば、レティシア王女殿下のところに行くことにしよう。今は王女殿下の都合は良さそうか?」
ゲレオンは手に持っていた書類に目を通す。
「このお時間は自由時間となっております」
どうやらレティシア王女殿下のスケジュールを見ていたようだ。
「それは良かった」
椅子から立ち上がって、マホガニー製のポールハンガーに掛けていたフロックコートを手に取り、袖を通した。
――他国の王女とはいえ、この国の王妃教育を受けてもらっている。
王女として育ってきた彼女にとって、立ち居振る舞いは問題ないとしても、ディオランティス王国の歴史などを一から学ぶのは、さぞ大変だろう……。
なんといっても、公爵令嬢だったリリザベス嬢が音を上げたくらいだ。だから私はレティシア王女殿下の様子が気になっていた。
婚約式までは本当に忙しくて、ほとんどレティシア王女殿下と顔を合わせないまま当日を迎えてしまった。
本来であれば、王女殿下の不安や諸々の感情を、私が聞いてあげなければならなかったのに。
彼女がこの国で頼れるのは、婚約者である私だけだ――と思っていた。
これではリリザベス嬢の二の舞になってしまわないかと考えてしまう。
(リリザベス嬢はフォルマ公爵家の長女だということで、上手くやれるだろうと安心し切っていた部分があった……)
彼女のほうが年上だったというのもあり、私があれこれ彼女に気遣える余裕もなかった。そうした私の変な遠慮が、リリザベス嬢を破滅へと追いやってしまったのかもしれない。
もっと日頃から話をしていれば良かった。
悔やんでも悔やみきれない。
レティシア王女殿下はドレスにエプロン姿で薬草畑にいた。リンバーグ公爵夫人とレニー所長も一緒だ。
仲良さそうに薬草を摘み取って籠に入れている。
――今朝、話をしていた健康ジュースの材料だろうか……。敢えて口に出して言ってこなかったが、私は野菜(特に緑色の物)が苦手だったりする。本当に彼女は健康ジュースを作るつもりなのだろうか……。
「ケールは苦みがありますが、ドレッシングを工夫すれば生で食べても美味しいんですよ」
レティシア王女殿下は楽しそうに濃い緑色の野菜を摘み取っている。
見るからに苦そうだ。
顔を上げたレティシア王女殿下の青色(サファイアブルー)の瞳と目が合う。
「クリストファー王太子殿下、こちらまでご足労いただきありがとうございます」
先触れを出していたので、レティシア王女殿下は私が薬草畑に来るのを知っていた。
彼女は美しい所作でカーテシーをする。続いてリンバーグ公爵夫人とレニー所長も私に一礼した。
「健康ジュースの材料を集めているのだろうか?」
「はい。本当にこの薬草畑にはなんでもあるんですね。とっても驚きました」
ない物があったほうがいっそ良かったのに、と思ったが顔には出さないようにした。
「明日の朝から、健康ジュースをお出しすることが出来ますわ」
レティシア王女殿下は嬉しそうに言う。
「……そうか」
侍女の案内で六角屋根のガゼボに案内される。すでにお茶やお菓子が用意されていた。
リンバーグ公爵夫人とレニー所長はまだ作業があるからと、薬草畑に残った。
「カモミールティーですね。美味しいですわ」
「そうか、それは良かった……何か、この国に来てから不便を感じてはいないだろうか?」
私の問いかけに、大きなサファイアブルーの瞳をこちらに向けて、レティシア王女殿下が返事をした。
「皆さん、とても良くして下さるので、不便はありません」
とても流暢なディオランティス語だと思った。
マルフォニ語が堪能なリンバーグ公爵夫人を彼女の通訳にしようかと考えていたが、その必要はなさそうだった。話し相手にはいいかもしれないが。
「ああ、そうですわ。ひとつクリストファー王太子殿下に伺いたいことがございます」
音も立てずにカモミールティーが入っていたティーカップをソーサーの上に戻す。
「何だろうか?」
「リリザベス様とは、どのようなご令嬢で、クリストファー王太子殿下とはどういったご関係なのでしょうか?」
「――……」
一瞬言葉に詰まった。ほんの少しだけ、レティシア王女殿下の言葉に棘のような物を感じたからだ。
婚約式の時に余計なことを言った貴族がいた――。リリザベス嬢の件は他人から彼女の耳に入る前に、説明をしておくべきだった。
後悔しても、遅い。正直に話すことにした。
「リリザベス・フォルマ嬢は、私の婚約者だった人だ」
「そうですか。では婚約式の日に恩赦で刑罰を軽くなさったというのは、本当の話ですか?」
「それは、本当だ」
「そうですか」
彼女は再びソーサーごとカップを持ち上げて、優雅にカモミールティーを飲んだ。
何故私がそのような行動をとったのか、説明をすべきだろうか?
レティシア王女殿下は、貴族の令嬢がする作り笑いを浮かべていて、何を考えているのかわからない。
細かな説明が必要だろうか? それとも、これ以上の説明は不要だろうか?
あまり彼女の関心が無い話を延々するのもどうかと思うが、逆であれば説明はすべきだ。
「……その……、レティシア王女殿下にあらかじめ伝えずに、婚約式を使って恩赦という手段をとったことを申し訳ないと思っている」
「……そうですね」
レティシア王女殿下はカップをソーサーごとテーブルに置いた。
「恩赦の件は、そちらのお国事情ですので、私がどうこう言える立場でないのは勿論承知していますが、婚約式は私にとっては晴れの舞台でもありましたので、それを利用して前の婚約者の減刑をなさるのであれば、やはりあらかじめ言っておいて欲しかった……とは思ってしまいますね」
「仰る通りだ」
レティシア王女殿下はパラリと扇を開いて、口元を隠しながら言う。
「クリストファー王太子殿下がそうなさったのには、理由があると思います。それを追及するつもりはありませんが、今後は私に秘密で、裏で何かをなさるのは控えていただけるとありがたいです。私は円満な結婚生活を望みますので」
「ああ、そのようにする」
「ありがとうございます」
レティシア王女殿下は扇を閉じて、ニコリと微笑んだ。
「今日は良い天気ですね。風が心地いいです。良い薬草も採れましたし」
「マルフォニ王国でも、薬草の採取をされていたのだろうか?」
「はい、マルフォニ王国では王族の人間は、薬学に詳しくなければなりませんので」
「そうなのか……」
「薬を知るものは毒も知ると言いますから。毒にも詳しくならなければいけないんですよ」
「解毒薬を作るために?」
「そうです――だから、毒を安易に使う者は愚かだと思ってしまいます……ですがクリストファー王太子殿下は、それでも、リリザベス様を愛していらっしゃったのでしょうね」
「え?」
唐突に言われて驚いてしまう。
「い、いや……リリザベス嬢のことは、政略結婚の相手で、それ以上の感情は何も……」
「隠さなくても良いのですよ。愛がなければ減刑などなさらないでしょう」
「いや、本当に違うんだ」
説明をしようとした時、側近のゲレオンがやってきた。
「クリストファー王太子殿下、次の予定のお時間が迫っております」
あぁ、タイミングが悪い。
レティシア王女殿下は椅子から立ち上がった。
「お忙しい中、私のために時間を割いてくださいましてありがとうございました」
美しいカーテシーで私を送り出そうとするが、彼女を勘違いさせたままでいたくない。
「こ、今夜の夕餉は、共にとろう。私がそなたの部屋に行く」
「……かしこまりました」
レティシア王女殿下はにこりと笑うが、令嬢ならではの作り笑いだとわかってしまう。
夜まで気が気でない――。
◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇
ピアノやダンスのレッスンが終わってから、再び夕餉まで自由時間になった。
いつの間にか書棚にぎっちりと本が入れられていて、読む時間をとるのが大変そうだと思った。
本はロマンス小説がほとんどだったので、今度はクリストファー王太子殿下が選んだ物ではないのだろう。ダリアが選んだのだろうか。
本棚を眺めている私にダリアが話しかけてくる。
「レティシア王女殿下が好みそうな本をピックアップさせていただきました」
大正解だ。
「まぁ、そうだったの? ありがとう」
聞けば、王城内には図書室があって、そこにはたくさんの本があるようだった。ロマンス小説のような娯楽本は持ち出し自由だったので、侍女たちでこの部屋まで持ってきてくれた。
出版物はだいたいこの王城の図書室にも置かれるので、新作の小説も取り寄せるまでもなく入荷するそうだ。
「便利ねぇ」
劇場も王城内にある国は違うなあと思った。
劇団員が来るのは二週間後だというから楽しみだ。
ディオランティス王国は予想通り、私の趣味にはぴったりの国だった。
(問題は……クリストファー王太子殿下よねぇ……)
想い人がいる人が旦那様というのは少々よろしくない。
リリザベス様も、おとなしくしていれば良かったのに、何故毒殺未遂なんていう大それた事件を起こしてしまったのか。
どの国でも、王太子妃になるのは貴族の令嬢であれば、一番の目標ではないだろうか?
私は生まれつき王族なのでそのあたりのことを理解するのは難しかったけれど。
(クリストファー王太子殿下とリリザベス様は、幼い頃に婚約なさったらしいし……)
私は書棚から一冊の本を取り出して、パラパラとめくった。
(まぁ、私があれこれ想像したって答えなんて出ないけど)
本はディオランティス語で書かれている物だったが、今はもう翻訳しながら読む必要はないくらいディオランティス語になじんでしまっていた。
ダリアもディオランティス語を学んでいたので読み書きが出来る。
マルフォニ語を禁止されているわけではないが、ディオランティス王国にいるならその国の言語がわかっていたほうが便利だし、芸術に触れるにしても言葉がわかっていたほうがいい。
だからディオランティス語をマスターした侍女だけを連れて来ている。
「レティシア王女殿下がいつも読まれている作家の新作もございますよ」
ダリアが本を渡してくる。
「まぁ、嬉しいわ。でも読み出すと止まらなくなるのよね……」
暖炉の上の置き時計を見ると、夕餉の時間まであと一時間といったところだった。
「この本は食後にしましょう」
「かしこまりました」
ダリアが書棚に本を戻す。
……この本は、というよりは本を読むにはあまり時間がないように思えた。読み始めると没頭してしまうので、クリストファー王太子殿下が来るとわかっているのだから今はやめておこう。
(今日、夕餉を共にとるっていうのは、リリザベス様の件を話したいからなのでしょうね)
クリストファー王太子殿下は常にポーカーフェイスなのかと思えば、突然素の表情を見せるところがある。焦ったり困ったりした時にそうなるのだが、他の人の前でもそうなのだろうかと心配になってしまう。
私の前でだけなら、好ましいけれど。
彼を見極めなければと考えながらも、どうも好意のほうが先行してしまう気がしていた。
(しっかりしないとね)
私たちが政略結婚だという事実を忘れてはいけない。
「クリストファー王太子殿下がいらっしゃいました」
侍女長がノックの後入室してきた。
そろそろ食事が運ばれてくる時間だ。時間に正確な人なんだなと思いつつ、それだけ忙しくもあるんだろう。
侍女長に続いて、クリストファー王太子殿下が入室してくる。
綺麗な刺繍がされている水色のフロックコートを着用している。背がすらりと高いので、何色でもよく似合う。
私は若草色のドレスを着ていた。
デコルテが丸見えになるデザインが気になるので、少しでも肌が見える面積が少なくなるように首には大きめのシルクのリボンを結んでもらっている。
「お待ちしておりました。クリストファー王太子殿下」
私がカーテシーをすると、彼は一礼した。
「突然の申し出を承諾してくれて嬉しい」
私は毎日一緒でも構わないのだけど、そういった習慣がないのかもしれないと思い、微笑むだけで特に何も言わずにおいた。
食事が給仕されてきて、二人で黙々と食べながら、いったい彼はいつ本題に入るのだろうかと思っているうちに、食後の紅茶が運ばれてきた。
話しにくい内容なのか、それとも食事の間は話してはいけないというのが習慣なのか……。
いや、以前食事を一緒にしたときはしゃべっていたわね。ということは、話しにくい内容なのだろう。
まぁ、結婚相手に元婚約者のことをあれこれ話すのは、難しいものだろう。ましてや、好きだった相手ならば――。
などと考えていたら、彼がようやく口を開いた。
「……その、ひとつ訂正をしておきたい内容がある」
「なんでしょうか?」
「私はリリザベス嬢を、愛してはいなかったんだ」
「……嘘は仰らなくても大丈夫ですよ。私は政略結婚で嫁いで来たのですから、ある程度のあれこれは覚悟しています」
「いや、本当に……。リリザベス嬢とは子供の頃に決められた婚約で、私にも、あちらにも、特別な思いというものはなかった」
「気持ちがないと、リリザベス様が仰ったのですか?」
「――そうだな」
「……どうして実妹のリンバーグ公爵夫人の毒殺未遂事件が起きたのか、お伺いしてもいいでしょうか?」
クリストファー王太子殿下は、少し困ったような表情をした。
「彼女は、動機の詳細を最後まで話さなかった。ただ、もともと姉妹の仲は良くなかった。リリザベス嬢のほうが一方的にリンバーグ公爵夫人を疎んじていた様子だったが……」
「……そうですか」
リンバーグ公爵夫人とは薬草畑で少し話しただけだったが、聡明そうで明るい人柄で、マルフォニ語も堪能だった。
「リリザベス嬢も実家のフォルマ公爵家の者も、今後の登城は禁じられているのでそなたと会うことはないだろう」
「……そうですか。では、もうあまりこのお話を長引かせる必要はなさそうですね」
「……私が、その、リリザベス嬢に何かしらの感情を抱いてはいないということは、伝わっただろうか?」
「クリストファー王太子殿下がそう仰るのでしたら、それが真実なのでしょうね」
私がそう言うと、クリストファー王太子殿下は心底困ったような顔をするので、可笑しくなってしまった。
「ふふ、わかりました。信じます」
「……そうしてくれ」
クリストファー王太子殿下は、紅茶を一口飲んでから言う。
「私も、円満な結婚生活を望んでいる」
「意見が合いましたね。それでは仲良くしていきましょう」
「ああ」
クリストファー王太子殿下の眦が赤く染まっている。やはり可愛らしい方なのだなと思った。
第三章 結婚式は晴れやかな気持ちで
私がディオランティス王国で婚約式をしてから一年経ち、いよいよ結婚式を挙げる日がやってきた。
この一年は長いようで短かった。
クリストファー王太子殿下とは、それなりに仲良くなれたと思う。結婚を機にもっと仲良くなれればいいなぁと考えている。
ディオランティス王国内はといえば、王太子妃の座を諦めきれない貴族の人たちが、ちょこちょこと自分の娘をクリストファー王太子殿下に接近させていたが、殿下はもともと忙しい人であり、側近のガードも堅かったので、思い通りにはならなかったようだ。
国内の貴族からしたら、私のような他国の王女に、未来の王妃の座を奪われるのは気分が悪いのだろうけど、まぁ、仕方ないわよね。
一年前にバタバタと婚約が決まった過去を振り返り、父王のアンテナの精度に今更ながらに驚いていた。よくぞこんな遠い国の結婚話の情報を入手できたものだ。(ましてや、婚約破棄からの婚約者募集だったのだから)
ディオランティス王国にとっても、マルフォニ王国は鉱物資源も豊富だし、薬学も発展しているので悪い結婚ではない。
薬学に自信がある私は、毎朝、クリストファー王太子殿下に苦い健康ジュースを作り、飲んでもらっている。そのおかげで、毒味役もクリストファー殿下も健康になっていた。
見た目に顔色が良くなっている。喜ばしいことだ。
だけどクリストファー王太子殿下は苦みの強い野菜が苦手だったようなので、何度か改良をして、今は作り始めた当初よりはかなり飲みやすくなっているはずだ。
クリストファー王太子殿下は、あまり感想を言わないので、話し相手になってもらっているリンバーグ公爵夫人に健康ジュースの感想を求めると、飲みやすくなったと言ってくれた。
そんな感じで、なんとなくつかず離れず、といった距離感で私とクリストファー王太子殿下は過ごしてきた。
まぁ、この一年の婚約期間というのはお互いの距離を詰めるためのものではないので、こういう関係性になっても仕方ない。
婚約式後、一年経ってから結婚式を執り行うというのがこの国のしきたりだったし、王妃教育の期間を設けられていた。
その勉強にかなりの時間を費やされたし、クリストファー王太子殿下の多忙さもあって、私たちは婚約者同士であっても、一日に一時間会えれば良いほうだった。
そんな状態で結婚式を迎える、クリストファー王太子殿下は今どういう心境なのだろう。
生まれたときから国王となるべく帝王学を学んでいるだろうから、〝個人の感情〟は持たないようにしているのかもしれない。私の一番上の兄がそうだった。
(この結婚は不幸だったとは思わせたくないから、私は精一杯クリストファー王太子殿下を支えなきゃ)
その決意は、私がマルフォニ王国を出る時から抱いていた。
◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇
――そして、結婚式当日。
私は大聖堂の控室で結婚式の支度をしていた。
一年前と状況は似ていた。ただ周りの人たちの気合いが違うだけで。
ダリアはマイペースだったが、ディオランティス王国の侍女たちが私をより美しく仕上げようと必死だった。
ダリアが私の銀色の巻き髪を器用に結い上げ、頭に豪奢な王太子妃のティアラが恭しく載せられた。婚約式で使用したティアラも目を見張るほどに豪華な物であったが、王太子妃のティアラはそれ以上だった。大粒のダイヤが多数使われていて、光が当たるとその反射で眩しいくらいだった。
ティアラのデザインに合わせるように、ネックレスやイヤリングも大粒のダイヤがキラキラ輝いていて、綺麗だが重い。特にネックレスは重量があるような……。
ふわりと頭にかぶせられた白いウエディングベールには、美しいレースが縁取られている。王室御用達の仕立屋がこれでもかというほどの技術を駆使して作ったのだろう。見事な出来栄えだった。
真っ白いオフショルダーの総レースのドレスは、裾が長くて少々歩きにくいと思ったが、姿見に映し出された自分の姿はまんざらでもなかった。
(凄く綺麗じゃない?)
昨日の晩はダリアが、私の肌がより美しく見えるように磨きをかけてくれた。
睡眠もしっかりとっていたので、顔の肌つやもいい。
自分で言うのもなんだけど、透明感がある白い肌が、今日は一層艶々して真珠のようだ。
お化粧も完璧だった。派手すぎず、しとやかな乙女といった仕上がりになっている。
準備が整い、ウエディングブーケを持たされると、クリストファー王太子殿下が待つ大聖堂に向かった。
大聖堂の入り口では、白い軍服に身を包み、赤いサッシュを掛け、左肩にマントを身につけているクリストファー王太子殿下が立っていた。
彼の服装は婚約式とそう変わらないように思えたが、あれから一年経って、クリストファー王太子殿下は精悍な顔つきになっていた。もともと美形だが、その美しさにも磨きがかかっている。
思わず笑ってしまって、クリストファー王太子殿下に不思議がられた。
「どうかしたのか?」
「ふふ、やっとこの日が来たんだなぁと思うと、感慨深いものがありますね」
「ああ、そうだな」
彼も笑った。
この一年、最初はお互いに作り笑いをしている時もあったが、今ではすっかり心から笑うようになっていた。
少しは打ち解けたのかな? と、私は思っている。
「凄く綺麗だ。レティシア王女殿下」
「ありがとうございます。嬉しいです」
花嫁が美しく着飾るのは花婿のためだ。一番美しい姿はクリストファー王太子殿下に見てもらいたい。
クリストファー王太子殿下が私の手をぎゅっと握ってくる。
「一生そなたを大事にし、守り抜くよ」
「ありがとうございます。私もあなたを守り、支えられる人間になりたいと思います」
手を握り返したところで、パイプオルガンの音が鳴り始めた。
いよいよ入場の時間だ。
扉が開かれて、私たちは薔薇窓から差し込む陽光が眩しい光の中へと、ゆっくり歩みを進めていった。
◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇
金銀の装飾が豪華な馬車には結婚したばかりの私とクリストファー王太子殿下が乗り、市街を回り沿道からの祝福を受けた。明るい笑顔の国民は馬車に向けて花びらをたくさん投げてきた。
二階の窓から投げている人たちもいて、花びらのシャワーは綺麗だった。
市街地をあらかた回った後、馬車が王城に戻る。
まだ少し夢見心地な気分だった。
「疲れただろう? 部屋で少し休むといい」
「はい」
これから夜まで別々に過ごし、準備が整ったら――いよいよ初夜がやってくる。
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