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生意気少年だった契約夫が、マッチョになって七年分の愛を注いでくる! 3

第三話


「……ジュディス殿に、見ていただきたい書類がある」
 フィリップは、後方にひかえていた使用人に目配せをし、資料を受け取る。
 一度パラパラとめくってから、それをジュディスに渡した。
「侯爵家の資産管理についての資料!? ……このような大切なもの、私に見せて大丈夫なのですか?」
「侯爵である私も、叔父から正式には見せてもらっていないんだ。今更一人二人増えたところで問題ないよ」
「……それ、共犯にするから大丈夫だと言っているみたいですよ」
「そうかもね?」
 フィリップは冗談交じりに笑っているが、本気であることも伝わってくる。
 関わりたくないなどとは言えず、ジュディスは真面目に目を通していく。
 それによると、アシュバートン侯爵家がこの二年のあいだに行った出資先のうちの一社がすでに破綻しているようだ。
 残りの出資先もかなりハイリスクな業種だった。
「この造酒関連への出資がとくに無謀ですね。新規参入が一番難しい業界なのに」
 ジュディスが気になったのは、大規模な葡萄酒の醸造所建設への出資だ。
 こちらは計画案で、現時点では金を払っていないらしい。
 老舗に勝つことがかなり難しい業界で、実績もないのに大きな醸造所を建設しようとしているのが明らかにおかしい。
「それ……ウォートン伯爵領内に醸造所を建設する予定なんだとか。さすがに、叔父が権利を有している企業ではないんだけど」
「つまり、ウォートン伯爵は、自領で収穫される葡萄を買い取ってもらうための醸造所を、アシュバートン侯爵家の資産で造る予定……なのでしょうか?」
 出資というのは、出資先が儲かるようになってから初めて、配当金の分配などで利益が出る。
 出資先が潰れたら、そこにつぎ込んだ金は水の泡だ。
 けれどウォートン伯爵領の葡萄は初年度から原材料として買い付けられ、伯爵領は潤うし、経営が立ち行かなくなっても借金を背負う必要はない。
「自領を上質な葡萄酒の産地とすることは、叔父の夢だったらしい」
 フィリップは肩をすくめる。
「夢だというのなら、ご自身がリスクを背負うべきでしょうね」
「私もそう思う。それから、ほかの出資先は……おそらく、叔父個人への〝贈り物〟があったんじゃないかと思う。こちらは証拠があれば罪になるんだけれど、疑惑では裁けない」
 ウォートン伯爵が賄賂を受け取り、アシュバートン侯爵家の名義で出資をした場合、さすがに罪となる。
 無秩序な出資の原因としては、十分に考えられた。
(侯爵閣下は本当に賢い方なんだわ。後見人を排除したい理由は納得できるけれど……)
 もちろん、フィリップに助言をする者がいるのかもしれないが、彼自身が理解していないとジュディスたちに説明なんてできなかっただろう。
 そこまで聞いたところで、初めて兄のレイフが口を開いた。
「侯爵閣下のご事情は理解いたしました。……けれど、なぜ妹なのでしょうか?」
「この資料を見せただけで、危うさに気づける人、というのが一番の理由です」
 確かにジュディスは、未成年の令嬢にもかかわらず、こういったことに詳しい。
 父、兄、ジュディスの三人で借金返済のために協力していくうちに、自然とこうなったのだ。
「二番目以降の理由は?」
 レイフは、格上の侯爵であるフィリップに対し、臆することなく問いかけた。
 普段の兄は温厚な青年だが、ここぞというときには頼りがいがある人だった。
「私が侯爵としての実権を得てからとなりますが、子爵家が抱えている問題を解決できるからです」
 その言葉を聞いた兄の表情が曇り、だんだんと険しいものへと変わっていった。
「うちのジュディスを十四歳の少年を誑かした悪女にする代償として、借金を肩代わりしてくださると? ……でしたらお断りいたします」
「失礼ですが、子爵家についていろいろ調べさせていただきました。カヴァナー子爵領はエバディーン王国内ではめずらしいサファイアの原産地。本来なら、安定した領地運営が可能な土地です」
 フィリップのほうも年上の青年から牽制されても、一切怯む様子はなかった。
 彼の言うとおり、子爵領は小さいながら恵まれた土地だ。
 エバディーン王国内でも気候が安定している南部に位置し、農作物の収穫量は高く、そしてサファイア鉱山がある。
 カヴァナー子爵家は、鉱山の権利や加工場を所有し、そして販売ルートも持っていた。
 ジュディスの祖父が手広く事業をしようとして作った、とんでもない額の借金さえなければかなり豊かな生活が送れるはずだ。
 高額の借金には高額の金利が発生する。
 今の子爵家がいくら真面目に働き借金を返しても、ほぼ金利部分しか払えない。
 老朽化した設備を直すこともままならなかった。
 これでは未来永劫、借金完済には至らない。
「私が成人するまでの四年間、ジュディス殿が侯爵家を支えてくださるのなら……子爵家の立て直しが可能となる、十分な対価をお支払いします」
 すべてでなくてもいい。
 元金部分が何割か減らせたら子爵家は持ち直せる。
 真面目に働いてきたからこそ、子爵家の三人はそれがよくわかっていた。
(侯爵閣下と結婚したら……子爵家が守れるの……?)
 祖父のような失敗はしたくないが、資金面で余裕があればもっといろいろなことができたのに……と、悔しい思いをした経験は一度や二度ではない。
 もちろん、十四歳の侯爵と十七歳の侯爵夫人なんて侮られ、つらい思いをするに決まっている。
 いくら後見人が無能だとしても、自分たちがそれよりうまくできるという保証はない。 さらに兄が指摘したように、ジュディスや子爵家が、未成年の侯爵を誑かしたと言われてしまうに決まっていた。
(でも……お金があったら……お金さえ、あれば……)
 子爵家の者は商魂たくましい。
 一瞬でも油断すれば、元金すら返済できなくなり破産するという綱渡り状態で、何年も暮らしてきたのだ。
 フィリップからの提案は魅力的で無視できない。
 先ほどフィリップに反発していたレイフすら落ち着かない様子だ。
(お兄様……たぶん、迷っているんだわ……)
 金のために妹を犠牲にすることをためらいつつも、現実は見えているのだ。
「……や、やはりダメだ……。ジュディスには幼なじみのチャーリー殿が……って、あれ? そういえば、そもそもチャーリー殿は……?」
 そのときになってようやく、大事な報告を怠っていた事実にジュディスは気づく。
 突然、ジュディスが若き侯爵と一緒に帰ってきたから、そちらに気を取られ、チャーリーとの別れについて、父にも兄にも伝えていなかったのだ。
 ドレスが届き、五月の花祭りに一緒に行こうという誘いがあったので、家族も当然チャーリーが交際を申し込んでくるものだと思っていたはずだ。
 つい先ほどの出来事を失念していたのは、よくも悪くもフィリップの衝撃的な求婚のおかげかもしれない。
 己の恥を語ることに抵抗を覚えつつ、ジュディスは今日の出来事を父と兄に急いで伝える。父も兄も怒っていたが、やはり今はチャーリーよりもフィリップとの縁談のほうが重要で、あっさりと話が終わる。
 ジュディスのほうは、チャーリーとの出来事を振り返り、頭の中が整理されていく。そして、確信した。
(私、このままではどうせ、結婚なんてできない……!)
 家族ぐるみの付き合いだったチャーリーですら、母親の反対で交際をためらったのだ。
「お父様、お兄様……やはり前向きに検討しましょう! このままではどうせ、お兄様も私も結婚できませんし、そうなれば子爵家は消滅してしまいます」
 ジュディスの三歳年上であるレイフにも、やはり婚約者がいない。
 財政状況が悪い家に大事な娘を嫁がせたいと思う親なんて皆無だ。このままでは結局、後継者不在によりカヴァナー子爵家は消えてしまう。
「だが、ジュディス一人に背負わせるなんて……」
 それでもレイフはまだ、反対のようだ。
「私自身、もっと自分の力を試してみたいのです。侯爵閣下が私をそういうふうに評価してくださるのなら、四年間立派に妻を演じさせていただきます!」
 これは半分本気だが、半分は強がりから出た言葉だ。
 子爵家を救うためにジュディスを売ったという罪悪感を、家族に抱かせたくはない。
 どうせなら、前向きな気持ちで結婚に臨みたかった。
「本当に、いいの……?」
 フィリップは油断してしまったのだろうか。これまでより、少し子供っぽい言い方になっていた。
 きっと背負うものが大きくて、普段から無理をしているのだろう。
 生意気だが、なんとなく嫌いになれないし放っておけない少年――それが、近い将来の夫となるフィリップ・アシュバートンだった。

  ◇ ◇ ◇

 そこから先、婚姻までの道程はあっという間だった。
 フィリップは子爵家への援助について、具体的に書面で提示してくれた。
 侯爵としての権利が行使できるようになったらすぐに、婚姻のための支度金という名目で子爵家の借金の三割に相当する金額が支払われる。
 支度金なのに、フィリップが侯爵としての権利を取り戻してからの後払いとなるのはこの際仕方がない。
 なんにせよ元金が減れば、サファイア関連の事業の収益で、好循環が生まれる。
 毎月元金は減り、設備投資をする余裕ができるだろう。
 ジュディスの父も兄も、手堅い経営をする人間だから、必ず子爵家を立て直してくれるはずだ。
「それから……子爵家への支度金は、君個人への報酬にはならないだろう。だから、私の成人まで役目をまっとうしてくれた場合に限り、成功報酬を渡すつもりだ」
 二度目の話し合いは、フィリップとジュディスの二人で行われた。
 その席で、ジュディス個人への報酬についても話があり、すでに契約書の草案が完成している状態だった。
 夫の個人資産を妻に分け与えることそのものは、特段めずらしくはない。
 たとえば、夫婦のあいだに子がいない状態で夫が亡くなってしまうと、爵位やそれに付随する領地は、法の定める継承順に従い男系の血縁者に渡ってしまう。
 個人資産と見なされるものについては妻にも権利が発生するが、うまく整理しておかないと未亡人となった瞬間に路頭に迷ってしまう。
 女性の個人資産は、生きるうえでかなり重要なものになってくるのだ。
 ジュディスは契約書に記された内容を確認していく。
(侯爵家所有の別荘を一棟。それに豪遊しなければ一生困らないだけの生活費相当のお金……。侯爵閣下は成功報酬だとおっしゃったけれど、つまりは手切れ金よね?)
 当然だが、二人のあいだに愛情はなく、これは完全なる契約結婚だ。
 フィリップは成人するまでの妻を欲し、ジュディスは実家立て直しのための支援を求めている。
 目的が達成されれば互いに自由になるのは自然な成り行きだ。
「侯爵閣下のお気遣いに感謝申し上げます」
「……うん、別荘は……とくに私のお気に入りの場所なんだ。絶対に気に入るはずだ!」
 少しだけ恥ずかしそうにしている様子から、お気に入りの場所という言葉は嘘ではなさそうだ。
 大切な別荘をジュディスに与えるなんて気前がいい。
(四年後なら、お兄様も結婚しているかもしれない。……そうしたら、子爵家に帰ると迷惑だわ)
 兄嫁にとって、出戻りの小姑なんて邪魔でしかない。
 ジュディスも兄の幸せを壊したくはなかった。
 フィリップはもしかしたら、そういう状況まで想定して、成功報酬の一つを別荘にしたのだろうか。
(将来の予測がしっかりできるなんて。仮初めとはいえ、私の旦那様って末恐ろしいわ)
 少し偉そうだが、賢く、じつは気遣いができる少年……。
 四年後、彼が制約から解放される頃には社交界一のモテ男になっているかもしれない。
「どんなところなのか、とっても楽しみです」
「都からだと、馬車で半日の距離にあるんだ。……まだ君のものじゃないけれど、侯爵家の別荘なんだから君が使ってもいい。だから、今度……見に行こう」
「はい! そのためにはまず婚姻届をどうにかしないといけませんね」
 フィリップは、後見人がこれ以上侯爵家の資産を損ねることのないように、できるだけ早い婚姻を望んでいて、焦っているみたいだった。
 子爵家側も早く支度金を受け取れば、それだけ利子を含めた総返済額が少なくなる。
 契約内容も固まり、ジュディスに不満はないため、さっさと話を進めるべきだった。
 この件に限っては、早ければ早いほど失うものが少ない。
「先日も説明したけれど、婚姻の手続きに後見人の許可は必要ない。だからさっそく陛下と謁見して届け出をしようと思う」
「はい……? い、今……なんて……?」
 予想外の言葉に驚き、ジュディスは思わず聞き返す。
 誰への謁見――と彼は言ったのだろうか?
「だ・か・ら! 国王陛下への謁見を申し込んでおいたから、さっさと婚姻の手続きを進めようって言ったんだ」
「国王陛下……?」
 その謁見にはジュディスも連れていくつもりなのだろうか。
 貴族の婚姻に国王の承認が必要であるということは、何度も説明を受けて知っている。
 けれど、審査そのものは文官が行う。
 署名は国王がするにしても、書類の提出のみで手続きが終わるはずだった。
 フィリップにとって母方の伯父にあたる国王が、幼い侯爵を気にかけているという話はもちろん聞いていた。
 そうだとしても、婚姻の手続きの際に、直接国王への謁見が必要になるだなんて、ジュディスには予想外だ。
「謁見用のドレスの用意はこちらで行っている。明日にでも届くはずだからなにも心配しなくていい。……苦労をかけてしまうかもしれないけれど、妻となる人に進んで恥をかかせる愚か者にはなりたくないからな」
「侯爵閣下……」
 ジュディスにとっての王族は、大きな行事の際に遠くから拝見する機会がある程度の雲の上の人だ。
 だから突然謁見が必要だと言われて、戸惑いが大きい。
 それでもフィリップが準備をしているのなら、逃げてはいけない気がした。
 恥をかかせてはならないという気遣いは、素直に受け取りたい。
「ついでに言っておきたいのだけれど、侯爵閣下という呼び方はそろそろやめてくれ」
「……ではフィリップ様?」
「よそよそしいから『様』はいらない。言葉遣いも、かしこまらなくていい。身分が高いだけの子供が敬われているのって滑稽に見えるだろう?」
 一応、十八歳が法的な成人年齢だが、フィリップと社交界デビューを済ませているジュディスとでは差がある印象だ。
 彼の言うとおり、夫婦になるのであれば侯爵と子爵令嬢という関係ではなく、家族として接するべきかもしれない。
「私もまだ大人とは言えないけれど……そうですね! わかりました。……ではなく……わかったわ、フィリップ」
「……うん」
 初めて名前を呼ぶと、フィリップは頷いたまま下を向いてしまった。
 耳が真っ赤だから、恥ずかしがっているのだとわかる。
「あなたは子供が敬われているのは滑稽だと言うけれど、私はフィリップのことを尊敬しているわ。だから、くだけた言葉遣いになっても、それは親しみを込めたものだと思ってね?」
 そこの部分だけは訂正しておきたかった。ただ年下というだけで敬意を払わなくていいだなんて思えない。
「本当に?」
 フィリップがパッと顔を上げる。
 基本的に大人びた性格だが、まだ少年らしいところも残っているのだ。
「私が十四歳で同じ立場だったら、大人の言うことを聞いているだけで、自分で責任を果たそうとは思わなかったはず。……やっぱり、あなたはすごいわ」
 本当の夫婦とはほど遠いけれど、これから家族になるのであれば、お世辞など必要ない。
 これはジュディスの心からの言葉だ。
「でも、君は……かなり若い頃から家のために働いているし、優秀な人だろう?」
「それは、父や兄が私を認めて……仕事を手伝うと喜んでくれるからよ。これまで、少ない味方しかいない中で足掻き続けていたフィリップのほうが、大変だったはず」
 一年前に一度会っただけだが、フィリップはジュディスのことをそれなりに調べている様子だ。
 おそらく物言わぬ令嬢では、未成年の侯爵の伴侶なんて務まらないのだろう。
 ある程度資産の管理ができて、そして図太い女性でなければならない。
 ジュディスが家業に口出ししていたのは父と兄が寛容だったからだ。これからは理解者が少ない状況での戦いを強いられる予想があった。
 正直、フィリップが望む花嫁になれる自信はないけれど、それでも必死に侯爵家を守ろうとしている彼を知ってしまったら、もう見捨てられそうもない。
「過分な対価に見合う働きをします! だから一緒に頑張りましょう」
「私の花嫁は……思った以上に頼もしい。……よろしく……ジュディス」
 照れて笑うフィリップをジュディスは好ましいと思う。
 たとえ期間限定の契約結婚だとしてもこの選択に後悔はなかった。

 

 

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