生意気少年だった契約夫が、マッチョになって七年分の愛を注いでくる! 2
「少し前から聞くに堪えないやり取りが耳に入って、つい余計なことをしてしまった……」
そう言いながら、ベンチに腰を下ろす。
片側に寄っているのは、ジュディスにも座るようにと促すためだ。
「いいえ、助かりました。おかげで惨めな気持ちになりませんでしたから」
お礼のためのお辞儀をしてから、ジュディスも彼の隣に座る。
大輪の赤い薔薇とカスミ草の花束からはとにかくいい香りがして、ジュディスの心を慰めてくれた。
「それにしても、君。いくらなんでも男の趣味が悪すぎるんじゃ……?」
「そう言われましても」
「子供の私でもわかるぞ。あんなの……あり得ない」
フィリップの言葉はグサリと胸に突き刺さる。
どうやら彼は、かなり毒舌で、生意気な少年らしい。
身長はジュディスと同じくらいだが、黙っていれば天使みたいに可愛らしい少年だからこそ、辛辣な言葉には妙な説得力がある。
侯爵である彼に「生意気」だなんて、口が裂けても言えないが……。
「あんな男の、どこがよかったんだ?」
「先週までは優しかったんです。どうして普通に……予定があるから約束を守れないって言ってくださらなかったのか、見当もつかなくて」
本人が言いづらいのならば、手紙でもよかったし、使用人を遣ってもよかった。
一時間以上待たせてからわざと約束の場所にやってきたのは、明らかな故意で嫌がらせに違いない。
子爵家の借金問題を理由にすれば、悲しいけれど普通に縁を切れたはず。
なぜわざわざあんなやり取りをする必要があったのか、ジュディスのほうが知りたいくらいだ。
「そんなこともわからないのか?」
「……すみません」
「あの男は、ジュディス殿に好意を持っていたんだろう。だけど大好きなママに反対され、自分の恋心を捨てなければならなかった」
「もしかして! わざと私に嫌われるための演技を?」
悪役になって、ジュディスの思いを断ち切ってくれたのだろうか。
だとしたら、チャーリーもあの令嬢もかなりいい人だ。
「そんな雰囲気じゃなかった。あの男には明らかな悪意があったのに、まだ目が覚めていないのか……? 本当にあきれる」
フィリップに盛大なため息をつかれてしまう。
よく考えれば彼が正しい。ジュディスのためにわざと嫌われようとしたのなら、大勢の人の目がある場所でなくてもよかった。
危うくジュディスのほうが恋人たちの邪魔をし、つきまとっている厄介な女として噂されてしまうところだったのだ。
「でも……だったら、どうして……」
「これは君を傷つける言葉かもしれないが……」
(私、さっきから結構傷ついているんですが!)
フィリップは本当に賢い少年だった。
だからこそ、彼の言葉に含まれる棘は毎回ジュディスに突き刺さる。
「ママの気が変わって交際を反対されたとき、ママが大好きなあの男は自分の心を恥じたんだろう。ここまではわかるよね?」
「はい」
「自尊心だけ高い愚か者は、自分の非を認められない。ママに怒られたのはジュディス殿が悪い。ジュディス殿が誘惑してきたせいだ。……だから恥をかかせてやろう……プライドをへし折ってやろう。ママが選んだ令嬢のほうが上だとわからせてやろう……こんなところじゃないかな?」
言われてみると、腑に落ちる。
父や兄から怒られたときに、それを受け入れられないゆえに他人のせいにした経験はジュディスにもある。
「昔、兄と木登りをしてドレスを破いてしまったんです。父に怒られたくなくて『お兄様が誘わなければ』って言ってしまったことが……」
「……それ、何歳の頃の話?」
「私が六歳の頃です」
「つまりあの男は、いい歳で六歳のジュディス殿と同じような発想だったというわけだ。……君も結構辛辣だね」
他人の気持ちを理解するために、我が身を振り返っただけだが、確かに辛辣だ。
もしチャーリーに再び会う機会があったとしても、六歳の頃の経験から彼の気持ちを理解したなんていう話はしてはいけない。
三歳年下だが、フィリップから学び、ジュディスは少しだけ賢くなったのかもしれない。
「ご教授、ありがとうございます」
「フン……。五月とはいえ今日は肌寒い。こんなところでじっとしていたら風邪を引くかもしれない。もう行くぞ」
フィリップは立ち上がり、ついてくるように促す。
「行くって……どちらへ?」
「カヴァナー子爵家だ」
若くても彼は紳士だ。男性にフラれ傷心のジュディスを屋敷まで送り届けてくれるつもりみたいだ。
申し訳なく感じながらも、なんとなく遠慮したら彼が不機嫌になる気がして、ジュディスはそのままついていくことにした。
しばらく歩くと、木の陰から私兵と使用人らしき二人の男性が顔を出す。
貧乏ゆえに専属の使用人がいないジュディスとは違い、フィリップには会話の邪魔にならない場所に人がついていたのだ。
(でもなんだか服装が変ね)
五十代くらいの白髪の男性は、洗練された立ち居振る舞いからして家令のように見えた。
一般的に主人に直接仕える男性使用人は、定められた制服を着ていることが多いのだが、彼は違っている。
質素なジャケットにハンチング帽という服装で、ジュディスはなんとなく違和感を覚えた。
(街歩きのために変装しているのかしら?)
よく考えると、混雑している街中で使用人を従え、いかにも貴族ですというアピールをしても得はしないだろう。
頭の中でそう結論づけて、ジュディスはあえてたずねないことにした。
使用人たちの案内で、広場から少し離れた場所に停まっていた馬車に乗る。
家紋入りの豪華なものではなく一見質素だが、内装はかなり凝っていた。
「遠慮しなくていいぞ」
「ありがとうございます、閣下」
若き貴公子フィリップはサッと手を出して、乗車を手伝ってくれる。
ジュディスは手にしていた花束を片手で持ってから、フィリップの手を取り、馬車へと乗り込んだ。
(アシュバートン侯爵閣下って……口は悪いけれど、わりと親切よね? ……こういう子が弟だったら可愛くて仕方がなかったでしょうね……)
カヴァナー子爵家の家族構成は父と兄とジュディスの三人で、年下の弟妹がいないからこそ、ついそんなことを思ってしまう。
ジュディスは顔に出さないように注意しながら、席に座った。
遅れて乗り込んできたフィリップが向かいの席に腰を下ろすと、すぐに馬車が走りだす。
窓を閉め切っているせいで、薔薇の香りが社内に満ちていく。
美しい花を眺めているうちに、ジュディスの心は申し訳ない気持ちでいっぱいになっていった。
年頃の令嬢たちは、この日に初めて特別な花束をもらい、贈ってくれた相手と幸せになることを夢見ている。
できれば男性側も初めてであってほしい。
その大切な一回目を、不誠実な男の撃退用に使ってしまうのはいかがなものか……と考えたのだ。
「あの……閣下。お花のことですが!」
ジュディスは勇気を振り絞って、正直な気持ちを打ち明けようと試みた。
「なにか不満か?」
「いいえ不満などめっそうもない。……ですが、できればお返ししたいと思います」
「なんで!?」
彼がいなければ、公衆の面前で惨めな姿を晒していたに違いない。
一度受け取ったものを返すのは、誰に対しても無礼だ。
わかってはいるけれど、ジュディスは年長者だから、三歳も下の少年に対して不誠実ではいたくないと思う。
「じつは、五月の花祭りの花束には特別な意味がありまして。……この日に結ばれた恋人同士は揺らぐことのない絆で結ばれるという話もありますし、ですから……」
フィリップとジュディスは、ガーデンパーティーのときにわずかな時間言葉を交わしただけの関係だ。
互いに名前を知るだけの知人でしかない。
本来、五月の花祭りで彼から花束が贈られるはずはないのだった。
「だから、私からの花束は受け取らないと?」
青い瞳が一層冷たい色になっていく。
それでもジュディスは怯まない。
「助けていただいたからこそ思うのです。……特別な花は、閣下が好いた方に……ええっと、将来のために取っておいたほうがよろしいでしょう」
「なら、問題ない」
「はい?」
「そもそも私は偶然居合わせたんじゃなく、ジュディス殿を捜していたんだ」
ムスッとした顔のまま、フィリップは姿勢を正す。
「いいか、よく聞け。……この私、フィリップ・アシュバートンは、ジュディス・カヴァナー子爵令嬢との婚姻を望む」
「……はい!?」
求婚とは、そんなに不機嫌な顔でするものだろうか。
できることならば、この場で卒倒したい気分だ。一度気絶でもして目覚めたら、今日の出来事はすべてなかったことになるのではないだろうか。
ジュディスは薔薇の香りが満ちる車内で、現実逃避の方法を模索し続けたのだった。
◇ ◇ ◇
子爵邸の小さなサロンで、ジュディスは父や兄レイフと一緒に、フィリップの話を聞く。
アシュバートン侯爵家は、王女の降嫁先に選ばれるほどの名家だ。
フィリップの母親がその王女だから、彼は現国王の甥である。
この国の王位や爵位は男系男子に受け継がれるため、王女の息子であるフィリップは王位継承権を持っていない。
それでも、両親を早くに亡くした憐れな甥のことを、国王はいつも気にかけているという。
そんな人物からの求婚があったものだから、父も兄も驚いていた。
「皆さんご存じとは思いますが、今の私は名ばかりの侯爵です」
ジュディスと二人きりのときとは違い、父と兄が同席している場でのフィリップはかなり丁寧な言葉遣いをしていた。
生意気なところがなく、本当に欠点のない若き貴公子になっている。
「そ……それは……」
はい、そうですねと安易に肯定できない話に、父は戸惑い、しきりに額のあたりにハンカチを押し当てていた。
額に汗が浮かび、終始落ち着かない様子だった。
「ジュディス殿に結婚を申し込んでいる身ですから、私に遠慮など不要ですよ、子爵。そもそも身分を笠に着ることすら許されない未熟者ですから」
彼が名ばかりの侯爵というのは事実である。
はっきりとした階級制度がある貴族社会で、彼はまぎれもなく侯爵だ。
だから当然ジュディスたち子爵家の人間も、先ほど逃げていった伯爵令息のチャーリーも、フィリップを敬う。
けれど彼が侯爵としての義務を果たし、権利を行使できるかという点では「名ばかり」なのだ。
爵位を持つ者が死亡したとき、後継者が未成年の場合は、十八歳になるまで後見人が必要となる。
貴族……所領を預かる領主としての決定権は、この後見人が持っているのだった。
フィリップの両親が亡くなったのは彼が十二歳の頃で、以来、父親の実弟であるウォートン伯爵がその役割に就いている。
「侯爵閣下。私との婚姻をお望みとのことですが、その理由をうかがってもよろしいでしょうか?」
固まっている父と兄に代わり、ジュディスは向かいに座る少年に問いかけた。
「もちろんだ。……前提として、ジュディス殿は貴族が成人と見なされる方法を知っているだろうか?」
見なされるというのなら、十八歳になるまで待つという意味ではないのだろう。
すぐには思いつかず、ジュディスは首を横に振る。
「じつは……既婚者には、年齢に関係なく議会に参加する権利や領主としての決定権が与えられるんだ」
「そんな法があったなんて」
「私も最近になって知った。……しかも貴族の婚姻に必要なものは国王陛下の承認であって、後見人の許可はいらない」
書類上ではそうであったとしても、未成年の男女が保護者の許可を取らずに婚姻を結ぶなんてあり得ない。
現に彼は、ジュディスだけではなくきちんとカヴァナー子爵家に話を通そうとしているではないか。
なんだか法の抜け穴を突くという印象だ。
けれど、言われてみればそういう制度が存在している実感は、確かにあった。
主に女性のほうが若い場合だが、十五、六歳で結婚したジュディスの友人は、夫となった男性と一緒に、大人だけの集まりへの参加が許されている。
この国では既婚者を一人前として扱うからだろう。
「つまり私の目的は、婚姻により無能な叔父を後見からはずすこと。……ご理解いただけただろうか?」
「後見人の叔父様は無能、なのですか……?」
「あぁ。無能で、今後有害になるだろう。……ご退場いただけなかったら、私が成人するまで侯爵領が無事か疑いたくなるほどだ」
とりあえず、フィリップの目的が後見人の排除であることを、ジュディスは頭に叩き込む。
ジュディスへの求婚は、その手段だったらしい。
「侯爵閣下は、国王陛下の甥にあたられるわけですし、後見人の変更を陛下に願い出ることはできないのでしょうか?」
後見人に関するトラブルというのは、時々耳にする。
未成年だった当主が成人した瞬間に後見人を訴えただとか、解任するかしないかで裁判沙汰になるだとか……そういう話だ。
だったら、フィリップもまともな後見人をつければいいのではないだろうか。
「それはダメだ。私の後見人は、今のところ小さな失敗しかしていないんだ。一度定まった者を無能“かもしれない”なんて理由で解任することは、陛下であっても難しい。……王権とはそういうものだ」
「なるほど」
国王は個人的にはフィリップを気にかけているが、あくまで臣に対しては平等でいなければならないらしい。
裁判などの手段で時間をかけているあいだに、財産が食い潰されるというのが、フィリップの予想なのだろう。