このたび、ゼロ日婚いたしました。3 冒険者夫婦は永遠の愛を誓う 1
冒険者が集う都市・ジルヴェット。
その東部にある森は、昼間だというのに薄暗く、じっとりと湿った空気が漂っている。
そんななか、ヒルダは目を閉じ、仁王立ちになっていた。
その後ろに、夫のオズワルドが控えている。
ぬろぉ、ぬちょぉ……ぺと、ぺと。
ヒルダは立ったまま、少しずつ近づいてくる粘着質な音に、耳を澄ませていた。
巨大スライムだ。
魔法によって造られ、それが逃げ出して森に棲み着いたモンスターである。
その生態には謎が多く、自己増幅するのか生殖によって増えるのかは、今もまだ判然としていない。
わかっているのは、スライムの体内は、弱点である核以外はほぼ粘り気のある水分であること。
その粘液は革や布を溶かす効果があり、同時に人間にとっては催淫性があること。
魔法以外の方法では倒せないこと。
かつてヒルダは、この巨大スライムに甚大な被害を受けた。拘束され、服を溶かされ──酷い辱めだった。
そのときの個体は、すでに消滅している。
だがこれは、リベンジであると同時に、新たな挑戦でもある。
ぬた、ぬた。ぺちょ、ぺちょ。
緩い動きだ。
しかしあと少しで、間合いに来る。
「ヒルダ!」
オズワルドの声とともに、ヒルダはカッと眼を見開き、即座に抜剣した。
地面を蹴り、跳躍する。
同時に、手元が熱を帯びた。
オズワルドの魔法が発動したのだ。
ヒルダの長剣に、真っ赤な焔が宿ってゴウッと激しく燃える。
付与魔法だ。属性は炎。物理攻撃を魔法攻撃に変えて、攻撃力を高める。
属性によって、効果も違う。雷であれば防具を貫通し、土であれば硬化して相手の動きを封じる攻撃となる。炎であれば、傷口を焼いてダメージを追加する。
炎は水属性のスライムに対しては、一見不利に見える。だが、一撃必殺タイプのヒルダの攻撃とは相性がいい。
燃え盛る赤い輝きが、ヒルダの金色の髪と白い肌を照らす。
「はああっ!」
ヒルダは、長剣を振り下ろした。
「──キュエエエエエエ!」
表層が容易く裂け、粘液がみるみるうちに蒸発していく。
巨大スライムは本能的に触手を伸ばしてきたが、それさえも皮だけになって勢いをなくす。
ヒルダが着地すると、断末魔の叫びも消えた。
焦げ臭さのあるむわっとした甘い匂いが、辺りに広がっていく。
「うん、今日も快調快調!」
核を拾い上げ、ヒルダはガッツポーズを取った。
「うわわっ、くっさっ!」
ふいに頭上から声が聞こえてきた。
ぴゅーんと下りてきたのは、精霊のティティだ。手の平ぐらいの大きさの、丸っこい子鹿の姿をしている。
ヒルダの幼い頃からの友達であり、つい最近になって再会した。
元々は「きゅう」としか鳴かなかったのだが、オズワルドの魔法によって喋るようになった──なぜか西方言語だが。
「巨大スライム、焼くのは良うないんちゃう? うっぷ」
「そう? まぁちょっと甘ったるい匂いがしてるけど……精霊って嗅覚がすごいのかもね」
「ヒルダの鼻が詰まっとるだけちゃうんか」
「なんですって!」
ヒルダが怒鳴ると、ティティはけらけらと笑って、またぴゅーっと上空へと飛んでいった。
「まったく、もーっ」
しかし、ティティが高く飛んで周辺を偵察してくれていたおかげで、巨大スライムをここまで誘い出すことができた。
彼(?)も、立派な仲間だ。
「よくやったな、ヒルダ」
ヒルダは、オズワルドのほうを振り向いて、指を二本立ててVの形にして手を掲げた。
勝利したときに、若い冒険者がよくやる仕草だ。
すぐそばまで近づいてきたオズワルドが、こくりと頷いた。
少し伸びた黒色の前髪が、頭を傾けただけで切れ長の眼にかかる。以前は、外ではローブのフードを目深に被っていたが、このところは外していることが多い。そのほうがいいと、ヒルダは見上げながら思う。
ちり、と小さな金属音をさせたのは、耳に付けている赤水晶の飾りだろう。
「いつもサポートしてくれてありがと! やっぱり炎が一番私に合っているかな。本当はもっとモンスターとの相性も考えるべきだと思うんだけどね」
「それも重要だが、何よりも付与された側との相性が優先だ」
「他のも面白いけどね。ただ、雷は上手く制御できなくて危なかったけど」
そのせいでうっかり木々が燃えかけたが、オズワルドが水魔法で鎮火してくれた。
「魔力が巡る感覚、だいぶわかってきた」
「そうか」
「んー、でもやっぱりオズワルドのように、攻撃魔法を放ってみたいなぁ」
「俺のお株を取らないでくれないか」
オズワルドが小さく笑う。
「何でもできたほうがいいと思うの。それとも……今後、一緒に冒険する人を増やす?」
「なに?」
「だってさ……」
ヒルダはかつて、冒険者のパーティーに入っていたことがあった。
だが、すぐに除名されてしまった。
その理由は明快だった。
ヒルダに魔法の適性が、全くなかったからだ。
単に、魔法を使うのが苦手ということではない。
付与魔法や防御魔法の効果すら受けられない、魔力自体が機能しない体質なのだ。かろうじて魔導具に込められた効果自体は使えるが、費用対効果があまりに悪い。
ある程度、経験を積んだ剣闘士なら、味方から魔法のサポートを受けないと戦えないダンジョンに行くようになる。
ヒルダは、それができない。
仲間たちはヒルダを荷物になると判断して、見限ったのだ。
それ以来、ヒルダはソロで戦うようになった。
幸いにして、ジルヴェットの森には、剣闘士一人でも倒せるモンスターは少なくない。それで日々の生活費、武器防具の維持費、そして病床についていた母の治療費を稼いでいた。
──が、ある日。
魔法生物で、ヒルダの攻撃が効かない巨大スライムに、散々な目に遭わされたのだ。
この一件をきっかけにオズワルドと出逢い、そしてその日のうちに(当時は偽装)結婚した。
冒険者同士で結婚すれば、適性がないヒルダでも、魔法の効果を受けられる『婚姻のリング』が入手できるからだ。
オズワルドはオズワルドで、この結婚は、そうしたヒルダの体質が気になって色々と試したいというメリットがあったらしい。
ともかく、愛情ではなく利害の一致でしかない結婚をしたのが、三ヶ月ほど前。
紆余曲折の末に、今では偽装ではなく、心を通わせた夫婦となった──。
「これから先、私たちは魔王の遺跡を目指す。だったら、もう一人か二人は、必要になってくるんじゃないの?」
魔王は、すでに二十年以上前に倒されている。遺跡とは、その拠点だった城を指す。
ボスこそいなくなっているが、最深部に到達したパーティーは、伝説となった『ロードスレイヤーズ』のみ。
今でも、様々な冒険者がそれに続こうとするし、そんな冒険者を狙う強力なモンスターがひしめきあっていると聞く。
ヒルダ達が、危険極まりない魔王の遺跡を目指す理由とは──過去を知るため。
先日、ヒルダが里帰りしたときに知った真相がある。
それは、ヒルダが魔王の娘であることだ。
「たとえば、回復や錬金術を使える人とか増えたら、オズワルドも攻撃に専念できるし」
「……」
「もう私を、魔法適性がないからって避けようとすることもないと思うし……」
魔法適性ゼロの剣闘士。
とっくに有名になってしまったが、冒険者は入れ替わりも激しい。その事情を知らない人が増えてきているかもしれない。
ならば、募集をかけても来てくれる人がいるのではないか。
「その必要はない」
オズワルドは断言した。
「本当に?」
現状として、ヒルダはオズワルドから攻撃力が上がる付与魔法と防御魔法をかけてもらってから、剣で戦う。モンスターの数が多い場合のみ、魔法攻撃で同時に倒してもらうというのが定着している。
他の職業の者がいれば、色んな戦略がとれるし、オズワルドの負担も減るのは確かなのに。
「魔王の遺跡。その最奥へ行くなら、信頼できる者同士でなければ無理だ。たとえ、魔王本人がいないとしてもな」
オズワルドの言葉に、ヒルダはきゅっと唇を結んだ。
「……唯一踏破したロードスレイヤーズですら、離脱者を出したんだ」
オズワルドは、幼い頃、父親を含めた仲間とともに冒険者をしていた。
そして彼らは、魔王の遺跡に至った。
だが戦いの最中に、父親は自分を庇って死に、オズワルド自身は仲間の尽力もあって転移魔法で逃げた。
からくも、生き残ったメンバーは魔王を倒し、その後はロードスレイヤーズ──王を倒した者として賞賛されるに至った。
褒め称えられたロードスレイヤーズには、オズワルドや彼の父は含まれていない。あくまで生き残って凱旋した者達だけだ。
「数が多ければいい、という話ではない。むしろ、俺達は二人だからこそ咄嗟の連携を取りやすいともいえる」
ぽん、と、オズワルドが肩を叩いてきた。
ヒルダは、夫を見上げた。
微笑みを刻む口元。出逢った頃は無表情か、あるいはニヒルに笑っているような顔しか見なかった気がするが、本当はこんなにも穏やかに笑う人なのだと知った。
「俺は、お前を誰よりも信じている」
「……私も」
「だったら、まずは俺達二人で挑もう。俺もあそこに過去を、置き去りにしてきたようなものだ」
胸が、きゅっと締めつけられた。
「なに、時間がかかってもいいさ。少しずつ進んでいけばいい──その最中で、信頼できる仲間を、新たに得ることもあるかもしれない。焦る必要はない」
「そっか。そうだね。焦っちゃダメだね」
オズワルドの言葉は、乾いたり燃えたりする私の心に染みる、水みたいだ。
魔法適性がなくても、魔王の娘だとわかっても、どんなときもオズワルドは受け入れてくれた。
この人に出逢えてよかった。
「オズワルド……」
ヒルダはそっと、彼の胸に頭を預けるように身を寄せた。
この人がそばにいてくれるなら、何でもできる。
「ヒルダ……」
彼の大きな手が優しく、背を抱き締める。
暖かな腕のなかはとても、安心する。
「──おーい、お二人さんやーい」
頭上から、呆れ交じりの声が響く。
「ハッ、ティティ……そういや、いたんだよね!」
ヒルダはバッと顔を上げた。
「忘れんなや。あー、イチャつくか狩りを続けるか、決めてもろてええか」
「イチャついてなんかないよ!」
「アホぬかせ。それはそうとなぁ、南のほうから、別の巨大スライムがこっちに近づいとるで」
はーぁ、と、ティティがため息をつきながらも報告してくれる。
緊迫感の欠片もない。
それぐらい、今はもうヒルダにとって巨大スライムは強敵ではなくなったのだ。
「よしっ! もう一体倒すよ、オズワルド!」
「わかった」
ぬちゅ、ずるる。粘着質な音が聞こえ、スライム独特の甘い匂いが強くなっていく。
ヒルダは剣を構え、オズワルドは手を掲げる。
「さあっ、かかってきなさい!」
ヒルダの声が森に響いた。
***
冒険者が多く集まる、王都にも近いジルヴェットに建つ宿・マガリ亭。
「おかえりなさいぃ、ヒルダ、オズワルドさん、ティティちゃん」
笑顔で出迎えてくれたのは、看板娘(といってもヒルダより二つ上)のマティルダだ。
マガリ亭は単なる宿屋ではない。
冒険者の登録からギルド等の入会手続き、クエストの斡旋、アイテムの換金、はたまた冒険者同士の結婚の手続きまで、冒険者のサポートを一通りやってくれる施設でもある。
そのため、ここを定宿として、年単位で生活している冒険者も多い。ヒルダとオズワルドもそうだ。
「たっだいまーっ! 狩りしてきたから、換金よろしくお願いしまーす」
「はぁい。あ、ちょうどよかったわぁ」
マティルダが、パンと手を叩いた。
「オズワルドさん。お留守のあいだに、お手紙を預かってますぅ」
そういって、マティルダはポケットから封書を取り出した。
「『探偵』といえば伝わる、と聞いていますぅ。もし心当たりがなければ、こっちで処分しますけどぉ」
「……いや。人に頼んであったものだ。預かってくれて感謝する」
「はぁい」
オズワルドが、封書を受け取った。
「なにそれ?」
ヒルダは訊ねた。それに『探偵』というのもピンとこなかった。
「ああ……以前、俺達がカインの転移で洞窟に連れていかれたときに、倒れていた男がいただろう?」
「あ、いたいた。あの人、無事だったんだよね」
魔族のカインの気まぐれに巻き込まれてしまった、オズワルドの知人だ。
ヒルダはオズワルドからもらったブローチに込められた、一度きりの転移魔法のおかげで、からくも逃げることができた。
残ったオズワルドは、彼のことも見捨てず、一緒に洞窟から脱出してきたのだ。
あとから聞いたのだが、情報屋のようなことを生業としている人らしい。
「とりあえず、ここで広げるのもなんだからな。部屋で、食事しながらでいいから見てくれるか」
「え? それ、私も見ていいやつなの?」
「無論。むしろ、君にも必要になる」
「必要?」
「マティルダ嬢。換金のあと、食事を部屋に運んでくれるか」
「かしこまりましたぁ」
換金作業を終え、銀貨の入った袋をヒルダに手渡しながら、マティルダがにこやかに答えた。
***
「王城への入場許可証!?」
食事を終えたあと、オズワルドに見せられたものを手にして、ヒルダは叫んだ。
手の平サイズの小振りな紙であるが、厚みがあり、魔法によるキラキラとした証印が押されている。
ヒルダは自分の分を受け取ると、窓辺に向かって翳してみた。厚みがあるので、月明かりでは透けない。
「知人に、発行手続きを頼んだ。これは冒険者の宿では出せないものなんでな。ちゃんと正当な手続きを踏んでいる」
「へー、じゃあ本物なんだ。でもなんで王城へ行くの?」
物珍しさに驚きつつも、ヒルダは訊ねた。
「魔王の遺跡へ行くために、情報を集める」
オズワルドが断言した。
「このジルヴェットでは限界がある。だが、王都、それも王城ならば、魔王とロードスレイヤーズに関する記録が残っている可能性が高い」
「あ、なるほど。確かに」
「そこで、王城内の図書室に入れるようにしてもらった」
王城の図書室は、一般には公開されていない。利用するのは王族や貴族、そして役人。だが、正当な手続きを踏めば、一般市民も(範囲に制限はあるが)資料を閲覧できる。
この制度を整えたのが、現国王だ。先代の頃までは、殆どの資料が非公開だった。
「あれ? でもこれ、名前が違う?」
よくよく見ると、名前のところには別の名前が入っていた。
「そうだ。といっても、冒険者にはいくつかの名前を登録するシステムがある……知らなかったのか?」
冒険者としての振るまいに問題があれば除名はあるものの、登録自体のハードルはさほど高くないし、臑に傷を持っていて名前を出したくない者も多い。
そのため、複数の名前を登録し、使い分けるシステムも導入された。
とはいえ、登録した宿屋には全ての情報を出すため、何かあればそこで照会できるようになっている。
「……私、ヒルダ・ヒーリーでしか登録してない」
「そう思って新規で作っておいた」
「別名義って必要?」
ヒルダは、小首をかしげた。
「念のためだ。……俺は、ロードスレイヤーズの関係者でもある。本名を出さないほうが得やすい情報もあるだろうし、逆に出したほうが良さそうなら明かすさ」
「ふーん、でも最終的に身元を照会されたら、ややこしいことになりそうだけどね」
「まぁ、今は閲覧申請のハードルも高くはないらしいからな。正当な手続きの書類であれば、いちいち照会もしないだろう」
その辺の事情は、恐らく自分よりもオズワルドのほうが詳しいだろう。そう判断して、ヒルダは入場許可証を彼に返した。
「わかった。じゃあ、王城の図書室で色々探せばいいのね」
「ああ。ところで、君は共通語以外は何がわかる? ティティの使う西方語も理解できると思うが」
「うーん、その辺以外はよくわかんないかも。地元は共通語圏だから。魔族の使う言葉だって、私自身はよく知らないの」
「わかった。では、君にはまず、共通語でまとめられた資料をあたってほしい」
オズワルドは、賢者(セージ)が主に用いる翻訳魔法も使える。だが、できるだけ原語で調査をするという。
(魔王の遺跡……これで私は、私のことがわかるはず)
そこには、何も残されていないかもしれない。
だが、自分が魔王の唯一の娘だと知った今、向き合うためにも──手がかりを掴みに行きたい。
出立は三日後だとオズワルドが言った。
ヒルダは荷物をまとめつつ、出発の朝まで期待と不安でない交ぜになった時間を過ごすこととなった。